陸軍省
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陸軍省(りくぐんしょう)は、日本の第二次世界大戦以前の行政官庁各省の中の一つである。軍政統治機関。長は陸軍大臣、尚、陸軍大臣は参謀総長・教育総監と共に陸軍三長官の一つであった。
陸軍軍政事務は一般国務に関する軍政事務として兵役行政、経理事務、徴発事務などがあり、統帥及び編成事項に関する軍政事務としては平時編制、動員計画、要塞兵備があった。軍令は天皇直属の参謀本部があたる。
1872年(明治5年)に兵部省から海軍省とともに分離され、設置される。太政大臣の統制化に軍政、軍令を統轄する。1878(明治11)年に参謀本部が設立され、軍政統治機関となる。軍部大臣の現役武官制を持ち、統帥権が独立すると軍部に発言権を持つ。
1945年12月1日付けを以て陸軍省は第一復員省に改組(「第一復員省官制」(昭和20年11月30日勅令第675号))、1946年6月14日に第二復員省(元海軍省)と統合して復員庁となり、1947年10月に廃止された。
現在、陸軍省の残務処理は厚生労働省により、行われている。
目次 |
[編集] 陸相・内部部局
[編集] 陸軍大臣
補職日 | 首相 | 氏名 | 備考 |
1885年(明治18年)12月22日 | 伊藤博文(第1次) | 大山巌 | 内閣官制が定められ陸軍省の長が陸軍大臣(国務大臣)となる。 |
明治24年5月17日 | 松方正義(第1次) | 高島鞆之助 | |
明治25年8月8日 | 伊藤博文(第2次) | 大山巌 | |
明治27年 | 西郷従道 | ||
明治28年 | 山県有朋 | ||
明治28年 | 西郷従道 | ||
明治29年9月20日 | 松方正義(第2次) | 高島鞆之助(兼任) | |
明治31年1月12日 | 伊藤博文(第3次) | 桂太郎 | |
明治33年12月23日 | 伊藤博文(第4次) | 児玉源太郎(兼任) | |
明治35年3月27日 | 桂太郎(第1次) | 寺内正毅 | 日露戦争を処理する。 |
明治44年8月30日 | 西園寺公望 | 石本新六 | 工兵科出身。薩長出身者以外で初の陸相就任。陸軍士官学校士官生徒出身で初の陸相就任。明治45年4月2日、在職中に死去。 |
明治45年4月5日 | 西園寺公望 | 上原勇作 | 工兵科出身。2個師団増設問題で所謂「陸軍のストライキ」を行い西園寺内閣を倒閣する。 |
大正元年12月21日 | 桂太郎 | 木越安綱 | |
大正2年6月24日 | 山本権兵衛(第1次) | 楠瀬幸彦 | 砲兵科出身。 |
大正3年4月16日 | 大隈重信(第2次) | 岡市之助 | |
大正5年3月30日 | 大隈重信(第2次) | 大島健一 | 砲兵科出身。 |
大正7年9月29日 | 原敬 | 田中義一 | |
大正10年6月9日 | 原敬 | 山梨半造 | 原内閣の途中から入閣する。山梨軍縮を行う。 |
大正12年9月2日 | 山本権兵衛 | 田中義一 | |
大正13年1月7日 | 清浦奎吾 | 宇垣一成 | 陸軍士官学校士官候補生第1期出身の陸相就任。宇垣軍縮を行う。 |
昭和2年4月20日 | 田中義一 | 白川義則 | 山東出兵を処理する。 |
昭和4年7月2日 | 浜口雄幸 | 宇垣一成 | |
昭和6年4月14日 | 若槻礼次郎(第2次) | 南次郎 | 騎兵科出身で唯一の陸相就任。 |
昭和6年12月13日 | 犬養毅 | 荒木貞夫 | |
昭和9年1月23日 | 斎藤実 | 林銑十郎 | |
昭和10年9月5日 | 岡田啓介 | 川島義之 | 二・二六事件を処理する。 |
昭和11年3月9日 | 広田弘毅 | 寺内寿一 | |
昭和12年2月2日 | 林銑十郎 | 中村孝太郎 | 7日間のみの短期陸相。 |
昭和12年2月9日 | 林銑十郎 | 杉山元 | |
昭和13年6月3日 | 近衛文麿(第1次) | 板垣征四郎 | |
昭和14年8月30日 | 阿部信行 | 畑俊六 | 砲兵科出身。 |
昭和15年7月22日 | 近衛文麿(第2次) | 東条英機 | 後に首相や参謀総長兼任。 |
昭和19年7月22日 | 小磯国昭 | 杉山元 | |
昭和20年4月7日 | 鈴木貫太郎 | 阿南惟幾 | 終戦の大詔が煥発される。昭和20年8月14日に自決。 |
昭和20年8月17日 | 東久邇宮稔彦王 | 東久邇宮稔彦王(兼任) | 終戦直後の混乱した陸軍の統制を図るため、首相が陸士同期(第20期)で信頼の厚い下村定大将を陸相に推すことを決めるが、下村大将が満州にあったため帰国するまでの間を首相自身が兼任した。 |
昭和20年8月23日 | 東久邇宮稔彦王 | 下村定 | 砲兵科出身。陸軍解体を処理する。昭和20年12月1日に陸軍省廃止。 |
[編集] 軍馬局
軍馬局は明治7年3月31日に「軍馬局条例」に基づき設置され、軍馬の調教等の馬政業務を掌った。支部として東京に第一厩、仙台に第二厩を設けた。明治19年3月1日を以って廃止され、所掌事務は騎兵局第三課が引き継いだ。
[編集] 歴代軍馬局長
- 白戸隆盛:明治7年3月31日 - 明治8年11月14日
- (兼)黒川通軌:明治8年11月14日 - 明治13年4月29日
- 佐野延勝:明治13年4月29日 - 明治19年3月1日
[編集] 軍務局
明治23年3月に設置され、昭和20年12月の陸軍省廃止まで存続した。主たる所掌事務は国防政策・陸軍建制・編制計画・動員計画・予算に関する事項、軍需行政や国家総動員体制等多岐にわたり陸軍に関する行政、所謂軍政は主にこの局から発せられた。明治5年2月兵部省を陸海軍省と分割した際にも軍務局はあったが、その時は主に歩兵・騎兵の兵科に関する事項を取り扱っていた。明治6年4月に第2局と改め、明治12年10月には人員局と改称された。この頃は専ら後の人事局が掌る事務を行っており、明治23年3月に設置された軍務局との連続性はない。明治5年2月の秘史局とその後身である明治6年4月の第一局は所掌事務が「通報・軍務関係」でそれを引き継いだ明治12年10月の総務局が本来の前身で、総務局創設時の所掌事務は「庶務・徴兵・制規」だった。然し、明治23年3月の官制改正まで陸軍省では各兵科別に事務を執り行っていたが、それらを全て廃し事務は軍務局が掌った為所掌事務の上ではどの局とも連続していない。
軍務局は帝国議会との折衝も行っていたが、昭和13年3月3日当時の軍務局軍務課国内班長の佐藤賢了中佐が野次に対し「黙れ!」と一喝した所謂「黙れ事件」がある。これは時の陸軍大臣杉山元大将が謝罪することで決着するが、佐藤中佐は後に中将に進級し軍務局長に就任する。戦後連合国側からA級戦犯に指名されるが、これは先の黙れ事件も原因の一つと言う。
- 明治23年3月27日 軍務局創設、第1軍事課・第2軍事課・馬政課・獣医課・砲兵事務課創設、工兵局を工兵事務課として編入
- 明治29年5月9日 工兵事務課を工兵課に、砲兵事務課を砲兵課に改称
- 明治30年9月3日 兵器課を新設、馬政課を騎兵課に、第1軍事課を軍事課に、第2軍事課を歩兵課に改称
- 明治33年5月 兵器課を廃止
- 明治36年5月1日 獣医課廃止
- 大正8年4月12日 航空課創設
- 大正15年10月1日 兵務課・兵備課・徴募課・防備課創設、航空課・歩兵課・工兵課・砲兵課を廃止、騎兵課を馬政課に改称
- 昭和11年8月1日 軍務課を創設、兵務課・兵備課・防備課・馬政課を兵務局へ移行、徴募課を人事局へ移行
- 昭和20年4月28日 整備局より戦備課移行
[編集] 歴代軍務局長
※氏名前の括弧は夫々(心)は心得、(扱)は事務取扱、(兼)は兼職を表す。
- (兼)桂太郎:明治23年3月27日(陸軍次官)
- (兼)岡沢精:明治24年6月1日(陸軍次官)
- (兼)児玉源太郎:明治25年8月23日(陸軍次官)
- (兼)中村雄次郎:明治31年1月14日(陸軍次官)
- 木越安綱:明治33年4月25日
- (兼)中村雄次郎:明治34年2月18日(陸軍総務長官)
- 宇佐川一正:明治35年4月17日
- 長岡外史:明治41年12月28日
- 岡市之助:明治43年6月1日
- 田中義一:明治44年9月1日
- 柴勝三郎:大正元年12月26日
- 山田隆一:大正4年6月4日
- 奈良武次:大正5年3月31日
- 菅野尚一:大正7年12月17日
- 畑英太郎:大正11年2月8日
- 阿部信行:大正15年7月28日
- 杉山元:昭和3年8月10日
- 小磯國昭:昭和5年8月1日
- 山岡重厚:昭和7年2月29日
- 永田鉄山:昭和9年3月5日 - 昭和10年8月12日(在職中に死去。相沢事件参照)
- 今井清:昭和10年8月13日
- 磯谷廉介:昭和11年3月21日
- 後宮淳:昭和12年3月1日
- 町尻量基:昭和12年10月5日
- 中村明人:昭和13年4月14日
- 町尻量基:昭和13年11月21日
- (扱)山脇正隆:昭和13年12月29日(陸軍次官)
- 町尻量基:昭和14年1月31日
- 武藤章:昭和14年9月30日
- 佐藤賢了:昭和17年4月20日
- 真田穣一郎:昭和19年12月14日
- 吉積正雄:昭和20年3月27日
[編集] 人事局
明治5年に陸軍省が創設された際には兵科別に局が作られ、人事は夫々別々に行っていた。明治12年10月の官制改正で人員局が創設され、所掌事務は「将官、参謀並びに歩兵、騎兵、憲兵、輜重兵の各兵科及び獣医部、軍楽部の人員調査」であったが砲兵局・工兵局ともに人員課を持ち、人事については統一されていなかった。明治19年3月に人員局が廃止され人事については総務局第四課が掌った。この時には権限が全軍人に亘るが、騎兵局・砲兵局・工兵局では別個に人員調査を掌り将校名簿を管理していた。翌年6月には人事課に改称され、明治23年3月各兵科別の局が廃止され軍務局に一本化され、人事については大臣官房人事課が一括して掌握した。明治33年5月初めて人事局が創設された。所属課は補任課と恩賞課。この体制が長く続いたが、昭和11年8月、徴募課が新設された。昭和13年新たに功績調査部が設置された。昭和14年には先の徴募課が兵務局兵備課に移管され、1部2課体制で終戦を迎える事となる。昭和20年11月30日に陸軍省が廃止され、外地の軍人及び邦人の引揚に係る第一復員省に改組されるが、陸軍省人事局は業務局として残った。これは復員庁に改組縮小されても第一復員局業務部として残った。
- 明治33年5月20日:人事局創設、補任課・恩賞課を置く
- 昭和11年8月1日:徴募課新設
- 昭和13年7月15日:功績調査部を新設
- 昭和14年1月16日:徴募課を兵務局へ移管
[編集] 歴代人事局長
- 階級は就任時のもの。
- 前身の人事課長も掲げた。
- 総務局第四課長
- 沖原光孚:明治19年3月1日
- 総務局人事課長
- 沖原光孚:明治20年6月3日
- 大臣官房人事課長
- 沖原光孚:明治23年3月28日/中佐
- 田村寛一:明治24年6月18日/大佐
- 村山邦彦:明治27年10月25日/中佐
- 真鍋斌:明治28年3月18日/大佐
- 山内長人:明治30年7月12日/大佐
- 新井晴簡:明治30年9月28日/大佐
- 中岡黙:明治31年2月2日/大佐
- 人事局長
- 中岡黙:明治33年5月20日/大佐
- 本郷房太郎:明治38年9月7日/少将
- (扱)石本新六:明治42年9月3日/中将(陸軍次官)
- 山田忠三郎:明治42年11月30日/少将
- 河合操:明治45年4月12日/少将
- 菊池慎之助:大正4年1月25日/少将
- 白川義則:大正5年8月18日/少将
- 竹上常三郎:大正8年1月15日/少将
- 長谷川直敏:大正12年8月6日/少将
- 川島義之:大正15年3月2日/少将
- 古荘幹郎:昭和4年8月1日/少将
- 中村淳六郎:昭和7年2月29日/少将
- 今井清:昭和10年3月15日/中将
- 後宮淳:昭和10年8月13日/少将
- 阿南惟幾:昭和12年3月1日/少将
- 飯沼守:昭和13年11月9日/少将
- 野田謙吾:昭和14年10月2日/少将
- 富永恭次:昭和16年4月10日/少将
- (扱)富永恭次:昭和18年3月11日/中将(陸軍次官)
- 岡田重一:昭和19年7月28日/少将
- 額田担:昭和20年2月1日/少将
[編集] 兵器局
日露戦争に辛勝した日本は、兵器の研究・改良の必要性から明治41年12月に兵器局を設置する。始め銃砲課・器材課の二課を管掌していた。外局の陸軍技術審査部、陸軍兵器廠、砲兵工廠及び陸軍火薬研究所も所管した。大正7年6月には工政課を新設し軍需工業動員について管掌した。かねてから兵器に関する行政・実務は陸軍省兵器局・陸軍技術本部・陸軍兵器廠が執り行っていたが、内局か外局と言う立場があるものの何れも陸軍大臣の下に位置し並列で在った為、一元化を図り昭和17年10月これらを統合し新たに陸軍省の外局として兵器行政本部に改編した。
- 明治41年12月21日:兵器局新設、銃砲課・器材課を置く
- 大正7年6月6日:工政課を置く
- 大正15年9月30日:工政課を廃止
- 昭和11年8月1日:器材課を廃し、機械課を置く
- 昭和16年4月10日:器材課が復活
- 昭和17年10月15日:兵器行政本部に改組
[編集] 歴代兵器局長
- (心)島川文八郎:明治41年12月21日/大佐
- 島川文八郎:明治42年1月28日/少将
- 筑紫熊七:大正2年7月3日/少将
- 渡辺満太郎:大正6年8月6日/少将
- 筑紫熊七:大正7年11月1日/中将
- 吉田豊彦:大正10年5月5日/少将
- 大橋顧四郎:大正13年2月4日/少将
- 岸本綾夫:昭和3年8月10日/少将
- 植村東彦:昭和5年8月1日/少将
- 多田礼吉:昭和9年8月1日/少将
- 木村兵太郎:昭和11年8月1日/少将
- 菅晴次:昭和14年3月9日/少将
[編集] 整備局
大正15年10月に新設された整備局は大正9年8月に設置された外局の作戦資材整備会議を前身とする。同会議は戦用資材整備・補給や、戦略戦術教育以外の諸般に亘る事項を審議し、陸軍大臣に意見具申を行った。議長は陸軍次官が、副議長は軍務局長が兼ねた。この会議に大正11年4月より臨時軍事調査委員会の業務の一部を継承した。臨時軍事調査委員会は列国の軍事事情調査の為に設けられた官制外の組織で、後に軍事調査部・調査部と名を変え、新聞班・調査班を管轄した。作戦資材整備会議は国家総動員体制の確立の為大正15年10月の官制改正により整備局として改編された。局長には会議幹事長が就任し、動員課と統制課が置かれた。召集・動員、軍需工業の指導、軍需品の統制・補給・製造について管轄した。昭和11年8月には動員・統制の二課が廃止され新たに整備課・戦備課が設置された。所掌事務に陸軍軍需審議会の管轄が加わり、軍需動員体制について強化された。その後数度、課の改編を経て昭和20年4月業務を軍務局・兵務局・陸軍燃料本部に移して整備局は廃止された。
- 大正9年8月10日:作戦資材整備会議を設置
- 大正15年10月1日:整備局新設、動員課・統制課を置く
- 昭和11年8月1日:動員課・統制課を廃止、戦備課・整備課を置く
- 昭和14年1月16日:整備課を廃止、工政課・資源課・交通課を置く
- 昭和16年4月10日:資源課を燃料課と改める。
- 昭和17年10月9日:工政課を廃止
- 昭和20年4月28日:整備局廃止、業務を軍務局・兵務局・陸軍燃料本部へ移管
[編集] 歴代整備局長
- 作戦資材整備会議幹事長
- 小泉六一:大正9年8月10日/少将
- 川島義之:大正12年8月6日/少将
- 松木直亮:大正14年5月1日/少将
- 整備局長
- 松木直亮:大正15年10月1日/少将
- 小磯國昭:昭和4年8月1日/少将
- 林桂:昭和5年8月1日/少将
- 山岡重厚:昭和9年3月5日/少将
- 山脇正隆:昭和10年12月12日/少将
- 上月良夫:昭和13年7月15日/少将
- 山田清一:昭和14年9月12日/少将
- 吉積正雄:昭和17年4月24日/少将
- (兼)吉積正雄:昭和20年3月27日/中将(軍務局長)
[編集] 兵務局
兵務局は、昭和11年8月1日に新設された。昭和11年2月には青年将校のクーデター「二・二六事件」が起こり、軍紀・風紀の監督部署として軍務局から分離・独立した。当時の所属課は兵務課・防備課・馬政課。主な所掌事務は軍紀・風紀に関する事項、典範令に関する事項(軍部内に係る規則の事で正しくは典令範だが、典範令(てんぱんれい)と呼び慣わした。)についての事項や、要塞地帯・国防用土地に関する事項、軍馬の管理に関する事項等。風紀についても取り扱っていた事から終戦後の昭和20年11月に新たに規律課が新設された。
- 昭和11年8月1日:兵務局新設、所属課は兵務課・防備課・馬政課。
- 昭和14年1月16日:防備課廃止、兵備課・防衛課新設
- 昭和17年10月15日:獣医課新設
- 昭和20年4月27日:馬政課・防衛課・獣医課廃止
- 昭和20年11月9日:規律課新設
[編集] 歴代兵務局長
※就任階級は那須義雄の大佐で就任した"心得"を除き陸軍少将。
- 阿南惟幾:昭和11年8月1日
- 飯田祥二郎:昭和12年3月1日
- 今村均:昭和13年1月27日
- 中村明人:昭和13年11月21日
- 石本寅三:昭和15年3月9日
- 田中隆吉:昭和15年12月2日
- (心)那須義雄:昭和17年10月1日
- 那須義雄:昭和18年3月1日
[編集] 経理局
経理局は明治5年2月27日陸軍省創設の際に設けられた会計局が前身で、明治6年3月に第五局と改称するが、明治12年10月会計局に復し、明治24年8月16日に経理局へ改称した。終戦時には主計課・建築課・衣糧課の3課で構成された。局長は主計中少将、課長は主計大佐が補任された。経理局は陸軍省が第一復員省に改組されてもほぼそのまま残り、最後の局長森田親三主計中将がそのまま局長についた。第一復員省が第二復員省と統合し復員庁に縮小されると内局第一復員局の経理部となった。
- 明治5年2月27日:陸軍省創設に際し、会計局が設けられる
- 明治6年3月24日:陸軍省職制が改正され会計事務を掌る第五局が置かれる。
- 明治12年10月10日:陸軍省達乙第72号により第五局が会計局と改められる。
- 明治24年8月16日:会計局を経理局と改める。
- 明治33年5月20日:経理局に主計課・建築課・被服課・糧秣課を置く。
- 明治36年5月1日:糧秣課と被服課を統合し衣糧課を置く。
- 明治36年11月30日:勅令第182号により陸軍監督総監を陸軍主計総監(中将相当官)と改める。
- 大正13年12月20日:監査課を置く。
- 昭和20年4月27日:監査課を廃止する。
[編集] 歴代経理局長
- 日付は就任日、その後の階級は就任時、括弧内は備考
- 氏名前の括弧は夫々(心)は心得、(扱)は事務取扱、(兼)は兼職を表す。
- 会計局長
- 船越衛:明治5年2月27日/陸軍大丞(前職は兵部省会計局長)
- 第五局長
- 津田出:明治6年3月29日/陸軍少将(明治7年7月から陸軍会計監督長を兼ねる。後に貴族院議員)
- 会計局長
- 田中光顕:明治12年10月14日/陸軍会計監督長(後に、宮内大臣・陸軍少将)
- 川名祐名:明治14年10月31日/陸軍会計監督長
- (心)野田豁通:明治24年4月15日/陸軍一等監督(明治30年4月8日任監督総監、後に男爵・貴族院議員)
- 野田豁通:明治24年6月1日/陸軍監督長
- 経理局長
- 野田豁通:明治24年8月16日/陸軍監督長
- 外松孫太郎:明治34年4月15日/陸軍監督監(明治38年8月29日任陸軍主計総監、後に男爵・貴族院議員)
- 辻村楠造:明治42年8月1日/陸軍主計監(大正2年3月4日任陸軍主計総監)
- 隈徳三:大正3年5月11日/陸軍主計監(大正3年8月8日任陸軍主計総監)
- 田中政明:大正7年7月19日/陸軍主計監(大正7年7月24日任陸軍主計総監)
- 三井清一郎:大正12年10月10日/陸軍主計総監(後に貴族院議員)
- 中村精一:昭和3年12月21日/陸軍主計監
- 小野寺長治郎:昭和6年8月1日/陸軍主計監(後に貴族院議員)
- 平手勘次郎:昭和9年8月1日/陸軍主計総監
- 石川半三郎:昭和12年8月14日/陸軍主計監
- 栗橋保正:昭和16年3月1日/陸軍主計少将(昭和16年8月任陸軍主計中将)
- 森田親三:昭和20年7月5日/陸軍主計中将(昭和20年12月 - 昭和21年6月第一復員省経理局長)
[編集] 医務局
軍医・衛生に関する事項を所管する。
補職日 | 職名 | 階級位階勲等功級 | 氏名 | 前職 | 出身 | 経歴 |
明治15年9月25日 | 陸軍軍医本部御用掛 | 陸軍軍医総監 | 松本順 | 静岡県士族 | ||
明治18年5月21日 | 陸軍軍医本部長 | 陸軍軍医総監従五位勲三等 | 橋本綱常 | 福井県士族 | 任陸軍軍医総監と同日に補陸軍軍医本部長。 | |
明治19年3月1日 | 軍医局長 | 陸軍軍医総監従四位勲三等 | 橋本綱常 | 陸軍軍医本部長 | 福井県士族 | 明治23年10月4日に予備役。 |
明治23年10月7日 | 軍医局長 | 陸軍軍医総監正五位勲三等 | 石黒忠悳 | 新潟県 | ||
明治30年9月28日 | 軍医局長 | 陸軍軍医監正五位勲三等 | 石坂惟寛 | 第四師団軍医部長 | 岡山県士族 | |
明治31年8月4日 | 軍医局長 | 陸軍軍医監従五位勲六等功四級 | 小池正直 | 山形県士族 | ||
明治40年11月13日 | 軍医局長 | 陸軍軍医総監正四位勲二等功三級医学博士文学博士 | 森林太郎 | 島根県士族 | (作家・森鴎外) | |
大正5年4月13日 | 軍医局長 | 陸軍軍医総監従四位勲二等功四級 | 鶴田禎次郎 | 佐賀県士族 | ||
大正12年3月17日 | 軍医局長 | 陸軍軍医総監正五位勲二等功四級 | 山田弘倫 | 陸軍軍医学校長 | 岡山県士族 |
[編集] 法務局
明治21年11月の官制改正で新たに法官部が設置された。法務局はこの法官部を前身とし明治33年5月に設置された。法務局は課に分けられず、合わせて10数名(昭和11年8月には高等文官5名と判任文官6名)の局員しかいなかった。陸軍刑法その他軍令規の運用及び高等軍法会議及び師団軍法会議並びに各種特設・臨時軍法会議ついて管掌した。初代法官部長の桂太郎・初代法務局長の中村雄二郎は共に兵科将校で、軍として法律部門は扱ったものの、所属する官吏は全て軍人ではなく「陸軍法務官」と称する陸軍文官で軍属の扱いであった。昭和17年4月各部の将校として法務部が設置され、法務中将から法務少尉が設けられ、将校相当官となる。この他法事務将校もあった。陸軍省法務局は省の第一復員省の改編後も残り、復員庁に縮小後も第一復員局法務調査部として存続する。
[編集] 歴代法務局長
- 法官部長
- (兼)桂太郎:明治21年11月16日/少将(陸軍次官の兼職)
- 渡辺央:明治23年6月7日/少将
- (兼)児玉源太郎:明治26年4月12日/少将(陸軍次官の兼職)
- 井上義行:明治29年5月20日/文官(在職中に死去)
- (兼)中村雄二郎:明治32年12月27日/少将(陸軍次官の兼職)
- 法務局長
- (兼)中村雄二郎:明治33年5月20日/少将(陸軍総務長官の兼職)
- (兼)石本新六:明治35年4月17日/少将(陸軍総務長官の兼職)
- 志水小一郎:明治38年12月28日/文官(後に貴族院議員)
- 松本慶次郎:大正10年3月30日/文官
- 中山庸次郎:大正13年2月15日/文官
- 鈴木直太郎:昭和4年12月21日/文官
- 大山文雄:昭和7年12月19日/文官
- 藤井喜一:昭和20年4月1日/法務中将
- 大山文雄:昭和20年11月8日/法務中将(昭和20年12月1日から第一復員省法務局長、昭和21年6月15日より復員庁第一復員局法務調査部長)
[編集] 外局等
- 陸軍築城部:明治30年9月15日設置。
- 陸軍運輸部:明治37年4月1日設置
- 陸軍航空本部:大正4年1月30日設置の陸軍航空部が前身。大正14年4月28日改編
- 陸軍造兵廠:大正12年4月1日設置。昭和15年4月1日陸軍兵器本部に改編統合。
- 船舶司令部:昭和12年7月設置の第1船舶輸送司令部、昭和15年6月に改称して船舶輸送司令部となったものを昭和17年7月9日改称
- 陸軍兵器本部:陸軍造兵廠等を統合・改編して昭和15年4月1日設置
- 陸軍機甲本部:昭和16年4月10日設置
- 陸軍兵器行政本部:昭和17年10月15日、兵器本部等を改編
- 陸軍燃料本部:昭和19年3月11日設置。
- 陸軍陸運部:昭和20年6月16日設置。
- 軍馬補充部:
- 陸軍恤兵部:長は恤兵監で人事局恩賞課長の兼務。出征兵士への慰問に関する業務。
[編集] 関連項目
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