CLASSICISTRANIERI HOME PAGE - YOUTUBE CHANNEL
SITEMAP
Audiobooks by Valerio Di Stefano: Single Download - Complete Download [TAR] [WIM] [ZIP] [RAR] - Alphabetical Download  [TAR] [WIM] [ZIP] [RAR] - Download Instructions

Make a donation: IBAN: IT36M0708677020000000008016 - BIC/SWIFT:  ICRAITRRU60 - VALERIO DI STEFANO or
Privacy Policy Cookie Policy Terms and Conditions
太平洋戦争 - Wikipedia

太平洋戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

保護:このページ「太平洋戦争」は、荒らし編集合戦などを理由として、保護の方針に基づき編集保護されているか、あるいは保護依頼中です。現在の記述内容が正しいとは限りません。保護されている場合はノートで合意を形成した後に、保護の解除を依頼してください。
Disambiguationこの項目では第二次世界大戦の太平洋戦争について説明しています。チリ共和国とボリビア共和国、ペルー共和国との間の太平洋戦争については太平洋戦争 (南米)をご覧ください。

太平洋戦争(たいへいようせんそう、:Pacific War)は、第二次世界大戦の内1941年12月8日大本営発表日)から1945年8月15日玉音放送(停戦)を経て、9月2日に降伏調印の期間における、大日本帝国と、主にアメリカイギリスオランダなど連合国との戦争の呼称の一つである。もともと太平洋戦争とはアメリカを始めとする、連合国側での呼称であった(アメリカでは、ただ単に、‘The War:例の戦争’と呼ぶ事が多かった)。当時の日本では日中戦争を支那事変と呼ぶともに大東亜戦争と呼称していた。

目次

呼称に関する議論

戦前において、日本では、アジア太平洋戦争大東亜戦争と呼称していた。大東亜戦争という呼称は、1941年(昭和16)12月10日の大日本帝国の閣議決定、「今次の対米英戦争及今後情勢の推移に伴い生起することあるべき戦争は支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」にちなむ(12月12日発表)。当時、大半のアジア諸国が欧米諸国の植民地支配下にある中で、大東亜戦争と呼称するのは、「大東亜新秩序建設を目的とする戦争なることを意味するものにして戦争地域を主として大東亜のみに限定する意味にあらず」(情報局発表)として、この戦争はアジア諸国における欧米の植民地支配の打倒を目指すものと規定し、これは1943年(昭和18)11月の大東亜会議で「再確認」がなされている。

日本において太平洋戦争という呼称は、降伏後に当時の大東亜戦争という呼称が、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)により公文書において使用することが禁止されたため、連合国側表記に合わせる形で利用されるようになった。戦後制定された法律では全て「太平洋戦争」という語句を用いており(「沖縄振興特別措置法」平成十四年三月三十一日法律第十四号 等)、法律用語としてはこの呼称が定着している事から、現在では一般的に「太平洋戦争」が使われることが多い。 また、海軍は大戦中一貫して「太平洋戦争」の呼称を用いていた。

太平洋戦争ではなく大東亜戦争と呼称すべきとする説は次のようなものである。日本においては閣議で決定した呼称であり、戦後も日本政府がこの決定を公式に否定した事実はなく、東京裁判史観に基づいた侵略戦争としての側面を徒に強調するものであるので、太平洋戦争の呼称ではなく、大東亜戦争の呼称を用いるべきであるし、日本が主権を回復した現在では「大東亜戦争」が正式な呼称である。

これに対し、「大東亜戦争」の呼称に否定的な意見としては、大東亜戦争の呼称の使用を主張する意見は、右派勢力を中心に大東亜戦争の思想背景でもある大東亜の理念を揚げ、戦争は解放戦争だった、良い面もあったなどといった見解を示す者が多いこと、またこのことから「大東亜戦争」の呼称を使用する事が「戦争賛美」、「復古的国粋主義を煽る」、「中韓を初めとしたアジア諸国への侵略に対する反省が乏しい」ことを表しているとして、使用に反対する意見も根強い。

なお、1931年の満州事変、1937年の盧溝橋事件に始まる日中戦争を太平洋戦争と一体のものとして「十五年戦争」と呼称することもある。

また、主戦場がアジアと太平洋に広がっていた面から、近年ではアジア・太平洋戦争と呼ぶことが提唱されている。

戦争への経緯

真珠湾攻撃に向かう日本海軍機
拡大
真珠湾攻撃に向かう日本海軍機

1937年に勃発した盧溝橋事件日中戦争)の後、日本と、アメリカイギリスオランダ等との間で、対立が深まっていた。双方は以前から中華民国における利権を巡り対立していた。日本は中華民国領へ侵出していた。これに対し、アメリカ、イギリス、オランダ等は日本に対して中華民国領への侵出を停止することを求めた。その中でアメリカ、イギリス、オランダは中華民国とともに石油鉄鋼の輸出制限などの措置をとる様になる(ABCD包囲網)。これを自国に対する挑戦であると反発した日本はドイツイタリア日独伊三国軍事同盟を締結し、発言力を強めようとしたが、かえって日独伊と英米などとの対立に拍車をかける結果となった。

1941年4月から日本の近衛文麿内閣は関係改善を目指してワシントンでアメリカと交渉を開始したが、7月に日本軍がフランス領インドシナへ侵出すると、両者の関係は決定的に悪化し、アメリカは在米日本資産の凍結、日本への石油輸出の全面禁止などを通告した。

10月に近衛内閣から代わった東條英機内閣は、11月20日アメリカに対する交渉最終案を甲乙二つ用意して来栖三郎特命全権大使、野村吉三郎大使にハル国務長官に対し交付し以後の最終交渉に当たったが、蒋介石ウィンストン・チャーチル(イギリス首相)の働きかけもある中11月26日朝、アメリカ海軍から台湾沖に日本の船団の移動報告を受けた(実際は輸送船でアメリカ海軍が故意に過大な報告をした。)ルーズベルト(アメリカ大統領)は両案とも拒否し、中華民国・インドシナからの軍、警察力の撤退や日独伊三国同盟の否定などの条件を含む、いわゆるハル・ノートを来栖三郎特命全権大使、野村吉三郎大使に提示した。これを日本に対する最後通牒と受け取った東条内閣は12月1日の御前会議において、日本時間12月8日の開戦を決定した。

最後通牒交付

最後通牒は日本時間で12月8日月曜日午前3時、ワシントン時間で12月7日午後1時に手交する予定であった。

12月6日午前6時30分の「第901号電」パイロット・メッセージから7日午前2時までに14部ある最後通牒と7日午前3時30分の「第907号電」(12月7日午後1時に手交の指令)はアメリカにある日本大使館に分割電送、指令により電信課の書記官2名が暗号解読タイプすることになった。

書記官室の寺崎英成書記官(敗戦後に外務次官)転勤の送別会が終了した後(タイプの一等書記官奥村勝蔵は友人とトランプをした)、井口貞夫参事官の指示で当直もなく、午前10時に出勤した電信課により最後通牒が作成され、日本時間で12月8日月曜日午前4時20分、ワシントン時間12月7日午後2時20分に来栖三郎特命全権大使野村吉三郎大使が米国務省コーデル・ハル国務長官に「対米覚書」を手交した。(平成6年(1994年)11月20日公開された1946年調査の外務省の公文書『「対米覚書」伝達遅延事情に関する記録』による。)

  • 外部リンク[1]
  • 参考書:斎藤充功 『昭和史発掘 開戦通告はなぜ遅れたか 』新潮新書 新潮社 ISBN 4106100762

戦争の経過

開戦初期

1941年12月7日に、日本海軍特殊潜航艇が、アメリカ領海内のハワイ真珠湾周辺の航行制限区域に侵入していた。現地時間12月7日午前6時40分(日本海軍雷爆撃開始直前)、アメリカ海軍駆逐艦ワード号(U.S.S. Ward)が、同区域においてその特殊潜航艇を砲撃および爆雷攻撃、撃沈した。「ワード号事件

日本軍機の攻撃を受け炎上するアメリカ海軍戦艦・ウエスト・ヴァージニア(BB-48)
拡大
日本軍機の攻撃を受け炎上するアメリカ海軍戦艦・ウエスト・ヴァージニア(BB-48)

1941年12月8日(日本時間)、日本海軍はアメリカ太平洋艦隊の基地であるハワイオアフ島真珠湾真珠湾攻撃、ハワイ海戦)と、アジアにおけるイギリスの拠点であるシンガポール攻略のために、当時イギリスの植民地であったマレー半島のコタバルに奇襲攻撃を仕掛け、アメリカ、イギリスと交戦状態に入った。

日本海軍は、山本五十六連合艦隊司令長官が考案し、後に一般的となった航空母艦を主力とした航空戦力(第1航空艦隊(通称は機動部隊)ら)による攻撃戦術で真珠湾におけるアメリカ海軍太平洋艦隊の奇襲攻撃いわゆる真珠湾攻撃を行なった。肝心の空母機動部隊は出払っており、完全に撃沈したと思われた艦艇も後に引き上げられて戦線に投入されている。また、二回行った航空攻撃では港湾施設と重油タンクへの攻撃はほとんど皆無で、三回目の航空攻撃を進言した部下の意見を南雲忠一第一航空艦隊司令長官は主攻撃目標であったはずのアメリカ空母機動部隊の所在が掴めなかったことと、燃料不足が理由で了承しなかった。

マレー沖海戦で日本軍機の攻撃を受け回避行動を行うイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルス
拡大
マレー沖海戦で日本軍機の攻撃を受け回避行動を行うイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルス

一方、マレー沖では日本海軍はイギリス海軍の最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ巡洋戦艦レパルスを撃沈した(マレー沖海戦)。航空機が戦闘航行中の戦艦を撃沈するのは史上初めてであり、この戦闘で航空機優位を世界に示すこととなったが、当の日本海軍はそれを重要視することはなかった。フィリピンシンガポールジャワ島スマトラ島ボルネオ島(当時)など日本が求めていた資源産出地域は緒戦において日本陸軍の占領地となった。日本としては、第一段作戦は先制攻撃であることを含めても当初の予想を大きく下回る損害で成功裏に終わった。

転換期

開戦以降、日本が快進撃を続けていた戦いの転機となったのがミッドウェー海戦である。ミッドウェー攻略に空母機動部隊が投入されることをアメリカ海軍は日本海軍の暗号無線を解読して察知。日本海軍は参加した空母4隻すべてが撃沈され、真珠湾攻撃以来のベテランパイロットも消耗し、大打撃を受けた。アメリカ海軍はガダルカナル島上陸を機に反攻に転じ、ソロモン海域で激しい戦闘が行われて双方とも多くの艦艇や航空機を失った。南太平洋海戦では太平洋でのアメリカ海軍の稼働空母を一時的に0とするなどしたが、結果、国力に劣る日本は守勢に追い込まれていった。

太平洋では、次第に制海権を失いつつある日本海軍に対し、アメリカ海軍はドイツのUボート戦法に倣って、潜水艦による輸送艦攻撃を行い、徹底してシーレーン破壊作戦を実行、物資や資源輸送を封じ込めた。

マリアナ沖海戦での日本海軍の敗北の結果、マリアナ諸島がアメリカに占領され、日本列島の本州への直接の空襲が可能になった。アメリカ軍はドイツ国がイギリスに行った空爆を模範に、徹底的な日本本土への軍人、民間人への無差別空爆を行った。東京大空襲大阪大空襲などがこれにあたる。

日本陸軍ガダルカナル島での戦闘やインド北部でのインパール作戦等の失敗で後退が続いていた。

戦争末期

アメリカ海軍の攻撃を受け沈没する日本海軍空母・瑞鶴
拡大
アメリカ海軍の攻撃を受け沈没する日本海軍空母・瑞鶴

レイテ沖海戦は世界史上最大の海戦となり、太平洋戦争において最後の大戦闘となった。この戦闘でアメリカ海軍は日本海軍をほぼ壊滅状態とさせ、以後海軍はまともな作戦行動は出来なくなった。

この際、日本海軍は航空機による特攻を行い、アメリカ海軍の護衛空母1隻を大破撃沈するという戦果を挙げた。この結果によって特攻は過大評価され、そのまま日本海軍の重要作戦として位置づけられ終戦まで続けられることになる。この神風特攻はアメリカ海軍の乗組員達を恐怖に陥れはしたが、戦局を変えるには至らなかった。日本は、南方の資源輸送航路の安全保障のために確保したフィリピンを失ったことにより資源輸送が途絶え、これはすなわち戦争継続の力がなくなったことを意味した。

その後、硫黄島をアメリカ海軍が占領し、続いて沖縄で戦闘が行われ、日本の敗戦は濃厚となっていた。そして1945年5月には、ヨーロッパではドイツ国が降伏し、戦争は終結していた。この間外務省を通じて、当時日ソ中立条約によって国交のあったソビエト社会主義共和国連邦に終戦の調停を申し入れたが拒否された。

長崎への原爆投下
拡大
長崎への原爆投下

日本は、米英中の三カ国によるポツダム宣言に対し、本土決戦ありきと継戦強硬派の軍部を抑え切れず、態度を保留していたうちにアメリカによって、人類史上初の広島市への原子爆弾投下長崎市への原子爆弾投下攻撃をされた。

米国の原爆投下は、戦後のアジアの利権のためのソビエト社会主義共和国連邦への牽制、またドイツへの攻撃予定がなくなったために行なわれたという見方も強い。この時すでに日本の敗戦が決定的なものとなっており、事実、日本政府が終戦に向けての交渉を各方面で進めていた(米国の科学者達は“ドイツより先に核を”と尻を叩かれていた)。ドイツの核開発についてはU-234を参照せよ。

8月9日、ソ連邦は日ソ中立条約を破棄し、対日宣戦布告をして満州・朝鮮北部・南樺太に侵入した。ソ連邦による調停の望みはここに絶たれる。

降伏

1945年8月10日、日本政府は同盟通信社及び日本放送協会の短波を利用して、「天皇の大権が侵されない」ことを条件にポツダム宣言の受諾を全世界に通告、8月14日に御前会議において宣言の受諾を正式に決定し、8月15日、昭和天皇の声明を録音したレコードで、全国に同宣言の受諾を国民に知らせる玉音放送が行なわれた。

武装解除などを経て戦闘が終息した後、1945年9月2日東京湾内に停泊したアメリカ戦艦ミズーリにおいて日本政府全権重光葵外務大臣と大本営全権梅津美治郎参謀総長による降伏文書への調印による降伏がなされ、ここに、太平洋戦争はついに終結した。

しかし、沖縄南洋諸島においては兵士達による局所的な戦闘が散発的に続けられ、南樺太千島列島では、9月4日までソ連軍との戦闘が行われた。

年代順の経過については太平洋戦争の年表を参照。

関連書

  • 『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』佐藤卓己 筑摩書房 ISBN 4480062440

日系人の強制収容

戦争中にアメリカ、ペルーをはじめ南米13カ国日系移民をアメリカ本国や自国の強制収容所に強制移動させられた。詳しくは日系人の強制収容参照。

戦後処理

昭和天皇とマッカーサー(1945年)
拡大
昭和天皇とマッカーサー(1945年)

戦後、東京にアメリカ陸軍の元帥であるダグラス・マッカーサーを総司令官とする連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が置かれた。沖縄奄美諸島小笠原諸島トカラ列島は日本本土から切り離されアメリカ統治下におかれた。千島樺太歯舞、色丹はソ連邦に占領された。

戦争裁判

まず初めに戦争責任を追及する東京裁判が開かれ、元総理の東条英機陸軍大将、外交官で元総理の広田弘毅らが連合国により戦犯として裁かれ、7名がA級戦犯として死刑(絞首)に処されたほか、元内大臣の木戸幸一、元陸軍大臣の荒木貞夫らが終身刑、元外相の東郷茂徳は禁固20年、元外相の重光葵は禁固7年となった。なお、昭和天皇は裁判を免れたほか、岸信介児玉誉士夫笹川良一正力松太郎らは不起訴となった。また、フィリピンや中華民国など各地で同じように戦争裁判(B、C級戦犯)が行われた。一部の人々は、これらの裁判に対して、裁判の体を成していないものも多く、多くの無実の人も罪に問われ処刑されたと、批判している。

改革

次に治安維持法の廃止や日本国憲法の制定を行い戦後体制を確立した。また、内務省の廃止や財閥解体農地改革など矢継ぎ早に民主化と称する改革を行ったが、民主化政策はその後の冷戦体制のため変更され、警察予備隊の設置や共産党員の公職追放(レッドパージ)が行われた。その後締結された1952年サンフランシスコ講和条約により連合国総司令部は廃止となり、戦後処理は終了した。

戦争の評価(日本)

太平洋戦争の評価については、戦後ずっと歴史家だけでなく知識人、作家、一般市民などを巻き込んだ議論の的となっており、さまざまである。

加害者としての見方

加害者としての見方は、日本がアジアの諸外国に対して行った侵略や植民地化などの行為について誤った政策とし、日本が行った太平洋戦争を否定的にとらえるものである。またこの見地にたつ人々の一部は、従来の戦争理解について、戦争の被害者の立場(空襲原子爆弾による被害、各地の地上戦など)を侵略者=加害者としての立場からの反省が足りないと、主張している。

これに関連して、中華人民共和国、韓国を中心とした日本に対する戦争責任の追及については、単なる反日教育によるアジテーションというよりも、アジア諸国に見られた閉鎖的で抑圧的な独裁体制の下にあって権利を主張することができなかった当事国の民衆が権利意識の高まりによって戦争の当事国である日本に国家、権力者の過ちによる戦争での被害の権利回復を求める運動の一環と主張する当事者も少なくない。近年になって日本の加害責任の追及の声が大きくなっていることについては、こうした点が背景にあるとの意見が加害責任を追及する人々を中心に主張されている。

解放者・自衛戦としての見方

解放者としての見方は、アジア諸国が戦後独立を果たせたのは、アメリカやイギリスなどのアジア諸国を植民地化においていた国々との間で戦争を行っていたことが要因の一つであるとし、太平洋戦争を肯定的に評価するものである。この見地にたてば、日本は加害者であるという戦争理解やアジア諸国に対する謝罪が頻繁に行われる事が、自虐的過ぎるということになる。

また、自衛戦としての見方は、ABCD包囲網によって日本が圧迫され、これを打開するために対英米蘭戦に踏み切ったとするものである。また、アメリカが日本の大陸利権を否定することで圧力を加え、併せて人種的偏見による移民規制や、日系アメリカ人に対して人種差別的な政策を行ったことが、日本人の反米感情を刺激し、対米戦へと踏み切らせたとの考えもある。

両方の面があるとする見方

この戦争には「2つの側面」があるという研究者がいる。1つ目は中華民国への侵略及び、侵略を継続するために必要な油田と防衛拠点確保のために行った東南アジアの占領。2つ目は、1つ目の目的遂行のために行われたアメリカ、イギリス、オランダなどの連合国との戦争である。アジアに対しては「侵略」、欧米に対しては「帝国主義国家間の覇権をめぐる戦争」であり、先の大戦は二つの側面があるのであってこれらを無視すると、この戦争は見えてこないとしている。

戦争の評価(アジア)

実際に日本が侵略した中国(当時は中華民国、現在は中華人民共和国)や、日本の植民地支配を受けていた朝鮮半島(現韓国北朝鮮)においては日本の責任を厳しく問う意見が強い。しかし、かつて植民地・占領地でありながらも日本から直接被害を受けていない中華人民共和国・南北朝鮮以外のアジア諸国からは、日本を加害者とする評価だけではなく、それ以外の評価を見ることができる。加害者とする以外の評価があるのは、アジアには多民族国家が多く各集団によって世界観が大きく異なるためであるとも言われている。そのうち、直接に被害を受けていない地域では日本を評価する声があるとも、実際のところは少数派であるとも言われている。これには、当地の人々にしてみれば独立は主として自分たちの力で達成したものという意識が反映していることに加えて、すでにそれぞれが以前に比べて国民国家化していることも関係する。

一部のアジア諸国で日本の責任を厳しく問う意見が弱い理由については、純粋に日本の侵攻が独立に貢献したと評価されているケース、建国の功労者に、日本の後押しで権力の座に就いた者がいるケース、また単純に反米的なイデオロギーを持っていたケース、あるいは軍事政権の雛形として評価せざるを得ないケースなど様々であり、その理由を一概にまとめることは難しい。日本の責任を厳しく問う意見が弱い理由として、日本の支配が強圧的であれども旧宗主国のそれに比べれば相対的にマシなものであったからという説もある。これとは逆に、日本の支配ののちに侵入してきた支配者への反感から日本への責任を問う声が比較的厳しくないという地域もある。

「占領地の多くで日本が近代化を推し進めたことに起因する」という説もあるが、ヨーロッパ諸国の統治下でもかなり近代化されていたとの指摘がある。また、日本による近代化は“何のため・誰のための近代化だったのか”と恩恵とは言えなかったとする意見もある。これに対しては日本の自衛も含めた「アジアの近代化」の為であるとする反論がある。

また、日本に協力する人々がいた一方、宗主国に協力して日本と敵対する人々もいた。この場合は、戦争が終わったのち、親日派も宗主国協力派も独立のために戦ったケースが多い。

台湾における評価が相対的に高い理由

台湾では戦時中、アメリカ合衆国軍による空襲等はあったが、地上戦は行われなかった。また、台湾自体が兵站基地であったため、食糧など物資の欠乏もそれほど深刻ではなかった。

戦後になって大陸から入ってきて強権政治を行った過去のある中国国民党に対する批判により、相対的に日本の植民地政策を評価する人もいる。(「犬(煩いかわりに役には立つ)の代わりに豚(食べるばかりで役たたず)が来た」と言われている。)また、それらの大日本帝国を評価する勢力の一部には太平洋戦争についても解放戦争であったと位置付けている人もいる。

台湾地域は中華民国ないし中華人民共和国の一部であると主張する勢力の中には、日本の支配を中華民国への侵略行為に過ぎないと評し、太平洋戦争も侵略であったと評する意見がある。

太平洋戦争時には台湾でも徴兵制や志願兵制度などによる動員が行われ、多くの台湾人が戦地へと赴いた。これについての評価も分かれている。当時は日本国民であったのだから当然とする人もいれば、不当な強制連行であったと批判する人々もいる。当時は日本国民であったのに死後靖国神社に祀られないのは差別であると批判をする人もいれば、その反対に靖国神社への合祀は宗教的人格権の侵害であるとして日本政府を提訴している人々もいる。また、戦後、軍人恩給の支給などについて日本人の軍人軍属と差別的な取り扱いがなされたことに対する批判もある。

また、中華民国にも大韓民国フィリピン共和国オランダ王国などと同様従軍慰安婦になることを強いられた女性達がいるとして、日本国政府を相手に損害賠償を求める動きも出ている。なお従軍慰安婦という言葉自体、議論の対象になっている。つまり自発的にそれになったもしくは怪しげな業者にだまされたりしたもの。一例として当時のいわゆる従軍慰安婦は軍票の簿価の総計だけのみで換算して「当時の日本の総理大臣をはるかに上回る収入を得ていた」とする試算もある。現在台湾では、太平洋戦争・その前段階の日本統治時代についてどう評価するかについては政治的な論点のひとつとなっている。日本の支配に対する評価についての詳細は、日本統治時代 (台湾)にある戦後の評価の項を参照。

(なお、台湾での戦争観を語る際に、台湾本省人親日であり日本支配肯定論、外省人反日抗日的であるとの見方があるが、実際はそれほど単純ではない。省籍矛盾については特定の政治家選挙運動で煽ることによって起こる面も否定できず、そうした背景を理解しないで台湾戦争観を論じると誤解が生じるおそれがある。本省人には、福建系と客家系がいること、また台湾人を語る際には台湾先住民の問題が欠けている傾向が見られること、省籍については近年外省人福建系をはじめとした本省人の垣根が解消される傾向にあること、外省人はエリートと低所得層との格差が激しく多様であること、低所得層の外省人台湾先住民との婚姻のケースが多いなど単純ではない。)

関連項目

関連書籍

  • 『太平洋戦争の謎 魔性の歴史=日米対決の真相に迫る』佐治芳彦 大日本帝国文芸社 ISBN 4-537-25080-1

外部リンク

  • 宣戦の詔勅
  • 開戦と終戦 開戦の臨時ニュースと、終戦の詔勅(玉音放送)を、文字と音声で確認できる。
  • American Rhetoric アメリカ合衆国史上の有名な演説を集めたサイト(英語)。フランクリン・ルーズヴェルト大統領が議会で行った真珠湾攻撃の報告 "Pearl Harbor Address to the Nation" を文字と音声で確認できる(Top 100 Speeches → All Speeches by Decade → 08 Dec 1941)。-->
Static Wikipedia 2008 (no images)

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - en - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu -

Static Wikipedia 2007 (no images)

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - en - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu -

Static Wikipedia 2006 (no images)

aa - ab - af - ak - als - am - an - ang - ar - arc - as - ast - av - ay - az - ba - bar - bat_smg - bcl - be - be_x_old - bg - bh - bi - bm - bn - bo - bpy - br - bs - bug - bxr - ca - cbk_zam - cdo - ce - ceb - ch - cho - chr - chy - co - cr - crh - cs - csb - cu - cv - cy - da - de - diq - dsb - dv - dz - ee - el - eml - eo - es - et - eu - ext - fa - ff - fi - fiu_vro - fj - fo - fr - frp - fur - fy - ga - gan - gd - gl - glk - gn - got - gu - gv - ha - hak - haw - he - hi - hif - ho - hr - hsb - ht - hu - hy - hz - ia - id - ie - ig - ii - ik - ilo - io - is - it - iu - ja - jbo - jv - ka - kaa - kab - kg - ki - kj - kk - kl - km - kn - ko - kr - ks - ksh - ku - kv - kw - ky - la - lad - lb - lbe - lg - li - lij - lmo - ln - lo - lt - lv - map_bms - mdf - mg - mh - mi - mk - ml - mn - mo - mr - mt - mus - my - myv - mzn - na - nah - nap - nds - nds_nl - ne - new - ng - nl - nn - no - nov - nrm - nv - ny - oc - om - or - os - pa - pag - pam - pap - pdc - pi - pih - pl - pms - ps - pt - qu - quality - rm - rmy - rn - ro - roa_rup - roa_tara - ru - rw - sa - sah - sc - scn - sco - sd - se - sg - sh - si - simple - sk - sl - sm - sn - so - sr - srn - ss - st - stq - su - sv - sw - szl - ta - te - tet - tg - th - ti - tk - tl - tlh - tn - to - tpi - tr - ts - tt - tum - tw - ty - udm - ug - uk - ur - uz - ve - vec - vi - vls - vo - wa - war - wo - wuu - xal - xh - yi - yo - za - zea - zh - zh_classical - zh_min_nan - zh_yue - zu -

Sub-domains

CDRoms - Magnatune - Librivox - Liber Liber - Encyclopaedia Britannica - Project Gutenberg - Wikipedia 2008 - Wikipedia 2007 - Wikipedia 2006 -

Other Domains

https://www.classicistranieri.it - https://www.ebooksgratis.com - https://www.gutenbergaustralia.com - https://www.englishwikipedia.com - https://www.wikipediazim.com - https://www.wikisourcezim.com - https://www.projectgutenberg.net - https://www.projectgutenberg.es - https://www.radioascolto.com - https://www.debitoformtivo.it - https://www.wikipediaforschools.org - https://www.projectgutenbergzim.com