金沢市
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金沢市(かなざわし)は、北陸地方の西部、石川県のほぼ中央に位置する都市で、同県の県庁所在地である。旧石川郡・河北郡。
目次 |
[編集] 概要
江戸時代に、大名の中でも最大の石高を誇り、「加賀百万石」と称された加賀藩の城下町として盛えた。現在でも、親不知以西の北陸地方では最大の都市で、観光都市としても知られる。
観光地でも、日本三名園の一つである兼六園が有名。雪景色の風情は有名だが、平野部は日本海側にしては積雪が少なめである。代表的な郷土料理は治部煮。毎年6月中旬の週末には、加賀藩の藩祖・前田利家の金沢入城に因んだ金沢百万石まつりが開催される。
第二次世界大戦時に戦災を受けなかった事から、中心市街地は戦前の面影をそのままに残している。又、金沢以外で戦災を受けなかった比較的規模の大きい城下町には、旧松本市 などがある。
金沢都市圏の人口は、約73万人(2000年都市雇用圏)。商圏規模は半径50km圏で約120万人とされる。金沢市は合併による政令指定都市を目指しているものの、周辺市町村から拒否され進展していない。
[編集] 地理
[編集] 地形
南東部は山地で、奈良岳(1644m)を筆頭に、大門山(1572m)、医王山(いおうぜん、939m)など市域の中でも高い山はこの部分にある。北西部は金沢平野であり、山地から犀川、浅野川、金腐川(かなくさりがわ)、森下川(もりもとがわ)などが流れる。犀川は日本海へ直接流れるが、他の川は河北潟へ流れ、大野川を経由して日本海へ注ぐ。海岸部は砂丘となっており、河口部分は北向きに曲がっている。犀川上流には犀川ダムや内川ダムがあり、上水道・灌漑などに利用されている。
また、山地でも平野に近い部分は丘陵地となり、戸室山(548m)、キゴ山(546m)、野田山(175m)、卯辰山(141m)などが市民に親しまれている。犀川と浅野川は平行して流れ、その間の河岸段丘が小立野台地である。小立野台地の先端部分に金沢城、および兼六園がある。また、犀川の南部は寺町台地となっている。
[編集] 気候
日本海側気候で、冬には積雪する。春や夏は好天が多く、フェーン現象がよく起きる。8月下旬には最高気温が35℃を越えることもしばしばである。梅雨の影響は太平洋側と比較して少ない。秋は台風の影響は少ないが、曇り空が多くなる。11月末から12月にかけて、雷がよく起きることも特色である。
湿度が高く、伝統工芸の金箔製造に適している。
[編集] 隣接自治体
北側に内灘町・津幡町がある。東側は山地を挟んで富山県小矢部市・南砺市と接する。南側は白山市と石川郡野々市町と面する。
[編集] 歴史
「金沢」という都市名は、昔、芋掘藤五郎が山芋を洗っていたらそこから砂金が出たため、「金洗いの沢」と呼ばれたという伝説による。「金洗いの沢」は、兼六園内の金沢神社の隣りにあり、現在は「金城霊沢」と呼ばれている。
戦国時代の一向一揆で本願寺の拠点が置かれた尾山御坊(金沢御坊)と、その周辺の寺内町を起源とする。織田信長配下の柴田勝家の甥佐久間盛政が尾山御坊を攻め落とし、その地を改築し金沢城とした。後に前田利家が居城としてから、加賀百万石の城下町として繁盛した。
参勤交代の時、前田氏は約二千人の家来を従え、片道約7億円(現在の価値に換算)をかけて江戸との間を行き来し、その権勢を誇った。金沢は、江戸時代に三都(江戸、大坂、京)に次ぐ日本第4位の人口(約10万人)を擁する大都市として発展し、美術工芸など現在に受け継がれる都市文化が花開いた。
加賀藩は保守的な雰囲気が強く、幕末の風雲ではさしたる活動をしなかった。廃藩置県の後、加賀藩は霞のように消えてしまう。それが一因となり金沢周辺は維新後の近代化に遅れることになる。
明治時代に入ると、士族や商人を中心に人口の著しい減少が続いた。1876年には名古屋に抜かれて、人口9万7654人ながら全国第5位となり、市制を施行した1889年の年末には9万4257人で、国際貿易港の神戸市・横浜市に抜かれて全国7位となった。しかし、旧制第四高等学校(金沢大学の前身)や陸軍第九師団が置かれ、学都や軍都として栄えるようになると、人口も漸く増加に転じた。1920年には人口12万9265人を擁したが、他都市の発展速度の方が速く、長崎市・広島市・函館区・呉市に抜かれて国内11番目の都市となった。
金沢は近代化に遅れたことなどもあって、太平洋戦争の戦禍を免れた(一説には爆撃機の航続距離の関係とも言われる)。このため経済発展は遅れたものの、江戸時代の文化が豊かに残る小京都の代表格となった。
[編集] 地名の移り変わり
現在の金沢市中心部は、古くは石浦村と呼ばれていた。尾山御坊ができて寺内町が発達し、「南町・西町・松原町・安江町・近江町・堤町・金屋町・材木町」といった町が成立した。これを総じて尾山八町、或いは単に尾山と呼んだ。尚、尾山の地名には、「二つの川に挟まれた台地の先端」という意味を持つ。後に、前述の芋掘藤五郎の伝説から「金沢」と呼ばれるようになるが、前田利家が城主になると「尾山」に復し、家督を長男の利長に譲り、隠居した後に再び「金沢」とした。
[編集] 旧町名の復活運動
- 金沢市では、1962年に「住居表示に関する法律」の実験都市に指定され500余りの町名が消滅したが、町名の復活を望む声が高まり1999年の主計町を皮切りに次々と町名が復活された。これに刺激を受けて、会津若松市や盛岡市など、全国に復活運動が広がっている。なお、旧町名の復活した所は、民家の戸数が少ない所が多い。
- 復活した町名(地名の横には復活した日とそれまでの町名を表示)
- 主計町(かずえまち)…1999年10月1日/尾張町2丁目 - 富田主計(とみたかずえ)の屋敷があった事に因む町名。2004年5月1日、町域の拡大に伴い、完全復活。
- 飛梅町(とびうめちょう)…2000年4月1日/石引3丁目 - 前田対馬守の下屋敷があった所で前田対馬守の家紋(角の内梅輪)に因む町名。
- 下石引町(しもいしびきまち)…2000年4月1日/石引3丁目 - 金沢城築城の際に建材の石を引いたことからつけられた町名。国立金沢病院がある。
- 木倉町(きぐらまち)…2003年8月1日/片町2丁目 - 江戸時代初期に材木蔵が置かれていたことからつけられた町名。
- 柿木畠(かきのきばたけ)…2003年10月1日/広坂1丁目 - 江戸時代に火除地として柿の木が植えられたことによる町名。
- 六枚町(ろくまいまち)…2004年6月1日/芳斉2丁目 - この地の税額が銀6枚であったことからつけられた町名。
- 並木町(なみきまち)2005年10月1日/橋場町 - 浅野川の護岸の為に植えられた松並木に因んで。
- 袋町(ふくろまち)~予定~2007年2月1日(3月1日の場合あり)/尾張町2丁目 - 北国街道の両筋の曲がり角によって、袋の様に見えたことから。
[編集] 沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 市制を施行した。10.40km²。
- 1924年(大正13年)1月1日 - 野村の一部を編入した。10.61km²。
- 1925年(大正14年)4月1日 - 野村を編入した。16.82km²。
- 1925年(大正14年)4月10日 - 弓取村を編入した。20.05km²。
- 1935年(昭和10年)12月16日 - 大野町・粟崎村・鞍月村・富樫村・潟津村・米丸村を編入した。51.55km²。
- 1936年(昭和11年)4月1日 - 小坂村・三馬村・崎浦村を編入した。90.71km²。
- 1943年(昭和18年)10月1日 - 戸板村を編入した。96.21km²。
- 1943年(昭和18年)12月1日 - 金石町・大野村・二塚村を編入した。111.09km²。
- 1947年(昭和22年)5月3日- 三谷村の字釣部を編入した。114.16km²。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 川北村を編入した。122.10km²。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 内川村・犀川村・額村・安原村・湯涌谷村を編入した。303.76km²。
- 1956年(昭和31年)1月1日 - 押野村を編入した。309.79km²。
- 1957年(昭和32年)4月5日 - 浅川村を編入した。393.40km²。
- 1957年(昭和32年)4月10日 - 野々市町に押野地区の一部を譲った。391.34km²。
- 1962年(昭和37年)6月1日 - 森本町を編入した。458.78km²。
- 1965年(昭和40年)7月30日 - 河北潟の一部埋め立てによる面積増加。458.90km²。
- 1967年(昭和42年)10月27日 - 河北潟の一部埋め立てによる面積増加。459.18km²。
- 1968年(昭和43年)4月1日 - 野々市町と境界変更した。459.19km²。
- 1969年(昭和44年)3月1日 - 野々市町と境界変更した。459.21km²。
- 1971年(昭和46年)3月2日 - 河北潟埋め立てに伴う面積増加。459.31km²。
- 1980年(昭和55年)2月1日 - 野々市町と境界変更した。459.31km²。
- 1980年(昭和55年)5月13日 - 埋め立てによる面積増加。460.20km²。
- 1980年(昭和55年)9月1日 - 野々市町と境界変更した。460.20km²。
- 1981年(昭和56年)10月1日 - 河北潟干拓地の境界を定めた。468.09km²。
- 1988年(昭和63年)10月1日 - 国土地理院の測定方法変更により面積修正。467.77km²。
- 1992年(平成4年)3月1日 - 松任市と境界変更した。467.77km²。
- 1996年(平成8年)6月1日 - 津幡町と境界変更した。 467.77km²。
- 1999年(平成11年)5月1日 - 野々市町と境界変更した。 467.77km²。
[編集] 行政
- 市長:山出保(やまで たもつ)
[編集] 姉妹都市
- 海外の姉妹都市
- バッファロー市(アメリカ。1962年提携)
- イルクーツク市(ロシア。1967年提携)
- ポルト・アレグレ市(ブラジル。1967年提携)
- ゲント市(ベルギー。1971年提携)
- ナンシー市(フランス。1973年提携)
- 蘇州市(中国。1981年提携)
- 全州市(大韓民国。2002年提携)
七つの姉妹都市の多くは、その地方の中心的都市であったり歴史的遺産を持つ古都である。全州市は、1996年に全州市と姉妹都市を締結した蘇州市の市長が、金沢と全州の姉妹都市締結を提案し縁組に至った。
[編集] 経済
[編集] 農林水産業
市内から周辺市町村へ広がる金沢平野は、低温であるものの水利がよく適湿で、江戸時代から良質の農地であった。他地方に比べてかなり早く、明治時代中期に近代的な耕地整理が行われ、生産性が飛躍的に向上することとなった。
現在でも、単作の稲作中心の農業が継承されており、金沢平野を中心とした地域は、北陸地方の他の地域と列んで、コシヒカリの主要な産地の一つである。
但し、市内農地の周辺も宅地化や商業施設の進出によって、以前ほど広い面積での生産が見込めなくなっている。稲作だけでは収益性が薄い農地については、小規模でも生産できるが付加価値の高い、さつまいもや蓮根などの加賀野菜、梨など果実の生産といった都市近郊型の農業へ移行している。
又、北前船の寄港地であった大野港や金石港を元に整備された金沢港を拠点として、水産業も盛んである。
[編集] 製造業
江戸時代にこの地を治めた加賀藩は、石高は高いものの外様大名であったため、幕府や周囲に警戒されないように内向きの産業や工芸を奨励した。そのため、当時から絹織物の主要な産地であった。又、当時藩の財政が潤沢であった事が幸して、京都などから職人を招聘したために、加賀友禅などの染織工芸が育成される事となった。これらを基盤として、明治時代から繊維工業や染織加工業が発達した。
現代でも「伝統工芸王国」と言われており、金箔全国シェア98%、銀箔全国シェア100%、市民一人当たりの和菓子購入料金全国第一位である。
現在では、繊維製造や染色加工については、中国などからの輸入品との価格競争に敗れ、競争に耐えた僅な企業でも、安価な中国製品と競合しない高機能商品などの生産に移行している。
他方で、これら繊維製品の生産に必要な織機の製造業は、その技術の他用途への転用もあって、多方面で成長する事となった。特にジェット・ルーム(高速の気流や水流で横糸を飛ばす方式の織機)の生産では世界的であり、津田駒工業本社工場は、世界最大の織機製造工場といわれている。また、こうした高速制御が可能な複合的な機械製造技術は他分野にも転用され、ボトリング・システム(瓶詰め機械)で世界一の澁谷工業や、自動給茶装置付き回転寿司コンベア機でトップシェアを持つ石野製作所など、特異な機械製造業に結びついている。
更に、近年になって、パソコン周辺機器に関する企業群が急速に成長している。市内で創業したパソコン周辺機器大手のアイ・オー・データ機器は、当地の小規模な繊維工場では手が届かなかったメインフレームではなく、マイコンを利用した工場制御用の周辺機器開発からスタートした企業であり、コンピュータ関連の大手企業が手がけなかった需要に応えて成長の軌道に乗ったといえる。又、織物用の柄を修正するディスプレイ装置の開発といった、細かな需要の発掘でも、繊維工業が周辺産業へ影響を与えたことがうかがえる。
この他、国内生産シェア98%に達し、独自の展開を見せるものに金箔製造業がある。
[編集] 卸売・小売業
親不知以西の北陸地方で、最大の小売業販売額をあげる商業都市の側面もあり、百貨店・大型ショッピングセンター・ブランドショップの集積がある。特にブランドショップでは、北陸地方で唯一の出店となる店鋪が多く(撤退も多いが)、その商圏が隣接する富山県に及ぶのが強み。卸売業でも、北陸地方の営業拠点を設ける企業が多く、いわゆる「支店経済」が形成されている。
金沢を代表する繁華街としては香林坊・片町界隈があげられる。百貨店大和やブランド・ショップが入居するテナントビルを核として、全長1km程度に及んで商店街が形成されている。主な商店街は香林坊商店街・竪町商店街・広坂振興会(商店街)・柿木畠振興会(商店街)・片町商店街(5TOWN'S=ファイブタウンズと称する)である。他木倉町商店街などあるが、これらも含めた範囲も5TOWN'Sに属する。金沢の場合、他都市の様な大型店の集積に商店街という形式ではなく、それぞれの商店街が連続して全体的に総まっているというのが特徴である。それ故に、繁華街全体としてはかなりコンパクトな構造になっている。
金沢駅前にイオン系列のフォーラスが進出してくることで、ファッションビルを筆頭とした改装・ブランドの誘致・新築などフォーラスに対抗する機運が高まっている地区でもある。
路線価・地価公示などの種類にもよるが、香林坊交差点周辺が、金沢市で最も地価が高い地点である。
一方、名古屋鉄道系の百貨店めいてつエムザと近江町市場を核とする武蔵ヶ辻を中心とした市内第二の繁華街がある。しかし、その一翼をになっていた大手スーパーダイエー金沢店が閉店したこともあり、停滞の感が否めない。現在、武蔵ヶ辻ビルの解体・商業複合ビルの建設、近江町市場の再開発、横安江町商店街の再整備等により、武蔵ヶ辻地区の再生につとめている。尚、香林坊・片町界隈同様コンパクトな構造である。
他、金沢駅前にイオン系列の商業施設フォーラスの進出や北陸新幹線金沢開業の効果により、金沢駅周辺が活性化され商業地としての地位が向上したため、金沢駅周辺のテナントビルの空室率は駅周辺再開発ビルを中心に大幅に改善傾向にある。そのため商圏は香林坊・片町地区、武蔵ヶ辻地区と金沢駅前地区と商業地の3極化という構図になり、この事を地元経済界では「中心部vs駅前」と称し、中心部の衰退を危惧する声もある。
[編集] その他
このように、特色ある製造業を基盤として、新しい産業への展開や、北陸地域内での商業施設の集積がもし仮に今後も続けば、北陸地域の中心都市として拠点性は非常に高いと思われる。
金沢大学や石川県庁などの大規模な施設は、近年までに市街地から郊外へ移転を済ませており、更に郊外での大型ショッピングセンターやロードサイドショップの増加などで、中心商店街の集客力は弱まりつつある。しかし、北陸新幹線の金沢開業に向け、イオン系列の商業施設フォーラスが進出するなど、マンションや商業施設などの建設が駅周辺で活発になって来ている。
[編集] 主な上場企業
- 北國銀行(東証一部上場企業、地方銀行のうち預金量上位で財務内容が良好)
- 津田駒工業(東証一部上場企業、ジェット・ルーム(織機)で世界一)
- 澁谷工業(東証一部上場企業、ボトリング・システム(瓶詰めプラント)で世界一)
- 石川製作所(東証一部上場企業、レピア織機から製函機械に展開、機雷など防衛機器製造に特色)
- アイ・オー・データ機器(ジャスダック市場上場企業、パソコン周辺機器でバッファローと競合する大手)
- ヤギ・コーポレーション(ジャスダック市場上場企業、ユニフォーム大手)
その他に、パソコン用モニターで絶大なブランドEIZOをもつナナオの本社・工場、セラミック・コンデンサーで有力な村田製作所の生産子会社である金沢村田製作所が、隣接する白山市にあり、いずれも今後の成長が期待される。
[編集] 主な学校
[編集] 高等教育機関
- 大学
国公立 |
私立 |
- 短期大学
- 北陸学院短期大学
- 星稜女子短期大学
- 専門学校
- 高等専門学校
[編集] 高等学校
- 県立
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- 国立・市立
- 金沢大学教育学部附属高等学校(国立)
- 金沢市立工業高等学校
- 私立
[編集] 小学校、中学校
- 中学校
- 国立1校、県立1校、市立24校1分校、私立2校
- 小学校
- 国立1校、市立58校1分校、私立1校
[編集] 特殊教育学校
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[編集] 施設
[編集] 図書館
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[編集] 美術館・博物館
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[編集] ホール、その他の文化施設
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[編集] 公園・緑地
- 西部緑地公園 - 1974年開設 49.6ha
- 健民海浜公園 - 1971年開設 47.1ha
- 奥卯辰山健民公園 - 1971年開設 41.6ha
- 犀川緑地 1978年開設 32.7ha
- 北部公園 - 1989年開設 20.7ha
- 兼六園 - 1874年公開 国指定特別名勝 11.7ha
- 金沢城公園 - 2003年開設 11.0ha(完成部分のみ)
- 本多の森公園 - 1978年開設 5.9ha
- 大野湊緑地公園 - 1997年開設 2.7ha
- 鞍月セントラルパーク - 2003年開設 1.7ha
- 玉川公園 - 1979年開設 1.5ha
[編集] 交通
[編集] 鉄道路線
- 中心駅:金沢駅
※北陸鉄道の両線は連絡していない。石川線は西金沢駅で、浅野川線は金沢駅で、JR線に乗り換えできる。車両の乗り入れはしていない。
- 隣接市町村への連絡
- 内灘町へ:北陸鉄道浅野川線
- 津幡町、野々市町、白山市へ:北陸本線
- 野々市町、白山市へ:北陸鉄道石川線
[編集] 広範囲な連絡
金沢駅にはJR西日本の以下の在来線定期特急・急行列車が発着し、県外12の道府県へ直通している。
- 新幹線からの連絡
後に北陸新幹線が開業予定である。現在、新幹線との連絡は、特急しらさぎ号を利用して米原駅又は名古屋駅で東海道新幹線、特急雷鳥号又はサンダーバード号を利用して京都駅又は新大阪駅で山陽新幹線、特急はくたか号を利用して越後湯沢駅又は特急北越号を利用して長岡駅で上越新幹線とそれぞれ連絡している。
[編集] 航空路線
市内に空港は無いが、IATA都市コードはQKWがあてられている。金沢駅から連絡バスで約40分の小松空港(空港コードKMQ)から、東京・羽田便11便、成田便1便、札幌便1便、仙台便1便、福岡便3便、沖縄便1便、ソウル便週4便、上海便週3便が就航。
[編集] 路線バス
- 北陸鉄道グループ
- 地下鉄や路面電車などのない金沢市では、最大の公共交通機関。
- 最大の収益源である金沢駅~小松空港間の連絡バスを始め、金沢市街地にくまなく、都市型で高頻度の路線網を持つ。又、観光用には特製のボンネットバスを配した城下まち金沢周遊バスが15分間隔200円で走り、観光客に好評。市内定期観光バスのガイド出身の女性運転手が乗務につく事が多い。
- 高速バスは、東京・大阪・名古屋・京都・横浜・八王子・仙台・新潟・富山・高山・松本と、需要のある都市の大半に参入を済ませている。近年は、人件費圧縮のため、事業所ごとの分社化を進めている。2004年12月にICカード「ICa」を導入。
- 金沢駅~森本駅~福光駅間など、市北部から富山県のみに系統を持つ。過去には福光以遠名古屋駅までの名金線と、能登半島に長大な路線網があったが、いずれからも撤退した。現在は、高速バスの東京・大阪・京都・名古屋路線にも参入している。北陸鉄道グループと共同運行とせず参入した大阪線では、市内の北陸鉄道バス停とは別ルートを経由するものもあり、両社の今後の展開が注視される。
- 金沢市が運営し、民間に委託運行させている旧市街の裏通りを経路としたコミュニティー・バス。フォルクスワーゲン製の車体と100円均一の低料金が特徴。委託運行という形態のため、北陸鉄道グループのバス路線とは、うまく棲み分けされている。運賃の支払いに北陸鉄道のICカード「ICa」が利用できる。
[編集] 道路
- 高速道路
- 一般国道
[編集] 港湾
[編集] マスメディア
※ 全国紙では、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞の三紙は大阪本社(大阪)で発行された物が、読売新聞は北陸本社(高岡)で発行された物が販売されている。なお、読売新聞については夕刊も発行されている。
[編集] 観光
[編集] 主な観光地
江戸時代に金沢城の庭園として作られた兼六園は、水戸の偕楽園、岡山の後楽園とともに日本三名園とされる。名称「兼六」の由来は、宋代の洛陽名園記が指摘する,庭園にとって両立しがたい六つの特性、宏大と幽邃、人力と蒼古、水泉と眺望を兼ね備えていることによる。
この兼六園から百間堀を隔てた金沢城跡には、当時の建造物のうち一部である石川門や三十間長屋などが現存している。この跡地には長らく金沢大学のキャンパスがあり、世界的に珍しい城の中の大学とされてきたが、最近までに郊外への移転を完了。それを契機に、一部の櫓が当時の技術のままに復元され,一般に公開されている。
市内中心部の長町には石畳に整備された路地に並ぶ武家屋敷跡に、よく手入れされた野村家庭園があり、加賀友禅の長町友禅館(旧彩筆庵)と並んで内部を拝観することができる。野村家庭園は、アメリカの日本庭園愛好家の団体から優れた庭園として三位にランキングされた。規模は小さいながらも滝があり、立体的な配置のため街中とは思えない奥行きのある風景が造りだされている。
市内には、犀川と浅野川の二つの対照的な川が流れている。とくに浅野川沿いの東山周辺、東の茶屋街(旧東の郭)には、江戸時代の遊郭に由来する古い町並みが残り内部を改装して飲食店などに再利用されている物もある。東山ひがし地区、主計町は古い町並みが意匠的に優秀だとして重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。その背後にある卯辰山からは、市街地から遠く日本海までを見渡すことができる。
犀川からほど近い寺町の妙立寺は、内部に外敵を避けるための隠し通路や階段などの工夫が施されていることから「忍者寺」と呼ばれ、老若男女を問わず人気がある。海外のガイドブックにも紹介されている。
この他、安江町の安江金箔工芸館では金箔の製造工程や箔打ちなどの実演を観ることができる。
金沢市の海に面した地域に大野地区がある。 大野は醤油の産地で、今でも醤油蔵が立ち並んでいる。 大野地区は港に面しており、蔵の町並みと港町が合わさった独特の風情を楽しむことができる。
ただ金沢の街全体としては、豪雪地帯のため家屋の維持が難しく、伝統的な家屋の比率は少ない。それぞれの観光スポットも範囲が狭く、地方都市にありがちな猥雑観も否めない。京都のような街歩きを楽しめる場所は少ない。 意外に見所が少なかった、という観光客の声もよく聞かれる。 北陸地方最大の都市として開発が進む一方、景観をどう保護していくが課題である。
[編集] 祭礼
金沢百万石まつりが有名。前田利家の金沢入城を模した行列が街の中を練り歩く。毎年6月ごろ有名人を迎え盛大に行われるが、この祭りは比較的最近始まったもので伝統的なものではない。金沢には大きな伝統行事が無く、むしろ小松市や能登地方に規模の大きい祭礼がある。
[編集] 寺社
市内には、神社が330余り、仏教寺院が390余りある。仏教寺院を宗派別に見ると、他宗派が17世紀からほぼ横ばいなのに対して浄土真宗の寺院のみが3倍あまりに増加し、寺院全体の半数を超える210寺が立つ。その内の192寺が真宗大谷派である。
[編集] 神社
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その他の主な神社 |
[編集] 寺院
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[編集] 名産品
- 森八「長生殿」(日本三名菓の一つとされる、和三盆を用いた上質な落雁)
- かぶら寿司 (蕪で鰤の塩漬けを挟んで発酵させた熟れ鮨の一種)
- ゴリ料理 (佃煮、唐揚げ、天ぷら、照り焼き、白味噌仕立てのゴリ汁など)
[編集] 伝統工芸
[編集] 温泉
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[編集] 金沢市を舞台とした作品
- 56.津幡にかえり乗り換えて ゆけば金沢ステーション 百万石の城下とて さすが賑う町のさま
- 57.名も兼六の公園は 水戸岡山と諸共に かぞえられたる吾(わが)国の 三公園の其(その)一つ
- 58.柳みどりに花赤く おちくる滝の水白し 雲にそびゆる銅像は 西南役の記念碑よ
- 59.第九師団も県庁も 皆此(この)町にあつまりて 海の外(ほか)までひびきたる その名物は九谷焼
[編集] 金沢市出身の有名人
[編集] 政財界
[編集] 学界
[編集] 芸術
[編集] 芸能
[編集] スポーツ
- 出島武春(大相撲)
- 金森栄治(プロ野球・福岡ソフトバンクホークス打撃コーチ)
- 村田勝喜(プロ野球・元福岡ダイエーホークス投手)
- 村松有人(プロ野球・オリックス・バファローズ外野手)
[編集] その他
- 日本の音風景100選
- 本多の森の蝉時雨
- 寺町寺院群の鐘
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 日本の都道府県庁所在地
-
北海道: 札幌市 東北: 青森市 | 盛岡市 | 仙台市 | 秋田市 | 山形市 | 福島市 関東: 水戸市 | 宇都宮市 | 前橋市 | さいたま市 | 千葉市 | 東京特別区(新宿区) | 横浜市 甲信越: 甲府市 | 長野市 | 新潟市 北陸: 富山市 | 金沢市 | 福井市 東海: 岐阜市 | 静岡市 | 名古屋市 | 津市 関西: 大津市 | 京都市 | 大阪市 | 神戸市 | 奈良市 | 和歌山市 中国: 鳥取市 | 松江市 | 岡山市 | 広島市 | 山口市 四国: 徳島市 | 高松市 | 松山市 | 高知市 九州/沖縄: 福岡市 | 佐賀市 | 長崎市 | 熊本市 | 大分市 | 宮崎市 | 鹿児島市 | 那覇市