三好三人衆
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三好三人衆(みよしさんにんしゅう)は日本の戦国時代に畿内で活躍した、三好長逸・三好政康・岩成友通の三人を指す。いずれも三好氏の一族・重臣であったためこの名で呼ばれた。
三好氏の当主三好長慶の死後、後継者の三好義継が幼かったためその後見役として台頭し、松永久秀と共に足利義輝の謀殺(永禄の変)に携わるなどした。のちに義継や久秀と対立し、三好・松永政権の混乱の一因となった。
1566年、織田信長の上洛に反発し、抵抗するが敵せず相次いで敗退し、三好三人衆の勢力は衰え、元亀年間には友通が戦死し、他の二人も消息不明な状態となり、三好三人衆は完全に消滅した。なお、三人衆の一人である政康はのちに豊臣氏の家臣となり、大坂の陣に参加し戦死したことが知られている。