井上毅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
井上 毅(いのうえ こわし、天保14年12月18日(1844年2月6日) - 明治28年(1895年)3月17日)は、明治時代の日本の官僚、政治家である。子爵。内閣法制局長官、文部大臣などを歴任する。
[編集] 経歴
肥後国に熊本藩家老長岡堅物の家臣飯田家に生まれ井上茂三郎の養子になる。必由堂(熊本藩家老である米田家の家塾)、熊本藩の藩校の時習館で学び、江戸や長崎へ遊学し、1870年には開成学校で学ぶ。71年に明治政府の司法省に仕官し、フランス語ができたためフランスに留学、帰国後に大久保利通に登用される。明治14年の政変では岩倉具視、伊藤博文派に属する。
国学等にも通じ、伊藤とともに大日本帝国憲法や皇室典範、教育勅語、軍人勅諭などの起草に参加した。90年には枢密院顧問官となり、93年発足の第2次伊藤博文内閣においては文部大臣を務める。
中央集権国家の確立に尽力して政党政治に強く反対した井上ではあったが、法治国家・立憲主義の原則を重んじて、その原則で保障された国民の権利は国家といえども正当な法的根拠がない限り奪うことが出来ないと考えていた。そのため、これらを否定するような反動的な主張に対しては毅然とした態度で立ち向かったという。
[編集] 系譜
- 井上氏
茂三郎―毅―匡四郎
[編集] 関連項目
- 熊本市立必由館高等学校(敷地内に井上毅の生家跡や必由堂跡がある)
- 明治の人物一覧
- 熊本県出身の人物一覧