東京都立日比谷高等学校人物一覧
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東京都立日比谷高等学校人物一覧(とうきょうとりつひびやこうとうがっこうじんぶついちらん)
東京都立日比谷高等学校の主な出身者・教員・関係者など。 ※全般的に多数につき各分野内において省略した。括弧内は卒業年。ただし、中退者等は例外あり。
目次 |
[編集] 学校長・教員
- 旧職員
- 五十嵐和敏 - 元社会科教諭(在 昭和46年~昭和60年) 『試験にでる日本史』の著者。
- 石川英雄 - 元理科教諭(在 昭和34年~平成3年)、物理教諭、本校出身。
- 岩井尭彦 - 元国語科教諭(在 昭和41年~平成3年)、『中級現代文』、『現代文速攻問題集』の著書。
- 大川忠三 - 元国語科教諭、大東大教授 『古典速攻問題集』、『漢詩三百首』、『スタート高校漢文』の著者。
- 加藤明雄 - 加藤楸邨の息子、元国語科(在 昭和60年~)。
- 川田正澂 - 第10代学校長(在 明治42年~昭和9年)、在任中、いわゆるイートン校・ハーロー校をモデルに掲げた。また、生徒の不祥事でその保証人・山本権兵衛を校内まで呼出した逸話も残っている。前仙台一中校長、旧制7年制府立高校創設者。
- 菊池龍道 - 第13代学校長(在 昭和20年~昭和30年)、前横浜一中校長、駒場東邦創設者・初代校長。
- 木下航二 - 元社会科教諭、戦後~平成(在 昭和25年~平成3年)にかけ本校教壇に。「原爆を許すまじ」、「母なる故郷」、「死んだ女の子」等を作曲、本校出身。
- 清田清 - 元国語科教諭、戦後菊池と共に駒場東邦副校長に。以後も昭和40年代まで本校教壇に。
- 小柳篤二 - 元独語科教諭 旧制東京高校、早大教授、日出学園長など。ドイツ共和国一等十字勲章受賞。
- 白石幸司 - 元理科教諭(在 ~平成16年)、進化生物学研究所部長。
- 月岡ジュン - 元英語科教諭(在 昭和22年~昭和46年) 旺文社『蛍雪時代』・大学受験講座講師。
- 遠山喜一郎 - 元体操科教諭(昭和14年~昭和17年)、東女体大教授、1936年ベルリンオリンピック体操出場(レニ・リーフェンシュタール記録映画『オリンピア』第二部「美の祭典」)。
- 西村房太郎 - 第11代学校長(在 昭和7年~昭和16年)、前千葉中学校長、1940年導入の入試制度に反対し、父兄会会長・金光庸夫、父兄会理事・山本五十六らと時の平沼騏一郎内相らを巻込んでの慰留も辞任。
- 原詠喜 - 元保健体育科教諭(在 昭和10年~昭和47年)、府立一中以来の生き字引。
- 増田忠幸 - 元ハングル講師、NHKラジオハングル講座2004年度講師。
- 丸山淑人 - 第8代学校長(在 明治17年~明治23年)、前本校教諭。城北中学(現・戸山)創設者。当初は補充中学という名称であり文字通り一中に欠員が出た場合に無試験で補充していた。
- 水村光男 - 元社会科教諭(在 平成元年~) 『この『戦い』が世界史を変えた 図説』、『世界史講義』、『世界史人物事典』など。
- 目黒真澄 - 元英語科教諭、訳書『乃木大将と日本人』。東京高等商船教授。山本五十六と長岡中学で同級の友人。
- 森一郎 - 元英語科教諭(昭和30年~昭和43年) 『試験にでる英単語(でる単)』の著者。
- 安富龍平 - 元数学科教諭(昭和33年~昭和54年)『試験にでる数学』の著者。
- 梁田貞 - 元音楽科教諭(在 大正元年~昭和24年) 『城ヶ島の雨』(作詞北原白秋)、『どんぐりころころ』等を作曲。 合唱祭における賞の一つ『梁田賞』は氏を讃えて制定されたもの。
- 山村良橘 - 元社会科教諭(昭和52年~昭和54年) 『世界史年代・世紀記憶法』、『人物世界史事典 欧米編』の著者。
- 白井明 - 元 社会科教諭、元 代々木ゼミナール講師(日本史)
- 吉田三男也 - 元歴史科教諭(大正3年~昭和18年) のちの週刊朝日誌上にて、教え子の数が日本一だと云われた。のち港区立青山中学校教諭として校歌作詞(梁田貞作曲)。
- 現職員
- 武井一 - 社会科講師(現職) 『皇室特派留学生』の著者、本校出身。
- 塚原明弘 - 国語科教諭(現職) 『源氏物語ことばの連環』の著者。
- 杉山英昭 - 国語科嘱託(現職)『名画で読む源氏物語』共著者。
- 岩間輝生 - 国語科教諭(現職)『精選現代文』共著者。
- 中里裕司 - 社会科教諭(現職)『日本史B用語集』共著者。
- 羽野幸春 - 社会科教諭(現職)『詳解倫理資料』編集者。
[編集] 出身者
[編集] 政治
- 大来佐武郎- 外務大臣(民間登用)、日本ユニセフ協会会長。逓信省、経済安定本部(後の経済企画庁)官僚等。如蘭会長。
- 牛場信彦 - 対外経済担当大臣(民間登用)、駐米大使、外務事務次官、通産省通商局長。革新官僚
- 津島雄二(1946)- 厚生大臣、元大蔵官僚(太宰治の娘婿)、現・津島派(旧橋本派)会長
- 竹山裕 (1952)- 科学技術庁長官、参議院政治倫理審査会長。静岡・磐田南高校から転校
- 愛知和男(1956)- 防衛庁長官、環境庁長官。小泉旋風で予期せぬ返り咲き(愛知揆一元外相の娘婿)
- 佐藤剛男(1956)- 内閣府副大臣、自民党国際局長、元通産官僚
- 滝実 (1957)- 自治省消防庁長官、法務副大臣、新党日本副代表、元自治官僚
- 加藤紘一(1958)- 内閣官房長官、防衛庁長官、自民党幹事長、元外交官
- 保岡興治(1958)- 弁護士、元法相、自民党憲法調査会長、元判事
- 町村信孝(1963)- 外務大臣、文部大臣、元通産官僚
- 山崎力 (1966)- 参議院国土交通部会長
- 小林興起 - 前衆議院議員、新党日本代表代行、元通産官僚
- 池田行彦(1956)- 外務大臣、(池田勇人の娘婿)、元大蔵官僚
- 大塚雄司 - 元衆議院議員、元建設相
- 鈴木喜久子- 弁護士、元衆議院議員。29歳で中央大学へ、主婦の傍ら45歳で司法試験合格。マドンナ旋風の一翼
- 久世公堯 - 元参議院議員、元金融再生委員長、元自治官僚
- 松崎哲久 - 元衆議院議員、日本新党結成に携わるも、その後、民主党に移る。
- 阿部信行 - 内閣総理大臣、陸軍大将
- 畑俊六 - 元帥、陸軍大将、陸相、支那派遣軍司令官、極東国際軍事裁判で終身刑判決、後釈放。のち偕行社会長
- 南次郎 - 陸軍大将、陸相、朝鮮総督、枢密顧問官、貴族院議員、極東国際軍事裁判で終身禁錮判決、後釈放。成城学校へ転校
- 迫水久常 - 「知性の迫水」と云われ、加瀬、美濃部両氏と共に官界の東條内閣打倒の「府立一中の三羽烏」の一人。革新官僚、(内閣書記官長(官房長官)時、終戦を決める御前会議臨席)、元参議院議員、元郵政相、大蔵官僚
- 伍堂卓雄 - 商工・農林・鉄道大臣、貴族院議員、日本能率協会初代会長、商工組合中央会(日商)第七代会頭、満州鉄道理事、昭和製鋼社長等
- 岡田良平(1882) - 文部大臣(寺内正毅・加藤高明・第1次若槻礼次郎内閣)。一高教授を経て、貴族院議員、1907年京大総長、文部次官(第2次桂太郎内閣)。1929年枢密顧問官、1930年産業組合中央会会頭。
- 児玉秀雄 - 内務・文部・逓信・国務・拓務各大臣、貴族院議員、内閣書記官長、賞勲局総裁、関東庁長官、朝鮮総督府政務総監。児玉源太郎の子。千葉・佐倉中学から転校
- 塩野季彦 - 法相、逓信相、大審院次長検事、司法省行刑局長
- 山県有道 - 公爵、侍従、式部官、貴族院議員、山県有朋の孫にあたる。東京外語卒
- 鍋島直縄 - 子爵、貴族院議員。東京外語卒
- 堀田正恒(鍋島正恒) - 伯爵、貴族院議員、外務省官僚。
- 松岡均平 - 男爵、貴族院議員。法学者、東京帝大法科教授、拓大学監
- 赤池濃 - 貴族院議員、警視総監、朝鮮総督府警務局長・土木部長、静岡県知事
- 河田烈 - 蔵相、内閣書記官長、大蔵次官、拓務次官、貴族院議員。戦後、中華民国平和条約締結全権委員。大成火災海上保険社長(昭和25~)
- 馬場鋭一 - 蔵相、貴族院議員、法制局長官、日本勧銀総裁、大蔵官僚
- 深尾隆太郎(1895年) - 貴族院議員。東商大卒
- 大橋清太郎 - 貴族院議員
- 入江貫一(1898) - 貴族院議員、宮内省帝室会計審査局長官
- 大浦兼一(1898) - 子爵、貴族院議員
- 周布兼道(1900) - 男爵、貴族院議員、逗子電燈取締役
- 酒井忠英 - 貴族院議員、東商大卒、正金銀行。敦賀藩主家
- 長岡隆一郎 - 貴族院議員、内務省土木局長、都市計画局長、警視総監。満州政治顧問、弁護士
- 坂田幹太 - 貴族院議員、愛媛県・香川県知事、内務官僚。
- 中村謙一 - 男爵、貴族院議員、鉄道省建設局長
- 入江為常(1914) - 子爵、貴族院議員、入江相政の兄
- 土岐章 - 子爵、貴族院議員
- 伊達宗彰 - 侯爵、貴族院議員。大蔵省広島財務局長。宇和島伊達家11代目当主、伊達政宗後裔。
- 東郷安 - 男爵、貴族院議員。日本無線社長、横河電機社長。
- 林博太郎(林石舟) - 伯爵、貴族院議員。教育学者、女高師教授、南満州鉄道総裁、如蘭会長
- 井上匡四郎(1892) - 鉄道相、貴族院議員。内閣技術院初代総裁(昭和17~19)、工学博士。如蘭会長。井上毅の子
- 岩倉具栄(1922) - 公爵、貴族院議員。英文学者、政治学者。法大教授、大東大講師。岩倉具視の孫
- 長島隆二 - 元衆議院議員。大蔵省総理秘書官。
- 武富済(1897年) - 元衆議院議員、拓務省初代参与官
- 福島勝太郎 - 元衆議院議員
- 東郷實(1899年) - 元衆議院議員、政友会政調会長(戦前)、自由党総務(戦後)。農学博士。札幌農学校卒
- 曾禰益 - 元衆議院議員、連絡調整中央事務局長官(昭和23.3)、内閣官房次長(内閣官房副長官)、外務官僚
- 秦豊助 - 逓信次官、拓務大臣、政友会幹事長 / 日本中学へ転校
- 中川以良(1918)- 元参議院議長、四国電力元会長・社長
- 村田省蔵 - 逓信相、鉄道相、初代フィリピン大使、旧大阪商船(現・商船三井)社長、如水会理事長など
- 金光義邦 - 元参議院議員、大蔵官僚、厚相・拓務相 金光庸夫の子息
- 古屋亨 - 自治相、国家公安委員長、元衆議院議員、総理府総務副長官、初代内閣官房内閣調査室長、内務官僚
- 河村勝 - 元衆議院議員、旧日本社会党、鉄道省官僚
- 粟山明 - 元衆議院議員、駐日マケドニア名誉総領事
- 森山欽司 - 元運輸大臣、外務官僚、森山真弓現衆院議員の夫、故人
- 福島譲二 - 元参議院議員、熊本県知事、元大蔵官僚
- 井戸敏三(1964) - 兵庫県知事、元自治省官房審議官
- 大坪健一郎- 元衆議院議員、元労働官僚
- 大橋武夫(1922) - 元衆議院議員、元法務総裁、元労相・運輸相。吉田茂の所謂「吉田学校」の一人
[編集] 行政
- 大橋宗夫 - 大蔵省関税局長、NTT取締役。大橋武夫の子息、浜口雄幸一族
- 伏屋和彦 - 内閣府内閣官房副長官補、国税庁長官
- 中島義雄 - 大蔵省主計局次長、総理秘書官、京セラ、船井電機副社長
- 榊原英資 - 大蔵省財務官、慶大教授、早大教授
- 佐久洋 - 中小企業庁長官
- 山地八郎 - 資源庁長官
- 楠岡豪 - 通産省繊維雑貨局長、日本地下石油備蓄社長
- 山本高行 - 初代通産事務次官、商工省官僚、安本官房長(都留重人、稲葉秀三とアンポン三羽烏の一人)
- 今井善衛(1931年) - 通産事務次官、特許庁長官、日本石油化学社長。城山三郎小説官僚たちの夏」にて風越(佐橋滋)と同期次官争う玉木のモデル。今井敬は弟。
- 杉山和男(1945年) - 通産事務次官、新日鉄副社長、電源開発社長等、ジェトロ・国際貿易投資研究所理事長。
- 小島誠(1899年) - 大蔵省東京・大阪税務監督局長。戦後公職追放
- 和田正彦(1906年) - 大蔵省銀行検査監(局長)、外国為替管理部長(為替局長)、台湾銀行副総裁
- 江沢省三(1920年四修) - 大蔵省銀行局長、日銀理事、東京中小企業育成株式会社社長、金財研顧問
- 阪田泰二 - 国税庁長官、大蔵省理財局長、日銀理事、旧日本専売公社総裁
- 北島武雄 - 国税庁長官、北東公庫総裁、公正取引委員会委員長、旧専売公社総裁
- 入間野武雄 - 大蔵省銀行局長、帝銀(三井銀行11代目)頭取、専売公社二代目総裁。斉藤実のいとこ。
- 長沼弘毅 - 大蔵事務次官、公正取引委員会委員長、日本コロンビア会長。シャーロック・ホームズ研究の第一人者
- 竹内道雄 - 大蔵事務次官、資本市場振興財団理事長、東証理事長
- 吉野良彦 - 大蔵事務次官、開銀総裁、国民金融公庫総裁
- 長岡實 - 大蔵事務次官、資本市場振興財団理事長、輸銀総裁、東証理事長、JT初代社長。東大漕艇部淡青会会長、如蘭会長
- 山口光秀 - 大蔵事務次官、資本市場振興財団理事長、経協総裁、東証理事長
- 長富祐一郎- 大蔵省財政金融研究所長、関税局長。如蘭会長
- 吉田正輝 - 大蔵省銀行局長、日銀理事、旧兵庫銀行頭取
- 三輪良雄 - 防衛事務次官、警察庁警備局長、警察官僚。弁護士
- 軽部弥生一 - 防衛庁衛生局長、厚生官僚
- 小野裕(1927年四修) - 防衛施設庁長官、防衛庁人事局長、警察庁科警研所長。内務官僚
- 児玉良雄 - 内閣官房内閣安全保障室長、防衛庁官房長、防衛施設庁長官
- 秋山昌廣 - 防衛事務次官、大蔵官僚
- 村田直昭 - 防衛事務次官、生え抜き組2人目の次官
- 佐藤基 - 法制局第一部長、特許標準局(特許庁)長官、新潟県知事。公正取引委員会委員長、会計検査院戦後初代院長
- 秋山収 - 内閣法制局長官、通産官僚
- 藤田尚徳 - 侍従長、海軍次官、海軍大将。終戦時の侍従長、「知の迫水、徳の藤田」
- 山本悟 - 侍従長、内務省・総理庁出身
- 渡辺充 - 侍従長、外務官僚
- 石川岩吉(1892年) - 皇太子傳育官、国学院卒
- 法有孚(1899年) - 宮内省内蔵寮。東京法学院(中大)卒
- 本田源清(1901年) - 宮内省侍医寮
- 浅野長光(1922年) - 宮内省内匠寮
- 二上兵一(1925年) - 宮内省諸陵寮
- 川西文夫 - 宮内省参事官、帝国ホテル監査役
- 田島道治 - 宮内庁長官・宮内府長官(昭和23年)、貴族院議員。ソニー会長。
- 湯浅利夫 - 宮内庁長官、自治事務次官
- 渋沢信一 - 外務事務次官
- 佐藤正二(1931年) - 外務事務次官、駐中国大使、日中友好条約調印に立ち会う
- 林貞行(1956年) - 外務事務次官、駐英大使
- 川島裕(1961年) - 外務事務次官、駐英大使、式部官長
- 野上義二(1961年) - 外務事務次官、駐英大使
- 東郷和彦(1963年) - 外務省欧亜局長。終戦時の東郷茂徳外相の孫
- 原口幸市(1959年) - 外務審議官(経済担当)、国連大使
- 渡辺幸治 - 外務審議官、経済局長
- 兵藤長雄 - 外務省欧亜局長、駐ベルギー大使、東経大教授
- 柳健一 - 駐韓大使、外務省経済協力局長
- 高野紀元 - 外務審議官、駐韓大使、北米局長。橋本内閣当時、中韓との教科書紛争で矢面に立たされた。
- 松浦晃一郎 - ユネスコ代表部事務局長、外務審議官、駐仏大使、ニューズウィーク誌「世界で知られる日本人」の一人
- 加瀬俊一(1921年) - 外務省顧問、戦艦ミズーリ降伏調印団一員、国際連合加盟時の国連大使、芝中を経て入学、東商大卒
- 西村健次郎 - 農林事務次官
- 大沢融 - 農林事務次官、食糧庁長官、日本中央競馬会理事長
- 石井英之助 - 食糧管理局長官、農林省農政局長、蚕糸局長。農研理事長
- 藍原義邦 - 林野庁長官、農水省官僚、林野弘済会会長
- 松元威雄 - 農林省農蚕園芸局長
- 浅村廉 - 住宅金融公庫総裁、道路公団副総裁、経企庁総合開発局長
- 平島和男(1972年) - 農水省官房国際政策課長、関東農政局次長
- 牧野徹(1953年) - 建設事務次官、現総理補佐官
- 田村明 - 運輸省官僚、元横浜市企画調整局長、法大名誉教授
- 原隆之 - 建設省官房審議官、建設経済局長、国土庁土地局長、三菱地所専務、OECD地域開発政策委副議長
- 足立頴一郎 - 国土庁大都市圏整備局長、建設官僚
- 足立盛二郎 - 総務省・郵政事業庁長官、NTTドコモ副社長
- 多賀祐重 - 運輸省鉄道総局資材局長、鉄道省出身
- 山下正雄(1924年) - 運輸省船舶局長、運輸省技官、日本船舶振興会理事長
- 中村卓 - 国鉄常務理事、運輸省官僚、鉄道弘済会会長
- 石原米彦 - 国鉄運転局長、運輸省官僚
- 奥康太郎 - 国鉄総支配人
- 小倉俊夫(1917年) - 国鉄副総裁(昭和31~)
- 佐藤輝雄(1924年) - 国鉄監査委員
- 磯野渡(1927年) - 国鉄監査委員、福島臨海鉄道社長。1935年東大法卒
- 今井四郎(1924年) - 国鉄北海道支社長
- 松本操 - 運輸省官房長、新東京国際空港公団副総裁
- 大金瑞穂 - 運輸省海上交通局長
- 丹羽 晟 - 海上保安庁長官
- 赤司鷹一郎 - 文部次官
- 河原春作 - 文部次官
- 天城勲 - 文部事務次官、朝鮮総督府官僚出身
- 豊田武(1926年) - 文部省官僚、日本中世史・東北大・御茶の水・法大名誉教授
- 赤羽信久 - 科学技術庁科学審議官、原子力安全局長
- 角南立 - 科学技術庁技術振興局長、中小企業金融公庫副総裁、日本インドネシア石油協力社長、通産省官僚
- 佐藤朝生 - 人事院事務総長、総理府総務副長官。東京オリンピック組織委事務次長、札幌オリンピック事務総長。内務省官僚
- 清水玄 - 保険院(厚生省)社会保険局長(昭和13年~)、船員保険協会長。植村甲午郎と一中同期。内務省官僚
- 中野徹雄(1944年) - 厚生省薬務局長、水俣病に取組む。協和発酵副社長。
- 幸田正孝 - 厚生事務次官
- 花輪隆昭 - 厚生省援護局長、内閣官房内閣審議官、昭和館館長
- 中村秀一 - 厚生労働省老健局長、社会援護局長
- 澤村宏 - 環境庁自然保護局長、厚生官僚
- 堺宣道 - 厚生労働省大臣官房審議官、食品保健課長等。東大医卒
- 小池欣一(1937年) - 内閣官房副長官(事務担当、第三次佐藤内閣)、厚生官僚、日赤副社長、骨髄移植推進財団理事長
- 道正邦彦 - 内閣官房副長官(事務担当、福田内閣)、労働事務次官
- 岡部晃三 - 労働事務次官
- 七瀬時雄 - 労働事務次官
- 松原亘子 - 労働事務次官。女性初の次官。七瀬氏と同期次官。駐伊大使
- 斉藤邦彦 - 労働事務次官。斎藤邦吉の子息
- 太田芳江 - 労働省婦人局長・初代女性局長、石川県副知事など。慶大卒
- 高坂正雄 - 通産省官僚、名古屋商工会議所専務理事、高圧ガス保安協会会長
- 松岡実 - 通産省技官、新エネルギー総合開発機構理事長
- 川原晃 - 通産省重工業局自動車課技官、国民車構想の立案者
- 林康夫 - 中小企業庁長官、通産省通商政策局長
- 田辺俊彦 - 中小企業庁次長、佐高信著書『官僚たちの志と死』・「通産省の殉職者」の主人公
- 坂本春生 - 札幌通産局長、女性通産官僚の草分け・著書「スカートをはいた高級官僚」、元西友取締役、2005年日本国際博覧会協会事務総長、副会長
- 松尾邦彦 - 中小企業庁長官、国際石油開発社長、会長、石油鉱業連盟会長
- 南学政明 - 通産省生活産業局長、東京工業品取引所理事長
- 横堀恵一 - 国際エネルギー機構(IEA)パリ本部局長、通産省官僚、帝京大教授、エネ研所長
- 中田哲雄 - 中小企業庁長官、防衛庁装備局長、同大ビジネス研究科長
- 辛島修郎 - 通産省官僚、自販連専務理事
- 山浦紘一 - 通産省官僚、石油連盟専務理事
- 大角恒夫 - 人事院公平局長、通産省官僚、高圧ガス保安協会会長。大角峯生海相・海軍大将の孫
- 梅沢泉 - 通産省官僚、ベンチャーエンタープライズセンター理事長
- 坂井宏 - 通産省官僚、日本商品先物取引協会副会長
- 佐瀬正敬 - 通産省官僚、沖電気執行役員
- 根津利三郎 - OECD科学技術産業局長、産研理事、通産省官僚、富士通総研専務
- 鹿島幾三郎 - 通産省官僚、経企庁物価局長、松下電器取締役
- 大滋弥隆人 - 通産省官僚、大滋弥嘉久元通産事務次官の子息、慶大卒
- 関成孝(1974年) - 経産省官房参事官、特許庁審査業務部長、東大理院卒
- 岸博幸(1981年) - 経産省官僚、内閣府経済財政政策担当大臣、金融担当大臣各補佐官、竹中総務大臣政務秘書官。一橋卒
- 村井七郎 - 大蔵省国際金融局長、三和銀行副頭取
- 旦弘昌 - 大蔵省国際金融局長、日銀理事、三井銀行顧問
- 前田克巳 - 行政調査部次長、日銀監理官、原研理事、殖産住宅社長、大蔵官僚
- 小幡琢也 - 大蔵省理財局、日本抵当証券業協会会長。著書に「抵当証券の実際について」
- 岡島和男 - 中国財務局長。最後の住専会長
- 松川道哉 - 財務官、日興リサーチセンター理事長
- 大須敏生 - 大蔵省理財局長、日銀理事
- 保田博 - 大蔵事務次官、国際協力銀行総裁、広島・呉三津田高校から編入
- 田波耕治 - 大蔵事務次官、内閣官房内閣内政審議室長
- 中平幸典 - 財務官、IMFにおいてロシア経済のテイクオフに尽力
- 徳田博美 - 大蔵省銀行局長、野村総研社長
- 寺村信行 - 国税庁長官、大蔵省銀行局長、中央大法学部教授
- 松田篤之(1956年) - 大蔵省造幣局長、東海財務局長
- 坂本導聰 - 経企庁国民生活局長(総合計画局長)、物価局長、大蔵官僚
- 妹尾喜三郎 - 大蔵省印刷局長、道路公団理事
- 田中努 - 経済企画事務次官、中大総合政策学部教授、都立大卒
- 大来洋一 - 経済企画審議官、政策研究大学院大学教授、大来佐武郎の子息
- 西原篤夫 - 独立行政法人造幣局理事長、財務省官僚
- 畑中龍太郎(1971年) - 近畿財務局長、大蔵省理財局、金融庁総合企画審議官等。東大助手から中途入省
- 寺本泉 - 財務省官房審議官等
- 寺内肇 - 財務省理財局、国税庁課税部、衆議院議員松本十郎の婿
- 望月秀一(1952年) - 警察庁、佐賀県警本部長等。中大卒
- 鈴木善晴 - 中国管区警察局長、兵庫県警本部長、刑事局保安部等、旧内務省の嫡流旧自治庁入庁
- 漆間巌(1964年)- 警察庁長官、警察庁次長、警備局長、警視副総監、大阪府警・愛知・奈良県警本部長など
- 根本芳雄(1961年)- 中国管区警察局長、福井・長野県警本部長等
- 小山田潔 - 四国管区警察局長、宮崎県警本部長等
- 中村正則 - 関東管区警察局長、福岡・岐阜・香川県警本部長、内閣情報調査室、警察庁刑事局暴力団対策部長等。中大卒
- 坂口正芳(1976年) - 警察庁、秋田県警本部長等
- 種谷良二(1977年) - 警察庁交通局交通規制課長、新潟県警警務部長
- 青山幸恭(1971年) - 和歌山県警本部長、財務省官僚
- 横田光雄 - 自治省官房審議官、福岡県地方課長。作新学院大教授
- 磐城博司 - 消防庁消防大学校長
- 澤井安勇 - 消防庁次長、船橋市助役、岡山県副知事、NIRA理事
- 熊野陽平 - 消防庁消防研究所長
- 鈴木正明 - 消防庁長官、自治省官房審議官・公務員部長、国土庁地域振興局長、北海道副知事
- 岡田純夫 - 自治大学校長、沖縄開発庁総務局長、順大専務理事
- 山崎馨 - 駐ペルー公使、東商大卒
- 蜂谷輝夫 - 駐奉天総領事、駐独立ビルマ・INA初代公使、総理秘書官(昭和23年.10~.11)、東商大卒
- 須磨未知秋 - 駐インドネシア大使
- 北田正元 - 駐ペルー公使
- 長岡春一 - 駐仏大使(昭和7~)、駐独大使(大正15~)。松岡洋右と共に満州国否認決議に国際連盟議場から退場。外務省条約局長、国際司裁判事
- 別府節弥(別府清)(1920年) - 駐ラオス大使、駐バチカン
- 成田勝四郎(1922年) - 駐西ドイツ大使
- 磯野勇三 - 駐ポルトガル・駐レバノン大使
- 重松宣雄 - 奉天領事(昭和8年~)
- 阪本瑞男 - 駐スイス公使(昭和17.8~、ベルリンにて死去(昭和19.7))
- 森重干夫 - 外務省管理局長(昭和20.8)、拓務省拓南局長、大東亜省参事官、関東庁官僚出身
- 北原秀雄(1931年) - 駐仏・駐ベトナム大使、外務省欧亜局長。モエ・へネシー・ジャポン社長。学生時代、陸上十種競技選手
- 伊達邦美 - 駐ブラジル大使。東北帝大卒
- 小嶋光昭 - 駐ルクセンブルク大使
- 大森誠一 - 外務省条約局長、駐ニュージーランド大使
- 梁井新一 - 外務審議官、駐韓大使
- 手島冷志 - 外務審議官、駐イタリア大使、鹿島顧問
- 山本学 - 駐アルゼンチン大使、同姓の俳優とは別人
- 井口武夫 - 駐ニュージーランド大使、東海大学教授
- 宇川秀幸 - 駐豪州・駐ブラジル大使
- 松田慶文 - 駐比国大使
- 川村知也 - 駐シンガポール大使
- 浅見真 - 駐ケニア大使
- 蓮見義博 - 駐モンゴル大使、駐上海・広州総領事、北京大学現代日本研究センター教授
- 法眼健作 - 駐カナダ大使、中近東アフリカ局長
- 法眼俊作 - 法眼晋作外務事務次官の子息、健作氏と兄弟、外務官僚
- 渡辺伸 - 駐サウジ大使、松本清張の婿
- 藤井宏昭 - 駐英大使、外務省官房長、北米局長、国際交流基金理事長
- 折田正樹 - 駐英大使、北米局長、総理秘書官
- 藤田直 - 駐クェート大使、軍縮・不拡散大使。東外大卒
- 藤岡誠 - 駐アラブ首長国大使、通産官僚
- 谷野作太郎 - 駐中国大使、駐印大使、内閣官房内閣外政審議室長、早大教授
- 大島英一 - 国連大使
- 野川保晶 - 駐米公使 、ジュネーブ代表部公使、外務省中東アフリカ局審議官
- 多賀谷吉夫 - 国連総務局長
- 股野景親 - 公正取引委員会委員、法務省入国管理局長、駐スウェーデン・ベトナム大使
- 朝岡健 - カルカッタ総領事、東商大卒
- 後藤悌次 - 鉄道省経理局長、東京府電気局長、華北交通副総裁
- 朝倉希一 - 鉄道省工作局長。車輛工学の権威
- 金井清 - 鉄道省官僚。諏訪市長
- 平山復二郎 - 鉄道省建設局長、満州電気化学理事長
- 細川泉一郎 - 鉄道省工作局長(主任技師としてD51設計)、国鉄工作局長(ビジネス特急こだま号完成)。日本車輛製造副社長
- 日高平吉 - 逓信省貯金局長
- 柳谷酉三(1891年) - 逓信省航空局長、灯台局長。東京法学院(中大)卒
- 水島房吉(1901年) - 会計検査院。中大卒
- 荒川大太郎(1911年) - 逓信省工務局長
- 小笠原光寿(1919年) - 逓信省郵務局長(昭和24)
- 清水順治(1905年) - 逓信省電気局長
- 村上富士太郎(1911年) - 農林省馬政局長官
- 斎藤守圀 - 埼玉県・千葉県知事、内務官僚
- 元田敏夫 - 埼玉県・千葉県・香川県知事、内務官僚
- 清水虎雄 - 東京都教育局長、文部省初等教育課長、千葉県経済部長、内務官僚。旧制富山高校、富山大、東洋大学法学部教授。清水澄の子
- 香坂昌康 - 東京府・愛知県知事、内務省官僚 錦城高校へ転校
- 野坂相如(1916年) - 新潟県副知事、内務官僚・工学士。野坂昭如の父
- 下条康麿 - 内閣統計局長・恩給局長、賞勲局長官、内務官僚。貴族院議員、のち参議院議員、文部大臣
- 高橋敏雄 - 群馬県知事、内務省官僚
- 池田宏 - 革新官僚・国策研究会、内務省社会局長官、東京市助役、京都府知事、神奈川県知事。京大法卒
- 美濃部洋次 - 革新官僚・国策研究会の美濃部文書、商工省機械局長。企画院部長、満州国国務院総務庁等、日本評論新社社長
- 寺尾進 - 商工省商務局長、貿易局長官
- 黒田鴻伍 - 商工省統制局長、企画院調査・第二・第六・科学部長
- 長崎栄十郎(1907年) - 商工省臨時産業合理局第一部長
- 立花俊一(1915年)- 商工省燃料局総務部長
- 白井義三 - 商工省報道課長(昭和15年~)
- 本郷寿次 - 商工省物価局第2部長
- 橋井真(1920年) - 商工官僚。中国国民政府経済顧問(昭和16)、総理秘書官、軍需省機械局長、内閣審議官、安本第1部長。東京計器製作所会長、社長、日銀政策委員(昭和49~52)。川島令次郎の子
- 鈴木昌吉(1905年) - 農林省農務局長
- 湯河元威 - 農商次官、東京都次長、農林中金理事長
- 渡辺武(1925年)- 財務官、官房長、駐米公使、IMF・世銀各理事、アジ開総裁、日米欧委員会委員長、格付研究所長。革新官僚の一人として、戦後の経済国防政策等舵取りに影響
- 福田勝 - 駐米公使、アジア開発銀行理事、大蔵官僚
- 原口武夫 - 大蔵省為替局長、企画院財務・第五部長
- 石井茂樹 - 大蔵省大阪・仙台・新潟財務局長
- 内藤敏男 - 大蔵省官僚、専売局理事・審査部長
- 山住克己 - 大蔵省理財局長、陸軍司政長官、日本無尽会社・日本相銀副社長
- 樺山資英 - 内閣書記官長、貴族院議員。国際電話株式会社社長。コロンビア・エール(法博)卒。栃木県中学高等中学科へ(明治19年)
- 細渕具象(1879年) - 埼玉・六辻村(現・さいたま市)長、東京法学院(中大)卒
- 関屋悌蔵(1914年) - 新京市長
- 塚田節(1896年) - 水海道町(現・水海道市)長
- 大野守衛(1897年) - 藤沢町(現・藤沢市)長
- 青本寛(1918年) 満州国財政部金融司長
- 石渡慎五郎(1925年) - 満州国官僚、日本開発銀行監事、共同石油監査役
- 天沼紳一郎(1926年) - 大蔵省官僚、立正大経済学部長
- 浅野六郎(1926年) - 大蔵省技師、中野組取締役、早大理工卒
- 渡正監 - 上海租界警視総監、東京府経済部長
- 立正嘉(1923年四修) - 日銀政策委員、山陰合同銀行頭取
- 井上敏夫 - 日銀副総裁、東証理事長
- 下岡忠 - 日銀理事
- 永池長治(1895年) - 日銀理事
- 藤沢徳三郎 - 日銀理事、輸銀副総裁、日本商工倶楽部理事長。東商大卒
- 浅岡一雄(1921年) - 日銀新宿支店長、極洋捕鯨専務・顧問
- 松本重雄(1926年) - 日銀理事 、東銀協専務理事、副会長
- 小尾知愛 - 日銀政策委員
- 石坂元 - 日銀理事
- 蔵原千秋 - 日銀理事、全銀協副会長
- 深井道雄 - 日銀理事
- 菅野明 - 日銀理事、全銀協副会長
- 岩田一政 - 日銀副総裁、経企庁官僚、東大教授
- 志賀虎一郎(1890年) - 日銀営業局長
- 中里昌夫 - 日銀貯蓄推進局長
- 賀来景英 - 日銀、大和総研副理事長、「金融用語辞典」
- 増永嶺 - 日銀外国局長
[編集] 経済
- 矢野一郎 - 第一生命総帥、4代目社長。NHK経営委員会委員長。矢野恒太の子息
- 牧山公郎 - 第一生命顧問、8代目社長
- 梁瀬長太郎 - ヤナセ自動車創業者、東京商大卒
- 長岡正男(1916) - 第六代日本工学工業社長
- 石坂泰三 - 第一生命を経て、東芝会長、第一生命3代目社長、アラビア石油2代目社長、経団連第2代会長(「陰の総理」「財界総理」と謳われた)、元逓信省官僚。如蘭会長
- 植村甲午郎 - 内閣企画院次長、日本航空社長、ニッポン放送社長、フジテレビ会長、日赤副社長、経団連第3代会長。如蘭会長
- 伊藤毅一 - 日本航空会長
- 山地進(1944) - 日本航空会長、社長(墜落事故後に就任)、元運輸省鉄道監督局長、総理府総務副長官・初代総務事務次官(旧総務庁)。
- 中村昭雄(1945四年卒) - 日本航空米州支配人
- 中富幹夫(1938) - 日本空港給油社長、日航理事
- 普勝清治 - 全日空会長
- 水野惣平-アラビア石油元会長、石油危機脱出の功労者的存在。「アラビア太郎」「山師太郎」の異名を持つ山下太郎の実子、北大卒
- 池田幸光 - アラビア石油顧問
- 瀬木博政 - 博報堂名誉会長 。日仏銀行、NYシティバンク、東商大専門部卒
- 岡田俊男 - 博報堂相談役
- 田端栄 - マッキャンエリクソン博報堂副社長
- 鈴木松雄 - 昭和電工会長、鈴木竹雄の兄
- 鈴木義雄(1927) - 日揮会長、通産省重工業局長、鈴木竹雄の弟
- 長谷川周重 - 住友化学会長、住友グループ総帥。清水一行「小説 財界」で描かれた住友の飛車角、長谷川と住金・日向方斉との大阪商工会議所会頭争いが有名。如蘭会長
- 齋藤裕(1938) - 新日本製鐵会長、経団連副会長、如水会理事長、東商大卒
- 豊田章一郎(1942) - トヨタ自動車会長、経団連第8代会長。名大、東北大院卒
- 今井敬(1946) - 新日本製鐵会長、経団連第9代会長。如蘭会長
- 渡辺誠(1944) - 新日本製鐵顧問
- 大橋延夫(1944四年修) - 川崎製鉄顧問、先端材料技術協会会長
- 野路正也(1945四年卒) - 日本製鋼所副社長
- 須崎芳三郎(1882) - 報知新聞社理事
- 草鹿砥祐吉 - 台湾製糖技師長
- 武智勝 - 台糖(旧台湾精糖)社長(昭和17年~49年)
- 石渡信太郎(1893) - 日本石炭相談役、社長
- 吉川与四吉 - 九州電燈鉄道社長
- 河手捨二(1895) - 三菱鉱業社長。東商大卒
- 秋山正八(1896) - 日本車輛製造副社長
- 阿部秀太郎(1896) - 伊予鉄道副社長
- 田口弾三(1897) - 足利銀行頭取
- 松野龍雄(1898) - 三和銀行取締役
- 小菅金造(1898) - 東京海上取締役。東商大卒
- 土屋煕(1900) - 東京貯蓄銀行総支配人。東商大卒
- 間宮寿人(1903) - 帝人取締役
- 立川龍(1903) - 東京電気会社取締
- 黒田敬(1903) - 伊豆銀行取締
- 栗田庸太郎(1904) - 三菱信託社長
- 原耕三(1904) - 三菱重工業専務
- 石井五郎(1904) - 阪神電鉄副社長
- 石井頴一郎(1904) - 台湾電力顧問、小牧ダムや小河内ダムに関わる。藍綬褒章
- 高森寛治(1904) - 日清製粉取締役
- 丹羽武朝(1904) - 静岡鉄道社長、東横電鉄取締役、鉄道省監督局長
- 清水太郎(1904) - 東京製紙工業専務
- 清水時好(1905) - 中国酸素社長
- 太宰正伍(1905) - 横浜正金銀行取締
- 服部玄三(1905) - 服部時計店会長。二代目社主・初代社長
- 服部正次 - 服部時計店会長。三代目・二代目社長
- 春藤和(1906) - 三菱銀行取締
- 片岡貞夫(1906) - 大阪製粉専務
- 土屋計左右(1906) - 第一ホテル社長、東京ボーリングセンター社長。父・弟・二子とも一中卒。
- 海上浩 - 満州中央銀行理事
- 永田哲三(1911) - 住友銀行専務
- 盛田秀平(1913) - 敷島製パン社長。早大卒
- 青木正雄(1914) - 吾妻商会社長
- 浜口雄彦(1914年) - 東京銀行頭取(昭和21~29)、三和信託銀行専務、国際電電社長・会長(昭和37~)、日銀出身。浜口雄幸の子息
- 安田楠雄(1920) - 第三銀行頭取
- 金田栄太郎 - 新日本窒素社長
- 井上中務 - 野村製作所社長
- 川西知 - 古河アルミニウム工業副社長
- 木場貞寿(1923) - 三菱事務機械社長、東京国際貿易センター社長。三菱商事専務
- 浅田光彦(1923) - 十條製紙取締役。慶大卒
- 畑良一(1922) - 野崎産業会長
- 清水四郎 - 三菱重工取締役。藍綬褒章
- 松方正信 - 日野自動車会長。慶大卒
- 吉村成一(1922) - 横浜銀行頭取、大蔵省出身
- 肥後一郎(1929) - 日本電気専務
- 阿部達一 - 大正相互銀行頭取。大蔵省東北財務局長
- 米山令二 - 旧千代田生命保険相互会社社長
- 八城政基 - 新生銀行社長、京大卒
- 鏡味徳房 - 東日本銀行頭取、第二地方銀行協会会長、大蔵省関税局長
- 岡副昭吾 - 新橋演舞場社長、料亭・金田中主人
- 豊田達郎(1946) - トヨタ自動車社長、副会長、相談役、東大卒
- 上島重二 - 三井物産会長、戦後8代目社長、元経団連副会長、京大経卒
- 江尻宏一郎 - 三井物産会長、戦後6代目社長。巨人軍燦燦会会長。
- 中村稔 - 三井物産副社長
- 若王子信行 - 三井物産マニラ支店長、ゲリラに拉致されるも、帰還す。城山三郎「男の生き方40選」で取り上げられる
- 中村久雄 - 蝶理社長
- 木村脩吉 - 丸紅理事
- 蔵原正昭 - 丸紅副社長
- 森村太華生 - 森村商事社長
- 棚橋泰 - JR貨物社長、運輸省官房長
- 真野温 - 住友電気工業顧問、副社長、アムウェイ顧問、通産省基礎産業局長
- 木村繁雄 - 帝国石油会長
- 赤松純二 - 帝国石油会長
- 山崎時男 - モービル石油社長
- 嶋正彦 - コスモ石油会長
- 山田秀三 - 北海道曹達会長、商工省官僚、軍需省化学局長。北海道曹達を設立。藍綬褒章
- 松井武 - 松井証券元社長
- 吉田達夫 - 興銀副頭取
- 金子隆三 - 朝鮮殖産銀行副頭取、横浜税関クイーン塔設計。大蔵省官僚。
- 勝田龍夫 - 旧日債銀会長、勝田主計の子息、京大卒
- 駄場純一郎 - 東京都民銀行頭取
- 吉村四郎(1933) - 横浜銀行相談役
- 水出久雄(1928) - 札幌銀行会長
- 水出洋 - 北洋銀行会長
- 上田暉 - クレディリヨネ投資顧問社長
- 大島秀夫 - BNPパリバ銀行在日代表。丸山真男門下
- 正岡哲士 - インドスエズ銀行東京支店総支配人
- 新木文雄 - 福岡銀行会長、頭取
- 寺本清 - 福岡銀行会長、頭取、福岡商工会議所会頭、日銀文書局長
- 後藤達太 - 西日本銀行会長
- 堀寛 - 北海道銀行会長、大蔵省官房審議官
- 安藤昭三 - 大分銀行頭取
- 西邦男(荘田邦男) - 殖産銀行会長
- 藤原和人 - 十八銀行頭取、国土事務次官、農林漁業金融公庫副総裁、大蔵省官僚
- 田中誠二 - 長野銀行頭取、税務大学校長
- 臼井昭彦 - ゴールドマンサックス銀行在日代表
- 飯田彬 - 世界銀行東京事務所長
- 田子奨 - 三菱信託銀行社長
- 林宏(1950) - 三菱信託銀行社長
- 渡辺博 - 日本短資会長、三菱信託銀行専務、日銀出身
- 久富武夫 - 安田信託銀行社長
- 立川雅美 - 安田信託銀行社長
- 安部川澄夫 - 大和銀行会長
- 酒井杏之助 - 第一銀行頭取
- 池田睦冶 - 第一勧銀会長
- 北山禎介 - 三井住友フィナンシャルグループ社長
- 吉田達夫 - 新光証券会長
- 奥村雅英 - 東海東京証券社長
- 土屋陽三郎(1932) - 旧三洋証券創業者、廃業なるも、タバコの喫煙具蒐集で知られる。如蘭会副会長
- 小貫員義 - 旧日栄証券会長
- 石原権作 - 協立証券相談役
- 須磨未千秋(1935) - 日本信販相談役
- 青山保光 - コスモ投信会長
- 関篤二 - さくら投資顧問社長
- 河原昇(1942) - 旧日本ハウジング・ローン社長、興銀出身
- 田中啓次郎 - 旧ニコス生命会長
- 山中重治 - 旧日本団体生命相談役、会長
- 野田朝夫 - 旧大成火災相談役
- 渡辺喜八郎 - 旧麻布建物社長
- 出光昭介 - 出光興産名誉会長、社長、ハーバード大中退
- 出光裕冶 - 出光興産相談役、社長、九大法卒
- 石黒武雄(1923) - 第一製薬社長、京大教授
- 東山紀之 - 萬有製薬社長
- 喜谷市郎右衛門(1931) - ヒサゴ薬品社長
- 佐藤萬喜雄(1931) - 小玉顧問
- 中橋武明(1934) - 全薬工業顧問
- 塩谷豊 - 日本食堂社長
- 岡田元 - 日立建機社長
- 島津一郎 - 島津製作所社長。東京美大(芸大)卒
- 恒木邦夫 - ビクター社長
- 河野文彦 - 三菱重工会長
- 飯田庸太郎(1937) - 三菱重工会長
- 鈴木正雄(1932) - 三菱自工顧問
- 各務鎌吉 - 日本郵船会長、東京海上火災保険会長、三菱信託初代会長、貴族院議員。火災・海上・船舶保険協会を創設。東商大卒
- 宮岡公夫(1940) - 日本郵船会長
- 河村健太郎(1952) - 日本郵船会長
- 草刈隆郎 - 日本郵船会長、経団連副会長、慶大卒
- 高橋達直 - ライオン社長。会長。通産省中小企業庁長官
- 長田英機 - 関西電力副会長、通産省中小企業庁長官
- 後出豊 - 東京ステーションホテル社長、運輸省海上保安庁次長
- 遠藤卓郎(1941) - 日産ディーゼル社長、日産副社長
- 村松敦 - 日産副社長
- 棚橋和郎(1945中退) - 日産副社長、富士銀行投資顧問会長
- 仲村巌 - 日産ディーゼル社長
- 安川太郎 - 本田技研技師長、ニューウェーブ社長
- 山岸儀一(1939) - 富士重工技術顧問
- 三宅重光 - JR東海会長、名古屋商工会議所会頭、東海銀行頭取
- 中南通夫(1929) - 川崎重工会長
- 楢林駿一(1940) - 川崎重工技監
- 加藤武雄(1924) - IHI石川島播磨重工業顧問
- 川西剛 - 東芝副社長
- 日向宏太郎 - 東芝取締役、日向方斉の子息、慶大卒
- 光沢章 - 富士通経営研修所長、富士通取締役
- 渥美健夫 - 鹿島名誉会長、元商工省官僚
- 竹内久夫 - 鹿島副社長
- 関厚 - 鹿島副社長
- 藤山猶一 - NEC日本電気会長
- 大内淳義 - NEC日本電気会長
- 石井啓造 - 大林組副会長
- 小笠原平一郎 - 竹中工務店副社長
- 平岡治郎 - 清水建設副社長
- 天羽浩平 - サン・マイクロシステムズ社長、米法人副社長
- 中川晃成 - 日本航空電子社長、台湾総督・中川健蔵の子
- 三浦孝雄 - 国際航業副社長
- 浅野悌次 - 昭和飛行機相談役
- 正田敏一郎(正田文右衛門 1909) - 正田醤油社長、東商大卒
- 稲生平八(1923) - 森永製菓社長、一高蹴り慶大予科入学
- 佐藤尚忠 - 明治製菓社長
- 坂野常和 - 日本化薬会長、大蔵省証券局長
- 蓑田勝亮(1943四年修) - 日本水産会長
- 今村達也 - 宝幸水産会長
- 佐々威二郎 - 大日本塗料会長
- 土屋泰昭 - 日本GE副社長
- 橋本敬之(1937) - 二ッカウヰスキー社長
- 鈴木慎朗 - メルシャン社長
- 渡瀬昌勝(1923) - マックスファクター顧問
- 村井八郎(1939) - わかもと製薬社長
- 工藤四郎 - 旭松副社長
- 松原幹夫 - セゾン生命社長
- 黒川光朝 -虎屋十六代当主
- 槙田久夫(1927) - NKK旧日本鋼管会長・8代目社長。東商大卒・専門部卒
- 杉原健三郎(1938) - NKK旧日本鋼管会長
- 佐藤晃一 - ホテルオークラ社長
- 竹見淳一 - 日本ガイシ会長、NHK経営委員会委員長。慶大卒
- 阿部貞雄 - 三共副社長
- 関弘 - 東亜建設工業副社長
- 河村良彦 - 東急建設顧問
- 戸沼道郎 - 三井建設副社長
- 飛島章 - 飛島建設社長
- 石川堅一郎 - 大和製罐副社長
- 小島榮太郎 - アイリスメガネ社長
- 木村淳一 - 二ッセン会長
- 池永次郎 - ニチロ社長
- 荻原信 - ノーベル社長
- 藤井総四郎 - 不二家相談役、社長
- 濱田次郎(1942) - 東天紅顧問
- 矢吹潤一(1952) - 天一社長
- 川合敏夫 - 川合海苔社長
- 長谷川浩一(1945四年卒) - 日東珈琲社長
- 飯田忠彦 - ダイドー社長
- 杉本甫(1928四年修) - 市川毛織顧問、元日本勧業銀行
- 三浦一紀(1944) - 日本毛織顧問
- 指田禎一 - 日清紡社長
- 丹羽寛 - クラボウ社長
- 成瀬牧夫(1945四年卒) - トリンプ・インターナショナル社長
- 小林和三 - 日本電工社長
- 小林節夫 - 日本発条副社長
- 池邊乾治 - 東ソー名誉社友
- 坂口研吾 - 東ソー、サンシャインシティ社長
- 今坂泰雄 - 日本化学工業社友
- 松井昭雄(1944修) - 三共化学工業社長
- 原圭一(1938) - 商船三井興業会長、商船三井専務
- 大西宣彦(1939) - 商船三井客船会長
- 木村享三 - 日本カーフェリー社長
- 宮田文一(1939) - 太平洋汽船副社長
- 青木利夫 - アジア航測社長、早大卒-三井物産出身
- 田中雄平(1936) - ワシントンホテル、藤田観光社長
- 鈴木誠(1944) - ロイヤルツーリスト社長
- 野中英彦(1942) - 白馬観光社長
- 鹿島享 - SRA社長
- 岡本晋 - TIS社長
- 井潟治彦(1971) - アルゴグラフィックス執行役
- 菊池央(1944) - 小野田セメント顧問
- 下田孝(1959) - 小野田セメント副社長
- 松崎孝(1936) - 日本ヒューム管顧問
- 河野力(1942) - 山九副社長
- 小林久(1942) - 山九副社長
- 佐藤伸彦(1938) - 日本加工製紙相談役
- 遠藤健一郎(1942) - 日本加工製紙社長
- 井上貴雄(1953) - 巴川製紙所会長
- 安藤誠太 - 三島製紙顧問
- 渡邉隆治 - ニフコ社長
- 大塚孝一 - 日本事務器社長
- 垂井一郎 - セコム社長、東北大卒
- 渡辺文蔵 - 味の素6代目社長、東商大卒
- 角田俊直 - 味の素顧問
- 久保眞吉(1941) - キリンビール取締役
- 丸山幸治(1937) - 日清製粉副社長
- 金丸邦夫(1944四年修) - 日清製粉副社長
- 平岡和一郎(1937) - 旭化成副社長
- 市原治雄(1923) - 三菱電機顧問・社友
- 齋藤保(1942) - 三菱電機顧問
- 北村康男 - 明治生命副社長
- 森本一郎 - 三菱モンサント化成会長
- 岡正雄 - 三菱製鋼社長
- 武田明 - 三菱油化社長
- 石原邦夫 - 東京海上日動火災社長、ミレアホールディングス社長、NHK経営委員会委員長
- 小島順彦 - 三菱商事15代目社長
[編集] 法曹
- 塩谷安男 - 弁護士、洗足学園大学副学長
- 橋本昇二 - 東京高裁判事
- 森脇勝 - 東京高裁判事、法務省訟務局長・民事局長
- 山崎潮 - 東京高裁判事、法務省訟務局長・民事局長、千葉地裁所長、司法制度改革推進本部事務局長。元陸上部
- 筧栄一(1945) - 弁護士、検事総長、東京高検検事長、法務事務次官
- 谷口茂栄(1926) - 東京高裁総括判事、仙台地裁所長、長野家裁所長
- 朝岡智幸 - 東京高裁判事、大阪高裁総括判事、中大法卒
- 龍岡資晃 - 福岡高裁・広島高裁長官、東京高裁総括判事、東京地裁所長
- 田中早苗(1981) - 弁護士、コメンテーターなど。慶大卒
- 坂東規子(1967) - 弁護士
- 永井哲男 - 弁護士、元衆議院議員、東北大卒
- 福吉貞人(1978) - 弁護士、外務省国際連合局検事兼外交官、日大法科大学院教授
- 関根栄郷(1952) - 弁護士
- 長島毅 - 大審院院長、司法次官(岡田内閣)、司法省民事局長
- 草野豹一郎 - 大審院判事。弁護士、中大法学部教授。共謀共同正犯を判例として確立。東京裁判にて佐藤賢了の弁護
- 黒川眞前(1913) - 大審院判事
- 吾孫子勝 - 大審院判事、大審院検事
- 三宅正太郎 - 大審院判事、司法次官。中央労働委員会委員長
- 栗山茂 - 最高裁判事、外交官 福井中学を経て入学
- 関根小郷(1923) - 最高裁判事、最高裁事務総長、福岡高裁長官
- 濱田邦夫(1955) - 最高裁判事(弁護士枠)
- 福田博 - 最高裁判事(外務省条約局長枠)、外務省外務審議官(政務担当)
- 塩田環 - 弁護士。一高寮歌の一つを残す。
- 打田峻一 - 弁護士、私法学・契約法、専大名誉教授。東北帝大卒
- 朝比奈新(1943) - 弁護士
- 平沼高明(1952) - 弁護士、中大法学部講師。中大卒
- 伊達昭(1945) - 弁護士
- 柏木秀夫(1966) - 弁護士
- 幣原廣(1968) - 弁護士
- 播磨鉄治(1980) - 弁護士
- 松方正広(1923) - 弁護士。元勲松方正義の孫
- 飯山悦治(1921) - 東京高裁判事。日大卒
- 石渡栄次(1922) - 弁護士。中大卒
- 大石五郎(1912) - 弁護士
- 鈴木五十三 - 弁護士、NY州
- 明石一秀(1968) - 明大教授、弁護士、明学大法科大学院客員教授。明大卒
- 三羽正人(1961) - 弁護士、日弁連事務総長、東京弁護士会副会長
- 鈴木経夫(1953) - 東京高裁判事
- 赤塚信雄(1960) - 東京高裁判事
- 西村宏一(1938) - 福岡高裁長官、東京地裁所長、東海大教授、弁護士
- 沖野威(1944) - 仙台・名古屋高裁長官、東京地裁所長、司法研修所長
- 蓑田速夫 - 東京高裁判事、法務省訟務局長、弁護士
- 菰渕鋭夫 - 奈良地裁所長、最高裁事務総局家庭局長、菰渕清雄大審院判事の子息
- 池田耕平(1965) - 東京高裁総括判事、佐賀家裁所長、東京地裁判事
- 高橋正(1952) - 宇都宮地裁所長
- 秦不二雄(1938) - 名古屋高裁判事、公証人
- 今野吉純(1938) - 判事
- 横山正忠(1915) - 判事、中大卒
- 近藤悠司 - 判事
- 徳岡一男 - 判事
- 長尾成三(1891) - 京城地方法院検事正
- 山口二郎(1892) - 判事。中大卒
- 栗山五郎 - 東京区裁判事
- 椎川恒(1898) - 判事
- 太田錦四郎(1900) - 判事、東京地裁部長
- 早川太郎 - 判事
- 沢木国衛(1904) - 満州国吉林高等法院
- 高根義三郎 - 判事、亜大教授。高根義人の子息
- 伊藤浩蔵 - 判事、和歌山地裁所長。東京法学院(中大)卒
- 中野並助(1902年) - 大審院検事、東京地裁検事正
- 大場茂行(1919年) - 東京地裁所長、宮内省参事官など
- 正田満三郎(1925) - 判事、司法省、最高裁事務総局。刑法学者としても体系書を著す
- 高橋正(1952) - 宇都宮地裁所長
- 関洋子(1971) - 判事
- 藍野季彦(1898) - 東京地裁検事正
- 池田保之(1926) - 東京高検検事、内務省警保局など、京大法卒
- 塩野健彦 - 東京地検検事
- 藤宗和香(1965) - 東京地検検事、東北大学法科大学院教授、新司法試験考査委員
- 大森淳(1970) - 東京地検検事
[編集] 学者
- 市河三喜 - 英語学者。英語学の祖、文化功労者
- 宇沢弘文 - 経済学者、ノーベル賞候補にも上った世界的な数理経済学者、社会共通資本を提唱、文化勲章
- 大森荘蔵 - 科学哲学、放送大学副学長、科学哲学分野の第一人者
- 筧克彦 - 法哲学者・皇国法学、東大名誉教授、國學院大教授
- 菱沼理弌(1898) - 古神道学。筧克彦と共著
- 中島文雄 - 英語教育学者、東大名誉教授、学士院賞
- 上田萬年 - 国語学者、言語学者、国学院学長、学士院賞
- 石井照久 - 商法、成蹊大学学長
- 平賀譲 - 日本海軍技術中将、東京帝国大学総長。戦艦大和設計に関わる。「軍艦の父」。外国人初の英国金牌、学士院賞
- 有坂秀世 - 言語学、音韻論で著名。学士院賞。同じく学士院会員・海軍中将造兵総監有坂鉛蔵(弥生式土器発見者、有坂山砲発明者)の子息
- 内田樹 - 哲学者(中退)。新進気鋭の現代思想家
- 小口勝司 - 医学者
- 小平桂一(1955) - 元国立天文台台長
- 筧泰彦 - 日本思想史、学習院大名誉教授
- 篠沢秀夫 (1953) - 仏文学者、学習院大名誉教授
- 柴田元幸 (1973)- 米文学者、東大文学部教授
- 辰野隆 - 仏文学者、東大日本人初代仏文科教授、中大文学部仏文科教授、横綱審議委員会委員、芸術院賞、文化功労者
- 竹内好 - 中国文学者、所謂「進歩的文化人」の代表格の一人
- 木内宜彦(1961) - 手形小切手法、中大法学部教授、会社法、とくに手形小切手法における「木内説」で著名
- 築島裕 - 国文学者、中大文学部教授、元本学講師、国語辞典編集で著名、学士院賞
- 速水融 - 歴史人口学者・日本経済史、国際日本文化研・慶大経済学部各名誉教授、学士院賞、紫綬褒章、文化功労者
- 高畠通敏 - 政治学者、立大法学部長、丸山真男門下
- 鈴木三郎 - 実存哲学、中大教授、横浜市大名誉教授、日本ヤスパース協会理事長、学士院賞
- 武田久吉 - 植物学者、登山家(アーネスト・サトウの息子)
- 利根川進 (1958) - 生物学者、ノーベル生理学・医学賞受賞、朝日賞、文化勲章
- 中村幸四郎 - 数学史家
- 新島淳良 - 中国研究家、早大教授。ヤマギシ会での活動が知られている
- 服部碩彦(1904) - 電気工学教育。東京電機学校長。藍綬褒章
- 舘野栄三 - 石油産業。藍綬褒章
- 小幡重一 - 音響理学の権威
- 倉橋惣三 - 児童心理学の大家
- 小牧健夫 - 独文学の大家
- 東条操 - 国語学者。広島高等師範、学習院教授、東大講師。方言学の土台を築いた
- 中野治房 - 植物学、東大理学部教授(昭和9~)、東邦大理事、千葉・旧・湖北村長
- 重田定正 - 学校保健学、東大医学部教授、内務省出身
- 石川憲夫(1907) - 千葉医大(千葉大)付属病院長、千葉大名誉教授
- 生源寺順(1904) - 機械工学。九大工学部教授、名大初代工学部長、名大学長事務取扱。水車吸出管の水の流れの研究で有名
- 小穴純 - 光工学者。暗室でのピント合わせ器具「小穴式ルーペ」
- 原島鮮 - 力学、東工大名誉教授
- 藤田由夫 - 物理学者。「素粒子の世界」(朝永振一郎、湯川秀樹との共著)が知られている
- 戸谷敏之 - 日英経済史。丸山真男と同じ獄房に入れられ一高退学。法大へ。戦死
- 佐藤正彰(1923) - 仏文学、明大教授。渡辺一夫、岡部正孝らとの「千一夜物語」共訳で11回読売文学賞
- 氷上英廣 - 独文学者、翻訳家。ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」訳など
- 麻生慶次郎(1892) - 肥料学者、東大農学部長、東京高等農林校長、日大農学部長
- 町井正路(1896) - 翻訳家。漱石の指導援助を受けゲーテ「ファウスト」(邦訳では三番目)など
- 三宅恒方(1898) - 昆虫学の権威、東大名誉教授
- 池内宏(1898) - 文学、学士院賞
- 谷一郎 - 物理学者、流体力学、学士院賞
- 山崎直方 - 地理学者。日本近代地理学の父
- 藤木邦彦 - 日本古代史、一高、東大教授、中大法科講師。
- 福地信世 - 地質工学者、舞踊家。古河鉱業、帝大講師。父は福地桜痴
- 吉川春寿 - 栄養学、生化学者、東大医学部長(1965~67)、女子栄養大副学長
- 木下一雄 - 学芸大学長、元大泉師範学校長
- 根岸隆 - 経済学者、東大名誉教授、学士院賞、理論経済学でノーベル賞候補にも上り世界的にも著名
- 隅谷三喜男 - 経済学者、主に労働・社会保障問題、東大経済学部長、東京女子大学学長、学士院賞
- 野口悠紀雄 - 経済学者、一橋大、早大教授、元大蔵官僚
- 大村達弥 - 経済学者、慶大経済学部教授、元自治官僚
- 高窪利一 - 商法、中大法学部教授。文III蹴り中大法。商法における「高窪説」で著名
- 高窪貞人 - 刑事法、中大助手、青学大法学部長
- 野村三郎(1896) - 文学、中大名誉教授
- 堀竹雄 - 文学、中大名誉教授、予科長
- 松崎蔵之助 - 東京帝大法科教授(財政学担当)兼東京高商校長(明治35~40)、帝大経済学部教授(大正8)
- 岡松参太郎 - 京都帝大法科教授。井上匡四郎と兄弟。学士院賞
- 名倉重雄 - 名大医学部初代整形外科主任教授、東京厚生年金病院初代院長。学士院賞(骨端症研究)。
- 林太郎 - 化学者、お茶の水女子大教授
- 細谷省吾 - 微生物・細菌学者、東大教授、日本細菌学会会長。防研で731部隊とも関わる。朝日賞。
- 栃内吉彦 - 植物寄生病学、北大第三代植物園長
- 堀内寿郎 - 物理化学者、北大学長。学士院恩賜賞
- 幾代通 - 法学者。民法の権威。紫綬褒章
- 丸山眞男 - 政治学者。日本政治学の巨頭。戦後民主主義の旗手。朝日賞、学士院賞
- 水田洋 - 経済学者、社会思想史家、学士院賞、名大名誉教授
- 来栖三郎 - 契約法、東大名誉教授、学士院賞
- 吉川弘之 - 東大工学部教授、元東大総長、皇室典範に関する有識者会議座長
- 富永健(1954) - 東大理学部教授、東大名誉教授
- 橋口隆吉(1932) - 金属物理学の大家、東大名誉教授、学士院賞
- 足利惇氏(1919) - インド学の大家、京大文学部長、東海大学長、学士院賞
- 山住正己(1949) - 教育学、東京都立大学総長
- 村井康男(1919) - マルクス経済学、法大名誉教授、エンゲルス『華族、私有財産、及び国家起源』訳
- 中野収 - 社会学者、法大名誉教授
- 力武常次 - 東大名誉教授、日大文理学部教授、地質学者、地震予知の第一人者
- 幣原道太郎 - 日本文学、万葉集、独協大名誉教授、幣原喜重郎の長男
- 芝原邦爾 - 刑法、学習院大学教授、東大名誉教授、不法領得の意思における「芝原」説で知られる
- 野村豊弘 - 民事法、学習院大教授
- 中西旭 - 国学者、中大名誉教授
- 鈴木重生 - 中大法学部教授
- 吉田豊 - 民法、中大法学部教授
- 根岸毅 - 政治学、慶大法学部教授
- 矢内原勝(1944) - 慶大経済学部教授、作新学院大学長。矢内原伊作と共に矢内原忠雄の子息
- 吉野直行 - マクロ経済学、慶大経済学部教授、金融庁金融研究研修センター長
- 杉本栄一 - 計量経済学、東京商科大学教授
- 福田平 - 一橋大名誉教授、刑法における「福田」説で著名
- 梅谷文夫 - 一橋大教授、元本学講師
- 市石達郎 - 理論経済学、一橋大経済学研究科教授、オハイオ州立大学名誉教授
- 堀家文吉郎 - 経済学、早大政経学部、名誉教授
- 鳥羽欽一郎 - 早大商学部教授、名誉教授、新潟経営大学長
- 松浪信三郎 - 早大一文、名誉教授
- 中村紘一 - 仏法、早大法学部教授
- 堤正義 - 物理学、早大理工学部教授
- 安藤元雄 - 比較詩、明大政経学部教授
- 村上陽一郎 - 科学哲学、国際基督教大学教授
- 山内恭彦(1920) - 理論物理学者、東大名誉教授、学士院賞、量子物理学の権威
- 南雲道夫 - 理博、阪大、上智大学教授。数学(特殊函数など)
- 印東弘玄(1925) - 菌学、筑波大名誉教授
- 吉田城 - 仏文学者、京大教授、マルセルプルーストの世界的研究者
- 松坂佐一 - 民法学者、名大学長。著書「民法提要」で著名
- 兼子宙 - 心理学者、早大教授、兼子一の弟
- 兼子一 - 民事訴訟法、通説「兼子説」で著名
- 竹下守夫 - 民事法学者、駿河台大学学長、一橋大名誉教授
- 花輪俊哉 - 一橋大名誉教授、中大商学部教授、楽天三木谷氏はゼミ生
- 樺山紘一 - 東大教養学部西洋史教授
- 樺山繁子 - 東大教養学部西洋史教授
- 伊藤誠 - 経済学者、國学院大教授、東大名誉教授、学士院賞
- 藤本能道 - 東京芸大学長
- 土田英三郎(1971) - 東京芸大音楽学部教授
- 鉄矢悦郎(1982) - 学芸大助教授、東京芸大講師
- 辻惟雄 - 多摩美大学長、東大美術科教授、千葉市立美術館長
- 土田直鎮 - 元国立歴史民俗博物館館長
- 宮地正人 - 国立歴史民俗博物館長(2001~)
- 清野良民 - 医博、虎ノ門病院、川鉄、神戸製鋼顧問、清野良民診療所
- 金澤一郎 - 医博、神経内科医、東大名誉教授、国立精神・神経センター総長、皇室医務主管、学術会議会長
- 長谷雄二郎 - 医博、山王病院理事長
- 小早川光郎 - 行政法、東大法学部教授
- 塩川伸明 - 東大法学部教授
- 石黒一憲 - 国際私法、東大法学部教授
- 高橋進 - 東大法学部教授
- 河上倫逸 - 京大法学部教授
- 船山泰範 - 刑法、日大教授
- 福岡克也(1950) - エコロジー経済学、立正大経済学部長、地球環境財団理事長
- 石井清純(1977) - 駒大仏教学部禅学科教授
- 綿貫譲治 - 政治社会学、上智大教授
- 千住鎮雄 - 杏林大、国際大教授、音楽の千住一族。
- 岩元禄 - 建築学者、東京帝大助教授。電電青山など設計。夭折
- 竹内端三 - 数学者、東京帝大教授
- 中村是松(1897) - 京城帝大予科長
- 鹿子木員信(1902) - 法学者、九大法文学部長。戦後、A級戦犯容疑で一時巣鴨プリズンに
- 海妻玄彦 - 東京外大名誉教授
- 東洋 - 教育学、白百合女子大教授、東大名誉教授
- 関口蕃樹(1897) - 医博、東北帝大医科教授
- 長谷川言人(1898) - 医博、東北帝大医科教授
- 伊藤實(1911) - 医博、東北帝大医科教授
- 田村春吉(1902) - 医博、名古屋医大学長
- 佐藤運雄 - 歯科学界の大御所。日大名誉会頭、日大理事長、学長、歯科長。日本歯科医師会会長
- 切替一郎 - 医博、東大名誉教授、自治医大教授
- 朝長正徳 - 医博、脳外科、東大名誉教授
- 飯尾正宏 - 医博、東大医学部教授
- 新井賢一 - 医博、東大医科学系研究所所長
- 穂坂衛(1938) - 東大名誉教授、東京電機大教授、情報処理学会長
- 井口洋夫(1943修) - 理博、NASDA長、岡崎国立共同研究機構長
- 森川尚威 - アイソトープ研究、東大理学部教授、超伝導の第一人者
- 高橋洋一 - 原子力工学、東大工学部教授
- 岡野達雄(1966) - 真空工学、東大生産技術研究所教授
- 神田順(1966) - 信頼性工学、東大工学部教授
- 味埜俊(1973) - 工学、東大工学部教授
- 須田義大(1978) - 制御・動力学、国際産学共同研究センター教授
- 平野健一郎(1956) - 国際関係論、早大政経学部教授、東大教養学部教授
- 三角洋一 - 日本文学、東大教養学部教授
- 久保田淳 - 日本文学、東大名誉教授、学士院賞
- 岡義武 - 政治学者、東大名誉教授、学士院賞、文化勲章
- 鈴木竹雄 - 商法学者、「鈴木説」として著名。味の素一族。文化勲章
- 石井良助 - 日本法制史、文化勲章
- 江橋節郎 - 薬理学、朝日賞、文化勲章
- 岡田武松 - 気象学、文化勲章
- 鈴木虎雄 - 中国文学、漢詩、京都帝大教授、文化勲章
- 朝比奈泰彦 - 薬学・植物化学、文化勲章
- 山縣昌夫 - 造船工学、文化勲章
- 水島三一郎 - 化学、学士院賞、日清製粉・正田貞一郎の婿、文化勲章
- 辻直四郎 - インド古代文学、東洋文庫理事長、文化功労者
- 渋沢元治 - 電気工学、名大初代総長、電気界の渋沢賞、文化功労者
- 内田俊一 - 化学工学、東工大学長、文化功労者
- 亀山直人 - 応用化学、学士院賞、東大理工研所長、日本学術会議長、文化功労者
- 坪井誠太郎 - 地質学、国立科学博物館長、文化功労者
- 嵯峨根遼吉 - 原子力工学、原研、日本原子力発電副社長、東大理博、長岡半太郎子息
- 長岡治男(1912) - 理化学研究所初代(特殊法人)理事長。長岡半太郎の子息
- 柘植芳男 - 理化学研究所長
- 内田秀雄 - 原子力安全委員会委員長
- 川喜多愛雄 - ウィルス学。千葉大医学部教授、千葉大学長。学士院賞
- 山村道雄 - 医博、東北大教授、岐阜精神病院院長
- 大鈴弘文 - 医博、東京警察病院院長、心臓病の権威
- 野口鉄也 - 医博、生理学者、東邦大理事長
- 水町四郎 - 医博、関東労災病院院長、スポーツ医学
- 竹内真竹 - 医博、日赤病院院長
- 星川光正 - 医博、宮内庁病院院長、従医長
- 市川篤二 - 医博、国立病院医療センター名誉院長、東大名誉教授
- 高畠豊 - 医博、独協医科大越谷病院長
- 金子嗣郎(1949) - 医博、都立松沢病院副院長
- 服部理里(1945) - 医博、埼玉県立がんセンター総長
- 松澤真澄 - 医博、埼玉県立がんセンター病院長
- 鳥山晃(1917) - 医博、昭和大病院長
- 福井靖典 - 医博、日大病院副院長
- 井原博 - 医博、都立南総合病院副院長
- 鈴木二郎 - 医博、元国際医療福祉大大学院教授、元東邦大教授、元日本精神神経医学会理事長
- 高橋善弥太(1922) - 医博、県立岐阜病院名誉院長
- 入沢宏 - 医博、東京女子医大病院顧問
- 水野種一(1929) - 医博、国立静岡病院名誉院長
- 北村和夫(1938) - 医博、順大名誉教授、広島原爆調査報告書担当者
- 中山耕作(1942) - 医博、日本病院会会長、聖隷浜松病院総長
- 池田茂人(1943) - 医博、国立ガンセンター内視鏡部長、北里大教授。世界で初の柔軟な気管支ファイバースコープの発明。紫綬褒章。
- 若月俊一 - 医博、長野県佐久総合病院院長。「信州の赤ひげ」、朝日賞。脳出血などの予後のリハビリで知られている
- 板倉弘重 - 医博、日本動脈硬化学会会長、コメンテーター
- 成田雄三(1913) - 医博、東京第二陸軍病院(国立東京第二病院)長
- 深瀬周一(1913) - 日比谷病院長
- 野中萬次郎(1913) - 大森病院長
- 宇佐美龍夫 - 地震学者、著書に「地震と情報」(岩波新書)など
- 内田清之助 - 鳥類学者、日本で初の巣箱を岩手大におく。内田勇三郎の兄
- 増田正造 - 能学者、早大国文卒、著書にベストセラー「能の表現」
- 村上重良 - 宗教学者、著書に「国家神道」(岩波新書)
- 亀井高孝 - 歴史学者、著書に「世界史年表・地図」など
- 松尾聡 - 国文学者、古典文学
- 石河利寛 - 運動心理学、スポーツ医学
- 中村新太郎 - 地質学者、京都帝大初代地史学講座担当
- 小林好日 - 国文学者、東北帝大教授
- 土田健次郎 - 儒教研究者、早稲田大学教授
- 田中豊一 - 物理学者、MIT教授(37歳にて)、仁科記念賞
[編集] 文学
- 幸田露伴 (1883) - 小説家、文化勲章
- 尾崎紅葉 (1883) - 小説家
- 夏目漱石 (1884) - 小説家、英文学者(一中を中退して二松学舎へ)
- 山田美妙 (1884) - 小説家、国文学者
- 川上眉山 (1885) - 小説家
- 岡本綺堂 (1889) - 小説家、劇作家。代表作に「半七捕物帳」
- 武島羽衣 (1890) - 歌人。代表作に「花」
- 蒲原有明 (1892) - 詩人。日本近代象徴詩人として薄田泣菫と並び称された
- 谷崎潤一郎 (1905) - 小説家、文化勲章。プレイヤード業書所収。
- 小林秀雄 (1920) - 文芸評論家、文化勲章
- 河上徹太郎 - 文芸評論家、芸術院賞
- 矢内原伊作 - 詩人、哲学者、矢内原忠雄の子息
- 児島襄 - 作家、横綱審議委員会委員長
- 江藤淳 - 作家、評論家、芸術院賞、(神奈川県湘南高校より編入)
- 佐藤誠三郎 - 学者、評論家、中曽根ブレーンの一人、東大教授
- 佐野洋 - 推理作家
- 塩野七生 (1957) - 作家、紫綬褒章、「ローマ人の物語」など
- 柏原兵三 - 芥川賞作家、著作「長い道」は藤子不二雄A少年時代(映画化時主題歌は井上陽水の同名曲)の原作、元本学講師
- 庄司薫(1957)-芥川賞作家、一浪入学、青春ものとして数本映画化、ピアノ中村紘子の夫。本名・福田章二でも原作映画あり
- 古井由吉 (1957) - 芥川賞作家、受賞作「杏子」(第一学年の九月に獨協高校から転校)
- 安部寧 - 音楽評論家の重鎮。シャンソンやポピュラーミュージック。ジャズも
- 浅野晃 - 詩人、評論家。詩集「寒色」にて読売文学賞受賞。財界四天王・水野成夫とは生涯の知友
- 飯島正 - 詩人、映画評論家。映画評論の草分け。芸術選奨文部大臣賞、川喜多賞
- 池谷信三郎 - 作家、劇作家。片岡鉄兵・川端康成・横光利一らと共同生活するなどその間に6000枚の作品を書上げるも、わずか33歳で夭折
- 大鹿卓 - 詩人、小説家。田中正造霊詞の碑文、太宰治と「海豹」創刊。金子光晴の弟
- 大林清 - 作家。慶大中退。野間文芸賞奨励賞「庄内士族」、紫綬褒章、芸術祭優秀賞「ひつきはあかしといへど」、勲三等瑞宝章
- 小山内薫 - 劇作家。城戸四郎や谷崎潤一郎らと同時代に日本の映画・芸術を形作った
- 大佛次郎 - 小説家、代表作「鞍馬天狗」、芸術院賞、文化勲章
- 山本有三 - 小説家、代表作「路傍の石」、文化勲章
- 加藤周一 - 評論家、東大医学部卒の精神科医の傍ら評論活動を展開
- 木村庄三郎 - 作家、翻訳家。モーパッサンや「八十日間世界一周」ヴエルヌなど
- 蔵原惟人 - プロレタリア文学評論家
- いいだもも - プロレタリア作家
- 斎藤緑雨 - 作家、評論家(川柳「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言ひ」の作者)
- 坂上弘 - 作家、慶應義塾出版会長。慶大在学中の19歳時、「息子と恋人」で芥川賞候補となるなど、10代候補の先駆け
- 高見順 - 作家(永井荷風のいとこで、高見恭子の父)
- 武林夢想庵 - 作家、山本夏彦と親交があった
- 土岐善麿 - 歌人、国文学者。早大卒。学士院賞、紫綬褒章。石川啄木の親友。信時潔との作品も多い。日比谷高校や帝京高校歌、日本橋高校歌などの都立高校歌等、多くの校歌も手掛ける。
- 富永太郎 - 詩人。小林秀雄、中原中也らとの親交も知られている
- 秦豊吉(丸木砂土)-随筆・好色文学研究・翻訳家、帝劇支配人、東京宝塚劇場社長、東宝副社長、後楽園スタジアム(現・株式会社東京ドーム)会長。七代目松本幸四郎の甥
- 岩波雄二郎 - 岩波書店初代社長・会長(岩波茂雄二男)、岩波書店二代目店主
- 野沢繁二 - 山川出版社社長
- 塙嘉彦 - 中央公論社「海」編集長
- 岡麓 - 歌人、書家。芸術院賞
- 吉井勇 - 歌人、(中退して日本中学へ)
- 五十嵐均 - 作家、実業家。夏樹静子の実兄。松本清張らと(株)霧プロダクションを創立
- 田岡典夫 - 作家、直木賞受賞(土佐高校を経て入学)
- 尾高修也(尾上潤一 1955) - 作家。早大政経卒後、「危うい歳月」で河出書房新社72年文芸賞。日大芸術学部文芸学科教授
- 北条誠(1935) - 作家、劇作家。早大第一高等学院国文科卒。第5回野間文芸賞奨励賞「寒菊」「一年」、第28回直木賞候補「白扇」
- 五島茂(1918) - 歌人。短歌革新唱道、プロレタリア短歌に影響与え、斎藤茂吉と論争。今上天皇(明仁)の和歌の先生、夫人も皇后の先生。95年、歌会始召人。現代歌人協会初代理事長、ロバートオーエン協会名誉会長
- 岡鬼太郎 - 小説家、劇評家、劇作家。慶大卒
- 尾上八郎(尾上柴舟) - 歌人、歌会始選者。女高師教授。芸術院賞
- 吉川半七(直七 1889) - 吉川弘文館創業者
- 清水康雄 - 青土社社主
- 権田萬治 - ミステリ評論家、文芸評論家。東外大卒。専大文学部教授。横溝正史賞、江戸川乱歩賞、推理作家協会賞などの選考委員
- 尾世川正明-詩人、画家、臨床医
[編集] 教育
- 狩野亨吉(1882中退) - 教育者、旧制一高校長、京都帝大文科(文学部)初代学長
- 沢柳政太郎(1882中退) - 旧制一高・二高校長、東北帝大初代総長、京都帝大総長、成城学園創立者、大正大学初代学長、文部次官、(中退、共立学校(開成中)へ)
- 志田甲太郎(1884) - 明治大学総長
- 杉山寿之進 - 東奥義塾長
- 松浦寅三郎(1888) - 初代女子学習院院長、五高校長
- 上野貞正(1889) - 東亜同文書院院長
- 野山忠幹(1898) - 愛知一中校長
- 石倉小三郎(1898) - 旧制大阪高校校長
- 加藤完治(1901) - 農本主義者、教育者。満蒙開拓移民を進めた、日本国民高等学校長。帝大農卒、内務省出身
- 秋山四麿(1903) - 東京府立三中校長
- 和田弘(1904) - 東京鉄道中学校長
- 遠山啓(1927) - 数学者、主に数学教育、東工大教授
- 宇津木保 - 帝京学園顧問
- 三輪光司 - 順心女子学園中学・高校理事長、校長
- 辻岡昭 - 慶應義塾・杏林大学理事、千歳科学技術大学理事長
- 夜久正雄 - 亜細亜大理事、評議員、教授(国文学)
- 村田脩(1945) - 雙葉学園理事
- 松岡達郎 - 東大理事、鹿児島大学教授
- 林忠雄 - 自治医大理事長
- 稲垣長典(1930) - 共立女子大理事、栄養学の権威
- 井汲卓一(1917) - 東経大学長、理事
- 前田寿一(1969) - 洗足学園大学長
- 河上房義(1931) - 八戸工大学長
- 関口晃(1939) - 上武大副学長
- 宮地裕(1941) - 帝塚山学院院長
- 湊吉正(1950) - 桜花学園大学学長
- 沢村良二 - 日大副総長、本学学校薬剤師
- 松田勝一(1922) - 新潟薬科大名誉学長、新潟医療専門学校長、新潟大名誉教授
- 宇田正長(1956) - 東洋学園大学、東洋女子短期大学理事長
- 河合弘登 - 河合塾理事長・学院長
[編集] 芸能
- 城戸四郎 - 松竹社長、映画プロデューサー 、松竹蒲田調に変えていったことで知られる
- 植村泰二(1914) - 東宝社長
- 佐藤純弥 - 映画監督、「男たちの大和」、他に「新幹線大爆破」「人間の証明」「野性の証明」など
- 杉本良吉(吉田好正)-演出家、1938年に新劇女優岡田嘉子といわゆる赤い恋の逃避行事件。ソ連で銃殺に処される
- 鈴木博文(1973) - ミュージシャン(ムーンライダーズのベーシスト)
- 千田是也 - 俳優、俳優座代表
- 徳川夢声 - 講談師、俳優。千田是也と共に所謂「一中くずれ」の代表格
- 旗照夫 - 歌手、ジャズピアノ。長年、本校の「合唱祭」における審査委員長
- 中島貞夫 - 映画監督、「極道の妻たち」シリーズ、「沖縄ヤクザ戦争」、「真田幸村の陰謀」など
- 山田康雄 (1951) - 声優(『ルパン三世』、クリント・イーストウッド出演作(『ダーティーハリー』、『荒野の用心棒』シリーズ))
- 山本コウタロー (1967) - 歌手、白鴎大教授
- 岡田裕介(岡田剛 1968) - 俳優(庄司薫原作「赤頭巾ちゃん気をつけて」などに出演)、東映社長
- 三遊亭遊三 - 落語家
- 深浦加奈子(1979) - 女優
- 川口雅代 - 女優(2年B組仙八先生のマドンナ役等)、声優、フリープロデューサー・ディレクター
- 西原俊次(1979) - ミュージシャン(オメガドライブのキーボード)
- 柳沢超(1985) - 「忍者」リーダー
- 込山順子(1985) -女優、アテレコ
- RIKAKO(村上里佳子) - 女優、タレント(定時制)
- 岡田京子 - 女優、仮面ライダーストロンガー(電波人間タックル役)(定時制)
- 葉山レイコ - 女優(定時制)
- 橋本テツヤ(中退) - フリーアナウンサー、芸能プロ社長。法政二高へ
- 万田邦敏(1975) - 映画監督
- 松川八洲雄 - 映画監督
- 大嶺俊順 - 映画監督
- 堀川弘通 - 映画監督。東宝・黒澤明の助監督
- 大森健次郎 - 映画監督。東宝・黒沢プロで活躍
- 重宗務(重宗和伸) - 映画監督。松竹蒲田のトーキー映画時代に活躍。重宗雄三の弟。早大中退
- 田村幸彦 - パラマウント映画。「モロッコ」など本邦初の字幕を書いた。活動弁士から字幕の時代へ。
- 岩崎昶 - 映画評論家
- 六角慎司 - 俳優、ジョビジョバ。[ただし現在、ジョビジョバとしては活動停止中]
[編集] ジャーナリズム
- 久富達夫(郷達夫) - 内閣情報局次長(昭和15年、近衛内閣)、終戦の玉音放送進言。毎日新聞政治部長、NHK専務理事、日本出版会長。戦後、国立競技場会長
- 安藤優子(1977) - フジテレビキャスター
- 坂信一郎 - フリーアナウンサー
- 香西正重(1943) - NHK、毎日放送アナウンサー。大阪の旧制大阪医専蹴り農大入学。
- 川本信正(1925) - スポーツ評論家、日本陸連理事。オリンピックの訳語「五輪」発案者、吉岡隆徳「暁の超特急」の名付け親
- 田畑光永 - TBS解説員、コメンテーター、神奈川大学教授
- 神岡邦男 - TBSアナウンサー(報道部)
- 吉田映一郎(1978) - TBSプロデューサー『はなまるマーケット』など
- 田中健五(1945) - 文芸春秋社社長、編集長。名物編集長として知られている
- 北川信 - 日本テレビ専務、テレビ新潟社長
- 松浦茂長 - フジテレビ元モスクワ支局長
- 能村裕 - 宮城テレビ副社長
- 中村直弘(1952) - テレビ朝日解説委員長
- 嶌信彦(1961) - 毎日新聞記者、白鴎大教授、慶応大学メディアコミュニケーション研究所講師、コメンテーター
- 東郷茂彦 - 朝日新聞記者、ワシントンポスト記者(東條内閣の東郷茂徳外相の孫)
- 竹田純 - 朝日新聞論説委員
- 柴田鉄治 - 朝日新聞出版局、社会部長。評論家
- 大熊由紀子 - 朝日新聞論説委員
- 鴨志田恵一 - 朝日新聞アエラ編集長
- 荻野直紀 - 読売新聞論説委員
- 桑原茂人 - 読売新聞論説委員
- 竹内宏 - エコノミスト、著作に「路地裏の経済学」シリーズ、元長銀
- 斉藤精一郎 - 経済学者、立教大学教授、コメンテーター、元日銀
- 杉山隆男(1971) - ルポライター、ノンフィクション作家、新潮学芸賞、大宅壮一ノンフィクション賞受賞
- 齋藤明 - 毎日新聞社長。エッセイに「日比谷高校と江藤淳」
- 千葉泰二 - 毎日新聞終身名誉職員
- 佐倉潤吾 - 毎日新聞論説委員
- 長谷川進一 - ジャパンタイムズ取締役。時事新報記者、外務・拓務大臣秘書官。慶大経卒・社会学博士(コロンビア大)、元東海大教授
- 岡崎恭一 - 山形新聞社長
- 野口義夫 - 西日本新聞社長
- 功刀照夫 - 英文朝日代表取締役社長・主筆
- 伴野文夫(1952) - NHK解説委員
- 荻野弘己(1952) - NHK解説委員
- 柏倉康夫 - 放送大学副学長
- 谷村啓(1965) - NHKニューヨーク支局長、谷村裕大蔵事務次官の子息
- 山田伸二(1968) - NHK解説委員、現・評論家
- 土屋清 - 経済安定本部・通称「安本(アンポン)」エコノミスト
- 大島堅造 - 経済評論家。住銀専務
- 竹中半平(竹中雪) - 野球評論家
[編集] 美術
- 中西夏之 - 画家、現代美術の第一人者
- 浜田庄司 - 陶芸家、第1回重要無形文化財(人間国宝)、文化勲章
- ペーター佐藤 - イラストレーター
- 安藤政輝 - 筝曲家、芸大講師
- 篠原眞 - 作曲家。日比谷高校歌作曲。青学、芸大中退
- 横山大観(1885) - 画家。文化勲章
- 小山富士夫(小山富士雄) - 陶磁器の世界的権威
- 野村光司 - 洋画家。一水会(二科会から分派)
- 高野三三男 - 画家(アールデコ)、陶芸家。藤田嗣治と親交。二科会賞、一水会
- 刑部人 - 美術家。帝展入選、日展特選
- 霜鳥之彦 - 洋画家。京都高等工芸卒、教授。関西美術院長。帝展入選
- 阿部金剛 - 美術家、慶大中退、阿部浩東京府知事の子息。二科会
- 松阪節三 - 彫刻家、造形作家。バイロイト「Der Traum」、京都駅烏丸小路広場「スぺース」、日比谷高校「星陵われらあり」像
- 松田文雄 - 洋画家。一水会
- 前川国男(1922) - 建築家、設計。芸術院賞、朝日賞。日本近代建築の祖。
- 芦原義信 - 建築家、設計。芸術院賞、文化功労者
- 小坂秀雄(1930) - 建築家、設計。松本楼で生誕、更に設計もした。他に外務省やホテルオークラ、郵政省関係等
- 楢原健三 - 洋画家。日展文部大臣賞、芸術院賞
- 坂元正典(1931) - 博物館学。国立科学博物館自然教育園長、帝塚山短大名誉教授。文部官僚
- 犬丸直(1941) - 日本芸術院院長。文化庁長官(文部官僚)、横浜創英短大学長、ユネスコ・アジア文化センター理事長、日本舞踊協会長など
- 柴岡夷佐男(1929) - 建築家
- 松井虎二郎(1932) - 建築家
- 茶谷正洋(1952) - 建築家、東工大名誉教授、法大教授。「折り紙建築」の創始者。京都迎賓館など
- 河原一郎 - 建築家、法大名誉教授。前川國男の弟子、星陵会館設計
- 浅見鎮明 - 建築家
- 伊東豊雄(1960) - 建築家、芸術院賞。日本を代表する現代建築家
- 鈴木慶雲 - 彫刻家
- 三枝朝四郎(1919) - 写真家。騎馬民族制服説の江上波夫著作の写真など
- 下村純一(1971) - 写真家、早大芸術学校空間映像科教授
- 蜂須賀文代 - 染色工芸作家、日本のラグフッキングの草分け
- 奥村信之(1972) - 彫刻家、具象彫刻 / エミリオ・グレコ曰く「彼は私の芸術すべてを継承した」
- 大山隆 - 陶芸家
- 広前心斎 - 茶人
[編集] 軍人
- 磯村年 - 陸軍大将。陸大優等。東京陸軍軍法会議判士長(真崎甚三郎裁判)、磯村尚徳元NHKアナは孫
- 加藤隆義 - 海軍大将。軍事参議官、侍従武官、嶋田の次の軍令部総長に成り損なった。加藤友三郎の子
- 木原清(1893年) - 陸軍中将。東京警備司令官
- 安満欽一 - 陸軍中将、近衛歩兵第二連隊長、航空本部長、第3師団長
- 牧三良(1893年) - 海軍主計中将。海軍経理学校長、東商大卒
- 山岡重厚 - 陸軍中将。陸大優等。陸軍省軍務局長。所謂皇道派と目されていた(2.26事件にて粛軍人事にあい予備役)
- 宇佐美興屋 - 陸軍中将。陸大優等。第7師団長、侍従武官長、軍事参議官。満州事変にて騎兵集団を編成、満州原野で馬占山軍の追撃で名を上げる。
- 猪狩亮介 - 陸軍中将。松山俘虜収容所にて本邦初の第九演奏のシュテヒャー大尉と親交
- 松下英男 - 陸軍法務中将
- 藤室良輔 - 陸軍中将。陸大首席。歩兵77連隊長、大本営・参謀本部各参謀兼陸大教官、総力戦研究所主事(昭和16.10.15~17.8.14戦死)
- 渋谷伊之彦(1899年) - 陸軍中将、第16師団長
- 岡硯人 - 陸軍中将。山縣有朋付元帥副官
- 志摩清英 - 海軍中将。皇族付武官(高松宮宣仁親王)、第5艦隊司令長官(レイテ沖海戦・捷一号作戦・第二遊撃部隊(志摩艦隊))、第1航空艦隊長官、高雄警備府長官
- 野田鶴雄 - 海軍造兵中将
- 有馬寛 - 海軍中将、駐ソ連武官、皇族付武官(伏見宮博恭王)、海軍軍令部参謀、木曽・古鷹艦長など
- 井上継松(1902年) - 海軍中将。鎮海要港部司令官
- 小島謙太郎 - 海軍少将。戦艦山城、巡洋艦阿武隈艦長。昭和10年予備役
- 千田嘉平(1891年) - 陸軍中将。近衛歩兵第四連隊長。男爵、貴族院議員
- 千田貞敏(1908年) - 海軍中将。霞ヶ浦航空隊司令(昭和16.3.15)、ビアク島にて戦死
- 千田貞季(1911年) - 陸軍中将。硫黄島にて戦死
- 高田豊樹 - 陸軍中将。第一次世界大戦青島攻略戦、青島守備歩兵隊司令官(大正10年)、支那駐屯軍司令官(大正15年)
- 勝浦輝 - 陸軍獣医少将。勝浦校長の子息
- 本城嘉守 - 陸軍少将。対馬要塞司令官、のち山口・徳山市長
- 見市清(太田清) - 陸軍少将。工兵出身
- 石井常造(1892年) - 陸軍少将。基隆要塞司令官。生気研究所長
- 小野寺益(1892年) - 陸軍少佐。日露戦争にて戦死
- 石川亀彦(1898年) - 陸軍少将。騎兵第3旅団長など、昭和13.3戦死
- 渡辺辰(1898年) - 陸軍少将。工兵出身。昭和10.3.27戦死
- 仙波安藝(1899年) - 陸軍中将。歩兵第40旅団長など
- 千秋鎌次(1899年) - 陸軍少将
- 松野亀雄(1893年) - 陸軍少将。台湾歩兵第2連隊長
- 田所浪吉(1894年) - 陸軍少将。名古屋連隊区司令官
- 中村順一 - 陸軍軍医中将。軍医監(昭和7.8)
- 三浦三郎 - 陸軍中将。関東軍憲兵隊司令官(昭和18.8~19.10.14)、関東憲兵隊長(奉天憲兵隊長)(昭和9.1)
- 天谷知彰(1891年) - 陸軍少将。陸士優等。輜重出身。陸軍自動車学校長
- 弘中暁(1897年) - 陸軍少将。陸大23期
- 山中三郎(1900年)- 陸軍少将。陸大23期
- 坂本健吉(1901年) - 陸軍少将。騎兵出身。
- 中山直秀(1901年) - 陸軍軍医。軍医監(昭和5.3~)
- 柏崎治 - 陸軍軍医少将
- 原田二郎(1902年)- 陸軍少将
- 八木鉄郎(1902年) - 陸軍少将。砲兵出身。
- 渋谷三郎 - 陸軍大佐。歩兵第3連隊長(2.26事件、予備役へ)、満州国治安部次長、満州国立ハルビン学院長、ハルビンにて自決(昭和20年8.21)
- 小藤恵 - 陸軍少将。歩兵第1連隊長(2.26事件 予備役へ)、第18師団参謀長(杭州湾上陸、南京攻略戦、バイアス湾上陸、広東攻略など)
- 牧野茂 - 海軍造船中佐。呉工廠造船部員、東大講師、三菱重工顧問
- 田中信男 - 陸軍中将。第33師団長(昭和19年.6)
- 笠原幸雄 - 陸軍中将。陸大優等生。関東軍総参謀長(昭和17年.10)、参謀本部ロシア課長・総務部長、第12師団長
- 山崎甚八郎(1898年) - 陸軍少将。航空出身。初代飛行第8連隊長
- 伊田常三郎(1903年) - 陸軍少将。北支那方面軍兵站監(昭和12.9~13.7)
- 石田保道(1903年) - 陸軍少将。2.26事件にて粛軍人事で予備役
- 福原豊三 -陸軍少将。重砲出身。陸大29期
- 太田貞正 - 陸軍中将。11軍9師団歩兵18旅団第36連隊長(武漢攻略戦にて日章旗を掲げる)、朝鮮第79師団長(侵入ソ連軍と交戦)
- 須藤栄之助 - 陸軍中将。第1総軍参謀長(昭和20年.4)、防衛総参謀長(昭和20年.2)、飛行27戦隊長、北支那方面軍飛行隊長(昭和12年.7)
- 斎藤正鋭 - 陸軍少将。マライ俘虜収容所長(昭和19.3)、第3師団参謀長
- 吉井誠一 - 陸軍軍医少将(昭和14年戦死)
- 木下勇(1912年) - 陸軍中将。南方軍第4・第2飛行師団長、レイテ島への独断の第二次航空総攻撃を巡って富永恭次と対立、更迭へ。第11・第13師団長
- 村田孝夫(1911年) - 陸軍中将。第15軍でのビルマ侵攻当時における所謂「解放の尖兵」。
- 和爾基隆(1910年) - 陸軍少将。歩兵20旅団120連隊長として湘桂作戦にて戦死
- 山岡重光(1911年) - 陸軍少将。高射砲など防空教育にあたった
- 吉田智準(1909年) - 陸軍中将。南部14年式自動小銃開発者。他に連装機関銃など
- 小池安正(1909年) - 陸軍少将。歩兵210連隊長としてモロタイ島逆上陸の勇戦も戦死
- 落合鎮彦(1909年) - 陸軍工兵大佐。壱岐要塞司令官
- 真崎久満雄 - 陸軍中将。航空出身。南方軍航空兵器部長、第3航空通信司令官
- 大久雄賢 - 陸軍中将
- 長野義雄(1905年) - 陸軍少将
- 長崎守一(1905年) - 陸軍少将。第21軍副官、支那事変にて113連隊長(南唱作戦)
- 早川於都造 - 陸軍軍医少将、軍医監(大正13.3)
- 守永直一 - 陸軍大佐。日清戦争・威海衛の戦いにて戦死。戦争唱歌に歌われる。
- 牟田口格郎(1912年) - 海軍少将、戦艦伊勢、鳥羽、安宅艦長など。呉軍港空襲にて戦死(昭和20.7.24)
- 山屋太郎(1917年) - 海軍中佐。皇族付武官(伏見宮博恭王 昭和17~20)、戦史研究家で知られている
- 土師喜太郎(1920年四修) - 海軍大佐。皇族付武官(高松宮宣仁親王)
- 新島信夫(1914年) - 海軍少将。鎮海連合特別陸戦隊司令官兼海兵団長
- 堀江義一(1912年) - 海軍少将。軍令部運輸部長(昭和19.6)
- 長谷部龍三郎(1910年) - 海軍造兵少将。
- 東郷二郎(1910年) - 海軍少将。香港港務部長
- 杉本修(野呂修) - 海軍機関少将。航空技術廠飛行本部長
- 殿村三千郎 - 海軍少将。日章丸指揮官として比島沖にて戦死
- 山本弘毅 - 海軍中将。艦政本部第2部長(昭和13.11)、戦艦伊勢、巡洋艦摩耶・那珂艦長
- 野元為輝(1913年) - 海軍少将。空母・瑞鶴艦長(昭和17.6~ 第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦)、第11連合航空隊司令官兼霞ヶ浦空司令など
- 鍋島直和(1903年) - 子爵、陸軍少佐
- 八代準 - 海軍造船少将。大阪帝大工学部長
- 松田道太郎(1904年) - 海軍造機少将。東京府工業奨励館館長
- 久保田久晴(1903年) - 海軍少将。北京駐在武官(昭和18)
- 池田啓之助(1903年) - 海軍中佐。軍人会館(現・九段会館)総務理事
- 吉村弘(吉村宏)(1894年)- 海軍主計少将
- 伊東安吉(1890年) - 海軍造機少将。工学士、貴族院議員
- 小林幹(1892年) - 海軍軍医少将
- 田中龍男(1894年) - 海軍少将
- 石井正雄 - 海軍少将
- 鈴木圭二 - 海軍造船中将
- 多田武雄 - 海軍中将。海兵優等生。海軍省次官(1945年5.15~11.20)、軍務局長
- 小林謙五 - 海軍中将。海兵優等生。海相秘書官、侍従武官、戦艦陸奥艦長(昭和15年.11)。シベリア抑留にて戦病死
- 青柳勝敏 - 陸軍大佐。日露戦争・騎兵第18連隊副官(明治38年.7)、中隊長(明治39年.4)。満蒙挙事参加(昭和5年)
- 浅野一男(1893年) - 海軍主計大佐。浅野公爵家の令
- 今泉利清 - 海軍大佐。横須賀鎮守府副官
- 三木守彦 - 海軍少将。第27航空戦隊司令官、霞ヶ浦航空隊司令(昭和18年8.9)兼谷田部航空隊司令、霞ヶ浦航空隊飛行隊長
- 内田成志 - 海軍大佐。南西方面艦隊参謀(長官三川軍一 昭和19年.3)
- 土肥一夫 - 海軍中佐。連合艦隊参謀兼副官(昭和17年.7)
- 笹井醇一(1936年) - 海軍少佐。「撃墜王」の一人、「ラバウルのリヒトホーフェン」。特攻隊最高指揮官・大西瀧治郎の甥
- 尾崎中和 - 陸軍中佐。飛行第25戦隊中隊長。遂川上空にて戦死、死後二階級特進で中佐。
- 町田進一郎 - 海軍少将。戦艦扶桑(昭和6年)・日向艦長(昭和7年)、第1水雷戦隊司令官(昭和11年)
- 石井藝江(1906年) - 海軍中将。空母・神鷹艦長、済州島沖にて雷撃うけ沈没。鹿屋・高雄・大分・佐世保航空隊司令
- 桑原虎雄 - 海軍中将。第3・第4航空戦隊司令官、霞ヶ浦航空隊飛行隊長
- 福田烈(茂呂烈) - 海軍技術中将。舞鶴・佐世保・呉各工廠造船部長
- 山路一行 - 海軍大佐。東郷平八郎元帥付武官。海軍中将山路一善の子、山本権兵衛の孫
- 田結保 - 海軍大尉。海兵71期首席卒業。田結穣の子息。レイテ沖にて戦死
[編集] スポーツ・その他諸分野
- 西竹一(1921年) - 男爵・陸軍大佐、戦前のロサンゼルスオリンピック馬術優勝、通称「バロン西」。戦車連隊長として、硫黄島の戦いにて戦死。
- 山崎喜暉(1940年) - 東大野球部主将。野手・投手、終戦後すぐの東京六大学野球で山崎諭との「両山崎」として優勝戦で0-1の惜敗。東大史上唯一の2位に貢献。
- 加賀山朝雄(1944年) - 東大野手。「両山崎」らと東大の主軸打者として2位に貢献。のち国鉄常務理事、交通公社専務理事、学生野球協会副会長、アマチュア野球連盟専務理事。
- 岩佐守(1942年) - 東大投手、両山崎後の東大投手陣の大黒柱。
- 河野敏章(1969年) - 東大野球部監督。
- 山下圭(1990年) - 慶大野球部野手、東京六大学野球首位打者。
- 守口知幸(2004年) - 慶大投手、先発陣の一人。高校時代、秋季大会で一試合22奪三振(都記録)を奪うなど注目され、一時ドラフト候補に浮上。
- 郷隆 - 東大ボート部選手。第9回アムステルダム五輪ボート監督、第12回東京五輪組織委競技部長、体協専務、大日本体育会理事長(昭和17)
- 松沢一鶴(1918年) - 昭和7年ロス、11年ベルリン五輪水泳監督、元東京都教育委員長
- 浅田斐彦(1921年中退) - 同大選手。競泳50m、陸上競技100m元日本記録保持者(吉岡隆徳以前)
- 木下東作(1895年) - 東大運動会改革の先達。陸上界で初めてスパイクシューズを着用。のちに不世出の女子アスリート・人見絹枝を育てた。のちの甲子園球場建設に関わった一人
- 沢田一郎(1912年) - 東大陸上部選手。陸上800m・走り高跳び元日本記録保持者。日本陸連評議員
- 小林輝夫(1926年) - 全国中等競技選手権大会三段跳び優勝、のちの世界記録保持者・大島鎌吉を破る。府立一中も東京1位・全国総合5位であった。また神宮競技大会予選でも中学生の身でもって織田幹雄(早大)らに次いで3位。
- 浅野均一(1919年) - 慶大陸上部選手。全国中等競技選手権大会三段跳び優勝。IOC委員、日本陸連理事長
- 岩谷鷹之助(1919年) - 全国中等競技選手権大会200mハードル・走り幅跳び優勝
- 小山濠一(1922年) - 慶大選手。陸上槍投げ元日本記録保持者
- 佐原東三郎(1924年) - 明大陸上競技選手。全国マラソン連盟会長
- 清田浩伸(1980年) - 埼玉栄高校女子陸上競技部監督
- 梅村尚(1987年) - 陸上競技部走り幅跳びで関東大会出場、京大ではアメフト部の選手として出場、日本一に貢献
- 小野慎一(1990年) - 立大陸上競技選手、静岡国際陸上400m優勝。当時の日本歴代記録入り。
- 坂倉雄吉(1924年) - 戦前の早稲田大ラグビー部主将
- 加藤清澄(1978年) - 桐蔭学園高校ラグビー部前監督
- 池戸成記(1983年) - 筑波大ラグビー部主将、都立武蔵高教諭、日本代表七人制コーチ
- 後藤禎和(1986年) - 早大ラグビー部選手。FWとして春日康利(大泉高)との「都立高大コンビ」で大学選手権優勝に貢献、早大ラグビー部コーチ。
- 手塚航(1991年) - 筑波大ラグビー部主将。大学選手権では前年度優勝校でリーグ戦グループ1位校の大東文化大を破る。
- 井出洋 - 共産党、初期全学連の巨魁
- 春田俊郎 - 戦前の初期の全学連でも名を馳せた。元北園高校長。蝶の研究・活動で著名
- 山崎順(1969年) - 早大生、連合赤軍(あさま山荘事件にてリンチを受け死亡)
- 吉野雅邦(1966年) - 横国大中退、連合赤軍(あさま山荘事件にてリンチ事件に加わり無期懲役)
- 須藤和雄(1951年) - 青山斎場サービス社長、須藤花店社長
- 篠原市郎(1953年) - 銀座・煉瓦亭(ラグビー部OB会事務局)
- 園部達郎 - 一高同窓会事務局長
- 最上貞雄(1936年) - 偕行社事務局長、理事
- 久邇邦久 - 大正当時、皇族・久邇宮邦久王として入学される
- 李東声(松平東声 1945中退) - 李氏朝鮮末裔。のちパンナム支配人
- 幣原重雄 - 幣原喜重郎の子息。一高-帝大から三菱製紙
- 原達 - 原敬の養子。令兄の子息
- 原圭一郎(原貢)- 慶大卒。原敬の子息、著書に「ふだん着の原敬」
- 原勇(1923年) - 原敬の甥。
- 寺内毅雄 - 陸軍大尉、陸士。寺内正毅の子息。夭折し、その妻も追う。
- 山下一郎 - 海軍大将山下源太郎の子息
- 財部武雄 - 海相・海軍大将財部彪の子息、山本権兵衛の孫
- 山本義正(1942年) - 成蹊高-東大。山本五十六の子息、著書に「父・山本五十六」
- 柳川清宇(1938年) - 陸軍大尉。杭州湾上陸作戦で知られる司法相・陸軍中将柳川平助の子息。戦死
- 尾崎正 - 板垣退助の実子
- 荻生伝 - 荻生徂徠の後裔。東商大卒、日本窒素肥料。
- 正岡忠三郎(1919年) - 二高-京大。正岡子規の従兄弟、正岡家の養嗣子。朝比奈隆と交流、富永太郎との文通が大岡昇平の太郎の伝記に主に引用される
- 遠藤麟一朗(1942年) - 一高時代雑誌『世代』主催者、のちアラビア石油。元中央公論編集長粕谷一希著作「二十歳にして心朽ちたり-遠藤麟一朗と『世代』の人々」
- 大宅歩 - 大宅壮一の子息。夭折
- 小達一男(1973年) - 女優田中好子の夫、女優の故夏目雅子の兄