中央本線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中央本線(ちゅうおうほんせん)は、東京都千代田区の東京駅から長野県塩尻市の塩尻駅を経由して愛知県名古屋市中村区の名古屋駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)と東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(幹線)である。
このうち東京駅~塩尻駅間は東日本旅客鉄道(JR東日本)、塩尻駅~名古屋駅間は東海旅客鉄道(JR東海)の管轄となっている。
なお鉄道要覧上は、重複する東京駅~神田駅間は東北本線、代々木駅~新宿駅間は山手線となっている(→詳しくは概要を参照)。
目次 |
[編集] 路線データ
- 管轄・路線距離(営業キロ)
- 東京~名古屋 全長424.6km
- 神田~代々木・新宿~名古屋 全長422.6km
- 東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 東京~塩尻 222.1km
- 神田~代々木 8.3km
- 新宿~塩尻 211.8km
- 岡谷~辰野~塩尻 27.7km
- 東京~塩尻 222.1km
- 東海旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 塩尻~名古屋 174.8km (金山~名古屋間3.3kmは東海道本線と並行)
- 日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者)
- 新宿~塩尻 (211.8km)
- 岡谷~辰野~塩尻 (27.7km)
- 塩尻~名古屋 (174.8km)
- ※注:斜体は鉄道要覧上のデータ。全長には括弧内の第二種鉄道事業のキロ程は含まない。
- 駅数:112駅(JR東日本73駅、JR東海39駅。起終点駅含む、JR東海は塩尻駅除く。JR東日本は東京駅を含む)
- 複線区間:
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 運転指令所:
- 東京~小淵沢 東京総合指令室
- 小淵沢~塩尻 長野輸送指令室
- 塩尻~名古屋 東海総合指令所
- 閉塞方式:複線自動閉塞式(複線以上の区間)、単線自動閉塞式(単線区間)
- 保安装置:
- 最高速度:
- 東京~高尾 130km/h
- 高尾~名古屋 120km/h
[編集] 概要
東京駅~神田駅間は国鉄民営化時に当時の運輸省に提出された事業基本計画及び国土交通省監修『鉄道要覧』では東北本線となっており、代々木駅~新宿駅は山手線となっているが、これは先行敷設路線との営業距離の重複計上を行わないためのものであり、線路は独立している。なお、金山駅に東海道本線のホームが設けられたことで同様に東海道本線と重複することになった金山駅~名古屋駅間(ただし同駅間にある尾頭橋駅に中央線ホームはない)は現在も重複計上されている。
岡谷駅から塩尻駅までの間は、山脈を避けて辰野駅を経由していたが、1983年7月に全長約6kmの塩嶺トンネルを抜けるみどり湖駅経由の短絡線が開通してこちらが本線となり、大幅なスピードアップが実現した。どちらの線区も中央本線に属し、旧来の区間(辰野駅経由)は支線となっている。この支線は「辰野支線」または「辰野線」、あるいはみどり湖駅・塩嶺トンネル経由を「新線」と呼ぶのに対して「旧線」などと呼ばれ、また、伊藤大八という代議士が誘致したと言う話から大八回りとも呼ばれることがある。なお現在、岡谷駅~塩尻駅間に運行される列車のほとんどが本線を経由するため、あまり使用されないが、本線は「みどり湖経由」、支線は「辰野経由」と案内される。
運転形態や進行方向が塩尻駅を境に異なることから、
- 東京駅~塩尻駅:中央東線
- 塩尻駅~名古屋駅:中央西線
と呼び区別することがある。どちらの線の列車も、大半が塩尻駅から篠ノ井線松本駅方面に直通しており、両線を直通する旅客列車は基本的にはない。ただし、貨物列車や団体臨時列車などの一部の列車は塩尻駅付近にある両線直通用の単線線路を通り、塩尻駅のホームを経由せず塩尻駅自体を通過する形で両線を直通している。また、後述の臨時急行列車「たてしな」と臨時特急列車「あずさ木曽」号は、塩尻駅4番線ホームで折り返して運転した。なお、中央西線区間については、路線本来の方向とは逆に、名古屋から塩尻へ至る方向(距離標の数字が下がっていく方向)を「下り」として扱う。
また東京圏では、「中央線」の呼称で快速電車が走る東京駅~高尾駅または大月駅間を指すことが多く、「中央本線」および「中央東線」という呼称が、特に特急列車もしくは高尾駅または大月駅から塩尻駅までの中距離電車区間を指すことがある。なお、線区自体の「中央線」と「中央本線」とは同一である。
現在JR東日本は関東において、「本線」を省略して案内するのが通例だが、同線では系統や停車駅の区別として「中央線」と「中央本線」とを呼び分けている(総武本線も同様)。駅の乗り場表示などでは、ラインカラーがオレンジの「中央線」、青の「中央本線」と区別されている(ただし、車内の「東京近郊路線図」では両方とも「中央線」であるほか、相模湖駅ではラインカラーがオレンジでありながら「中央本線」と表示されているなどの例外もある)。
その他「中央本線」列車の新宿~立川間の停車駅は三鷹のみであり、中野、国分寺は時刻表からも外されている(1993年11月までは日野・豊田も通過)。そのため、新宿駅の中央線系ホームにある駅名看板の次駅表記は、中央快速線が主に使用する8番線と10番線は「中野」、特急ホームとかつて大月、甲府方面まで直通の中距離電車が使用していた7番線(ホーム移設時まで。現在の表示は「中野」)・9番線は「三鷹」となっている。しかし、高尾から甲府方面の中距離列車の車内案内では「中央線」の名称で案内される。
[編集] 沿線風景
[編集] 東京~高尾
起点の東京駅を北に出発し、神田で山手線と別れて一路西へと向かい、武蔵野台地の東端の谷にある御茶ノ水駅から複々線に入る。新宿駅までは山手線の内側を横断する形でS字型に路線が敷かれており、神田川や江戸城旧外堀などに沿って都心を走る(新宿ヨドバシカメラの歌にも織り込まれている)。四ツ谷駅付近で地下鉄丸ノ内線をくぐり、トンネルを抜ける。代々木駅付近まで首都高と並行する。特急のほとんどが発着する新宿駅でまた北向きになり、山手線をくぐって西に曲がって、東中野駅付近から立川駅付近まで線路はほぼ東西に直線となる。沿線は中野、杉並など東京のベッドタウンである。複々線は用地は直線だがホームを中心に所々でS字になっている。三鷹で複々線は終わり、三多摩地区に入ると高い建物が減り、各駅の前後を除いてほぼ完全な直線区間となる。2006年現在、高架化工事が進む。立川で南西に曲がって多摩川を渡り、日野から登り勾配にかかって多摩川と浅川の間の丘陵を切通しで越えると八王子盆地に入る。八王子駅の西側からは上り急勾配が始まる。
[編集] 高尾~甲府
東京都市圏輸送と郊外輸送の分界点となっている高尾駅を過ぎると、沿線は山岳地帯となり、遥か先の愛知県の高蔵寺駅に入るまで平野は途絶え、間には甲府盆地・諏訪盆地・松本平・木曾谷・東濃地域などに中小都市が並ぶ。
中央東線は、東京から甲信地方へ向かう路線としてビジネスや観光に利用されているが、高速道路(中央自動車道)との競争が激しく、高速バス(中央高速バス)に客を取られないために、格安の回数券・「トクトクきっぷ」が設定されている。
中央自動車道を北に見ながら小仏峠を通過し、関東平野から出て、神奈川県の北部をかすめ、山梨県に入る。東京周辺を走る通勤型車両でも大月駅や、さらに富士急行線の河口湖駅まで行く列車もある。しかし、高尾~大月間は大雨による運転規制がかかりやすく、防災上の問題点を抱えている。これを解消するための防災工事も継続して行われている。
大月駅を出るとリニアの実験線とも並行するがトンネルの間の防音カバーが見えるのみである。ここから元スイッチバック駅が多数存在し、現在の各駅はホームが急勾配上に作られている。なお旅客用では無いが初狩駅では線路に敷く石、バラストを運ぶ工事用臨時列車用のスイッチバックが今も現役である。
笹子峠を長いトンネルで越えて甲斐大和駅をすぎるとまたトンネル、抜けるとようやく山が開け、甲府盆地を見下ろして下り勾配で滑り込む。この勾配のため路線は塩山駅へと大きく迂回している。
沿線は山の景色が素晴らしく、深田久弥の名著『日本百名山』でも車窓から見える甲斐駒ヶ岳と八ヶ岳が絶賛されている。また甲斐大和駅付近から甲府盆地越しに見る南アルプスも壮観。甲府盆地は桃の栽培が盛んで、春には線路の両側がピンクに包まれ、文字通り「桃源郷」の雰囲気を味わえる。またぶどうの栽培も盛んで、線路沿いにぶどう棚を見ることもでき、富士山も海側に見える。
酒折駅を出てしばらく行った地点より南から来た身延線としばらく並走して、甲府駅に到着。特急「かいじ」は一部を除いてここで折り返す。 また、中央本(東)線の電車往来頻繁区間は東京~甲府までである。
[編集] 甲府~塩尻
甲府駅を過ぎると路線は竜王駅付近までは比較的平坦だがその後は次第に急勾配で北上し、韮崎駅からは八ヶ岳の尾根筋を上る。高原の小淵沢駅をすぎると長野県、信濃境駅からは下りに入り、茅野駅から特急停車駅が並ぶ。単線区間に入って諏訪湖を見つつ、日本のスイスとも呼ばれる諏訪市や岡谷市を抜ける。甲州街道はここ諏訪地方までで、ここから西は、北の高原を佐久から回り込んできた中山道と合流する。ただし、国道20号線は中山道に合流して塩尻市まで進む。
塩嶺トンネルや辰野周りの旧線で松本平に入り、旧駅跡と名古屋方へつながる電留線を左手に、塩尻駅で「東線」と「西線」が背向する。東京方面から東線を走ってきた定期列車はここから篠ノ井線を松本駅方面に向かい、逆に西線を木曽福島駅、名古屋駅方面に向かう定期列車が松本方面から直通してくる。なお塩尻駅の乗り場案内は、ラインカラー青が中央東線に、橙が中央西線に当てられている。
[編集] 塩尻~中津川
塩尻駅を出ると国道19号線沿いに路線は南下し、鳥居峠を越えると深い木曽谷に入り、木曽川の渓谷に沿って渓谷美が楽しめる。単線も残り、旧線のままで制限速度が厳しい場所もある。森林鉄道のあった上松を通りすぎると、名勝「寝覚の床」があり、すぐ上を通るポイントでは、ダイヤに余裕があれば「(ワイドビュー)しなの」も速度を落としてゆっくり見せてくれる。田立~坂下で岐阜県に入り、険しい山々が開けて中津川に着く。
[編集] 中津川~名古屋
岐阜県に入ると木曽川と別れ、線形が良くなり、徐々に沿線も宅地化が進んでくる。盆地や台地を頻繁に上り下りし、庄内川の上流、土岐川が並行するようになる。多治見を過ぎ、県境の渓谷を抜けて愛知県に入ると濃尾平野、完全に名古屋圏となり、次第に都会の喧噪に引き戻される。神領駅には車両基地(神領車両区)がある。金山駅で東海道本線と合流、そのまま名鉄名古屋本線を挟んで並走して、両者の下をくぐり、南西から来る関西本線と合流すると名古屋駅に到着する。
なお中央本(西)線の列車往来頻繁区間は名古屋~中津川までである。
[編集] 運行形態
[編集] 地域輸送
[編集] 東京~高尾(大月)間
いわゆる東京都市圏輸送区間で、御茶ノ水駅~三鷹駅間は複々線である。緩急分離運転が行われており、それぞれ「緩行線」「快速線」(または「急行線」)と呼ばれている。旅客案内上は「各駅停車」および「快速電車」(または「中央快速線」)と呼ばれることが多い。
緩行線では、各駅停車の総武線各駅停車と千葉駅~三鷹駅(早朝夜間には武蔵小金井、立川駅)間で相互直通運転を行なう。また、中野駅~三鷹駅間では、東京地下鉄東西線と相互直通運転を実施している。詳細は、「中央緩行線」並びに「東京地下鉄東西線」を参照されたい。
東京駅から高尾駅までが旧来からの「中央快速線」であるが、都市圏の拡大により大月駅まで運転する本数が増えたために、大月駅までほぼ一体化している。さらに一部は、大月駅から富士急行大月線に乗入れ、河口湖駅まで直通運転を行なっている。
[編集] 高尾(立川・八王子)~塩尻間
いわゆる「中距離電車」区間である。高尾駅(一部立川駅、八王子駅)から甲府駅を経て塩尻駅、篠ノ井線松本駅まで一体的に運転される。甲府駅、小淵沢駅、富士見駅始発や飯田線からの列車の中には松本駅からさらに篠ノ井線を進み、信越本線長野駅まで運転されるものもある。また、一部大糸線方面とも直通運転している列車もある。なお、岡谷駅~塩尻駅間は先述の通り原則的に本線(みどり湖駅)を経由して運転されており、支線区間とは半ば分断されている。支線区間へは、飯田線への直通列車(茅野駅、上諏訪駅、岡谷駅、塩尻駅、長野駅始発)と一部の辰野経由の列車のみが直通運転する。
また、高尾~中津川間には、非電化時代に断面の小さく作られたトンネルを路盤の掘り下げや改修せずに特殊な架線(π架線)を使用して電化した区間が多数存在するため、電車においては上記の中央快速線区間から直通する車両を含め、パンタグラフの取り付け部分または車両全体が低屋根化された車両や、パンタグラフを折りたたみ高さの小さい特殊なもの(PS23、PS24、シングルアーム)に交換するなどの対策がされた車両しか入線できない。このため車両製造会社の工場において落成した新車や私鉄などの転属車を回送する甲種輸送のルートからも中央本線は基本的に外される(例外的に新潟県中越地震の直後にE231系が通過した)。 ただし、構造上もともと一般型より車高が低い電気機関車や特急形車両(屋根上にヘッドライトを持つ車両を除く)はその限りではない。
この区間を通過する東線の電車は201系・115系(一部の初期型は入線不可)・183系・E351系・E257系のほか、185系・215系・255系がある。また253系・E231系も通過可能である。
[編集] 支線区間(辰野支線)
支線区間では辰野駅で運転系統がほとんど分断されており、全区間通して運転される定期列車は僅かしか設定されていない。
岡谷駅~辰野駅間を走る列車の大半は飯田線に直通し、事実上、飯田線の一部のようになっている。ただし、管轄はJR東日本なので、飯田線直通列車は辰野駅で乗務員が交替することになる。また、一部は岡谷駅より先の茅野駅や上諏訪駅と直通する列車もある。
辰野駅~塩尻駅間は、中央本線の中で最も運転本数が少ない区間である。地元では辰野線と呼称され、この区間外から乗り入れる列車(主に篠ノ井線直通列車)は「小野経由」と案内されることが多い。ほとんどの列車がこの区間のみの折り返し運転となっているが、朝夕を中心に松本駅や岡谷駅まで直通する列車が設定されている。主に日中に辰野駅~塩尻駅間を往復する列車には、荷物車を改造した123系(クモハ123-1)が使用され、「ミニエコー」の愛称で呼ばれている。
[編集] 塩尻~中津川間
塩尻駅から中津川駅までの間は、普通列車の運転本数は少ない。普通列車は基本的に313系2両編成によるワンマン列車で、1往復を除いて篠ノ井線松本駅まで乗り入れている。一部には松本駅~木曽福島駅、上松駅間の区間運転列車や南木曽駅から名古屋駅まで直通する列車と中津川駅より先の神領駅から松本駅まで運転される列車(共に早朝)もある。
先述の小限界トンネル区間(高尾~中津川間)に、名古屋方面からは381系、383系および211系低屋根構造車(5600番台等)、311系、313系などが乗り入れる。なかでも313系は全編成が小限界トンネル寸法に準拠し、通過可能である。
[編集] 中津川~名古屋間
中津川駅から名古屋駅までは、名古屋圏の通勤路線として快速、セントラルライナー・ホームライナーが運転される。停車駅等については、JR東海名古屋地区普通・快速列車停車駅を参照のこと。
また、この区間は「高蔵寺ニュータウン」「市之倉ハイランド」をはじめとして名古屋市への通勤圏としての宅地集積が進んだ地域であり、またなおかつ中央本線沿線には、競合私鉄がないため、競合私鉄と共に拠点都市間輸送を担う名古屋圏の東海道線・関西線よりも乗車率が高く(ラッシュアワーにはJR東海の在来線で唯一の10両編成も走る)、現在使用されている3ドアロングシート車の211系ないし、3ドアセミクロスシート車の313系ではラッシュ時の乗客をギリギリでしか捌けていないという状況である。かつては103系も使用されていた。
2005年の愛知万博の開催に併せて、3月1日から名古屋駅~高蔵寺駅経由~愛知環状鉄道線万博八草駅(現在の八草駅)までを直通運転する「エキスポシャトル」の運行が行われた。エキスポシャトルは万博終了後の9月30日で運行を終了したが、愛知環状鉄道線との直通運転は利用者の利便性などの面から好評を得たため、10月1日以降も名古屋駅~高蔵寺駅経由~瀬戸口駅・岡崎駅間で行われている。
[編集] 広域輸送
中央本線として全線を通して運行する列車は貨物列車と滅多に設定されない臨時列車のみである。こちらを参照されたい。
[編集] 中央東線
特急「あずさ」・「スーパーあずさ」が、新宿駅(「あずさ」のうち1本は千葉駅)を起点に塩尻駅から篠ノ井線に乗り入れ、松本駅や、大糸線白馬駅や南小谷駅まで運転されている(土・休日や多客期には増発される。上り「あずさ」には東京駅、千葉駅行きもある)ほか、新宿駅(一部は東京駅)からの特急「かいじ」が土・休日のみの横浜方面からの「はまかいじ」とともに途中の甲府駅やその近郊まで運転されている。また、長野県内の広域輸送として、信越本線長野駅と飯田線飯田駅、又は天竜峡駅とを結ぶ快速「みすず」が、塩尻駅~辰野駅間(途中みどり湖駅、岡谷駅を経由し同駅で方向転換)で運転されている。
また、主な臨時列車として以下の列車が運行される。
[編集] 中央西線
名古屋駅(一部大阪駅)から篠ノ井線を経由して、信越本線長野駅まで特急「(ワイドビュー)しなの」が運転されている。また、臨時「しなの」の一部は大糸線方面まで乗り入れる列車もある。また、休日には名古屋駅~中津川駅間運行の定期列車の延長で塩尻駅まで快速「ナイスホリデー木曽路」が運転されている。
また、主な臨時列車として、以下の列車がある
[編集] 使用車両
[編集] 中央東線
- 中央快速線
- 中央・総武緩行線
- 地下鉄東西線からの直通
- 東京地下鉄05系電車
- 東京地下鉄5000系電車 - 2006年中に運用終了予定
- 東京地下鉄07系電車 - 2006年に有楽町線から転入の上、導入予定
- 甲府・中信地区普通列車
- 特急あずさ・かいじ
- 特急スーパーあずさ
- 臨時列車
[編集] 中央西線
[編集] 歴史
[編集] 年表
[編集] JR東日本管轄区間(中央東線)
[編集] 甲武鉄道
- 1889年4月11日 - 甲武鉄道新宿~立川間開業
- 1889年8月11日 - 立川~八王子間延伸開業
- 1890年1月6日 - 日野駅開業
- 1891年12月21日 - 荻窪駅開業
- 1894年10月9日 - 牛込~新宿間延伸開業
- 1895年4月3日 - 飯田町~牛込間延伸開業
- 1895年5月5日 - 大久保駅開業
- 1895年12月30日 - 飯田町~新宿間複線化
- 1899年12月30日 - 吉祥寺駅開業
- 1901年2月22日 - 豊田駅開業
- 1904年8月21日 - 千駄ヶ谷駅開業
- 1904年8月21日 - 飯田町~中野間電化(直流600V)
- 1904年12月31日 - 御茶ノ水~飯田町間延伸開業(電化)
- 1906年4月 - 新宿~大久保間複線化
- 1906年6月14日 - 柏木駅(現・東中野駅)開業
- 1906年9月 - 大久保~中野間複線化
[編集] 八王子~塩尻間
- 1901年8月1日 - 官設鉄道八王子~上野原間開業
- 1902年6月1日 - 上野原~鳥沢間延伸開業
- 1902年10月1日 - 鳥沢~大月間延伸開業
- 1903年2月1日 - 大月~初鹿野間延伸開業
- 1903年6月11日 - 初鹿野~甲府間延伸開業
- 1903年12月15日 - 甲府~韮崎間延伸開業
- 1904年12月21日 - 韮崎~富士見間延伸開業
- 1905年11月25日 - 富士見~岡谷間延伸開業
- 1906年6月11日 - 岡谷~塩尻間延伸開業。既開業の篠ノ井~塩尻間鉄道を編入し、八王子~篠ノ井間鉄道とする
[編集] 甲武鉄道国有化以降
- 1906年10月1日 - 甲武鉄道御茶ノ水~八王子間を鉄道国有化法に基づき買収・国有化。八王子~篠ノ井間鉄道に編入。御茶ノ水~篠ノ井間鉄道となる
- 1906年10月23日 - 代々木駅開業
- 1906年10月24日 - 水道橋駅開業
- 1908年4月19日 - 御茶ノ水~昌平橋間延伸開業(電化)
- 1908年12月17日 - 吉祥寺~国分寺間複線化
- 1909年10月12日 - 国有鉄道線路名称設定 中央東線(昌平橋~篠ノ井間)
- 1909年12月1日 - 塩尻~奈良井間延伸開業。塩尻~篠ノ井間を篠ノ井線として分離
- 1910年2月10日 - 初狩駅開業
- 1910年3月16日 - 中野~吉祥寺間複線化
- 1910年12月15日 - 四方津駅開業
- 1911年5月1日 - 宮ノ越~木曽福島間延伸開業。中央西線を編入し、昌平橋~名古屋間を中央本線に改称
- 1912年4月1日 - 万世橋~昌平橋間延伸開業(電化開業)。昌平橋駅廃止
- 1913年4月1日 - 初鹿野(現・甲斐大和)~塩山間に大日影信号所開設
- 1913年4月8日 - 大日影信号所を駅に格上げし勝沼駅(現・勝沼ぶどう郷駅)開業
- 1913年8月1日 - 穴山駅開業
- 1917年1月1日 - 柏木駅を東中野駅に改称
- 1918年12月11日- 長坂駅開業
- 1919年1月25日 - 中野~吉祥寺間電化
- 1919年3月1日 - 東京~万世橋間延伸開業。神田駅開業
- 1919年7月1日 - 境駅を武蔵境駅に改称
- 1920年5月26日 - 国分寺~下河原間貨物支線開業(東京砂利鉄道の線路を譲受。1910年敷設)
- 1921年12月1日 - 国分寺~下河原間貨物支線廃止。国分寺駅の貨物側線扱いに
- 1922年11月20日 - 吉祥寺~国分寺間電化
- 1922年7月15日 - 高円寺駅、阿佐ヶ谷駅、西荻窪駅開業
- 1923年10月28日 - 川岸駅開業
- 1926年1月15日 - 武蔵小金井駅開業
- 1926年2月11日 - 酒折駅開業
- 1926年4月1日 - 国立駅開業
- 1927年2月7日 - 東浅川駅開業
- 1928年5月11日 - 新宿~中野間複々線化
- 1928年10月15日 - 国分寺~国立間複線化
- 1928年11月1日 - 信濃境駅開業
- 1928年11月15日 - 飯田橋駅開業。牛込駅廃止
- 1929年3月1日 - 国立~立川間複線化
- 1929年3月10日 - 国分寺~国立間電化
- 1929年3月16日 - 飯田町~新宿間複々線化
- 1929年6月16日 - 国立~立川間電化
- 1930年4月1日 - 立川~多摩川信号場~多摩川原間貨物支線開業。立川~日野間に多摩川信号場開設
- 1930年6月25日 - 三鷹駅開業
- 1930年12月20日 - 立川~浅川(現・高尾)間電化
- 1931年4月1日 - 浅川~甲府間電化(電気機関車で運転)
- 1933年9月15日 - 御茶ノ水~飯田町間複々線化。飯田町駅旅客営業廃止
- 1934年4月2日 - 国分寺~東京競馬場前間支線開業(電化路線。国分寺~北府中間は国分寺~下河原間貨物支線と二重戸籍)
- 1934年11月6日 - 国分寺~東京競馬場前間に富士見仮信号場(現・武蔵野線北府中駅)開設
- 1937年6月1日 - 立川~豊田間複線化
- 1939年3月31日 - 豊田~浅川間複線化
- 1939年4月1日 - 西八王子駅開業
- 1939年7月1日 - 小野~塩尻間に東塩尻信号場開設
- 1943年7月15日 - 藤野駅開業
- 1943年11月1日 - 万世橋駅休止(実質上廃止)
- 1944年10月1日 - 国分寺~東京競馬場前間休止
- 1945年6月10日 - 韮崎~穴山間に新府信号場開設
- 1946年6月1日 - 立川~多摩川信号場~多摩川原間貨物支線休止。多摩川信号場休止
- 1947年4月24日 - 国分寺~東京競馬場前間復活
- 1949年1月21日 - 富士見仮信号場を仮乗降場に格上げし富士見仮乗降場開業
- 1949年4月1日 - 梁川駅開業
- 1951年4月14日 - 三鷹~武蔵野競技場前間支線開業
- 1951年12月25日 - 塩崎駅開業
- 1952年7月1日 - 北府中信号場~下河原間貨物支線開業。富士見仮乗降場を廃止し、北府中信号場に格下げ
- 1952年7月15日 - 浅川~与瀬(現・相模湖)間に小仏信号場開設
- 1954年12月1日 - 別田駅(現・春日居町駅)開業
- 1955年4月1日 - 信濃川島駅開業
- 1956年4月10日 - 与瀬駅を相模湖駅に改称
- 1956年9月1日 - 北府中信号場を駅に格上げし北府中駅開業。国分寺~下河原間貨物支線の起点を北府中に変更(国分寺~東京競馬場前間支線との二重戸籍解消)
- 1957年2月5日 - 東山梨駅開業
- 1959年11月1日 - 三鷹~武蔵野競技場前間廃止
- 1960年9月10日 - 東浅川駅廃止
- 1961年3月20日 - 浅川駅を高尾駅に改称
- 1962年1月15日 - 日下部駅を山梨市駅に改称
- 1962年4月14日 - 高尾~小仏信号場間複線化
- 1962年5月21日 - 上諏訪~辰野間電化
- 1962年12月22日 - 滝ノ前信号場~小淵沢間複線化
- 1963年9月30日 - 猿橋~大月間複線化
- 1964年8月23日 - 甲府~上諏訪間電化
- 1964年9月10日 - 東小金井駅開業
- 1964年9月29日 - 小仏信号場~相模湖間複線化。小仏信号場廃止
- 1965年5月20日 - 辰野~塩尻(~松本)間電化
- 1965年9月29日 - 塩山~山梨市間複線化
- 1966年3月25日 - 日野春~滝ノ前信号場間複線化。滝ノ前信号場廃止
- 1966年4月28日 - 中野~荻窪間複々線化
- 1966年9月26日 - 川岸~辰野間に平出信号場開設
- 1966年11月22日 - 四方津~梁川間複線化
- 1966年11月25日 - 別田~石和間複線化
- 1966年11月30日 - 大月~笹子間複線化
- 1966年12月5日 - 青柳~木船信号場間複線化
- 1966年12月12日 - 笹子~初鹿野(現・甲斐大和)間複線化
- 1967年9月22日 - 木船信号場~茅野間複線化。木船信号場廃止
- 1968年1月30日 - 山梨市~別田間複線化
- 1968年8月27日 - 相模湖~上野原間複線化
- 1968年8月30日 - 初鹿野~塩山間複線化
- 1968年9月20日 - 梁川~猿橋間複線化
- 1968年9月24日 - 上野原~四方津間複線化
- 1968年9月28日 - 甲府~竜王間複線化
- 1969年1月28日 - 石和~酒折間複線化
- 1969年4月6日 - 荻窪~三鷹間複々線化
- 1969年9月26日 - 富士見~青柳間複線化
- 1970年9月2日 - 茅野~普門寺信号場間複線化
- 1970年9月16日 - 塩崎~韮崎間複線化
- 1970年9月22日 - 韮崎~新府信号場間複線化
- 1970年9月29日 - 酒折~甲府間複線化
- 1971年9月8日 - 新府信号場~穴山間複線化
- 1971年9月28日 - 穴山~日野春間複線化
- 1972年9月10日 - 新府信号場を駅に格上げし新府駅開業
- 1973年4月1日 - 西国分寺駅開業。国分寺~東京競馬場前間支線廃止。北府中~下河原間貨物支線は武蔵野線に移籍(1976年9月20日廃止)
- 1980年9月25日 - 信濃境~富士見間複線化。線路付け替えにより改キロ(-0.2km)
- 1982年5月17日 - 塩尻駅移転により小野~塩尻間改キロ(+0.5km)
- 1983年6月21日 - 小淵沢~信濃境間複線化
- 1983年7月5日 - 岡谷~みどり湖~塩尻間新線開業。経路を新線経由に改め、岡谷~辰野~塩尻間を支線として分離
- 1983年10月12日 - 小野~塩尻間の東塩尻信号場廃止
- 1983年11月15日 - 川岸~辰野間の平出信号場廃止
- 1985年10月31日 - すずらんの里駅開業
- 1987年4月1日 - 国鉄分割民営化により神田~代々木間、新宿~塩尻間、岡谷~辰野~塩尻間が東日本旅客鉄道に承継。基本計画上の区間表示は、神田~代々木間、新宿~みどり湖~塩尻間(東京~神田間、代々木~新宿間の二重戸籍解消)
- 1990年3月10日 - 辰野~塩尻間で一部列車除き、ワンマン運転開始
- 1993年4月1日 - 初鹿野駅を甲斐大和駅、勝沼駅を勝沼ぶどう郷駅、別田駅を春日居町駅、石和駅を石和温泉駅に改称
- 1996年12月14日 - 東京~甲府間でATOSを試験的に導入。1997年本格的に使用開始。
- 1998年7月2日 - 『鉄道要覧』での線路名称の区間表示を基本計画に合わせて改正
[編集] JR東海管轄区間(中央西線)
[編集] 塩尻~宮ノ越間
この区間は当初、中央東線として延伸開業したが、中央本線となった全線開通以降は、この区間を含めて塩尻~名古屋間が中央西線と通称されることになる。
[編集] 木曽福島~名古屋間
- 1900年7月25日 - 名古屋~多治見間開業
- 1902年12月21日 - 多治見~中津(現・中津川)間延伸開業
- 1908年8月1日 - 中津~坂下間延伸開業
- 1909年7月15日 - 坂下~三留野(現・南木曽)間延伸開業
- 1909年9月1日 - 三留野~野尻間延伸開業
- 1909年10月12日 - 国有鉄道線路名称設定 中央西線
- 1909年12月1日 - 野尻~須原間延伸開業
- 1910年10月5日 - 須原~上松間延伸開業
- 1910年11月25日 - 上松~木曽福島間延伸開業
- 1911年4月9日 - 大曽根駅、千種駅開業
[編集] 全通後
- 1911年5月1日 - 宮ノ越~木曽福島間延伸開業(全通)。中央西線を中央東線に編入し、中央本線に改称
- 1911年6月1日 - 中津駅を中津川駅に改称
- 1914年5月1日 - 上松~須原間に立町信号所開設
- 1917年11月25日 - 美乃坂本駅開業
- 1917年11月27日 - 落合川駅開業
- 1920年8月15日 - 定光寺駅開業
- 1926年4月1日 - 武並駅開業
- 1926年12月21日 - 日出塩駅開業
- 1927年12月16日 - 鳥居松駅(現・春日井駅)開業
- 1929年1月23日 - 野尻~三留野(現・南木曽)間に十二兼信号場、三留野~坂下間に田立信号場開設
- 1930年6月5日 - 木曽平沢駅開業
- 1937年4月21日 - 鶴舞駅開業
- 1940年10月10日 - 多治見~定光寺間に池田信号場開設
- 1943年10月1日 - 高蔵寺~鳥居松間に神領信号場開設
- 1946年5月1日 - 鳥居松駅を春日井駅に改称
- 1948年9月1日 - 立町信号場、十二兼信号場、田立信号場をそれぞれ駅に格上げし倉本駅、十二兼駅、田立駅開業
- 1949年7月12日 - 神領仮乗降場を駅に格上げし神領仮乗降場開業
- 1951年9月1日 - 大桑駅開業
- 1951年12月15日 - 神領仮乗降場を駅に格上げ、神領駅開業
- 1952年4月1日 - 池田信号場を駅に格上げし古虎渓駅開業
- 1955年4月21日 - 原野駅開業
- 1962年1月25日 - 金山駅開業。鶴舞~名古屋間の古渡信号場廃止
- 1962年9月21日 - 大曽根~千種間複線化
- 1962年9月27日 - 千種~金山間複線化
- 1962年10月10日 - 山王信号場~名古屋間複線化。東海道本線貨物支線を中央本線下り線に転用し同区間が二重戸籍に
- 1963年11月1日 - 大井駅を恵那駅に改称
- 1964年3月2日 - 金山~山王信号場間複線化
- 1964年3月10日 - 勝川~大曽根間複線化
- 1964年3月14日 - 神領~勝川間複線化
- 1964年3月28日 - 高蔵寺~神領間複線化
- 1964年4月1日 - 新守山駅開業
- 1965年7月1日 - 土岐津駅を土岐市駅に改称
- 1966年3月8日 - 多治見~古虎渓間複線化
- 1966年3月10日 - 下畑信号場~瑞浪間複線化
- 1966年3月12日 - 古虎渓~定光寺間複線化
- 1966年3月17日 - 瑞浪~土岐市間複線化
- 1966年3月22日 - 定光寺~高蔵寺間複線化
- 1966年3月24日 - 土岐市~多治見間複線化
- 1966年3月28日 - 与ヶ根信号場~美乃坂本~二軒屋信号場間複線化
- 1966年3月30日 - 大羽根信号場~釜戸間複線化
- 1966年5月14日 - 瑞浪~名古屋間電化
- 1966年9月25日 - 小野ノ滝信号場~倉本間複線化
- 1966年9月27日 - 藪原~山吹山信号場間複線化
- 1968年7月19日 - 中津川~与ヶ根信号場間複線化。与ヶ根信号場廃止
- 1968年7月26日 - 武並~大羽根信号場間複線化。大羽根信号場廃止
- 1968年7月31日 - 釜戸~下畑信号場間複線化。下畑信号場廃止
- 1968年8月3日 - 二軒屋信号場~恵那間複線化。二軒屋信号場廃止
- 1968年8月16日 - 中津川~瑞浪間電化
- 1968年9月20日 - 洗馬~日出塩間複線化
- 1968年9月25日 - 坂下~落合川間複線化
- 1968年9月30日 - 山吹山信号場~宮ノ越間複線化。山吹山信号場廃止
- 1968年10月1日 三留野駅を南木曽駅に改称
- 1969年3月31日 - 恵那~武並間複線化
- 1969年6月24日 - 上松~小野ノ滝信号場間複線化。小野ノ滝信号場廃止
- 1969年7月3日 - 十二兼~南木曽間複線化
- 1969年9月29日 - 奈良井~藪原間複線化
- 1970年9月29日 - 原野~木曽福島間複線化
- 1973年3月26日 - 落合川~中津川間複線化
- 1973年4月20日 - 田立~坂下間複線化
- 1973年5月25日 - 南木曽~田立間複線化。田立駅移転
- 1973年5月27日 - 塩尻~中津川間電化
- 1973年7月30日 - 塩尻~十二兼間CTC化。
- 1974年8月20日 - 十二兼~中津川間CTC化。
- 1975年2月25日 - 塩尻~洗馬間複線化
- 1978年9月14日 - 日出塩~贄川間複線化
- 1979年10月15日 - 木曽福島~中平信号場間複線化
- 1982年5月17日 - 塩尻駅移転により塩尻~洗馬間改キロ(-0.1km)
- 1982年9月29日 - 中平信号場~上松間複線化。中平信号場廃止
- 1987年4月1日 - 国鉄分割民営化により塩尻~名古屋間が東海旅客鉄道に承継
- 1989年7月9日 - 東海道本線金山駅開設により金山~名古屋間が二重戸籍になる
- 1992年12月6日 - 中津川~名古屋間CTC化。
- 2000年3月11日 - 塩尻~中津川間の一部列車でワンマン運転開始。
[編集] 東京の複々線区間
輸送力の増強を計る目的で関東大震災の復興計画に盛り込まれており、その一環として御茶ノ水駅~中野駅で複々線が建設され、1933(昭和8)年に完成した。また、一部時間帯に急行電車(現在の快速電車)を運行させた。また、この計画と同時に総武本線両国駅~御茶ノ水駅間についても高架鉄道として建設され、この結果、東京駅始発のものを一部の時間帯は急行電車として運転することとなり、各駅に停車する列車は一部の時間帯は総武本線に乗り入れることとなった。
第二次大戦後、俗に言う「通勤五方面作戦」で中野駅以西の輸送力の増強を計ることになり、1966(昭和41)年に中野駅~荻窪駅間の複々線化が完成し、中央緩行線電車と営団地下鉄東西線乗り入れの列車がこの区間に運行されている。1969(昭和44)年には複々線区間が三鷹駅まで延長された。
1999(平成11)年3月より三鷹駅~立川駅間の連続立体交差化に着手している。これは、既存の複線の路線を主に高架にすることで道路との立体交差を実現し、踏み切りの解消を目的としているので、この工事が完成しても複々線とはならない。本来は高架敷地捻出の為に設置した仮線部分が複々線用地であったが、用地取得を行っている1980年代に国民の環境意識が大きく変化し、日照権や騒音問題に関する環境基準が著しく厳しくなった。このため、高架を建設する際には一定幅の緩衝帯を設置しなければならなくなり、中央線高架の完成後も、仮線跡は側道や緑地帯に転用される見通しである。
なお、完成は三鷹駅~国分寺駅間が2008(平成20)年ごろ、国分寺駅~立川駅間が2010(平成22)年ごろを予定している。
これとは別に三鷹駅~立川駅の複々線化を計画中である。複々線は高規格な地下路線となる予定で、この複々線化が実現した場合は、中野駅~立川駅間を運行している快速電車の停車駅にも変更を迫られると見られる。2014年頃までの完成を計画していたが、これは高架工事を行う実情から見込みが立っていない。また、この複々線を利用する特急電車などの優等列車が、三鷹駅から大深度地下を利用した高速地下鉄道によって新宿駅を経由し、東京駅の京葉線ホームにいたるという大計画もある。
[編集] 大八廻り
元々は、現在支線となっている辰野駅経由の別称「大八廻り」の方が本線だった。この部分については次のような話がある。
中央本線の敷設時、諏訪付近から名古屋までの路線を木曾谷を通すか伊那谷を通すかで論争となり、結局木曾谷側が勝ってこちらに線路を敷くことになった。しかし、これで納得しなかった伊那谷出身の代議士で鉄道局長の伊藤大八が、下諏訪から塩尻峠をトンネルで抜けて塩尻へ向かう案を撤回させて、伊那谷の入口である辰野を経由させるようにした。そのため、この辰野を通るための迂回部分は、伊藤大八の名前を取って「大八廻り」とも呼ばれることとなった。
但し、当時の技術力では塩尻峠を貫く長いトンネルを掘れなかったので、塩尻峠を避けるために迂回させただけであるという説もある。実際、この区間にトンネルを開削すると約6kmの長さになり(1983年に開通した塩嶺トンネルは5,994m)、当時日本一の長さを誇っていた同線の笹子トンネル(長さ4,656m)を凌ぐものになる上、糸魚川静岡構造線を跨ぐ事から地盤も悪かったため、実現したとしていても開業が相当遅れていた可能性が高い。
[編集] 中央東・西線直通列車
※この項目は書きかけです。なお、中央本線の東西直通運転については鉄道雑誌でも殆ど特集されていない為、不明な点も多いので、ご存知の方は是非とも加筆・訂正をお願いします。
この路線は1911年5月1日に全通(東京駅乗り入れは1919年3月1日)して以降、東京~塩尻~名古屋間を通しで運行された列車は、東京側の列車発車駅であった飯田町駅(現:東京都千代田区飯田橋・ホテルメトロポリタンエドモント付近。飯田橋駅も参照のこと。)~名古屋駅間を1938年まで運行された夜行普通列車701・702列車(列車番号は何度か変更され、末期は813~410列車・423~324列車と塩尻駅でそれが変わり、更に名古屋行きは甲府駅始発で、いずれも松本駅・長野駅方面の列車と塩尻駅まで併結していた)が唯一の例とされている。
但し、東京側からの東西直通運転自体は第二次世界大戦期間中の一時中断(1938年~1945年6月)を経て始発駅を飯田町駅(1933年に貨物専用駅になった為)から新宿駅に変更して1956年頃まで続いた。
また、1954年~1961年には準急「きそ」の一部の車両が名古屋駅~新宿駅間を直通運転していた。
その後、1965年頃~1974年頃の毎年夏季に名古屋駅~茅野駅もしくは小淵沢駅間(一部の列車は小海線や飯田線に直通)で東・西線直通運転を実施しており、この頃から途中の観光地への直通を主眼に置くようになる。
1982年5月17日の塩尻駅改修(それ以前の東京方向と名古屋方向と直通する形から東京・名古屋方向と篠ノ井線方向へ直通する形となった。)後は以下の列車が運行された。以降は、以下の例や貨物・団体専用列車を除き東西直通運転される列車は存在しない。
[編集] その他列車の沿革
下記各項目を参照のこと。
- 「あずさ」・「スーパーあずさ」、「かいじ」・「はまかいじ」 中央東線の昼行優等列車
- 「しなの」 中央西線の昼行優等列車
- 「みすず」 中央東線及び支線の快速列車
- 「ちくま」 中央西線の夜行列車
- 「ムーンライト信州」 中央東線の夜行快速・普通列車
[編集] 駅一覧
[編集] JR東日本管内
(高尾以東は中央快速線を参照)
駅名 | 東京からの営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
高尾駅 | 53.1 | 京王電鉄:高尾線 | 東京都八王子市 | |
相模湖駅 | 62.6 | 神奈川県 | 相模原市 | |
藤野駅 | 66.3 | 津久井郡藤野町 | ||
上野原駅 | 69.8 | 山梨県 | 上野原市 | |
四方津駅 | 74.0 | |||
梁川駅 | 77.6 | 大月市 | ||
鳥沢駅 | 81.2 | |||
猿橋駅 | 85.3 | |||
大月駅 | 87.8 | 富士急行:大月線 | ||
初狩駅 | 93.9 | |||
笹子駅 | 100.4 | |||
甲斐大和駅 | 106.5 | 甲州市 | ||
勝沼ぶどう郷駅 | 112.5 | |||
塩山駅 | 116.9 | |||
東山梨駅 | 120.1 | 山梨市 | ||
山梨市駅 | 122.2 | |||
春日居町駅 | 125.0 | 笛吹市 | ||
石和温泉駅 | 127.8 | |||
酒折駅 | 131.2 | 甲府市 | ||
甲府駅 | 134.1 | 東海旅客鉄道:身延線 | ||
竜王駅 | 138.6 | 甲斐市 | ||
塩崎駅 | 142.7 | |||
韮崎駅 | 147.0 | 韮崎市 | ||
新府駅 | 151.2 | |||
穴山駅 | 154.7 | |||
日野春駅 | 160.1 | 北杜市 | ||
長坂駅 | 166.3 | |||
小淵沢駅 | 173.7 | 東日本旅客鉄道:小海線 | ||
信濃境駅 | 178.2 | 長野県 | 諏訪郡富士見町 | |
富士見駅 | 182.9 | |||
すずらんの里駅 | 186.1 | |||
青柳駅 | 188.0 | 茅野市 | ||
茅野駅 | 195.2 | |||
普門寺信号場 | (198.9) | 諏訪市 | ||
上諏訪駅 | 201.9 | |||
下諏訪駅 | 206.3 | 諏訪郡下諏訪町 | ||
岡谷駅 | 210.4 | 東日本旅客鉄道:中央本線(辰野方面) | 岡谷市 | |
みどり湖駅 | 218.2 | 塩尻市 | ||
塩尻駅 | 222.1 | 東日本旅客鉄道:中央本線(辰野方面)・篠ノ井線 東海旅客鉄道:中央本線(木曽福島方面) |
[編集] 辰野支線
駅名 | 東京からの営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
岡谷駅 | 210.4 | 東日本旅客鉄道:中央本線(上諏訪・みどり湖方面) | 長野県 | 岡谷市 |
川岸駅 | 213.9 | |||
辰野駅 | 219.9 | 東海旅客鉄道:飯田線 | 上伊那郡辰野町 | |
信濃川島駅 | 224.2 | |||
小野駅 | 228.2 | |||
塩尻駅 | 238.1 | 東日本旅客鉄道:中央本線(みどり湖方面)・篠ノ井線 東海旅客鉄道:中央本線(木曽福島方面) |
塩尻市 |
[編集] JR東海管内
駅名 | 東京からの営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
塩尻駅 | 222.1 | 東日本旅客鉄道:中央本線(岡谷・辰野方面)・篠ノ井線 | 長野県 | 塩尻市 |
洗馬駅 | 226.3 | |||
日出塩駅 | 231.0 | |||
贄川駅 | 236.2 | |||
木曽平沢駅 | 241.4 | |||
奈良井駅 | 243.2 | |||
藪原駅 | 249.8 | 木曽郡木祖村 | ||
宮ノ越駅 | 255.5 | 木曽郡木曽町 | ||
原野駅 | 258.3 | |||
木曽福島駅 | 263.8 | |||
上松駅 | 271.1 | 木曽郡上松町 | ||
倉本駅 | 277.7 | |||
須原駅 | 282.5 | 木曽郡大桑村 | ||
大桑駅 | 285.8 | |||
野尻駅 | 288.8 | |||
十二兼駅 | 292.5 | 木曽郡南木曽町 | ||
南木曽駅 | 298.0 | |||
田立駅 | 304.3 | |||
坂下駅 | 307.1 | 岐阜県 | 中津川市 | |
落合川駅 | 313.2 | |||
中津川駅 | 317.0 | 東海旅客鉄道:中央本線(多治見・名古屋方面) |
(中津川以西はJR東海名古屋地区普通・快速列車停車駅の中央本線名古屋駅~中津川駅間を参照)
[編集] 過去の接続路線
- 甲府駅:山梨交通電車線(甲府駅前駅) - 1962年7月1日廃止
- 茅野駅:諏訪鉄山鉄道 - 1945年春頃輸送中止、1947年頃線路撤去
- 坂下駅:坂川鉄道線(新坂下駅) - 1944年12月1日廃止
- 中津川駅:北恵那鉄道線(中津町駅) - 1978年9月19日廃止
- 大井駅(現・恵那駅):矢作水電岩村電気軌道線 - 1935年1月30日廃止、北恵那鉄道大井線(新大井駅) - 1934年9月15日廃止
- 土岐市駅:東濃鉄道駄知線 - 1974年10月21日廃止
- 多治見駅:東濃鉄道笠原線(新多治見駅) - 1978年11月1日廃止
[編集] 廃線跡
中央本線は、大都市近郊である両端の平野部を除く大部分が旧中山道~甲州街道に沿った急峻な地形に位置するため、たびたび線路の付け替えが行われている。特に長野・山梨県内には旧線の廃線跡が数多く現存している。