NHKラジオ第1放送
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NHKラジオ第1放送(エヌエイチケーラジオだいいちほうそう)は日本放送協会 (NHK) の中波ラジオ放送局の一つである。
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[編集] 概要
[編集] 番組
主に情報番組やトーク番組を主体に放送している。基本的には毎時55分にローカルニュースと天気予報、毎時58分・28分頃に交通情報(道路状況)、0分にニュース(NHKニュースなど)が放送される。(スポーツ中継などで放送されない場合あり)
識別信号(コールサイン)は、5時、正午、19時の時報前に送出される(FM放送と同じ。東京の場合、女性の声(宮本愛子アナウンサー?)で「JOAK、NHK東京第一放送です」とアナウンスされる)
民放中波ラジオと異なり、レギュラー番組としては主なリスナー層を中高年層に想定したものが多いが、週末の夜の番組では「きらり10代!」や「土曜の夜はケータイ短歌」といった、10~20代のヤング層に向けた番組も放送されるようになっている。
[編集] 放送形態
関東広域圏・中京広域圏・近畿広域圏(京都府・滋賀県を除く)の14都府県で広域放送、それ以外の33道府県で県域放送。空中線電力は地元民放と同等又は同等以上の出力(関東広域圏の場合民放は100kWなのに対し、第1放送は300kW)で送信している(逆に京都・岡山・鹿児島は第1放送より地元民放の方が高出力)。
[編集] 沿革
現在のNHKのルーツとなる放送チャンネルである。
ラジオ放送は1925年、社団法人東京放送局によって東京市芝区新芝町(芝浦)の仮放送所から最初の放送が行われ、その後大阪放送局(大阪市)、名古屋放送局(名古屋市)の順で放送が開始された。1926年に3局が合同して社団法人日本放送協会(現NHKの前身組織)が設立され、全国でラジオ放送が実施されていった。当初は1チャンネルだけだったが、1931年にラジオ放送を2チャンネルに分割。既存のチャンネルを第1放送とした。その後1939年から第1放送と第2放送のチャンネル編成を明確なものとするため、第1放送は全国共通の番組を放送する「全国放送」、第2放送は都市知識階層向けの高度な教養・講座番組を主とする「都市放送」として放送された。
だが、太平洋戦争の影響を受けて、開戦の月・1941年12月から都市放送(第2放送)が休止され再び1チャンネルのみの編成となった。また、敵機の来襲に備えて、送信出力を抑えたり同一周波数で放送したりする電波管制も実施された。
戦後になって、2チャンネル編成に戻り、第1放送は総合番組編成、第2放送は教育・教養番組をベースとした編成とチャンネル編成を明確にしている。「NHKのど自慢」や「紅白歌合戦」のようにテレビ放送が開始されてからは、テレビでも放送される人気番組も登場した。
[編集] 時代のニーズに応えた深夜放送
その後も、TBSラジオや文化放送、ニッポン放送といった民放中波ラジオのようなレギュラー深夜放送は行っていなかったが、1990年4月から試験的にラジオ深夜便スタート。これは、1988年から1989年にかけて、病に倒れた昭和天皇の病状を伝えるための終夜放送を実施した際、この時間の大半でクラシックを流していたのを聞いていた人が多かったためといわれる。1992年4月から正式にレギュラー化され、メンテナンス(送信機器、放送設備点検)実施日以外24時間放送となる。これは地上波の放送チャンネルとしてはラジオ・テレビを通して初めて。
[編集] メンテナンス時の放送対応
現在は放送設備の点検・整備でも予備放送機を活用した減力放送も行われていて、事実上、完全24時間放送となっている。(なお一部地域では主として毎月1回程度の月曜深夜や春・秋の特定期間に放送休止となる局がある)
[編集] 国際放送
全放送時間のうち延べ11~12時間は、日本からの海外向け国際放送である「NHKワールド・ラジオ日本」にも同時放送されている(一部の時間帯を除き、ローカル放送枠は海外安全情報に差し替え)。
[編集] 緊急時の放送対応
突発的なニュース速報(テレビではテロップで表示されるレベルのニュースの入電)、地震情報(小規模なものも含む)、気象警報、交通情報(ほとんどは、鉄道の踏切事故や飛び込み(「人身事故」と表現される)、車両や設備トラブルなどによる運行中止の場合)が入った場合は、該当する地域で番組を一時中断し、その関連の情報を放送している。ラジオ第1放送・FM同時放送の番組の場合は「ラジオ深夜便」、震度6以上の地震や津波の可能性のある地震情報を除き、ラジオ第1放送のみでの放送となる。但し、国際放送では全国一斉で放送される場合のみに限られている。