福井県
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目次 |
[編集] 概要
山中峠~木ノ芽峠~栃ノ木峠の稜線を境にして、北側の嶺北(越前地方)と、南側の嶺南(若狭地方)に大きく分けられる。
越前の緑豊かな山々と、若狭の清らかな水の流れに代表されるように、自然が美しい場所であり、それを代表する語に越山若水(えつざんじゃくすい)がある。
中央省庁や企業のエリア区分では、北陸地方に入れられる場合と、近畿地方に入れられる場合がある。これは、新潟県が北陸地方または東北地方として扱われる場合や、三重県が近畿地方または中部地方として扱われる場合、山梨県や静岡県が中部地方または関東地方として扱われる事と同様である。
2006年3月上旬以後は、福井県を分割して、嶺南が「若狭県」として分立して、道州制でも「若狭県」は近畿州に加入しようという動きが高まっている。
[編集] 地理
[編集] 気候
四季が明確であり、冬は北西からの湿った季節風による降雪が多い。特に嶺北の山間部(奥越前地区)は全国屈指の豪雪地帯であり年間の降水量は多い時に3000mm以上に達する。ただし近年は暖冬傾向で降水量は昔に比べ減少しつつある。
一方、沿岸部では対馬暖流の影響により、冬でも比較的暖かく、特に嶺南では降水量が嶺北と比べてやや少ない。
[編集] 地形
嶺南の海岸線はリアス式海岸として有名である。
- 湾
- 平地
- 半島
- 海岸
- 一級河川
- 主な湖沼・ダム
- 三方五湖、北潟湖、九頭竜湖(九頭竜ダム)、麻耶姫湖(真名川ダム)、笹生川ダム湖(笹生川ダム)
- 山岳・山地
[編集] 自然公園
- 奥越高原県立自然公園
[編集] 隣接府県
[編集] 歴史
[編集] 原始・古代
- 古墳時代
- 4世紀初め頃には嶺北で前方後円墳がつくられはじめ、4世紀中頃からは九頭竜川中流域で大規模な古墳がつくられはじめる。手繰ケ城山古墳(4世紀末)や六呂瀬山古墳群(4世紀後半~5世紀前半)などは北陸地方最大規模であり、この地域が強大な勢力を持っていた事がうかがえる。
- 5世紀になると嶺南でも主に若狭町付近で前方後円墳がつくられはじめる。
- 5世紀後半から6世紀にかけて若狭、高志、三国、角鹿の国造が置かれた。三国国造があった地域は継体天皇がその即位まで過ごしたとされている。現在の嶺北地方出身である継体天皇がヤマトの大王として迎え入れられたことが契機となってヤマトの勢力と越の国の勢力とが統合した。
- 570年~574年、高句麗使が越の国近辺に来着する。
- 継体天皇以来、古墳に船と馬の埴輪が埋葬されるようになり、日本は後期古墳時代となる。
- 6世紀後半以降は前方後円墳に代わって小規模な円墳や群集墳がつくられはじめるが、7世紀になると古墳自体つくられなくなる。
- 飛鳥・奈良時代
- 7世紀後半頃には律令制の導入に伴い「若狭国」が成立したと見られ、7世紀末には「越前国」が成立したと考えられる。
- 若狭国は若狭湾で精製した塩を調(地方特産物を納税)として都に納めていた。現在も製塩遺跡が残る。
- また調とは別に贄(にえ)と呼ばれる海産物を直接天皇家に貢いだことが平城京の木簡や延喜式から分かっている。これにより若狭国は万葉集にでてくる「御食国」の一つと推定されている。
- 749年、東大寺が越前国の豪族から土地の寄進を受け、また墾田を買収して、福井平野に多くの荘園を獲得する。この頃には条里制が布かれる。現在でも福井平野には条里遺構が存在する。
- 8世紀になると渤海との交流が盛んになり、若狭国や越前国は渤海使の来航や遣渤海使の派遣の拠点となる。8世紀後半には交易が中心になる。
- 764年、クーデターに失敗した恵美押勝(藤原仲麻呂)が越前国に逃れようとするも愛発関が閉じられたため失敗する(恵美押勝の乱)。
[編集] 中世
- 鎌倉時代
- 室町時代
- 1336年、足利尊氏の入京により恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が金ケ崎城(敦賀)に入るが、越前国守護斯波高経の軍勢により翌年落城する。義貞は脱出するも、1338年に越前国藤島燈明寺畷(福井市新田塚)にて戦死する。この後も越前国内は戦乱が続き1341年、北朝方が平定する。この後、主に斯波氏が越前国の守護となる。しかし、実質的に越前国を統治していたのは守護代甲斐氏であった。
- 若狭国では南北朝時代には守護の交代が頻繁に行われるが、1366年、一色氏が守護となり、国人一揆を抑えて若狭を支配する。しかし、1440年、一色氏の勢力拡大を恐れた将軍足利義教は武田氏を守護に任命する。武田氏は一色氏残党や一揆を抑えて若狭を支配する。
- 15世紀後半になると斯波氏と甲斐氏の対立が深まり、やがて越前国内で内乱が起きる。最終的には幕府の支援を受けた甲斐氏が勝利するものの、応仁の乱時、朝倉孝景が台頭、甲斐氏に代わって越前国を掌握する。後に朝倉氏は戦国大名として勃興する。
- 1471年、蓮如が越前国吉崎に入り吉崎御坊を建立、北陸地方における本願寺系浄土真宗の布教拠点となる。その後、一向一揆が相次ぐこととなる。
- 1506年、加賀国から本願寺門徒らが侵入する。しかし、朝倉教景(宗滴)指揮する朝倉方はこれを九頭竜川で迎え撃ち勝利する(九頭竜川の戦い)。
- この後、朝倉氏は本願寺系浄土真宗を禁圧する。そのため、多くの本願寺門徒や僧は加賀国に逃れる。そして、たびたび越前国に侵入することになる。
- 16世紀以降、若狭国では内乱が相次ぎ武田氏は次第に弱体化する。また、朝倉氏が武田氏支援のため若狭国に軍事介入するようになる。
- 足利義秋(義昭)が上洛を果たすため、1566年に武田氏を頼って若狭国に、1567年には朝倉義景を頼って越前国に入る(この時、義昭に改名)。しかし、上洛を果たせず、1568年、織田信長を頼って美濃国に出国してしまう。
- 1568年、朝倉氏が若狭国に侵攻する。
- 1569年、将軍義昭は台頭してきた織田信長を封じるために本願寺と朝倉氏を和睦させる、この時、本願寺系浄土真宗の禁圧も解かれる。また、武田信玄らとも連携をとる(反信長包囲網の形成)。
- 1570年4月、信長が朝倉攻めを開始し、金ヶ崎城などを開城させる。しかし、浅井長政の離反により京に撤退する(金ヶ崎の退き口)。
- 1570年9月、信長が大坂、野田・福島で三好三人衆や本願寺と交戦している最中、義景が兵を率い、浅井・朝倉連合軍が3万の軍勢で京に攻め上り、京の口、比叡山に築城する。六角氏の挙兵などもあり、信長は孤立するが、将軍義昭の仲介で講和が成立する(志賀の陣)。
[編集] 近世
- 安土桃山時代
- 1573年8月、信長が刀禰坂の戦いを経て朝倉氏の本拠地である越前国一乗谷に侵攻、義景は大野に逃れるも家臣の裏切りにより自刃、朝倉氏は滅亡する。越前国は朝倉氏の旧臣に、若狭国は丹羽長秀に統治させる。
- 1574年、朝倉方から織田方に寝返った武将同士で抗争が発生、それに乗じて一向一揆が蜂起する。本願寺門徒は武将や国人、平泉寺などを襲撃し、越前国を本願寺領国化する。
- 1575年8月、信長が越前国に再侵攻し本願寺門徒や僧を弾圧、柴田勝家に越前北ノ庄をはじめ越前八郡を、金森長近らに越前大野郡を、不破光治、佐々成政、前田利家(府中三人衆)に越前府中二郡を与える。
- 1583年、清洲会議で羽柴秀吉と柴田勝家の対立が深まり、賤ヶ岳の戦いにおいて秀吉が勝利、勝家の居城である北ノ庄城を攻め落とす。その後、丹羽長秀が越前の大半を、蜂屋頼隆が敦賀郡を、金森長近が引き続き大野郡を統治する。その後も領主の交替が相次ぐ。
- 一方若狭では丹羽長秀が越前に移った後、木村隼人佐らが治めていたが、1585年には長秀の子丹羽長重の領地となり、1587年には浅野長吉(長政)が統治し、その後も領主の交替が相次いだ。
- 1586年に若狭で、1598年には越前で太閤検地が実施され、結果、若狭が8万5000石、越前が68万石となった。
- 江戸時代
- 越前国
- 1600年の関ヶ原の戦いの後、結城秀康に越前一国が与えられる(福井藩)。
- 1623年、秀康の長男松平忠直が狼藉を理由に豊後国荻原に配流される。そして、翌年には忠直の長男松平光長が越後国高田に開封され、交替する形で秀康次男である越後国高田領主の松平忠昌が越前を与えられる。忠昌の越前入部の際には北ノ庄は福居(後に福井)に改称される。是が県名になったとされている。このとき越前は複数の藩に分割され、越前勝山藩、大野藩、丸岡藩などが成立。また、敦賀郡はいったん幕府領となった後、小浜藩領となり、後に小浜藩支藩の敦賀藩などが成立する。
- その後、鯖江藩などが成立する。越前には幕府領や旗本領、国外の大名の領地もあり、多数の領主によって分割統治される状態が明治まで続いた。
- 若狭国
- 江戸時代前期は上方と北国を結ぶ年貢米などの中継地として、小浜や敦賀の湊が多用された。
- 江戸時代中ごろ以降は北前船が三国や敦賀に寄港し、蝦夷地や大坂を結んでいた。小浜の古河、越前河野浦の右近などの北前船主が活躍した。
- 1774年、小浜藩医である杉田玄白と中川淳庵が前野良沢らとともに「ターヘル・アナトミア」を翻訳し、「解体新書」を刊行する。
- 幕末期には福井藩主である松平春嶽や福井藩士橋本左内、元小浜藩士の梅田雲浜らが活躍する。また、丸岡藩や小浜藩などが台場を建設する。
- 越前国
[編集] 近・現代
- 明治・大正・昭和・平成
- 置県の経緯
- 1881年2月7日:太政官布告により、旧敦賀県が再び石川県と滋賀県から分離されて合併し、福井市を県庁所在地として現在の福井県が設置される。
- 明治期には羽二重製織が発達、大量に生産され欧米に輸出された
- 1889年7月:東海道支線として米原~金ヶ崎(現敦賀港駅:つるがみなと)間開通。
- 1896年:敦賀港が対外貿易港に指定。
- 1896年7月15日 北陸線・敦賀~福井(当時、森田)間開業。
- 1897年9月20日 北陸線・福井~小松間開業。
- 1899年7月、敦賀港は外国貿易港に指定され、1902年には敦賀~ウラジオストク直通航路が開設。日露戦争後はシベリア鉄道と接続(連絡運輸)した。
- 1918年5月31日 ロシアの作曲家プロコフィエフが米への亡命途上、敦賀にて日本上陸。
- 第一次世界大戦以降は人絹(レーヨン)の生産が活発になり、主にアジアやオセアニア、アフリカなどに輸出された。
- 第二次世界大戦中は、アメリカ軍により、敦賀市と福井市が空襲を受け、敦賀市は約70%、福井市は約95%の市街が焼失した。
- 1948年6月28日には福井地震が発生、福井平野の全壊率が60%超など甚大な被害をもたらす。
- 1956年、新潟農事試験場で人工交配された系統をもとに福井県農業試験場で品種固定された越南17号が、新潟県と千葉県で奨励品種となり、農林番号品種に水稲農林100号として登録されコシヒカリと名付けられる。
- 1958年10月、大野郡石徹白村の大半の地区が岐阜県郡上郡白鳥町(現在の郡上市)に編入し、現在の県域となる(編入しなかった石徹白村の三面地区、小谷堂地区は和泉村(現在の大野市)に編入)。
- 1962年6月、北陸トンネルが開通する。
- 1963年、三八豪雪が県内襲う。奥越を中心に孤立集落続出、県内交通機関完全麻痺。
- 1960年代半ばからは人絹に代わって合成繊維の生産が活発になる。
- 1965年9月、集中豪雨で西谷村に壊滅的被害(1970年7月、ダム建設による集団離村が決まり、大野市へ編入)
- 1973年10月17日、北陸自動車道小松IC~丸岡IC開通
- 1975年9月9日、北陸道・丸岡IC~福井IC開通
- 1976年11月2日、北陸道・福井IC~武生IC開通
- 1977年12月8日、北陸道・武生IC~敦賀IC開通
- 1980年4月7日、北陸道・敦賀IC~米原JCT開通
- 1981年、五六豪雪県内襲う。同年11月、現在の県庁舎竣工。
- 1998年8月、嶺南地方に集中豪雨。若狭梅街道・JR小浜線などで大規模な土砂崩れ。美浜町では一時間の降水量が最高で93mmに。
- 2003年3月9日、舞鶴若狭自動車道・舞鶴東IC~小浜西IC開通
- 2004年7月18日、嶺北に集中豪雨(平成16年7月福井豪雨)。福井市・鯖江市・今立町・池田町・美山町で堤防決壊などによる河川氾濫、土石流、土砂崩落、橋梁流出などの甚大な被害。死者3名。
[編集] 姉妹州省・提携州省
[編集] 人口
[編集] 年齢構成
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
総計 [単位 千人]
年齢 | 人口 |
---|---|
0 - 4歳 | 39 |
5 - 9 | 41 |
10 - 14 | 41 |
15 - 19 | 46 |
20 - 24 | 44 |
25 - 29 | 49 |
30 - 34 | 57 |
35 - 39 | 50 |
40 - 44 | 50 |
45 - 49 | 52 |
50 - 54 | 60 |
55 - 59 | 60 |
60 - 64 | 53 |
65 - 69 | 46 |
70 - 74 | 47 |
75 - 79 | 40 |
80歳以上 | 49 |
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
男女別 [単位 千人]
- データ出典:第10表/都道府県, 年齢(5歳階級), 男女別人口-総人口
(総務省統計局)
[編集] 行政
- 知事:西川一誠(2003年4月~)
- 副知事:山本雅俊、飯島義雄
- 出納長:旭信昭
- 県議会議長:前田康博
- 県議会
- 議員 38名(議長も含めて)
- 定例議会 2、6、9、12月の年4回開催
[編集] 歴代知事(地方自治法施行後)
- 初代 小幡治和(1947年4月16日~1955年2月4日 2期)
- 2代 羽根盛一(1955年4月26日~1959年4月22日 1期)
- 3代 北栄造(1959年4月23日~1967年4月22日 2期)
- 4代 中川平太夫(1967年4月23日~1987年4月22日 5期)
- 5代 栗田幸雄(1987年4月23日~2003年4月22日 4期)
- 6代 西川一誠(2003年4月23日~)
[編集] 「小児救急電話相談事業」の取り組み
2006年7月11日現在、小児救急の電話相談「小児救急電話相談事業」を実施している31都道府県の内、携帯電話からの利用が容認されているのは福井県のみ。(残りの30都道府県は固定電話からのみ可能。)
[編集] 経済
[編集] 産業
主な産業
伝統工芸
- 若狭塗
- 越前焼
- 越前和紙
- 若狭めのう細工
- 越前漆器
- 越前打刃物
- 越前竹人形
- 三国箪笥
- 若狭パール
- 大阪唐木指物
[編集] 地域
[編集] 健康
- 平均寿命(2000年、実際は多少のずれがある)
- 男 78.55歳(全国2位)
- 女 85.39歳(全国2位)
- 男女平均 81.97歳
[編集] インフラ
- 電力
- 都市ガス
[編集] 自治体
- 以下の9市7郡8町、計17市町がある。町は「まち」ではなくすべて「ちょう」と読む。
[編集] 嶺北
福井地区
坂井地区
奥越前(奥越)地区
丹南(南越前または南越)地区
[編集] 嶺南
二州地区
- 敦賀市(福井県嶺南振興局)
若狭地区
- 小浜市(福井県嶺南振興局)
[編集] 市町村合併による動向
いわゆる平成の大合併が始まる前は7市11郡22町6村(計35市町村)であった。それ以前に消滅していたのは敦賀郡だけだったが、合併によって坂井・足羽・大野・遠敷の各郡が消滅し、大飯郡を除いて「一郡一町」となった。
- 2004年3月1日 坂井郡金津町、芦原町が新設合併し、あわら市が誕生。
- 2005年1月1日 南条郡南条町、今庄町、河野村が新設合併し、南越前町が誕生。
- 2005年2月1日 丹生郡朝日町、織田町、旧・越前町、宮崎村が新設合併し、新・越前町が誕生。
- 2005年3月31日 三方郡三方町、遠敷郡上中町が新設合併し、三方上中郡若狭町が誕生。
- 2005年10月1日 武生市、今立郡今立町が新設合併し、越前市が誕生。
- 2005年11月7日 大野郡和泉村が大野市に編入。
- 2006年2月1日 丹生郡清水町、越廼村、足羽郡美山町が福井市に編入。
- 2006年2月13日 吉田郡松岡町、旧・永平寺町、上志比村が新設合併し、新・永平寺町が誕生。
- 2006年3月3日 大飯郡大飯町と遠敷郡名田庄村が新設合併し、大飯郡おおい町が誕生。これにより福井県内から村がなくなる。
- 2006年3月20日 坂井郡三国町、坂井町、春江町、丸岡町が新設合併し、坂井市が誕生。
勝山市と池田町が現段階での合併を見送る方針であるほか、福井市の合併協議会から離脱した鯖江市も態度を保留している。
[編集] 地域的特徴
※ 若狭県設置論や福井県分割論については、「嶺南#道州制」「都道府県#分割論が存在する地域」も参照すること。
嶺北(越前地方)と嶺南(若狭地方)では、風土が大きく異なる。
県全体として、文化的には京都府(旧山城国、旧丹波国、旧丹後国)や滋賀県(旧近江国)との親和性が強く、近畿寄りの傾向が大きい。
嶺北(越前地方)は、近畿の一部という意識に加えて、「越前」の字義が「越国の前の方」を意味する通り、北陸の一部であるという意識も見られ、石川県などとの繋がりも深い。
これに対して、嶺南(若狭地方)は、若狭湾に面する事から、北近畿の一角と見なされる事も多く、滋賀県や京都府との繋がりが深く、嶺北との繋がりが浅い点から、北陸ではなく近畿の一部であるという意識が強い。
廃藩置県以後の経緯を見ると、当初は嶺北は足羽県、嶺南は敦賀県という単独の県だったが、1873年1月14日に足羽県と敦賀県は合併させられ、現在の福井県と同じ範囲で敦賀県とされた。1876年8月21日に敦賀県が分割された時に、嶺北は石川県に編入され、嶺南は滋賀県に編入された。しかし、1881年2月7日には石川県から嶺北が分離されるが、この時に嶺南は滋賀県から分離され、嶺北と合併させられた。
福井県の発足から120年を過ぎた現在でも、嶺北の交通網は比較的早く整備されたのに対して、嶺南の交通網(特に福知山方面)の整備は遅れを取っている。
これらの経緯から、嶺南の敦賀市や小浜市では、市長たちが福井県からの分離を主張している。
[編集] 高等教育機関
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[編集] 交通
[編集] 空港
- 福井空港(定期便無し)
[編集] 鉄道
- 西日本旅客鉄道
- えちぜん鉄道
- 福井鉄道
- 日本貨物鉄道
- 北陸本線(敦賀~敦賀港間)(敦賀港線)(旅客輸送は臨時に行うことがある)
- 整備新幹線
- 未成線
- 琵琶湖若狭湾快速鉄道(小浜線と湖西線を結ぶ短絡線の建設計画)
[編集] 道路
- 県道
- 一般有料道路
- 越前・河野しおかぜライン
- 法恩寺山有料道路
- 三方五湖レインボーライン
[編集] 港湾
[編集] マスメディア
[編集] 新聞
[編集] テレビ局
- NHK福井放送局
- FBC(ANN・NNN系列)
- 福井テレビ(FNN系列)
- JNN系列 嶺北地方でMROを、嶺南地方でMBSを視聴している世帯があるほか奥越の東端である大野市和泉地区(旧:和泉村)では共同受信施設によりCBC(岐阜県郡上中継局から受信したもの)を視聴することができる。
- ANN系列 FBCはクロスネット局であるため、嶺北地方で北陸朝日放送を、嶺南地方でABCを視聴している世帯(直接受信、ケーブルテレビ再配信ともに)があるがあるほか大野市和泉地区では共同受信施設によりメ〜テレ(岐阜県郡上中継局から受信したもの)を視聴することができる。
- NNN系列 嶺北地方でテレビ金沢を、嶺南地方でよみうりテレビを視聴している世帯もある。
- FNN系列 嶺北地方で石川テレビを、嶺南地方で関西テレビを視聴している世帯もある。
- TXN系列 嶺南地方でびわ湖放送・奥越で岐阜放送(岐阜放送エリア図)(共にTXN系列の番組が多く放送されている)を視聴している世帯がある。
- 独立UHF放送局 嶺南地方でびわ湖放送・KBS(KBSエリア図)、奥越で岐阜放送を視聴している世帯がある。
[編集] ラジオ局
[編集] ケーブルテレビ
- 福井県のケーブルテレビ局一覧(参照)
[編集] 観光地
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[編集] スキー場
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[編集] 縁の有る歴史上の人物
- 集団
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 福井県庁ホームページ
- デジタル歴史情報(福井県文書館)
- 社会生活統計指標 -都道府県の指標-(総務省統計局)
- ばすでんしゃねっと・ふくい - 公共交通ポータル(福井県バス協会)
- 雪みち情報ネットふくい - 冬期道路状況(福井県道路保全課:冬期限定開設)
- ふくいドットコム - 観光情報ポータル(福井県観光連盟)
- 日本の都道府県
-
北海道: 北海道 東北地方: 青森県 | 岩手県 | 宮城県 | 秋田県 | 山形県 | 福島県 関東地方: 茨城県 | 栃木県 | 群馬県 | 埼玉県 | 千葉県 | 東京都 | 神奈川県 | (山梨県) 中部地方: 新潟県 | 富山県 | 石川県 | 福井県 | 山梨県 | 長野県 | 岐阜県 | 静岡県 | 愛知県 | (三重県) 近畿地方: 三重県 | 滋賀県 | 京都府 | 大阪府 | 兵庫県 | 奈良県 | 和歌山県 中国地方: 鳥取県 | 島根県 | 岡山県 | 広島県 | 山口県 四国地方: 徳島県 | 香川県 | 愛媛県 | 高知県 九州地方: 福岡県 | 佐賀県 | 長崎県 | 熊本県 | 大分県 | 宮崎県 | 鹿児島県 琉球諸島: 沖縄県