三菱鉱業
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三菱鉱業(みつびしこうぎょう)は、かつて石炭・金属鉱業事業を行っていた三菱グループの企業。
三菱合資会社の炭鉱部、鉱山部、研究所が独立し大正7年(1918年)4月に設立された。大夕張炭鉱など本業の炭鉱経営、金属鉱業の他に採掘した石炭を輸送するために地方鉄道事業も行っていた。 雄別炭礦鉄道は傍系会社であった。 昭和14年(1939年)4月それまでの専用鉄道を改組し清水沢~大夕張炭山間を三菱鉱業株式会社線として開業。その後、昭和25年(1950年)には過度経済力集中排除法により金属鉱業部門を太平鉱業(後の三菱金属)として分離、一方、美唄~常盤台間の地方鉄道事業を行っていた美唄鉄道(昭和23年バス事業兼業)を吸収し、同社美唄鉄道事務所とした。それぞれ三菱鉱業大夕張鉄道、同美唄鉄道として運行されたが、昭和31年(1956年)6月に併合清算を採用、三菱鉱業株式会社大夕張鉄道線、美唄鉄道線となり、昭和44(1969年)10月に大夕張鉄道線を三菱大夕張炭礦株式会社へ譲渡した。
美唄鉄道線は昭和47年(1972年)6月美唄炭鉱の閉山により廃止されたが、バス事業は継続された。昭和48年(1973年)12月三菱大夕張炭礦は三菱高島炭砿と合併、三菱石炭鉱業となったが清水沢~南大夕張間の大夕張鉄道線も同社に継承され昭和62年(1987年)7月の廃線まで運行された。 美唄鉄道事務所によるバス事業は、昭和56年(1981年)に分社化され系列の美鉄バスにより運行されたが平成14年(2002年)3月に廃業した。
三菱鉱業自体は昭和48年(1973年)に三菱セメント、豊国セメントと合併し三菱鉱業セメントになり、平成2年(1990年)12月には三菱金属と合併、三菱マテリアルとなった。
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[編集] 歴史
[編集] 鉱業
- 1871年-九十九商会(三菱商会の前身)が紀州新宮藩の炭鉱を租借し、鉱業部門に進出。
- 1873年-三菱商会(三菱合資会社の前身)が金属鉱山事業に進出。吉岡鉱山を買収。
- 1881年-高島炭坑を買収。
- 1893年-三菱合資会社設立。
- 1896年-金属精錬事業に進出。
- 1918年-鉱業事業の分社化により、三菱鉱業設立。
- 1950年-集中排除法により、石炭事業(三菱鉱業)と金属事業(太平鉱業)に分離。
- 1965年-美唄鉱業所を美唄炭鉱㈱として分離。
- 1969年-石炭鉱業部門を三菱大夕張炭礦㈱、三菱高島炭礦㈱に分離。
- 1973年-三菱鉱業が三菱セメント、豊国セメントと合併し、三菱鉱業セメントとして発足。三菱金属鉱業を三菱金属に社名変更。三菱大夕張炭礦㈱、三菱高島炭礦㈱は合併して三菱石炭鉱業㈱発足。
[編集] 地方鉄道事業
- 1916年2月17日 大夕張炭礦が三菱合資会社に合併。
- 1918年4月10日 三菱合資会社炭坑部を分離し三菱鉱業設立。
- 1939年4月20日 清水沢~大夕張炭山間が地方鉄道として開業。
- 1950年4月25日 三菱鉱業が美唄鉄道を吸収・合併。
- 1969年10月1日 大夕張鉄道線清水沢~大夕張炭山間を三菱大夕張炭礦に譲渡。
- 1972年6月1日 美唄炭鉱の閉山に伴い、美唄鉄道線廃止
[編集] バス事業
- 1948年 美唄鉄道バスとして美唄~東明間開業。以後、美唄市内で路線拡充。
- 1956年9月6日 大夕張地区内山内線(大夕張鉱業所~中学校・明石町間)開業。
- 1961年5月1日 美唄鉄道バスの呼称を、三菱鉱業バスに変更。
- 1962年10月7日 夕張バスと協定で、夕張~大夕張間急行バス開業。
- 1965年12月 札幌~大夕張間特急バス開業。
- 1981年 三菱鉱業セメント美唄鉄道事務所を分社化し、美鉄バス設立。
- 1985年1月28日 東急系列の網走交通が美鉄バスを買収し子会社化。
- 1997年11月30日 シューパロダム建設に伴う住民の集団移転により、大夕張地区より撤退。
- 2002年3月31日 美鉄バス廃業。
[編集] 鉄道事業
[編集] 関連項目
[編集] 参考資料
- 『三菱鉱業社史』 三菱鉱業セメント(株)刊
- 『RM LIBRARY47 三菱鉱業大夕張鉄道』 奥山道紀・赤城英昭著(ネコパブリッシング刊)ISBN 4-7770-5002-5
[編集] 外部リンク
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