台湾銀行
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台湾銀行(たいわんぎんこう)
[編集] 日本統治時代
台湾銀行(たいわんぎんこう)は1895年の台湾統治後、日本政府の国策により設置された台湾の中央銀行で、紙幣発行権を持つ特殊銀行であった。1899年に開業、1945年閉鎖された。
台湾における産業の育成、中国への投資などを行った。第一次世界大戦中の戦争景気で投機的な取引を行い莫大な利益を上げた鈴木商店に資金を融通し、この頃から、台湾内の取引額より、日本での取引額が上回った。昭和始めの時点で、総貸出額7億円余りのうち、半分近くの3億5千万円が鈴木商店への貸出しであった。
戦後不況で鈴木商店が危機に陥ると、震災手形で一時しのぐが、膨大な不良債権を抱え、1927年の金融恐慌で休業に陥る。モラトリアムの実施と政府の支援措置によって再建した。
第二次世界大戦後に閉鎖機関に指定され、清算、解散。(昭和20年大蔵外務内務司法省令第1号「外地銀行、外国銀行及び特別戦時機関の閉鎖に関する件」)
なお、国内の残余資産によって日本貿易信用株式会社(現 株式会社日貿信)が設立された。
[編集] 第二次世界大戦後
第二次世界大戦後、1946年に設立された台湾銀行 (Bank of Taiwan、臺灣銀行) は台湾最大の商業銀行。法的な位置づけとしては新設の金融機関であるが、実態としては前述の台湾銀行の後身である。設立当初は国営ではなく台湾省営で、1998年の組織改革により、行政院財政部全額出資の国営銀行となっている。なお、当該の組織改革の時点まで中央銀行の発券業務および国庫業務を受託していたが、台湾銀行はあくまでも商業銀行であり、中央銀行ではなかった。
2007年をめどに、同じく国営の金融機関である中央信託局と合併したうえで株式市場に上場し、民営化される予定である。合併後の資金量は3兆台湾ドル程度となる見込みで、台湾最大の商業銀行としての立場を維持する。