神奈川県立湘南高等学校
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神奈川県立湘南高等学校(かながわけんりつしょうなんこうとうがっこう)は、全日制、定時制、通信制の普通科を有する高等学校。神奈川県立のトップ校であり、日本有数の名門公立高校。所在地は神奈川県藤沢市鵠沼神明。最寄り駅は藤沢本町駅であり、ターミナル駅の藤沢駅にも近い。略称は、「湘南(しょうなん)」で、地元で「湘南」といえば湘南高校を指す場合も多い。
受験や体育選手育成に偏ることなく生徒の自主性を重んじる校風である。文武両道を校是とし、部活動加入率は兼部を含めると10割を超す。多目的ホールをはじめ、県立屈指の設備を持つ。
神奈川県立湘南高等学校 | |
創立 | 1920年(大正9年) |
教育課程 | 全日制 定時制 通信制 |
設置学科 | 普通科 |
所在地 | 〒251-0021 |
神奈川県藤沢市鵠沼神明5-6-10 | |
電話番号 | 0466-26-4151 |
目次 |
[編集] 歴史
湘南地方には、海軍高級士官の子弟が多く県立中学の設置が待望されており、神奈川県下6番目の旧制中学校として湘南中学が設置された。初代校長は、新潟県女子師範学校(現在の新潟大学教育人間科学部の前身校のひとつ)校長から赴任した赤木愛太郎で、27年間の長きに亙って校長を務めた。終戦までは東京帝国大学以上のエリート校であった海軍兵学校の予備校であった。第一高等学校などの難関旧制高等学校などとともに、日本中の秀才が集まった海軍諸学校(海軍兵学校、海軍経理学校、海軍機関学校)や陸軍士官学校などに多数の人材を輩出したため、戦後連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の方針により、赤木校長は教職追放という形で職を辞することになる。しかし現在も構内には赤木校長の像や赤木苑があったり、また学年ごとに氏の名前にちなみ赤緑藍(本来は赤黄藍(アカギアイ)とする予定だったが、物資不足のせいで、黄色の色合いが良く出ず、緑にと変えられたという)の3色に色分けされたりしている。野球部が甲子園に3回出場し、1回は全国制覇する一方、東京大学など難関大学に多数の合格者を輩出する文武両道の全国公立高等学校トップの進学校として、永らく名を全国にとどろかせてきた。
近年の公立改革により学区が撤廃となり、優秀な生徒が広く集まるようになった。独自入試の導入も決定されており、今後の難関校への合格者の飛躍が期待されている。
- 1920年(大正9) 文部省告示第三九六号をもって県立湘南中学校設立認可(県下6番目の旧制中学)
- 1921年(大正10) 初代校長として新潟県女子師範学校校長であった赤木愛太郎氏が赴任する
- 1922年(大正11) 三位一体(学校・家庭・生徒)の訓育目標と三位一体(知育・体育・徳育)の教育目標を定める
- 1925年(大正14) 県下中等学校剣道大会にて剣道部初の優勝
- 1933年(昭和8) 北原白秋作詞、山田耕筰作曲による校歌発表
- 1938年(昭和13) 体育優秀校として文部大臣より表彰
- 1946年(昭和21) サッカー部、第一回国民体育大会決勝戦で神戸一中を破り全国優勝
- 1948年(昭和23) 学制改革により湘南高等学校となる
- 1948年(昭和23) 定時制高等学校ならびに通信教育部の設置
- 1949年(昭和24) 全国高校野球選手権大会(甲子園)決勝戦で岐阜高を5―3で破り全国優勝
- 1950年(昭和25) 男女共学となる
- 1956年(昭和31) 浦和高からの要請に応え、浦和高等学校定期戦が始まる
- 2001年(平成13) 創立80周年記念行事を実施
[編集] 全日制
[編集] 概要
経済界・政界・官界・学界などに人材を多く輩出している。国際的に活躍する指揮者など芸術面で活躍する人材も少なくない。野球部は1949年に全国高等学校野球選手権大会全国優勝、選抜高等学校野球大会に2回出場。サッカー部は1946年に全国優勝、1988年に全国ベスト16。筑波大付属高校と定期戦を行っている。ここ数年は、硬式テニス部や陸上競技部等の活躍が目立つ。珍しい運動部としてはフェンシング部がある。部活動以外にも、体育祭、駅伝大会、文化祭等の行事が盛んに行われている。
埼玉県立浦和高校とは、全校行事として部活動などで交流を行っていた(毎年5月中旬に、「浦高戦/湘南戦」として、毎年交互に往来して運動部=対抗戦、文化部=交流会を開催)が、浦和側が今も男子校であるのに対し湘南側は共学となって久しく、イベントとして成立しにくくなっていた。さらに湘南新宿ライン運行開始による列車本数の増加によりイベント時に団体電車を走らせることが困難となって、2002年の第46回を最後に廃止されるに至った。
[編集] 教育課程
前期・後期の2期制で、大学並みの70分授業を採用している。第2学年まではクラスごとの授業で、第3学年から文理の各コース別の授業になる。いわゆる校則は存在せず、規則といえるものはバイク通学の禁止(免許取得は可)程度である。アルバイトも可能。制服は「標準服」という規定があるが、細かな形までは指定されていない。男子は黒の詰襟、女子は紺のブレザーを着用している。学食がある。授業の進度が速いために自主学習が求められる。
[編集] 入学試験
男女共学の公立高等学校として、全国トップの進学実績を永らく維持してきた。受験界では、県立浦和高校や県立千葉高校と公立高校御三家と称せられることがあった。1981年入学から実施された小学区制などで、全国公立高等学校トップあるいは神奈川県トップの進学実績の地位が失われているが、2005年入学から実施された学区制の全面的廃止などにより、進学面での復権が注目されている。近年は、女子が半数に達している。横浜国立大学附属鎌倉中学校や同附属横浜中学からの入学者が非常に多い時代もあったが、近年の出身中学は分散している。前期選抜では内申点が満点であっても不合格になる受験生が出ている。後期選抜では、内申点に加えて入試当日の点数もかなりの高得点が要求される。なお、自校作成問題の入試(独自入試)は平成18年度から実施される予定である。
[編集] 定時制
入学定員は全日制の約半分であり、規模は大きくなりつつある。新校舎に建て替えた際に全日制と定時制の使用場所を区切ったが、定時制の規模拡大に伴って全日制の教室も一部使用するようになった。通常は4年制であるが、通常よりも早い15時30分からの授業を受けることにより3年間で卒業することも可能。2009年4月から単位制に改編される。
[編集] 通信制
横須賀市の陸上自衛隊少年工科学校の自衛隊生徒が集団入学する。運動部が非常に強い。特にこの数年は軟式野球部が全国制覇をしている。2008年4月から横浜平沼高校の通信制課程と統合し、単位制の新高校として再編される。学校設備は現在の和泉高校統合移転後の校舎を利用する。
[編集] 校歌
- 一
- 秀麗の富士を 高く 西に仰ぐ この丘
- 巍々たり 我が校 風も薫れリ
- 清明 ここに学ぶ 我等
- 眉わかく 常に純なり
- 天与の稟質 磨け我と
- 開けよこの窓 すべて光らむ
- 二
- 湘南の空は 広く 雲雀あがる この庭
- 集えよ 我が師と 声は和したり
- 協同 ここに励む 我等
- 松蒼く 人は正なり
- 自由の研学 思え知徳
- 努めよ普く 絶えず求めむ
- 三
- 澎湃と満つる 潮は 相模灘ぞ この海
- 騰げよや 我が士気 波もく頻吹けり
- 剛健 ここに勢ふ 我等
- 胆大に 意図は荘なり
- 立身報国 期せよ友よ
- 響かせかの雲 共に興らむ
[編集] 施設
校歌に謳われるように、丘の上に校舎がある。蔵書県内随一を誇るドーム型の図書館・自習室、多目的ホール、学生食堂、購買部、セミナーハウス、2つの体育館、プール、シンボルタワーなど施設が充実している。
当初計画では丘の下にあるグラウンド上に新校舎を建築、旧校舎所在地はグラウンドとして整備される予定であったが、卒業生や付近住民からの反対によって、校舎建設地は旧校舎の建っていた丘の上に変更されるという流れを経て、現校舎が現在地に建設された。
[編集] 同窓会
名称は湘友会。全国的に支部があり、海外やクラブ別や企業別の支部もある。
[編集] 著名な卒業生(50音順)
- 相澤益男(東京工業大学学長)
- 阿部昭(作家)
- 天野武一(最高裁判所判事)
- 飯田亮(セコム創業者)
- 池田武邦(建築家、日本設計名誉会長、世界都市開発協会副会長)
- 池田元久(衆議院議員)
- 石井宏(音楽評論家)
- 石原慎太郎(東京都知事、作家)
- 磯部周平(クラリネット、NHK交響楽団首席)
- 板倉宏昭(経営学者、香川大学教授)
- 板倉宏(刑法学者、日大教授)
- 伊原隆(大蔵省理財局長、横浜銀行頭取)
- 伊藤直彦(JR貨物社長)
- 入不二基義(哲学者、青山学院大学教授)
- 入村達郎(薬学、東大教授)
- 内海重忠(御殿場市長、建設省官僚)
- 江藤淳(作家、途中で都立日比谷高校に転校)
- 大沢孝征(弁護士、元検事)
- 大谷映芳(冒険プロデューサー、テレビ朝日)
- 大塚英昭(生薬学、広島大学教授)
- 大塚裕史(刑事法、神戸大学法務研究科教授)
- 大野和士(指揮者)
- 岡崎洋(大蔵省官僚、元神奈川県知事)
- 岡本孝司(原子力工学、東大教授)
- 岡本行夫(外交評論家、元外務省官僚、首相補佐官)
- 小栗香織(タレント・女優)
- 小田野宏之(指揮者)
- 鍵本洋二(城南予備校講師 現代文・小論文担当)
- 鹿島茂(仏文学者、作家、共立女子大学教授)
- 上岡敏之(指揮者、ピアニスト)
- 片倉もとこ(民族学者、国際日本文化研究センター所長、中央大学総合政策学部教授)
- 片野一雄(大磯町長)
- 片山豊(米国日産自動車社長、フェアレディZの父)
- 金子隆(金融論、慶応義塾大学教授)
- 神沼克伊(地震学者、国立極地研究所名誉教授)
- 亀井善之(衆議院議員、元農林水産大臣、元運輸大臣)
- 狩野卓也(酒文化研究所代表)
- 川崎雅司(生物学者、バージニア大学教授)
- 嘉山孝正(医学、山形大学医学部長)
- 岸本葉子(エッセイスト)
- けしば誠一(杉並区議会議員、元中核派幹部)
- 田島久誌(モトクロス国際A級ライダー)
- 小林完吾(フリーアナウンサー、中退)
- 小山栄美(囲碁)
- 近藤紘一(作家、ジャーナリスト)
- 斎田晴子(棋士)
- 斎藤栄(推理作家)
- 境鶴丸(フジテレビアナウンサー)
- 佐々木信也(野球解説者)
- 佐々木宏夫(経済学者、早稲田大学教授)
- 佐藤達哉(心理学者、立命館大学助教授)
- 沢田秀男(自治省官僚、前横須賀市長)
- 杉山愛(テニス選手、通信制)
- 杉山伸也(経済史、慶大経済学部教授)
- 杉山秀二(経済産業事務次官)
- すずきじゅんいち(映画監督)
- 相馬晴義(元相川町長)
- 高橋宏志(法学者、東京大学法学部長)
- 竹内謙(元鎌倉市長)
- 田代冬彦(TBSテレビ編成局部長、女優秋野暢子の元夫)
- 田中英光(作家、オリンピックボート選手)
- 土屋武士(カーレーサー)
- 土屋守章(東大名誉教授、経営研究所所長)
- 遠山一(ダークダックス)
- 中西準子(環境リスク、元東大教授、産業技術総合研究所センター長)
- 中山敬一(生物医学、九大教授)
- 西村正雄 (みずほホールディングス会長兼CEO)
- 長谷川耕造(グローバルダイニング社長)
- 長谷川鎮雄(医学、筑波大学名誉教授、副学長)
- 浜田宏一(経済学、エール大学教授)
- 葉山峻 (衆議院議員、元藤沢市長、元全国革新市長会会長)
- 平山洋(歴史学者)
- 福里真一(CMプランナー、2001年度広告業協会クリエイター・オブ・ザ・イヤー、「ジョージア」CM、「明日があるさ」作詞等 )
- 富士川英郎(独文学者、東大名誉教授)
- 藤田耕三(元広島高裁長官、元公安審査委員会委員長)
- 堀田直人(ニチバン社長)
- 本城勇介(土木工学、岐阜大学教授)
- 前田愛(文芸評論家、立教大学教授(故人))
- 牧野力(通商産業事務次官)
- 宮崎緑(ジャーナリスト、元NHKアナウンサー)
- 村松賢一(スピーチコミュニケーション、元NHKアナウンサー、お茶の水女子大学教授)
- 森稔(森ビル社長)
- 衆樹資宏(阪急ブレーブス外野手)
- 矢澤一良(農学者)
- 矢田健爾(画家)
- 柳井迪雄(気象学者、カリフォルニア大学ロサンゼルス校名誉教授)
- 山下大五郎(洋画家)
- 山村路(イラストレーター)
- 山際大志郎(衆議院議員)
- 湯山昭(作曲家)
- 吉岡嶺二(カヌー冒険家)
- 脇村春夫(高野連会長)
- 渡邊あゆみ(NHKアナウンサー、旧姓黒田あゆみ)
- 渡辺祐(元宝島VOW)
- 二谷貴夫(さが美社長)