多田武雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
多田武雄(ただ たけお、1890年10月7日 - 1953年3月3日)は、大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍中将。岩手県出身。
盛岡中学から東京府立第一中学へ転校、府立一中を卒業後、海軍兵学校へ入学・卒業(第40期)。
海軍省人事局第2課長、戦艦霧島艦長などを経て、太平洋戦争開戦時は第21航空戦隊司令官であった。台湾からフィリピン攻略戦において航空戦を戦い、その後、ラバウルに進出、配下の笹井醇一率いる笹井中隊などの活躍で熾烈な航空戦を展開した。1942年(昭和17年)10月10日、南西方面艦隊 兼 第二南遣艦隊参謀長に就任。1943年(昭和18年)9月20日には第13航空艦隊参謀長も兼任する。同年11月1日、海軍中将任官。1944年(昭和19年)に入ってからは、航空本部総務部長、更に海軍省軍務局長に栄転。1945年(昭和20年)5月15日から11月20日まで実質上、井上成美の後任の最後の海軍次官を務めた。