内閣官房長官
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内閣官房長官(ないかくかんぼうちょうかん、Chief Cabinet Secretary)は、内閣法に基づき内閣に置かれる内閣官房の長。国務大臣をもって充てられる。
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[編集] 概説
内閣官房長官は、内閣官房の事務を統轄し、内閣の重要な決定事項について調整を行う。また、これら重要事項の報告、様々な事態に対する政府としての公式見解を発表する「政府報道官」としての役割も持ち、マスコミ報道等では内閣総理大臣と並んで国民に対する露出度(認知度)が高い重要ポストである。首相の側近が任命されることが多く、首相の懐刀ともいわれる。
このほか、内閣府設置法の規定に基づき内閣府(大臣庁等及び特命担当大臣の所掌部署を除く。)の事務の総括整理も担当している。
執務室は総理大臣官邸5階にあり、特別職国家公務員である国務大臣秘書官1人が割り当てられている。
[編集] 補佐職
内閣官房長官を補佐する職として次のような官職が置かれている。
[編集] 沿革
[編集] 内閣書記官長(帝国憲法時代)
内閣書記官長は太政官内での大臣・参議の会合を「内閣」と称していた1879年(明治12年)3月12日に発足した。ただし、当時は内閣そのものが法律上の根拠の無い組織体であり、書記官長も非常設の役職であった。
また、書記官長の下には大書記官・少書記官が設置されていた。
- 太政官時代の内閣書記官長
- 中村弘毅(1879年3月12日-1880年4月10日)
- 井上毅(1882年1月28日-1883年7月16日)
- 土方久元(1884年12月16日-1885年7月29日)
- 田中光顯(1885年7月29日-1885年12月22日)(第1次伊藤内閣内閣書記官長として留任)
内閣制度発足(1885年(明治18年)12月22日)と同時に正式な常設職となり、第1次伊藤内閣の書記官長には太政官制での最後の書記官長にあたる田中光顯が引き続き任命された。
当時の職掌は「命ヲ内閣総理大臣ニ承ケ機密ノ文書ヲ管掌シ閣内ノ庶務ヲ統理シ及属以下ノ任免ヲ専行ス(内閣総理大臣の命令により機密文書を管理し、内閣の事務を監督してその職員の人事を担当する)」ものとされていた。
[編集] 内閣官房長官
- 1947年(昭和22年)5月3日 - 日本国憲法の施行に伴い、それまでの内閣書記官長を廃して内閣官房長官が設置される。当時の規定では国務大臣である必要はなく、任命権者である内閣総理大臣の意向により国務大臣からも官僚からも登用された。
- 1963年(昭和38年)6月11日 - 内閣法の一部改正により、いわゆる認証官となり、国務大臣でない者が内閣官房長官に任命される場合も宮中で天皇から認証されることとなる。
- 1966年(昭和41年)6月28日 - 内閣法の一部改正により、内閣官房長官は国務大臣をもって充てることとなる。
- 1984年(昭和59年)7月1日 - 総務庁の設置に伴い、内閣官房に加えて総理府(大臣庁等を除く。)の総括整理をも担当することとなる。
- 2000年(平成12年)4月5日 - 複数の発令方法があり不備が指摘されていた内閣総理大臣臨時代理予定者の指定が、組閣時に第5順位まであらかじめ発令する方式に改められ、原則として内閣官房長官たる国務大臣がその第1順位に指定されることとなる。
- 2001年(平成13年)1月6日 - 中央省庁再編に伴い、総理府に引き続き内閣府(大臣庁等を除く。)の総括整理を担当することとなる。
[編集] 政府首脳
報道において、「政府首脳」という言葉は慣例的に内閣官房長官を指す。これは取材記者との懇談など、公式ではない発言などについて用いられる表現である。
[編集] 最長在任者とその期間
現在、最も長く内閣官房長官を務めたのは福田康夫の1289日間である。2000年10月27日、第2次森内閣に途中入閣し、第2次小泉内閣途中まで在任。2004年5月7日に国会議員の年金未納問題の責任を取る形で辞任した。
[編集] 内閣官房長官の一覧
- 歴代の内閣官房長官を参照。