近江国
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近江国 (おうみのくに) は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つで、東山道に位置する。ほぼ現在の滋賀県を範囲とする。江州(ごうしゅう)と呼ぶこともある。延喜式での格は大国、近国。
古事記には、近つ淡海国、淡海国、近淡海国と記載。
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[編集] 沿革
近江ははじめ淡海(あはうみ、あふみ)と書き、近淡海 (ちかつあふみ) とも呼んだ。当時の琵琶湖の呼称をそのまま国の名にしたものである。近淡海に対する遠淡海(とほつあふみ)は浜名湖の古名で、これは遠江国(とほたふみ、とうとうみ)の語源である。
国府は栗太郡勢多におかれ、1964年に現在の大津市三大寺で遺跡が発見された。国府の遺跡が発見された最初の例である。 国分寺・国分尼寺は、はじめ甲可寺(現甲賀市信楽町 紫香楽宮跡とされてきた)。その後、瀬田廃寺(大津市神領)にうつり、焼失の後、820年(弘仁11年)に国昌寺跡(大津市国分)に移された。ここでは伝教大師最澄が若き日に修学しているといわれる。
飛鳥京~藤原宮時代の木簡(大化の改新以後~律令制前)には、近江国を近水海と記載している。また、近淡(海は欠損か?)と記載しているものもある。
[編集] 近江の宮
近江国は畿内に近く、合計3箇所天皇の住居(宮)が構えられている。
[編集] 一宮など
延喜式神名帳には大社13座10社、小社142座132社の計155座142社が記されている。大社10社は以下に示すもので、全て名神大社である。
多賀大社(延喜式では「多何神社」)は小社である。
一宮は建部神社、二宮は日吉大社、三宮は多賀大社あるいは御上神社とされるが、実際には比叡山延暦寺と関係の深い日吉神社の力が強かったと見られている。
[編集] 守護
[編集] 鎌倉幕府
- 1187年~1191年 - 佐々木定綱
- 1193年~1205年 - 佐々木定綱
- 1205年~1221年 - 佐々木広綱
- 1221年~1233年 - 佐々木信綱
- 1245年~1252年 - 佐々木泰綱
- 1275年~1310年 - 佐々木頼綱
- 1310年~1333年 - 佐々木時信
[編集] 室町幕府
- 1335年~1336年 - 六角氏頼
- 1336年~1338年 - 京極高氏
- 1338年~1351年 - 六角氏頼
- 1351年 - 山内信詮
- 1352年~1353年 - 六角義信
- 1354年~1370年 - 六角氏頼
- 1370年~1377年 - 六角高詮
- 1377年~1411年 - 六角満高
- 1411年~? - 青木持通
- 1412年~1416年 - 六角満高
- 1416年~1441年 - 六角満綱
- 1441年~1445年 - 六角持綱
- 1445年~1456年 - 六角久頼
- 1456年~1458年 - 六角高頼
- 1458年~1460年 - 六角政堯
- 1460年~1467年 - 六角高頼
- 1467年~1469年 - 六角政堯
- 1469年~1470年 - 京極持清
- 1470年~1471年 - 京極氏
- 1471年 - 六角政堯
- 1471年~1473年 - 六角氏
- 1473年~? - 京極政高
- 1478年~1487年 - 六角高頼
- 1488年~1489年 - 結城尚豊
- 1489年 - 六角高頼
- ?~1490年 - 京極政経
- 1490年~? - 細川政元
- 1492年~1493年 - 六角氏
- 1493年~1494年 - 山内就綱
- 1495年~? - 六角高頼
- 1507年~? - 六角氏綱
- 1508年~? - 京極高清
- 1511年~1518年 - 六角氏綱
- 1518年~1552年 - 六角定頼
- 1552年~? - 六角義賢
[編集] 国司
[編集] 近江守
- 佐々木秀綱 1338年任官。
- 相良長毎 肥後相良氏の第13代当主。
- 浅野長員 安芸広島新田藩の第3代藩主。
- 浅野長容 安芸広島新田藩の第4代藩主。
- 石川総茂 伊勢神戸藩の第3代藩主。常陸下館藩の初代藩主。
- 石川総親 常陸下館藩の第6代藩主。
- 石川総貨 常陸下館藩の第8代藩主。