永平寺
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永平寺 | |
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唐門 |
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所在地 | 福井県吉田郡永平寺町志比5-15 |
山号 | 吉祥山 |
宗派 | 曹洞宗大本山 |
本尊 | 釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来 |
創建年 | 寛元2年(1244年) |
開基 | 道元 |
別称 | |
文化財 | 普勧坐禅儀(国宝) 梵鐘、道元禅師嗣書ほか(重要文化財) 山門、中雀門(福井県指定文化財) |
永平寺(えいへいじ)は、福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗大本山の寺院である。山号を吉祥山と称する。開山は道元、本尊は釈迦如来・弥勒仏・阿弥陀如来の三世仏である。末寺15,000寺を有する日本曹洞宗の中心寺院である。
目次 |
[編集] 起源と歴史
[編集] 道元の生い立ち
曹洞宗の宗祖道元は正治2年(1200年)に生まれた。父は村上源氏の流れをくむ名門久我(こが)家の久我通親であるとするのが通説だが、これには異説もある。
幼時に父母を亡くした道元は仏教への志が深く、14歳で当時の仏教の最高学府である比叡山延暦寺に上り、仏門に入った。道元には「天台の教えでは、人は皆生まれながらにして仏性(ぶっしょう、仏としての性質)を持っているはずなのに、なぜ厳しい修行をしなければ悟りが得られないのか」という強い疑問があった。
道元は日本臨済宗の宗祖である建仁寺の栄西に教えを請いたいと思ったが、栄西は道元が出家した2年後に、すでに世を去っていた。
[編集] 入宋
比叡山を下りた道元は、建保5年(1217年)、建仁寺に入り、栄西の直弟子である明全(1184-1225)に師事した。しかし、ここでも道元の疑問に対する答えは得られず、真の仏法を学ぶには中国(宋)で学ぶしかないと道元は考えた。師の明全も同じ考えであり、彼ら2人は師弟ともども貞応2年(1223年)に渡宋する。
道元は天童山景徳寺の如浄禅師(1163-1228)に入門し、修行した。如浄の禅風はひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」を強調したものであり、道元の思想もその影響を受けている。道元は如浄の法を嗣ぐことを許され、4年あまりの滞在を終えて帰国した。なお、一緒に渡宋した明全は渡航2年後に現地で病に倒れ、2度と日本の地を踏むことはできなかった。
[編集] 帰国
日本へ戻った道元ははじめ建仁寺に住し、のちには深草(京都市伏見区)に興聖寺を建立して説法と著述に励んだが、旧仏教勢力の比叡山からの激しい迫害に遭う。
[編集] 越前下向
旧仏教側の迫害を避け新たな道場を築くため、道元は信徒の1人であった越前国(福井県)の土豪・波多野義重の請いにより、興聖寺を去って、義重の領地のある越前国志比庄に向かうことになる。寛元元年(1243年)のことであった。
当初、義重は道元を吉峰寺へ招いた。この寺は白山信仰に関連する天台寺院で、現在の永平寺より奥まった雪深い山中にあり、道元はここでひと冬を過ごすが、翌寛元2年(1244年)には吉峰寺よりも里に近い土地に傘松峰大仏寺(さんしょうほうだいぶつじ)を建立する。これが永平寺の開創であり、寛元4年(1246年)に山号寺号を吉祥山永平寺と改めている。
寺号の由来は中国に初めて仏法が伝来した後漢明帝のときの元号「永平」からであり、意味は「永久の和平」である。
[編集] 道元以降
その後の永平寺は、2世孤雲懐奘(こうんえじょう)、3世徹通義介(てっつうぎかい)のもとで整備が進められた。義介が三代相論で下山し4世義演の晋住後は外護者波多野氏の援助も弱まり寺勢は急激に衰えた。一時は廃寺同然まで衰微したが、5世義雲が再興し現在にいたる基礎を固めた。暦応3年(1340年)には兵火で伽藍が焼失、応仁の乱の最中の文明5年(1473年)でも焼失した。その後も火災に見舞われ、現存の諸堂はすべて近世以降のものである。
- 応安5年(1372年)、後円融天皇より「日本曹洞第一道場」の勅額・綸旨を受ける。
- 天文8年(1539年)、後奈良天皇より「日本曹洞第一出世道場」の綸旨を受ける。
- 天正19年(1591年)、後陽成天皇より「日本曹洞の本寺並びに出世道場」の綸旨を受ける。
- 元和元年(1615年)、徳川幕府より法度が出され總持寺とならび大本山となる。
[編集] 伽藍
- 勅使門-天保10年(1839年)の建築。
- 三門-寛延2年(1749年)の建築。重層の門で、階上には釈迦如来像、五百羅漢像などを安置する。
- 仏殿-明治35年(1902年)の建築。本尊の釈迦・弥勒・阿弥陀の三世仏(現在・未来・過去を表わす)の他、禅宗初祖の達磨像、道元の師である如浄禅師像などを安置する。
- 法堂(はっとう)-天保14年(1843年)の建築。
- 大庫院-昭和5年(1930年)の建築。地上3階地下1階の近代木造建築で、台所兼事務所の役を果たす。建築当時のエレベータが現存しており、これは稼動中のものとしては日本最古といわれる。
- 承陽殿-明治14年(1881年)の建築。開山道元の廟で、道元以下第5世までの住職の像を安置する。
- 僧堂-明治35年(1902年)の建築。僧堂は坐禅修行のための建物である。
- 傘松閣(さんしょうかく)-昭和5年(1930年)の建築。222畳敷きの大広間があり、天井画は川合玉堂、伊東深水など計144名の画家によって描かれた。
- 吉祥閣-昭和46年(1971年)の建築。地上5階地下1階の宿泊研修施設で、曹洞宗に限らず参禅研修を希望する人を広く受け入れている。
- 浴室
- 東司(とうす)
[編集] 文化財
[編集] 国宝
- 普勧坐禅儀
[編集] 重要文化財
- 道元禅師嗣書 1幅 紙本墨書 南宋時代
- 明全戒牒 1巻 金銀絵料紙墨書 鎌倉時代
- 正法眼蔵仏性第三 1冊 紙本墨書 孤雲懐弉筆 鎌倉時代
- 後円融院宸翰 1幅 南北朝時代
- 梵鐘 鎌倉時代 嘉暦2年(1327年)
[編集] 福井県指定文化財
- 山門
- 中雀門
[編集] 交通
- えちぜん鉄道勝山永平寺線永平寺口駅 - 京福バス永平寺行終点下車
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 永平寺町役場ホームページ(永平寺町公式ホームページ)
- 永平寺町旅ガイド(曹洞宗大本山永平寺の紹介をはじめ、永平寺町の観光について紹介をしている)
- 禅の里 永平寺へようこそ(土産物屋のサイトだが、曹洞宗大本山永平寺の許可を得て永平寺と永平寺町の紹介をしている)