歌会始
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歌会始(うたかいはじめ)は年頭に行われるその年初めての歌会。現在では特に江戸時代の古式を残している宮中歌会始が有名。
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[編集] 宮中歌会始
[編集] 歴史
起源は必ずしも明らかではないが、鎌倉中期には、『外記日記』に亀山天皇期の文永4年(1267年)1月15日に宮中で「内裏御会始」という歌会が行われたと記録されている。江戸時代からはほぼ毎年開催され、少しずつ変化をしながら現在に至る。1874年(明治7年)、国民の詠進も認められるようになり、1882年(明治15年)以降、新聞でも天皇の「御製」や詠進歌が公開されるようになった。現在では在野の歌人に委嘱して選歌の選考がなされるが、戦前までは宮内省に置かれた御歌所において行われていた。
[編集] 現在の概要
今日でも毎年行われ、一定の題にしたがって(兼題の歌会)国民からの詠進歌を募集している(例年、9月30日が締切)。応募された詠進歌の中から選者によって選出された「選歌」の詠進者は皇居に招聘され、宮殿松の間における歌会始の儀にて詠進歌が披講(=読み上げること)される他、官報の皇室事項欄及び新聞等にも掲載される。選歌にならなかった場合も、佳作として新聞等に掲載されるものもある。
現在、歌会始の儀では、まず、天皇皇后の御前で親王以下の詠進歌が以下の順で披講される。
- 選歌(10首、詠進者の年齢の低いものから)
- 選者の詠進歌(選歌を選出する選者のうち代表1人)
- 召人(めしうど―特に天皇から召された者1人)の詠進歌
- 皇族の詠進歌(皇太子及び皇太子妃を除く皇族のうち代表1人)
- 東宮妃(ひつぎのみこのみめ―皇太子妃)の詠進歌
- 東宮(ひつぎのみこ―皇太子)の詠進歌
その後、皇后宮御歌(きさいのみやのみうた―皇后の歌)が2回、御製(おほみうた―天皇の歌)が3回繰り返して講ぜられる。(なお、皇太后があるときは皇后宮御歌に先立って「皇太后宮御歌」が講ぜられる。)
これらの歌を講ずる披講所役は、司会にあたる読師(どくじ・1人)、最初に節を付けずに全ての句を読み上げる講師(こうじ・1人)、講師に続いて第1句から節を付けて吟誦する発声(はっせい・1人)、第2句以下を発声に合わせて吟誦する講頌(こうしょう・4人)からなる。これらの所役は「披講会」という団体に属する旧華族の子孫の人々が式部職嘱託として務める。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 歌会始(宮内庁のページ)
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