東京銀行
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株式会社東京銀行(とうきょうぎんこう、英語名:The Bank of Tokyo, Ltd.)は、かつて存在した日本の銀行。現在の三菱東京UFJ銀行(東京三菱銀行)の前身の一つ。統一金融機関コードは0015を使用していた。コーポレート・カラーは緑色。
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[編集] 概略
日本における唯一の外国為替専門銀行(略称、「為専」)であり、国内の支店数も限られていた(1991年頃の店舗数:東京都20、その他国内13、海外52)が、都市銀行として扱われていた。略称は「東銀」(とうぎん)、自行内や金融業界内では英文呼称を略して「BOT」(ビー・オー・ティー)と呼ぶこともあった(かつて日本興業銀行を「IBJ」、日本長期信用銀行を「LTCB」などと呼んだのに対応している)。
本店は東京都中央区日本橋本石町1丁目にあった。この場所はかっての横浜正金銀行東京支店の位置であるが、日本銀行本店のすぐ隣りでもあり、この銀行が通常の商業銀行とは違う、特殊な銀行であったことを伺わせる。三菱銀行との合併に際して店名は東京営業部へ変更された。その後東京営業部と本店の統合がなされ、預金は本店等に移管(個人取引は原則日本橋支店に移管)され、旧東急百貨店日本橋店脇にあった(旧三菱銀行の)日本橋支店が同地へ移転し、現在は、三菱東京UFJ銀行日本橋支店となっている。
[編集] 沿革
設立は1946(昭和21)年。実質的前身は、戦前における特殊銀行・横浜正金銀行。普通銀行として新規に発足したが、閉鎖機関に指定された横浜正金銀行の資産を引き継いでの開業であった。1954年(昭和29)公布の外国為替銀行法に基づき、日本で唯一の外国為替専門銀行となった。業務の性格上、支店を置くことができるのは貿易至便の地に限られ、移行にあたっていくつかの支店を閉鎖したが、後にはその制約から円資金の調達に支障をきたしたため、日本興業銀行・日本長期信用銀行・日本債券信用銀行・農林中央金庫・商工組合中央金庫などと並んで金融債(3年物の利付金融債・リットーや、1年物の割引金融債・ワリトーが主力商品)を発行することが許可されるに至った(なお、普通銀行であり金融債を発行していなかった三菱銀行との合併に際して、条件として、6年間のみ継続発行が認められたが、当該期間終了後、東京三菱銀行では金融債の発行は行っていなかった)。ちなみに、金融債のCMキャラクターとして、15代目片岡仁左衛門(当時は片岡孝夫)と、その長女で宝塚歌劇団に所属していた汐風幸を起用していた時期がある。(当初は汐風幸単独で、後に親子共演となった。)
比較的、旧大蔵省の影響力が強く、元大蔵省財務官の柏木雄介を頭取(のち会長)として迎えるなど、人的つながりも強く見られた(もっとも、柏木雄介の父は、横浜正金銀行の頭取を務めていたという縁もある)。合併時の会長であり、現在も東銀由来の国際通貨研究所理事長を務める行天豊雄も元財務官である。
[編集] 合併までの事情と経緯など
1970年代までは、主に日系企業の海外進出の支援や国外でのシンジケート・ローン等に強みを発揮していたが、1980年代に入ると中南米向けの不良債権がその体力を急速に衰えさせ、外国為替業務の独占も既に崩れており、その優位性と存在意義は最早ゆるぎないものではなくなっていた。実際、1990年代にかけ、他行との合併の噂が浮かんでは消え、引く手あまたの花嫁候補などと報道されていたこともある。1995年3月末、日本経済新聞により三菱銀行との合併がスクープされ、1996年4月の合併を迎えることとなる。この合併で存続会社となったのは三菱銀行であり、合併比率も持ち株ベースで1:0.8と、事実上三菱銀行に呑み込まれる形で消滅した。(ただし、この合併比率は東銀側に有利な算定であったとも言われる。また、外国為替銀行法に基づき、業務に制約のある東京銀行を存続会社とするのはいずれにせよ現実的ではなかった。)
現在では、当時の海外ネットワークはともかく、企業としてのカルチャーは殆ど残存していないと言われ久しい。しかし、旧東銀出身者の転出先での活躍や、収益性の高いとされる外国為替業務の競争激化、そして「国際性」をグループの特徴としてブランド形成を試みる三菱東京FG(現三菱UFJFG)の戦略もあり、旧東銀に対する評価は見直されつつある。
最後の頭取であり、東京三菱銀行の初代頭取も務めた高垣佑(たすく)は、初代三菱商事社長・高垣勝次郎を父に持ち、生まれながらにして三菱グループびいきの人物との評があった。事実上、東銀の三菱による吸収合併となった東京三菱銀行の誕生は、このような高垣の人的バックグラウンドが大きく作用したと言われる。
旧東銀では、保守的な日本の銀行界にあって女性の登用が比較的進んでいたと言われ、女性が本店営業部長を務めたこともあるが、そのカルチャーが現在の三菱東京UFJ銀行にも残っているかは疑問である。実際、比較的リベラルな社風と言われた同行の旧従業員の中からは、合併後、旧三菱銀行の権威主義的・官僚的社風になじめず、外資系金融機関や国際機関などを中心に、転出・転職者が相次いだのも事実であり、現在では外資系投資銀行の幹部等として活躍している者も多い。(なお旧東京銀行の投資銀行部門関係者が中心になってまとめた『我々は外資に負けなかった―旧東京銀行の挑戦』(ISBN:4915652289)がある。)
三菱銀行との合併の際、旧東京銀行が海外では今なお知名度が高いことから、新銀行名には「東京」が残されて「東京三菱銀行」(Bank of Tokyo-Mitsubishi)になり、現在でも「三菱東京UFJ銀行」(Bank of Tokyo-Mitsubishi UFJ)となっているほか、主に海外との決済などで使われるSWIFTコードは旧東京銀行の本店が使っていた「BOTKJPJT」が引き続き使われている。
[編集] 著名な出身者
- 牛尾治朗(ウシオ電機会長)
- 若林正人(テレビキャスター)
- 本田敬吉(前・日本NCR会長、元・日本サン・マイクロシステムズ会長)
- 務台則夫(松井証券副社長)
- 関岡英之(政治・経済評論家)
- 川本裕子(早稲田大学大学院ファイナンス科教授)
[編集] 現存する旧東京銀行系の三菱東京UFJ銀行関連会社・関連機関
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- クレジットカード会社ながら、外貨両替ショップ「ワールドカレンシーショップ」の運営がメインとなっている。ターミナル駅近郊のデパートや旧東京銀行系支店周辺、MUFGプラザ内に出店している。
- ビザ・ジャパン協会系列でクレジットカードの「東京カード」・「東京三菱カード」(口座引落が旧東京三菱銀行店の場合)を発行している。東京クレジットサービスとの資本的な繋がりは無いが、クレジット業務をビザ・ジャパン株式会社(旧住友銀行および三井住友カードの子会社)に委託している。
- 東銀リース
- 財団法人 国際通貨研究所(非営利法人)