牛場信彦
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牛場信彦(うしば のぶひこ 1909年11月16日-1984年12月31日)は、日本の外交官、閣僚。
[編集] 来歴・人物
東京府立一中、第一高等学校を経て、昭和7年、東京帝国大学法学部卒業。同年、外務省入省。戦時中は枢軸支持の外交官として活躍した。戦後、新制・通商産業省通商局長に就任。以後、外務省経済局長、駐カナダ大使、外務審議官、事務次官を歴任した。昭和45~48年(1970年~1973年)、沖縄返還交渉、日米繊維摩擦の交渉大詰めの時代に駐米大使を務め、全米50州余りを相互理解促進のため講演行脚に勤しんだ。昭和52年(1977年)には、福田内閣にてその識見・人望の厚さを買われ、対外経済担当大臣に就任、欧米との経済摩擦緩和に東奔西走した。
昭和59年(1984年)、日米諮問委員会(日米賢人会議)では、日本側代表を務めた。1984年12月31日没。享年75歳。兄に近衛文麿秘書官を務めた牛場友彦がいる。
[編集] 著作
- 『自由化読本』(時事通信社, 1960年, 共著)
- 『日本経済外交の系譜――新たな世界的展望を求めて』(朝日イブニングニュース社, 1979年, 対談)
- 『牛場信彦 経済外交への証言』(ダイヤモンド社, 1984年)
- 『外交の瞬間――私の履歴書』(日本経済新聞社, 1984年)
[編集] 参考文献等
- 「CD現代日本人名録 物故者編1901-2000」