山本高行
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山本高行(やまもと たかゆき 1907年2月28日 - 1961年5月17日)は、日本の官僚。
陸軍中将山本鶴一の子として生まれる。本籍は島根県。大正12年、東京府立第一中学校四修卒業、第一高等学校を経て、昭和4年、東京帝国大学法学部法律学科を経て、商工省入省。昭和13年9月、応召。昭和15年、陸軍主計中尉に。同年9月、商工省に復帰、総務局生産拡充課長。昭和20年6月、軍需省総動員局総務課長。同年11月、商工省終戦連絡部長。戦後の昭和21年9月、経済安定本部部員になる。官房長時代、都留重人、稲葉秀三と共に「安本三派烏」と括られ、当時を代表するエコノミストの一人に数えられる。昭和23年10月、商工省繊維局長、同年11月、総務局長。昭和24年5月、通商産業次官就任。同年6月、商工省改め新制通商産業省初代事務次官に就任。昭和27年3月まで務めた。通商畑や局長級を当時の外務省に握られていたが、次官は旧商工省から出すことになっていた。以後、旧富士製鉄副社長就任。55歳
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