デーモン小暮閣下
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デーモン小暮閣下が自称する概要 | ||||||
属 性 | ||||||
悪魔 (悪魔教教祖) | ||||||
英 名 | ||||||
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別 称 | ||||||
小暮伝衛門 (邦楽器コラボレート時) | ||||||
通 称 | ||||||
デーモン、閣下 (かっか) | ||||||
発生日 (誕生日) | ||||||
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発生地 (出身地) | ||||||
地獄の都 Bitter Valley地区 | ||||||
世を忍ぶ仮の姿における職業 | ||||||
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デーモン小暮閣下(デーモンこぐれかっか、英語表記:His Excellency(二人称ではYour Excellency) Demon Kogure、11月10日 - )は、主にヘヴィメタル楽曲歌唱を中心に活動するマルチ・タレント、アーティスト。所属事務所は吉本興業。桐蔭学園高等部を経て早稲田大学社会科学部卒業。
白色の顔で、髪が逆立った姿をしており、それが素顔であると言っている。通称:「デーモン 」、「閣下(かっか)」。
自身を人間ではなく悪魔であるとして、右の表および以下のような数多くの主張を行っている。
- 紀元前98038年11月10日に発生し、西暦1999年12月31日に地球征服を完了した。
- 元地獄副大魔王にして悪魔教教祖である。
- 地獄の都 BITTER VALLEY地区出身。
- 本名は地球上では発声できない。
- 人間としての側面は、「世を忍ぶ仮の姿」である。
このような主張を行っているため、本ページで示されるような人間としての姿や家族関係、過去などは、全て世を忍ぶ仮のものであるとしている。よって自分の母親のことも「世を忍ぶ仮の母親」と言い、自分の小学生時代についても「世を忍ぶ仮の小学生時代」などと「世を忍ぶ仮の」を一文を付加して語っている。
目次 |
[編集] 経歴
西暦1999年までは悪魔教教祖として組織「聖飢魔II」によって悪魔教布教活動をしていたが、現在は「地球征服を完了した」として後は基本的にソロ活動を行っている。現在はタレント活動を行う際の正式な芸名も「デーモン小暮閣下」である。
少年の頃、一時期米国に居住していた。桐蔭学園高等部を卒業したという学歴は、爆笑問題カーボーイにて「織田裕二の先輩」と暴露され認めたものである。また、高校・大学の先輩であるやくみつるとは、共通の趣味である相撲を通じて親交がある(在学中は面識がないが相撲を通じて親交を深め、やくみつる氏をやく先輩と呼ぶ関係にある)。
[編集] 音楽活動
1982年(魔暦紀元前17年)12月から本格的な悪魔教の布教活動を兼ね聖飢魔IIのフロントマンとしてボーカルをつとめ、各地で「ミサ」(コンサートに相当)を主催してきた。1999年(魔暦元年)の地球征服完了(よって聖飢魔IIとしての活動を停止)以降は単独で活動しているが、2005年(魔暦6年)に期間限定で聖飢魔IIを復活させた。
デビュー当時から、話す時と歌う時の声が全くといってよい程違うと言われている。声色変化の見事さはデビュー・アルバムに既に表れており、これは彼が俳優志願だった事にも関係しているのだろう。
[編集] 悪魔
自称の際には「吾輩」と称することが多い。普段は「閣下」と呼ばれる。(ただし、「デーモンさん」と呼ばれることも拒否はしない。)派手な外見から来る印象ばかりを取り沙汰される事が多いが、「信者」と称されるファンの多くは「作品の内容」「言動」「エンターテイナーとしての技量」を大いに支持している。日本の芸能史上他に類を見ない多角活動家。単に「神と悪魔と人間」という視点だけでなく、帰国子女としての体験があったため、異文化交流に関してのコメントに定評がある。
合わせて日本の伝統芸能・文化に造詣が深く、純邦楽・能等と共演することが年間25回を超えることは有名。また、有数の好角家でもある。 非常に頭の回転が早く、TV番組での彼のやり取りを見た、閣下支持でも何でもなかった音楽評論家渋谷陽一を感心させている。
姉である小暮裕美子は、日本では公務員以外で珍しい程のキャリア・ウーマンである。彼女が学園祭でロック・クイーンになっている勇姿を見て『コレだ!』とのヒントを得たと語っている(1988年頃、ゴールデン・タイムTV放映のデーモン閣下特集番組にて)。
[編集] 好角家
筋金入りの好角家であり、閣下本人の公式サイト上にもプロフィールとして好角家と明記されている。閣下は「ファン歴300年にもおよぶ相撲ファンである」と自称し、寛政年間、西暦1790年頃(魔暦紀元前210年頃)の、実質的な初の横綱とされている谷風と小野川の取組なども当然観て来たと豪語している。
閣下が好角家となったのは、祖父が旅順工科大学で相撲部に所属していたことも大いに影響している。小学生時代には絵画教室で若浪がうっちゃりを見せる勇姿を秀逸に表現して周囲を驚かせ、高校生時代には、受験勉強もそこそこに当時の蔵前国技館近隣の古書店に足繁く通い、相撲に関する諸文献をむさぼるように読み漁り豊富な知識を培っていった(この古書店には後の逆鉾伸重らも頻繁に通っていたとされている)。単に知識を蓄えるのみではなく、早稲田大学在学中には後述のフォーク同好会のみならず、相撲同好会にも所属して実践的かつ多角的な相撲競技の分析・稽古に取り組んでいた。このため相撲に対する見識は極めて高く、相撲に関する知識・教養は芸能界においてのみならず一般的に見ても随一であると言って過言ではない。
閣下が特に熱狂的な相撲ファンとなったのは玉の海の活躍がきっかけであると言われており、以来人間としての姿で国技館での本場所にとどまらず地方場所へも年に数回は必ず通っている。また、本人はあくまで悪魔の姿で観戦したいようだが、日本相撲協会それも協会理事長直々に「お客さんが相撲に集中できなくなる」という理由で悪魔の姿での入館を謝絶(実態は禁止)されてきたので、通常は人間の姿での観戦に留まっている。閣下贔屓の力士は輪島であり、悪魔のヒーローとして崇めている(「悪魔のヒーロー」とは、人間界における蔑称を指すものではなく、魔界においては最高の尊称である)。
かつて布教活動中にも、1987~90年(魔暦紀元前12~9年)に放送されたニッポン放送の人気深夜番組『デーモン小暮のオールナイトニッポン』では「大相撲を666倍楽しむ方法」(666は悪魔の数跡を指す)という大相撲を応援するコーナーを設け、さらに当時現役力士であった大徹を応援するコーナーを独立して用意し、最終的にはそのコーナーに大徹本人を生出演ゲストとして迎えるまでに至るという、当時の相撲協会の広報派遣としては異例の、深夜に現役力士がゲスト参加するという画期的コーナーにまで成長させた。 コーナーでは、とある回のゲストの南野陽子に発言させた『大徹さん頑張ってね』の声を録音しリミックスした「ダダダダ大徹 ダダダダ大徹 大徹大徹 『頑張ってね』」という、番組前期の名フレーズ&ジングルまで登場した(その後、大徹がゲスト参加した際に自己紹介で挨拶した『大徹です』というフレーズをさらに付加し「ダダダダ大徹大徹 ダダダダ大徹 大徹大徹 『頑張ってね』『大徹です』」というものが作成されている)。この縁がきっかけで、閣下は大徹引退後の断髪式にまで招聘されて鋏を入れているほか、大徹改め湊川親方は今に至るまで閣下のミサ(人間界でいう「公演」「コンサート」)に頻繁に顔出しや差入れを行うなどの強固な人間関係が築かれている。
同番組には、芸能人・著名人の変な言動を集め競わせて番付を付ける「夜霧の横綱審議会」なるコーナーも設定され、そのネタハガキコーナーにおいて若年層中心の『オールナイトニッポン』リスナー層世代のイメージからはかけ離れた玄人裸足の相撲ネタも多数寄せられ、また若年層以外のリスナー層も厚く増やすなど、閣下が多数のリスナーに及ぼした大相撲啓蒙の功績は多大であったとされている。番組最終回には、次期パーソナリティーであるロック歌手大槻ケンヂと電話で引継ぎのあいさつを行った際に人気の相撲コーナーの継続を要望したが、大槻が大相撲には無知・無関心であったためこれを辞退し、閣下は悲嘆にくれたことも知られている。
加えて、琴富士が悪魔組(聖飢魔IIのファンクラブ)会員であったこともあり、所属する佐渡ヶ嶽部屋とは永く親交が深く、2005年(魔暦7年)11月場所後には悪魔の姿で正客として佐渡ヶ嶽部屋に招かれ、稽古場上座に親方らと列座して大関琴欧洲らの稽古を中心に熱心に見覧している。
これら閣下の好角家ぶりは広く認知されており、メディア出演要請も現在では民放各社にとどまらず日本放送協会からも一目置かれるまでに至っている。例えば2005年(魔暦7年)11月9日放送のNHKの『クローズアップ現代』では、スタジオ・ゲストとして悪魔の姿で琴欧洲の話題を中心に大相撲の現状と展望を述べたほか、2006年(魔暦8年)1月15日の大相撲初場所8日目には、NHKの大相撲テレビ中継のゲスト解説者として午後1時のBS2の中継開始から午後6時の総合中継終了までの長時間にわたる出演に招かれている。大相撲中継のゲスト出演者は従来、まれに幕下中継に参加することもあるものの通常はあくまで中入り後の中継に参加するのみであり、しかも相撲に関して精通したゲストが招かれることはほとんどなかったが、中継開始から終了に至るまでの全てに出演しゲストが全編にわたって解説を展開するというのはNHK相撲中継史上初の特別な扱いであった。閣下は、午後2時30分頃から約30分間のみ休憩したが、これはあくまで出演上の放送席を向正面から正面に移動するため止むを得ず休憩したというほどの熱心さを見せた。
閣下は中継終了間際に感想を問われ、「(大相撲中継へのゲスト出演は)紅白歌合戦に初めて出たときよりも感激した」と述べていたが、これは前述の通り布教活動中には、観客の観戦集中を図るためとの名目で日本相撲協会理事長から直々に人間の姿以外での国技館入館を謝絶されてきた辛い抑制の時代があり、いま晴れて禁を解かれ悪魔の姿で入館できるようになったことへの感激の念に他ならない。ただ、従前からの理事長見解にも確かに理があり、事実、同日中継放送中にもかかわらず閣下を撮影するための観戦者のカメラフラッシュが間断なく焚かれていたほか、相撲観戦そっちのけで「デーモンだっ」「閣下~」等と叫び寄る観客も散見された。
解説の内容そのものについては、角界関係者・メディア・視聴者ともに概ね好評で、再登場を望む声が多くあがっている。近年では、近い将来の横綱審議会委員入りも噂されている。
[編集] 主なソロ作品
[編集] アルバム
- 好色萬声男(「小暮伝衛門」名義、1990年)
- DEMON AS BAD MAN(1995年)
- ASTRODYNAMICS(「!」名義、2000年)
- SYMPHONIA(「デーモン小暮閣下」名義、2002年)
- WHEN THE FUTURE LOVES THE PAST ~未来が過去を愛するとき~(「デーモン小暮閣下」名義、2003年)
- LE MONDE DE DEMON(「小暮伝衛門」「デーモン小暮閣下」「!」名義、ベスト盤2005年)
- GIRLS' ROCK(「デーモン小暮閣下」名義、2007年)
[編集] ビデオ
- 宴会大王 ~デーモン小暮閣下ディナーショー~(2003年)
[編集] ショートフィルム
- ジブンナリ ~自分「成り」~(2003年)
[編集] 出演番組
[編集] 現在
- 激戦!大相撲(SKY PerfecTV!300Ch. スポーツ・アイ ESPN)
- つながるテレビ@ヒューマン(NHK総合、主として大相撲本場所開催時にサポーターとして出演)
[編集] 過去
- ビデオジャム(テレビ朝日)
- 夢で逢えたら(フジテレビ)
- RRR(よみうりテレビ)
- デーモン小暮のオールナイトニッポン(ニッポン放送)
- 聖飢魔IIの電波帝国(文化放送)
- デーモン・オーケンのラジオ巌流島(ニッポン放送)
- デーモン小暮のラジ王(JFN)
- HOT'n HOT お気に入りに追加!(ニッポン放送、木曜日)
- Plug in Tokyo(JFN、2003年10月から加入、2004年9月の番組終了まで木曜日のみ)
- デーモン小暮 ニッポン全国 ラジベガス(2005年3月28日 -2005年9月30日 ニッポン放送)
- GATCHA!(日本テレビ)
- 地球☆ゴーラウンド(レギュラーパネリスト NHK総合・BShi、- 2006年3月)
[編集] 著作等
- 『我は求め訴えたり』(ネスコ/文藝春秋、1987年)ISBN 4890367071
- 『デーモン・オーケンのハッスル巌流島』(扶桑社、1988年)ISBN 4594002285
- 『デーモン小暮の試験に出るぬらりひょん 大学入試シリーズ』(ニッポン放送デーモン小暮のオールナイトニッポン・編、ニッポン放送出版、1988年)ISBN 4594003621
- 『夜中の学校12「悪魔の人間学」』(マドラ出版、1993年)ISBN
- 『デーモン・オーケンのハッスル巌流島』(ニッポン放送出版、1994年)ISBN 4594013872
[編集] その他
- 「聖飢魔II」当時は地声を隠す為か、生テレビでもわざわざ専用のエコー付マイクを使って出演していた。
- 小学生時代、坂上二郎のラジオ番組に出演し、坂上のものまねで『学校の先生』を歌った。また当時、広島市で布教活動歴があり、平和への願いは「どの悪魔よりも強い」と自称している。
- 怪獣やヒーロー物への造詣が深い。ゴジラの鳴き真似コンテストに出場して優勝した(その後『ゴジラvsビオランテ』にスポット出演)。また、早稲田大学時代に組んでいたバンドではウルトラマンの歌を歌っていたとか。またこの物まねの上手さから、ラサール石井に「弟子にならないか」と誘われた経験あり。からだの半分ウルトラマン、半分レッドキングでパフォーマンスをする特技あり。
- 世を忍ぶ仮の学生時代、早慶戦の試合前にマイクパフォーマンスとしてゴジラの鳴き真似を披露し、スタジアム全体からの喝采を浴びた。
- TBS社員の姉(小暮裕美子)がいる(地球上で唯一口喧嘩でかなわない相手でもある)。
- 高校時代、早稲田ゼミナールを卒業。恩師に「悪魔の姿(原身?)でテレビに出ている」と驚かれた事あり。
- 素人時代に、素人参加番組である『たけしのお笑いサドンデス』に出演したことがある。
- 大平シローや山口智充に物真似されている。大平が真似してからしばらく、閣下が肥満だというイメージが広まっていた。大平は喋りだけの物真似であるが、「悪党 デイモン小出武」という歌声までも忠実に真似るタレントも存在する。
- 尾崎亜美の結婚式に参列した際、牧師が欠席したため代役を務めた。
- 脚の改造手術中(黒ミサ=ライブ中のトラブルで転落し骨折。信者に向かい「我輩はたった今元気でなくなってしまった」と語るも、痛みをこらえて続行した)の病室で「ママ、梨剥いて」とせがんでいたとの都市伝説が「笑っていいとも!」で取り上げられたことがあった(本当は見舞いに来た記者(?)に対して「まぁまぁ梨でも剥いてあげたら?」と言ったことが変化したらしい)。
- その「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングのコーナーに出演した際、電話の受話器を顔に付けたため、受話器に悪魔の皮膚の模様が付いてしまった。タモリにやっぱりメイクじゃないのかと突っ込まれた閣下は、「これは蝶の鱗粉のようなものだ」と発言。
- また、前述の黒ミサ中トラブルでの骨折で入院中、見舞いにきてくれたタモリに向かって「ジュワファファファ!御苦労である!!」などと言っていたら、母親に「あんた30過ぎにもなって何言ってんの」と言われていたらしい。
- ↑上記のような誤った表記があるが入院していたころは10万20代であり、仮の母親は決して閣下の「悪魔ぶり」をこのように否定したことがない。むしろ楽屋に来たときに関係者に「デーモンの世を忍ぶ仮の母でございます」と挨拶するという徹底振り。
- 黒ミサ中使用した車椅子は「悪魔カー」とのこと。「JOJOの奇妙な冒険」第一部でディオが使用した車椅子は、閣下の悪魔カーがモデルらしい。
- 高速道路で偶然,上祐史浩の護送車に遭遇したらしい。
- 早稲田大学時代はフォークソングクラブに所属していた。「走り幅跳び」や「顔面大陸棚」「生老婆(ナマローバ)」「紫馬肥(ムラサキウマゴヤシ)」「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関するバンド」というバンドを組んでいたこともある。そこでは先に挙げたようにウルトラマンの歌を歌っていたこともあった。また早稲田大学時代の先輩であるサンプラザ中野が爆風スランプを結成するのに伴い、中野の後を継いで「スーパースランプ」の2代目ボーカルに就任している。
- 早稲田大学時代の卒業式のとき、悪魔の姿で卒業式に出席した。当然、大学職員と大揉めしたが「これは悪魔の正装だ!」と押し切った(「徹子の部屋」では、「みんな明日から社会に旅立つ姿で卒業式に来ている。我輩が明日から社会に旅立つ姿がこれなのだ」と言ったと告白している)。
- 某劇団青年部(※劇団ひまわりではない)に在籍経験あり。
- オールナイトニッポンのパーソナリティをしていた時、ゲストの渡辺美里に人間としての名前を暴露された事がある。そのためコアなファンには、人間としての名前を知っている者がかなりいる。
- 谷村新司は、初めてデーモン小暮閣下に会った際、「以前よくお会いしていました。」と言われ、どこで会っていたのか記憶になかったので、たずねてみたところ「谷村さんがよくこられていた歌舞伎町のお店でアルバイトをしていました。」と答えたそうだ。こういう縁もあり、谷村新司のコンサートにゲスト出演することがある。
- 子供のころ(閣下が帰国される前)は、英語のほうが上手かった(閣下談)。
- 2006年(聖飢魔IIの再解散の翌年にあたる)に開設された公式ファンクラブの名称は「縁魔堂」である。
[編集] 関連項目
- 大槻ケンヂ
- 平田オリザ小学校・中学校時代のルームメイト
- 中山千彰 - デーモン小暮のオールナイトニッポンディレクター。
- 旗照夫 - デーモン小暮のオールナイトニッポンにゲスト出演。
- 殿さまキングス - デーモン小暮のオールナイトニッポンにゲスト出演。
- ルーク篁
- 大橋隆志
- ACE
- 石川俊介
- 小暮裕美子
- やくみつる - 高校・大学の先輩で好角家。
- デイモン・ヒル - 彼が所属していた所属チーム「ブラバム」に「聖飢魔II」がスポンサーとして付いていた。
- 桃太郎道中記- ボンビー大魔王役。
[編集] 外部リンク
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