劔神社
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劔神社(つるぎじんじゃ) | |
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所在地 | 福井県丹生郡越前町織田1003-1 |
位置 | -- |
主祭神 | 素盞鳴尊 |
社格等 | 国幣小社・別表神社 |
創建 | 仲哀天皇の代 |
本殿の様式 | 八ッ棟造(織田造) |
例祭 | 10月9日 |
主な神事 | -- |
劔神社(つるぎじんじゃ)は、福井県丹生郡越前町(旧織田町)にある神社である。別名織田明神(おたみょうじん)。気比神宮に次ぐ越前国二宮とされる。式内社「越前國敦賀郡 劔神社」の論社の一つである(もう一つは敦賀市莇生野の劔神社)。
目次 |
[編集] 歴史
社伝によれば、御神体となっている剣は垂仁天皇皇子の五十瓊敷入彦命が作らせた神剣で、神功皇后摂政の時代に仲哀天皇皇子の忍熊王が譲り受け、忍熊王が高志国(越国)の賊徒討伐にあたり無事平定した。のち、伊部郷座ヶ岳に祀られていた素盞鳴尊の神霊を伊部臣が現在地に勧請し、この神剣を御霊代とし祀ったことに始まると伝えられる。忍熊王はその後もこの地を開拓したことから、開拓の祖神として父である仲哀天皇(気比大神)とともに配祀されたと伝える。 中世以降、この地の歴代の領主、斯波氏、朝倉氏、織田氏の崇敬を受け保護された。特に織田信長は当社の神官の子孫であるとされ、織田家の氏神とされた。尾張織田家は故郷の名にちなんで織田と名乗ったのが始まりである。柴田勝家の書状にも「殿様、御氏神、粗相仕るべからず」とある。江戸時代には福井藩・大野藩両藩からの崇敬を受け、幕末には伏見宮家の祈願所ともされた。昭和3年に国幣小社に列格した。第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。
[編集] 文化財
[編集] 国宝
[編集] 重要文化財
- 釈迦八相涅槃図 -- 鎌倉時代中期のもので、現在は奈良国立博物館に寄託している。
[編集] 書状
- 織田信長
- 徳川家康
- 柴田勝家
[編集] その他
- 古文書など
[編集] 外部リンク
- 劔神社(公式サイト)