野上義二
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1961年、東京都立日比谷高等学校卒業、東京大学教養学部卒業。1965年、外務省入省。中近東・アフリカ局審議官、総合政策局審議官、駐香港総領事、経済局長、外務審議官、事務次官を歴任。現在駐英大使。
経済外交と中東問題を得意とし、中東和平問題に深くかかわった。また、2000年の九州・沖縄サミットではシェルパ(首脳の個人代表)を務めた。外務省の論客として知られ、しばしば総合雑誌などに寄稿している。
田中真紀子の外務大臣就任以後、外務省内の人事も大幅な見直しを強制された。「指輪騒動」以後、それが事務次官の人事にまで及ぶ混迷を極める中で前任の川島裕の辞任を受け、経済畑ながら事務次官に就任するも、総理官邸と意思疎通を交わす中で、アフガン復興会議でのNGO処遇の事務当局の不手際もあって、田中と差し違う形で共に辞任することになる。その後次官経験者としては異例の降格という形で駐英公使となり、英国王立国際問題研究所の研究員も兼ねていたが、駐英大使に昇格した。
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