越前国
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越前国 (えちぜんのくに)は、かつての日本の地方行政区分だった国の一つで、北陸道に位置する。
現在の福井県の嶺北地方(岐阜県郡上市白鳥町石徹白地区を含む)及び敦賀市に相当するが、創設時には石川県全域をも含んだ。延喜式での格は大国、中国。
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[編集] 沿革
7世紀末に越国 (こしのくに) の分割で設置された。現在の石川県と、福井県の北部を領域にし、敦賀郡、丹生郡、足羽郡、大野郡、坂井郡、江沼郡、加賀郡、羽咋郡、能登郡、鳳至郡、珠洲郡の十一郡で構成された。
718年(養老2年)5月2日に、現在の石川県北部にあたる羽咋郡、能登郡、鳳至郡、珠洲郡の四郡を能登国として分立させた。
823年(弘仁14年)3月1日に、現在の石川県南部にあたる加賀郡と江沼郡を割いて加賀国を建てた。これ以後領域に変更はなく、現在の福井県のうち南部 (若狭国)を除く部分を範囲とした。残った郡の編成には以後も変遷がある。
[編集] 国府・一宮など
延喜式神名帳には大社8座2社、小118座111社の計126座113社が記載されている。大社2社は気比神社(現 気比神宮)と大虫神社で、どちらも名神大社となっている。一宮は気比神社、二宮は剣神社(越前町織田金栄山)、総社は総社大神宮(越前市京町)である。
[編集] 守護
[編集] 鎌倉幕府
- ?~1191年 - 比企朝宗
- 1213年~? - 大内惟義
- ?~1221年 - 大内惟信
- 1221年~1227年 - 島津忠久
- 1227年~1228年 - 島津忠時
- 1228年~? - 後藤基綱
- 1275年頃~? - 足利満氏?
- 1301年~? - 後藤基頼
- 1321年~? - 後藤基雄
[編集] 室町幕府
- 1336年~1341年 - 斯波高経
- 1346年~1350年 - 細川頼春
- 1352年~1366年 - 斯波高経・斯波氏経・斯波義種
- 1366年~1379年 - 畠山義深
- 1379年 - 畠山基国
- 1380年~1396年 - 斯波義将
- 1398年~1418年 - 斯波義重
- 1418年~1433年 - 斯波義淳
- 1433年~1436年 - 斯波義郷
- 1436年~1452年 - 斯波義健
- 1452年~1460年 - 斯波義敏
- 1460年~1461年 - 斯波松王丸
- 1461年~1466年 - 斯波義廉
- 1466年 - 斯波義敏
- 1466年~1471年 - 斯波義廉
- 1471年~1481年 - 朝倉孝景
- 1481年~1486年 - 朝倉氏景
- 1486年~1512年 - 朝倉貞景
- 1512年~1548年 - 朝倉孝景
- 1548年~1573年 - 朝倉義景
[編集] 国司
[編集] 越前守
- 藤原内麻呂 786年(延暦5年)
- 源悦 901年(延喜1年)
- 橘良殖 906年(延喜6年)
- 藤原定成 1058年(康平1年)
- 藤原宗能 1100年(康和2年)
- 平資盛 1171年(嘉応3年)
- 藤原隆信 1200年頃
- 伊達政宗 1597年(慶長2年) - 1608年(慶長13年)
- 松平綱昌 1674年
- 大岡忠相 1717年(享保2年) -
- 松平重昌 1755年
[編集] 越前介
- 藤原内麻呂 785年(延暦4年)
- 三統理平 901年(延喜1年)