総武本線
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総武本線(そうぶほんせん)は東京都千代田区の東京駅から千葉県銚子市の銚子駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。
このほか、東京都墨田区の錦糸町駅で分岐して御茶ノ水駅に至る支線、並びに新小岩駅から分岐して金町駅および越中島貨物駅に至る貨物支線を持つ。
電車特定区間内においては緩行線が御茶ノ水駅から中央本線と、快速線が東京駅から横須賀線とそれぞれ直通運転を行っている。
目次 |
[編集] 路線データ
[編集] 区間
東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 東京~銚子 (120.5km)
- 錦糸町~御茶ノ水 (4.3km) - 錦糸町~両国間(1.5km)は本線と重複。
- 小岩~越中島貨物 (11.7km) - 通称越中島支線(えっちゅうじましせん)。小岩~新小岩操間(2.3km)は本線と重複。新小岩操~亀戸間は本線と並行。
- 小岩~金町 (8.9km) - 通称新金線(しんきんせん)。小岩~新小岩操間(2.3km)は本線と重複。
日本貨物鉄道(第二種鉄道事業者)
- 新小岩操~佐倉 (44.8km) - 1999年3月31日 佐倉~成東間(21.6km)廃止
- 新小岩操~越中島貨物 (9.4km)
- 新小岩操~金町 (6.6km)
[編集] 廃止区間
- 銚子~新生 (0.8km) - 貨物線・1978年3月31日廃止
[編集] 電化方式
[編集] 軌間
- 1067mm
[編集] 複線区間等
[編集] 歴史
[編集] 本線
成東出身の安井理民らによって設立された総武鉄道が、1894年(明治27年)7月に市川~佐倉間を開業したのが始まりである。上総国(かずさのくに)・下総国(しもうさのくに)と武蔵国を結ぶ事から名づけられた。同年12月には江戸川を越えて本所(現在の錦糸町)に達し、1904年(明治37年)に両国橋(現在の両国)まで延伸し、ここを都心側のターミナルとした。
一方、銚子側へは、1897年(明治30年)5月に成東、同年6月に銚子まで延伸され全通。1907年(明治40年)には、鉄道国有法により買収・国有化され、官設鉄道の総武本線となった。
1932年(昭和7年)には、御茶ノ水~両国間が延伸され、同区間で電車の運転を開始した。以降、1933年(昭和8年)3月に市川まで、同年9月には船橋まで電化区間が延長され、中央線中野まで緩行電車として直通運転を実施するようになった。1935年(昭和10年)には、千葉までの電化が完成した。
戦後は、1968年(昭和43年)に佐倉(成田)まで電化、1972年(昭和47年)に東京~錦糸町間の地下線が開業し、起点が東京に変更された。銚子までの電化が完成したのは、1974年(昭和49年)である。
総武快速線(東京~千葉間)の詳細については、総武快速線の沿革を参照されたい。
- 1894年(明治27年)7月20日 総武鉄道 市川~佐倉間開業
- 1894年(明治27年)12月9日 本所(現在の錦糸町)~市川間延伸開業
- 1895年(明治28年)4月12日 中山駅開業
- 1895年(明治28年)9月11日 津田沼駅開業
- 1897年(明治30年)5月1日 佐倉~成東間延伸開業
- 1897年(明治30年)6月1日 成東~銚子間延伸開業
- 1898年(明治31年)1月25日 猿田駅開業
- 1898年(明治31年)2月25日 松尾駅、干潟駅開業
- 1899年(明治32年)4月28日 平井駅開業
- 1899年(明治32年)5月24日 小岩駅開業
- 1899年(明治32年)9月13日 稲毛駅開業
- 1899年(明治32年)10月12日 日向駅開業
- 1904年(明治37年)3月29日 亀戸駅開業
- 1904年(明治37年)4月5日 両国橋(現在の両国)~本所間延伸開業。同日開業の東武亀戸線が両国橋~亀戸間に乗り入れ開始
- 1907年(明治40年)8月29日 両国橋~亀戸間複線化
- 1907年(明治40年)9月1日 鉄道国有法により買収、国有化
- 1907年(明治40年)11月1日 四ツ街道駅を四街道駅に改称
- 1908年(明治41年)6月17日 平井~小岩間、市川~船橋間、稲毛~千葉間複線化
- 1908年(明治41年)7月17日 船橋~津田沼間複線化
- 1908年(明治41年)9月15日 亀戸~平井間、津田沼~稲毛間複線化
- 1908年(明治41年)10月14日 小岩~市川間複線化
- 1909年(明治42年)10月12日 国有鉄道線路名称設定 総武本線
- 1910年(明治43年)3月27日 東武亀戸線の両国橋~亀戸間への直通運転廃止
- 1911年(明治44年)3月4日 四街道~佐倉間に物井信号所開設
- 1912年(大正元年)11月1日 千葉~四街道間に都賀信号所開設
- 1914年(大正3年)9月10日 南酒々井駅開業
- 1915年(大正4年)5月1日 本所駅を錦糸町駅に改称
- 1915年(大正4年)9月11日 中山駅を下総中山駅に改称
- 1922年(大正11年)4月1日 信号所を信号場に改称
- 1926年(大正15年)2月14日 平井~小岩間に新小岩信号場開設
- 1928年(昭和3年)7月10日 新小岩信号場が駅に昇格し新小岩駅開業
- 1931年(昭和6年)10月1日 両国橋駅を両国駅に改称
- 1932年(昭和7年)7月1日 御茶ノ水~両国間延伸(複線、旅客営業のみ)。同区間で電車の運転開始
- 1933年(昭和8年)3月15日 両国~市川間電化
- 1933年(昭和8年)9月15日 市川~船橋間電化。中央線中野まで緩行電車として直通運転開始
- 1935年(昭和10年)7月1日 船橋~千葉間電化
- 1935年(昭和10年)9月1日 本八幡駅開業
- 1937年(昭和12年)4月5日 物井信号場が駅に昇格し物井駅開業
- 1942年(昭和17年)10月1日 西千葉駅開業
- 1951年(昭和26年)7月15日 新検見川駅開業
- 1958年(昭和33年)4月1日 榎戸駅開業
- 1958年(昭和33年)11月10日 西船橋駅開業
- 1959年(昭和34年)10月1日 旭町駅を旭駅に改称
- 1960年(昭和35年)6月1日 倉橋駅開業
- 1963年(昭和38年)4月28日 房総東線のスイッチバック解消のため千葉駅を西千葉方向に0.8km移転
- 1964年(昭和39年)10月1日 飯倉駅開業
- 1965年(昭和40年)9月30日 千葉~四街道間複線化。都賀信号場が昇格し都賀仮乗降場開業
- 1965年(昭和40年)12月20日 東千葉駅開業
- 1966年(昭和41年)9月25日 四街道~物井間複線化
- 1968年(昭和43年)2月25日 物井~佐倉間複線化
- 1968年(昭和43年)3月28日 千葉~佐倉(~成田)間電化。都賀仮乗降場が昇格し都賀駅開業
- 1968年(昭和43年)6月1日 新小岩駅から貨物扱い・操車場業務を分離して新小岩操駅開業。
- 1971年(昭和46年)7月5日 亀戸~新小岩間3線化
- 1972年(昭和47年)6月4日 新小岩~津田沼間複々線化
- 1972年(昭和47年)7月15日 東京~錦糸町間開業(複線、旅客営業のみ)。起点を東京に変更し、錦糸町~御茶ノ水間を支線として分離。錦糸町~亀戸間複々線化、亀戸~新小岩間5線化
- 1974年(昭和49年)10月1日 両国~新小岩操間貨物営業廃止
- 1974年(昭和49年)10月26日 佐倉~銚子間電化。全線電化完成
- 1979年(昭和54年)7月7日 新検見川~千葉間複々線化
- 1980年(昭和55年)11月28日 稲毛~西千葉間に黒砂信号場開設
- 1981年(昭和56年)7月5日 津田沼~新検見川間複々線化
- 1981年(昭和56年)10月1日 東船橋駅、幕張本郷駅開業
- 1986年(昭和61年)11月1日 成東~銚子間貨物営業廃止。新小岩操駅を廃止し新小岩操車場に降格
- 1987年(昭和62年)3月31日 新小岩操車場が貨物駅に昇格し新小岩操駅開業。
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に承継。新小岩操~成東間は、日本貨物鉄道が第二種鉄道事業者となる
- 1993年(平成5年)10月24日 錦糸町~市川間でATS-P使用開始
- 1993年(平成5年)10月31日 市川~千葉間でATS-P使用開始
- 1994年(平成6年)10月28日 千葉~佐倉間でATS-P使用開始
- 1999年(平成11年)3月31日 佐倉~成東間の日本貨物鉄道の第二種鉄道事業廃止
- 2001年(平成13年)2月4日 佐倉~成東間でATS-P使用開始
- 2004年(平成16年)2月29日 東京~錦糸町間ATCからATS-Pに変更
[編集] 越中島支線
- 1929年(昭和4年)3月20日 亀戸~小名木川間開業
- 1958年(昭和33年)11月10日 小名木川~越中島(現在の越中島貨物)間延伸開業
- 1971年(昭和46年)7月5日 起点を新小岩操に変更
- 1986年(昭和61年)11月1日 起点を小岩に変更(新小岩操駅廃止のため)
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に承継。日本貨物鉄道が第二種鉄道事業者となる
- 1990年(平成2年)3月10日 越中島駅を越中島貨物駅に改称(京葉線越中島駅との区別のため)
- 2000年(平成12年)12月2日 小名木川駅廃止。
[編集] 新金線
- 1926年(大正15年)7月1日 新小岩~金町間開業
- 1964年(昭和39年)9月25日 電化
- 1986年(昭和61年)11月1日 起点を小岩に変更(新小岩操駅廃止のため)
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に承継。日本貨物鉄道が第二種鉄道事業者となる
[編集] 貨物支線
[編集] 運転形態
[編集] 普通
総武本線は主に、3系統に分かれる。
中央線と中央本線の区別のように、総武快速線、総武緩行線は単に「総武線」とも呼ばれる。よって「総武本線」というと、上記3.の総武快速線・総武緩行線を除いた千葉以東の区間を指すこともある。現実には一般的に「総武線」が(三鷹~)御茶ノ水~千葉(東京方面は総武快速線が定着してるため対象外)、「総武本線」と呼ばれる場合は特急列車は全線、ローカル列車は千葉~成東・八日市場経由~銚子(行先表示は八日市場経由銚子あるいは千葉)となるケースが多く、そのため千葉以遠のローカル列車では殆どの車掌が「総武線」ではなく「総武本線」と放送し、この区間の211系の前面表示も路線名は「総武本線」になっている(関東地区では原則として「○○本線」と呼ぶことはない。そのため同じ211系でも他線では「東北線」や「信越線」と表示されている)。なお、広義では総武線(総武緩行線)と呼ぶ場合、中央線への乗り入れ区間も含めた三鷹~新宿~御茶ノ水~船橋~千葉を指す場合がある。但し最近はきちんと中央線各駅停車と表示されつつある。
総武快速線は東京駅から横須賀線に直通運転。また千葉駅から先、内房線方面や外房線方面。さらに、成田線成田空港方面にも一部運転される。朝夕には成東・佐倉・成田線成田発着の快速も運転されている。さらに平日の朝夕には成田発着の通勤快速が運転されている。
総武緩行線は中央本線三鷹駅(一部は武蔵小金井駅、国分寺駅、立川駅)までの直通運転を行い、中央・総武緩行線とも呼ばれる。また、平日の朝夕には津田沼駅から西船橋駅を介して東京地下鉄東西線と相互直通運転を行っており、東西線を経由して中野駅から中央本線(中央緩行線)三鷹駅まで運転される列車もある。
しかし、快速線・緩行線ともに、千葉駅まで行かずに津田沼駅で折り返してしまう列車も多く、津田沼以東の利用者に不便を強いている面もある。
なお、千葉駅から佐倉駅間ならびに、松岸駅から銚子駅間は成田線の電車(行先表示は成田経由銚子あるいは千葉)も運転される。また千葉~銚子間で時間調整(上り・下り電車のすれ違い)で思った以上に時間を要する路線である。
なお2006年11月20日より平日朝ラッシュ時(錦糸町発7:20~9:20)の総武緩行線全区間(東西線直通含む)の御茶ノ水方面行きで10号車に女性専用車を導入(中央緩行線となる御茶ノ水~三鷹間は未実施)する。
[編集] 使用車両
使用車両は以下の通り(2006年10月現在)
- 横須賀・総武快速線(久里浜~東京~千葉間、一部総武本線(成東駅まで)、成田線(成田駅まで)、外房線(上総一ノ宮駅まで)、内房線(君津駅まで)に乗り入れ)
- 中央・総武緩行線(三鷹~御茶ノ水~千葉間)
- 地下鉄東西線直通(中野~西船橋~津田沼間)
- 銚子方面(千葉-銚子間)
[編集] かつて使用していた車両
- 横須賀・総武快速線
- 中央・総武緩行線
[編集] 優等列車
総武本線を走行する優等列車は以下のとおり。
以下は朝(東京方面行き)・夕(千葉・銚子方面行き)のみ運転。
成田エクスプレスが運行開始するまでは、外房線直通のわかしおや内房線直通のさざなみも総武本線(快速線)経由で運転されていた。
また、夜にはホームライナーが東京駅・新宿駅から千葉駅まで運転する。東京駅発着は、平日のみ。
[編集] 駅一覧・接続路線(旅客線のみ)
*印は、一部停車。
越中島支線:(小岩駅) - (貨)新小岩操駅 - (亀戸駅) - (貨)小名木川駅 - (貨)越中島貨物駅
新金線:(小岩駅) - (貨)新小岩操駅 - (金町駅)