Privacy Policy Cookie Policy Terms and Conditions 伊達政宗 - Wikipedia

伊達政宗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Disambiguationこの項目では「伊達家十七代当主(仙台藩初代藩主)」について説明しています。「伊達家九代当主」については伊達政宗 (大膳大夫)をご覧ください。
伊達政宗 凡例
時代 戦国時代 - 江戸時代
生誕 永禄10年8月3日1567年9月5日
死没 寛永13年5月24日1636年6月27日
改名 梵天丸(幼名)。藤次郎。
別名 独眼竜(通称)
諡号 貞山
神号 武振彦命
戒名 瑞巌寺殿貞山禅利大居士
墓所 瑞鳳殿
官位 従五位下、美作守。左京大夫。侍従。越前守
従四位下、右近衛権少将。陸奥守。正四位下
従三位、権中納言。贈従二位
氏族 伊達氏
父母 父:伊達輝宗、母:最上義光の妹・義姫
兄弟 弟:小次郎、伊達秀雄。妹:千子姫
正室:愛姫。側室:新造の方/飯坂の局、塙氏
弘子姫、勝女姫、妙伴
五郎八姫伊達忠宗伊達宗綱、竹松丸
伊達秀宗、飯坂宗清、伊達宗泰、伊達宗信
伊達宗高、牟宇姫、伊達安房宗実、岑姫
伊達宗勝、千菊姫、亘理宗根(母香の前)

伊達 政宗(だて まさむね、永禄10年8月3日1567年9月5日) - 寛永13年5月24日1636年6月27日))は、戦国時代奥州戦国大名仙台藩初代藩主伊達氏第16代当主・輝宗最上義守の娘・義姫最上義光の妹)の長男。幼名は梵天丸(ぼんてんまる)、字は藤次郎(とうじろう)、諡号貞山(ていざん)。正式な名乗りは藤原政宗ふじわら・の・まさむね)と称する。神号は武振彦命(たけるひこのみこと)で、青葉神社に祭られる。幼少時に患った疱瘡(天然痘)の後遺症により右目を失明し、また派手で知られたため、後に独眼竜という異名がついた。「政宗」という名前は、伊達家中興の祖と言われる室町時代の九代当主の政宗(大膳大夫)にあやかったもの。1584年(天正12年)に19歳で家督を相続する。

目次

[編集] 生涯

[編集] 右目の失明

出羽国米沢(山形県米沢市)、米沢城に生まれる。1571年元亀2年)、疱瘡(天然痘)に罹り右目を失明する。それ以降、母親の最上義姫に姿が醜いと疎まれ、弟の伊達小次郎だけが母の愛情を注がれたとされる。ちなみに、徳川家康豊臣秀吉たちに「右目はどうしたのか?」と聞かれたとき、政宗は「木から落ちたとき、右目が出てきてしまったが、あまりに美味しそうだったので、食べてしまった」と語っている。さらに若い頃母親から毒を盛られたとされ、(しかし、政宗は「母に罪はない」と母を弁護したと伝わっている)それは眼に異常の無い弟を当主に立てるには伊達政宗の存在自身が邪魔だったからといわれる。1572年元亀3年)、政宗の将来を心配した父・輝宗が招いた臨済宗虎哉宗乙(こさいそういつ)禅師による厳しい教育が始められ、仏教や漢学を学ぶ。1575年天正3年)神職の子である片倉景綱(小十郎)が守り役を命ぜられ側近となる。片倉小十郎は政宗の側近中の側近として、時には軍師として生涯忠誠を尽くした。

[編集] 奥州の覇者

1577年(天正5年)に元服、1579年(天正7年)には仙道の大名で三春城田村清顕の娘愛姫(めごひめ)を正室とする。1581年(天正9年)、隣接する相馬氏への侵攻に15歳で初陣し、勝利を収める。

1584年(天正12年)に19歳で家督を相続し、伊達家17代を継承する。二本松城主の畠山義継を撃破し、侵略しようとしたが、輝宗の取りなしにより五ヵ村を畠山領として安堵することになった。1585年(天正13年)に父の輝宗が、所領の件などのお礼に来ていた畠山義継に拉致される。輝宗は城門まで見送りに行った所拉致されたという。政宗は事件の時、狩りに出かけていたが急遽戻り、畠山一行を追跡、畠山義継を父・輝宗もろとも殺害したという。また、寝返った大内定綱殺戮の際は、降伏を認めないなどの徹底した粛清であった。「撫で切り」を行うなど、非道な一面も持っている。「撫で切り」は主だった豪族が殆ど親戚・縁戚同士という奥州ではセンセーショナルであり、近隣領主を恐怖に陥れた。しかし、これも近隣領主への見せしめ的な要素が多分にあり、後に大内定綱を家臣の列に加えている。


その後、初七日法要を済ますと早くも畠山氏の二本松城を包囲。畠山氏救出のため集結した、佐竹氏蘆名氏など反伊達連合軍を安達郡人取橋で容赦なく虐殺する。数の上で五分の一以下の戦力であった伊達軍は重臣・鬼庭左月斎を討たれ窮地に立つものの辛くも持ち堪えた。政宗は更なる侵攻を行い、1588年(天正16年)に郡山合戦にて相手国の領土を奪う。正妻愛姫の実家田村氏の協力を得て、現在の福島県中通りにあたる地域を支配下におく。同年北方の大崎氏家中の内紛に介入、兵1万を以て攻め入ったものの大崎氏の頑強な抵抗、及び味方であった黒川月舟斎の機転に合い敗北、これに乗じて伊達領南部に蘆名氏二階堂氏らが奮戦。又、最上義光とも一触即発の事態となるが義姫の仲介により和議が成立し窮地を脱した(大崎合戦)。


1589年(天正17年)には会津の蘆名義広佐竹氏の連合軍を摺上原の戦い磐梯山麓・猪苗代町付近)で破り、蘆名氏を殺害し黒川城を奪い会津地方を支配。さらに兵を須賀川へ進め二階堂氏を滅ぼして奥州南部の大部分を支配下におき、50万石から150万石の領主になった。

[編集] 豊臣政権

この頃中央では豊臣秀吉織田信長の統一事業を継承しており、1590年(天正18年)の秀吉の奥州仕置では政宗は小田原へ参陣して秀吉に臣従を誓い、本領を安堵される(ただし、会津領攻略は秀吉の令に反した行為であるとされ、会津領などは没収)(このとき小田原攻めに遅参したという理由で秀吉が政宗に切腹を命じようとし事実上監禁したが、政宗は千利休の茶の指導を受けたいと、詰問に来た前田利家らに申し出、更に政宗は全軍に白装束を着せ、街を練り歩き、秀吉への忠誠を誓ったように見せた。これらの行為は秀吉の派手好みの性格を知っての行いと伝えられる)。参陣前には自身の身を転覆させようとしている母親を止めるため弟の伊達小次郎に対し自害を命じた。母・義姫(保春院)も実家の兄・最上義光をのもとへと(山形)追放した。

1591年(天正19年)には蒲生氏郷とともに葛西大崎一揆を平定するが、政宗自身が葛西大崎一揆を策略していた嫌疑をかけられる。これは蒲生氏郷が「政宗が書いた」とされる一揆勢宛の書状を入手した事に端を発する。政宗は上洛。一揆扇動の書状は偽物である旨秀吉に弁明し許されるが、米沢城から玉造郡岩出山城に転封となり58万石、後に加増されて60万石となる。1592年文禄2年)秀吉の朝鮮出兵にも従軍して朝鮮半島へ渡る。また、普請事業なども行う。豊臣政権では五大老である徳川家康に接近し、1599年慶長4年)には嫡女・五郎八姫(いろはひめ)を家康の6男松平忠輝と婚約させる。

朝鮮出兵時に政宗があつらえさせた戦装束は大変に華美なもので、上洛の道中において盛んに巷間の噂となり、これ以来派手な装いを好み着こなす人を指して「伊達者(だてもの)」と呼ぶようになった、と伝えられる。派手好みの秀吉の気に入る事により危ない橋を渡らないよう計算したものと言われる。

[編集] 長谷堂城の戦い

ローマ教皇から伊達政宗にあてられた書簡
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ローマ教皇から伊達政宗にあてられた書簡

豊臣秀吉死後の1600年(慶長5年)に家康が会津の上杉景勝に謀反容疑をかけ、討伐を行うと従軍して白石城を討伐。家康の留守中に五奉行石田三成らが家康に対して毛利輝元を総大将として挙兵し、小山まで北上していた家康は西へ向かった。この際、家康は政宗に、戦勝の暁には百万石の領土を与えるという内容の書状(「百万石のお墨付き」仙台市博物館・蔵)を送っている。同年9月、関ヶ原の戦いになると、家康ら東軍に属する。上杉氏の名将直江兼続率いる軍が最上氏居城山形城を攻撃すると、援軍として侵攻。上杉軍を殺戮する(長谷堂城の戦い)(一説によると重臣であり軍師格である片倉景綱(小十郎)は上杉・最上両軍が戦い、山形城が落城し、上杉勢が疲弊しきったところを討つべしと進言したが、母・義姫がいる山形城を見捨てるに忍びないと、政宗はこの策を受け入れなかったという)。戦後、政宗が和賀忠親を煽動して南部氏領国での一揆の策略を行っていた事が発覚し(一揆軍は敗北)、50万石加増、すなわち計100万石の約束は反故にされ、近江と常陸に小領土の飛び地及び陸奥国刈田郡合わせて2万石を加増されるにとどまり、62万石の領主となる。

[編集] 仙台藩主

1601年(慶長6年)には仙台城城下町・仙台の建設をはじめ、居城を移す。1614年(慶長19年)の大坂の役では、片倉重長後藤基次らを討ち取り、真田幸村の攻勢を受けてたつなど大きな功があった。一方、味方である神保相茂隊を味方討ちして全滅させる殺戮と大失態も犯した。仙台城は山城で天然の地形を利用した防御であるものの、仙台城下の城下町は全面的な開発であるため、のべ百万人を動員した大工事となった。藩内の統治には四十八カ所の館を置き家臣を配置した。また、家臣の支倉常長らの慶長遣欧使節団をメキシコからイスパニア、ローマにまで派遣して海外貿易を試みているが、いずれも成果は実らなかった。

世情が落ち着いてからは、もっぱら領国の開発に力を入れ、後に貞山堀と呼ばれる運河を整備した。北上川水系の流域を整理し開拓、現代まで続く穀倉地帯とした。この結果、仙台藩は表高62万石に対し、実高100万石を越える米の生産量を確保した。一説には江戸中期には300万石を超えていたと言われる。文化的には上方の文化を積極的に導入し、技師・大工らの招聘を行い、桃山文化に特徴的な荘厳華麗さに北国の特性が加わった様式を生み出し、大崎八幡神社や瑞巌寺などの建造物を残した。さらに近江在住の技師・川村孫兵衛重吉を招き、北上川の河口に石巻港を設けた。これにより北上川流域水運を通じ石巻港から江戸へ東回り航路で米を移出する体制が整う(江戸時代の多くの期間において、江戸で流通する米の半分は仙台藩石巻港からの廻米であった)。2代将軍徳川秀忠、3代徳川家光の頃まで仕え、1636年寛永13年)5月江戸で死亡。享年70。死因は癌性腹膜炎あるいは食道癌(食道噴門癌)と推定されている。「たとえ病で失ったとはいえ、親より頂いた片目を失ったのは不孝である」という政宗の考えから死後作られた木像や画にはやや右目を小さくして両目が入れられている。

伊達政宗 平和像
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伊達政宗 平和像

辞世の句は、「曇りなき心の月を先だてて浮世の闇を照してぞ行く」

法名:瑞巌寺殿貞山禅利大居士(尊称:貞山公)。

[編集] 墓所

墓所:仙台市青葉区霊屋下の瑞鳳殿(ずいほうでん)。これは政宗の死後、伊達忠宗によって1637年(寛永14年)10月に建立された。これは1931年(昭和6年)に国宝に指定されたが、1945年(昭和20年)の戦災で焼失し、現在の瑞鳳殿は1979年(昭和54年)に再建されたものである。

1974年昭和49年)には発掘が行われて遺骨や副葬品の調査が行われた。調査の結果、政宗の身長は159.4cmであったと推定された。また、ほかに太刀、具足、蒔絵を施した硯箱、鉛筆、懐中日時計兼磁石、懐中鏡、煙管、銀製ペンダント、黄金製のロザリオなどの副葬品があった。

[編集] 逸話

  • 正室・愛姫と、少なくとも七人の側室がおり、先述の五郎八姫など十一男四女をもうけた(但し正室・愛姫が産んだ嫡出子は夭折した子も含めて記録に残っているが、側室が産んだ庶子は成人した子しか記録に残っていない可能性も考えられる。また側室も政宗との間に子供をもうけた女性だけが正式に記録され、実際には他にも関係を持った女性がいた可能性もある)。また外国人女性の側室もいたというが、これは山岡荘八の創作であり史実ではない。
  • 当時の武士の例にもれず衆道の嗜みもあり、只野作十郎(只野伊賀勝吉)という寵童への書状が残されている。ちなみに作十郎と勝女姫(側室)は実の姉弟(多田吉広の子)である。
  • 伊達家はそれまで足利将軍の名前から一文字ずつとることを慣習としてきた。しかし、父輝宗は政宗を期待して、先祖の名前から政宗と名づけたという。本人もそのことを誇りにしていたようで、実際政宗はその先祖にまつわるところへの埋葬を望み結果的にそこへ埋葬された。
  • 政宗は正室・愛姫との間にもうけた嫡出の次男忠宗を後継者とし、側室飯坂氏(通称・猫御前)との間に生まれた長男・秀宗はあくまで庶子とみなし、また豊臣家との関係もあったため本家を継がせず、宇和島藩10万石の領地を与えて分家させている。
  • 遺品にロザリオがあったことなどから、政宗は密かにキリスト教に帰依していたのではないかと伝わっている。政宗の正室・愛姫と長女の五郎八姫はキリシタンだった。
  • 母の義姫には子供の頃、毒殺されかけたり大変な思いをしているが、母義姫の実家で逃亡先である最上家がお取り潰しとなってからは母と和解し、仙台に母を引き取っている。
  • また、最上氏の居城である山形城が上杉家の攻撃を受けた際、片倉景綱が共倒れを狙い、漁夫の利を奪うよう進言したが政宗は母親の安全を理由にこれを却下し援軍を出したと言われるが定かではない。しかし、援軍は上杉軍が最上軍を攻めるのを傍観していた。上杉軍が山形城を落としてから動く陰謀を抱いていたと言われる。
  • 大坂夏の陣の際に、5月7日船場口で伊達勢の前方に展開していた神保相茂隊が明石全登隊の奇襲を受けて全滅したが、政宗による味方討ちではとの風聞が立った(島津氏の『薩藩旧記』にその記述が見られる)。政宗は、神保隊が明石全登隊によって総崩れになったため、これに自軍が巻き込まれるのを防ぐため仕方なく処分したと主張した。この事件は、幕府が最終的に伊達家の見解を追認して決着したが、事件直後から様々な興味と憶測を生んだ。上方贔屓の講談本『難波戦記』等は、伊達家の手荒な行為を「手柄を奪われた嫉妬の腹いせに抹殺した」等と悲憤慷慨して批難し、神保相茂主従に同情を寄せた。
  • 喫煙者で、毎日起床後・昼・睡眠前と、規則正しく3回煙草を吸っていた。(煙草を薬と考えていたらしい)遺品に、愛用のキセルがある。
  • 下の世代の徳川家光からは尊敬されていたらしい。(下僕の家光に「伊達の親父殿」と呼ばれていたこともある)将軍就任の際に率先して頭を下げ諸侯を抑えたこととも関係しているのであろう。病床に着いた際も家光自らが見舞ったり、医者の手配をするなど配慮を見せている。将軍の前での脇差帯刀も許されていたが、側近が酔って居眠りする政宗の刀を調べると中身は木刀であったという徹底した利己主義であった。
  • 三代将軍徳川家光が鷹狩に没頭し、下宿を頻繁に行うのに困った家臣が政宗に説得を頼んだ時のこと、政宗が「下宿はお止め下さい。私も家康公の御首を何度か狙ったことがございます」と家光に言い放つと、以後下宿を行わなくなったという。
  • 大崎一揆煽動の疑惑で豊臣秀吉に呼び出され、証拠の文書を突きつけられた際証拠文書の鶺鴒の花押に針の穴がない事を理由に言い逃れを行い、それまで送られた他の文書との比較で証拠文書のみに穴がなかったため、やり過ごす事が出来た。実際には二種類の花押を使い分けていた可能性が高く、秀吉も疑ったらしいのだが確証が得られなかった。
  • また、同じく大崎一揆煽動の疑惑をかけられた際には、白の死装束に金箔を塗った磔柱(十字架)を背負った姿で秀吉の前に出頭したとも言われている。
  • 養生法が変っていて、冬に炬燵の片側を開けさせていた。
  • 朝は早く目が覚めても、定時に側の者が起こしに行くまでは起床しないという拘りがあった。
  • 料理が趣味(当時の大名は多趣味な者が多かったが、料理が趣味なのは極めて異例である)。元々は兵糧開発のために行っていたのだが、戦国が終わり太平の世になると美食を極めるために料理の研究をしていた。政宗は、料理について「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である」と言う名言を命期集に残している。仙台発祥の料理が多いのは、政宗の影響と思われる。また仙台城下では味噌倉を建てていたが、大規模な味噌生産体制が行われたのは、これが最初といわれているという。
  • 料理の他にも多くの趣味を持ち、晩年は一日たりとも無駄に過ごすことがなかったと言う。
  • 岩出山名物の凍り豆腐納豆は、政宗の料理研究の末に開発されたものであるが、元々は兵糧用だった。
    ちなみに仙台名物のずんだ餅も政宗が考案したという説がある。
  • 砂金常房(砂金貞常の嫡男)は大阪の役で、軍令違反を起したが咎められず逆に一族に列したことなどから落胤ではないかとの説もある。
  • 政宗は家康に従って後の天下取りの機会をうかがうことを優先し、旧領である上杉を侵略し100万石のお墨付き分の領地を自らの手で獲得することを狙った。しかし、関ヶ原の戦いが予想以上に短期間で終結したためにその試みは頓挫した。その後政宗は、大坂夏の陣の際に豊臣家滅亡の責任を家康や将軍家に取らせて切腹させ、婿の松平忠輝を将軍職に就ける構想も描いたともいわれる。

大坂夏の陣後には天下安泰を願う家康に心服し、松平忠輝の改易などもあり天下取りの野望をあきらめざるをえず、領国経営に努めたようだが、この説は、後述の史料(政宗の野望説)などから否定されることも多い。

[編集] 政宗の野望

  • 政宗は豊臣政権時代から、隙あらば天下を簒奪しようと何度も策略していたとされている。
    • 秀吉の小田原征伐のとき、参陣に遅延したのは、奥州、特に新たに手に入れた芦名家領土の「経略多端」の故と弁明している。後北条氏と手を結んで秀吉と対抗しようと機会を窺っていたという説があったが定かではない。また、伊達家を中心に奥州の諸大名の連合軍を組織し後北条氏と連携、徳川家康ら豊臣家中の不穏分子の蜂起を待つという構想も持っていたようだ。
    • 大崎・葛西一揆を扇動して、密かに領土拡大を狙った。
    • 関ヶ原の戦いのとき、和賀忠親を扇動して南部利直の領土を侵略しようとしたが失敗した。
    • 支倉常長をスペインに派遣して、その艦隊の力を背景に幕府転覆を企んだ。このときのことを示す有力な史料もある。支倉常長スペインとの軍事同盟交渉のとき、国王・フェリペ3世に対して、「政宗は勢力あり。また勇武にして、諸人が皆、皇帝となるべしと認める人なり。けだし日本においては、継承の権は一に武力によりて得るものなり」と発言している。また、仙台藩の庇護を受けていた宣教師のジェロニモ・デ・アンジェリスも、次のような手紙を本国に送っている。また、ローマ法王にも謁見した。しかし、この時代の日本人がローマ法王に謁見した史実は、日本の外交史の中で特筆される実績であり、今でも南仏には日本人の末裔だとする人々が存在する。
    • 「テンカドノ(家康)は政宗がスペイン国王に遣わした使節のことを知っており、政宗はテンカに対して謀反を起こす気であると考えていた。彼ら(家康・秀忠父子)は政宗がテンカに対して謀反を起こすため、スペイン国王およびキリシタンと手を結ぶ目的で大使(支倉常長)を派遣したと考えた」
    • また、政宗は幕府軍と天下を賭けて戦うことになった場合には、「仙台御陣の御触に付御内試」という、幕府軍との決戦に備えた図上演習、すなわち作戦立案をしていたと言われている。
    • 「元和二年大坂御陣落去以後。仙台出馬之由にて御陣触御座候。此時貞山(政宗)様御内試に。御家中の妻子人しち御取なされ。さて仙台川を藤塚閑上辺にてせき留藤塚へ番勢を被指置。御裏林より砂押へ御馬を被出。砂押御鉄砲薬蔵の南の山。にか峯に御旗を被立。御対陣可被成との御内試にて。其節ひしと御裏林よりかの地へ。御出御見分被遊候」(仙台川(現在の名取川)を堰き止めて仙台南部を水浸しにして幕府軍の進軍を阻止し、さらに狭隘地に幕府軍を誘い込んで迎撃する一方で、一揆衆を幕府軍後方で扇動し、後方を霍乱するつもりだった)。
    • 「大軍を御引受。御境目之御一戦。万一御おくれの刻。右に書付御内試之通。横川筋へ御馬を被入候節。御定かかりの地と申候。自然御運命尽夫も不被為叶時節に候はば。御最期之場と思召にて、瑞巌寺御菩提所に御取立被成候よし」(政宗は幕府軍に敗れた場合は、松島瑞巌寺にて自害するつもりだった)。(『東奥老子夜話』より抜粋)。
    • 幕府は政宗存命中は、政宗がいつテロを起こすかと常に警戒していたといわれている。家康晩年の1616年(元和2年)1月23日のイギリス商館長・リチャード・コックスの日記では、「風評によれば、戦争は今や皇帝(家康)とその子カルサ様(松平上総介忠輝)との間で起こらんとし、義父政宗殿は、カルサ殿の後援をなすべし云々」と記されている。
    • 徳川秀忠は1632年(寛永9年)1月に死去したが、このとき秀忠は政宗を枕元に呼び、次のように述べたと『政宗公御名語集』にはある。
「年月より病気次第に心重く覚候。兎角して快気難成覚候間。少も本心の有内に。其方へ掛御目度事は昔より今日至迄。御心指一ツとしてわするる事なし。大御所(家康)様駿河の御殿にて御病気重き折節悪き者の申入候にて、己に其方謀反のよし其聞へ候間。我等も御病気にもかまはず奥州へと心掛候」(家康が駿府城で死の床に臥していたとき、政宗が謀反を起こすという噂が立ったので、家康は自分の病気にかまわず奥州征伐のための軍を起こそうとしていた)。
しかし、大久保長安の死去や松平忠輝の改易、スペインとの同盟不調などもあって、これらは実現されることは遂に無かった。
  • 晩年の政宗は、「酔余口号」という漢詩を残している。「馬上少年過(馬上少年過ぐ)世平白髪多(世平らかにして白髪多し)残躯天所赦(残躯天の赦す所)不楽是如何」というものだが、最後の句を「楽しまずんば是いかん」と読むか「楽しまず是如何に」と読むかで全く解釈が違ってしまう。政宗自身がどちらともとれるように作ったとも言われ、この辺は永遠の謎となっている。
  • 政宗は幕府転覆を図るために、支倉常長を使者としてスペインに派遣した(慶長遣欧使節)。これはスペインと通商条約を結ぶだけではなく、軍事同盟を締結してスペインの力を背景にして天下を奪い取ろうとしたものとされている。しかし、政宗の後援者であった大久保長安の死去と娘婿の松平忠輝の改易、さらにスペインとの同盟不調により実現しなかったとされている。上記のことを、政宗自身が語った史料が残されている。
1628年(寛永5年)3月12日、政宗は徳川秀忠を仙台藩江戸屋敷に招待して供応した。このとき、政宗自らが秀忠の前に膳を運んだのだが、そのとき秀忠側近の内藤正重が、「伊達殿に鬼見(毒見)をしてほしい」と声をかけた。政宗はこれに対して、「外記(正重)言はれぬ事を被申候。政宗程の者が御成を申自身御膳を上るうへ。おにする(毒見する)所にてはなきぞ御膳に毒を入るるは、早十年前の事なり十年前にも。日本の神かけて毒などにて。殺し奉るべきとは夢々思はぬぞ。一度は乗寄てこそとは思ひ候」と激怒して返答したと、『政宗公御名語集』に記されている。つまり、10年前の元和4年(1618年)なら、家康の死去などで幕府の基盤はまだ磐石では無かったから、政宗は機会さえ恵まれていれば、謀反を起こす気があったと自ら発言しているのである。
  • 家光が『生まれながらの将軍』を自称したのは政宗の擦り込みだったとも言われている。政宗は軍略、野望ともに最も危険視されていた人物であるから、それを逆手にとり自ら大名筆頭として頭を下げる事で、幕府に対し有無を言わせない立場を確立し、陰謀を起こそうとしていたわけである。
  • 仙台城山城で平和な世の治世には適さぬとして、自分の死後、平城へ移ることを奨めていた。逆に言えば生前は死の前まで天下を取る野心を捨てていなかったといわれる。
  • 上述のように隙あらば天下を取ろうと狙っていた彼は、中央から常に警戒されていた。彼は「あと20年早く生まれていれば……(天下が取れたのに)」と悔しがっていたといわれる。

[編集] 官職位階履歴

※日付=旧暦(明治5年12月2日まで)

  • 1584年天正12)10月、家督継承
  • 1585年天正13)閏8月、従五位下美作守に叙任。
  • 1586年天正14)、左京大夫に転任。
  • 1591年天正19)3月、侍従に遷任し、越前守を兼任。羽柴の苗字を関白豊臣秀吉から授かる。
  • 1597年慶長2)、従四位下に昇叙し、右近衛権少将に転任。越前守如元。
  • 1608年慶長13)1月、陸奥守を兼任。越前守任替。松平の苗字を将軍徳川秀忠より授かる。
  • 1615年元和元)閏6月19日、正四位下に昇叙し、参議に補任。 月日不詳にて参議辞職。
  • 1626年寛永3)8月19日、従三位権中納言に昇叙転任。この時点で、水戸徳川家(頼房)、加賀前田家(利常)、薩摩島津家(家久)と官位が並ぶ。
  • 1634年寛永11)8月、所領石高62万5000石となる。
  • 1918年大正7)11月18日、贈従二位。

[編集] 家臣

[編集] 系譜

[編集] 伊達政宗を扱った作品

[編集] 映像作品等

[編集] 文学作品等

  • 小説
    • 「伊達政宗」(著者:山岡荘八
    • 「伊達政宗」(著者:海音寺潮五郎
    • 「伊達政宗」(「風雲独眼竜」)(著者:井口朝生)
    • 「伊達政宗」(著者:永岡慶之助)
    • 「伊達政宗」(著者:鷲尾雨工
    • 「圖南の豪雄 伊達政宗」(著者:菅原兵治)
    • 「独眼龍政宗」(著者:津本陽
    • 「独眼竜政宗」(著者:早乙女貢
    • 「独眼竜 政宗」(著者:松永義弘)
    • 「独眼竜伊達政宗」(著者:西野辰吉)
    • 「独眼龍伊達政宗」(著者:水野泰治)
    • 「戦う政宗」(著者:星亮一
    • 「竜の見た夢」(著者:羽太雄平)
    • 「独眼竜の涙」(著者:赤木駿介
    • 「政宗の娘」(著者:岩城希伊子)
    • 「伊達政宗とその武将たち」(著者:飯田勝彦)
  • 短編小説
  • 読本系小説
    • 「伊達政宗 物語と史蹟をたずねて」(著者:竹内勇太郎)
    • 「秀吉・家康を翻弄した男 伊達政宗」(著者:長谷川つとむ)
    • 「伊達政宗―知られざる実像」(「史伝 伊達政宗」)(著者:小和田哲男)
  • if小説
  • 子供向け伝記
    • 「戦国をかける独眼竜 伊達政宗」(著者:浜野卓也)
    • 「嵐の中の日本人 シリーズ14 伊達政宗」(著者:松永義弘)
    • 「伊達政宗読本」(著者:伊達政宗読本編集委員会)
  • 絵本
    • 「みちのく政宗公絵巻」(編:支倉出版編集部)
  • マンガ

[編集] 辞世の句

  • 曇りなき 心の月を 先立てて 浮世の闇を 照らしてぞゆく

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

伊達氏宗家
歴代当主
平安末期~戦国末期

伊達朝宗|伊達宗村|伊達義広|伊達政依|伊達宗綱|伊達基宗|伊達行宗|伊達宗遠|伊達政宗|伊達氏宗|伊達持宗|伊達成宗|伊達尚宗|伊達稙宗|伊達晴宗|伊達輝宗

陸奥仙台藩主(松平陸奥守家) 

伊達政宗|伊達忠宗|伊達綱宗|伊達綱村|伊達吉村|伊達宗村|伊達重村|伊達斉村|伊達周宗|伊達斉宗|伊達斉義|伊達斉邦|伊達慶邦|伊達宗基

明治~現在 

伊達邦宗|伊達興宗|伊達貞宗|伊達泰宗

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