総理府
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総理府(そうりふ)は、内閣総理大臣自らが分担管理する事務として所掌していた日本の行政機関。旧憲法下における内閣所属部局を母体として過渡期における総理庁を経て新設され、中央省庁再編により内閣府に統合された。
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[編集] 沿革
- 1949年6月1日、国家行政組織法施行に伴い、総理府が発足
- 総理府の長は内閣総理大臣であり、内閣法にいう主任の大臣であるが、実際に所管事項の事務を監督するのは内閣官房長官およびそれを補佐する内閣官房副長官とされた。
- 1957年8月1日、総理府の大臣官房(内閣総理大臣官房)で処理してきた内閣官房の事務は内閣官房自体に専任の職員を新たに置いて担当させることとし、総理府と内閣官房の事務の分離を実施
- これに伴い、総理府に総理府総務長官および総理府総務副長官を新設し、内閣官房長官および内閣官房副長官は総理府の担当から外れた。総理府総務長官には国務大臣をもって充てることができることとはされていたが、実際にはそのような任用はされなかった。
- 総理府総務長官は閣議の陪席者とし、総理府総務副長官は事務次官会議の構成員とされた。これにより事務次官会議は事務次官等会議と改称された。
- 1963年6月11日、総理府総務長官は内閣官房長官とともに新たに認証官として処遇
- 1965年5月19日、人事院から国家公務員の能率・厚生・服務に関する事務、大蔵省から退職手当に関する事務などの移管を受けて、総理府は人事院とともに国家公務員法に基づく中央人事行政を担当
- これに伴い、総理府総務長官には国務大臣をもって充てることを法定し、また新たに政務担当の総理府総務副長官を増員した。これにより、総理府総務長官は閣議の陪席者から構成員となり、総理府総務副長官(政務)は閣議の陪席者となるとともに政務次官会議の構成員となった。
- 1982年7月30日、臨時行政調査会(第2次臨調)は総合管理庁(仮称)の設置構想を提言
- 総理府人事局を行政管理庁に移管し、行政機関の人事・組織・定員管理を一元化する構想。
- 総理府人事局のほか恩給局も広義の人事担当部局として移管の対象とし、賞勲局は内閣に移管、総理府は統計局を主体とする。
- 1983年9月2日、総務庁設置を閣議了解
- 臨調提言や橋本案と異なり、人事・恩給の両局以外に統計局や特定施策の総合調整部門も新設庁に合流させる内容。
- 新設庁での総理府出身者の発言力低下を不安視した総理府サイドが巻き返し、大部隊の統計局なども移管の対象に含めたもの。
- 1984年7月1日、総務庁発足に伴い、総理府本府は大臣官房のほか賞勲局のみの小規模化
- これにより、総理府総務長官および総理府総務副長官は廃止し、総理府本府その他の機関(大臣庁は除く)の所管事項の事務は内閣官房長官および内閣官房副長官が監督することとなり、また所管事項を統括する役職として新たに総理府次長が新設された。
- 総務庁には、人事局、恩給局、統計局、交通安全対策室、老人対策室、地域改善対策室、青少年対策本部、北方対策本部が移管された。
- 1999年9月20日、中央省庁再編への移行期において、総理府に総理府政務次官を設置
- 2000年4月1日、中央省庁再編に先駆けて原子力安全委員会の事務局機能が科学技術庁から分離され移管
- 2001年1月6日、中央省庁再編に伴い総理府は内閣府に改組
[編集] 特色
総理府本府(外局を除いたものをいう。)は、総理府の各種機能のうち、総理直轄機能と総合調整機能を有し、内閣総理大臣直属の機関として、事務の性格上総理自らが直轄すべき国の基本に係る事務、その時々の政治判断等により総理自らが直轄すべきと判断した事務を所掌するなど総理直轄機能の中心的役割を担うとともに、内閣官房と一体となって総合調整機能を発揮する点に、他の省等と比べ特徴を有していた。
総理直轄機能としては、
- 事務の性格上総理自らが直轄すべき国の基本に係る事務(元号、栄典)
- その時々の政治判断等により総理自らが直轄すべきと判断した事務(行政改革会議、国際平和協力本部、阪神・淡路復興対策本部)
- 総理が分担管理上の最終責任を負うものとして所掌することとした事務(特定の戦後処理)
等がある。
総合調整機能としては、例として男女共同参画社会の形成の促進、公益法人行政の推進等がある。
内閣総理大臣を補助する機関としては、閣僚を含む内閣そのものの補佐機関である内閣官房があり、総理府本府とは法令上異なる組織であったが、ともに内閣総理大臣を主任の大臣としその管轄下であったことから、両機関は密接な関係にあった。実際、ほぼ同一の所掌事項に関する課・室を両機関に設置し、当該官を併任(例:内閣官房内閣内政審議室長が内閣総理大臣官房内政審議室長を兼務)して一体的に処理することも行われてきた。このほか、中央省庁再編が行われるまでは、総理府本府は総務庁、沖縄開発庁とも一体的に人事を行っていた。
[編集] 歴代の総理府総務長官
- 辞令のある再任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。
- 海外出張時等の一時不在による臨時代理は記載しない。
- 新たに認証官とされた時および国務大臣をもって充てることとされた時は、それぞれ同一人が引き続き就任したが、新制度移行の前日をもっていったん本官を免ぜられ移行当日に改めて任命する措置がとられた。
総理府総務長官 | |||
1 | 今松治郎 | 第1次岸内閣 | 1957年8月1日-1958年6月12日 |
2 | 松野頼三 | 第2次岸内閣 | 1958年6月12日-1959年6月18日 |
3 | 福田篤泰 | 第2次岸内閣 | 1959年6月18日-1960年7月19日 |
4 | 藤枝泉介 | 第1次池田内閣 | 1960年7月19日-1960年12月8日 |
5 | 藤枝泉介 | 第2次池田内閣 | 1960年12月8日-1961年7月18日 |
6 | 小平久雄 | 第2次池田内閣 | 1961年7月18日-1962年7月18日 |
7 | 德安實藏 | 第2次池田内閣 | 1962年7月18日-1963年6月10日 |
総理府総務長官(認証官) | |||
8 | 德安實藏 | 第2次池田内閣 | 1963年6月11日-1963年7月18日 |
9 | 野田武夫 | 第2次池田内閣 | 1963年7月18日-1963年12月9日 |
10 | 野田武夫 | 第3次池田内閣 | 1963年12月9日-1964年7月18日 |
11 | 臼井莊一 | 第3次池田内閣 | 1964年7月18日-1964年11月9日 |
12 | 臼井莊一 | 第1次佐藤内閣 | 1964年11月9日-1965年5月18日 |
総理府総務長官(国務大臣) | |||
13 | 臼井莊一 | 第1次佐藤内閣 | 1965年5月19日-1965年6月3日 |
14 | 安井謙 | 第1次佐藤内閣 | 1965年6月3日-1966年8月1日 |
15 | 森 清 | 第1次佐藤内閣 | 1966年8月1日-1966年12月3日 |
16 | 塚原俊郎 | 第1次佐藤内閣 | 1966年12月3日-1967年2月17日 |
17 | 塚原俊郎 | 第2次佐藤内閣 | 1967年2月17日-1967年11月25日 |
18 | 田中龍夫 | 第2次佐藤内閣 | 1967年11月25日-1968年11月30日 |
19 | 床次德二 | 第2次佐藤内閣 | 1968年11月30日-1970年1月14日 |
20 | 山中貞則 | 第3次佐藤内閣 | 1970年1月14日-1972年7月7日 1971年7月1日-5日の5日間は環境庁長官兼任 1972年5月15日以降、沖縄開発庁長官兼任 |
総理府総務長官(国務大臣)・沖縄開発庁長官兼任 | |||
21 | 本名武 | 第1次田中内閣 | 1972年7月7日-1972年12月22日 |
22 | 坪川信三 | 第2次田中内閣 | 1972年12月22日-1973年11月25日 |
23 | 小坂德三郎 | 第2次田中内閣 | 1973年11月25日-1974年12月9日 |
24 | 植木光教 | 三木内閣 | 1974年12月9日-1976年9月15日 |
25 | 西村尚治 | 三木内閣 | 1976年9月15日-1976年12月24日 |
26 | 藤田正明 | 福田内閣 | 1976年12月24日-1977年11月28日 |
27 | 稲村佐近四郎 | 福田内閣 | 1977年11月28日-1978年12月7日 |
28 | 三原朝雄 | 第1次大平内閣 | 1978年12月7日-1979年11月9日 |
29 | 小渕恵三 | 第2次大平内閣 | 1979年11月9日-1980年7月17日 |
30 | 中山太郎 | 鈴木内閣 | 1980年7月17日-1981年11月30日 |
31 | 田邉國男 | 鈴木内閣 | 1981年11月30日-1982年11月27日 |
32 | 丹羽兵助 | 第1次中曽根内閣 | 1982年11月27日-1983年12月27日 |
33 | 中西一郎 | 第2次中曽根内閣 | 1983年12月27日-1984年6月30日 |
[編集] 廃止時(内閣府移行直前)の組織概要
[編集] 幹部
- 内閣総理大臣
- 内閣官房長官
- 内閣官房副長官3人
- 総理府総括政務次官
- 総理府次長
[編集] 本府の内部部局
- 内閣総理大臣官房(総理府大臣官房は俗称)
- 総理府賞勲局
[編集] 外局
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