三川軍一
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三川 軍一(みかわ ぐんいち、1888年8月29日 - 1981年2月25日)は、大正・昭和期の大日本帝国海軍の軍人。最終階級は海軍中将。広島一中を経て、海兵38期。広島県出身。
1929年から国際連盟海軍代表随員、フランス大使館付武官としてフランスに駐在する。帰国後は重巡青葉、重巡鳥海、戦艦霧島の艦長を歴任し、1936年に第二艦隊参謀長に着任する。
太平洋戦争開戦時は第三戦隊司令官として、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦などの主要な海戦に参加。1942年7月に第八艦隊司令長官に着任、第一次ソロモン海戦を指揮し、勝利を収める。
第八艦隊司令長官のあと、航海学校長、第二南遣艦隊司令長官、南西方面艦隊司令長官、第十三航空艦隊司令長官、第三南遣艦隊司令長官を歴任、1945年5月に予備役に編入された。
[編集] 略歴
- 1910年7月 - 海軍兵学校卒業(38期)
- 1913年12月 海軍中尉に昇進・水雷学校普通科学生
- 1914年5月 砲術学校普通科学生
- 1916年 - 海軍大尉に昇進、海軍大学校乙種学生(航海)
- 1917年5月 海軍大学校専修学生
- 1918年3月 - フランスに派遣される
- 1922年12月 - 海軍少佐へ昇進
- 1924年11月 - 海軍大学卒業(甲種22期)
- 1928年12月 - 再度フランスに派遣後、国際連盟海軍代表随員(1929)
- フランス大使館付武官(1930)を歴任
- 1930年12月 - 海軍大佐へ昇進
- 1931年12月1日 - 海軍兵学校教頭に就任
- 1936年12月1日 - 海軍少将へ昇進 - 第二艦隊参謀長就任
- 1937年11月15日 - 軍令部第二部長に就任
- 1939年11月15日 - 第七戦隊司令官に就任
- 1940年11月1日 - 第五戦隊司令官に就任
- 1940年11月15日 - 海軍中将へ昇進
- 1941年9月6日 - 第三戦隊司令官に就任
- 1941年12月8日 - 真珠湾攻撃に参加
- 1942年1月20日~22日 ラバウル・カビエン攻略支援に参加
- 1942年3月 ジャワ海掃討戦に参加
- 1942年4月 インド洋作戦セイロン沖海戦に参加
- 1942年6月5日~7日 - ミッドウェー海戦に参加
- 1942年7月14日 - 第八艦隊司令長官に就任
- 1942年8月 - 第一次ソロモン海戦に参加
- 1942年11月12日~15日 - 第三次ソロモン海戦に参加
- 1943年4月20日 - 航海学校校長に就任
- 1943年9月3日 - 第二南遺艦隊司令長官に就任
- 1944年6月 - 南西方面艦隊司令長官兼第13航空艦隊司令長官に就任
- 1944年8月 - 第三南遺艦隊司令長官に就任
- 1944年11月1日 - 軍令部出仕
- 1944年12月 - 「S事件調査委員会」(信濃が米潜水艦アーチャーフィッシュの雷撃に撃沈された件)委員長
- 1945年1月 - 待命
- 1945年5月21日 - 予備役編入