福井地震
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福井地震(ふくいじしん)は昭和23年(1948年)6月28日午後4時13分、福井県嶺北地方から石川県加賀地方にかけての一帯を襲った大地震。福井県丸岡町(現坂井市)付近を震源とする直下型の断層型地震で規模はM7.1。
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[編集] 概要
- 発生:1948年6月28日16時13分(当時はサマータイムが導入されており、夏時間では17時13分だった。)
- 震源
- 震央 福井県北部、北緯36度17分、東経136度20分の地点(この付近)。
- 震源の深さ 20kmより浅い
- 地震の規模
- マグニチュード M 7.1
[編集] 各地の震度
- 福井市-震度6
- 敦賀市-震度4
- 金沢市-震度4
- 輪島市-震度4
- 舞鶴市-震度4
- 彦根市-震度4
- 京都市-震度4
- 奈良市-震度4
- 富山市-震度4
- 高山市-震度3
- 岐阜市-震度4
- 名古屋市-震度3
- 大阪市-震度3
[編集] 被害
死者数では、兵庫県南部地震(阪神大震災)に次いで戦後日本で2番目に多い被害を出した。
- 死者 3769名
- 倒壊家屋 36184戸
- 焼失家屋 3851戸
(福井・石川両県における集計)
[編集] 特徴
福井平野では全壊率が60%を超えるなど被害は甚大だった。福井市中心部では人口が密集しており、戦後復興期だったため建物はバラックが多く不安定な構造だったためかなりの建物が倒壊している。変形し一階が潰れた大和百貨店店舗の写真は有名。福井近郊の丸岡城(丸岡町)も倒壊した。
発生時刻が午後4時過ぎで夕食の支度をしている家庭が多かったため、福井市中心部では火災が発生した。地震のため道路が通行不能となったり水道が破損したことにより、消火に時間を要したため被害が拡大した。
また、農業地区ではほぼ全ての家屋が倒壊したものの、住民が屋外で農作業をしていたためか死者は少なかった。
福井地震を契機に、気象庁は震度階級に震度7「激震」を新たに設定した。
救援活動は体系的ではなかったが、金光教「ひのきしん」活動などがあった。占領軍の給水活動なども注目される。
地震振動で堤防高も沈下して、その後の九頭竜川決壊につながった。
また、この時、東京学生同盟から、東大生の渡辺松美を中心とした救援隊が現地に入り、堤防復旧や、避難所での配食支援など今で言う災害ボランティア活動を行った記録がある。この時、渡辺が警察無線を借りて東京に送った内容は、渡辺の手記によると、「被害甚大。衣食携行、決死の覚悟で来い」と言うもので、被害の壮絶さを物語っている。
[編集] その他
地震から50周年となる1998年6月26日、27日、28日の3日間にわたり、福井市で市主催の世界震災都市会議が開かれ、福井地震の教訓を元に各都市が防災について話し合った。