ニッポン放送
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種類 | 株式会社 |
略称 | LF |
本社所在地 | 100-8439 東京都千代田区有楽町1-9-3 |
電話番号 | 03-3287-1111(代表) |
設立 | 2006年4月1日 |
業種 | 放送事業 |
事業内容 | 放送法に基づく一般放送事業(AMラジオ放送)ほか |
代表者 | 代表取締役社長 磯原裕 |
資本金 | 4億8000万円 |
売上高 | 292億600万円(2005年3月期) |
従業員数 | 187人(2006年4月1日現在) |
主要株主 | フジテレビジョン100% |
外部リンク | http://www.jolf.co.jp/ |
特記事項:設立日に株式会社ニッポン放送ホールディングス(旧ニッポン放送、現在はフジテレビジョンに吸収合併)より放送免許を継承した |
株式会社ニッポン放送(ニッポンほうそう)は関東広域圏を放送対象地域とするラジオ局である。英称はNippon Broadcasting System, Incorporated。略称,呼称はコールサインからLF(ただし、設立から1967年9月30日までの略称はNBS)。
目次 |
[編集] 会社概要
- 産業経済新聞社やフジテレビジョンとともにフジサンケイグループを構成する中核企業である。文化放送と長く提携関係にあり、文化放送とともにラジオネットワーク「NRN」のキー局を務めている。
- もともとフジテレビの親会社的な存在であったが、2005年1月17日よりフジテレビによる子会社化を目的に株式公開買い付け(TOB)が実施される。同時期にインターネット関連会社ライブドアが、経営権奪取を目的として大量のニッポン放送株式を取得したが、同社との間で4月18日和解が成立し、9月1日にフジテレビの完全子会社になった。この件はさまざまな問題提起を残した。詳しくはニッポン放送の経営権問題を参照のこと。
- 「オールナイトニッポン」のキー局として全国的には知られているが、リスナーからはしばしば葉書やお便りで「ニッポン放送」を漢字で「日本放送」と誤記されるため(これは創立時の社名である)、「ニッポンはカタカナでお願いします!」と言った後で、ニッポン放送の郵便番号を述べて葉書を募集する手順が通例である。その理由として、日本テレビや日本テレビ系の中波ラジオ局ラジオ日本(JORF)、NHKの国際放送「ラジオ日本」と混同されることが挙げられる。そのため外回りレポートの際には「ラジオのニッポン放送ですが」と言うことが多かったが、2005年の事件で一躍有名となって以降は、前記のことを言わなくなった。
[編集] 放送局概要
- 送信所 千葉県木更津市椿318番地
- 周波数 1242kHz(ステレオ放送)
- 出力 100kW
- 開局 1954年7月15日(旧法人(現・フジテレビジョン)により)
- 設立 2006年4月1日(フジテレビの完全子会社となる手続による会社分割で、現在の法人を設立したため 旧法人設立は1954年4月13日)
- コールサイン JOLF
- 資本金 4億8000万円
- 代表取締役社長 磯原裕
- 原則として5:00起点の24時間放送(現在は日曜深夜1:00~月曜早朝5:00 ただし毎月第1週は日曜深夜~翌朝月曜日4時まで休止)。
- レコード・CDの所有枚数は約22万枚。これはNHKについで多く、民放では最多である。
- 日本電気が設立以来の大株主であることから、送信機器についても代々NEC製を使用している。
[編集] 時報
- 時報音は開局以来現在まで鳩時計を模した特徴的なものを使用している。1992年3月15日よりAMステレオに対応したものに変更された。
- 「ピ(L)ポ(R)、ピ(L)ポ(R)、ピ(L)ポ(R)、ポーン(中央)」(ラ単音)
[編集] 送信所
[編集] 木更津送信所
- 送信アンテナ 120m支線式トラス鉄柱 サブ60m支線式トラス鉄柱 (施工電気興業)
- 旧送信機(1994年春まで) BN-7252V(NEC) MB-136C(NEC)いずれも真空管式
- 現送信機(1994年3月本格運用)MBT9050A 50kW ディジタル固体式(NEC)×2 MBT9100A(NEC)
- プリエンファシス OPTIMOD-AM4300(オーバン) OPTIMOD-AM9100B(オーバン)
- AMステレオエキサイタ AX-10(ブロードキャスト・エレクトロニクス)
- 非常時用発電機 350KVA(三菱)
- 備考
1971年、100kW増力に伴い足立区から木更津市に移った。足立では1310kHz(kc)で50kWであったが、ここで増力すると強電界の影響を受ける世帯が多く、さらに世田谷、多摩、神奈川方面の難聴地域の対策にもならないため聴取率に響くことなどから木更津への移転を決めた。
このプロジェクトは名技術者高橋琢二氏の元に行われた。周波数は当初1310kHzの予定であったが、FEN(現AFN)810kHzのビート混信の懸念から郵政省(当時)から1240kHzに変更するよう指示があった。1240kHz変更には「モスクワ放送を妨害するため」などの諸説があるが、大電力局のため国際調整で1240kHzしかなかったというのが実情であろう(昭和53年の改正周波数 1242kHz ちなみにモスクワ放送 1251kHz 1000kW)。
木更津送信所の電波は強力で、静岡県東部・中部(ニッポン放送の放送エリア西端)でも比較的良好に受信可能(備考の項も参照)。また木更津送信所から直線距離で100km程度の場所では非常に受信状態が良くなることが、雑誌「ラジオパラダイス」での実験により確認されている。なお日中でも受信可能な限界は西は愛知県の知多半島辺りまでである。電離層を反射具合が大きい冬場の場合、四国東部(特に海沿い)だと10:00~15:00を除いた時間で聴取可能。また、グアムでは夜間に受信状態さえ良ければ、RFラジオ日本と共に聴取可能であった。早朝は韓国の一部でも受信可能。
ただ、送信所の位置関係(他の関東広域圏を放送対象地域とする中波放送は埼玉県内から送信)から北関東でも聴取困難な地域がある他、都内においても新宿駅を過ぎた辺りからの中央線沿線や、練馬区以西の一部を中心に新宿新都心の超高層ビル群の影響で他局よりも受信感度が落ちる地域がある。受信エリア外で比較的良好に受信可能な地域は、秋田県の大潟村付近などが確認されている。受信エリア外では電波が電離層を反射して届く夜間のみの受信に限られるが、ほぼ全国的に聴取でき、ニッポン放送だけ放送されている番組を聴取する人が多い。地元局東北放送の周波数が近い宮城県がその好例である。近畿広域圏では毎日放送の混信が入る可能性がある。なお西日本の一部地域では同一周波数の韓国MBC原州局と混信する地域もある(皮肉にも親会社であるフジテレビとMBCは提携関係にある)。
[編集] 足立送信所
足立送信所は非常用に残されており、木更津送信所が復旧できない際に出力1kWで送信される。年に1回程度、日曜の放送終了後に試験電波を流している。
1986年9月、ナイター中継中に落雷のため木更津送信所が停止、また2006年8月14日には東京方面むけの送電線の故障のため、急遽足立送信所から送信されたが、北関東方面や世田谷区用賀などでは殆ど聴取が出来ない出力であった。
[編集] 新聞番組表
- 産経新聞の関連放送局ということで、産経新聞(関東向け=朝刊のみ)のラジオ番組表では、番組タイトル部分をゴシック体で表記している。
- また、多くの地方新聞では夜間~早朝に電波が全国で届きやすいことも配慮し朝刊のラジオ番組欄に文化放送、TBSラジオとともに深夜~翌朝の番組のみ掲載することが多いが、鳥取県の地方新聞である日本海新聞では関東のラジオ局で唯一当局を取り上げ、それを早朝からの全日分掲載しているが現地では通常昼間は電波は届かない。
[編集] 沿革
- 1953年(昭和28)12月23日 - 日本放送株式会社として予備免許取得。
- 1954年(昭和29)
- 1957年(昭和32)11月 - 東京地区のテレビ免許割り当てで、文化放送と共同でフジテレビジョン(以下フジテレビ)を設立。
- 1958年(昭和33) - 文化放送と共同でステレオ実験放送を実施。
- 1959年(昭和34)3月
- 株式会社深夜放送(後に株式会社フジサンケイエージェンシーへ)を設立。
- 24時間放送開始。
- 1962年(昭和37)11月 - 国内初のサテライトスタジオを小田急百貨店新宿店内に開設。
- 1965年(昭和40)5月3日 - 文化放送と共同で全国民放ラジオ31社を結ぶ全国ラジオネットワーク(NRN)を発足。
- 1967年(昭和42)10月1日 - 深夜放送の長寿番組『オールナイトニッポン』が放送開始。また、この頃略称をLFに変更。(NBSの略称は、現在長野放送が使用)
- 1971年(昭和46)
- 1975年(昭和50) - 視覚障害者の為に音響装置付信号機その他を贈るべく、毎年12月24日から翌日12月25日にかけて24時間放送しているチャリティー番組『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』を開始。
- 1978年(昭和53)
- 1981年(昭和56)12月 - 大型多目的公開スタジオ「ラジオハウス銀河」(第1スタジオを改装)完成。
- 1982年(昭和57)2月16日 - プリエンファシスを導入。
- 1986年(昭和61)4月1日 - フジサンケイグループ統一CI導入に伴い、ロゴ・マークを現在の「目玉マーク」に変更。
- 1991年(平成3)10月 - オールナイトニッポンの25周年を記念し、過去のオールナイトニッポンの名パーソナリティたちが一夜限り復活した。
- 10月15日 - 「中島みゆきのオールナイトニッポン」(1987年3月終了)
- 10月17日 - 「タモリのオールナイトニッポン」(1983年10月終了)
- 10月18日 - 「ビートたけしのオールナイトニッポン」(1990年12月終了)
- 10月20日 - 「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」(1985年10月終了)
- 1992年(平成4)3月15日 - 午前9時からAMステレオ放送の本放送を開始(「右からきんさん・左からぎんさん」「元気にステレオ・ニッポン放送」ときんさんぎんさん出演によるCMが放送された)。それを記念した特番「これがニッポン放送のステレオだ! ステレオオープニングスペシャル」が生放送された。また時報もステレオ対応のものに変更。ニュース、交通情報のジングルを変更。
- 1992年(平成4) - 日枝グループにより鹿内宏明会長解任。
- 1994年(平成6)3月 - 国産初の全固体化大電力デジタル振幅変調方式の送信機(日本電気製 MBT-9050A)を導入。
- 1996年(平成8)12月2日 - 東京証券取引所第二部に株式を上場。
- 1997年(平成9)3月24日 - 老朽化した社屋(糖業会館ビル)建て直しのため、本社を東京都港区台場(フジテレビ本社ビル 正式名称:FCGビル)に移転。
- 1999年(平成11)
- 3月29日 - LF+Rがスタート。「オールナイトニッポン」が3部制になり、22:00-24:00が「allnightnippon SUPER!(オールナイトニッポン・スーパー)」25:00-27:00(現在のオールナイトニッポン枠)が「@llnightnippon.com」 (オールナイトニッポン・コム)、27:00-28:30を「allnightnippon-r」(オールナイトニッポン・アール)とそれぞれ改題した。(2003年3月29日終了)
- 6月1日 - オールナイトニッポンのパーソナリティとして有名だった亀渕昭信が代表取締役社長に就任。
- 2000年(平成12)
- 3月25日 - ニュース、交通情報のBGMを変更。(現在も使用)
- 12月1日 - BSフジの超短波放送チャンネルの一つとして「LFX488」の放送開始。『ブロードバンド!ニッポン』はじめ一部の番組はインターネットラジオとしても送信。
[編集] 2003年
- 7月 - M&Aコンサルティング(村上ファンド)がニッポン放送発行済み株式の7%を取得(以後2004年3月までに19%近くまで買い増し筆頭株主となる)。
- 9月29日 - 初代「オールナイトニッポン」パーソナリティでニッポン放送アナウンサーの「アンコー」こと斉藤安弘をパーソナリティに起用し、27:00-29:00枠を「オールナイトニッポンエバーグリーン」としてスタート。
- 10月10日 - エフエム東京、ジャパンエフエムネットワークと共同で地上デジタルラジオ実用化試験放送「Digital Radio 98 The Voice」を開始。1セグメント放送だけでなく3セグメント放送の試験放送も行なう。
[編集] 2004年
- 7月15日 - 開局50周年を記念した特別番組「ニッポン放送開局記念日スペシャル 笑顔が一番!あなたと一緒に50年」を放送。
- 9月6日 - 新社屋完成に伴い、本社を東京都千代田区有楽町(糖業会館・ニッポン放送本社ビル)に再移転。
[編集] 2005年
- 1月17日 - フジテレビがニッポン放送発行済み株式の公開買付 (TOB)を発表(これにより両社の資本関係が逆転し、フジテレビの子会社になる予定だった)。
- 2月8日 - インターネット関係会社ライブドアが子会社のライブドア・パートナーズと合わせて株式の35%を取得、ライブドアグループが筆頭株主となる。
- 2月10日 - フジテレビがニッポン放送株式TOBでの株式保有比率目標を「50%超」から「25%超」に引き下げ、買い付けの期限を3月2日まで延長すると発表。
- 2月23日 - フジテレビに対し4720万株分の新株予約権を割り当てると発表。
- 2月25日 - ライブドアがフジテレビを対象とした新株予約権発行を不服として東京地裁に発行差し止めの仮処分申請。
- 3月8日 - フジテレビによるニッポン放送株式TOBが成立、同社発行済み株式総数(3280万株)の36.47%を取得したと発表。
- 3月11日 - ライブドアの差止請求が認められ上記の新株予約権発行は無効に。ニッポン放送は東京高裁に対して即日抗告。
- 3月23日 - 上記の新株予約権発行差し止めの仮処分を不服としたニッポン放送の東京高裁に対する抗告が棄却された。同社は新株予約権発行を断念。
- 3月24日 - ニッポン放送はソフトバンク・インベストメント(SBI)に対して、ニッポン放送が現在所有するフジテレビ株を5年間の期限付きで貸し与えた。
- 3月27日 - 1955年以来、50年間続いた長寿番組『新日鉄コンサート』が終了。
- 4月18日 - ライブドアとフジテレビが和解、ライブドアグループが所有するニッポン放送株式全てをフジテレビに譲渡すると発表。フジテレビによる完全子会社化に目途が立つ。
- 4月22日 - ライブドアが「ニッポン放送株式をフジテレビと“共同保有している”」とした「大量保有報告書」を関東財務局に提出。
- 5月23日 - フジテレビがライブドア・パートナーズを買収し同社の商号を「LFホールディングス」(7月12日にフジテレビと合併)に変更、フジテレビ保有のニッポン放送株式が合わせて68.87%となる。フジテレビによるニッポン放送の子会社化を円滑に進めるため、産業活力再生特別措置法の適用認定を申請。
- 5月24日 - ニッポン放送株式を東京証券取引所が監理ポストに割り当てる。
- 5月25日 - ニッポン放送が自社株式のTOBを開始。
- 6月10日 - 総務省が産業活力再生特別措置法の適用を認定。
- 6月16日 - ニッポン放送による自社株式のTOBが完了。ライブドアが保有する株式の大半を含む964万株を取得。これに伴いライブドアは主要株主から外れる。
- 6月22日-7月20日 - フジテレビの深夜ドラマ枠『ディビジョン1』で、ニッポン放送(主にオールナイトニッポンの制作現場)を舞台としたドラマ「1242kHz こちらニッポン放送」が放送(全4回)。この番組は6月22日深夜(正確には6月23日)の松浦亜弥のオールナイトニッポンで松浦がこのドラマの模様を解説。
- 6月24日 - 磯原裕専務が社長に就任、亀渕昭信社長は退任し相談役に。
- 6月28日 - ニッポン放送株式が東京証券取引所の整理ポストに移行。
- 6月30日 - SBIに貸し出されていたフジテレビ株式がニッポン放送に返却される。これによりニッポン放送がフジテレビの筆頭株主に復活する。
- 7月28日 - ニッポン放送株式が東京証券取引所の上場廃止。
- 9月1日 - フジテレビとの間で株式交換を実施、フジテレビによるニッポン放送の完全子会社化完了。
- 10月3日 - 「ニッポン放送Podcasting STATION」を開設、ポッドキャスティングによるインターネットラジオ配信を開始。
- 12月25日 - フジテレビ系列にて「松任谷由実のオールナイトニッポンTV」が放送。
[編集] 2006年
- 1月19日 - 総務省がニッポン放送のラジオ事業部門分割に伴う免許承継を認可。
- 3月31日 - BSフジの超短波放送チャンネル撤退にともない、「LFX488」の放送が終了。
- 4月1日
- 「株式会社ニッポン放送ホールディングス」に商号変更すると共に、新たなラジオ事業会社としての「株式会社ニッポン放送」を設立。なお、ニッポン放送のロゴマークは変更せずそのまま承継される。
- アナウンサーを含む47人(全社員の約2割)が、親会社の「株式会社フジテレビジョン」に転籍。
- 4月3日
- 中波放送局免許及び中波ラジオ放送事業をニッポン放送ホールディングスからニッポン放送に承継し、ニッポン放送ホールディングスをフジテレビが吸収合併。これにより、既存のニッポン放送の子会社がフジテレビの直接子会社となり、ニッポン放送をフジテレビの完全連結子会社にする事により、フジテレビを資本的にフジサンケイグループの統括会社にする作業が完了した。
- LFXBBを、地上デジタル音声実用化試験放送及びインターネット放送を行うデジタルステーションLFX mudigiとしてリニューアル。
- 10月1日、地上デジタルラジオ実用化試験放送のチャンネルを「D95」に移動し、1セグメント放送のみに変更。
- 11月3日・11月4日 - 「THEラジオパーク2006in日比谷」を日比谷公園で開催。
[編集] 設備
- 糖業会館・ニッポン放送本社ビル
- 地下4・3階、地上2・3階は、社団法人糖業協会が使用。地下1階はテナント「ニュートーキヨー 綴 TSUZURI」が使用。
- 地下2階
- imagineSTUDIO(イマジンスタジオ 第1スタジオ) - 大型多目的公開スタジオ。ジョン・レノンの楽曲「イマジン」に由来。壁にジョン・レノンのサインが刻まれたプレートが埋め込まれている。
- 1階 - 受付・車庫
- 4階
- 帯番組の生放送に関しては、第2スタジオと第3スタジオを交互に使用している。
- テレフォンセンター
- 第2スタジオ - 生放送用スタジオ。
- 第3スタジオ - 生放送用スタジオ。通称レトロスタジオ。昭和30年代をイメージした家具・雑貨が置かれていたが、2006年に家具・雑貨が撤去された。
- 6階
- 第4スタジオ - 準放送用スタジオ。主に録音番組の収録に使用。
- 第5スタジオ - 準放送用スタジオ。主に録音番組の収録に使用。
- 第6スタジオ - 準放送用スタジオ。録音番組・地方局向け番組の収録に使用。
- 9階
- スタジオX - インターネットラジオ専用スタジオ。現在はブロードバンドニッポンのみが使用している。かつてBSデジタルラジオLFX488専用スタジオとして設置・使用されていた。
- 臨海副都心スタジオ(仮称)
[編集] サテライトスタジオ
ニッポン放送は1960年代前半、当時テレビに押され気味だったラジオの媒体価値を高めるべく、ラジオがより身近な存在である事をアピール。局舎以外に公開スタジオを設置する事となり、これをサテライトスタジオ(通称・サテスタ)と呼んだ。このサテスタ作戦は成功し、文化放送は追従したが、TBSラジオは背を向けた。現在でもFM局も含め、全国各局で採用されている。
- 新宿(小田急百貨店2階。現在は三菱東京UFJ銀行の一部 1962年-?)
- 新宿(伊勢丹内)
- 雷門サテライトスタジオ(浅草 常盤堂本店1階 現在は店舗の一部)
- 池袋(西武百貨店2階。現在は百貨店のディスプレイ)
- 銀座(三愛ドリームセンター内)
- 西銀座サテライトスタジオ(西銀座デパート1階 現在は隣接していた宝くじチャンスセンターが増床 サテライトスタジオのさきがけ)
- 有楽町Radio Town(有楽町 読売会館2階南側(ビックカメラ有楽町店内) 現在はビックカメラ有楽町店の一部 2001年6月-2004年3月)
[編集] ラジオカー
かつては「ニッポン放送ヘリ情報」と題して、ヘリコプターから交通情報や報道を行っていたが、日本道路交通情報センターによる交通情報の報道に移行したため廃止。その後1970年3月2日に街角からのレポート・報道中継を目的として、中波ラジオ局としては初めてラジオカーを導入。その後、各局が追随した。当初は2台(セダン型の車両を使用 愛称:ニッポン1号・ニッポン2号 塗装は、緑と白の塗り分け)で、JAFのロードサービス隊員が乗車していた。
- ラジオカー1号車 - 青色の塗装が施され、代々日産自動車の車が使用される。現在は日産・エクストレイルを使用。「三宅裕司 みんなのヒット!ベスト20+10」の中継では、必ずこのラジオカーが使用される。
- ラジオカー2号車 - 桃色の塗装が施され、代々トヨタ自動車の車が使用される。現在はトヨタ・マークIIブリットを使用。
- ラジオカー3号車 - 黄色の塗装が施され、かつては代々マツダの車が使用されていた。現在はホンダのホンダ・アコードワゴンを使用。
- 中継車 - ラジオカーの電波が受信基地に届かない場合に、2段中継をするために使われる。現在はトヨタ・ランドクルーザーとトヨタ・ハイエースを使用。
- マイクロバス - 別途機材を積んでラジオカーとして使用することがある。トヨタ・コースターを使用。
- ウェザーカー - 青空をモチーフにした絵と番組名が塗装され、代々トヨタ自動車のトヨタ・エスティマが使用されている。2台所有。TOYOTA ハッピータウンサーキット専用。1999年に前身番組の「TOYOTA 飛び出せ街かど天気予報」の放送開始に伴い導入。車両は単独スポンサーであるトヨタ自動車より提供されたものである。
車両は4年ごとに更新される。ラジオカーの最大出力は50W。中継の受信基地は、本社・霞が関ビル・新宿・サンシャインビル・ニッポン放送の各支局等にある。
[編集] ID
- 開局当時から、民間放送では珍しく君が代が演奏されている。1998年3月までは毎日の放送開始=24時間放送に以降後は1日の基点時間に毎日演奏されていたが、同年4月以後は月曜日と土曜日の早朝の開始(基点)時間に演奏されるのみとなり、火 - 金曜日と日曜日の早朝のジャンクションはアナウンスのみが行われている。
- 終了時はアナウンス後、ジョニー・ピアソンの「朝もやの渚(SLEEPY SHORE)」が演奏される。
- 月曜日と土曜日のオープニングコールは那須恵理子アナウンサー、火曜日~金曜日・日曜日のオープニングは山本元気アナウンサー、日曜日の深夜のクロージングコールは増山さやかアナウンサーがそれぞれ担当。
- 月曜日のオープニングコールの後には君が代が演奏され、その後緊急警報放送システムの試験信号テストが行われる。
- 一日中放送内でCM明けにコールサインが放送される。また1時間ごとに、那須恵理子または山本元気アナウンサーのIDコールが行われる。広告入りの物もある。
- 月曜日の早朝はメンテナンスが行われるが、4:45から試験放送が行われる。その際流れるのはエンヤの「Orinoco Flow」「Caribbean Blue」「Book of Days」「Anywhere Is」の順に流される。そのあとコールサインチェック、緊急警報システム試験信号放送が行われ、通常放送がスタートする。
[編集] 番組
- ニッポン放送タイムテーブル(※オールナイトニッポンも含む)
- ニッポン放送番組一覧
[編集] アナウンサー
- アナウンサーは、生活情報・音楽・バラエティなどが中心の制作部と、スポーツ専門のスポーツ部に分かれる。なお、報道部はアナウンサーではなく記者として扱われている。
文中の所属先などの内容は永続的に保証されるものではありません。正確な情報は放送局の公式Webサイトなどでご確認ください。免責事項もあわせてご覧ください。
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- 制作部アナウンサールーム
[編集] 支局
すべて契約アナウンサー。交通情報(昼~夕方のみ)や、地域情報番組「ハロー埼玉」(2006年度から休止)・「ハロー千葉」・「ハロー神奈川」を担当。なお東京都内の交通情報は日本道路交通情報センターが担当。
- 東日本支局(通称 埼玉支局)
- 酒井美穂(月~火)
- 久米ちえ(名前の漢字表記不詳)(水~金)
- 千葉支局
- 林まり(名前の漢字表記不詳)(月~火)
- 屋木綾伊子(水~金)
- 神奈川支局
- 三宅和美(月~水)
- 田中久恵(木~金)
※かつて静岡支局が存在していた時期があったが、1990年代に神奈川支局に統合された。他の支局のような地域情報や交通情報の枠はなく、営業拠点として存在した。
[編集] ディレクター・プロデューサー
[編集] 晴れ晴れキャスターズ
2006年9月まで放送されていたTOYOTA 飛び出せ街かど天気予報のウェザーキャスター。
[編集] 過去の在籍者
[編集] フジテレビに転籍したアナウンサー
2006年4月にニッポン放送ホールディングス(旧ニッポン放送)が親会社のフジテレビジョンに吸収されたため、10人のアナウンサーがフジテレビに転籍した(当初11人だったが、7月に栗村が戻った為結果10人となった)。これらのアナウンサーは転籍後半年はテレビ・ラジオ双方に出演していたが、9月いっぱいで契約が切れた為、番組自体が終了したり、担当している番組から降板された。10月以降これらの穴埋めはニッポン放送のアナウンサーやタレントが行っている。(但し、小野のみ今後も引き続きニッポン放送のスポーツ中継で実況を担当する。)
[編集] その他
- 阿部宏美(現:昭和プロダクション所属・フリーアナウンサー・現:MBSラジオ「ありがとう浜村淳です」木・金曜アシスタント)
- 糸居五郎(故人、近畿放送=現京都放送(KBS京都)から移籍)
- 岩下方彦(現:フジテレビ記者)
- 海野尾順子
- 倉本聰(現:脚本家)
- 東海林のり子(現:レポーター)
- 大平透(開局当時のアナウンサー兼プロデューサー、現:声優)
- 堂尾弘子(現:「お願い!DJ!小林克也青春ベストヒットリクエスト」アシスタント)
- 石川みゆき(現:「ショウアップナイターネクスト」アシスタント)
- 岩附孝(報道部記者)
- 荘口彰久(そーぐち 現:アミューズ所属・フリーアナウンサー、TOKYO FM「COUNTDOWN JAPAN」パーソナリティー、現:「福山雅治のオールナイトニッポンサタデースペシャル・魂のラジオアシスタント)
- 小口絵理子(現:「高嶋ひでたけの特ダネラジオ夕焼けホットラインアシスタント)
- 斉藤安弘(現:「オールナイトニッポンエバーグリーン」パーソナリティー)
- 今仁哲夫(いまに哲夫)
- 海野尾順子
- 梶幹雄
- 勝呂智子
- 加藤久雄(スポーツ部アナウンサー)
- 上村頁聖
- 神田比呂志(現:フジテレビ制作部)
- 木藤隆雄(木藤たかお、現:南海放送ラジオ「木藤たかおのラジオ宣言」パーソナリティー)
- 木村篤
- 小林達彦
- 柴田かおる
- 下角陽子
- 瀬戸将男
- 高嶋秀武(高嶋ひでたけ・ヒゲ武、現:「高嶋ひでたけの特ダネラジオ夕焼けホットラインパーソナリティ)
- 高崎一郎
- 高橋尚代(アナウンサーとして入社前にラジオっ娘の高橋めぐみとしても出演)
- 高岡寮一郎
- 常木健夫
- 田中千恵
- 手島里華(TOKYO FMアナウンサー→現:J-WAVEアナウンサー)
- 寺内壮(寺内たけし、現:日本テレビプロデューサー)
- 堂尾弘子
- 中山千彰
- 仲佐かおり
- 西村知江子(現:TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」月曜日アシスタント)
- 根岸紀子
- 能勢裕子
- 枇杷阪明
- 比嘉憲雄(ひがのぼる、現:「J-WAVE GOOD MORNING TOKYO」の報道キャスター)
- 深澤弘(現:FM PORT東京支社長、同局「SUNDAY SPORTS BAR」パーソナリティー)
- 宮田統樹
- 深山計(現:スポーツマネジメント会社「ライツ」取締役)
- 村上真由子(村上まゆこ)
- 安岡喜郎(現:日本テレビ制作局業務部長)
- 山岡和美(ジャネット山岡、1998年3月ニッポン放送ディレクター(当時)田所健太郎と結婚)
- 山田透(山田くらのすけ)
- 山田祐嗣
- 湯浅明(現在はNACK5「WARMING UP MUSIC」でピンチヒッターを務めることがある)
- 吉村達也
- 波多江孝文(はたえ金次郎・はた金次郎、琉球放送から移籍、現在は編成局制作部特別職)
[編集] LF+R
- LF+Rを参照。
[編集] オーディエンス・セグメンテーション
ニッポン放送が提唱したラジオ番組編成理論。時間帯によって主たる聴取者を選択し、その聴取者層に合わせて番組を編成する(例:朝・夕方―通勤者、昼―自営業者、夜―若者 これは大まかな分け方で、実際には更に細分化している)。厳密な市場調査を重ね、1964年4月編成より導入した当初は各方面から無謀ととらえられたが、ニッポン放送の成功により文化放送も追従。毎日放送など全国各局もこれを取り入れたが、TBSラジオは最初これに対抗。あらゆる層の聴取者を対象とした総合番組を製作し編成する方針を打ち出したものの、結局は導入した。
現在、この理論は民放中波ラジオ編成の基本となっている。
[編集] 備考
- 送信所の位置関係からTBS・文化放送が北関東の企業・自治体のCMが多い(文化放送は埼玉県を更に重視)のに対し、ニッポン放送は、在京ラジオ局では神奈川県と千葉県等南関東の企業・自治体のCMが多く放送されている。
- 送信所の項で書かれているように静岡県中部では他の在京局よりもクリアに受信できる。東名高速道路の日本坂トンネル(静岡市と焼津市の境)以東の全トンネルでは在京民放AMラジオ(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送)が受信できるようになっているが、国道150号線の日本坂トンネル、また静岡市、岡部町内の国道1号のトンネルでは在京局で唯一ニッポン放送が受信可能となっている。これは昼夜問わずクリアに受信できるのに加え、地元局と同等に聴取率が高いためこれに対応した形をとっているのだと思われる。また、ニッポン放送は災害時の緊急放送に力を入れている(特に地震に関しては在京局で最も的確な情報を伝えている)ため、東海大地震など大災害発生時におけるより必須的な放送局として放送対象地区外である静岡県では順ホスト局的役割を果たしている。事実、静岡県の広報CMが放送されたくらいである。
- 関連会社の広告代理店、ビッグショットはUHFアニメを中心に深夜アニメの制作に参加している。また異系列のTBSテレビやテレビ東京の深夜アニメの制作にも参加している。
[編集] その他のメディア
以下はニッポン放送が編成・発行する、中波放送以外のメディア。
- LFX488: BSデジタルラジオ局。2000年12月1日開局、2006年3月31日閉局。
- LFX mudigi: 旧LFX BB。インターネットラジオ局。2001年9月24日開設。
- D95: 社団法人デジタルラジオ推進協会による地上波デジタルラジオ実用化試験放送局のチャンネル。東京地区95チャンネル。委託放送事業者として伊藤忠商事と共同運営。2003年10月10日の実用化試験放送局開局から2006年9月30日までは、「Digital Radio 98 The Voice」(東京地区98チャンネル エフエム東京・ジャパンエフエムネットワークと共同運営)で放送していた。
- Spopre: スポーツ情報専門のフリーペーパー。2003年創刊。
- ニッポン放送 ポッドキャスティングステーション: ポッドキャスティングによるインターネットラジオ局。2005年10月開設。
[編集] 歴代キャッチコピー
※カッコ内はイメージキャラクター等に起用されたタレント
- 1974~1975年 ハッピーラジオ (74年:研ナオコ、75年:林寛子)
- 1976年 ハッピーラジオ・健康作り (秋野暢子)
- 1977年 フレッシュラジオ (木之内みどり、松本ちえこ、岡田奈々)
- 1978年 フレッシュラジオ・笑顔でファイト (荒木由美子)
- 1979~1980年 笑顔がきこえる (79年:能勢慶子)
- 1981~1982年 いまラジオの時代
- 1983年 ボクハキミノココロノナカニイル
- 1984年 いますぐ逢いたい (THE ALFEE)
- 1985年 また、おまえか!(チェッカーズ)
- 1986年 もお!たーいへん! (とんねるず)
- 1987年 まかせてチョンマゲ! (デーモン小暮閣下、南野陽子)
- 1988年 トンデモはねてる! (光GENJI)
- 1989年 かぼちゃ計画 もも計画
- 1990年 オモスルドロイカ!?
- 1991年 みんなのラジオ
- 1992年 そこまでいうか! そこまでやるか!
- 1993年 あっけら、感動(CAN DO)。
- 1994年 みんなでやんちゃ ラジオはおもちゃ おちゃめでニッコリ!
- 1995年 未来(みら)くるラジオ (トータルプロデューサー:テリー伊藤)
- 1996年 笑ってチョーナイ!
- 1997年 青春花吹雪!
- 1998年 がんばれ!ニッポン放送
- 2000年 ビビッと!夢見るニッポン放送(コブクロ)
- 2003年 あなたがいるから、ニッポン放送
- 2004年 メジャーなラジオ、ニッポン放送。(松井秀喜)
- 2006年 だったらラジオ!ニッポン放送 (オリエンタルラジオ)
- いきものがかりがキャッチコピーで11パターンのイメージソングを作成。
(※備考:「あっけらkan-no 菅野美穂」は1993年のキャッチコピーにタイトルが似ているが、この番組は1995年から放送していたもの。)
[編集] 関連放送事業者
- フジテレビジョン(完全親会社)
- 文化放送(フジサンケイグループ。ニッポン放送と共にNRNキー局。ただ、ニッポン放送がフジサンケイグループとしての色が濃いこともあり、相対的に、朝日新聞グループの影響力もある)
- ラジオ大阪(産経新聞社のグループ企業。兄弟会社)
- 熊本放送(文化放送と共に大株主となっている。JNN・JRN・NRN加盟。実態は熊本日日新聞系列)
- ラジオ沖縄(文化放送と共に大株主となっている。実態は琉球新報系列)
以上、NRN系列。
[編集] 関連項目
- 通信と放送の融合
- フジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ ラジオびんびん物語
- フジテレビ深夜ドラマ ディビジョン1 1242kHz こちらニッポン放送
- ニッポン放送の経営権問題
- ニッポン放送 ポッドキャスティングステーション
- ニッポン放送プロジェクト
- ニッポン放送携帯電話情報サービス
- 東京ヤクルトスワローズ
- 横浜ベイスターズ(TBSグループと共に発行済み株式約30%を保有する株主)
- オスカープロモーション(上戸彩、美少女クラブ31などの事務所)
- サウンドマン (多くの番組でディレクター・ミキサーを派遣 ニッポン放送の関連会社)
[編集] 参考文献
- ニッポン放送編 『ラジオ・カタログJOLF』 (サンケイ出版、1982年)
[編集] 外部リンク
- 株式会社ニッポン放送(企業トップページ)
- ニッポン放送(昼の番組のサイト)
- オールナイトニッポン(夜の番組のサイト)
- ニッポン放送EVENT(イベント情報のサイト イベント部運営)
- FUJISANKEI COMMUNICATION GROUP
- フジサンケイグループの一覧(PDF)
関東地方のラジオ放送局 (NHKの放送局)
(その他民放中波ラジオ局) |
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