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Wikipedia:井戸端 - Wikipedia

Wikipedia:井戸端

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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目次

[編集] 最近井戸端から移動されたメッセージ

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--rosso 2006年11月28日 (火) 09:52 (UTC)

/ [開く][ウォッチ ](subpaged)

[編集] 推理小説の犯人を載せて何が悪い?

[編集] メインの議論

推理小説の犯人を載せることはウィキペディアでタブー視されているようですが、載せても構わないのでは?なぜかというと

  • ウィキペディアは本の宣伝・煽りの場ではない
  • 本の内容(一部始終)を伝えるのにネタバレだろうが関係ない
  • 犯人を載せたからといって損することはない

このような理由からです。推理小説の犯人を載せても構わないと思うのですがどうでしょう。--大谷まこと 2006年10月29日 (日) 01:47 (UTC)

それは、ある意味で正しく、ある意味では間違っていると思います。「犯人当て」のミステリであれば、「犯人名」とそれに付随するネタバレを書くべきではありません。「凶器当て」「殺害方法」「追い詰め方」についても、それが「物語の核」にあたる場合には、書くべきではないでしょう。
例えば、古畑任三郎のようなスタイルであれば、「犯人名・殺害方法」を書いても、なんら問題はありません。しかし、「追い詰め方」に関する記述は、控えなくてはなりません。--idea 2006年10月29日 (日) 01:55 (UTC)

本に限らずこういった類の著作物のネタバレを書いてしまうと、その著作物(著作権者)へ損害を与える事に繋がる可能性があります。例えば、普通は本を読破しなければ解らない最も重要となる中核の事項(ここでは犯人)が本を読む前から解っていると、本を読む価値が薄れてしまいます。従って、本の魅力は半減、売り上げに響く可能性もあります。すなわち、作品の面白さが台無しになり、間接的に本の執筆者側へ損害を与えることになるわけです。ですので、こういった表現は如何に事実であろうと避けるべきだと思います。--Pippi 2006年10月29日 (日) 02:23 (UTC)

著作物に間接的に損害を与えて、何が悪い?--L III (N) 2006年10月29日 (日) 05:08 (UTC)
「モルグ街の殺人」の犯人がアレだったり、「まだらの紐」の密室トリックがアレだったりすることをことさらふせる必要もないだろうかなと思います。まさか、これをネタバレされて驚くひとももういませんよねえ? という意味で。
アクロイド殺し」みたいに、とにかく 犯人はアレだったんだよ!! 何だってー!!?? というとこに踏み込まないことには、どうして同作が発表当時、フェアかアンフェアかで壮大な議論を巻き起こし、今でもミステリファンの間で酒の肴になるのか、それが説明できない作品なんかも、ネタバレテンプレートの下に、さらに「この下に重大なネタバレがあります」的なことを明示した上で、書いちゃって良いんじゃないでしょうかねぇ。
ただ「そして誰もいなくなった」の説明に、犯人をわざわざ明示する必要もないとは思う。--橋川桂23:50の死線 2006年10月29日 (日) 02:29 (UTC)
仰りたいことは、非情によく分かります。しかし、ミステリマニアにとっては、当たり前のことでも、多くの一般人にとっては、(ミステリマニアが思うほどには)古典ミステリはそこまで一般的ではありません。
また、大抵の作品であれば、ネタバレを隠しながら、うまいニュアンスで表現することは、できるかと思います。この辺りの文章が、ウィキを書く上での「醍醐味の一つ」と思います。(ブログとかなら、いくらでも好き勝手かけば良いですが、その違いですね) --idea 2006年10月29日 (日) 02:37 (UTC)
いや、単にミステリファンの間の常識じゃなく、ポーやホームズものなんかはもう小説史の中での評価がもう定まっているんじゃないでしょうか。エンターテイメントとしてのミステリじゃなく、ビクトリア朝大衆文学として「まだらの紐」の凶器がアレで寝室の処女にまといついてナニする場面のエロさは書いてしまっても良いと思います。(どうしても書けとは言わない)
エラリーや、カーや、バンダイン、クリスティなんかがボーダーラインでしょうか。20世紀文学というくくりでみれば評価は定まっていますが、まだまだエンターテイメントとして通用する作品もあったり。
作家の中には犯人に自己を投影したがる人もいます。乱歩とか、乱歩とか、あと乱歩とか。こういう人の作家性を語る時には犯人ネタバレは避けて通れないということもあるのではないでしょうか。(乱歩の場合、とくに「意外な犯人」で読ませる作品ばかりでないためもありますが)
逆に、現役のエンターテイメント作品のネタバレは、これは絶対に橋川は好みませんね。--橋川桂23:50の死線 2006年10月30日 (月) 08:22 (UTC)

[編集] 技術的にはどうだろう

目次の表示・非表示みたいにクリックすることによってネタバレ部分が畳めるようになっていると便利ですね。どうすれば出来るのかはわからないのですが。--Calvero 2006年10月29日 (日) 02:38 (UTC)
ネタ部分をサブページ化とかすればよいような気もしますね。[[そして誰もいなくなった (詳細)]]のような感じで。--Himetv 2006年10月29日 (日) 03:32 (UTC)

以前、私はネタバレはをあぶり文字という形で記載すべきと書いたことがあります。それを参考にしてはどうでしょうか?--経済準学士 2006年10月29日 (日) 04:29 (UTC)

一般に百科事典においてネタバレを避けるべきではない、とは思います。しかし、ウィキペディアでは、ある程度の抑制が必要だと思います。通常の百科事典であれば、ほとんどの推理小説の作品は項目として扱われず、極めて有名な作品か歴史的価値があるものに限られるでしょう。また、紙の百科事典であれば、目的の項目以外の記述には目を向けないこともおおいはずです。ウィキペディアでは、ある程度知られていれば個々の作品の項目が立てられる傾向があり、また検索によって一部が表示されるなかでネタバレ部分が出てきたりする事もあります。なので、いちおうは避けておくのがいいのかなあ、と。すでにいくつか案が出ていますが、たとえばアクロイド級の知名度と重要度を持つ作品以外はすべて立てないということにするなら、犯人名やトリックを詳述してもいい、としてしまってもいいかもしれません。ミステリファン以外にも知られているが読まれているわけではないような作品や、ミステリファンであれば読んでない方が悪いと言えるような作品については、犯人名やトリックの主要な部分を書いても構わない、とか。編集合戦の要因とはなるでしょうから、個々の作品のノートか、推理小説プロジェクトとかで落としどころを探るとかしてみるのがよいと思います。--Ks aka 98 2006年10月29日 (日) 06:13 (UTC)
上にある「マンガ関連で詳細なストーリー解説がされることについて」とかと同系列の話なのですが・・・一番いいのは、Calveroさんが言っているように、目次みたいに表示非表示を選択式にできることですかね。「見たい人は見てください」的な・・・現状、ネタバレテンプレートが張ってあっても、「記事が短いからスクロールしていないのにネタバレが見えちゃった」というような「がっかり」はあるかもしれませんし。ただ、逆にその作品がどういったものか?というのを手っ取り早く知るためには、やはりあらすじというのは有効な手段でして・・・私はウィキシステムはあまり詳しくないのですが、この方法は難しいのでしょうかね?--koon1600 2006年10月29日 (日) 06:50 (UTC)

[編集] マナーの問題ではないですか

犯人・動機・トリックを書かないのが、推理小説に関しての文章を書く人のマナーです。というのは、活字の世界での話ですが。それを書かなくても良質の推理小説に関する文章は書けるはずです。中村真一郎福永武彦丸谷才一共著の『深夜の散歩』(今は扶桑社から文庫になっています)でも読んで、冷静になってください。 --ねこぱんだ 2006年10月29日 (日) 07:05 (UTC)

「物書きとしてのマナー」は、文章を売る人間としてのものでしょう。--Extrahitz 2006年10月29日 (日) 07:56 (UTC)
あなたも、Wikipedia上に書く人間ですね。人前で文章を書くなら、マナーくらいまもるのは当然ですね。--ゆきち 2006年10月29日 (日) 12:36 (UTC)
説明足らずで申し訳ありませんが、私が言いたいのは、この「マナー」は作家・出版業同士が互いの商売の足を引っ張らずに共存共栄を図った方がだという戦略上の「商売道徳」にすぎないということです。あえて商売の邪魔をする必要はもとよりありませんが、彼らの「仲間内の仁義」に我々が拘束される必要はないということです。--Extrahitz 2006年10月29日 (日) 13:16 (UTC)
少なくとも私はWikipediaが作家、出版業、その他と敵対関係を作ることは望まないです(すくなくともWikipediaとして奨励はできないでしょう)。あとこういう縛りを「仲間内の仁義」でありこちら側にとっては拘束でしかない、と考えるのは正直思考が硬直していると思いますよ。どうも(Wikipediaに限らず)ルールとかガイドラインを単純に拘束と考えてしまう人も多いんですが、そういう思考ではWikipediaの項目の文章をただ長くするだけで読んだ人に役に立つ文章は書けないでしょうね。--SeyfertSluw 2006年10月30日 (月) 07:38 (UTC)

実際のところ、ネタバレかましている紙の百科事典があったら見てみたいんですが実際にあるんでしょうか? 書く側の良心(笑)として、あまりそういうことはやらないと思っていましたが……--なのこえ 2006年10月29日 (日) 07:47 (UTC)

マナーはマナーであってなんの法律でもないんだなあ。そこを強行できるのが非紙百科事典の強みなんだなあ。Wikipediaをよくおもわない人は2chであばれてればいいんだあ。--糞南京丼キチガイ まいいだろ 2006年11月25日 (土) 11:08 (UTC)

[編集] 技術ふたたび

うえで経済準学士さんがおっしゃってるあぶり文字っていかにもウィキペディアぽくて好きですけどね
あら不思議
↑ちなみにこんなのです-- 2006年10月29日 (日) 08:21 (UTC)
背景色と文字色の設定を利用したトリックは、表示環境によっては機能しない恐れがありますから、使用すべきではないでしょう。というか、そもそもトリックを用いること自体よろしくないと思います。 -- NiKe 2006年10月29日 (日) 10:03 (UTC)
ブラウザの問題ですが、背景・文字が「黒・白」の場合であれば、ほとんどのブラウザで大丈夫だと思います。ただ、この例のように、数文字~1行ならともかく、数行にわたっての場合になると、数行の空白ができるというのは、見た目に喜ばしいことではありません。個人的には、あぶり文字は好きなんですけどね。--idea 2006年10月29日 (日) 13:46 (UTC)
とりあえず、ケルンブルーの外装では全く意味がないことをお伝えしておきます。--Riden 2006年10月29日 (日) 16:49 (UTC)
あ~、そうか。ウィキペディアには「外装」という概念があるのか…。--idea 2006年10月29日 (日) 18:54 (UTC)
説明の補助として色などの視覚効果を使う場合には、読み上げブラウザについても考慮していただけると幸いです。テンプレートなどでタグ付けされていれば、その部分を特別扱いすることも不可能ではないので、少なくとも物理指定は避けた方がよいです。--T.Kimura 2006年10月31日 (火) 03:11 (UTC)
個人的には、半落ちの「読み飛ばす」がウケました。まあこれもブラウザ等の環境依存ですが。--西@東 2006年10月30日 (月) 04:17 (UTC)
掲載有無は別にして、ネタバレ部分が畳む話はWikipedia‐ノート:ネタばれに注意#折りたたみ式のTemplateの提案が出されています。--toto-tarou 2006年10月30日 (月) 11:20 (UTC)

[編集] 何を求めるのか

そんなに犯人とか書きたいのなら、推理小説の犯人一覧のような記事をつくって、そこへのリンクをはったらいかがですか。そうすれば、見たくない人はみないでしょう。 --ねこぱんだ 2006年10月31日 (火) 23:47 (UTC)

ウィキペディアはネタバレを避けるべきではないと思うんですがね。事の一部始終を伝えるのにネタバレだろうがネタバレじゃなかろうが関係ありません。僕自身、IPで推理小説の犯人の名前を書いて何度か削除されたこともありました。推理小説の犯人一覧は実用的ではないかと。その小説のページに書けば言い話です。上であったように目次のように折りたたみにできれば一番いいんですけどね。まあネタバレを見たくない人もいるでしょう。しかしそのためにネタバレテンプレートがあるのですから。--大谷まこと 2006年11月1日 (水) 11:29 (UTC)

百科事典で推理小説を調べ様と見に来る人が何を求めているかを考えれば、明白な事でしょう。粗筋紹介において、主要人物やトリックに関わる要素、トリックそのものの紹介、犯人の動機等全部書くべきです。211.133.18.130 2006年11月1日 (水) 19:11 (UTC)

>百科事典で推理小説を調べ様と見に来る人が何を求めているかを
作者は誰かとか、発表はいつかとか、その作者の経歴の中でどういう位置づけになる作品であるかだとか、ミステリ史上や文学史上での評価だとかじゃないでしょうか。少なくとも私は未読のミステリの結末が知りたくて百貨事典で引いたことはないです。
思うに、「ミステリのネタバレは厳禁」というのは、ウィキペディアと関係ないところに、ずっと古くからあるマナーなのですよね。それをウィキペディアはどうあるべきだ、という方向から論じてもきっと平行線。ここで議論しても、ネタバレは是非するべきだとも、まったくしないべきだとも、結論は出ないのじゃないでしょうか。
結局は、作品個々について語り合ってみるしかないのでは?
「この犯人像にはこの時期のこの作者のこういう心情が表れている」とか、「このトリックで重要な役割を果たす小道具の××は当時としては最先端の○○で~」の様に、ネタバレすることでその項目がどれだけ充実するかノートでまず提案してみて、賛成意見がついたらゴー! ということにするしかないと思う。--橋川桂23:50の死線 2006年11月2日 (木) 01:26 (UTC)
ネタバレ厳禁のマナーなんてものは、本の紹介等での話であって百科事典でのマナーではありません。製本された百科事典にネタバレ記事記事が何時あった?という議論をするのならば、個別の新作小説紹介記事をWikipediaで掲載するかしないかという議論となる筈です。211.125.13.200 2006年11月2日 (木) 12:38 (UTC)
その通りで、ミステリ関係者の「マナー」と、ウィキペディアンの「ガイドライン」がまったく別々なのが問題点。どっちを優先するかは、各記事の執筆者の判断やらノートでの議論にゆだねられるべき問題なんじゃないでしょうか、と言っています。とりあえず私は「しても良い場合だってあるだろう」派ではありますよ。--橋川桂23:50の死線 2006年11月2日 (木) 19:17 (UTC)
わかっていることでしょうけど敢えて言いますと、推理小説は他の創作物(小説に限らず、映画やマンガ、戯曲など含めて)に比べて、「わかんなかったことがわかることによる面白さ」に強く立脚しているものですよね。ネタバレはそれを奪ってしまうわけで、好ましくないと考える人が多いことは想像できますし理解できます。
全ての推理小説のネタバレを不可にすべきとは私も思いませんが、基本ネタバレOK、とするほど緩やかにすべきだとは、前述の推理小説の特性を考えると頷けません。解題をして「こんな凄い推理小説なんですよ」と紹介したい気持ちは判らなくもないんですが、百科事典にそこまで求めるのか? と思ってしまいますね。単に紹介することと、ネタバレしてまで紹介することとの間には随分開きがあると思いますよ。--なのこえ 2006年11月4日 (土) 01:10 (UTC)


逆に、「してはいけない場合」が何故あるのか掴みかねます。ねこぱんだ様が「(ネタバレ記述をしなくても)書かなくても良質の推理小説に関する文章は書けるはず」(強調引用者)とされていますが、(無駄に冗長な記述になる場合は別として)作品説明としての完成度を考えるとネタバレ記述を積極的に否定する根拠が見出せません。歴史的且つ有名な作品であるかは個人レベルではあまり関係ないのでは。。出版社との敵対云々は根源的にコピーレフトの概念に基づいて百科事典作ってる時点で思想的に対立してるのかなあ、とふと思ってみたり。--Kkkdc 2006年11月3日 (金) 11:13 (UTC)

「基本的にはしてはいけない」のがマナーとして定着しているのですよ。こと推理小説に関しては。
別にウィキペディアのどのガイドラインが禁止しているということでもないし、誰かがどこかで話し合って決めた拘束力のあるルールとしても、そんなものはどこにもしません。だから、議論によってそれを覆そうとするのは、正直やめたほうが良い。あえて言おう、徒労であると。
たとえとして適切か判りませんが、「13日の金曜日」は不吉だからと信じて絶対外出しないと決めている人に、キリスト教にそんな教義はないから無駄だと説くことはできるでしょう。でも首根っこつかまえてむりやり外へ引きずり出すことも出来ないじゃないですか。
正直、どんなに話し合っても、「ミステリも積極的にネタバレをしていこう」という結論には絶対ならない。多分ならないと思う。ならないんじゃないかな。んで、万万が一「ネタバレOKでやっていこう」の総意が得られたとしても書かない人は書かないだろうし、消す人はきっと消すんですよ。
そういう人たちというのはウィキのルールやガイドで書かなかったり、消したりしてるわけではないので、「ウィキとしてはこうなっている」じゃない方向からのアプローチが必要になりましょう、是非。--橋川桂23:50の死線 2006年11月4日 (土) 03:40 (UTC)
ネタバレしたラいけないとか言うのは、その分野の中でのマナーに過ぎません。専門家は百科事典に記事を書くことはあっても、自分の専門分野を百科事典で調べることはありません。だからこそ、百科事典で推理小説を扱うのであれば、全部書くべきなのです。211.125.13.76 2006年11月6日 (月) 17:50 (UTC)
逆でしょう。古今のミステリのすべてを熟知しているような「専門家」でない人が読むものだからこそ、ネタバレはすべきじゃないのです。
と、だからこういう話をここでいくらしても平行線だと上でも申し上げた通りな訳ですよぅ。
えーと、なんだろな。その推理小説の「推理」小説でなくて推理「小説」な面に言及するのに、ネタバレが必須という様な時は許容されて良いだろうなと私なんかは思って繰り返し提案しております。いわゆる社会派ものとかハードボイルド派で、犯人の人物像やその動機が作品のテーマに直結しているような例は多いですしね。あと歴史ミステリで犯人像に作者の歴史観がよくあらわれている場合とか。
一方、いわゆる本格派、パズラーものなんかで多い、犯人はただ謎解きのピースでしかない、いっそ「OLA子」としたってなんら問題ないような、「ためにいる犯人」、作者の作家性をあらわしたキャラというわけでもなく、名探偵にとってとりたてて特別なライバルだったわけでもない犯人、読者にも何の読後感も残さず去っていったような犯人は、これはわざわざ明記する必要はないんでは?--橋川桂23:50の死線 2006年11月6日 (月) 18:39 (UTC)
反対している人達は百科事典とガイドブックの区別が付いていないように思えます。百科事典は門外漢にたいして、その分野の事実を解説したものであるから、カツテ家庭の教養度を誇示する為の必需品で、金持ちは大百科事典の巻数を競い、庶民は7-8冊程度の百科事典を月賦で買ったのです。小説の内容は書くべきでないという意見は、料理のレシピを書くな!とか、数学の公式を書くな!という主張に等しいことを認識するべきです。202.233.244.50 2006年11月7日 (火) 14:10 (UTC)
その通りではないにしても、両者の立ち位置があんまり違うのが一番の問題点だとは、私も思います。だから私の様な中間派は哀しくなって来る。
今、我々を隔てている距離は絶望的に遠い。それにしたってお互いまず一歩をどちらかから踏み出してみないことには、抱き合うことなんか永遠に出来っこないじゃないか。
料理のレシピの例えで応えてみると、「カレーライス」という料理の一般的なレシピは書かれてしかるべきかしれませんが、この大地に星の数ほどは言いすぎにしても料理人の数だけある「オリジナルカレー」の全部について、レシピが書かれるべきかというと違うでしょう。料理人の中には、自分のレシピが公になるのをこのまない方も当然いらっしゃるに違いない。推理小説という料理の一般的なレシピは書かれてあるべきでしょうが、作家という料理人がそれぞれ趣向をこらしたオリジナルメニューのレシピをすべて書くべきかというと、やっぱり違うでしょう。特に推理作家という人たちは、自身のレシピの公開されるのを好まないタイプの料理人であります。--橋川桂23:50の死線 2006年11月8日 (水) 02:21 (UTC)
誰が存在する全てのレシピの話をしましたか?現存する全ての推理小説を百科事典に掲載するべきだという議論の提起ですか?211.133.18.57 2006年11月9日 (木) 04:09 (UTC)
いいえ。橋川はそんな提起はしなかったと思いますが、どなたかがなさいましたでしょうか?--橋川桂23:50の死線 2006年11月9日 (木) 04:51 (UTC)
公開されたくないレシピをガードするのは料理人の責任ですが、食通が解明してしまう事はよくあることです。材料も調理方法も判っているのに、○○料理人の料理には敵わないと言われてこそ一流の料理人でしょう。211.133.18.57 2006年11月9日 (木) 04:09 (UTC)
これはある意味その通りなんであって皆さん注目。
例えばホームズものやカーやチェスタトンなんかに、源トリックと呼ばれるものがありますね。その後の作家によって同工異曲作が多くものされ、一種のジャンルになってしまっているような例。そうしたネタ元的な作品について、「○○が実は××だったというトリックの元祖的な作品である」とか、そのジャンルでの代表作について「~というトリックを用いた作品の中でも名作に数えられる」といったネタバレは、ありなんじゃないでしょうか? それこそIP氏のおっしゃるところの「食材も調理法もわかっていても、やはり○○にかなわない」という特筆されるオリジナルメニューの例ではありませんことかしら?--橋川桂23:50の死線 2006年11月9日 (木) 04:51 (UTC)
取り合えず、数学の公式に相当するのはノックスの十戒とヴァン・ダインの二十則で、犯人特定じゃないですね。LR 2006年11月8日 (水) 03:10 (UTC)
ついでに、Wikipediaはレシピ集ではないそうです。……という話は置いといて、推理小説でネタバレをして、なにがしたいんだかよく判んないんですが……。単に、「この小説の犯人は○○で、トリックはうんたらかんたらで……」と書いておきたい、ということなんでしょうか?--なのこえ 2006年11月9日 (木) 06:42 (UTC)
これも実は是非聞きたいことなのですよね。ネタバレ解禁派の人にはまず、それによってどういうことが書けるようになるのか、どう良くなるのかを教えていただきたい。「例えばこういう作品で、こういうことを書く時にこういうネタバレは許容される、多分されると思う、されるんじゃないかな」というケースを、私の様な中間派がどんなにあげてもあげてもあげても、日をあらためてから表現を変えて書いてみても、とにかく一律反対派からならともかく、一律解禁派からばかり疑問を投げかけられるもので。
解禁派の人たちは今具体的にどの作品でネタバレ記事を書きたくて書きたくて、冒険もいろいろしたりしているのか、まず、是非、それを教えてももらいたいものです。--橋川桂23:50の死線 2006年11月10日 (金) 04:48 (UTC)
私はネタバレをことさらタブー視するべきではないし、禁止すべきでもないと思います。しかし同時に、ネタバレを犯さないと紹介や解説が出来ない方は筆力がないのだとも思います(つまり、ねこぱんだ氏よりも相当に辛辣です)。従って、ネタバレ記事は洗練されていく過程で自動的にマナーに沿ってネタバレが上手に隠される方向に進むはずで、そこで起こる抵抗の大方は、wikipediaへの参加をご遠慮頂きたい、共同作業に向かない種類の人物による自己表現や個人的方針に関する固執の類であろうと予言します。そして同時に、規制導入的にネタバレを禁じようとする方も、結局はネタバレ文より良い記事がかけないのに自己主張だけ通そうとするので反発を招くのだろうと想像します。要するにこの手の論争は(ネタバラシに頼る必要がない)圧倒的に良い記事文を書くことで収めるもので、こんなところで白黒つけるものではないでしょう。LR 2006年11月6日 (月) 18:35 (UTC)
ウィキペディアでは推理小説の販促をしているわけではありません。記事によって作品へと誘おうとしているわけではないのと同時に、読んで楽しい文章を書こうと努めているわけでもありません。非情なことですが{{ネタバレ}}警告を無視して記事を読み進めた作品未読者に対し、作品を楽しむ猶予を残しておく必然性もないものかと存じます。
対象小説において「犯人」の存在がストーリーラインにおいて特筆に値しない作品についての例が挙げられていますが、それが(ネタバレであることとは無関係に)犯人を記載しない理由になるケースは考えられるでしょう。--Kkkdc 2006年11月9日 (木) 14:18 (UTC)
いやだから、ウィキとはこういうものだで片付く問題じゃないと上の方で言ってる通りなんですよぉ。ミステリに関してはこういうマナーがあるんだという主張と、ウィキのルールやガイドラインはそれを禁止してはいないという意見が、まるで別の軌道の惑星みたいなことになっているのが、一番の、良いですか、ここでの一番の問題点。--橋川桂23:50の死線 2006年11月10日 (金) 04:48 (UTC)
ネタバレは作品の内容を伝える上、あっても構わないと考える。何のために{{ネタバレ}}があるのか。--高山浩介 2006年11月13日 (月) 11:05 (UTC)

[編集] もう一度冷静に

インデントを戻して初心に帰りましょう(笑)。

で、上で書いてあることの再質問になりますが、ネタバレをするとして、どういった記事にすることを考えているのでしょうか?

今までの議論を読む限り、「狭義のネタバレ禁止論者」は少ないように思います。古典や汎用ネタなどのネタバレについては、まぁいいんじゃないのといったような共通認識はできていると(そういう立場の人間だからそう感じるだけかもしれませんが(笑))。

で、そうでないネタバレについて、できれば具体的な作品名とともに、どういった感じで記事を書きたいのかを教えてください。そこのところがどうしてもよく判らないので。そのプレゼンで納得がいくのであれば、私も「原則ネタバレOK論者」に鞍替えします。--なのこえ 2006年11月14日 (火) 04:49 (UTC)

別に自分は推理小説の記事を書くわけではないですが、意見を述べておきます。「物語の核」は書いてはいけないという意見がありましたが、私は逆に「物語の核」だからこそ書く必要があると思うのです。百科事典である以上、対象となる小説の評価が定まっていれば当然書くべきでしょう。当然この分野では評価の主な対象はトリックや犯人当ての手法になるのでしょうが、その際に単に「この作品で用いられたトリックは斬新である」と書いただけでは全く記述に説得力が無いわけです。なぜ斬新なのか、その根拠を述べなければなりません。その際には、「このトリックは~~~であり、その~~~の部分が~~~だから、このトリックは斬新だという評価がされている」と、作品の核にまで踏み込むことが必要不可欠なのではないでしょうか。
以下はほとんど新書や学術書しか読まず、小説など何年と読んでいないような人間の完全な私見ですが、例えば話題になっている推理小説家がいるとしましょう。好奇心から、なぜその作家が話題なのか私は知りたくなります。その際、私は別に犯人当ての過程を楽しみたいわけでなく、「このトリックが作品の核である」という事項を事実として、原作を読まずとも「なるほど確かにこの作家のトリックは斬新だ、流行するのもむべなるかな」と納得したいだけなのです。そういう視点からすれば、ネタバレを書いていただけるとわざわざ時間をかけて原作を読まずに済むので有難かったりします。無論ネタバレを見たくない方への配慮を妨げるものではありません。完全な個人的意見ですが。--spirituelle 2006年11月15日 (水) 18:12 (UTC)
良くある「文学100選つまみ喰い」みたいな形ですね。正直、それを百科事典に求めるのはどうなんだ? という気がするんですが……。--なのこえ 2006年11月16日 (木) 02:33 (UTC)
まあ百科事典の定義は参加者によって曖昧ですしね…… 私は「人類の知が及ぶあらゆる範囲の知識を体系的に集積したもの」と位置づけていますから、当然それを百科事典に求めるべきだと考えますが、そのように考えない方もどうやら多いようですね。個人的にはニーベルンゲンの指輪の核となるストーリーをつまみ食いするのと推理小説の核となるトリックをつまみ食いするのと何が違うのだという思いもありますが(もっと言えば相対性理論の核となる議論をつまみ食いするのと何が違うのだ)。
それは完全な私の私見ですからともかくとして、前者の方、つまり推理小説の評価(当然ながらトリック等が推理小説の核になりますから、評価の中心もそこでしょう)を記載することです。世間からの評価(もちろん検証可能なものになるのでしょうが)を記述するのは百科事典の役割でないとする方はおそらくいないと思われます。これに当たって、トリックに踏み込まないで済ますことは不可能だと私は考えますが、その辺りに関してはいかがでしょうか。--spirituelle 2006年11月16日 (木) 11:31 (UTC)
「そのトリックは過去にないもので独創的であった」と評価すればいいところを、「そのトリックはこういうもので、それが過去にないもので独創的であった」とまで記述する必要はあるんでしょうか?
ところで、なんか話が拡散しそうでアレなんですが(笑)、実際のところ、推理小説ってどれくらい記事ができてるんでしょうかね? 好きな作家をいくつか浚ってみたんですが、別メディアに展開されている作品以外のものってやっぱないですね。乱歩や横溝にいくつかある程度でした。これは筆を渋っているのか、それともそもそも需要がないだけなのか……?--なのこえ 2006年11月17日 (金) 02:17 (UTC)
上記のように記述する必要は私はあると考えます。百科事典というのは当該項目を知らない読者のために当該項目を説明するものです。そこでは、アカデミックライティングの基本として、何らかの主張(この場合だと「そのトリックは独創的である」)をする際には、読者を納得させるために論拠を記す必要があります。「そのトリックはこういうもので、それが過去にないもので独創的であった」という記述であれば、それが過去にないものであったか否かに関しては悪魔の証明ですから示すのが難しいとしても、少なくとも推理小説に関し一定のリテラシーを持っている読者には納得してもらえるでしょう。ところが、「そのトリックは過去にないもので独創的であった」のみの記述だと、一定のリテラシーを持っている読者でも実際に当該小説を読んで内容を確認するまで納得ができません。これでは「知らない読者のために解説する」という百科事典の目的が達成されないのです。
推理小説の記事に関しては、何分前述のような人間ですから存じ上げません(苦笑) ですが、実際は「執筆者がいない」というのが理由だったというのも他分野では往々にしてありうることです。--spirituelle 2006年11月18日 (土) 13:39 (UTC)

(戻して)改めて考えてみると、ネタバレ否定側の論拠というのは、要するに「慣例」でしかないんですよね。で、まぁ、バラさずに済むものであれば敢えてバラす必要もないだろうという感じで。ルールではなくマナーの世界です。例えば著作権侵害や名誉毀損なんてのはルールですけど、別にネタバレしたって「すんなよー!」と罵声を浴びせられるだけのことでしかないですし(笑)。

けど、百科事典は事実を書くもんだ、そんなもんケツまくっちまえ、と、そう言ってしまえばそれまでだなとも思うんですよ。ルールなら(仕方なくであっても)守るけど、マナーなんか知らんと。推理小説を愛する人間としてはマナーを守って欲しくはあるんですが、でも、ルールにはないんだから別に問題なし、と言われてしまえば、こちらとしてはどうしようもありません。

今回の問題は、百科事典としてはこうしたい、という部分と、推理小説としてはこうしたくない、という部分での綱引きだと思っています。で、百科事典の側が、「百科事典にはしたいことがある。そのためにルール違反はしないが、マナー違反だったらさせてくれ。こっちは百科事典としてのルールには則ってるんだ」という主張をした場合、推理小説の側は「それってどーよ?」以上の主張はできません(少なくとも私には)。

……というわけで、心情的には反対派ではあるものの、ネタバレを禁止することはできない

というのが現時点での私の結論です。--なのこえ 2006年11月17日 (金) 02:17 (UTC)

実際、書いてもいいとなって、単に『犯人は○○である』レベルの記事が乱立されても困るのですよ。だから、前には『一覧』という別記事をつくったらいかがという提起をしたのですが。

例えば、松本清張の『砂の器』がありますね。あの作品なら、ハンセン病差別の問題が事件の動機であったことは書いてもいいと思うのです。しかし、それを、〈犯人はかつての秀夫少年が○○と改名した、新進△△家として期待されている人物である〉とした場合はどうでしょうか。そこまで書かなくても、〈かつての秀夫少年が、過去を知られることを恐れたという動機を描くことで、ハンセン病差別の問題にきりこんだ〉というレベルの書き方で十分だとおもうのですよ。いかがでしょう。(と書いてから、プレビューで砂の器の項目をみたら、しっかりと名前が書いてありましたが)--ねこぱんだ 2006年11月17日 (金) 08:37 (UTC)

スタブ的な記事が多くなるかもしれないから反対、というのもいかがなものかと。やってみないと判んない、という部分もあるでしょうし。それに、そういう記事についてはスタブ未満記事として削除することもできると思います(多分)。それはWikipediaの管理的(?)な問題であって、ネタバレがいいか悪いかという本質的(?)な問題とは別だと思います。--なのこえ 2006年11月21日 (火) 01:24 (UTC)

横から失礼します。新参者のrossoと申します。 「wikipediaとしては実社会に不利益を被らせるのは得策ではない」 というスタンスから、「深いネタバレ」は避けるべきと思っています。 「あらすじを知りたいだけの人が~」と言う記述がありますが 本当に「読まなくても良くなってしまう」のであれば、本が売れなくなります。 出版社が、作家が利益を被らなくなる世界は 文化的に歓迎出来るものではないと思います。

wikipedianは(米国本部のごくごく一部の方を除いて、)ボランティア集団です。 その意味において、編集者はプロとは言い難く、 また本当のプロの皆さんの心情を察せない傾向があると思います。 どうか、出版界に被害を与えるほどの「深いネタバレ」は指針として禁止頂きたい。 って書くと、僕が出版側の人間みたいですケドね。笑

「お菓子系の~」との記述もありました。 編集者の良心に従い、「深いネタバレ」は感想サイトに任せて、 ここでは、「あらすじ」(もちろん出版社の作ったモノよりは詳しくても良いのですが) を掲載するに留めるべきかと。--rosso 2006年11月23日 (木) 04:20 (UTC)

みんな出版社の利害ばかり口にしますが、本は図書館や身近なファンから借りてもいいわけですから。むしろ本来一番興味を引くはずの結末が本を読まなくてもわかってしまうのでは、読者の本離れ=推理小説ファン人口の減少を招く恐れがあります。編集者が本当に推理小説ファンなら単に自分の知識をひけらかすだけでなく、閲覧者を本に招くために興味を引くような面白いあらすじを書く、という選択肢もあるのでは?--井出本 剛 2006年11月23日 (木) 04:54 (UTC)
全く同感です。 「閲覧者を本に招くために興味を引くような面白いあらすじを書く」難しいかも知れないけれど、我々がやるべきはそういう趣旨のことで、悪戯に内容を暴くべきでは無いかと。--rosso 2006年11月23日 (木) 05:15 (UTC)
宣伝の禁止はWikipediaの明確な方針です。
そもそもWikipediaに記事を立てるのは作品による何らかの社会的・文学的影響の存在が前提です。どのように影響を与えたのかということを明快に説明する上でストーリーの記述は避けられません。そういった影響も存在しないような作品の記事を立てることこそファンサイトでやって頂きたいと思います。--Extrahitz 2006年12月6日 (水) 00:58 (UTC)
ストーリーの記述と、犯人やトリックの無用な開示とはちがいます。『砂の器』でいえば、犯人を「かつての秀夫少年」というレベルにとどめる、被害者の元巡査がどうやって秀夫少年が後の犯人の○○であることを知ったのかについてのトリック(といっていいと思います)は記述しない、ということでも、記事は書けます。そこは混同されぬようお願いしたいのです。 --ねこぱんだ 2006年12月6日 (水) 06:09 (UTC)
私個人としては、まず、「著作権」という権利が生まれた背景を尊重していただきたいなと思うわけです。詰まるところこの権利は、「素晴らしい作品を作ってくれた人への敬意」を形にしたものだと考えています。だからこそ、「著作権者が許可しない」コピー製品は排除されてきたし、今現在でもコピー製品と戦っている著作権者が大勢いるのです。正直申し上げて、その作品を本当に愛している場合、著作権者の嫌がることはしたくない、というのが本音であります(私自身、趣味で小説を書いている側の人間なものですから……きつい言い方かもしれませんが、自分の作品を(勝手に)解説されるなんて「大きなお世話」でしかない。100人の読者がいれば、100とおりの解釈があっていいとも思っているんです。解釈を「固定化」させるのは、「読者にとって」よいことではありません。「読者の」想像力を貧困にさせます。小説に限らず創作作品というものは、もっと柔軟に楽しむものです……なんて考えているのは私だけかもしれませんが。いや、どこかに出典があったはずなんだが…思い出せない……)。
宣伝は、確かにWikipediaでは禁止されている方針です。けれども、だからといって「営業妨害」をしてもいいという話にはならないでしょう。これは、「どちらも」中立的な観点ではありません。ですから、少なくても私は、特に「現在進行形で発売している作品」については、Wikipedia:存命人物の伝記に等しいくらいの慎重さで執筆していただきたいなと、思っているのですが……(それこそ、「事実だったら何を書いてもいい」とはならない、と)。
私も、こう見えて何から何までネタバレだめ!と申し上げているわけではないのですよ。「しかるべき評論家が」このように解説している、という書き方ならOKであろうと思います(もちろん、出典必須です)。また、作者自身が「ここはこういう意味だ」と解説している場合などです。このような評価がなされていない作品で、「ここはこういう意味だ」と書くのは、Wikipedia:独自の調査に触れるのではないかと考えます。なお、普通こういった解説書の類は、「その作品をすでに読んでいること」を前提に書かれているはずです。ですから、このレベルに達した究極のネタバレ記述については、「以下の記述は、結末までご存知の方を対象とした内容になっております」といった明確な注意書きが必要になるのかな、と思います(お、もしかしたらこの注意書きにシステム面でのサポートが加われば、いけるかもしれない)。
連載中のマンガやアニメ、ライトノベルの分野では、{{未完}}テンプレが張られている作品がいくつもあります。実は、彼らが「良かれ」と思って記述している速報記事は、「彼ら自身の」知識顕示欲を満足させているだけかもしれない、との危惧が私にはあります。これだけボコボコと新規項目が立っている分野で、彼らに今以上の「ネタバレ」を解禁させるのは、それぞれの分野における「文化レベル」の低下を招いてしまうのではないかと。それこそ、「ミステリ分野におけるネタバレ配慮のマナー」が忘れ去られていってしまうような……。
…えーと、すみません。書いているうちにどんどん話が大きくなってしまいました(汗)。自分でもいったい何を書いているのか……。
ただ、ひとつだけ言えるのは、私個人が百科事典に望んでいるのは、少なくても創作作品に限って言えば、その作品の「概要」がわかれば十分だと思っているのは確かですね。それ以上知りたければ、「一次資料」たる原作をあたっていただくのが確実です。専門の「解説書」があれば、それも「参考文献」に入れておけば十分ではないかと。そして、願わくはその「一次資料」が、一日でも長く「一次資料」として存在し続けることを願っています。--Crystaltear 2006年12月8日 (金) 17:20 (UTC)
(追記)もう一つ言えることがありました。それは、Wikipediaは百科事典でありますが、それと同時に「ウェブサイト」であることから逃れることはできないということです。ウェブサイトであるWikipediaでは、検索サイトによってそれぞれの個別ページを直接参照されます。このとき、サイトに書かれた文章の一部も表示されます。検索の目的は人それぞれであり、この中でも意見が分かれるように、「ストーリーの詳細が知りたい」と思う人がいれば、「概要だけ知ってあとは作品を直接読みたい」と思う人もいるわけです。一度知ってしまった情報は、忘れない限り打ち消すことはできません。であれば、「詳細を知りたくない人」を前提とした配慮が欲しいなぁと思います。(なんだか、今の公共の場における喫煙禁止運動に近いかも…私は煙草を吸わないので、今の世の流れはとってもありがたいんですけど)--Crystaltear 2006年12月8日 (金) 23:52 (UTC)

[編集] ストーリー全容の記述について

関連項目かと思いまして、こちらで質問させていただきます。私は漫画やゲーム(主にRPG)の項目で「終結に到るまでの過剰な説明が施されたあらすじ」をよく見かけるのですが、これはネタバレっていうよりも、ここまでするか?という印象を受けました。これはWikipediaの「ネタバレはOK」というルールが悪い方向へ解釈されている良い例だと思いましたが、「ネタバレはOK」というルールには違反していない以上、どう対処したらいいのか分からないんです。よろしければ皆さんの意見をお聞かせ下さい。--エルモア400 2006年11月23日 (木) 13:41 (UTC)

了解しました。先ず、「終結に到るまでの過剰な説明が施されたあらすじ」とありますが、具体的なサンプルを挙げて頂く事は出来ますか?(冗長だ)という以外にも(読みやすいかどうか)という観点があっても良いと思いますし、その点について問題が無いのならば、あえて手を加える必要は無いと感じます。--rosso 2006年11月24日 (金) 07:54 (UTC)
返事遅れました。すいません。具体例は、私の知る限りFF6DQ5スターダストクルセイダース(ジョジョの奇妙な冒険)などが目に留まりました。私は「冗長だ」とか「読みやすさ」ももちろんですが、その他に「そのネタバレがどんな意味を成すか」というのも大事だと思っていて、そのネタバレが、どんな影響を与えただとか、説明不可欠なものであるか、という観点から見る事が一番大事なのでは、と思っています。ただバラすというヤツが一番、無意味なのでは。--エルモア400 2006年11月27日 (月) 05:22 (UTC)

マナー云々とはちょっと別な話、というかあまりに今更な話ですが、詳細なあらすじってのは「二次的著作物」扱いになり、無断で作ると著作者の翻案権の侵害になり得ると聞いた覚えがあります。推理小説のトリックなんかは単なるアイデアとして扱うなら良いとしても、話の全容を扱うのは法的に危ういと思いますが。--K-Phil 2006年11月27日 (月) 13:18 (UTC)

二次著作と要約記述は全くの別物です。要約記述を禁止されたら学者が論文を書けなくなりますよ。--Extrahitz 2006年12月6日 (水) 01:19 (UTC)


>エルモア400さん

ありがとうございます。見てきましたよ。長い。(笑)これほどまで「書ける情熱、愛情」に敬意すら覚えますが、書いた方々の創作ではなく著作権者のあることですからねぇ。

提案なんですが、例えば、「著作権者にお伺いを立てる」とかって不可能なんですかね?

ネタバレ対策としては「注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。」と明記することで一応の対応になっているし、現状この手でしか対応出来ないという事はあります。ただし、著作権は著作権者のものですから、K-Philさんの仰る通り「二次的著作物」は「翻案権の侵害」と解釈されかねず、ウィキペディアを危険にさらします。かといって、必ずしも訴えられるとも判らず、「ここウィキペディアで話題を集めた為、世に出る」隠れた、隠された作品が無いとも言い切れず。どのような表記が適正なのか「神のみぞ」もとい「著作権者のみぞ知る」世界なんですよね 「2ちゃんの主催者」のような裁判マミレのウィキペディアが見たい訳ではありませんし、、、、「なんとかして積極的且つ具体的に和解を求めていく」って言うのが正しいスタンスなのかと思うんですが。いかがでしょうか?--rosso 2006年11月28日 (火) 09:52 (UTC)

著作権に絡む話がなかなか出てこなかったので、自分で書こうかと思っていたときにK-Philさんが話を振ってくださいました。なので、私もこちらの観点から「ネタバレは可能な限り控えた方がよい」という意見に賛成したいと思います。
著作権侵害という罪は、親告罪にあたります。何を持って「著作権が侵害された」と思うのかは、rossoさんのおっしゃるとおり結局のところ著作権者本人にしかわからないのです。なれば、「疑わしきは、やらないほうが無難」だと考えます。推理小説の犯人やトリックなどは、「作品の肝」と呼んでもいい部分で、言うなれば最も作者の腕の見せ所となるべき部分でしょう。ここを知られることによって本の売り上げが伸びなくなり、著作権者に損害を与えたとなれば、「著作権侵害」が成立する可能性は高いと言えましょう。映画などでは「結末は他の人に教えないでください」と公式に宣伝していた作品もありますし(『シックス・センス』とか)。基本的には「著作権者が嫌だと思うだろうな」と思うことはしないほうがよいと考えます(名誉毀損も同様ですね)。特にミステリは、それがマナーとして広く認知されたということではないでしょうか。どうしてもそのような記述が必要であれば、折衷案として、原作の著作権保護期間が確実に切れている作品に限定してはいかがでしょうか。このとき、外国作品の「日本語訳作品」の場合は、翻訳者にも権利が発生しているでしょうから、こちらの確認も行ったほうがよろしいかと思います。
漫画や小説の表紙ですら、「著作権保護」の名のもとに原則使用できない日本語版のウィキペディアですから(本来、本の表紙は作品の宣伝を行うための「顔」であって、個人的には使用しないほうがむしろ著作権者にマイナスであるような気がするんですが)、本文中の記述であればより一層慎重に運用してしかるべきだと思います。--Crystaltear 2006年11月28日 (火) 23:03 (UTC)

皆さん、貴重なご意見を有難うございます。
さて、私もちょっと調べてみたんですが・・・まず、基本方針Wikipedia:ネタばれに注意では「ある映画のストーリー全てが明らかになったりする場合もあります」と書かれていました。これは、あくまで「その記事に適切な場合は」って事なんでしょうが、これを見る限り、ストーリーの記述に対しては、著作権の心配はしていないように感じました。ただ、ストーリーの全容を扱う事が、必ずしも適切な記事だとは思わないけど。あと「著作権者にお伺いを立てる」という提案ですが、一番ハッキリした答えが出るのは良いんですが、著作権者の多さを考えたらちょっときりがないですよねー。やはり「どこまで書いてよいのか」という具体的なラインが欲しいですね。それまではrossoさんの「積極的かつ具体的な和解を求める」姿勢で臨んでいくのが一番なのかもしれません。--エルモア400 2006年11月29日 (水) 18:12 (UTC)

>きりがないですよねー。
:確かにその通り。でも、このウィキペディアという存在自体が既に「きりの無い(現在進行形を含む)事実の羅列」だなんてプロジェクトですから。笑。あきらめて(?)各個撃破(?)するしかないのではないのか?と思うんです。。。Crystaltearさんの指摘通り「結末は他の人に教えないでください」と謳う宣伝手法も成立している。そんな複雑な現在のPR業界に、丸腰で挑むのはさすがに危険ですよね。「著作権に関するご意見(クレーム/?)窓口」的なものをトップに置く。それだけでもだいぶ違うと思うのですが、どうでしょうか?--rosso 2006年12月5日 (火) 08:09 (UTC)
要約ストーリーに著作権があるなどどいう話は聞いた事がありません。そのような学説を唱える法学者の所説を引用してください。--Extrahitz 2006年12月6日 (水) 01:00 (UTC)
「学説・法学」に係る知識は門外漢ですので、申し訳ないことではありますが代表的な学者さんのお名前などは存じ上げておりませんが、今回の場合は「詳細すぎる」ストーリー紹介によって、すでに「二次的著作物」並みの大作になってしまった文章をどうするか、という話だと思います。私個人としては、あらすじとはざっくりと中身がわかればよいものであって、どんなに長くても400字程度だろうと思っているのですが(文庫1冊の「書籍紹介」文が、だいたいそれくらいだと思います)、エルモア400さんが例として上げられた項目は、いずれも私の考える基準をオーバーしていますね。
この私なりの「あらすじの基準」ですが、決して独りよがりな根拠のないものではありません。私の愛読する小説雑誌では年1回、長編小説のコンクールを行っていますが、このコンクールでは実際の作品とは別に2000字程度のあらすじを付けることになっており、この文章も審査対象になっております。つまり、2000字ある文章であれば、そこに作者の「創作性」を見出せるという判断でしょう。著作物かそうでないかの判断は、この「創作性」の有無によるところが大きいです。あらすじは原作がなければ書けないものですが、詳細な記述になればなるほどこの「創作性」が入り込む余地は大きくなることでしょう。たとえは、エルモア400さんが例に上げられたFF6の「ストーリー」では、「カイエンは妻子が列車に乗る姿を目撃し、悲しみに沈む。」という文章が出てきます。この「悲しみに沈む」という文は、とても文学的な表現だと思います。このあたりは味も素っ気もなく「カイエンは悲しんだ」でもいいわけで(もっとも、私もあらすじにある程度の創作性を持ち込んでしまう癖はありますので、気持ちはとてもよくわかるんですけどね)。ゲームの表現方法は文章だけで書き表せるものではありませんので、これだけで著作権を侵害しているわけではないでしょうが、文章量は十分あらすじを超えているように思えます。
ちなみに、私が著作権の話を持ち出す場合は、法令の専門家のお話よりも弁護士さんが開設しているウェブサイトを参考にすることが多いです。実際に著作権侵害の裁判に立ち会うお立場柄、実際の判例から具体的な説明をされていたりするので、とてもわかりやすく参考になります。ところで、最初に書いた私の文章は、ひとつ上の「推理小説~」節に移動した方がよいのかな?--Crystaltear 2006年12月6日 (水) 14:12 (UTC)
他人による長文の要約を丸々コピーしたら明らかに著作権侵害ですが、新たに要約を書き起こすことは全く別の問題です。--Extrahitz 2006年12月8日 (金) 03:54 (UTC)

著作権審議会第4小委員会報告書にて指示的抄録報知的抄録に分けて著作権侵害の可能性について指摘しています。ストーリーではないもののコメットハンター事件では実際に、ビジネス書の要約を無断で作成・掲示された原告側に損害賠償請求が認められています。学者が論文書いていけるのはその要約記述が「指示的抄録」に留まっているからか、きちんと原著作者に断りを入れているからか、アカデミックな利用と言う事でパスしているからか、場合によっては要約引用も可能であると理解している[1]か、その他何らかの理由に由るのだと思います。−−K-Phil 2006年12月6日 (水) 15:26 (UTC)

昭和五十一年の審議会報告は複製利用に関するもののようですが、ストーリー要約に関する記述の部分についてご指摘いただけませんか。またコメットハンター事件判決文は文意改竄による著作者人格権の侵害が認められたということのようですが、要約そのものを否定したものではありません。要約の正確性は執筆の上で十分注意しなければならないことですが、これは問題の性格としては著作権というより名誉毀損問題と一緒に考慮するべき件です。--Extrahitz 2006年12月8日 (金) 03:54 (UTC)
箇所把握しました。これは「二次著作の可能性」の指摘ですね。大まかな言及なので推測するほかないのですが、具体的にはご指摘のような著作者人格権の侵害などが対象と考えられます。--Extrahitz 2006年12月8日 (金) 04:17 (UTC)

返事が遅れました。

  • 「著作権に関するご意見(クレーム/?)窓口」的なものをトップに置く。

とのことですが、これは著作者専用の意見箱みたいなものですか?申し訳ないですが、少し具体的な内容をご教示願えますか。皆さんのご意見を拝見しますと、「詳細なあらすじ」は著作権問題も含めアウトと考えてよろしいですか?こちら(でいいのかな?)で意見を提出するのは、まだ時期尚早ですかね・・・。--エルモア400 2006年12月16日 (土) 13:38 (UTC)

[編集] ネタバレを隠す方法がありますが

なるほど面白いですね。上記の問題そのものは「著作に関する法例」に及んでいて、殆んどお手上げなんですが、、、笑。
みんなで{{ネタバレ}}のところにペタペタとコピペして歩けば、結構ここの問題も減ると思うんですが。
「指針に提案」って出来るんでしたっけ?--rosso 2006年12月9日 (土) 04:54 (UTC)
この話、上のほうでも出ていますね(#技術ふたたび)。
Template:ネタバレ終了というのもあるようなので、隠したい部分を開始と終了のテンプレートで囲ってしまえば、技術的な対応は可能だと思います。
指針も不動のものではありませんから、改善提案はどんどん出していってよいと思います。これが改善になっているかどうか、皆さんの判断待ちですが。--Tamago915 2006年12月9日 (土) 08:11 (UTC)
この仕掛けの環境依存性はどの程度ですか? テキストブラウザや音声読み上げでも機能するのでしょうか。また、入れ子でも作動しますか? これであまり広い範囲を覆ってしまうのは問題だと思うので。そもそもこれは問題を先送りにしてしまうツールで議題の終結には寄与しないような気もしますし。LR 2006年12月9日 (土) 08:24 (UTC)
JavaScriptで実現させているようですが、それ以上のことはわかりません。音声読み上げですが、どこまでが求められているのかも不明ですので、何ともいえません。入れ子は機能するようですし、セクションタイトルをまたいでも大丈夫のようです。--Tamago915 2006年12月9日 (土) 09:00 (UTC)
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[編集] ラテン文字1文字のための曖昧さ回避ページは必要か?

Wikipedia:削除依頼/K (曖昧さ回避)に関連した疑問です。 Kに関して、K (歌手)K (漫画)など同名の項目があったため曖昧さ回避K (曖昧さ回避)を立てたのですが、ラテン文字1文字のために曖昧さ回避ページを立てるのは適切でしょうか?類例Wikipedia:削除依頼/X (曖昧さ回避)は削除されたようですが、あまり納得できる意見がありませんでした。一般的には関連項目や文字の意味などで扱っているようですが、同名の項目がある場合やその呼び名が広く使われている場合は曖昧さ回避が必要になるのではないかと思います。文字1文字のための曖昧さ回避は必要か否か、この件に関して合意が必要だと思ったので質問します。意見を求めます。 --Fryed-peach 2006年11月19日 (日) 12:04 (UTC)

「ラテン文字1文字だから」という理由での特別扱いはしなくてもいいと思います。なにか「ラテン文字1文字」かどうかで左右される事項でもあるのでしょうか。 By 健ちゃん 2006年11月19日 (日) 14:04 (UTC)

曖昧さ回避があってもよいということですか? --Fryed-peach 2006年11月19日 (日) 14:44 (UTC)
私はそう思います。他の項目で曖昧回避が作成されるようなパターンであれば、「「ラテン文字1文字」だから曖昧さ回避にすべきでない」とする理由はないと思います。 By 健ちゃん 2006年11月19日 (日) 14:56 (UTC)

「ラテン文字1文字だから」と括るのではなく、個々のケースごとに判断されるべき性質の問題ですね。今回の場合で言えば、K (曖昧さ回避)は存続で良いのでは。ラテン文字ではありませんが他になどの例もあります。-- D.328 2006/11/19 17:49 (UTC)

個々のケースごとに判断すべき、という点に同意します。それで、どのような場合に必要となるかについてですが、同名の項目が複数あった場合には必要となるということでよろしいですか。 --Fryed-peach 2006年11月20日 (月) 05:45 (UTC)

ラテン文字1字の記事には概ねX#Xの意味X#関連項目のようにある程度曖昧さ回避の役目を果たしている記述があります。このような記事の構成で対処できるようなものはわざわざ曖昧さ回避の記事を作る必要はないのでは?という意見もあると思いますよ。分割する場合は分割することによる利点を説明すると良いかもしれません。--Goki 2006年11月20日 (月) 05:54 (UTC)

現状の、文字の記事が曖昧さ回避を兼ねているのはわかりにくいと思います。例えばK (漫画)を探して"K"で検索したときにラテン文字のKのページが表示されたら、記事を全部読んで関連項目までたどり着かせるより、曖昧さ回避への誘導をするほうが(ユーザビリティ的に)親切です。現状の慣習を知らないユーザが検索語を変えて試すなどの時間の浪費を防げます。これはラテン文字に限らず、西暦、日付などにもいえると思います。 --Fryed-peach 2006年11月20日 (月) 06:54 (UTC)
上記のようなことをきちんと説明した上で分割すれば良いのでしょうね。--Goki 2006年11月20日 (月) 07:02 (UTC)

ラテン文字や仮名のような場合、Kといえば文字のKを表すのが当然で、全く曖昧でないと考えます。それ以前に、派生関係があまりに明らかです。ですから、曖昧さ回避はなじまないと考えます。-- 2006年11月21日 (火) 09:00 (UTC)

全く曖昧でないというのはどういう意味でしょうか?K (漫画)を探してKで検索する人が1人もいないという意味でしょうか。KK (漫画)の関係は派生というより、名前と表記の関係だと思うので、Kの中で派生として扱うのはやり過ぎではないかと。--Fryed-peach 2006年11月21日 (火) 09:15 (UTC)
全く曖昧でないとは、単に「K」という項目名から、文字のKでなくK (漫画)を想起するのは、かなり特殊な状況だろうということです。派生とは、前者の名称がなければ後者の名称がないという関係です。-- 2006年11月21日 (火) 09:25 (UTC)

っさんの「派生関係が明らかであり、全く曖昧でない」という意見からは「検索の便宜を図る」という視点が欠落していると考えます。K (漫画)K (歌手)の項目を探している人にわざわざ「ラテン文字のK」の説明を読ませ、その説明中の「派生」の中からやっと探し出せるというのが妥当だとは思えません。曖昧さ回避(や山手線方式)は「検索の便宜を図る」のが目的なので、K (曖昧さ回避)を削除するのはそれに反します。--ハルノ アキハ 2006年11月21日 (火) 10:10 (UTC)

確かにその観点も一つ重要だと思いますが、ほかにもいろいろな観点があります。Wikipedia:曖昧さ回避Wikipedia‐ノート:曖昧さ回避、その過去ログなどにも目を通してみてください。-- 2006年11月21日 (火) 13:39 (UTC)

現状のラテン文字のページは、曖昧さ回避ページじゃないのに実質的に曖昧さ回避ページになってますね。「X」で文字や略号としてのX、「X (曖昧さ回避)」でその他のXを説明し、「X」の冒頭に「その他のXはX (曖昧さ回避)を参照」とするほうが便利かもしれません。といっても、修正するのはたいへんなので、「ラテン文字の記事は曖昧さ回避にも使う、X (曖昧さ回避)は作らない」という合意ができればいいのでは。ラテン文字のページに{{aimai}}を貼るのは、ちょっとヘンな感じですが。--Kazubon 2006年11月21日 (火) 14:32 (UTC)

言わせてもらうけど、ウィキ初心者だとラテン文字そのものについてページがあるとは思わないのでは(>っさんへ)。少なくとも自分は以前そう思わなかった。--210.139.8.184 2006年11月23日 (木) 12:26 (UTC)
それは人によるでしょう。日本語の百科事典に五十音の各文字の記事があるのはご存じでしたか?-- 2006年11月23日 (木) 12:45 (UTC)
おっしゃるとおり、知らない人もいます。日本人にとっては空気のように当たり前なことだからです。ひらがな1文字についての記事はありますが、漢字1文字についての記事は見たことありません。どこまでを当然だと感じるかは人それぞれです。例えばの項目名だけ見てそれがなんの項目かわかるでしょうか?蚊についての記事だと当然のように感じる人もいますし、カタカナについての記事だと思う人もいるでしょう。どちらのユーザーも尊重されるべきです。 --Fryed-peach 2006年11月23日 (木) 14:38 (UTC)

横から失礼。rossoと申します。なんでこんなにヤヤコシイ議論してんのかなぁ?確かに「文字」と「固有名詞」の主従関係は笑っちゃうほど明らかで、派生関係と項目を立てられるのは仕方の無いこと。でも、、、

こうゆうの(下記参照)を追加すれば良いだけじゃん?XもKも。

この項目では昆虫のカ(蚊)について説明しています。文字(仮名)の「カ」についてはをご覧ください。

って「K」には既にあるんですね。「X」にはコピペして作ってみました。 もしも、「これではマズイんだ」というご意見のある方は、不肖rossoのノートにお願いします。--rosso 2006年12月14日 (木) 01:46 (UTC)

もういっこ。「X」の概要内に追記してきました。--rosso 2006年12月14日 (木) 02:12 (UTC)

ここでは、Rosso P enCycle|rossoさんがXにおいてされたような方法が妥当であるかどうかが話し合われています。もう一度この議論をお読みください。また、カ(蚊)のほうは、全くこの議論とは離れています。-- 2006年12月14日 (木) 13:31 (UTC)

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[編集] 「2ちゃんねるのスレッドの記事はすべて一律に不要」か

とらとかぷのとほほ漫談(準公式サイト)という、2ちゃんねるプロ野球板の5年間も続いている人気スレッドの記事を投稿したところ、削除依頼が出され、ほとんど議論されることのないまま「スレッドの紹介なんぞ不要」という意見の下に削除されました。私はこの期間ウィキブレイク中で、有効な反論を出すことのないまま削除依頼を通してしまったことを激しく公開しました。そこで、削除の復帰依頼を出してとらとかぷのとほほ漫談を復帰させるように依頼しましたが、そこでも「議論するまでもない」とか「これが復帰されたら2ちゃんねるのスレ全部項目にしないといけなくなります」という、本質を理解していない反対意見により、復帰されないということで終了してしまいました。

どうも「2chのスレッドの記事だから、すべて一律に不要である」という誤った解釈がまかり通っているようで気になります。私は「2chのスレッドといえども、特記する価値のあるものは記事にしてもよい」と考えていますが、そう考えない人たちがとらとかぷのとほほ漫談の削除依頼に賛成したようです。

しかし、よく考えてみると、これには「ウィキペディア日本語版のルールやガイドラインには、2chのスレッドのようなものの記事を一律に禁止する決まりがない」「2chのスレッドよりもマイナーな分野だと思われるもの(最近の新規記事でいえば、AV女優個人やイタリアの個々のコムーネなど)の記事は削除依頼されていないのに比べて一貫性を欠く」という問題があります。2chのスレッドは基本的にインターネットにつながっていれば誰でも見ることができます。アダルトビデオを購入しない普通の人には用がないAV女優、イタリアに行かなければ用がないコムーネの記事よりもはるかに需要が高いはずです。

確かに2chのスレッドの記事すべては必要ではないでしょう。しかし、記事として特記すべきものがあれば2chのスレッドであっても記事にすることは問題ないと考えます。「2chのスレッドの記事はすべて一律に不要」という意見は2chを過小視する偏見に基づくものであり、明白に誤りであると考えます。

とらとかぷのとほほ漫談については「5年間続いてきたという歴史がある」「準公式サイト(有志によるまとめサイト)も存在する」「プロ野球チームをアスキーアートにより擬人化するという、ほかのスレッドとは明らかに異なる特徴がある」という理由により、記事として残す価値があると判断し、記事を執筆しました。私は今でもこの判断は間違っていないと考えています。

「2ちゃんねるのスレッドの記事はすべて一律に不要」と主張される方の意見と私の意見のどちらが正しいかを討論すべく、今回井戸端にて皆様の意見を募ることにしました。ぜひとも忌憚のない意見をお聞かせ願いたいと思います。--ハルノ アキハ 2006年11月30日 (木) 10:17 (UTC)

私はvirtualavenueにあったころからずっと2chを見ていますが、プロ野球板も、当該スレッドも、ただの一度も見たことはありません。ついでに言えば、「2chを見ない普通の人には用がないスレッドの記事」「プロ野球板に行かなければ用がないスレッドの記事」と考えられませんか?個人的には、電車男並みに知名度があれば、と思いますが(もっとも、電車男であっても、「スレッドの記事」は存在しません)現状で単独スレッドとしての記事を立てるのは、ちょっと厳しいんじゃないでしょうか。「続いている」「まとめページがある」ことが記事化の理由であるというならば、栃木ゲーセンスレッド(2000年7月20日より6年4ヶ月存続)なんて記事も、必要になってしまうんでしょうか。(vip由来のAA記事についてもそう思っています)
結論としては、百科事典として、スレッド紹介記事は馴染まないんじゃないかと思います。あと、ここは「日本語版」であって、「日本版」ではないので、コムーネ記事の不要性については全くの見当違いな意見だと思います。人を憎んで、記事を憎まず--as@d ◆AVJJBoyz.c
2ちゃんねるのスレッドの出来事は大抵そのスレッドの中で完結してしまいます。とほほスレで言えばまとめサイトはスレッド住人が作っていて外部の人が記述している訳ではありません。実際の所スレッド住人だけが理解できるという非常にローカルな世界だと思います。で、そのような世界をwikipediaに書くとなるとWikipedia:独自の調査wikipedia:自分自身の記事を作らないWikipedia:検証可能性などの理由から難しいと考えます。--はわわロボ 2006年11月30日 (木) 12:11 (UTC)
私は2ちゃんねるにそれほど詳しくありませんし、当該スレッドがどれほど重要なのか存じませんが、少なくともこの件との比較でイタリアのコムーネを出すのは明らかに筋違いでしょう(他の方も仰るとおり「日本版」ではありませんし)。イタリア史上の人物記事を立てるときに、細かい地名記事などが既に立っていてくれると、イタリアに土地勘のない私などには大変に助かります。現地に行かなければ役に立たないなどというのは暴論ではないでしょうか。そしてそういう御認識を打ち出した上で当該スレッドの方が「はるかに需要が高いはずです」と仰られても極めて主観的なご意見にしか思えません。
そして、そういう主観的な御意見を振りかざしつつ、御自分に反対する意見を「本質を理解していない反対意見」と切り捨てようとするのは、コミュニティの他の参加者をあまりにも軽んじた御発言ではないかと思います。少なくとも本件の場合、削除依頼と復帰依頼という二度の手続きで存続支持の意見が一切出ていないわけですから、それは尊重されるべきだと思います。ゆえに現状ではスレッド単位での記事は立てるべきではない、ということなのではないでしょうか。--Sumaru 2006年11月30日 (木) 14:30 (UTC)
だからいくら言っても無駄だっての。もっと他に切り込み方があるんじゃないの? プロ野球関連で思い浮かぶったら大ちゃん関連のスレだけど、これはプロ野球以外の板でも高い知名度を持っている。それですら単独項目がない現状で、プロ野球関連の板に行かない人間(自分も行かない)が聞いたこともないようなスレの項目なんて不要に決まってんだろ。ちなみに大ちゃん関連は、AAキャラとしての大ちゃんでスレの紹介がなされている。なお、自分が復帰依頼で意見を出さなかったのは、どうせ復帰になるはずもないと考えたから、何も言う必要もなかったため。当然のごとく復帰は却下されたしな。--Lonicera 2006年11月30日 (木) 18:38 (UTC)
必要かどうかという問題の立て方にかなりの疑問を感じます。あなたが必要ないと思うんだったら見なければいいだけの話じゃないでしょうか。そのような問題は謹んでいただきたい。 --†Mr.jack† 闇よりの使者 2006年11月30日 (木) 21:12 (UTC)
Wikipediaは百科事典であり、「あなたが必要ないと思うんだったら見なければいいだけの話じゃないでしょうか。」なんてのは通りません。まずWikipedia:基本方針とガイドラインを熟読してください。あと図書館に行って「本物の」百科事典をある程度利用されてから執筆することをお勧めします(これ結構重要)。言っておきますがガイドライン的には問題なくても書きたいけど涙をのんで書いてない記事なんて山ほどあります。--SeyfertSluw 2006年12月1日 (金) 01:47 (UTC)
あー。これは闇よりの使者氏の誤読、というかまぜっかえし。
「あなたが必要ないと思うんだったら見なければいい」というのは、こないだ闇よりの使者氏が「こんな項目はいらない」という主張をしたときにおれが言った説教だね。で、今回のはそれとは逆で、問題提起は「こういう項目を作らせてくれ」だからね。闇よりの使者氏のコメントがそもそも意味をなしていない(なので、Seyfertさんのコメントも道連れにされて意味をなしていない)。コメントする前にそこらへんはよく注意しよう。--Nekosuki600 2006年12月1日 (金) 02:25 (UTC)
えーと、「2ちゃんねるのスレッドの記事はすべて一律に不要か」という命題の立て方をするならば、「一律に不要だとは思いません」と回答するしかないでしょう。誰も「一律に不要だ」とは言っていないと思う。
ただなんだな。にちゃんねるのスレッドの記事が書かれる場合、たいていはそのスレッドの参加者の手によって書かれることになると思う。そして、参加者は当事者だから、実際以上にそのスレッドが大きく見えているという傾向が強いんじゃないだろうか。結果として「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」が懸念しているような事態に陥る可能性が高いように思う。
おれは比較的その手の瑣末な事象の記事は許容するベクトルを持っていると思うのだが、現実問題「ひとつ許すと続出しかねないという懸念が強い」「これまでの経験から、百科事典的に丁寧にまとめた記事ではなくにちゃんねるノリの粗悪なものが多いと言える」というあたりから、にちゃんねるのスレッド記事についてはかなり高い敷居を設定しとく必要があると考えています。今回の記事は残念ながら見ていないし基本的に思い込みで語りたくはないので明記しておくが、あなたが書いた記事が粗悪なものだという予断は持っていません。しかしまあ、説明された程度の背景であるならば、「記事化するには有名性が足らないのではないか」という印象を禁じ得ません。申しわけないね。--Nekosuki600 2006年12月1日 (金) 02:38 (UTC)
主体をどこに置くかの問題だと思います。 西鉄バスジャック事件福岡猫虐待事件等を参考にすると、事件を主体として起因が2chのスレッドであると書かれています。これは問題ないでしょう。しかし2chであれどこであれ“スレッド”を主体に書かれる事は先ずありません。何故ならばスレッドとは誰もが自由に作り出せ、概念上でも「固定化」されていないからです。(この事はwikipediaに対しても言えます。新しく百科事典を作る際にwikipediaを主体とする事、wikipeiaとは~は書けてもwikipediaの項目を主体とする事、wikipedia:削除された悪ふざけとナンセンスとは~は書けません。もちろん事象起因等として記載する事は出来ます)今、ぱっと思いつきで検索しましたが。私のスタンスで言えば侍魂に関しても同様にやや不適切な記事だと感じております。逆に個人的なものであってもちゆ12歳のように書籍化、法人運営化などの特筆事項があれば別ですし、内部リンク参照先として広く使われるのであれば大いに結構だと思います。ただし程度については毎回議論の必要があるでしょう。(以下戯言:5年間も続いている人気スレッドの記事を載せるなら、マ板の“お前のバグだろゴルァ”は業界風刺をAAで長年語られている特徴があるので載せてください。あるいは言語擬人化できたら載せてくれますか?)--Chiether 2006年12月1日 (金) 06:20 (UTC)
    • Nekosuki600さんの発言にとても同意します。Nekosuki600さんの意見が客観的に見て正しいと思います。--†Mr.jack† 闇よりの使者 2006年12月1日 (金) 11:28 (UTC)


「普通の人には縁が無いから不要」といった考えには反対です。Wikipediaの記事のうち、鉄道、芸能、スポーツに関するものなど、興味の無い方には縁の無い記事ばかりですし、地理、歴史、数学といった分野ですら、ごく普通の人には用の無い記事が多く並んでいます。
日本の(あるいは世界の)大半の人が知らない事項であっても、ある程度多くの人にとって価値のある記事なら、それはWikipediaにとって価値のある記事だと考えております。
ただし「とほスレ」の記事にがこれに該当するのかは判断しかねます(復帰依頼でどなたかが仰っていた「ISBNも振られないような同人物の漫画や小説」と大して変わらないレベルだと推測していますが、実際の記事を見ていませんので)。
はっきり云えるのは、もし「2ちゃんねるプロ野球板内の歴史や文化」のほうが「イタリアの地理」よりも重要だと考える人々が増えれば、その時には「コムーネよりも、とほスレの記事のほうがはるかに需要が高い」とのご意見に賛同する方も多くなるはずだということです。そんな時代はおそらく来ないと思いますが。--B級へたれ 2006年12月1日 (金) 12:12 (UTC)

私は最初削除依頼を見て、「よくこんなわけのわからない削除依頼が通ったもんだ」って困惑し、憤慨しました。特にLoniceraさんの「しお韓ですら項目がないのに」(ハルノ注:「しお韓」は「ようやく、しおらしくなってきた韓国サッカー」という2ちゃんねる海外サッカー板のスレッドの略称)という意見を見て「それなら、なぜその項目を作らないのかと」思わず反論したくなりました。と同時に、「なぜほかにも不要と思える記事はたくさんあるのに、なぜこの記事はそれに先立って削除されたのか」という疑問が湧きました。そこで削除の復帰依頼をして私の疑問に対する「ちゃんとした答え」を得ようとしましたが、そこでの話でも、今ひとつ納得のいく答えを得られませんでした。そこで最後の手段として井戸端に出したのですが、これまでの話を総合すると、どうやら私の疑問に対する答えは「私の想像以上に2ちゃんねるは快く思われていない(ために不要とされたのだ)」であるということがやっとわかりました。

私はとらとかぷのとほほ漫談について、「ただ場所が2ちゃんねる内にあるだけで、やっていることは2ちゃんねるに出入りしている普通のプロ野球ファンがAA擬人化という方法を取ってスレッドを作り上げている」という解釈をしており、OSたんニホンちゃんなどの擬人化記事がある以上、とらとかぷのとほほ漫談もウィキペディア日本語の記事として成立すると考えていたのですが、ウィキペディア日本語版内での一般的な意見では「普通のプロ野球ファン」よりも「2ちゃんねらー」のほうが際立っており、それゆえにウィキペディア日本語版では受け入れがたいとされたということなのでしょう。

私としては「それなら、私の力でウィキペディア日本語版での2ちゃんねるの地位を高めていきたい」と思うのですが、思うのは自由だとして、現在の結果は結果として受け止めるしかなさそうです。将来とらとかぷのとほほ漫談の記事がウィキペディア日本語版の中で受け入れられるように努力することを誓いつつ、私の疑問は解決したと皆さんに報告してこの節を締めたいと思います。異論がなければ1週間後の2006年12月10日に status=finish に書き換えます。ありがとうございました。--ハルノ アキハ 2006年12月3日 (日) 16:52 (UTC)

コメントですが、12月1日の通り、少なくとも私はそのような「個人サイト」は何らかの商業書籍、雑誌類に掲載されるレベルであれば載せても構わないと思いますが。確かに2ちゃんねる関連に対して快く思わない方もいらっしゃるでしょう(私は、その括り方が好きではありません)が、たとえ娯楽情報誌レベルであったとしても商業的に掲載されるレベルでなければ量や質がどうあれ、単なる野球ファンの個人サイトの粋を超えないと思っています。復帰依頼の結論とされた後に投稿された反対意見のように書籍化される必要はありませんが、まずは雑誌掲載レベルまでもっていくことだと思います。もちろん、あの議論の全体基調が「2ちゃんねるだから」「単なるスレッドだから」という表面上の議論に終わっていた事は私も遺憾ですが。おそらく言葉足らずなだけで、その裏には「雑誌掲載レベルまであるべきだ」という意見もあったのではないかと推測します。(でなければ、なんて感情的な意見だったことか)--Chiether 2006年12月4日 (月) 02:40 (UTC)
あわせて、少なくともこれを見られ削除議論に参加される方が不要論を出される際は「何が欠けているか」という事を出来る限りで構わないので述べるよう期待します(全て出せというわけではありませんが1つはあるはずです)。例えば、趣味のない人は行かないだろう。という意見は「趣味のない人でも閲覧するサイトであれば価値はある」と置き換えられます。つまりその人の考えでは「様々なジャンルが含まれているサイト」であれば項目作成の価値がある。と推測できます。推測の域は超えません、理由は「何が欠けているか」が明確でないからです。本当に欠けているならば問題ありませんし、欠けているとは思わない人がいれば反論が出るでしょう。それが議論だと思います(意見に対する賛否もできない単体意見だけで構成されるのは議論になっていないでしょう。もちろん議論にすらならないというケースはありますが)。--Chiether 2006年12月4日 (月) 02:40 (UTC)
「それなら、私の力でウィキペディア日本語版での2ちゃんねるの地位を高めていきたい」←これは「絶対に」やめていただきたい。地位ってなんですか?根本的に「あなたの力がないと書けない」物は百科事典の項目としてはふさわしくありません(他の誰でもある程度かけるほど一般化されていなければなりません。またあなたが書いたからといって2ちゃんねるの地位〔に限らずあらゆる評価〕があがるなんてことはありません)。直接この場で2ちゃんねるを否定したりするわけではありませんが、インターネットの掲示板の内容とWikipediaは根本的に相容れない部分が多いのです。--SeyfertSluw 2006年12月4日 (月) 03:39 (UTC)
あーでも。春野秋葉氏の活動によって2ちゃんねるの地位が高まれば、マスメディアに、つまり社会的に高い地位で認められるので自動的にwikipediaでの地位も2ちゃんねるの項目に対して高まるでしょう。高まればいろんなサブ要素がマスメディアに取り上げられる事により検証可能な事実が多く含まれ、その結果として目的を達成できる可能性はあります。が、ウィキペディア日本語版での2ちゃんねるの地位は上がりません。編集者に対して「2ちゃんねるは地位が高い」と意識づける事に成功したとしても、ウィキペディアは中立であり誰かが中立に戻すでしょう。無論ウィキペディアに直接働きかける事も遠慮願いたいと思います。(自分の利用者のページで語る分は私は構いませんが)--Chiether 2006年12月4日 (月) 07:00 (UTC)
どうでもいいですが(どうでもいいってこともないんですが)、単純に2ちゃんねるの中でもしお韓だのニホンちゃんだのよりはるかに無名なんじゃないでしょうか、このスレッド。それはさておき、「2ちゃんねるを利用する人」と「2ちゃんねらー」は根本的に別物だと私は思ってます。何でも俗化すれば堕落するとはよく言ったものですが。秋葉さん、2ちゃんねらーのあなたが勝手に全2ちゃんねる利用者を代表して捨て台詞を残すのはやめてください。あと、そんなに必要だと思うのならば、改めて記事を書いたらいかがでしょうか?とうてい必要とは思えない独自の研究だって残ることもありますからwwww 人を憎んで、記事を憎まず--as@d ◆8rbXq0kE 2006年12月4日 (月) 13:38 (UTC)
広く意見を求めたのであれば、その意見を誠実に受け止めるのが礼儀ではないかと思います。少なくとも、Wikipedia:独自の調査wikipedia:自分自身の記事を作らないWikipedia:検証可能性といった基本方針との整合性を根拠に挙げて懸念を表明なさっている方々がおられるのに、それらと向き合う御見解を示すことなく「2chが快く思われていない」からなどという感情的なレベルでの反対しか寄せられていないかの如くに話を矮小化するのは受け止め方としてどうかと思います。
付け加えるならば、コムーネの例という的外れな例、AV女優の例という単なる詭弁(あなたがそこで持ち出しているのは明らかに二重基準です)を持ち出したことに関する撤回も釈明もないまま、議論を締めたことも残念に思います。削除依頼や復帰依頼でコメントを寄せた方々を「本質が分かっていない」などと批判するのであれば、御自身の言動に対しても誠実な対応が求められるのではないでしょうか。そもそも当該記事自体の必要性を適切に示せるのであれば、ほかの削除すべき記事の例などを示す必要自体がないわけであって、しかもその挙げられている例が単なる詭弁であるとなれば、そんな詭弁を弄しなければ必要であることも示せないような問題記事だったのだろうか、と思われるリスクを生み出すだけで、例示は無意味どころか積極的に有害だったろうと思います。御参考までに--Sumaru 2006年12月4日 (月) 14:19 (UTC)

コムーネやAV女優は「無名だからといって記事にしちゃいけないってのはおかしいのではないですか?」という例として挙げているのです。だから、単に「無名なものであるにもかかわらず削除されていない例」として挙げているのであって、的外れとか詭弁とか二重基準とか言われるのはおかしいのです。次にWikipediaのガイドラインとの整合性ですが、Wikipedia:独自の調査は「実際にあるスレッドの説明」なので「独自の研究を発表している」わけではないし、Wikipedia:検証可能性準公式サイト や2ちゃんねるのスレッドに直接リンクすることで、Webを見ることができる人なら容易に検証することができますから問題ありません。Wikipedia:自分自身の記事を作らないについてですが、「自分自身」を「そのスレッドを見た人」と解釈すると記事が書ける人がいなくなってしまいますし、「そのスレッドに書き込んでいる人」と解釈すると「昔は書き込んでいたれけども今は書き込んでいない人は対象として適格か?」(私は少なくとも2か月以上「とらとかぷのとほほ漫談」のスレッドには書き込んでいません)という問題があります。客観的に記事を書くことができるのならば(そもそも、私はとらとかぷのとほほ漫談の記事を『客観的に』書くように努めていましたが)OKだと思いますが、ウィキペディア日本語版ではこれに対する議論は現在十分になされていませんので、大もめにもめることになるのは必至だと思われます。

また「ウィキペディア日本語版での2ちゃんねるの地位を高めていきたい」というのは、「ウィキペディア日本語版の参加者や管理者に、2ちゃんねるに好意的な人が増えるよう努力したい」という意味です。2ちゃんねるに好意的な人が増えれば、そういう人たちは2ちゃんねる内のスレッドについても精通していると思われますから、必然的に各スレッドの知名度が増し、ウィキペディア日本語版の記事として受け入れられるスレッドの数も多くなっていくだろうと想像しているわけです。今回の件での最大の失敗は「知名度の低さ」を削除賛成や復帰反対の根拠とされたわけですから、知名度が増えればそうではなくなるだろうと判断したわけです。

最後に、私は勝手に全2ちゃんねる利用者を代表して発言した覚えはありません。あくまで私個人として反論していただけです。また、私の考えでは「2ちゃんねるを利用する人」と「2ちゃんねらー」は同一の概念です。新たにとらとかぷのとほほ漫談の記事を書かないのは、削除依頼で問われたのは「記事の存在自体」であって「元の記事の内容」ではないため、同じ内容の記事を再び執筆すれば再度削除依頼(あるいは即時削除)され、私が荒らしとしてブロックされる危険性もあるため、新たに同じ内容の記事を書き直すよりも復帰依頼を出して復帰させるほうが簡単だと考えたからです。以上を反論とさせていただきます。--ハルノ アキハ 2006年12月5日 (火) 12:40 (UTC)

たとえばさあ。ニフティサーブのフォーラムの記事を量産するやつがいたとして、好感を持たれるであろうかと。まあなんだ、発足日・閉鎖日とか扱いネタの概要とか、ある程度以上の情報がきっちり集積されていればおれはあってもいいと思うけれども、基本的な感覚としては「ローカルな話はいらん」みたいになるんじゃないかなあ。にちゃんだからとかそういう理由 *だけ* で記事が歓迎されないのかどうかは、再考してみる価値があるかもしれませんよ。--Nekosuki600 2006年12月5日 (火) 13:18 (UTC)
ノートページのほうに少々書きましたし、別件で申し上げたこととも重複しますが、アプリオリに御自身の認識を正しいとするのではなく、もう少しメタ認知の視点を意識なさる方がよいのではないかと思います。--Sumaru 2006年12月5日 (火) 14:38 (UTC)
新しく記事を立ててそれでブロックなり白紙保護なりされるのなら、それは単にwikipediaが執筆者としてのあなたを必要としていないからではないでしょうか。ご自分で2chペディアみたいのをmediawikiを使って立ててみてはいかがですか……って、2典がもうありますね。そういえば、しお韓もニホンちゃんも載っているようですが、そのとほほなんとかというスレッドは2典にも載ってないんですね。身内にとってもマイナーなスレが、どうしてコムーネより有名だと思われたのか、疑問です。少し頭を冷やさないと、「これだから2ちゃんねらーは」と、結局秋葉さんが2ちゃんねるの地位を下げるはめになります。ご注意ください。あと、どうも秋葉さんは、「wikipediaでは2ちゃんねらーは迫害されている、市民権がない」と思われているようですが、Template:User 2chTemplate:User no2chのどちらの使用者が多いか、数えてみてください。さて、あんまり余計なことを書くと、何が起こるかわからないのでこの辺で。人を憎んで、記事を憎まず--as@d ◆8rbXq0kE 2006年12月5日 (火) 15:09 (UTC)
瑣末なことですみません。確かに2典にはとほほ漫談関係の項目はありませんが、AA大辞典(仮) にはとらくん&かぷくん を始めとしてとほほ漫談に登場するいくつかのAAが掲載されています。--ハルノ アキハ 2006年12月5日 (火) 16:32 (UTC)

[編集] お詫び

節を区切ります。上の節や、ノートで皆さんからのご意見を受け、私は熟慮した結果、以下の結論に達しました。

私は「2ちゃんねるのスレッドの記事よりも不要な記事の例」としてAV女優やコムーネを挙げましたが、それは「人目への触れやすさ」という観点で発言しており、それにとらわれるあまり、皆さんの主張の根幹となっている「百科事典としての記事の有用性」という観点から完全に外れた話をしてしまっていました。また、AV女優やコムーネの例示自体に根本的な欠陥があり、その例示が全く不適当なものであったばかりか、私は「私によって『不要な記事』と名指しされた記事」にも執筆者が存在することを忘れ、その人たちに対する侮辱ともなりかねない発言をしてしまいました。同様に、上の節で復帰反対の意見を述べた人たちに対しても、「本質を理解していない」などという、誤りであり、かつ侮辱ともなりかねない発言をしてしまいました。

私は上記3件について自分の非を認めて謝罪し、お詫びいたします。また、今後はこのような過ちを起こさないことを固く誓います。申し訳ありませんでした。

なお、失礼ながらとらとかぷのとほほ漫談の記事を諦めるかどうかにつきましてはもう少し考えさせてください。8,000バイト台の記事だったので、一夜にして削除されたショックから立ち直れず、もう一度同じ内容の記事を最初から書きなおす気力が湧きません。なので私は新規書き直しよりも復帰のほうを望んでいます。ただ、削除された記事の内容は客観的で特定の観点に偏ったものでないと断言できます。その証拠を皆さんにお見せできない(下書きのバックアップ等は一切残していません)のが残念でなりません。無理だとは思いますが、もし記事の一時復帰という手段が取れるのならば、ぜひ皆さんに見てもらって必要か不要かの判断をしてもらいたいと思います。--ハルノ アキハ 2006年12月5日 (火) 18:12 (UTC)

とらとかぷのとほほ漫談というスレッドは存じ上げないのですが、スレッドをwebサイトと考えるとすれば、少なくてもwikipediaに記事として掲載されている個人webサイトと同レベルの知名度がなくてはいけないと思います。(それと同レベルの知名度であったとしても記事として不当となる可能性もありますが)2ちゃんねるでも、有名でないサイトのリンクを張ると「宣伝だ」などと非難を浴びるというのを聞きますが、今回の件もそれと同じようなものではないでしょうか。そのスレッドの知名度が上がってから、再度井戸端などで相談してから記事を作成することが良いと思います。そうすれば、皆の反応も違うかもしれません。Frame 2006年12月9日 (土) 00:48 (UTC)
記事は削除されているので見ることができませんし、井戸端での議論は事実に乏しい。ただ、当該記事のノートで議論がなされていないことだけは確認できました。さて、削除理由は「知名度が低いこと」だそうですが、これは削除理由になり得るのでしょうか?Wikipediaは紙の百科事典と違い、掲載できる情報量に上限はありませんし編集者は大勢います。記事を減らす理由は無いはずです。今回の決定が正しかったかどうかは確かめる必要がありますが、例えどんなに知名度が低いものの記事でも削除ではなく他のページに統合するべきでしょう。正式に採用される予定ではないようですが参考までにWikipedia:著名性のページもご覧下さい。--ハッカ飴 2006年12月13日 (水) 13:56 (UTC)
私も削除ではなく統合でよかったと思います。2ちゃんねるには各掲示板の記事があるので、そのスレッドがある掲示板の項に追加して、その後、その項の量が増えたことでの分割であれば今回のような件は起きなかったでしょう。ただ、知名度の低いWEBサイトやWEBコンテンツの記事の作成には反対です。知名度の低いWEBサイトの掲載を許せば宣伝行為が起きてしまうからです(知名度の低いWEBサイトはその関係者以外が記事を作る可能性が極めて低い)。宣伝行為になりえる事柄に関しては慎重にあるべきです。Frame 2006年12月15日 (金) 00:26 (UTC)

全体を読んで感じたことです。しばしば思うのですが、何故「一律に不要or必要」というデジタル的な考えしか出来無い方が多いのでしょう。自分は2ちゃんねる関連だろうとAV関連だろうとコムーネだろうと、「あっても良い」と思っています。少なくとも「俺には不要」は「事典にとっての必要性」とは無関係です。話の挿げ替えだと言われるでしょうが、そうしたデジタル的な二元論的な判断は、「『吾輩は猫である』や『羅生門』があるのだから小説は全部項目にして良い」等と言っているものと同義です。2ちゃんねる自体が余り良いイメージを有していないことから、これらに絡んだ項目が歓迎できないムードは理解しますが、これもまた「事典に必要か不要か」とは別の話です。

  • 「俺には必要ないから不要」「俺には好ましくないから不要」は主観です。ウィキペディアは1人のためにあるものではありません。
  • 「○○絡みの項目だから不要」「過去に削除されているから不要」は本人の理由が存在しません。ある意味、責任逃れとも言えます。
  • 「知名度が低いので不要」「聞いた事も無いから不要」はグレーゾーン。自分が知らないだけかもしれません。自らを客観視して要検証。
  • 「多くがそのように考えているから不要」もグレーゾーン。その“多く”が大抵の場合は自分の身の回りを指していることに注意。同派の見識を持つ人が集まるのは当然です。自らを客観視して要検証。

これは逆もまた然りです。

  • 「俺に必要だから存続」「俺に好ましいから存続」は主観。自分のサイトでやれば良し。
  • 「○○絡みの項目だから存続」「過去に存続例があるからこの項目も存続」は理由無し。責任逃れ。
  • 「知名度が高いから存続」「よく知っているから存続」は自分が知っているだけかもしれない。出典、検証の可能性を確認。
  • 「多くが賛同するから存続」は自らに同派の者が集まっている可能性を検討。ただし削除依頼の議論においてはまず問題無いでしょうが…。

--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年12月17日 (日) 08:37 (UTC)

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[編集] (方針作成にて)メタ思考とか、哲学とか、構造とか

メタ思考や哲学や構造とか、そんな思考が得意な人いないかなぁ〜 とほのかに期待をよせて井戸端にやってきました。原因は「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」です。どうにも話が噛み合いません。

できる限り要約しますと、一方の主張は「内容を先に規定して行く」ことです。もう一方が、これが私の主張でもありますが、「形式と関連性の中から、この文書は意味が生まれる」です。その形式に関わるのが、「ウィキペディアのコミュニティーの尊重」「コモンセンスへの信頼」「創設者の理念への回帰」この3つの観点です。そして現在の文案は「コミュニティーの尊重」の方へ、偏ってしまい、他二つの観点がなおざり、最悪隠されてしまってます。かつ内容派の方達はそのことを認識できていないようです。「視座を示すだけでは無意味と思う」と言われました。これはNPOVの点から言っても問題です。内容派の方はリテラルさにばかり気を取られ、構造に無頓着なのかなって思った。

と、言った状況です。どうして、ここにやって来たかと言うと、なんか変な人が「警告します」「投稿ブロック依頼するか」とか喚き散らしてたので、問題を発展させない為にも井戸端にやってきました。書き込めないんですよ。困ったもんだ。キリカ 2006年12月2日 (土) 12:11 (UTC)

創設者の理念はどうでもいいです。プロジェクト全体の理念と戦略目標の作成主体は2004年以降、理事会です。ちょうど現在、改定のための議論をしています。詳しくは foundaiton-l をお読みください。
なお個人的意見としては、こうした基本的な情勢を分からない方に「形式についてのメタな話」は過重な課題のように思います。しばらくROMに徹することをお勧めします。--Aphaia 2006年12月2日 (土) 12:51 (UTC)
横やりですが、噛み合わないのはキリカさんの議論が、あなたのおっしゃるところの「メタ思考」と哲学とか構造とかを記述するに適した表現を使っていないからのように私の目からは見えます。そういう大仰な事を問題になさりたいならば少なくとも論理的構築的に議論を進める必要があります。それが「構造」というものです。ご自分の感覚、感性に「メタ思考」とか「視座」とかいったレッテルを貼っても、他人と話を通じさせる事は出来ないのではないでしょうか。また、ウィキペディアは形而上学的議論を展開する場でもないとおもいます。個人の主義主張はとても大事ですが、ここでは百科事典を作るために必要なプラグマティックな思考も同様に尊重されなければなりません。--Pugnari 2006年12月2日 (土) 13:12 (UTC)
この方がなにがしか哲学的訓練を受けているとは私にはあまり思えないのですが、それはおいて。Wikipedia is not (してはいけないこと?)の「プロジェクトがよくわかっていないうちに改革しようとしない」がこのケースには該当するかなと思いました。このままお続けになるとするなら、他の方にすでにいわれているようですが、強制的にお引取りいただくほうが最大多数の幸福に寄与するのではないですか。
もっとも私としては、そうなることを望んでいるわけではありませんので、しばらくROMることを、改めてお勧めします。--Aphaia 2006年12月2日 (土) 13:17 (UTC)
えへへ、だからさ、過重な負担だから手伝ってと、お願いしに来たの。おっしゃる通り、私は哲学やらメタやらは、にわか程度だもん。だけど、その私以下の方が方針作ってるとしたら問題じゃないかな〜ってさ。
それでさ、どんな言語使えばいいのか分からないんですよ。おっしゃる通り悩んでます「例え」じゃ断片的だし、「構造」たって私はそこまで上手く説明できない、出来たとしても複雑怪奇な説明じゃ好ましくない。「ワンフレーズ」だと、分かった様な分からない様な状態だし。「具体案」だけ掲示しても表現には繋がらない。「記号」はちょっと高度過ぎて専門家じゃない私には無理そう。
一言で「物体は見る角度によって形を変える」なんて言われても、より分からないと思うんですよね。それと「プロジェクトについてよく分かってない」と言うほど無知ではないと思います。キリカ 2006年12月2日 (土) 14:02 (UTC)
構造というのは、複雑怪奇なものを単純なものの積み重ねで誰にでも理解できるようにする(構造主義還元主義)考え方では?キリカさん自身がうまく表現できない事を、どうして他人が理解する事が出来るのですか。手伝おうにも手伝いようがないわけです。自戒の意味も込めて言いますが、たいていの事は、もっと簡単に、もっと卑近に述べる事が出来るはずです。そして、もっと具体的に述べる事が出来るはずです。あなたが「内容派」と名付ける方たちの主張通りにするといかなる不都合が生じるか、具体的に想定し得る場面も含めて、具体的かつ論理的に論駁する必要があります。自分の意図が伝わらないことにいらだって、相手の人格や行動様式を問題にするようなやりかたでは、ウィキペディアにおいて最も難しいルールであるWikipedia:ルールすべてを無視しなさいについて議論をする事など不可能です。ただでさえ難しい問題に感情やあなたの主観を介在させてどうしようというのですか。Aphaiaさんの仰るように、しばらく、自分の考えを整理されたらいかがですか。--Pugnari 2006年12月2日 (土) 14:15 (UTC)

(インデント戻し)だからさ、そうやって主観だの感情だのとしか、思えないってことがメタじゃないと言うの。つまり、「バカとは何かを考える」というテーマがあるとしますよね? ここでは「誰かをバカにする」のを目的としてますか? 違いますよね?なのに「バカを考えるのは、きっと俺たちの事バカにしようとしてるからだ」と思うのは、違うんですよ。

つまり、あれは個人攻撃ではなく「例え」なの。でもそれが通用しない。限界まで頑張ったんですよ。(生体の例を出したり)だから言語がなくて困ってる。それどころか本当にリテラルに、あれを個人攻撃としか認識させられないから、悩んでるんです。

以上の、所まで分からない様でしたら、私に助言するのは無理でしょう。私なんて、まだまだ未熟なのに、それ以下ではより困難です。「感情や主観」としか捉えられないのは、むしろPugnariさんが感情的だからだと思いますが

で、こうすると「バカとは何だ!」「言いたい事が分からん」ってなるんですよ。私は素直に「バカとは何かを考えたい」(←もちろん比喩ですよ)だけなのに。

それと、平坦過ぎると、これまた通じない、現に「物体は見る角度により(略)」も通じないじゃないですか。

あと、助言の「自分の考えを整理(略)」ですが、大分長い間考えたのですが行き詰まってます。ですから出来れば誰かとお話しして煮詰めたいなと思います。利用者‐会話:キリカに来て貰えると助かります。キリカ 2006年12月2日 (土) 14:47 (UTC)

方針の議論で「バカであるという事」が何かということを考える必要が何故あるのですか。しかも、人の発言が「バカに聞こえる」とかいうコメントは、主観的ないし感情的なものであると言えます。少なくとも客観的ではあり得ません。「以上の、所まで分からない様でしたら、私に助言するのは無理でしょう。私なんて、まだまだ未熟なのに、それ以下ではより困難です。」というのも、主観的ですよね。違うというのであれば、たとえばわたしにはあなたの文章は人とまじめに対話しようという人間のそれには読めませんし、あなたが何を意図しているのかさっぱり理解できません。従って、あなたの論理では私はキリカさん以下であるということになりますね。それでは、「私がキリカさん以下である」という命題を論理的に証明してください。私には、この命題自体があまりにもリディキュラスで証明不能だと思いますが。ちなみに、そういう発言をされるかたとは衆人環視の下でない場所でお話をするのは気がすすみません。
100万歩譲ってそれを措くとしても、「バカであるという事」がいったいなんであるのかということが、少なくとも多くの利用者の目からは方針の議論とあまりにかけ離れているような見える事を指摘しておきます。もし密接な関係があるというのであれば、万人が納得できるような論理的な説明をまず行ってください。--Pugnari 2006年12月2日 (土) 15:01 (UTC)
私の感情を述べるなら、誤解を与えるのではないという脅えと不安、意図が伝わらない事に対する戸惑い、認識を共有できない事に対する寂しさです。私は「恐い」って言ったんですよ?「恐い」って。分かってもらえないんじゃ無いかと思って恐かったんです。本当に悪気なんてありません、信じて下さい。それが私の感情です。
あと、言い忘れてました。ノートに呼んだもう一つの理由として、井戸端が溢れかえる程、もの凄く長くなるのが予想されるからです。そして予想は多分当たります。私も冗長は嫌いだし簡潔が好きだけど、なんか無理そう。
「論理」にはなりませんが、ある程度は説明できますよ。(って言うか、これ閑話です。)「私がキリカさん以下である」を「AさんはBさん以下である」と置き換えてみます。その上で
  • 「『AさんはBさん以下である』という命題を立ててはならない」
とすれば、おかしさが際立つでしょう。「AさんがBさん以下である」場面は当然想定できるからです。身長、体重、年齢や、中には、IQ、年収、交際歴など、比べるのも不快な指数もあるます。だとするなら
  • 「『AさんはBさん以下である』という命題を立ててはならない」は、
  • 「この指数を比較するのは不快だから『AさんはBさん以下である』という命題を立ててはならない」
の方が近いでしょう。肝心なのは
  • 「何において『AさんはBさん以下である』のか?」と
  • 「どれだけ自分にとって不快なテーマを自覚できるか?」と
  • 「自分にとって扱いたくないテーマに、どこまで堪えられるか?」
という問いかけじゃないですか?私はPugnariさんは自覚も出来てないように見えました。つまりテーマを扱うのを避けてるのです。この場合のテーマは、差詰め「愚か者の定義」になるのかな?。ここでつっかえるのでしたら「愚かさの認識」や「その他の認識(勇気や無謀など)」に辿り着くのが無理なのは明らかです。定義がなければ認識もできません。だから認識の点においては「以下」です。(閑話おしまい)キリカ 2006年12月3日 (日) 08:40 (UTC)

ええと、とりあえず何が言いたいのか掴みかねているのですが…対話を試みてみますね。まず、メタとか構造(主義)とか記号(学/論)とかといった言葉を使うなら、できればそれをある程度理解した上で概念的な説明を加えることを厭わない覚悟を決めるか、その言葉を持ち出さずに、また別の比喩を使うのではなくその場に即した内容に適用して具体的な作業に反映させて議論に参加するかのどっちかにして欲しいです。

で、Wikipedia‐ノート:ルールすべてを無視しなさいでのご意見は、要するに「新しい方針案は、具体的な解釈を提示することで過度に限定的であり、またウィキペディアのコミュニティへの同化を過度に、かつ暗示的に求めているから、それはよくないんじゃないか」ということでよろしいでしょうか。つまり、

もともとの一番短い方針文は、提案者には提案者の意図する内容があったとしても、方針として文章とすることで「記号」となり、解釈はそれを読む側、利用者に委ねられ、利用者の解釈によって、提案者の意図する内容と異なる解釈が生じ、一方では荒らしを増長させる可能性はあるけれど、それらは他の方針とその運用によって規制される。他方、荒らしに向かわない方向での解釈では、提案者が意図した内容だけではなく、ウィキペディアでの活動において有益な解釈が生じることもあり、この可能性を減ずることは好ましくない。ところが、具体的な解釈を盛り込んだ新しい方針案は、過度に内容解釈を限定するものであり、結局IARという方針名を持つにもかかわらず、IAR(ルールすべてを無視しなさい)のルールに従うことを強制するものとなってしまう。
のみならず、このIARの方針は、原則としてルールに従うという全体構造の中において、特異点とでもいうべき方針となっています。現在の方針やガイドラインの構造は、「これまで」のコミュニティの意志の反映であり、既に複雑化しているために、新たな有益なアイディアがあったといてもそれを現実化する際には煩雑な手続を踏まなければルールに従わないとみなされ、閉塞的な状況を生み出してしまう。そのような位置にある方針を、解釈を明示することで役割を限定してしまうことは、好ましくない。

というのがキリカさんの考えと言うことで合ってるでしょうか。まずは、それを確認させてください。-Ks aka 98 2006年12月3日 (日) 17:33 (UTC)

横からすみません。最後の文がよく分かりません。「そのような閉塞的な状況下で、特異点の位置にあるIARの方針を、~」ということですか? --スのG 2006年12月4日 (月) 10:19 (UTC)
ということです。--Ks aka 98 2006年12月4日 (月) 10:27 (UTC)
 そうそうそう!!! そうなんです!!! そうなんですよ!! そうなの!! いくつか違うけど大体そんな感じですよ!! うわーーん・・・ すごく寂しかったぁ・・・。ずっと独りだったんだもん。。。不安で押しつぶされそうでした。。。助けて(リードして)くれてありがとう。
 えっと、解釈を文書の内側に規定するのは、やはり変です。解釈は文書の外側に規定して行くのがよいですよ。それを可能にするのが多元な観点です。だからカテゴライズやテンプレート化を提案しました。荒らしについては、この方針に頼らなくたって、他の方針と、管理者の裁量と、コミュニティーの力で、対処されれば良いんですよ。
 いくつか差異もあります、一つは、私は「閉塞的な状況下で」ではなく、「排斥的な作用が起こっている状況下で」と見てます。閉塞的な状況ならば離脱の自由もない状態ですからコミュニティが自覚できるのですが、排斥的な作用ですと参入の自由がない状態ですから、コミュニティが自覚しづらいと思うのですよ
 もう一つは、誤解のない様に注釈しますと「コミュニティーの同化がよくない」という訳ではありません、その解釈もあって然るべきだと思います。ただ、解釈はIARの外側に規定していくべきだと考えます。ですから「解釈を明示することで役割を限定してしまう(略)」を正確に言うと、「文書の内側に解釈を記述することで役割を限定してしまう・・・」と言うことです。キリカ 2006年12月4日 (月) 15:47 (UTC)
キリカさんが以前「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」と同様の方針であると述べた「Wikipedia:中立的な観点」も「解釈」を方針文書内に含んでいます。解釈が方針文書の外側にあるべきという主張は私には妥当性があるものとは思えません。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 16:14 (UTC)
ああ、それはなにより。じゃあ、とりあえず、もうちょっと詰めてみましょう。ここはIARのノートではないですし、話が拡散しますので、kanbunさんの意見については、以後ちょっとだけ保留しておいてください。まずはお願いまで。ちょっともろもろしないとあかんことがあるので、後ほど追記します。kanbunさんも、ひとまず話を保留して頂けないでしょうか。--Ks aka 98 2006年12月4日 (月) 16:19 (UTC)
はい、座って待ってます(ちょこん)、でも私は警告されちゃったからIARのノートには書けないです(しょんぼり)。キリカ 2006年12月4日 (月) 17:17 (UTC)

[編集] そん次

じゃ、そん次。

「上で書いたような意見+キリカさんの修正」てのは、それでも具体的な文案がそのまま導かれるようなものではなくて、そこでまた困るわけです。理念だけを考えているわけにはいきません。リテラルに受け止めても問題がない(それがたとえ反語的であっても)と思われ、方針の構造上も過度に限定的にならないような文案が提示されていれば、IARでも具体的な文言や項目の話に移行できる。で、キリカさんの意見に一番近いのは、おそらくmiyaさんが作ったやつで、現在の英語版もこの形(だったはず。最近見てないけど)。これが、さまざまな可能性をこれまで生み出し、いまなお可能性を保持しうる「テキスト」です。

ところが、この一番短いやつが最善かというと、そうとは言えない。たかだか初期の関係者の一人が書き入れたルールに過ぎないわけです。英語版では、この短いルールの他に、ガイドライン的なものもある。「創設者の理念への回帰」とは、まず「創設者の理念の検証」が必要となります。たとえば、kanbunさんは、履歴を辿って、ルールが生れた時のコンテキストや、実際にどのような解釈がされたかというのを具体的に調べてみている。ルール発案者は、さまざまな解釈を必ずしも快く思っていなかったことが示されています(だからといって、その気持ちを尊重しなければいけないというものでもない)。他方、Michey.M さんは改変した試案を示し、Anonimous000さんはその整理をしたりている。ここで、解釈や文案がコミュニティの保持に流れるのは、解釈者が常にウィキペディアのコミュニティ内部にいて、百科事典を作るというコミュニティの目的に合致した解釈をよしとするという、「場」の問題がありますから、それはある程度までは必然ですし、ご理解されている通り、それは悪いことではありません。それぞれの活動歴で感じたことや、調べたことを元に、具体的に文をいじるほうが、キリカさんが構造とかなんとかの理解を共有してから考えようとするのに比べて、話は早く進んでいきます。ここでは、「コモンセンスへの信頼」が、どこまで有効かという点が検証されます。荒らしを正当化する言質となるということの前例を求めれば、おそらくAnonimous000さんは、実例を挙げてくれるでしょう。他方、信頼すべきだという意見をすすめるならば、それでもなお信頼できる、あるいはそれを上回る有効な例があるということを示すことが望ましい。ルール自体は後でも変えることができるのですから、実務的には、こういったやりとりも一つの有用な方法で、いったん抽象的な思考を止めて、地道な確認作業に向かう人がいないと話は進まないことも多いのです。

さて、ここで一つキリカさんに気付いて欲しいことは、IALのノートでの発言のいくつかや、Anonimous000さんの会話ページでのふるまいは、あまり妥当ではなかったことです。構造やメタな思考が伝わらず、意図せぬ反論を受けたことによるいらだちは理解できますが、自分自身の言語化が不十分であったこと、文案や解釈を求められることは方針のノートという場においては避けられないこと、kanbunさんやAnonimous000さんらの行動は、単に批判すれば済むものではないということがご理解頂けたと思います。また、誰かが偏っていたり特定の立場から話を進めている場合は、核心に触れずに批判するよりは、直接それに言及する方が中傷にはなりにくいです。

もう一つ、ここでキリカさんが試みなければいけないことは、なんとか文案と方針の構造で、現在考えられる中で最善のものを示し、その理由を説明することです。「構造」や「非明示的にある傾向を生み出す記述を避ける(あるいはあざとく利用する)」といったことは、ある具体的な文を生みだし、説得力ある形で提示するために自分の中で様々な配慮をするために用いるのでなければ、理念で終わってしまいがちなのです(もちろん、理念そのものを追うという道はありますし、執念で理念から実務に結びつけることもありえます。)。基本となるのは、上記の短い本文の版+運用集・解釈集という英語版の形になるでしょう。運用集・解釈集は、コミュニティになじめないけれども、投稿意欲はあり、悪意はなく、削除対象となるような投稿をしている利用者を排斥するものではなく(排斥しないためのルールでもあるように思います)、同時に荒らしの正当化に繋がることの無いような、などなど、様々なバランスを取りながら落としどころを探る必要があります。「カテゴライズしたり、テンプレートを作成する」のであれば、それがどのようなものか、具体的に示す必要があるでしょう。「上で書いたような意見+キリカさんの修正」というところから具体化していく形で意見を述べる限りは、対話は成立するはずです。具体的な想定ではない例を挙げるなら、説明したいことと正確に対応し、かつ対話の相手にとって理解しやすい例を挙げなければ指示内容は曖昧にしか伝わりません。

あるいは、しばらくは静観してみるという手もあります。ぼく自身の考えはキリカさんの考えに近いところもありますが、いましばらく忙しいのでIARの議論には参加していません。IARは、特異点的な位置にあるので、そうとう大きな記述の変化があっても、その役割自体は揺るがないものでもあるように思います。ならば1年後、2年後に再考を提案してもよいのかなと。

ついでに申しあげるなら、いわゆる言語論的転回以降、キリカさんが困っていたような説明の困難さや、具体的な事柄への適用の難しさは、多くの人を苦しめ、あるいは開き直らせました。いわゆる現代思想、ポストモダンなあれこれに関心を持つのであれば、まずは適当な入門書や啓蒙書を読み、その後そこに登場する人の本を一冊でもいいので読んでみて、その違いを実感してみてください。難解さの違い、対象としている範囲の違い、記述方法の違い、などなど、それを実感することで、なんとなく自分の知識の「程」を知ることに繋がるでしょう。それは不安と増長を抑制してくれるはずです。

では、キリカさん、kanbunさん、話を差し止めてすみませんでした。キリカさんには偉そうな説教のようなものをしてしまって申し訳なく思っています。記号論/学の項目はまだまだなので、そっちに挑戦することも考えてみてもらえると助かります。以後、IARについての話であれば以後は井戸端ではなくノートに移動した方がよいと思われますが、kanbunさんやAnonimous000さんの判断、コメント依頼の様子に応じて、それぞれご判断下さい。--Ks aka 98 2006年12月4日 (月) 18:44 (UTC)

インデント戻します。仮にキリカさんの主張がIARを「特異点の位置にある方針」とするものであったとしても、この「ルールすべてを無視しなさい」は「新たな有益なアイディアがあった」場合にその理由を示せば「それを現実化する際には煩雑な手続を踏まな」くてもよいことを示していると思われます。したがってそれが「閉塞的な状況を生み出」すものとは思えません。この方針がもし「役割を限定」している点があるとすれば、コミュニティの維持と改善を目的としている点とルールを無視する際には理由を挙げるべきことを述べているだけであると思われますし、キリカさんへの返答でも述べたとおり、これらのことが何らか抑圧的に作用する様には私には思えません。したがって問題になりうるとすれば、現在の文書が挙げている適当であると思われる解釈と不適当と思われる解釈の例示が、個別に適切であるか不適切であるかの点がまず検討されるべきかなと思っています。キリカさんの指摘が具体的な内容を検討せずに、「ルールすべてを無視しなさい」の表面的な煩雑さからこのルールの簡便性やその直接的な効果が失われているというものであれば、私は現状の方針に対して、そういう感想は持っていません。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 10:40 (UTC)

もちろん「新たな有益なアイディア」が継続的にウィキペディアに影響を及ぼすものであれば、それはしかるべき手順を踏んで方針文書とされるべきです。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 10:48 (UTC)
 それですと、方針名は「有益なアイディアを歓迎します」と「その為の手続き」になると思います。名称を後で決めると、どうしても名称が変わってしまいますよ。解釈については、文書の内部に規定するのは「あってはならない」と信じます。これは制定の大原則であり、いかなる制定も解釈までは規定してはならないはずです。(なぜ「制定」と言う単語を使ったかと言うとルール以上の意味を含んでいるので)それに私は内容を検討するのは懐疑的だって言ったのに、ずっと内容や文案を要求するんだもん・・・・・なんか責められてる気分になって来て・・・・伝わらないのかなって・・・・。
 Kanbunさんとの見解の違いはここにあると思います。Kanbunさんが煩雑さや多義がある事をネガティブに捉えているのではないでしょうか。むしろ私はその点をポジティブに捉えています。これはlawと言うよりconstitutionに近いものであって、運用する為の方針ではないと見てるんです。おそらくこの方針自体が行使されうる場面は存在しないはずですよ。むしろ効果を及ぼす文書になっているのでしたら、もはや別物なんです。キリカ 2006年12月4日 (月) 15:47 (UTC)
運用というのがもし「手続き」を意味しているならば、「Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」は手続き自体を定めているものであるとは私には思えません。この方針を理由もなく、それ自体で行使することはこの方針の現在述べている内容と対立的な見解であると私には思われます。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 16:14 (UTC)

Kanbunさん、ちょっと待ってみてもらえますでしょうか。とりあえず、キリカさんが言おうとしていることを確認したいのです。ぼくが書いたのは、まだ誰の意見でもない推察に過ぎません。--Ks aka 98 2006年12月4日 (月) 12:04 (UTC)

もちろんそうです。そういう意見であった場合について答えたのみです。最終的にはキリカさん自身が明確な表現で述べてくれないと真意はわかりません。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 12:09 (UTC)
つまり上の意見は結局Ks aka 98さんの意見になってしまうので、キリカさん自身の発言を推測して復元することは、復元者の解釈した意見としては検討できますが、キリカさん自身の意見として検討することはできないのでは?ということです。本人に説明してもらうしかないのではないでしょうか。Ks aka 98さんの用語で置き換えることは、それがキリカさんの表現ではないという意味で「Ks aka 98さん自身の意見ではない(この場合「誰の意見でもない推察」)」という表明の仕方をすると、議論が拡散されてしまうと思いました。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 12:16 (UTC)

ええと、Kanbunさんのノートに行きます。ちょっと時間が作れないかもしれないので、夜中になるかもしれないですが。ここはひとまずここまでということにさせてください。--Ks aka 98 2006年12月4日 (月) 12:26 (UTC)

お願いします。Ks aka 98さん自身がキリカさんの意見の中で納得できる箇所があり、それを自分の言葉で表現できるならば、改めて自分の意見として表明され、具体的に議論されることをお勧めします。このさきはノートでお待ちします。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 12:29 (UTC)

インデント戻します。私はキリカさんが自分が「人格攻撃」した非を認め、Anonymous000さんに謝罪をし、それをAnonymous000さんが許されたならば、キリカさんと議論することを厭いはしません。私が許すことができないのは、明確に「人格攻撃」に当たる言葉であるということを直前に認識しつつ(参考:[2][3][4])、言を左右にしてそれを認めずに自己正当化して悪態をつく姿勢が許すことができません(参考:[5])。私にはキリカさんが当該ノートでAnonymous000さんの話題を出す必然性がいまだに認識できませんし、Anonymous000さんの心情から考えても、ちゃんとした謝罪行為がおこなわれていないのは大変遺憾です。本人から反省の態度が見られないうちは冷静な議論は望めそうもないので、議論がこじれてしまうかと思うと、正直相手にしたくはありません。本人が言うには「悪気はないので悪しからず」という言葉がこの場合免罪符になるそうですが、そのような認識がどうして成り立つのか、はなはだ疑問です。--Kanbun 2006年12月4日 (月) 20:11 (UTC)

 私は、ああ言う議論の場では社会通念を持ち出すのは却って不味いと考えてました。忌憚なく話す方が好ましいと。それがあんなに火を吹くとは思いませんでした。
 暴言についてですか? それは一般的な言葉遣いや、社会通念、人格・行動への言及と見ればいいんですよね。でも、だとしたら、Anonymous000さんは、最初の方で私のこと「荒らし」って言いましたよ、「荒らし」だって。その上、話す気がなさそうで、ずーっと一度も対話してくれてません。警告や助言ばっかです。なんで私はこんな責められるのに、彼は何にも言われないんですか。どうしてAnonymous000さんは大切にされて守られてるのに、私はボロ布みたいな扱いなんですか。
 これじゃ侮辱とかそう言う問題じゃなくて、ただ私だけが責められてるだけみたいです。形だけでも「謝れ」と言うんですか? 形だけでも…、それこそ、私が常々、主張して来た形式の優先じゃないですか。何が問題だったのかお互い上手く理解できない状態で謝っても「反省」になりません。また繰り返すかもしれませんよ。無理やり謝らせても内容的にはただの「屈服」と「優越感」と「主体性を奪う」にしかならないです。そんなんで本当にいいんですか? 今は形だけでも良いから謝れってことですか? それよりどうして、その様な発言をしたのか説明をした方が誤解も解けるし、有意義だと思います。あるいは軽いジャブだと思って流せば良いと思います(私はそんなつもりないですけど)。どうしてもと言うなら、私の心を拘束し、薬を打って自我をなくし、何も考えられない玩具にしたあと、私の額をAnonymous000さん目の前で地面に着けて下さい。中身全部空っぽになった私をボロ布の様に好きにして下さい。謝れと言うなら何回も謝ります。それで良いんですよね。。。
 コミュニティの維持の為なら仕方がない、生贄は一匹でいいから、Anonymous000さんはイラナイって事ですよね。なんでコミュニティのために私の「気持ち」を踏みにじられなくちゃいけないんですか。私には、この様な形式的な儀式の中から「謝罪」の意味の発生は望めないと思います。欲しいのは内容的な「謝罪」なはずです、ここで得られる内容は「屈服による満足感」なだけです。
 行動についての言及だって言うなら、Kanbunさんは、Anonymous000さんの方ばかり庇ってます。OFFで仲良しなんですか? それとも何か弱みを握られてるのですか? それに私は形式の話をしようとしてるのに、何度も内容の話に引き戻してばかりです、これが是と言わんばかりの勢いです。これは何ですか?
 それにAnonymous000さんは手続き的なことばかりやっていて、何をしたいのか掴みかねてます。議論を深める気配が見えない・・・。逆に、もし議論に意味がないと思うのなら私達の議論を制止しちゃえばいいのに、後から細かい事を指摘してるだけ・・・。彼は発言自体に憤りすら表明しておらず、ただ「元気が私には」と言っただけ・・・。周囲の反応を見て楽しんでいる様に見えます、何をしたいのでしょうか? これでは…… あ、すみません、何でもないです。えっと、噛み合わないながらも、誤解されながらも、議論をして下さってる方達の方が、まだありがたいし、尊敬に値します。私には彼こそルールと言うメタの階層で勤しんでいる様に見えるんですが、私の事を分析したMaris stellaさんには、同様に分析して欲しいと思いました。
 さあ「謝れ」って命令して下さい。もう何でもします。好きな様にして下さい。頑張って諦めます。私みたいなバカはどうせ人の感情なんて分からないんです。それなら命令された方がマシです。キリカ 2006年12月5日 (火) 18:11 (UTC)

 少しIARの話をすると、私は『常識と良識のセンスを信頼する』と『常識を共有してない』を見て「これはいいなぁ・・・」と思ったんです。(この「いいなぁ・・・」は上手く説明できません。これを説明するのが、恐らく抽象さなのだと思います。)これら方針は、IARと並べる事で威力が増します。相乗的な意味付けに期待しました。それが現在のIARと、合わせると効果が下がってると見えるのです。

 もう一つはメールマガジンとの関係です。各人に何らかの認識や価値観があっても、その主観はパーソナルな物だと限りません、主観や認識が共有される事が往々にしてあります。その認識や価値観が、どこかに存在する視座や見地に集まり紡がれるのならば、それは小さくとも濃密なコミュニティの形成に繋がると思えました。具体案にするならば、井戸端の分割です。また一種のゾーニングでもあります。(と、言ってもこれは、IARから導き出された一つの提案にすぎません。)

 自己弁護も兼ねますと、決して具体的な話を放棄してる訳ではありません。再三くり出される、内容優先による文案要求から逃れるのと、形式の重要さを伝える(例えを用いたりしました)のに精いっぱいだっただけです。「質問」なら良いんですよ、それならちゃんと答えられるんです。「要求」と「場の変更」されるから、場を戻すことばかりに議論が費やされるんです。キリカ 2006年12月5日 (火) 18:13 (UTC)

おちつけ。--Ks aka 98 2006年12月5日 (火) 18:28 (UTC)

Anonymous000さんの「荒らし」の書き込みについては批判的な捉え方もちゃんとあります(リンク先:miya 2006年12月5日 (火) 17:26 (UTC) 、Kanbun 2006年12月5日 (火) 17:38 (UTC) )。 「形式」についてもちゃんとKanbunさんが取り入れてますよ。--Ks aka 98 2006年12月5日 (火) 19:33 (UTC)

[編集] 「頭が弱いように見える」と「人格障害に良く合う」

キリカ氏は、Anonymous000 氏に対し、「頭が弱いように見える」とか「犬のようだ」とか「わたしが教えてやっている」とか侮辱的な暴言を述べたことで批判されているのですが、確かに「頭が弱いように見える」などは他者の人格を貶める暴言でしょう。では、行動を分析と称して、その結論部分に、このような行動からは「キリカ氏は……自己愛性人格障害によく合う」などと断定することは、人格的な侮辱にならないというのでしょうか? キリカ氏は他者の感情について配慮していない、とか自分勝手な主張を行うというのは、その行動についての描写であって、そのこと自体は、事実あれば、そうであるので、人格攻撃とは言えないでしょう。しかし、これこれの行動の特徴からすると、この人は「統合失調症の方のように見える」とか「何々人格障害の概念がよく合います」などは、人格に対する侮辱とは言えないのでしょうか(また、「そして、このような問題を良くしていくためには、10年、20年の長い年月をかけて……」と書いていますが、この「良くしていく」は、リンクで、その先は隠れて見えませんが、人格障害#治療です。つまり、キリカ氏は「人格障害」だと、ここで断言しています。なお素人による診断規準の適用については、この文章を参照)。

人格障害は、精神科医が診断するもので、診断したとしても、その診断は個人のプライヴァシーとして、治療に必要な親しい家族のみに伝えるということは許容されますが、関係のない他者や公衆の前で、精神科医が、誰々は人格障害であって、などと公言した場合、医者としての資質や資格が疑われるでしょう。まして精神科医とはとても思えない方が、他人に対し、「人格障害」の記述や記載が当てはまるなどと公言することは、「無期限ブロック」の理由にしたいのだとしても、「頭が弱い人に見える」と同じ次元というか、いや、もっと悪質な人格攻撃とは考えられないでしょうか。ウィキペディアに参加して活動している人は色々な人がいますが、行動や編集が不適切である、というような事実指摘はともかく、「精神障害に該当すると判断しますので、10年、20年以上の時間が経過しないと直らないでしょう」などと平気で書ける神経が疑われるし、またこれは人権侵害の範疇にも入って来るのではないでしょうか。--Maris stella 2006年12月6日 (水) 13:46 (UTC)

私もAnonymous000さんの行動はすこし行き過ぎたと思います。論争の当事者は客観的になりにくいものであり、反論が新たな攻撃になりがちです。Anonymous000さんの行動も、プロジェクト推進ではなくて、「敵に勝つこと」(Wikipedia:丁寧)が目的になってしまってはいないでしょうか。自戒もこめて、コメントしておきます。--Aotake 2006年12月6日 (水) 16:00 (UTC)

Anonymous000さんの(Wikipedia:井戸端/subj/WP:IGNOREについて#キリカ氏の問題行動に関する分析)以降のやりとりを読み、ある種の危惧を抱き書き込ませていただきます。危惧の内容は2点、まず素人がネット上のやりとりのみで人格障害という断言をすることの危険性については、Maris stellaさんがまことに的確な説明をしておられます。

もう一点、これが実は最も私が懸念していることなのですが、自己愛性人格障害がWikipediaの投稿ブロックを行う理由になるのでしょうか?そのようなことは決してないはずです。Anonymous000さんはそのような意図でご意見を書かれたのではないと信じたいですが、「自己愛性人格障害者は10年20年かけて治療を進めていった上でなければWikipediaの投稿を認めるべきではない」。とのご意見と取られても仕方の無い書き方をされていると思います。これは例えていうならば「統合失調症の人たちは完全に治ることが無いと言われているので無期限ブロックすべき」。といった感じの人権侵害も甚だしい意見と本質的な違いはありません。自己愛性人格障害であれ何であれ、Wikipediaのルールを守っていただける限り問題はないはずです。

私自身としてはAnonymous000さんの各方面での活躍はとても頼もしく拝見しておりまして、今後の活躍に大きな期待をしていたので、今回の件はまことに残念です。どうか冷静さを取り戻していただき、より良い形でWikipediaでの貢献を期待しております。--のりまき 2006年12月7日 (木) 11:59 (UTC)

 私自身は人格が変だと言われるのには厭わないですよ。むしろ落ち着くんです。自分が周囲と上手く合わせられないのが分かるので「人格が変だ」と言われると安心します。恐らくそれが私のベースになっているから、過激で異常な発言を侮辱だと感じられないんです。ただ周囲の人の反応を見て「イケナイ事なんだ・・・」と認識するだけ。私にとっては行動の指摘は感謝の対象になってます。あと現実でも「日本語をおかしい覚えてないか?」と、よく笑われます。と言う訳で、出来るかぎり言葉選びには気をつけて行きます。キリカ 2006年12月8日 (金) 16:01 (UTC)
キリカさん、「出来るかぎり言葉選びには気をつけていきます。」って言ってますが、ついさっきは利用者:キリカ/IARと井戸端の件を自分なりに反省してみたでひどいことを言っていますね。コミュニティの皆さんが、さすがにあなたの言葉に耐えきれず削除していますが。今では、あなたの文全体を削除依頼に出しています。あちらで言ったこととこちらで言ったことがまるで反対のことを言っているのですから、コミュニティーからは信頼されません。あちらとこちらで言ったことのどちらが本当なのでしょうか?--Kemonomichi 2006年12月9日 (土) 07:42 (UTC)

コメント書いたことをお知らせ。--Ks aka 98 2006年12月9日 (土) 13:55 (UTC)

[編集] お詫び

はじめに、冷静さを欠く明らかに不適切な投稿をいたしましたことをお詫びいたします。理性を失って「同じ土俵」に乗ってしまい、ウィキペディアを戦いの場と勘違いしていると取られても仕方のない投稿でした。人権侵害ではないかというご指摘があり、今回のキリカ氏との経緯対抗言論をキリカ氏自身が持ちだしていること等。詳細は省略)を踏まえると私自身としては法的問題はないだろうと考えて投稿したために迷っていたのですが、いずれにせよウィキペディアに投稿すべき内容ではなかったことは間違いなく、今では後悔の気持ちばかりです。1日色々と考えていくうちにいくらか冷静さを取り戻し、今回の投稿について私から特定版削除依頼を提出いたしました。削除依頼については事前の議論を全く踏んでおらず、削除となる場合には多数のユーザーの方からいただいたコメント等を失うことにもなることから依頼を出すかも迷ったのですが、全てコミュニティの皆様のご判断に従いたいと思います。

最後に、コミュニティの混乱を深める要因を作ったことを改めて深くお詫びいたします。申し訳ありませんでした。--Anonymous000 2006年12月7日 (木) 14:47 (UTC)

事の経過は時折目にしていましたが何だかちょっと歯切れが悪いというか、コミュニティという抽象的な概念やシステムに対して詫びても仕様がないような気がします。Anonymous000さん自身、何が問題で誰に詫びるべきなのかわかっているハズだと思うのですが。Ray go 2006年12月8日 (金) 13:32 (UTC)


  • (改めてお詫び)この度は、ウィキペディア日本語版上では絶対に行ってはいけない投稿を私が行ったことによって、キリカさまをはじめとする多くのウィキペディアンの方々に、大変不快な気持ちを生じさせましたことを、改めてお詫びいたします。特に、キリカさまには、履歴の中にあったにすぎないIP氏による「荒し」という指摘に私が安易に共感してしまったことや、それによって無神経にもキリカさまに対して「荒らし」と指摘したことを、まず改めて深く陳謝いたします。キリカさまが<何処行っても「荒らし」と呼ばれる>ために、そこまで「荒らし」という言葉を忌み嫌っていらっしゃることを予め知っていれば、もう少し違った形での対話を行うことができたのに、と悔恨の念を感じています。本当に申し訳ありませんでした。さらに、その後私が冷静さを失った状態で行ってしまったたひどい「反論」も併せて深くお詫び申し上げます。
ただ、今日1日完全にwikibreakした後、ウォッチリスト等を確認してみました。そうすると、私が既に関わっていた議論等で以前から約束していたことや、議論の進行の中で私が手助けできる規約上の問題などが複数生じておりました。ここでその説明の詳細は省きますが、これ以上のwikibreakを私が続けることで、規約関係(Wikipedia名前空間)にはそれほど馴染みがないけれども、百科事典の質を向上させることに熱心な「一般ユーザー」このような呼び方も失礼かも知れませんが、私のような規約作りにばかり関わっているユーザーではなく、記事の編集を中心に行っているユーザーのことです。の方が、ウィキペディアに失望してしまうことを懸念するようになりました。また、私自身は規約整備は快適な執筆環境を作るためにあると考えて取り組んできているつもりでおりますが、少し離れた間にも気になるところがちらほら出てきております。このため、拙速とは思いながら、この後、記事空間を手始めに、規約整備も含めた投稿を少しずつ再開することにいたします。私の投稿再開によって、キリカさまの感情をさらに傷つけることになるかどうかは分かりませんが、もしそうだとすれば、その点も予め深くお詫びいたします。ウィキペディアを最高の百科事典にしようという気持ちだけは、キリカさまと共有できていることを信じて、私の投稿再開をお許し頂ければと切に願っています。
あれだけ非常識な投稿を行った後すぐに復帰しようとする私に対して、そのような投稿態度を「居直り」だと受け取らとられるウィキペディアンの方もいらっしゃるかも知れません。全ては私が招いたことであり、そのようなご批判も謙虚に受け止める所存です。また、今回の件で私自身が投稿ブロックとなるとしても、またそれがどのような期限になろうとも、全て受け止める覚悟が私にはできています。その点も含めて、コミュニティの方々のご判断には全て従う所存です。最後になりますが、今回多大な混乱を招いたことにつきまして、キリカさまを含む全てのウィキペディアンの方々に深謝いたします。(ks aka 98さまのコメント依頼への投稿と競合しました。)--Anonymous000 2006年12月9日 (土) 14:30 (UTC)
キリカさんからのメール(「あと、6時間早ければ・・・。(投稿ブロック)」(キリカさんのMLへの投稿))を昨日見つけ、とてもほっとした気分です。ほっとしすぎたのか、大好きなウィキペディアが夢にまで出てくるほどはまってしまっているので、しばらくウィキホリデイに入ることにしました。ウィキペディアからしばらく離れますが、またいつか戻ってきたいと思っています。はまりすぎない自信がついてから戻ってこようと思います。ここを「戦いの場」とすることを避けるためにちょっと書くのを控えていたことがあって、数日中に別途投稿した後にリバートしようと思います。削除依頼は取り下げました。お騒がせしてすいませんでした。--Anonymous000 2006年12月13日 (水) 17:46 (UTC)
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[編集] Wikipediaの法律検索のしかた

Wikipedia,もしくはWikiソースを使って 法律(道路交通法はこうで、憲法第何条はこうでといった)を検索する何かいい方法はありますか?普通に検索しただけでは圧倒的に資料不足のような気がするのですが、どうでしょうか? 以上の署名の無いコメントは、Nnij(会話履歴)氏が[2006年12月2日 (土) 16:57 (UTC)]に投稿したものです。

身もフタもないですが法令データ提供システムでいいのでは?--無言雀師 2006年12月2日 (土) 18:56 (UTC)

ありがとうございます!こんなの知りませんでした!これ直でコピーしちゃいけないんですかねぇ?国民の税金でできているから筋は通っているとは思うが、これWikiソースとかで整理すれば、Wikipedia大分成長すると思うんですが? 以上の署名の無いコメントは、Nnij(会話履歴)氏が[2006年12月3日 (日) 11:07 (UTC)]に投稿したものです。

著作権法(昭和四十五年五月六日法律第四十八号)の規定より、

(権利の目的とならない著作物)

第十三条 次の各号のいずれかに該当する著作物は、この章の規定による権利の目的となることができない。

一 憲法その他の法令
二 国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人(独立行政法人通則法 (平成十一年法律第百三号)第二条第一項 に規定する独立行政法人をいう。以下同じ。)又は地方独立行政法人(地方独立行政法人法 (平成十五年法律第百十八号)第二条第一項 に規定する地方独立行政法人をいう。以下同じ。)が発する告示、訓令、通達その他これらに類するもの
三 裁判所の判決、決定、命令及び審判並びに行政庁の裁決及び決定で裁判に準ずる手続により行われるもの
四 前三号に掲げるものの翻訳物及び編集物で、国若しくは地方公共団体の機関、独立行政法人又は地方独立行政法人が作成するもの

法令データ提供システムは上記の一か四に該当すると思うのですがどうなんでしょう。--211.135.48.195 2006年12月3日 (日) 16:06 (UTC)

[6]に書いてあると思いますが。たね 2006年12月3日 (日) 16:13 (UTC)
まず、議論においては署名をおねがいします。> Nnij さん
さて、憲法及び法令は 211.135.48.195 さんが仰っているように日本の著作権法では保護されませんので、転載等が著作権侵害となることはありません。実際、今回 211.135.48.195 さんがされたように、記事中の説明で必要な部分を適宜引用・抜粋することはしばしば行なわれています。なお、これは「憲法・法令や国民に広く周知されるべき類の公文書が著作権保護の対象でない」ことによるものであって、「国民の税金でできているから」などと考えることは筋違いです(公務員がその職責において作成した文章全てが保護の対象にならないわけではありません)。
また、もし NNij さんが「法令データ提供システムで公開されている法令全てを Wikipedia に取り込みたい」と考えているのであるならば、別の理由で問題があると思います。それは、「どうやってそれを正しい状態に保つか」ということです。法令等を掲載する場合はその性質から内容が正確でなければならないわけですが、官報等での告示を常に check し、それを反映させることは、誰かが責任を持って行なわなければ不可能であると思います(もちろん誤りの訂正や荒らしへの対処等も必要です)。国が手間と時間(と金)をかけて提供して便宜を図ってくれているものを、わざわざ自分達の手間をかけて別個に管理する必要はないのでは。Wikipedia が百科事典であることに照らしても、得策とは思えません。e-gov では提供されていない法令や通達などを掲載するのはそれなりに有益だと思いますが、それを maintenance するのが大変であることに変わりはありません。 --(五) 2006年12月3日 (日) 17:26 (UTC)
法律の条文そのものが知りたいということであれば、ウィキペディアではなくウィキソースの守備範囲ではないでしょうか。--hashikure 2006年12月3日 (日) 17:30 (UTC)
法律の項目に関してですが、現在あるものはcategory:法律ないしは日本の法律一覧で参照することができます。Portal:法学は現在ポータルのドラフトとして手を入れている段階ですので完全ではありませんが参考にはなるかと思います。なお、条文そのものについてはWikipedia:削除依頼/日本国憲法の条文に関する項目などで議論されたことがあります。現状、新旧憲法の条文ごとの項目は存在しますが、それ以外の通常法令については、条文ごとの項目は不適切、原則条文のコピーもしない、という方向にあると思います(議論の可能性を完全に否定するものではありません。)。なおウィキブックスにも一部関連項目があるはずです。なお条文のアップデート・メンテナンスを普通に人力で行うのは相当な作業になると思いますので、現実的ではないと思います。--磯多申紋 2006年12月4日 (月) 05:20 (UTC)--一部修正磯多申紋 2006年12月4日 (月) 05:25 (UTC)
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[編集] 噂はどこまで記述されるべきか

ノート:ヒカルの碁で話題にのぼっているのですが、「○○について××という噂があった」というのは、どの程度まで記述していい(もしくは、すべきである)ものなんでしょうか?

ヒカルの碁ジャン・トッド佐々木ゆう子とそれぞれ噂について記述があります。個人的な感覚からすると「どれもいらねんじゃねえの?」となるんですが(笑)、後2つについては全く知らないためなんとも判りません。おぼろげにでも指針のようなものがあればいいのですが、ご存知の方はいらっしゃいますか?--なのこえ 2006年12月3日 (日) 00:58 (UTC)

情報源のあるゴシップでしたら一応掲載の価値はありますが、根も葉もない噂だったら除去の対象になるのでは。Wikipedia全体の信用も落としかねないし。--Wrath 2006年12月3日 (日) 02:15 (UTC)

例外を除き、噂は一切不要でしょう。噂の存在自体が、対象物や社会に対し何らかの影響を及ぼした場合が、例外的に、記述の検討対象(記述対象ではない)には成ろうかと思いますが。議論するまでもないと思います。噂は消去して下さい。--PeachLoverももがすき。 2006年12月3日 (日) 07:29 (UTC)
ありがとうございます。議論になったとき明快な説明を行いたいので、Wikipediaのヘルプ等にそういう指針があったら教えていただけませんか?
あと、お礼を言ったあとにこんなこと言うのもアレなんですが、署名の色を出すのにFontタグはうんぬんって上に書いてあったんですけど、大丈夫ですか?--なのこえ 2006年12月3日 (日) 07:51 (UTC)
wikipedia:検証可能性あたりでしょうね。百科事典である以上当然正確性を確保する必要があり、噂など書いてみたところで正確性の担保の材料になりません。--PeachLoverももがすき。 2006年12月3日 (日) 08:08 (UTC)
もし仮に噂が本当にあったとすれば、何らかの記事にでも「という声もある。という噂が広がっている」という信頼性の低い情報であれ載ってるはず「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」にそった記述に直すのも手ではないでしょうか。ランクはどうあれ商業的、あるいは何らかの責任ある元からの出典が望ましいです。個人サイトが十万集まろうとも信頼性はゼロです。書いても構いませんが消されても文句無いはずです--Chiether 2006年12月3日 (日) 09:24 (UTC)
いまさらですが、ジャン・トッドの記事の1つ目の噂に関しては、彼のひととなりを知ることができるので、噂の記述はあってもいいのではないかと思います。信頼できるソースかどうかは知りませんが、その噂に対する社長か誰かのコメントもあるようなので、(噂の)影響もあったことが検証可能なんじゃないかと。--218.251.125.114 2006年12月19日 (火) 02:13 (UTC)

[編集] 芸能・著名人の記事について

便乗質問で申し訳ありませんが、失礼致します。こと芸能人の項目においては、ゴシップや噂ととれるもの(例えば○○との交際が目撃されるなど)が存在しますが、いかがなものでしょうか?また記述が必要であるとされた場合、例え話ですが、交際数の多い芸能人などにおいては列挙する必要などあるのでしょうか?併せてご意見お待ちしております。Hadge 2006年12月4日 (月) 05:09 (UTC)

数が多い場合は、「週刊誌に何度も掲載された事がある」くらいで良いんじゃないでしょうか。個別にはいちいち書く内容ではないと考えます。公式に発表出来るような内容(結婚など)は書いても良いのでは。一応、Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人もご参考まで。--なっしゅびる 2006年12月10日 (日) 23:14 (UTC)

個人情報的なことについても御配慮ください。(誰の父母・住所など)以上の署名の無いコメントは、210.253.160.131(会話/whois)氏が[2006-12-11 04:00]に投稿したものです。

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[編集] 新しい記事が必要か否か

東京ディズニーリゾートで販売されているポップコーンの記事を書こうとしたのですが、この場合"ポップコーン (東京ディズニーリゾート)または東京ディズニーリゾートのポップコーンという記事を新しく作成したほうがよい"のか"既存のポップコーンという記事内に東京ディズニーリゾートの記事を書き込む"のどちらがよろしいでしょうか?--ARICA 2006年12月5日 (火) 05:08 (UTC)

むしろ東京ディズニーリゾートに新しく節を作ったほうがいいのではないでしょうか。--hashikure 2006年12月5日 (火) 05:16 (UTC)
記事自体が不要に思えます。Wikipediaは観光案内ではありません。--ikedat76 2006年12月6日 (水) 16:46 (UTC)一部修正。--ikedat76 2006年12月10日 (日) 10:00 (UTC)
内容次第ではないかと思います。単に「TDR で販売されているから」と記事にするのはどうかと思いますが、そのポップコーンが「いかにも TDR らしい」と思わせるような TDR 固有のものであったり、何か曰くがあって TDR 自体の魅力を補佐するようなものであれば、記事化することを一律に排除すべきではないでしょう(ただし、その場合でも単独記事ではなく TDR の記事中に書かれるべきだとは思います)。ikedat76 さんが示された公式方針も「単なる knowledge DB ではない」としていますよね。宣伝的な記事は排除されるべきですが、読者にとって有益であるようなものであれば、「観光 guide 的内容」はむしろ含まれるべきとも思います。--(五) 2006年12月6日 (水) 19:17 (UTC)
いえ、ウィキペディアは百科事典ですから、そのような観光案内は対象外です。そのものの本質が明快に分かる簡潔な記述を旨にするのがよいだろうと思いますね。そう考えるとポップコーンというのはやや話題が細かすぎる。売上高の何割かを占めているというなら話は別ですが。ですので、標記の件については、こちらには何もかかず、ウィキトラベル等外部サイトで「読者にとって有益な観光案内」をお書きになるのが本道かと思います。--Aphaia 2006年12月9日 (土) 02:01 (UTC)
そのポップコーンはなにか製法や形状や味付けなどが通常のポップコーンと異なる特殊なものですか? でしたらポップコーンの記事に「ぜひ」追加です。但し、それが「東京ディズニーリゾートのポップコーン」になるには、世界中でそこでしか入手できない根拠が必要で、そうでない場合はその特殊性を直接あらわす名称で記載されねばなりません。あるいは販売形態が他の現地販売のTDL関連商品と比較しても特殊なものですか? ならば東京ディズニーリゾートの「アトラクションとして」追加「してもいい」です。そのどちらでもない場合、記載そのものが必要ありません。むしろ既出のコメントにある通り、削除の対象です。LR 2006年12月9日 (土) 02:34 (UTC) 

ディズニーリゾート関連で精力的な執筆をされるのはかまいませんが、Wikipediaはディズニーリゾートの観光案内でも宣伝場所でもありません。あくまでも百科事典であってそれ以外の何者でもないのです。それを理解できない執筆者を歓迎するべき理由は私には考え付きません。--ikedat76 2006年12月10日 (日) 10:00 (UTC)

確かにWikipediaは観光案内でも宣伝でもありません。しかし、Wikipediaが目指すのは質量ともに最高の百科事典です。TDRのポップコーンに関する我々の知をWikipediaの三方針に則った上で体系的に記述するのであれば、一体どこにWikipediaが量的に拡大するのを拒む理由がありましょう。観光ガイドを目的としてWikipediaを記述するのは確かに問題です。しかし、体系的に知をまとめた結果として、それが読者に観光ガイドとして用いられうるような文章となることは特別に拒む必要は無いはずです。
ただ、TDRのポップコーンに関して他のポップコーンと比較し特筆すべき事項があるのであれば単独記事を作ったり、ポップコーンの中に記載しても良いと思いますが、そうでないのであればTDRの解説の一環として東京ディズニーリゾート、もしくは東京ディズニーランド東京ディズニーシーに分けて記載する(どちらが良いのかは私はTDRには疎いので判断しかねますが)のが妥当ではないかと考えます。--spirituelle 2006年12月10日 (日) 11:29 (UTC)
ウィキペディアはあくまで百科事典であって、ナレッジベースではありませんので、どんなものでもただ書き集めれば良いというものでもありません. 本来であれば、百科事典がどう足掻いたところで観光ガイドにはなり得ないハズです. 質的に最高の百科事典を目指すなら、中には切らねばならない情報もあると思います. 事実を元にそれを傍観して書かねばならないのが「百科事典」で、逆に何らかの思い入れが無いと書けないのが「ガイドブック」ではないでしょうか. 百科事典的な視点で、百科事典的な文章を書けば、「TDLのポップコーン」も百科事典的ジョークにはなるかも知れませんけれど、初期段階からそれができないのであれば、触れる必要の無い情報だろうと思います. 全く別のプロジェクトにはなりますがウィキトラベルにでも書けばよろしいでしょう. a perfect fool 2006年12月10日 (日) 18:20 (UTC)
いずれは項目の剪定をするべきなのかも知れませんが、現状ではまだまだ量的に不足していると考えます。あまり立項の時点での排除に拘らずに、各項目間のネットワークが根付いてから冗長な部分を剪定しても良い様に考えます。ここの論議を見ていると、日本に博物学が馴染まない理由がおぼろげながら見えてきます。--Himetv 2006年12月10日 (日) 18:57 (UTC)
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[編集] 本名使用は避けるべき?

執筆をはじめたばかりの新参者です。よくみると、ほぼ全員の執筆者の方の名前がアルファベットの羅列やハンドルネームですが、本名開示は何か問題を引き起こす素因となるのでしょうか? 住所や電話番号は公開すべきでないのは分かりますが… --鈴木拓也 2006年12月6日 (水) 05:46 (UTC)

これは本人次第ですね。本名を利用者の名前にしてはいけないという方針は(少なくとも現在では)ありません。利用者の名前についてはWikipedia:ユーザー名にも書かれてありますように、「歴史上の名前も挑発的なものは許されません」が、他は「@」を使わないアカウントである限り自由に作成する事が可能です。私のように「本名を知られるのはいやーっ」と言う考えを持っていれば、代わりに本名以外の名前を使うこともできます。もし必要であれば利用者名の変更もできますが、拓也さんがこのまま本名を使うので構わないのであれば全く問題ありませんよ。--snty-tact (Talk) 2006年12月6日 (水) 06:19 (UTC)

コメントありがとうございます。Wikipedia:ユーザー名…へぇ、こんなことも議論されているのですね。個人的には、署名記事(?)のほうがいい意味で緊張感を持って取り組め、少しは駄文も向上するかと思いますので、とりあえず今のままにしておきます。--鈴木拓也 2006年12月6日 (水) 07:59 (UTC)

私がアカウントを取得した当時は、利用者名に漢字が使えるなんてあまり知られて無かったんですよね^-^ それに、私が実名を漢字で書いてしまうと、その気になって調べればたぶん住所まで判明してしまうのでx_x でも、だからと言って匿名で書いているという気持ちは私には全く無いです. 今のこの名前は私の分身というか、私の一部ですから. このコミュニティでこれまで獲得したかも知れない信用の事もありますし、変な事はできないです.
利用者名に日本の文字を使う人が少ないという状況は、外国の方からは不思議にも思われる様です. ただ、他のサイトで十中八九は英数字以外が使えないというのと、きっとアルファベットの方が入力が世話無いんでしょうね... 基本的にはどんな名前を使っても構わないのですが、あまりにも紛らわし過ぎるものというのも好まれないですね. 例えば、仮に「金田一」という利用者が既にいるとして、「金田_一」という名前を取得したり... 利用者名にはある種の「ユニークさ」というのも求められます. a perfect fool 2006年12月10日 (日) 17:11 (UTC)

一つの名前で全て通す事は良くも悪くもありませんが、それを強要されると困る人も居るのです。盾と矛の両方を商う人は別人を装った方が上手く行きます。211.133.19.110 2006年12月8日 (金) 13:30 (UTC)

Wikipedia:多重アカウントを参照。多重アカウントは好まれません。--Los688 2006年12月8日 (金) 13:32 (UTC)
ウィキペディアに限って言えば、健全な使い方をなさっている限り別人を装う必要は無いハズです. 「アカウントを複数取得するな」とは言えませんが、「別人を装う」のは止めなさい. 話がこじれます. a perfect fool 2006年12月10日 (日) 17:11 (UTC)

参考リンク: Wikipedia:井戸端/ユーザー名の本名登録について --SGreen 2006年12月11日 (月) 11:10 (UTC)

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[編集] 人物記事に本人が関わること

とある人物の記事に加筆を行いました。しかし、本人と名乗るIPユーザーが明確な説明もないまま再三大量削除を行い、保護されるまでに至りました。最近保護が解除され、他の方に差し戻していただいたのですが、再び大量削除が行われ、編集合戦が発生しています。

その人物本人に問い合わせたのですが、「本人である」との回答を頂き、削除した理由について「枉げられているから訂正した」との説明を頂きました。

しかし私は事実を歪曲した記述を行った覚えはありませんし、その人物の名誉を毀損する記述を行った覚えもありません。ここは本人の意向に従うべきなのでしょうか。--Raff 2006年11月6日 (月) 14:57 (UTC)

翻訳中の草案ですが、Wikipedia:存命人物の伝記がご参考になるかと存じます。基本的にWikipedia:検証可能性に基づいて出典を明らかにし、プライバシーの侵害、度を過ぎた批判をしないように配慮する必要があります。細かいところはご本人と対話してください。例に挙げられている項目では、完全に明白ではないですが、たぶん本人なのでしょう。--Calvero 2006年11月6日 (月) 15:31 (UTC)

基本線として、「本人や組織などの、自己規定に基づく記述」というのはそもそも百科事典などの記述としてはふさわしくないものであり、名誉毀損などの問題がないのならば、本人の意思はせいぜい「参考意見のひとつ」程度にとどまるのではないかと思います。ご本人と名乗るひともしょーじきなにやってるんだかよくわかりませんが、議論に参加するわけでもなしIPで削除しまくるだけって、なんかかなり勘違いしているひとなのだなあという印象です(率直なところかなりがっかし)。まあどうせ履歴は残りますから本人と名乗る人の行状も残るわけですし、テキストは保存されているわけですから、ほとぼりがさめた頃に戻せばいいんじゃないでしょうか(ふっ)。--Nekosuki600 2006年11月6日 (月) 16:53 (UTC)

本人がいやだというものを無理にのせることもないとは思いますが..
それ以前の問題として、削除された文では氏が関わった会社の事柄と、氏自身の事柄とが混ざり合っているのが気になります。
まずは、本人の業績(マイナスあればそれも含め)にのみもっぱら帰せられる部分を除いては、会社の事柄を省き、氏自身の事柄に絞ったらどうでしょうか。
その上で掲載すべき部分が残れば、それをノートで提案してみてはどうでしょう。-- 2006年11月7日 (火) 09:14 (UTC)
出先より。
たっとえっばさー、こういうの極論を出すとわかりやすいと思うんだけどさ、とっても怪しい会社があるとするでしょ。でもその会社の自称が「社会貢献企業」だったとするでしょ。そしたらWikipediaに「社会貢献企業」と書かなければならんのか、とまあそういう話と同じだと思うんですよ。本人が歓迎するかいやだと思うかというのとは別の次元で、記述するに足りることを、われわれは書く。そういう覚悟が必要なんでない?--124.39.45.218 2006年11月7日 (火) 14:48 (UTC)
そんな怪しい会社の詳細をwikiに書かなくても良いと思うのですが。自己調査を発表する場じゃないんですから。--かびお 2006年11月8日 (水) 01:28 (UTC)
たとえ話から枝道に逸れないっ。それ、おれの指摘に対して、コンテクストに従った、なんらかの反論になってますか? なってないでしょ。--Nekosuki600 2006年11月8日 (水) 13:10 (UTC)

まあ一般論ですが、原則としては相手が本人であるか気にする必要は無いと思います。Wikipediaのシステムとしては編集者の同定はしないようになっており、本人であるか確認はできないし、する必要も有りません。検証性についても通常と同じで、本人しか知らず他人に検証できないことに関する編集は検証性を理由に拒否すべきと思います。その上でノートでまともな対話を行わず、Wikipediaのルールを破るようであれば、通常の対処を行うべきでしょう。しかし、本件に関しては本人であることは確認された様ですので、よりプライバシーや名誉棄損に気をつかう必要は有ると思います。 Zorac 2006年11月7日 (火) 13:33 (UTC)

Wikipedia:ウィキペディアは何でないか もっぱら知られていない事実を公表することが目的ではありません。事実ならば何を書いてもよいわけではありません。個人のプライバシー、また特に不謹慎とみなされる場合のある事象の記述に関しては、それが事実であっても保守的な態度で記述をさけるべきです。事実の報道は、姉妹プロジェクトのウィキニュースでなら歓迎されます。 --Vlp 2006年11月8日 (水) 12:24 (UTC)

人物記事のご本人様へ。ウィキペディアはその規定を守る限りだれでも加筆訂正できる百科事典です。規定に適合した加筆であれば管理者の側では積極的に削除できる規定が存在しないことから、規定に適合し、ご本人様にとって掲載された内容に不都合がある場合、ご自身かご自身に命ぜられたどなたかが削除を行うことになるでしょう。ですがご本人様が削除されるのと同様加筆される可能性もあり、場合によっては編集合戦にあなることも考えられます。ご本人様におかれましては編集合戦の発生や削除後に内容の壊れたテキストを残すことが起こらないようにご配慮お願いします。ただ、IPユーザーとしてご自身の記事の大量削除を行った事実ということは確実に残ってしまいます。これに関して緘口令を行うことはもちろん出来ませんので、こうした事実がご本人様の今後のビジネス活動の妨げにならないか心配であります。Raffさんによればご本人様とのことでしたが、もし仮にご本人様かご本人様に近しい方がこの記事をご覧であり、なおかつご本人様による記事の削除が事実無根だとお考えでしたら、今のうちにこうした削除はご本人様の望むところではないこと、および何者かがご本人様の承諾を得ずにこのような削除活動を行っていることを(Wikipedia内だけでなく)、ご本人様の発表できる公式の場で発表された方が宜しいかと思います。以上老婆心ながら申し上げます。--Himetv 2006年11月11日 (土) 05:53 (UTC)
最近、当該記事で本人を名乗るIPユーザーから、具体的な箇所の説明もなく削除が行われています。--経済準学士 2006年11月19日 (日) 14:47 (UTC)

私が知る限り、西和彦氏の項目以外に、武田崇元氏と小谷野敦氏の項目にも、御当人を名乗る人物が手を加えているようです。英語版ではen:Alan_Dershowitzの項目にハーヴァード大学のIPから当人と思しき人物が手を加え、特定のユーザーに対して法的な脅迫をおこなったことがあります。--Arpeggio 2006年12月7日 (木) 07:30 (UTC)

皆様ご意見ありがとうございました。このような問題が二度と起こらないよう、人物記事への加筆は慎重に行うことを心がけます。--raff 2006年12月12日 (火) 09:17 (UTC)

[編集] 西和彦氏に関する話題

マスコミの報道などにより西和彦ノート:西和彦に関する経緯をご存知の方も多いと思われるが、西氏を名乗るIPユーザ氏が、該当記事のノートの範疇を超えて自らのウィキペディア論を語り、そのためにノートが機能しない事態に陥っている。ノートから井戸端への誘導も促したのだが、「あくまでこのノートでやらせてもらう」と言って、移動してくれない。

こういった場合、どうやってこの井戸端へ誘導すればよいだろうか。また、井戸端に移動させずともうまく回るような方法は無いだろうか。何か良い案があればお聞かせ願いたい。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2006年12月7日 (木) 02:12 (UTC)

普段通りルールに従って対応すればいい事かと。つまり、相応しくない場所で展開される主張はコミュニティに取り上げられる事はないのであり、ルールに従わずコミュニティに負担をかけつづけるユーザーはブロックなり追放なりされる、という原則に特例はないと思いますが。LR 2006年12月7日 (木) 02:30 (UTC)
LRさんの言う通りです。ルールを守らずに勝手なことばかりを繰り返すユーザーにわざわざ下手に出てこっちに来ていただかなくてもけっこう。本人を名乗るユーザーを片っ端からブロックすればいいでしょう。--ライトノベル文学 2006年12月7日 (木) 05:40 (UTC)
あと、これだけ本人(を名乗る者)が記事を書くことを拒否されているのだから、いっそのこと記述を全部消して、冒頭に
「この記事はご本人によって記述することを激しく拒否されています。記述しないようにお願いいたします。記述された場合、ご本人が飛んできますのでご注意ください」とでも書いておけばいいんじゃないですか?--ライトノベル文学 2006年12月7日 (木) 05:47 (UTC)
記述拒否をしているわけではないので過敏反応を起こす必要は無いと思いますが、本人確認(記入者同一性)を求めアカウントを取得する事を拒絶し、署名も相変わらずつけない、(おそらく通常の掲示板と勘違いしているのか)節ごとコピーした上でインラインコメント、そして誘導拒否、本来であれば投稿ブロックの声が上がってしかるべきでしょう……。そろそろその時期かもしれません。--Chiether 2006年12月7日 (木) 09:24 (UTC)
意見ありがとう。だがライトノベル文学殿、IPユーザで且つ署名の仕方も知らない、ルールも全く守らない人間とはいえ、今までの経緯からして80%くらいの確率で中の人は西和彦本人なので、そう単純にも行かないんだ。それに、それではアンサイクロペディアと同じになってしまうしな(苦笑)。
LR殿やChiether殿が言っているように、淡々とコミュニティのルールに沿って処理するというのは良い考えかもしれない。投稿ブロック方針に照らし合わせた場合、現状ではざっと
  • 旧方針8.1「ノートページや各種依頼ページにおける議論の拒否や妨害」
  • 旧方針8.2「ノートページや会話ページにおける他者の発言の故意の改竄」(註:本人は間違えて削除したと言っているが、今までの編集を見るとどうにも信用できない)
  • 新方針「コミュニティを消耗させる利用者」
あたりに該当するだろうか。もちろんこれにはWikipedia:存命人物の伝記が考慮されてはいないので、単純にブロック依頼を出すというわけにはいかない。それに仮にブロックするにしても、IPユーザであるため、通常のブロック依頼が行なえない。それに、頻繁にIPが変わる回線らしいので、ブロックの際には広域ブロックになってしまう可能性があるが、これはできるだけ避けたい。
何にせよ、投稿ブロックだけは避けたい(後で「言論封殺だ!!」などとわめかれても困るし)のだが、まずは西氏を名乗るIPユーザ氏にこの井戸端に来てもらわないことにはどうにもならない。溜め息しか出ない。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2006年12月7日 (木) 09:37 (UTC)
記述拒否をしているわけではないので過敏反応を起こす必要は無いかと。ところで本人が削除を認めている以上、「61.196.225.189」のアドレスは本人確認済(報道済)ではありますが、可能性として実はその後の「210.196.xxx.xxx」系は全て本人確認が未済です。(メールに対するレスのような投稿もありますが、誰が送ったのかも不明です)なのでやはり「本人によって~」とは言えませんね。あくまでも「自称本人」という事を意識的にも理由でも強調しましょう。同一者であるという証明を自ら破棄する姿勢から本人である事を疑っています。仮に本人だとしても身から出た錆です。……なんか人狼っぽくてヤだなぁ。--Chiether 2006年12月7日 (木) 10:06 (UTC)
枠で囲ってあるところでしょうか。それは私が西氏に送ったメールへの返答です。--Calvero 2006年12月7日 (木) 12:08 (UTC)

ところで……仮に210.196系の人が本人で無かった場合、ニュース記事からノートがリンクされており、そこで「本人を騙って長らく騒いだ」というのは法的に問題ないのでしょうか。--Chiether 2006年12月7日 (木) 10:06 (UTC)

[7] に記載されているアドレスにメールして確認してますので、左記のサイトが偽物でなければ、西氏本人である可能性が非常に高いであろう、と私は考えます。もし違った場合にどうなるのかはわからないですが。--Calvero 2006年12月7日 (木) 12:08 (UTC)
「西和彦」でググってみた。参考になりそうなリンク。ところでアンサイクロペディアの「西和彦」の項目は爆笑した。笑わせてもらった。
西和彦とは - はてなダイアリー
西和彦が、Wikipedia記事「西和彦」を大幅削除(2ちゃんスレ)
狐の王国 西和彦は情報技術を理解してないんじゃないか
廃墟通信 - 西和彦氏からのメール?
西和彦 - BLOG360
gm November 2006 バックナンバー
--ライトノベル文学 2006年12月7日 (木) 12:41 (UTC)
Wikipedia:存命人物の伝記に関していえば、これは本人に無限免責を与えません。本人が不服な場合何処に申し立てればよいかも書いてあります。但し、そのルールに従い、存在を周知の上でこれに従わないユーザーを自称本人より優先的に処置の対象にするべきではあります。その点での運用の公正の確保が最優先で、そのあとは幼稚園で最初に教えられその理解度によって以後の品性が決まってしまう人間社会の基本ルール「他者の不正により自己に不正権が発生する事はない」を遵守する/して頂くだけです。LR 2006年12月7日 (木) 13:04 (UTC)
無理して加筆する必要は無いと思います。もっと重要な記事がほかにたくさんありますので、当分の間「西和彦」はノートと「ご本人」ごと放置してはいかがでしょうか? --miya 2006年12月7日 (木) 14:30 (UTC)
皆さまお疲れさまでした(と、過去形にしていいのかどうかアレですが)。新参者が口を出すべきではないと思い、生暖かく推移を見守って参りましたが、miyaさんのおっしゃるこの収束方法が現状最もベターであろうと思いますので、賛成します(決してベストとは思わないんですけど)。
この上は、あと50年ほど待ってWikipedia:存命人物の伝記が失効した後で加筆するというのはいかがでしょうか(私はそれまでこの方を覚えている自信はありませんが。今まで知らなかったし)。私は、ウィキペディアの理念は、たった50年くらいで簡単に消え去るものではないと信じておりますので(「新しい提案」なんて、「ウィキペディア日本語版」を「ウィキペディアではない」と完全否定されたも同然でしょう。私などは、アレを読んでとうとうやっちゃったか…と思ってしまいました)。私たちにできることは、少しでも信頼される百科事典を、堂々と作っていくことだけでありましょう。
ついでに、私からも西さんを称する方へ一言。あなたがされたことは、土俵でサッカーをしていたみたいなものですよー。署名問題ひとつとっても。--Crystaltear 2006年12月7日 (木) 23:34 (UTC)

やはり現時点では放置が一番か。まあ、ノート:西和彦から外には出てこないと発言しているし、狭いノートでメタウィキペディア論を語ったところでウィキペディアの何かを変えられるわけでもないから、現状維持でいいのかもしれないな。
「構わない」というのは最善の策ではないが次善の策ではある。ウォッチリストから外してしばらく関わらないというのも、一つの結論ではあるな。いろいろ意見をありがとう。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2006年12月8日 (金) 23:14 (UTC)

Wikipedia:自分自身の記事をつくらないという方針はまさに今回のように本人が記事執筆に加わると論争になるので避けた方が良いという方針です。今回の場合はこれに当てはまりそうですね。保護してしばらく放置しておき、ほとぼりが冷めたら再開でよいと思います。たね 2006年12月9日 (土) 02:17 (UTC)
西和彦さんの場合、本人確認をしないWikipediaで本人を名乗るだけで大幅に経歴不記載とする編集が通用すると思っているのが、問題だと思う。古森義久さんみたいに公式ブログでWikipediaへの意見表明をするなどすれば、本人の投稿だと裏付けられるのだが、西さんの場合、そういうことをせずに、当初は具体的な問題点を指摘せずに不記載編集をしたから、編集合戦になって、編集保護になった。ノートで署名をしない主義にしろ、他者のコメントに挿入する形で自分のコメントを挿入したがるインラインコメント(最近改善されたと思うが)にしろ、井戸端に議論の場を移さないことにしろ、西さんにはWikipediaを扱うのは難しいと思う(まあ、上の事例はルールをまったく知らない初心者に往々にしてあるかもしれないけど)。--経済準学士 2006年12月10日 (日) 16:47 (UTC)
しかしウィキペディアン側も一部では多少加熱しすぎていくつもの内容が一度に書き込まれていた気がします。個々の回答を1つにまとめるのも大変な労力です。返す側だけでなく投げる側も返す側の事を考えてもらえたらなーと個人的には傍目で少し感じたですよ。--Chiether 2006年12月11日 (月) 02:52 (UTC)

横から失礼します。この本人を名乗るIPuserの投稿ブロック依頼はどこへ提出すればよいのでしょうか?依頼理由は以下のとおりです。

  • <対話拒否>僕が書いたノート:西和彦/sub1#署名をつけましょう 再びに連絡+返事の要求をしているにもかかわらず、無視していること。(気づいていないだけかもしれないが)
  • <コミュニティの消耗>ノートページの消耗及び論理的でない意見で議論を長引かせて執筆を妨げている。
  • <挑発>Wikipediaを「永久に完成しない百科辞典!Kazutokoが2006年12月13日 (水) 13:36 (UTC)にノート:西和彦#新しい提案より引用)」と述べ、挑発をしていること。
  • <侮辱・無礼>ログインUserのことを「怪物さんKazutokoが2006年12月13日 (水) 13:36 (UTC)にノート:西和彦#偽署名より引用)」と呼んだりしていること。

依頼理由について追加するべき内容があれば、それも連絡ください。--Kazutoko 2006年12月13日 (水) 13:36 (UTC)

  • 理由、要件は上記で満たしていると思いますが(追加事項がないというわけではありません)西氏と思われる人物が可変IPであることから、投稿ブロックは実施されてもごく短期間に留めざるを得ないと思われます。実効性からして疑問を感じます。また、ご承知とは思いますが実際の依頼は管理者伝言板からになりますね。--DEN助 2006年12月14日 (木) 00:38 (UTC)

[編集] メジャーにならないまま芸能界を引退した人物の扱いについて

何かヒットを飛ばして引退した場合や、その後も活動を続けている場合は別ですが、ジャニーズJr.のようなパターンで”ただ芸能事務所に所属したことがある”程度の人物の個人記事を作成することはプライバシー的にも問題がある気がしています。ノートで特に反応がないので、ご意見のある方はお願いします。個人的には退所した人物はその後の活動歴がない限り、書いても一覧記事に名前だけが限界かなと思っています。Fuji 3 2006年12月7日 (木) 15:51 (UTC)

ジャニーズJr.は基本的には有名なテレビ番組に出演しただとか、そういう著名活動がないと削除対象だと思う。--経済準学士 2006年12月10日 (日) 15:54 (UTC)
Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 芸能人#新規記事作成基準の必要性についてでも同じような提案はなされていますね。そこで私も少しコメントさせていただきました。--なっしゅびる 2006年12月12日 (火) 14:18 (UTC)

[編集] 情報の列挙の著作権について

年表や例えばある団体の歴代の代表名などの単なる情報の列挙にすぎない記事を引用する場合、引用元を明示してもそれがWikiの著作権規則に抵触するものでしょうか?2006年12月8日 (金) 03:52 (UTC)

後者の場合、全部の列挙ならば情報選択の余地もなく問題ないと考えます。前者の場合は情報の選択の仕方に独自性が認められた判例もあるようで、抵触の可能性は否定できないでしょう。martin 2006年12月8日 (金) 03:59 (UTC)
引用元を見ないと確実なことはいえませんが、年表の転載はさけるほうが無難、歴代代表は問題なさそうです。一般論としては、まず、まるごと転載するのは著作権の有無にかかわらず避けたほうが無難です。次に、引用とするならば出典を明記することが必須ですが、それ以外にも必要最小限でどこが引用かわかるようにする等の様々な条件があります。普通、年表はこの条件には当てはまりません。詳細はWikipedia:著作権を参考にしてください。--Zz2 2006年12月8日 (金) 04:09 (UTC)
「引用元を明示」すると「Wikiの著作権規則に抵触する」ということはありません。Wikipedia:出典を明記するにあるように出典を明記することは、Wikipedia:検証可能性を保つためにも、強く求められています。--Ef3 2006年12月8日 (金) 05:11 (UTC)
年表の場合ですが、「削除できるところすらないほど最低限の重要事項ばかり」というのであれば、転載でも認められる可能性はあります(その場合でも表現は変えるべきです。選択の著作性は免れても、文章表現の著作性に引っかかる可能性があります)。一部の落語家記事が、この理由で転載が認められた前例があります。しかし、そのような特殊事例でもない限り、年表の転載は避けた方が無難です。年表が必要なら、どうしても避けられない事実に限った少数の年表を作成された方がよろしいでしょう。後者は、必要な場合であれば全部の列挙になりますが引用の範囲内でしょう。いずれの場合でも、必要最小限に限ることを心がけて下さい。個別事例を離れますと、単に情報の列挙と考えるのではなく、そこに著作性はあるか、表現以外の著作性はあるか(選択や形式の著作性)、逆に公的な性格はあるかを考えてみて下さい。なお、転載を行うと意図するか否かにかかわらず、著作権侵害のおそれのある転載をしてしまう危険性が高まるので、極力右から左に流すような単純な転載や、容易に入手できる物ではなく調査が必要になる類のレアなデータの転載は、その分野のデータの軽重や編集傾向をつかむまでは、お控えなされた方が無難でしょう。
過去に、Wikipedia‐ノート:削除の方針#著作性の有無にかかわらず転載を削除できる規定を作りませんか?で似たような議論がありましたので、よろしければご参照下さい。--open-box 2006年12月15日 (金) 14:54 (UTC)
引用については、Wikipedia:引用のガイドライン/草案とそのノートも参照して下さい。--open-box 2006年12月15日 (金) 15:46 (UTC)
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[編集] 販売時における「定価」表記に関して

はじめまして。以前から気になっていることなのですが、例えば、ゲーム機やソフトの中古販売を行う店舗(ネットショップに関係なく)では、元の価格表示に「定価○○円」と表記されているケースが多々見受けられます。この場合、「定価」ではなく「メーカー希望小売価格」と表記すべきではないでしょうか。(特定の店舗を責める気持ちはありません)

こちらのHPにて「再販売制度」の説明が詳しくされていましたが、確かにメーカー側がゲーム等を「定価」表示することは問題あると思います。しかし、販売店側が商品を「定価」と書いたところで何かしらの弊害はまずおきないでしょう。だから、とがめる必要はないのかもしれませんが・・・

このようなことが気になる理由は、店舗に限らず、通常の会話中でも、例えばテレビでも弁当でもカプセル自販機でも「定価」と言う方が多いのですね。確かに「メーカー希望小売価格」なんていうより「てーか」という方が語呂も良いので言いやすいと思いますが、そのことを指摘すると大抵けげんな表現をされます。

しかし、定義で照らすとやはりおかしいと思いますし、過剰な想像をすると「定価」表記は販売店主導の価格に疑問をもたない思考に陥るのでは、と危惧してしまいます。以上の署名の無いコメントは、61.207.206.204(会話/whois)氏が[2006年12月11日 03:43]に投稿したものです(Klb。改行を微修正しました。による付記)。

そもそも、よほどの特徴的な事象でない限り値段までは書く必要が無いかな、とも思います. a perfect fool 2006年12月11日 (月) 12:46 (UTC)
価格は情報として有用だと思います。その数字がなんという名前で提示されたのか正確であることも重要だと思います。それが定価として提示されていれば定価、メーカー希望小売価格であればメーカー希望小売価格と伝えるのが大切だとおもいます。日本ではよく知られているような価格でも、日本語版Wikipediaをよんだフランスのゲームおたくの人が(たとえばです)、そんな価格で売られているのかと思う貴重な情報かもしれません。そしてそれがフランス語版に記述され、そして各国語版に記述されるかもしれませんよ。わたしは古い車の話を記述することがおおいのですが、xxで売られたとか、販売されたときの価格はxxxだった、とかしかかけないことが多いですね。現在だと、米国だとMSRPとかなっていますしそれを日本語で正確にということがいえるかというのはありますね。メーカー希望小売価格としてしまいますね。きっと日本語のそれも米国追従型でMSRPをまねしたんじゃないかな。目を広げるとWikipediaがとりあつかう情報は、現在付近のことだけでもありませんし、それも日本だけのことではないので、その価格をなんと書くのかは情報の精度となると思います。できるだけ事実に近い書き方を工夫したいと思っています。繰り返しますが、価格は有用な情報です。だからメーカー販売価格だけでなく、それがいつだとどれくらいで取引されたかというのもまた貴重な情報でしょう。そのためには、見出し一つきちんととるくらい必要かもしれませんね。--Pararinpooh 2006年12月12日 (火) 01:04 (UTC)
特徴的な話題があればともかく、「常に」重要な情報ではないでしょう。また、Wikipediaは資料集ではないので、その点、かんがみてもらえればと思います。--ゆきち 2006年12月12日 (火) 01:10 (UTC)

このスレッドの意味を変えないように。価格表示がいらないという流れに誘導して、当初の、定価なのかメーカー小売価格なのかという問いかけに答えないのはおかしいのではないか?--Pararinpooh 2006年12月12日 (火) 01:17 (UTC)

それは失礼。--ゆきち 2006年12月12日 (火) 01:22 (UTC)
価格に対して常に重要でないという表現をする人に対して、『何が常に重要なものなのですか』と問いたい。重要なものなど記事のトピックに応じて変化する。価格について井戸端に相談するなどおかしいというように見える回答、そんなこと重要じゃないから気にするなというように見える回答に奇異を感じたからの投稿です。このスレッドでは価格のことを問題にしているのだから、それにまじめに取組んであげるのが回答者の役割とおもう。その質問自体を軽んじるような方向に話をもっていくことがおかしいとおもったから記述したのがそもそもの動機。大切なときには大切なのですからね。わたしがWikipediaに参加して当初いわれて、「なんだこれは!」とおもったのが『なにがWikipediaでないかを考えてください』という言い方をされたとき。これは初心者にはむずかしいですよ。ちょっとなれてくるとこれを使いたくなるけど、ちょっとまってといいたいな。上級者はもっと噛み砕いて教えられる人のことをいうと思うよ--Pararinpooh 2006年12月12日 (火) 01:33 (UTC)

というか、日本語版wikipediaでは「価格」と表記(Template:コンピュータゲーム)するようにしていますがこの問いかけはwikipediaに対する物なのでしょうか?もともとの61.207.206.204さんの投稿は「定価」表記をしている店舗がありますがどうみなさん思いますかっていう問いかけに見えます。もしそうなら井戸端はwikipediaの内容について話す場所なので当初の話はここで議論する内容ではありません。これをネタにして別の価格表記の話に発展するのは構わないと思いますが。--はわわロボ 2006年12月12日 (火) 01:59 (UTC)

ゲーム機についてはメーカーによる実質的価格統制が存在しますし、長期間にわたり一定小売価格が維持されたのであればその価格は特筆に価すると考えます(ただし検証可能性に留意する必要はありますが)。また書籍やCDの類を除けば「定価」は単純に間違いですから見つけ次第直して構わないと思います。--Extrahitz 2006年12月12日 (火) 02:35 (UTC)

確かにはわわロボさんのおっしゃるとおり。大上段に否定された回答に私も誘導されたかもしれない。でも、井戸端で質問されても問題ないのじゃないかな。正しく回答できるひとが早くでてくることが重要ですね。すでにExtrahitzさんの回答でまわりはじめましたね。はわわロボさんとExtrahitzさんに一票ずつ!。--Pararinpooh 2006年12月12日 (火) 02:38 (UTC)
定価という項目を作ってみてはいかがでしょうか。そうすると希望小売価格との違いや移行していった理由などを詳しく解説できると思います。そうすればきちんとウィキペディア上での使い分けができるようになるのではないでしょうか。たね 2006年12月12日 (火) 02:41 (UTC)

[編集] トレード選手の記事

確認をしているのは、日本プロ野球における多村仁選手と寺原隼人選手なのですが、トレードは発表されたものの、まだ移籍をしておりません。横浜福岡とも、両選手の記事を書き換えていません。にもかかわらず、wpの両記事において、既に移籍したかのような記事を書く人が絶えないのですが、どうしたらいいでしょうか。こういうことは普通公式ページの変更を持って書き換えるのですが、歯止めが利かないようです。--ゆきち 2006年12月11日 (月) 07:06 (UTC)

メジャー移籍をする選手等の記事に於いても同様の事が起こっています。移籍交渉中のの報道内容などを書く人も居るので困った物です。多村、寺原、両選手の記事に関しては移籍は決まったことで今後決裂するする可能性も極めて低いでしょうから諦めてそのままにしておいて良いとは思いますが、他のこの時期の記事の扱いに関してWikipedia:ウィキプロジェクト 野球などで相談するのはどうでしょうか。まあそういう人たちはその程度の編集しか出来ない人たちなのでしょうから仕方が無いとはいえあきれてしまいますね。--ELPA 2006年12月11日 (月) 21:21 (UTC)
スポーツ選手のトレードに限りませんが、不適切な編集を戻す時、また同様の編集がされそうな場合は、当該記述の付近に「公式に移籍済と発表されるまでは○○の所属なので変えないこと」といったコメント(<!-- と -->で文字列を囲む - 通常の表示では見えず、編集時にのみ見える)をつけておいてはどうでしょうか。もちろん強制力はありませんが、いざ編集しようとした時に目に入り、ある程度の抑止効果はあります。
蛇足ですが、コメント記号の記述を誤ると記事の表示がおかしくなりますので、コメント追加時は必ずプレビューで確認し、コメントが見えず本文が正しく読めることを確認の上、更新するようにしましょう。--220.145.16.100 2006年12月13日 (水) 00:56 (UTC)

[編集] 「登場する作品」の列挙はWikipediaに必要なんでしょうか

ちょっと前よりレールガンノート)で気になるコトがあって、井戸端に場を借りて問題提起したいことがあります。それはSFのテーマに関係する科学・技術の諸分野や兵器オカルト神秘主義)関連の項目でしばしば見受けられる「登場する作品」などの降りが、百科辞典としてのWikipediaに必要な要素かどうか…という点です。

各々の作品の中で主題ないし重要な要素として詳しく・正しく説明されている作品であれば項の内容に対する補足資料的な意味でも有効だとは思うのですが、マイナーなライトノベルの、しかもチョイ出し要素(物語中で、似た性質の他のモノに置き換えても物語に影響しない)だったりするものまで列挙されると収拾不可能な冗長リストの出来上がりです。レールガンの項では英語版を参考に「レールガンの登場する作品」のような独立した一覧記事によるリスト化を…という辺りで話が中座しておりますが、一覧記事化は構わないとしても事象に対する説明よりも作品リストのほうが行数多くなってるような逆転記事を見るにつけ、本当にこのような記述が必要か悩ましくなります。--夜飛 2006年12月12日 (火) 03:51 (UTC)

必要かそうでないかといや、必要はないに決まっておりますが、それは全削除する理由にはならんですよね。ただ、それが大活躍する(あるいは阻止される)、作品読めばその技術概念の利点も欠点も分かるような物をあげてもらうのは大歓迎ですが、該当事物について何の情報も増えないようなものをただ挙げるというのは、基本的に加筆者の資質の問題なんですよね。ということで、挙げるだけ無駄だと判るものを刈り込む編集が波紋を呼ぶようなものではなく、よくあることと認識されて常態化すれば、wikipediaの質もぐんと上がるんですが。要は、書くのと消すのの心理障壁の高さが不均一なので無意味なリストがのびていくのではないかと。以前にどこかで提案したことが有りますが(実行されてはいない)、作品名だけでなく一行解説をつけることを義務付けると歯止めにならないでしょうか。無駄項目も一目瞭然で消しやすくなりますし。LR 2006年12月12日 (火) 04:33 (UTC)
説明の付与は良い考えだと思います。その作品を知らない(大抵はこのパターンかも)人にとって「要るか要らないか」の判断もつけやすいでしょうし、追加する当人にしても記述中に「他のに置き換えてもストーリーに影響しないし、追加する意味も無いか?」と思い直す一助にもなりそうです。--夜飛 2006年12月12日 (火) 09:01 (UTC)

[編集] 記事の一部転記に関する質問

素人の初歩的な質問なのですが、現在、内閣府の記事からタウンミーティング (日本)の記事へ「一部転記」を行おうとしています。コピー&ペーストで行おうつもりだったのですが、別に「カット&ペースト」という方法があるそうです。実は、カット&ペーストという方法を知りません。また、Wikipedia:記事の分割と統合を読んでも、「履歴継承」のやり方がよくつかめませんでした。大変申し訳ありませんが、上記の2点について、やり方を教えていただけないでしょうか。おちゃわん 2006年12月12日 (火) 06:34 (UTC)

「Copy & paste」と「cut & paste」の違いは字面の通りで、前者は「複製して別の場所へ貼り付ける」こと、後者は「切り取って別の場所へ貼り付ける」ことです。違いとしては「転記した部分が元の場所に残るかそうでないか」で、つまるところ無言雀師さんは「転記する部分を『内閣府』の記事に残さないで欲しい」と仰っているのだと思います(一般的には、「copy & paste」と言った場合、元の場所にもそれが残ることになります)。
履歴の継承については、「Wikipedia:記事の分割と統合」の一部転記にある編集手順のうち 2. と 3. で「要約欄に所定の内容を記入」しているのがそれに当たります。同じく、上記方針に書かれている通り 3. と 4. の作業をいしょくたにしないことも、確実に履歴の継承が行なわれていることを明確にする上で重要でしょう。--(五) 2006年12月12日 (火) 08:32 (UTC)

ご返答感謝します。本日、一部転記作業を行わせていただきました。おそらく、問題なく作業を完了できたと思います。ご返答、本当にありがとうございました。助かりました。おちゃわん 2006年12月12日 (火) 09:39 (UTC)

[編集] アステル記事内の一部内容転記時の不備について

アステル内の各地域の事業者の記事に転記すべき記事を所定の手続きに不備があるまま行ってしまったため、今後の処置ができかねる状況になっています。既に、ノート:アステルにあるように、12月19日の東北停波で編集競合の可能性があるため、早い段階での処置を行いたいのですが、どのように対処したらよろしいでしょうか。--125.1.233.227 2006年12月12日 (火) 20:26 (UTC)

[編集] ウィキメール設定画面のインターフェイス更改

MediaWiki‐ノート:Prefs-help-emailで意見を募集しています。

[編集] 脚注における文字サイズについて

ZEROと申します。GARNET CROWのページにおいて、Wikipedia:脚注にある <ref name=○○> と <references/>タグを使用する方法で脚注(「参考文献・出典」)を作成しました。出典を明記し検証可能性をクリアするためには仕方のないことなのですが、脚注の分量が多くなっており、見ためをよくできないか考えています。そこで質問なのですが、

  1. 脚注の項の文字サイズを小さくしてもwikipediaの慣例には違反しないでしょうか?
  2. <references/>で出力された文字列を小さくすることは、技術的に可能なのでしょうか?( <references/>を<small>と</small> で囲んでみたのですが、1行目だけしか反映されませんでした。)

以上の2点について皆様のご意見を頂けませんでしょうか。よろしくお願いします。--ZERO 2006年12月13日 (水) 03:54 (UTC)

1.については、「脚注の文字サイズを小さくしてはいけない」という慣例も別にないと思います。英語版では脚注を小さくしているページが多いですし。個人的には小さい文字は読みにくくてかなわんと思いますが。2.については、英語版では次のように記述されています。
<div class="references-small"><references/></div>
しかし、日本語版ではreferences-smallが効かないようなので、次のようにすると小さくできます。
<div style="font-size: 90%"><references/></div> --Kazubon 2006年12月13日 (水) 05:20 (UTC)
蛇足ですが、Template:SmallTemplate:Smallerというテンプレートがあります。div ではなく span 。パーセントでなく small(smaller) ですが、この用途では大きな違いはないです。
個人的には、マークアップでフォントサイズ指定をしなければいけない場合、まずレイアウトや構成に問題がある可能性(インデントが深すぎる・解像度に依存しているなど)を疑い、なるべくフォントサイズに(なるべく)逃げないようにしています。(フォントを小さくするのは閲覧環境や弱視の人に優しくないので)--Ef3 2006年12月13日 (水) 06:26 (UTC)
この用途ではそれらのspanを使うテンプレートは適用できません。<references/>は ol 要素に展開され、これはブロック要素なので span 要素の内容としては存在できないためです。--cpro 2006年12月13日 (水) 06:33 (UTC)
迂闊でした、その通りですね。抹消線を入れておきました。--Ef3 2006年12月13日 (水) 06:39 (UTC)

Kazubonさん、Ef3さん、cproさん、どうもありがとうございました。Kazubonさんの提示された<div style="font-size: 90%"><references/></div>を使用させていただきました。KazubonさんやEf3さんの指摘された構成に問題がある可能性や閲覧環境や弱視の人に対する配慮も、編集の際には重要な点ですね。GARNET CROWのページにおける出典項目は基本的にWikipedia:出典を明記するに従っているため、レイアウトに関してはこれ以上短くしようがないのかもしれませんが、閲覧環境などについては、今後「小さくて見づらい」という意見があれば、元に戻すことも視野に入れて編集していこうと思います。どうもありがとうございました。--ZERO 2006年12月13日 (水) 13:33 (UTC)

[編集] ブロック依頼の取り下げ

少し気になったので質問ですが、ブロック依頼を編集削除で取り下げるのはOKでしたでしょうか。該当文書を見つけられないので井戸端でお聞きします。--co.kyoto 2006年12月13日 (水) 05:57 (UTC)

白紙化ではなく、 *(取り下げ) による取り下げ宣言をしてください。ただし依頼者が取り下げを宣言したとしても、管理者による終了宣言までは審議は継続されます(その結果ブロックされることもあります)。--hashikure 2006年12月13日 (水) 07:30 (UTC)
横からすみません、削除や改名などの取り下げについてですが、これは勝手に編集で消しても問題ありませんか?よろしくお願いします。--Cyberarts 2006年12月14日 (火) 01:46 (UTC)
投稿ブロック依頼に限らず管理者権限を必要とする依頼は、基本的には管理者による終了宣言まで審議は継続されますから編集で消してはいけません。改名の提案などノートで議論しているものも、勝手に消してしまうのは好ましくありません。取下げを提案して、それが受け入れられてからにしてください。--hashikure 2006年12月13日 (水) 16:58 (UTC)
ありがとうございます、ところでその取り下げの提案というのは誰に対して行えば良いのでしょう?宜しくお願いします。--Cyberarts 2006年12月14日 (火) 03:30 (UTC)
審議が行われている場所(ブロック依頼のページの当該の依頼の場所だとか、削除依頼ならそのサブページとか)で、「*(取り下げ)○○の理由により依頼を取り下げます。~~~~」のように書いて下さい(その一例)。「誰に対して」ということはありません。nnh 2006年12月14日 (木) 06:00 (UTC)

[編集] 記事分割時の履歴継承について

少しばかり質問したい事があるのですが、記事の分割を行う際の履歴継承というのはどういった操作をする事によりそれが出来るようになるのでしょうか?
この前記事を分割した時に履歴不継承と言われ削除されてしまい悔しい思いをしましたので二度と同じ失敗をしたくない為質問しました。

--World someone 2006年12月13日 (水) 08:21 (UTC)

編集要約欄に分割元の記事名と版(日付と時刻)を書けばまず問題ありません。Wikipedia:記事の分割と統合を参照のこと。 -- NiKe 2006年12月13日 (水) 08:25 (UTC)
と言う事であればたとえばAと言う記事にあるBと言う部分をCと言う新規作成の記事に移動した時にCの記事の編集要約欄には

20XX年YY月ZZ日12:34(UTC)編集分のAのBの部分を分割

と書けばよろしいのでしょうか?
--World someone 2006年12月13日 (水) 14:02 (UTC)

A、200x年xx月xx日 xx:xx (UTC) 版、執筆者xxxx,xxxx,xxxx,xxxx,xxxx、から引用して新規作成
というような形でいいでしょう。意味が通じれば、言葉の表現は「引用して」でも「分割して」でも何でもいいです。「執筆者」については、記事Aのそれまでの版にかかわった執筆者をできれば5名記すことが勧められていますが、版が重ねられていなければ人数は少なくなるでしょうし、別に執筆者を書かなくても問題ありません。
重要なのは、要約欄に
  1. 引用元記事のリンク「 [[A]] 」を書くことで、新しい記事に加えた文章の出所がどこなのかを示す
  2. 引用元記事の版「 200x年xx月xx日 xx:xx (UTC) 版 」 を書くことで、元記事Aの複数ある版のうち、どの版を参照したのかを特定して示す
というのが、現在のところ最低限必要とされていることです。
執筆した文章があなたのオリジナルでないのならば、文章がもともとどこにあったのかはっきりさせてほしい。その場合に、wikipediaの文章は全てGFDLのもとにあるので、条件を守ればwikipedia内での移動は自由。ただし、文章をどこからもってきたのかたどることができるように、元記事の記事名と元記事版の年月日時を要約欄に書く。それが、「履歴の継承」ということです。
参考までに、Wikipedia:記事の分割と統合Wikipedia:常に要約欄に記入するWikipedia:著作権Wikipedia:履歴なども余裕があれば目を通してみてください。--Wikipediasherpa 2006年12月13日 (水) 17:57 (UTC)
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[編集] 「~もある」を多用している記事は

物凄く頭が悪そうに見えるのは自分だけでしょうか?例えば「という例もある」「という説もある」「という批判もある」とか

それらは修正していいんでしょうか?--Hokkahoka 2006年12月13日 (水) 12:16 (UTC)

それぞれの語句の意味を保ったまま、どのように変更したいと思われているのでしょうか。単に「そう見える」という事でしたら、他の何かを加筆・修正するついでに直すのならいいかと思いますが、その部分だけを修正するというのはどうかと思います。 By 健ちゃん 2006年12月13日 (水) 13:02 (UTC)
WikipediaにはWikipedia:言葉を濁さないというガイドラインがある訳ですが、それはWikipedia:五本の柱に優先される性質のものではなく、また主要5ガイドラインの内の一つWikipedia:ウィキケットによれば他の編集者の活動を論うことも問題です。しかるに「 物凄く頭が悪そうに見えるのは自分だけでしょうか? 」とすることも、考えもの。「言葉を濁さない」では「出所を明確化するか、削除するか」とされていますが、まず自分が「記述者よりも頭が良いと思っている」という部分がそもそも「イタい傾向」なんじゃないかと自重することも肝要かと思われ、故に「無闇に削って廻るよりも、よりブラッシュアップする方向で、自身の頭の良さをアピールする」方が宜しいかと存じます。削ることはボットにだって出来そうですから。--夜飛 2006年12月13日 (水) 13:43 (UTC)
出典を記してない時点でWikipedia:検証可能性に触れるんじゃ?ついでにあんた、何処にいっても殆ど個人攻撃とも取れる皮肉をぶちまけてるけど止めた方がいいと思いますよ。微妙な日本語で誤魔化してるけど。--かびお 2006年12月13日 (水) 17:46 (UTC)
皆が書いて皆が読むのがwikipediaである以上は、ある程度逃げを打つのも仕方のないことではないかと思います。むしろ、知恵と工夫をこらした結果としてそのような記述になっている、と考えてみてはどうでしょうか。はっきりと言い切ってしまうのは、場合によってはWikipedia:中立的な観点Wikipedia:独自の調査に当てはまる、とされる可能性もありますから。--Wikipediasherpa 2006年12月13日 (水) 18:12 (UTC)

文脈次第ではあり、どれも一概には言えませんが「という例もある」はそれ自体は必ずしもおかしくない例が思い浮かぶように感じます。「という説もある」「という批判もある」は、その内容がよほど自明のケースでなければ出典の指摘が必要になると思います。「物凄く頭が悪そうに見える」という理由で修正を行ったとすると、修正後の内容を第三者が見る目はシビアになると思います。ご自身の修正のハードルを自分で高く上げていることになるかと思うので適切な方法論ではないと私は思います。一般論で言えば、頭が悪そうでも、書いてある内容が妥当であれば修正しなければならない、わけではないと思います。--磯多申紋 2006年12月13日 (水) 18:40 (UTC)

単純に作文技法の話だけしますと、「~もある」という付記はその前段でふさわしくない狭い定義を行った上でそれを補正するものです。つまり初めから適切な範囲設定が為されていれば必要のないことで、読者は定義認識を続けて2度要求され、ストレスを感じます。定義者と補正者が同一とは限らないwikipediaで頻出する文体なのはある意味避けられませんが、補正者の文章力が最初の定義者と同等以上であれば、最初の定義自体を修正して定義を一度で済ますことができる事例も多々あるでしょう。この統合を第三者が行うこと自体は記事を改善する上で有用であり、奨励されると思います。但し。内容の正確は文体の流麗に優先するということには留意してください。
また、この形の付記は後者が例外乃至少数例であることを示す場合がむしろ多く、その場合、下手に統合すると情報量が減ってしまいます。その場合は、先の定義文中にそれが多数であるが全てではないことを明示することで読者に定義文がまだ続くことを予感させれば、ストレスを与えず済むことがあります。LR 2006年12月14日 (木) 00:23 (UTC)
最初に大まかな概観を提示し、次に例外を付記するという手法は否定されるものではありません。最初から例外を意識した定義を形成することによって瑣末にとらわれた見通しの悪い説明となることが多くあります。--Extrahitz 2006年12月14日 (木) 06:50 (UTC)

中立性のためには、両論併記の必要がある場合もあるでしょう。そういう場合は、やむを得ないのではないでしょうか。Aという団体からBという団体が分立した場合、Aの言い分とBの言い分とをみないと、真相がわからないこともあるのかと思います。 --ねこぱんだ 2006年12月14日 (木) 06:41 (UTC)

「論争における様々な立場を公正に説明すること」が中立のwikipediaで一方の意見のみを数文字に省略してる時点で中立性を失っている気がしますが。--218.110.176.18 2006年12月14日 (木) 11:48 (UTC)

そもそも何を指して「頭が悪そうに見える」のかはっきりさせてもらった方が議論になると思うのですが。

  1. 複数の説を並立させること
  2. 主文の説に比べて付け加えられた説の分量が少ない、あるいは内容が軽いこと
  3. 単に「もある」という語句、文体

とりあえずこれくらいが思いつきましたが、他にもあるかもしれません。

Wikipedia:中立的な観点からすれば、1.はむしろ望ましいことです。複数の説について公正に扱うことは求められていますが、そのどれをも同分量で記述することは求められていません。その一方、分量によって特定の説が真実であると暗示することもいけません。2.または3.の場合であれば、それぞれの説を節に分け、論拠および他の説の支持者からの反論を記述するように修正するとよいと思います。もちろん出典を明記することが必要です。

具体的な記事およびそれをどう修正したいのか、Hokkahokaさんに示してもらえるとより話が早いと思います。--Hamo73 2006年12月15日 (金) 15:43 (UTC)

同分量で記述しろとは言ってませんが「批判もある」とか「ある」という事実だけ紹介しても、読み手からしたら「だから何?」としか思えないでしょう。--218.110.176.18 2006年12月17日 (日) 17:11 (UTC)

単に「批判もある」という記述だけでは有用な情報になり得ないでしょう。Wikipedia:言葉を濁さないでは、誰某という著名人が何と言った、という記述が望ましいとされています。--Extrahitz 2006年12月18日 (月) 03:08 (UTC)
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[編集] 検証可能性について

Wikipedia:削除依頼/ヴィジュアル系バンドから移動してきたわけなんですが。Wikipedia:検証可能性によると、信頼できる情報源の入手法を書いてあれば検証可能とあります。しかし、

  • ある荒らしが、とある資料を基にしたと称して虚偽の内容をでっち上げた。その資料は査読を経た信用性の高い資料であると考えられるが、特定の資料館に1冊存在するのみであり、その内容は内部の人間にしかわかりえない。検証のためにはその資料館の職員として就職する必要がある。

といった場合、内部の人(もしくはその資料館に就職したつわもの)がいなければ削除できないという事態になるのでは。--6144 2006年12月14日 (木) 00:28 (UTC)修正--6144 2006年12月14日 (木) 00:32 (UTC)

閲覧できない資料は信頼できる情報源ではなく、検証可能性にも寄与しません。民明書房刊と大差ありませんよ。そもそも入手できないなら入手法はないわけですから入手法が書けず検証可能と見なされることもないでしょう?LR 2006年12月14日 (木) 01:02 (UTC)
議論を見ると国立国会図書館の資料を指しているようですが、国会図書館の資料は成人なら閲覧可能です。検証可能であるというのはバリアフリーの概念ような「アクセスできない人がいてはならない」という意味ではありません。--Extrahitz 2006年12月14日 (木) 04:49 (UTC)
現実問題として、もし国会図書館にしかない蔵書を検証可能な資料とするなら、主張する方がコピーをとるなりして明示する責務があると考えますがいかがでしょうか?実際には近年の書物ならそんなことはなかなかないし、単に出典の出版元、書名等を明記すれば済む話だとは思いますが。当該ノートのねこぱんだ氏と同意見です。--DEN助 2006年12月14日 (木) 14:47 (UTC)
コピーを取られても法律に触れずに明示する方法が無い以上意味の無いことかと思います。また出来たとしてもそのコピーが正しいのかどうかわからないと思います。--はわわロボ 2006年12月14日 (木) 15:24 (UTC)
Wikipedia:削除依頼/ヴィジュアル系バンドにおける議論をまとめますと、まず千葉の図書館に現存する資料が一顧だにされずに削除された事例があり、これでは千葉の図書館に現存するだけでは検証可能とは言えない、と判断せざるを得ず、この概念を国会図書館に適用しました。そうしたら、過去の事例を100%正しいと仮定するのは適当でない、という意見があり、該当する事例については、その記事の初版投稿者が心象を悪くしかねない発言を連発していたこと、また、上記した条件は「検証がまったく不可能であるoriginal reserch」という削除の方針に明らかに反することから、きれいさっぱり忘れることにしました。さて、上記したとおり、検証可能といえるためには資料の入手法を記述してあれば十分と考えられますが、「入手法:まず関係者として就職してください」というのは明らかに詭弁の範疇です。どのぐらいの入手法を考慮するべきなのかわかりかねるので、質問しております。なお、考慮すべき入手法としては「金」「手間」「語学力」「● (2ちゃんねる)」「mixiアカウント」「特定の大学の大学院に入ること(学校図書館の資料だとありえる条件です)」などが考えられます。--6144 2006年12月14日 (木) 15:00 (UTC)
6144さんは杓子定規に物事を考え過ぎではないでしょうか。例えば6144さんが示した「語学力」は良い例ですが、日本ではアラビア語は余りメジャーとは言えません。文字すら読めない人も多いでしょう。一方、イスラーム関連の文献は殆どがアラビア語で書かれています。聖典であるクルアーンに到ってはアラビア語で書かれたものしか宗教上は認めていません。故に、これらの記事を書く時にはアラビア語の読解力は必須になります。読めないから検証出来ません、検証出来無いから削除です、では、百科事典としてナンセンスでしょう。反面、طالعة من بيت أبوها(イラク人ならばおよそ知っているであろうアラブ演歌の一つ)の項目を立てようとしても検証困難だとか日本語版には不要だという声が出て来るかもしれません。この辺りは杓子定規にすべきものではないと考えます。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年12月14日 (木) 15:49 (UTC)
まあケースバイケースって事ですね。それが一番わかりやすいかもしれませんね。--6144 2006年12月16日 (土) 00:27 (UTC)

[編集] 本名非公開

本名を積極的に公開していない著名人のところに「本名非公開」という記述をするに、何らかの証明が要るかどうか。証明ができないと書いてはいけないのか。悪魔の証明であると考えるが、証明できないので書くべきでないという人物がいるため。片瀬那奈のノート参照願う。納豆ご飯 2006年12月14日 (木) 05:03 (UTC)

本名で別の特筆すべき活動を行っているわけでもないアイドルの本名を記述する必要はないでしょう。公人のプライバシーは公開されなければならない相当の理由があってこそ公開されるのであり、公人だからといって何でもかんでも書いていいというわけではありません。--Extrahitz 2006年12月14日 (木) 05:20 (UTC)

すいません。本名を記述するのではなく、「本名非公開」と記述してよいかどうかです。納豆ご飯 2006年12月14日 (木) 05:22 (UTC)

「本名非公開」は当然のことであり特筆する必要はないでしょう。「病歴非公開」などと書くのと同様のことだと思います。--Extrahitz 2006年12月14日 (木) 05:27 (UTC)

本人が「本名を非公開」しているという証拠や事実がなければ「本名非公開」と記述してはいけないでしょう。これは、記述する必要がないのではなく、記述してはいけません。現時点で証拠がなく証明できないのなら、その情報をwikipediaには載せてはいけません。Frame 2006年12月16日 (土) 11:28 (UTC)

少し話が違いますが、過去ログにおいて「本名非公開」の表記が前提とされているコメントアウトでの注意喚起に関して、Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (人物伝)#本名記載についての記述修正で追加提案しています。ご参考まで。--なっしゅびる 2006年12月17日 (日) 00:13 (UTC)

[編集] 新テンプレートを採用すべきかの提案

こんなテンプレートを作ってみました。

いきなり作らないでどこかで提案してからにして欲しいなぁ、というのは置いといて。
--hashikure 2006年12月14日 (木) 14:59 (UTC)
「いきなり作らないでどこかで提案してからにして欲しいなぁ」というのは、さておけない問題だと考えます。N.Cさんにご忠告申し上げますが、テンプレートの内容・使途にかかわらず、事前提案無き濫造をお控え下さい。--やすとし 2006年12月14日 (木) 15:26 (UTC)
新規テンプレート作成の提案は井戸端でよろしいでしょうか?それとも専用のページがありましたか?--Takora D 2006年12月15日 (金) 20:34 (UTC)
テンプレートの内容に関連した項目のノートに提案するのが一般的ではないでしょうか。例えば「Wikipedia‐ノート:画像の著作権表示タグあたりで提案してください」とhashikureさんがいうのは、そこがこのテンプレートに関連したページだと考えたからだと思うので。--草薙 2006年12月16日 (土) 16:49 (UTC)
広い条件で使われる可能性のある特定のテンプレートは、もっと多くの人の目が届く場所で意見を求めてからが良いのではないでしょうか?たとえばこの井戸端のような。--Takora D 2006年12月16日 (土) 22:12 (UTC)

[編集] 対処法について相談させてください。

ブロック依頼/CU依頼/荒らし報告のいずれとしてよいのか迷ってしまった状況ですので、対処方法についてご意見をお願いしたいと思います。あるいはいずれの依頼もすべきでない、ということであればそのような指摘でも結構です。端的に言えば「利用者A,B,C,D,Eがその行動パターンや記述内容から同一人物であると疑われること」「暴言を吐いたうえに対話を拒否し、新規ユーザー登録をしてメインの利用者であるAの肩を持つ内容の風説を喧伝していること(逆説的に個人への攻撃と解釈しうるかどうか微妙なところです)」「うち利用者Bだけは活動の初期にdbタグ貼り付けの荒らし行為をしていたが、現在は記事への破壊活動はしていないこと」という状況です。利用者A~Eが同一人物であればきわめて悪質(個人攻撃、暴言中傷、謝罪なし、対話拒否、情報操作)としてブロック依頼に提出したいのですが、現時点では同一人物性は怪しいと思われる状態に留まっております。CU結果が必ずしも絶対の同一人物性を示すものではないことは承知の上でCU依頼を先行しようかと思ったのですが、当事者である利用者A~Eは対話拒否の状況であり、当事者を含めたCU依頼の合意が取り付けられそうにありません。過去の荒らし活動を根拠としてのブロック依頼はされるべきではないことを踏まえると、ブロック依頼を通じてのCU依頼という方法も躊躇している次第です。記事を破壊しているわけではなく、利用者A寄りの情報操作も聞き流せばよいのかもしれませんが、暴言を吐いておいて素知らぬ顔で活動を続けられていると、暴言を受けたほうは穏やかならぬものが残ります。井戸端で扱うような内容ではないと思いますが、対処法についてご助言お願いいたします。ちなみに、私自身が暴言を受けているわけではなく、報復を目的としてお伺いしている訳ではありませんことを申し添えます。--田英 2006年12月14日 (木) 14:07 (UTC)

具体的に、どの記事で、いつ頃から、どんなことが、というのをリンクしていただいた方がコメントを得やすいように思います。お書きになっている分だけでは、状況を把握しかねます。なお、ひとつだけ指摘させていただくと、CUは被CU者の同意を必要とはしません。--ikedat76 2006年12月14日 (木) 15:45 (UTC)
コメントいただきありがとうございます。被CU者の同意を必要としない、とのご指摘は当方のWikipedia:CheckUser依頼の見落としと思います。ikedat76さんのご指摘で気がついたのですが、まずWikipedia:コメント依頼に提出すればよかったのしょうか。具体的に記述するのが憚られたので伏せておりました。具体的な事実関係については井戸端での記述は憚られたので伏せてておりました。文意がおかしかったので訂正追記よければこちら井戸端で、コメント依頼に移ったほうがよければそちらでの展開といたします。また、相談内容について一部修正(暴言ではなく中傷)させていただきました。--田英 2006年12月14日 (木) 16:15 (UTC)
ついでながら、該当者から今朝方、私に対しても中傷と取れる発言が発生してしまいました。--田英 2006年12月14日 (木) 23:53 (UTC)
対処の順番が逆だと思われます。多重アカウントは、それだけでは対処の対象ではありません。この場合まず、(必要ならば)利用者Aの対処を行うべきです。その結果利用者B-Eが同一人物だと推定されれば同様の対処がなされます。(もちろん利用者Aに対する議論の中でCUの話題や同一人物かどうかの話もでるでしょうが)--Zz2 2006年12月15日 (金) 00:07 (UTC)
コメントいただきありがとうございます。利用者Aへの対処(その中でB~Eも関連)としてコメント依頼に提出してまいりました。--田英 2006年12月15日 (金) 15:23 (UTC)・・・内部リンクを追加--田英 2006年12月16日 (土) 01:23 (UTC)
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[編集] リンクについて(バリアフリー化出来ないでしょうか)

私の友人は全盲で、ウィキペディアを「音声読み上げソフト」で見て(読んで)います。 ウィキペディア内のリンクについては、きちんと項目が表示(読み上げ)されているそうですが、外部リンクについてはURLのみしか表示されず、内容が把握できないそうです。 ウィキペディアのソースを見てみると、外部リンクに関してはアンカータグのtitleの内容がURLになっているようです。 内部リンク同様titleにアンカー内容を設定できないものでしょうか?以上の署名の無いコメントは、Juncoffee会話履歴)氏が[2006年12月15日 (金) 01:29]に投稿したものです。

こんにちは。貴重なご意見ありがとうございます。私はマークアップの用語はあまりくわしくなく、読み上げソフトの動作についてはまったくわかりませんが、ウィキペディア日本語版というような形(URLのあとに半角スペースを挟んで表示させたい文字を書く)にしてあっても生じる問題でしょうか?--Aotake 2006年12月15日 (金) 04:38 (UTC)
こんにちは。Aotakeさんのように外部リンクを書いてもtitle属性にはURLが入りますね。たぶん、リンクを選択していくときにtitle属性を優先して読み上げていくために、どのリンクを選べばよいのか区別がつかないのだと思います。例えば、Monobookを表示に利用している場合、左側にナビゲーションが表示されます。音声ソフトはリンクの選択候補になったとき「メインページ」「コミュニティポータル」といちいち読んでいくのではないかなと推測します(健常者の方であれば、マウスカーソルをあわせたときに音声が出るイメージを持てばよろしいかと)。
機能の要望は井戸端に書いても書いたきりになりますので、en:Wikipedia:Bug reportを参考に http://bugzilla.wikimedia.org/ へレポートしたほうが良いと思います。やり方が分からないとか、英語が苦手という支援要請は井戸端で問い合わせれば、親切な方が対応していただけるのではないかなと期待しています。--Michey 画像:Michey.M.png 2006年12月15日 (金) 05:05 (UTC)

a要素とtitle属性によると、上の問題は読み上げブラウザ側の実装の問題となるようですね・・・。MediaWiki側で標準に近い実装がなされている以上、改善要求は厳しいかもしれません。各ユーザーで対応する策があればよいのですが。--Kkkdc 2006年12月15日 (金) 12:49 (UTC)

各ユーザーで対応する策として、考えられるのはユーザースクリプトでしょうか。あとは…… Proxomitron?(もし後者でよろしければ、私が置換パターンを書いてアップロードできます) -- D.328 2006/12/15 19:01 (UTC)
アドレスを読み上げた後に説明を言えば良いので、外部リンクの横や下に簡単な説明を書けば、外部リンク先が何のページかはわかるかなあと思います。--草薙 2006年12月16日 (土) 16:43 (UTC)
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[編集] 特定版の即時削除はあり?

特定版の即時削除依頼というのは現時点では可能なのでしょうか? 具体的に申しますと、片瀬那奈で過去に緊急特定版削除されたB-2関連の記述がもう一度なされていて、判断に迷ったのです。 (私は特定版の即時削除依頼を依頼しましたが、おかしいという事で利用者:なっしゅびる (会話|履歴)さんが直してくれました)

Wikipedia‐ノート:即時削除の方針#特定版の削除についてでの議論も三ヶ月前にストップしていますし…。個人的には、今後同じ投稿がなされるたびにサブページを作って対応というのは非常に効率が悪い気がします。

皆様のご意見、よろしくお願いいたします。--Tomo_suzuki 2006年12月15日 (金) 03:42 (UTC)

版指定の関係で、やはりサブページは作らないといけないみたいですね。と、いう事は特定版の即時削除依頼は現時点で不可能という認識でよろしいのでしょうか?--Tomo_suzuki 2006年12月15日 (金) 03:49 (UTC)
確認の必要もあるため、やはりサブページは必須です。即時削除の方針に該当するならば、それを明示しておけば早期対処される(こともある)と思います(私はしばしばやってます)。--Calvero 2006年12月15日 (金) 15:15 (UTC)
今回のケースは、問題の無い版が過去版に存在するため、即時削除の方針からは外れると判断しました。そして改めて過去の版の履歴を調べ直したところ、さらに問題の有る過去版も見つかったため、結果的には即時削除から通常の削除依頼に切り替えておいて良かった、と考えます(ただし、前回に特定版削除依頼を行った立場としては「確認作業の怠慢」と指摘されても仕方の無い内容ではありますが)。
ただ、あまりに同じ内容で、頻繁に特定版削除依頼となると、システム的にもコミュニティ的にも(管理者の判断などの手間も含めて)負担が大きい、という点は今後も考慮すべき、という所でしょうか。--なっしゅびる 2006年12月15日 (金) 23:37 (UTC)

片瀬那奈の件では、結果的に通常削除で良かったと私も考えます。今後のケースに対応するものとして以下の案を考えてみたのですが、技術的・作業的に可能でしょうか?

"即時特定版削除"扱いを新設する
適応条件を以下二つを満たす場合に限定して、特定削除依頼のサブページを作成せず管理者伝言板対応とする。

適応条件
*過去に特定版が削除された原因となったものが再び投稿された場合
*過去に特定版削除依頼が提出された時以降版の削除の削除依頼である場合

※つまり依頼内容が変更された現在の片瀬那奈のケースでは、過去に削除理由となったものと同じ内容の書き込みが依頼時点より前になされていて、それが今回の依頼の内容となっているため、この即時特定版削除の対象にはならないという事です。

目的は、当然削除されるべき内容に対して、全削除に該当する場合なら即時削除が適応されるのに特定版削除の場合はいちいちサブページを作成する手間が必要となる現状を改善する事です。特定版削除確認の問題も、管理者伝言板で行えると考えます。

即時特定版削除依頼は以下のテンプレートを該当版に添付し、管理者伝言板で依頼を行う事で完了するものとします。

即時特定版削除

このページの特定版は即時特定版削除方針に従い、まもなく削除される予定です。今行った編集は削除後の項目に反映されません。ご注意下さい。

対象の版とその理由:(例)2006年12月16日16:38(UTC)の版で過去に削除された内容と同様の記述がなされた為

このページの削除依頼は管理者伝言板に提出されています。もしこのページの削除に同意できなければ、即時削除依頼の『Wikipedia:井戸端』の項目で議論を行うことができます。

管理者へ - 削除の前にリンク元履歴のチェックを忘れずに

技術的・作業面での問題についてご指摘いただいた後の議論はWikipedia‐ノート:即時削除の方針#特定版の削除についてに移動して行いたいと考えています。

署名を忘れました--Tomo_suzuki 2006年12月16日 (土) 15:06 (UTC)

リンク先では「版単位の削除機能」がないうちはやらないほうが無難、というコメントがついたまま止まっていますが、これはどういう意味なのでしょう? とりあえず技術的には可能でしょうけれども、複雑な過程を即時で処理するのはミスが増える危険があるため避けたほうが良い、ということでしょうか。現在即時削除カテゴリに入っている量が特定版でこられると、即時処理が追いつくのかどうかちょっとわかりません。いずれにせよ、まずやるのかやらないのかをあらかじめ決めてから具体論に入ったほうが良いのではないかと思います。ただ、簡単にできる方法があるのならば賛成だ、という意見もあるかもしれません。--Calvero 2006年12月16日 (土) 21:29 (UTC)

Calveroさん、ご意見ありがとうございます。管理者の負担増加が問題という事でしょうか。私は特定版削除の際にどれほどの負担が管理者にのしかかっているのか分かりません。けれども、今提出されている即時全削除依頼のほとんどは「単純な荒らし」や「定義無し」が理由だと思います。特定版削除を前提として考えてみたとき前者は編集対応で可能で対象になりませんし後者はありえません。ですから、今回提案したものの適用対象は限定され、それほど依頼が増加する事はないと思われます。「限定的なのになぜ提出するのか?」という意見もあるかも知れませんが、私は逆に、なぜ即時削除要件「過去に削除されていて、それと同じ投稿がなされた場合」の適用が全版削除に限定され特定版削除には適用されないのか疑問に思います。削除される事が明確な特定版削除依頼を、わざわざサブページを作って投票で賛否を問わなければならない今のシステムは、非効率的です。もっとも、何度も禁止されている記述が繰り返される場合は保護が措置として最も効果的かも知れませんが、今回提出した案は保護までには至らないケースを主に想定しています。少なくとも即時削除依頼では通常削除依頼より停滞している依頼が圧倒的に少ない訳ですから、迅速に削除が進むと思いますし、現時点では通常削除依頼に紛れ込んでいる今回の「即時特定版削除」該当ケースが減ることにより通常削除依頼中事案の減少にも貢献できるものと考えます。--Tomo_suzuki 2006年12月17日 (日) 01:30 (UTC)
今の特定版削除の管理者の対処方法は、いったん全部の履歴を消して特定版削除する必要のない版だけ特定版復帰するという方式じゃないのですか?なので本来の特定版だけを版単位で削除できる機能が実装されるまではやらないほうがで止まっていると思います。今のところは削除依頼に出して、理由として過去の削除依頼で削除された項目であるのでどの版を削除してほしいと表明し即時特定版削除票を入れるというのが無難だと思います。(管理者の方も全削除の確認は簡単(管理者じゃなくてもできるし)だと思いますが特定版削除だと確認項目が増えるでしょうから記録ページを作っておいて逐次削除・確認を行ったほうが結果的に負担が減ると思います。)たね 2006年12月17日 (日) 03:59 (UTC)
Tomo_suzukiさんからお誘いを受けましたのでやってきました。基本的にはあちらのノートに書いたように、削除すべき版の指定(問題の版以降すべてなのか中抜き削除ができるのか、実はもっと前の版から削除する必要があるのではないか、など)と削除後の確認の審議・作業の場としてサブページが必要であり、全版を対象とする即時削除と同じには扱えないと考えています。管理者伝言板でも可能な作業だとは思いますが、履歴に埋もれてしまうため後からの確認は困難です。あちらで提案したテンプレートも「この案件は通常の特定版削除依頼じゃなくて即時特定版削除依頼だよ」ということを明示するためだけのもので、実際にはサブページで審議を行なうように仕向けている点は既存の{{sakujo}}と同じです。ちなみに現在の特定版削除は「( /del などへの移動→)全版削除→問題のない版のみの復帰→(もとの場所へ移動→跡地の削除→)他の管理者による確認」という複雑な作業が必要です。--hashikure 2006年12月17日 (日) 09:22 (UTC)
なるほど。やはり現行の方法がベストという事ですかね。たねさんのご指摘でTietewさんの書き込みの意味を理解しました。ならば、わざわざ方式を変更しなくても削除理由に「即時扱い」と一言付け加えて管理者さんに注意を喚起する程度で良いのかも知れませんね。--Tomo_suzuki 2006年12月17日 (日) 12:54 (UTC)

[編集] 質問

利用者の実名を外部のニュースサイトなどで公開しているようですが、あれって事前に許可を取っているのでしょうか?ご存じの方がいらっしゃいましたら、答えと掲載に関するいきさつをお教えいただきたいのですが・・・--N.C 2006年12月15日 (金) 16:56 (UTC)

  • 基本的には、公式発表(警察等)によるものを報道機関が判断して、行っているものです。 被害者に関しては、本人の承諾があった場合に限って、行っているようです。 ウィキニュースをごらんにいただけるとわかるかと思います。-Goodpro 2006年12月17日 (日) 02:08 (UTC)
意味が違います。ウィキペディアの登録利用者の実名と言っているのです。--N.C 2006年12月17日 (日) 03
40 (UTC)
どのサイトで誰の実名が公開されているかなど具体的な情報がないと井戸端では答えようがないと思います。そもそも実名はウィキペディアで登録する必要がないのですから一般の利用者の実名が報道されることできないわけで。某管理者の方が代表で賞を受賞されたときなんかには実名で出られていると思いますが、それは各人の判断で公表しているのではないのですか?事象がわからないことと、開示が困ることは井戸端では議論のしようがないような…たね 2006年12月17日 (日) 03:52 (UTC)
  • 意味が違ってごめんなさい。でも、たねさんの仰るとおりですね。あくまでも本人の判断でしょう。--Goodpro2006年12月18日 (月) 02:26 (UTC)

[編集] 瑠璃色・瑠璃・群青色・群青・ウルトラマリンブルー・ウルトラマリンについて

瑠璃色瑠璃(曖昧)・群青(曖昧)・ウルトラマリンの記事が書かれ、群青色→ウルトラマリン、ウルトラマリンブルー→ウルトラマリンにリダイレクトされていますが、鉱物(宝石)と色名で対応関係が異なります。

鉱物
瑠璃=群青=ウルトラマリン(=宝石ラピスラズリの主成分)
色名(⇒色名一覧
瑠璃色=ラピスラズリ(RGB:#2A5CAA)
群青色=ウルトラマリン=ウルトラマリンブルー(RGB:#465DAA)

という認識を(「宝石ラピスラズリの主成分」あたり表現が微妙ですが)持っています。記事の統合・分割で対処しようと思うのですが、方向性の議論はどこでしたらよいでしょうか?--Ef3 2006年12月16日 (土) 07:21 (UTC)

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[編集] フィクションの人物の誕生日記載に関して

現在、各月日の項内にフィクションのできごととして、漫画等の登場人物の誕生日が下記のように記載されていますが、

(1月1日項内フィクションの出来事、誕生日の上の方を抜粋)

このような、全ての人物名についている「に登場するキャラクター」はあまり意味をなしていませんし(少なくとも全てにつける必要は無いと思う)、人物名が多いと若干辛くもあり、必要ない様に思いますから、削ってしまって構わない様に思うのですがどうでしょうか?項目の最初に『以下、「生年 - 氏名(作品名/登場媒体)」』(これもいらない?)とでもつけて、

ぐらいの方が、スッキリして見やすい様に思うのですがどうでしょうか?--T.tk.K 2006年12月16日 (土) 09:56 (UTC)

ナンというか…件の項は史実を記述するところであり、架空の人物の生年など(同作品掲載開始時?)はその作品のところにでも書いておけば良いだけのことのような。情報をまとめる上ではS/N比の問題もありますし、ごく限られた人にしか必要とされない情報を書き連ねられた日にゃ、記事全体の利用価値すら下げると思うのです。たとえば小腹が空いた時にちゃんこ鍋が丸ごと出てきても困る…みたいな。--夜飛 2006年12月16日 (土) 11:20 (UTC)
それを言い出したら大腹空いた時にこれだけかいっ!なんて人もいるでは‥その辺は人によって、意見が分かれるところでしょうね。そもそも、私はこの項目の作成自体には参加してませんし、そういう提案でもないですし。史実だけを記載するところとは初めて聞きましたが‥。等といいながらも個人的意見を述べれば、自分の誕生日がどんな漫画の登場人物か気になるなんて人もいるでしょうし、まとめて記載されている場所があっても良いと思います。どの情報が必要かの取捨選択は、利用者さんの方でなされるでしょうし(逆にこちらで決めることは出来ないのでは?)、別にあっても問題ないと思いますけどね。限られた人といってもどれ位限られているかも計りようないですし。ただ、全部の月日にあれだけの量が記載されており、現在も増えていっているということは、それなりのニーズがあるのではないでしょうか。ということで、私の提案はとりあえず現在あるものの既読性をもう少し良く出来ないでしょうか?というものなのです。--T.tk.K 2006年12月16日 (土) 12:57 (UTC)
シーズがあることとニーズがあることは必ずしも一致しないでしょうけど、まあこれくらいは許してあげてもいいのでは。分液されて「フィクションのできごと」という節が作られてますから、お互い不純物は取り除かれた状態と言えますでしょう。フィクションが現実を圧倒するようでは悪ノリが過ぎるかもしれませんが。漫画と現実では時間の流れ方が違うので、現実の年表にのっけて意味あるのか? とは思いますが。ついでに上に習って例えをいうなら、おなかすいてるときに甘い菓子を出されても、という感じでしょうか。甘党の人と辛党の人がいるという話で。本題については「フィクション」と書いてあるので「に登場するキャラクター」というのは重複しており不要でしょう。--Calvero 2006年12月16日 (土) 16:01 (UTC)
夜飛さんの書かれているような、そもそもフィクションを載せるか載せないかについては ノート:1月1日 で議論されています‥‥‥が、少々中途半端な状態で止まってますね。 By 健ちゃん 2006年12月16日 (土) 16:41 (UTC)
う~ん、全ての月日で「フィクションのできごと」節が出来ているので肯定されているものだと思っていましたが、議論半ばですか‥‥どうしたものやら‥。現段階で議論が止まっているという事は、とりあえず現行の形式で一応、存続状態になったと見ても良いのでしょうか?作業を始めてから、一斉削除なんてことになるのも嫌ですしねぇ‥。--T.tk.K 2006年12月17日 (日) 11:30 (UTC)
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[編集] 節単位の編集について

利用者‐会話:Ef3#一括投稿のお願いにおいてちょっと話し合いというか議論になっているので、皆様のお知恵を拝借したく思います。節単位の編集についてですが、節単位の連続編集は「一括投稿のお願い(Template:一括)」があるようにあまり好ましくないとされていたと思います。

今回、Ef3氏のノートに対して、このお願いをしたことが論議の始まりです。理由は[8]の記事についての連続投稿についてです。その際、連続投稿の利点をEf3氏は主張し、私は、ルールの観点から好ましくない、としているのですが、こういった、マークアップなどの方法で、Ef3氏は節単位のほうが利点が多いと主張していおり、確かに一理はあると思います(私個人としては同一人物の編集履歴が連なるのは余り良い気はしないのですが)。しかし、やはりそれは好ましくないから避けるべきと言うべきなのでしょうか(私はとりあえずはそういう旨の返答を返しましたが・・・)?それとも、こういった形の編集は許容し、むしろ歓迎すべきなのでしょうか?詳しくは利用者‐会話:Ef3#一括投稿のお願いを読んでいただくとして・・・皆様の意見をお願いします。--koon1600 2006年12月16日 (土) 12:23 (UTC)

当該会話ページの節にリンクを張り替え。×2 --Ef3 2006年12月16日 (土) 12:53 (UTC)

当該ノートをちらっと読んで思ったのですが、節単位の編集ができるのを見ると、やっぱりデータも節単位で持っていると思いがちな気がしますし、だとするとサーバ負担の軽減、編集箇所の明確化、作業の便宜等を考えて、節単位で編集した方がいいと考える方も多いのではないでしょうか?実際には節単位の編集でもデータは記事全体で持っているので、少なくともDB容量的には効率悪いことは確かですね。Fuji 3 2006年12月16日 (土) 15:28 (UTC)
大きな画像や長大なテンプレートが存在する記事で、次の節にそれらの一部がはみ出してしまう場合があります。そういったはみ出しによって、編集したい節やその後ろの節のレイアウトを崩してしまうことがあるので、バランスを見たりするためにも全体編集を使うようにしています。差分を見やすくするために履歴を分けた方がよいという考えがあるようですが、少なくとも私は、同一ユーザーによる編集が連続している場合、差分の閲覧も一度にまとめてしてしまいます(差分にしろ履歴にしろ、分けて読むのは面倒に感じるので)。
サーバーの負荷に関して。最終的に記事全体を編集するのであれば、分けて行おうとまとめて行おうと投稿時の負荷に大差は無いように思います(分けた場合記事に戻る回数が、まとめて編集した場合プレビュー回数が各々増えると思われる)。ただ、他の利用者による差分の閲覧回数が増えるとすれば、それは負荷の増大になるはずです。Wikipediaにおいては記事自体のサイズより、記事表示ごとに付随して読み込まれるファイル群の転送量の方が一般に多いらしいので、記事表示の回数が負荷によりよく対応するように思われます。
  • †「付随して読み込まれるファイル群(合計100KB程度)」をすべてローカルコピーから読み出すようにしたところ、記事表示までの時間が(表示が特に重くない時間帯でさえ)数分の一にまで短縮されたので、これは確かかと思われます。-- D.328 2006/12/16 16:44 (UTC)
本題から少し外れますが、画像やテンプレートによるレイアウト崩れについては、画面解像度や使用しているスキンなどにも依存し、個々人で変わります。画面解像度だけを見ても、800×600の環境の人もいれば、1600×1200の環境の人もいます。自分の環境で適切と思われる表示でも、他の方の環境では見づらい、ということもあり得ますので、ガイドラインスタイルマニュアルなどで規定・推奨されている書式やスタイル上の問題がない限り、あまり気にしても意味がないと思います。
さらに「同一ユーザーによる編集が連続している場合、差分の閲覧も一度に」というのは、記事の変更履歴からなら容易ですが、たとえばあるユーザ単位の「投稿記録」からは直接できないという欠点があります(“xxxx年mm月dd日 (曜) hh:mm (履歴) (差分) 記事名”の“(履歴)”リンクを押す場合は1編集分の差分しか見られない)。
なお、本題の「節単位編集か全体編集か」については、編集したい箇所が1節内のみなら節単位編集、そうでなければ全体編集(同一記事に対して節単位での連続編集はしない)が好ましいと思いますし、私自身はそうしています。節単位で編集を始め、途中で他節も編集が必要と思ったら、その編集内容をローカルのエディタにコピー&ペーストしてから改めて全体編集として始める(エディタにペーストした内容は全体編集の該当節部に貼り付けたりする)ようにしています。--220.145.16.100 2006年12月17日 (日) 02:29 (UTC)

細部の編集なのになぜ1回でやらないんだろう、と思いました。全体を編集して「マークアップを整頓」と書けば十分でしょうし、加筆箇所は「~に加筆」として、修正箇所は修正した節の名称を書き、必要ならば理由も付け加えれば、要約欄に全部入ると思います。一回編集してみて、また書きたいことが浮かんだので加筆した、というのであればそういうことはできませんけど。--草薙 2006年12月16日 (土) 17:05 (UTC)

私のマイ・トークが話題になっているようなので現れました。
まず、立場をはっきりさせておきます。「一括投稿を推奨する」あるいは「同じ記事への連続投稿は減らせる余地はないかと考えるべきだ」と言うご意見に、一般論として私は賛成です。ただし次のようなケース、

  1. レンダリングの結果確認が必要なため、オフライン編集できない場合。
  2. (節ごとでなく)ページ全体を編集して編集結果のレンダリングを確認すると、編集箇所を探すのが困難な場合。
  3. (狭幅環境検証のため)使用端末が PDA でなるべく編集単位を小さくする必要がある場合。
  4. 節への編集でないと履歴性を損なう場合。

は節単位の編集という方法がふさわしいと思います。4.は判りにくいですが、井戸端の履歴が良い例です。Wikipedia:井戸端では(形式的には)連続投稿が多く観られますが、これをとがめる人はいないと思います。対象になる節(井戸端の場合はarticle)を明確にするで範囲を限定できるからです。このように節単位の編集がふさわしい場合もあり、ふさわしいかふさわしくないかは、履歴表示中の編集時刻と編集ユーザ名の時間的な局在だけでは一意に判断できない(ので利用者:会話で指摘する場合は、精査と履歴による具体的な編集行為の指摘が必要)、というのが発言の趣旨です。
もちろん同じ節単位の編集でもより粗粒度(===より==)で編集できる場合は、粗い粒度で行うべきであるのは言うまでも有りません。この件については、どちらが良い・悪いという二元論的な議論は、主観的になりやすかったり接続環境に依存する面があるので、いつまで達ても平行線にしかなりません。なので、ガイドライン(Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らす)ならびに「一括投稿のお願い(Template:一括)」の有効性・有用性に疑問があると考えています。
プレビューを行うべきだという議論は、これにあたりません。むしろプレビューしないで投稿できる今のシステムに疑問を持っています。未プレビューの投稿は、どんなに軽微でも推奨できませんし、おそらく[以上の記述を完全に理解し同意した上で投稿する]にディフォルトでフォーカスが当っている事が理由の操作ミスでしょう。ディフォルトフォーカスは[プレビューを実行]に当っているべきです事実誤認でした、フォーカスが問題でなく、編集内容の要約のエンター時のアクションが投稿であるためでした、がこの挙動を変えるとユーザビリティが大きく変わったと感じる人がいるでしょうから、単純な挙動変更では新たな問題を作りそうです)。
(以下、蛇足)MediaWikiの実装は、節単位で編集してもページ単位(記事全体)で編集しても、競合編集についての挙動・データストレージの消費などにおいて差がない事を承知しています(ソースから;ただし編集内容の要約 に /* 節名 */ が自動的に入るのでドキュメンテーション支援という意味では微かに違う)。特に1文字書き換えるのも、全文字を書き換えるのもストレージ容量の消費という意味では差がない(フラグメンテーションの話ではありません、各版の内容は差分でなく全文が保存されている)ので、その意味では一括投稿の方が節毎投稿よりも、サーバに対する資源要求は有意に小さいです。しかし、この場合重要なのはどちらですか?サーバ資源削減の為に、ドキュメント性や、編集者へのユーザビリティを落とすべきでしょうか?もしサーバ資源削減が重要という立場を取るのであれば、(MediaWikiを改良して)コミットのたびに全文を保存するのではなく(rcs/cvs/svnの様に)直前の版との差分を保存すべきです。この改良を行えば、履歴から差分を得る場合のサーバ負荷が低減するという副作用的な利点も期待できます(そうすればより高度な|差分を最小にする|diff アルゴリズムを採用することが出来るかもしれません)。あえて言えば差分でなく全文を毎版保存しているのはMediaWikiの設計ミスです。また別の視点で履歴が同じユーザの編集により埋め尽くされるのが(一回に見渡せる履歴が少なくなるということで)可読性を落としていると考えるのであれば、同じ人間の連続した編集履歴を1行(ないし最初と最後の2行)にシュリンクして表示する機能を MediaWiki に実装するというのも有意義な取り組みかもしれません。また最近更新したページには「細部の編集を隠す」の機能がありますが、記事の履歴や、ウォッチリスト、投稿記録にはありません(なぜ?)。運用上の工夫も大事ですが、システムの提供できる(システムにしか提供できない)使用性の向上や機構の改善の余地は、まだまだ多いように思えます。(バグの報告Bugzillaネタに相応しいかは思案中です)--Ef3 2006年12月18日 (月) 05:32 (UTC)

えっと、つまり、Ef3さんの論は極論的に言えば、「現状の設計仕様に問題があるのが悪い」ということでしょうか?これにはちょっと同意しかねます。なぜならば、ウィキペディア、メディアウィキは非営利目的で作られているものであり、12月18日現在、上に出ているように寄付金で成り立っています。つまり、私たちはボランティアで投稿しているのはもちろんでありますが、逆に運営している側もボランティアであるということを忘れてはなりません。つまり、ボランティアである以上、その活動を円滑に行うために存在するガイドラインを、守ると言うのはモラルの面で重要なのではないでしょうか?たしかにEf3さんが現状の仕様に不満なのはわかります。しかし、それはガイドラインを意図的に無視する理由には成り得ないはずです。
また、理由に挙げている4についても同意しかねます。私は逆に連続投稿が履歴の見易さ、利便性を損なっているように感じていますので(たしかにこれは個人的な観点でしょう。しかし、そうなればあなたの出しているドキュメント性や、編集者へのユーザビリティも個人によって感じ方は変わります。少なくとも私はマイナスの印象を感じています。井戸端の場合は、一括編集はプレビューなどの際に重すぎるというのが大きく、ドキュメント云々ではないのでは?)。2についても、三島大通り商店街のような記事は全体編集をおこなったとしても警告文すら出ない、大きさとしては中の下くらいの記事です。それほど困難とは思えません。
また、ウィキのサーバーは有限であり、さらに寄付で成り立っている以上、私も含めて1円も寄付していない人は可能な限り資源を活用するような編集を心がけるのは、大切な心がけであると思います(ただ、これは寄付を実際にしている人も同様です。負担を減らすことは決して悪いことではないので。さらに言えば寄付をしているとしてもルールを無視する理由には成り得ません)。また、現状Ef3さんの投稿を見ると、節単位の利点以上に連続投稿の問題点のほうが多いように感じます。
たしかに現状の仕様・設計は完璧ではなく、また、不完全な部分もあると思いますし、それを直そうという行動は歓迎されるべきであり、もちろん良い行動であると思います。しかし、だからといってルールを意図的に無視する(というか推奨されていない行動を行う)と言うのはちょっと問題があるのではないでしょうか?そういった行動を取るのは改正されてからでも遅くないはずです。--koon1600 2006年12月18日 (月) 11:30 (UTC)

[編集] ルールの無視は推奨していません

失礼ながらkoon1600さんに於かれては、根本的な誤解があるようです。2.について理解するには3.と併せて判断することが必要です。私の「会話」で「端末についての予断」と申したのは、「全員が常に中程度以上の解像度の PC を使っているのではない」という意味です。
ボランティア/寄付金の件、koon1600さんMediaWikiとWikiMediaを混同してませんか?
三島大通り商店街の件、最初の投稿から6回目の投稿まで、2時間以上の時間が経過しています(うち3分間に3回投稿しているのは最初の編集に錯誤を発見したことに伴う打消し(編集内容の要約参照))。また、その間に別の記事を編集しています[9]。加えて、私はこの間に居場所を移動しているのです。
「井戸端の場合は、一括編集はプレビューなどの際に重すぎるというのが大きく、ドキュメント云々ではないのでは?」と主張されていますが、その通り。{{一括}}を適用する前に、連続編集の対象となった記事のサイズを確認すべきです。これは、koon1600さんからではありませんが、(比較的大きな)静岡市の編集を節ごとに行ったことについても批判的ご意見を頂いています。このように「連続編集」と一律に履歴から判断するのは非常困難(不可能)です。少なくとも時間間隔・対象ページの大きさ・編集規模は考慮する必要はありそうです。この種の仕事には Bot が適しているのですが、そんな Bot を野に放したら・・それこそサーバの負荷になってしまいます。還言すれば、{{一括}}を適用すると言う行為(の前提の編集履歴と編集対象の調査行為)は、精密に行う必要があり・かつ・それを実際に行うとサーバの負荷になるということです。

私はこの件をルール論・マナー論で考えるべきでなく純粋に技術論で考えないと、合理的な判断は出来ないのではないかと思います。少なくとも結論の妥当性の検証には技術的な側面からの精査が必要です。「サーバのストレージの負荷になる」:合理性がありますか?少なくとも検証可能な有意な差がありますか?小さなページなら相対的にサーバへのストレージ負荷は当然小さいでしょう(×nオーダーです)。大きな記事の場合は大きいということが理由で、節ごとの編集が(合理的な範囲で)許容されます。とするのであればサーバ負荷はこの件の要因から消去できる筈です(この論点自身にも検証の必要はあります)。履歴の相対的なボリュームが増えるのは事実です。が、これが問題になる局面というのが「同じ記事の節だけ違う変更履歴が連続する」というのであれば、これはそれ自体で特異なことで履歴に現れる/目を引くべきです(実際、これはあなたの目を引いたわけですね)。基本的な私の立ち位置は「コミット粒度を細かくする利点」です。繰り返しますが(繰り返しますが)闇雲に細かくすれば良いといっていません。適切な粒度は非常に議論の多い問題ですが、ただ言えるのは「粒度が荒い方が良い」というのは適切さを欠いた意見だと思います。抽象的に言えば「世代管理・履歴管理を行なう動機、にかなう十分な細かさ」・「世代管理・履歴管理を行なう動機、にかなう十分な粗さ」が求められているわけです。世代管理・履歴管理を行なう動機は、将来、記事がどの様な変遷を経て何が残され何が捨てられ来たかを読み取り、また立ち戻れるようにすることだと私は思います(それゆえ先行投資的で効果の検証に困難が伴います)。あまりにも粒度が粗いと(一度に沢山の新しい特徴が記事に加わり、また削除されると)その意図を理解するのがひどく困難になるのを私は心配しています。
ということで単に節毎編集の欠点への反論と、節毎編集が不要であるとされる論法についての反論をしているだけで無批判に節毎編集が推奨しているわけではなく、サブセクション毎の編集をする前に、より大きなセクションを単位に編集できるか都度考慮すべきだと思い実践しています。改めて「現状の設計仕様に問題があるのが悪い」というのが私の論点だということを強く(強く)否定させていただきます。もちろん、ルールの無視は推奨していません。--Ef3 2006年12月18日 (月) 14:34 (UTC)

そうでしたか。私にはそのように見えたので。お気に触られましたら失礼。えっと、私は逆に技術面での考えはあまり必要ないと考えています(もちろん、行うことによるマイナス面は技術面オンリーなわけですが、でもそれはルールを改定するさいに考えることではないでしょうか?)。ルールが上に来るべきと考えているので。技術面を考える余りルールを破ってしまっては本末転倒ではないでしょうか?いろいろ理由をつけても結局のところは破っていることに変わりないと思います(他の方も疑問を投げかけていますし)。
そして、残念ながら、私はあなたの心配は杞憂であると思わざるを得ません。何が削除されなにが追加されたかは、本来は履歴を1つさかのぼればよいだけです(少なくとも、三島大通り商店街や静岡市についても、分けなければならないほどのの変更がなされたとは、私は思えません。どちらも単なるスタイル調整がほとんどですし)。Ef3さんのは、さかのぼらなければならない履歴を闇雲に細かく深くしているだけのように感じます。なお、私が目を引かれたのは単にEf3さんの履歴が大量に並んでいる「良くない状況(つまり純粋なマイナスイメージ)」と感じただけであり・・・見やすくなったとは、申し訳ありませんが欠片も感じられませんでした。
それと・・・「全員が常に中程度以上の解像度の PC を使っているのではない」という話や接続環境ですが、これは、正直理由として出すのはナンセンスではないかと思います。こういった話になると「そんなものを使っているのが悪い」のか「そういった状況に対応していないのが悪い」のかという話になり、これは結論が出ません(管理側にとっては、システムの問題上切り捨てる環境が存在するのは許されるべきですが、切り捨てをなるべく行わないようにする努力を怠ってはいけない)。また、逆に言えば「そういった環境だからと言ってルールに反れた行動を取っても良い」かといえばそれはやはりノーで、かといって「ルールにあるからと言ってそれを守れない環境を完全に締め出してよいのか」といえば、またこれもノーです(ただ、双方ともに、なるべく推奨される環境に近づく努力と、あわせる努力は行うべき)。ただ・・・あの際は「競合編集しました。箇条書きマークアップした30行ほどの長文が失われました。」というのにちょっときたものがあるのでいわせてもらっただけです(普通、この文だけを見た場合、被害者加害者と言う問題がでませんかね?)。
なお、移動を挟むなど、あなたの環境は私には完全には分かりません。ただ、編集は腰をすえてじっくりと行ったほうがよろしいのではないでしょうか?そうすれば、錯誤を発見したことに伴う打消しなども行う必要はなく、節単位の編集も、ほとんど無しにまで減らせるのではないでしょうか?余計なおせっかいといわれればそれまでですが、アドバイスとして受け取ってください。--koon1600 2006年12月18日 (月) 16:24 (UTC)

アクセシビリティについての立ち位置の違いですね、なんで「そんなものを使っている」かと言えば、「そういう環境でのアクセスを配慮したようにコンテンツを改良する為」と申すしかありません。いまの多くの記事は、端末環境に特定の OS、特定のブラウザを仮定した記述方法が多く観られます。前述の段組などが良い例です。このような出力環境依存は百科事典としてのウィキペディアにとって悪い特徴です。また、XHTMLとして構造がおかしなマークアップも多く見られます。これらはむしろ、バニラ(非CSS適用の状態)の方がよりはっきりと表示に反映されます。あなたが私の編集の差分から読み取れない意味というものの多くは、マークアップの修正(より小規模の編集で是正するように努力しています)の意図に対する理解の問題だと思います。失礼ながら、あなたの利用者ページを拝見いたしますと、マークアップについての基礎的な理解の不足からくる不備が散見されます。特に箇条書きの Wiki 記法だけでも多用されるので、Wikipedia:箇条書きのマークアップ等を参照して、いまご理解されるのは無駄ではないと思います。また、Wikipedia:改行記号は使うなも御覧になると良いと思います。jご自身の読解力を他人のせいにしてはいけません。--Ef3 2006年12月18日 (月) 16:55 (UTC)

箇条書きについては、そのうち直そうと思っています(基本的に読み上げページで読まれるような内容、場所ではないため、私の中で優先度が低いだけです。また、利用者ページにはほとんど無頓着なので、適当に作った代物なので突っ込まれても少々困ります)。改行記号については・・・段落を下げるだけの理由で入れているわけではないため、<br/>を入れるつもりにはなりません(多分空白明けの改行をするくらいまで増えるんですよ・・・将来は)。マークアップの知識不足といわれればそれまでですが(なにぶん、この範囲についてはまともに勉強したことも無いですし、興味もほとんど0のため学ぶ優先順位が低いので。指摘されれば直しますけど。なお、これらの指摘はノートにいただければ幸いです。)。なお、私はどちらかといえば、大きな側よりも小さい側が改良してあわせるべきと言うスタンスのため、Ef3さんとは考え方が反対なのかな?とは思います。それと、「ご自身の読解力を他人のせいにしてはいけません。」この一文なのですが、すくなくとも私はマークアップについての無知をあなたのせいにした記憶はありませんが(どこかで誤解を受けるような発言をしましたかね?誤解でそう感じられたならあやまりますけどね)?ルールについてはともかく。編集競合について言えばシステムとして認められているものですし。ただ、あなたが私の利用者ページのマークアップが不適切ではないかと気にするように、私もあなたの連続編集が不適切でないかと感じていることは、お分かりいただけるかと思います。--koon1600 2006年12月18日 (月) 17:39 (UTC)

「少なくとも、三島大通り商店街や静岡市についても、分けなければならないほどのの変更がなされたとは、私は思えません。どちらも単なるスタイル調整がほとんどですし」を読んで私はどう感じたかを想像してみてください。アクセシビリティについては、

  • 自分の親が、視覚障害者だったと想像してみてください。
  • 自分の恋人や配偶者が、視覚障害者だったと想像してみてください。
  • 自分の子供が、視覚障害者だったと想像してみてください。
  • 最後に自分自身が、視覚障害者だったと想像してみてください。

あとは、あなたの想像力に期待するだけです。--Ef3 2006年12月18日 (月) 17:50 (UTC)

はて・・・それと「節編集多用」がなにか関連がありますか?たとえば、履歴を分けまくらなければ音声読み取りソフトが機能しないとか?単なるスタイル調整といったのは、スタイル調整のみであり、加筆、または文の削除が行われていない、ということです。やることに意味がないとは一言も言っていません(むしろやること自体は意義があると思いますよ。今回の場合、方法に問題があると思いますけど)。問題は内容関係無しにわずか1行程度の追加にいくつもの履歴を生み出していることであり、視覚障害者のためのスタイル云々ではありません。--koon1600 2006年12月18日 (月) 18:04 (UTC)ちょっと修正--koon1600 2006年12月18日 (月) 18:11 (UTC)

ちょっと追記。人にどう感じたかを問うているので、「競合編集しました。箇条書きマークアップした30行ほどの長文が失われました。」というのについても、私がどう感じたのかを想像してみてください。--koon1600 2006年12月18日 (月) 18:11 (UTC)

今の連続編集のテンプレートを読んで、『ホントにそんなにサーバへの負荷や容量圧迫があるのかなあ』と思う事はありますね。どこでその負荷や圧迫を確認したらいいのか判りませんし。 数文字修正するくらいで連続編集を行うということではなく、編集内容を判りやすくするという意味で粒度を小さくすべきという Ef3 さんの意見は納得できます。 ただ、出来るだけまとめて(粒度を大きく)編集すべしというガイドラインがあります。粒度を小さくしての編集については、まずは負荷等の面含め実際どうなのかを検討し、広く同意を得てから行うべきではないでしょうか。「悪法でも法は法」という言葉もありますし、ましてウィキペディアのガイドラインは専制君主が決めるものではないのですから現在のガイドラインを決めた時にはそれなりの理由があったはずです。もし現状ではその理由に意味がなくなっていたり、より良いガイドラインの提案があるのであれば、きちんと変更の手順を踏むべきでしょう。単なるガイドラインだからまるっきり考慮せずとも良いという訳ではないですよね。 By 健ちゃん 2006年12月19日 (火) 07:07 (UTC)

en:Wikipedia:Don't worry about performanceというのが英語版にあります。サーバーは英語版も日本語版も同居(なのかな?)だと思うのですけど、私はこの意見が自然に思えます。編集ユーザーがサーバーパフォーマンスを考えるのは本当に最後のことだと思うんです。つまり普通は考えなくていいと思うんです。というかストレートに言うと、そういうことにとらわれていてはいけないと思うんです。リダイレクトがサーバーに与える影響があるとのご指摘を自分が受けたときにこの文章をみつけて、同じ考えだと思ったんですよ。こういう開発チームに支えられているWikipediaは信頼できると思ったんです。そうでなければ、たとえば、ウィキメディア・コモンズでできるだけ大容量の画像が推奨されていることの説明ができないですよね。ですからガイドラインでサーバーパフォーマンスに触れながら編集に制限をかけているのは誤りではないかとも思っていますけど。編集は百科事典としてそしてWikipediaとしての機能と意味においてガイドされるものだと思います。その点で、今回の議論では同じユーザーの履歴が続いてしまうことに関してのみどうにかならないかなとは思います。(自分もよくやるので。できたらシステム的にほしいなあと。いえ、これは単なる勝手な希望です・・。)--Pararinpooh 2006年12月19日 (火) 16:49 (UTC)

[編集] 忘れられた(?)文書

Wikipedia‐ノート:デューイ10進分類法へ移動し、廃案を提案します。--Kazutoko 2006年12月17日 (日) 10:51 (UTC)

[編集] 削除不具合(?)報告

Wikipedia:削除依頼/今治事件で削除された旨が告知されましたが、智総業事件が尚、「削除提案中」です。--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年12月17日 (日) 14:08 (UTC)
管理者伝言板か直接宣言をした管理者に聞いてください。おそらく追加されたものが忘れられていただけかと。たね 2006年12月17日 (日) 14:15 (UTC)
了解しました。→「削除」案件--٢١٩.١٧٤.١٥٨.٢٢٥ 2006年12月17日 (日) 14:25 (UTC)

[編集] 有名、無名の定義

ある固有名詞を載せようと思った時に、無名だからという理由で即時削除されたりするのですが、 それをジャッジする人はその業界の事情を知っての上で即時削除してるのでしょうか?以上の署名の無いコメントは、211.10.116.224(会話/whois)氏が[2006年12月18日 (月) 05:04(UTC)]に投稿したものです(Pugnariによる付記)。

この種の議論はあちこちで繰り返されているようです。まだ草案ですが、Wikipedia:著名性が参考になるでしょう。--Pugnari 2006年12月18日 (月) 05:20 (UTC)
「無名である」ことだけでは、即時削除の理由にはなりません。どの固有名詞のことをおっしゃっているのか判りかねますが、即時削除されたのならば、即時削除の方針に当てはまる何らかの問題があったのでしょう。--Bellcricket 2006年12月18日 (月) 13:29 (UTC)
まずは、「ある固有名詞」はどの記事かを示したほうがよいかと考えます。その記事の削除記録を参照すると、削除理由が分かることもあるからです。--Kazutoko 2006年12月18日 (月) 13:35 (UTC)

[編集] リアルマネートレーディングに於けるカット&ペーストについて

リアルマネートレーディング内の一部の文章を、各ゲームの項目にカット&ペーストされる編集が行われていました。ペースト先では編集内容の要約に「RMT項より転載」と書かれています(RMTにリンクなし)。確かに以前RMTから「リアルマネートレーディング」に移動が行われてはいますが、この場合は「リアルマネートレーディングから」と書かなければ履歴不継承になってしまうのではないでしょうか? 削除依頼を出そうかとも思ったのですが、対象の項目が多いことと本当に履歴不継承になるのかどうか判断が付きかねるため、躊躇しております。この場合はどうなるのでしょうか? --くさのしんや 2006年12月18日 (月) 10:11 (UTC)

拝見しましたが、最低でもリアルマネートレーディングへのリンクが無いとどこから転載したのかが判断できなくなってしまうと思いますし、何時の板からの転記なのかも分からなくなっています。削除依頼には削除が妥当かどうかを判断してもらうという意味もあるので、削除依頼には躊躇する必要は無いと思います。私個人の感想では履歴不継承で削除に該当すると思います。--ELPA 2006年12月19日 (火) 04:02 (UTC)

[編集] 「~~の○○と誕生日が同じ」という記述について

芸能人の記事でよく見かけるわけですが、このような記述は挙げるときりがないですし、興味があったら検索をすれば「同じ誕生日の有名人」っていうのを集めたサイトはいくらでも出てくるので、わざわざ書く必要性はないと私は考えております。この件について皆さんのご意見を伺いたいと思い書き込みました。よろしくお願いします。--124.84.29.166 2006年12月18日 (月) 13:37 (UTC)

ウィキペディアにおける月日の記事(例えば1月1日)には『誕生日』という節があり、そこを見れば誰と誕生日が同じかどうかわかりますから、わざわざ個別の人物の記事内で「~~の○○と誕生日が同じ」という記述は不要でしょう。「○○と誕生日が同じ」ということに付随して特記する事項があるのであれば、書いてもいいとは思いますけど。 --ドラムスコ 2006年12月18日 (月) 14:39 (UTC)
私もあまり必要性を感じませんが『Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人』とかで提案してみてらいいかもしれません。--ウィキウィ2 2006年12月19日 (火) 19:51 (UTC)

[編集] メタとの関係

Wikipedia:数式の書き方ノートで、この文書はメタに置くべきだという議論があります。その議論の中ではメタに置くと議論が収束しているようなのですが(私も賛成していますが)、他の文書はどうするのか?という議題もあがっています。そこで、メタを調べているとm:ヘルプ:目次の1.3.5.2に数式があり、それが数式の書き方にありますよということになっています。さて、ここから質問なのですが、前述の議論の中ではメタに置けるものはメタに置けという論調に従うと、:m:ヘルプ:目次にあるかなりたくさんの文書をメタに移動することになる可能性があると思いますがどうでしょうか?また、このような議論はどこで行うのが適切でしょうか?--Zz2 2006年12月18日 (月) 14:06 (UTC)

補足として、ノートでの議論であがった、Wikipedia:数式の書き方をメタに移動すべき理由を書きます。この文書は純粋にMediaWikiソフトウェアの機能について解説しているページであり、また他のプロジェクトでも共通な内容であるため、こういった技術的でプロジェクトによらない文書は特定のプロジェクト(ウィキペディア)に置くのではなく、1つ上位の場所、すなわちメタに行くべき、という点が主な理由であると僕は理解しています。(理由はこの点のみに限るものではありませんが、他のページに関係する論点ではないので省略します。)数式の解説以外にもプロジェクトによらない技術的な文書はいくらでもありますよね。Wikipedia:編集の仕方がいい例です。(他のプロジェクトでもウィキ文法は同じですから。)一方、例えばWikipedia:スタイルマニュアルはウィキペディアのみに適用される文書です。ならば、大変だけど前者のようなものは全部メタに持っていった方がいい、というのが今のWikipedia‐ノート:数式の書き方での議論の流れです。 --朝彦 2006年12月18日 (月) 14:26 (UTC) さらに補記 --朝彦 2006年12月18日 (月) 14:36 (UTC)
調査途中ですが、自己レスします。m:Meta:メタウィキについての英語版の最新版を翻訳してきました。その中で、「起源」を読むと「Wikipedia名前空間全部移動だ!」のような過激なことが書かれていますが(名前空間が導入される前のことかな?)、「現在の目的」には各言語の集約場所ではないようですねー。もうちょっと調べます。--Zz2 2006年12月19日 (火) 17:13 (UTC)括弧書き追加--Zz2 2006年12月19日 (火) 17:19 (UTC)

[編集] カスタマイズについて

  1. 目次の「非表示」において、非表示という文字を消して、機能を使えなくすると同時に、目次の文字をセンターにしたいのですが、どうすれば実現できるのでしょうか?
  2. あと、サイドバ-のツールボックス下に、自分用のショートカットを設置したいのですが、実現できないでしょうか?

上記について、自分でもかなり試行錯誤してみたのですが、どうにも実現できませんでした。詳しい方、アドバイスでも結構ですので、どうか助けてもらえないでしょうか? --Artis 2006年12月19日 (火) 15:37 (UTC)

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