縄文式土器
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縄文式土器(じょうもんしきどき)は、およそ約1万6000年前から約2300年前(ただし、この年代は流動的である)の縄文時代に北海道から沖縄諸島で作られた土器である。
土器の年代測定技術はまだ完全には確立されていないため多少流動的な要素は残るが、縄文式土器は世界最古の部類に属している。
縄文土器という名称は大森貝塚を発掘したモールス(実際の発音はこのようであったらしい。またはモース)によって見出され、英文報告書でcord marked pottery、直訳で「索文土器」とされたが、他にも貝塚土器、あるいはアイヌ式土器など様々に呼ばれ、結局縄目文様という発想から付けられた縄文式土器が定着した。
ちなみに「縄紋」という表記も研究者の一部に残っている。今日では単に、縄文土器と呼ばれる事が多くなった。
一般に、縄文土器の作られた時代が縄文時代であるが、日本列島における土器の出現=縄文時代の始まりであり、明確な農耕文化に伴う土器型式は弥生土器とされる。また、縄文時代の土器すべてが縄文を施すわけではなく、縄文時代を通じて土器に縄文を施さない地域もある。そのため、縄文時代に作られた土器をもって縄文土器であるという定義もある。このような定義は再帰的かつ同語反復にも見えるが、あまりにも多様で、土器であるという以上の普遍的定義が難しい縄文土器の実態を考えると、境界領域では不思議と納得せざるをえない。
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[編集] 縄文土器の特徴
いわゆる縄目文様は、撚糸(よりいと)を土器表面に回転させてつけた模様だが、模様のバリエーションの多様性はともかく、実際には縄文を使わない施文法(例えば貝殻条痕文)や装飾技法も多く、これは土器型式によって様々である。その意味で、「縄文土器」を総称として用いる事は厳密にいうと無理があるが、既に一般に定着した用語であるので、容認されている。
窯を使わないやや低温(600℃~800℃)の酸化焼成のため、赤褐色系で、比較的軟質である。胎土は粗く、やや厚手、やや大型のものが多いが、用途や時期によっては薄手、小形品、精巧品も作られる。基本的な器形はバケツ状の深鉢形だが、時期が新しくなる程、多様な形態が登場し、後期以降の精巧な注口土器には驚かされる。
縄文時代を通じて派生した型式数は数え切れない程だが、それらを整理して様式としてまとめると70程度とされる。さらに時間軸でまとめると6期に区分され(後述)、時代を通じて概ね継続する地域文化圏ないし領域が日本列島全域で7~9あったようである。
[編集] 縄文土器(縄文時代)の時期区分
草創期:約16,000年前~(但し、縄文文化的な型式の変遷が定着するのは草創期後半から)
早期:約11,000年前~
前期:約7,200年前~
中期:約5,500年前~
後期:約4,700年前~
晩期:約3,400年前~(但し、晩期から弥生時代への移行の様相は地域によって相当に異なる)
上記の年代観は、放射性炭素年代測定を較正した暦年代観に従っているが、いずれにせよ精度の高い推定は難しく、現在でも研究途上である。
縄文土器の出現は、どうやら氷期が終了する前の事であり、世界的にみて非常に古いものだが、大陸側の極東地域には同時期の土器文化の存在が知られており、関係が注目される。ちなみに、弥生時代になってからも、東日本では縄文土器の伝統を反映した弥生土器が作られ、北海道では縄文土器の直系と言い得る続縄文土器が作られ、沖縄諸島では貝塚時代前半の系統を引く土器が作られた。
[編集] 縄文土器の種類
[編集] 縄文土器の形
- 粗製深鉢形
- 精製深鉢形
- 浅鉢形
- 注口土器
- 火焔土器
このような形があるが、前期や中期、後期、晩期などで仕様、形状が異なる。