磯村年
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磯村年(いそむら とし 1872年9月30日 - 1965年5月17日)は、大日本帝国陸軍の軍人。1928年8月10日、大将進級。
滋賀県出身。父は滋賀県士族・平田繁の二男。陸軍中将・磯村惟亮の養嗣子。陸軍中将・磯村武亮は子息。東京府第一中学、陸軍幼年学校を経て、1893年7月に陸軍士官学校卒業。陸士4期。1900年12月、陸軍大学校卒業。陸大14期。
日露戦争において大本営陸軍部参謀を経て、第一次世界大戦における通称・青島攻略戦と呼ばれるドイツの要衝・青島へ独立第18師団高級参謀として出撃。
1918年、少将に進級。1月に広島湾要塞司令官に補佐。その後に野砲射撃学校長を経て、1921年3月28日、シベリア出兵により、途中、ウラジオストック派遣軍参謀長に就任。以後、砲兵学校長、第12師団長を経て、1926年に関東大震災により設けられた東京警備府司令官就任。1928年、予備役編入。
1937年2月17日、2・26事件の後、ただちに召集され、参謀本部付けを仰せられる。東京陸軍軍法会議・真崎甚三郎裁判における判士長就任。1938年4月、後備役。