篠沢秀夫
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篠沢 秀夫(しのざわ ひでお、1933年6月6日 - )は、東京都出身のフランス文学者。学習院大学名誉教授。血液型はAB型。
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[編集] 学歴
- 東京都立日比谷高等学校卒業
- 学習院大学文学部フランス文学科卒業
- 東京大学大学院修士課程仏語仏文学専攻修了
- フランス政府給費留学生/パリ大学留学
[編集] 人物紹介
明治大学法学部専任講師(1963年-)/同助教授(1966年-)/同教授(1971年-1973年3月)、学習院大学文学部非常勤講師(1962年-)/同教授(1973年4月-2004年3月)等の経歴があり、2004年から学習院大学名誉教授。モーリス・ブランショの翻訳者、研究者としても知られる。
意外なようだが保守派文化人の一人であり、かつて「THE・サンデー」では毎週日本社会党を批判していた。最近は報道番組などにレギュラーもしくはゲストコメンテーターとして出演する機会は減っているようで、本人も「テレビで堂々と左翼批判してたら干された。」と冗談交じりで説明している(これはフジテレビ以外についてのようで、逆にフジの「報道2001」にはしばしば出演)。また、日本文化チャンネル桜(スカイパーフェクTV!767ch)の番組「桜塾講座-篠沢講座」では講師としてレギュラー出演(2004年8月-)し、「仏文化と日本文化」の共通性等について解説する。歴史教科書問題や靖国の問題だけでなく、フランスを中心としたヨーロッパ文化と比較した“日本の歴史と文化の素晴らしさ”をその共通点や相違点を指摘しながら訴え続けている。2005年にはNHK BS2で放送された「あの日 昭和20年の記憶」にも出演し、昭和20年当時の思い出を語っていた。2006年6月、「新しい歴史教科書をつくる会」から八木秀次が袂を分って設立した「日本教育再生機構」に参加。発起人。
学習院大在学中は秀才としてならしたほか、ラシーヌの仏語劇の上演を手掛けた際、のちに俳優となる児玉清(当時は独文科で一級下)を見初めて主役に抜擢。児玉はフランス語を全く解さなかったが、猛特訓の末、無事大役を務めあげた。これはのちに児玉が映画俳優の道に入るきっかけとなった。
天皇陛下とは同級である。昭和天皇が使ったコップも所持しており、使ったままのものを洗わず大切に保管している。
最近では2006年9月6日、秋篠宮文仁親王と同妃紀子の第3子、長男・悠仁親王の誕生の際にもTV出演し、祝福のコメントを述べている。
[編集] クイズダービーの出演
かつてTBS系列で放映された人気番組の「クイズダービー」では、わずか4ヶ月で降板した和久峻三の後を継いで長く10年以上にわたって3代目1枠レギュラーの解答者(1977年9月~1988年7月担当)として活躍、珍解答が多く大変ユニークな一面を披露し、一躍有名人の仲間入りを果たした。司会の大橋巨泉等からは、「キョージュ(教授)」という愛称で親しまれていた(紹介の際、客席からも「キョージュー!」というかけ声がTBSホール内に響いていた)。正解が多い(3.4勝以上の場合)と「下品」、少ない(2勝以下の場合)のが「上品」であるとした(番組セット『本日のレース結果』に正解数ランプが灯るが、正答数が少なくランプが光らないことを「上品」と考えたため)。また「一人を除いてみんな同じ答え」の場合、篠沢だけが不正解で後の4人がみんな正解というケースも多かった(三択問題で多く見られたが、三択問題でない時もごく稀に同様のケースがあった)。めったに無いが篠沢一人だけが正解だった時、篠沢に賭けなかった出場者(ギャンブラー席)の点数を下げてしまうという迷惑を掛けた事もあった。ちなみに、篠沢の正解率は.328(平均2勝6敗~3勝5敗ペース)となっている。
篠沢のクイズダービーでの最多連敗記録は、歴代3位の21連敗だった(連敗記録の歴代1位は27連敗の井森美幸、2位は24連敗の斉藤慶子。逆に最多連勝で篠沢の記録は歴代6位の9連勝)。しかしどんなに不正解が続いていても常に堂々と胸を張り、いつも笑顔を絶やさなかったのが彼の一番の魅力だったと言えよう。その後、この番組に関し「僕は大学教授だし、知ってることって言えばマトモなことばかり。だから、巨泉には『マトモな問題なんて出したら番組潰れるよ』っていつも言ってた」とコメントしているほか、「大橋巨泉は天才」と表現している。また、問題作成者集団の愛称「チャーリー」は篠沢の命名である。
クイズダービーで1枠の篠沢教授(ほか1枠後任の北野大、2枠女性レギュラー解答者、5枠ゲスト解答者等にも該当)に表示される倍率は、比較的易しい一般問題や三択問題では5・6・7倍が殆どであるが(篠沢の場合、三択では「一人を除いてみんな同じ答え」の1人だけ不正解によく該当したので、最高の7倍が多かった)、まれに得意な専門分野での問題では、1・2・3・4倍の低倍率が表示される事があった。また難しい問題(特に5問目)、6問目の歌詞問題では大体7・8・9・10倍の高倍率が表示されている(特に1枠の篠沢&北野の場合、歌詞問題は、大抵5人の解答者の中で常に最高倍率で設定されていたがたまにそうでない時もあり)。そして最終問題では7~10倍を2倍した、14・16・18・20倍の表示が殆どである。7問目までで出場者が1万点を越せず、最終問題で3枠はらたいらや4枠竹下景子に全額賭けても10万点を突破出来ない場合は、大体の出場者は一発逆転や大穴を狙って、篠沢教授等の高倍率を表示する解答者に指名するパターンとなっていた。それで正解して10万点を突破したり、10万点に近い高得点を稼げた時も少なくないが、やはり殆どは不正解となり減点されて、0点となるケースが多かった。また、指名していない高倍率解答者が正解して「こっちに賭けていれば10万点だったのに~。」と言われるパターンもあり。
2006年11月10日、驚異的な高正解率から「宇宙人」と言われた、3枠レギュラーのはらたいらが63歳の若さで病逝。篠沢よりも10歳年下だったはらの死にさすがに驚きを隠せず、篠沢を初め大橋巨泉や竹下景子らも、それそれ追悼のコメントを述べていた。
[編集] 著書
- 『篠沢教授の「大丈夫だぞ、日本人!」』(ISBN 4094057013)
- 『フランス三昧』(ISBN 4121016246)
- 『フランス語の常識―日常表現は文化の鏡』(ISBN 4560002789)
- 『学校では教えない文章術―模倣こそ文章上達の王道である』(ISBN 4413090691)
- 『ニッポン大好きヘンでも好き』(ISBN 4594036686)
- 『いいんですよ、やり直せば』(ISBN 4087753026)
- 『愛国心の探求』(ISBN 4166600729)
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- など他多数