伊藤大八
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊藤大八(いとうだいはち、1858年-1927年)は長野県下伊那郡上殿岡村(現在の飯田市上殿岡)出身の帝国議会代議士である。
1894年(明治27年)、中央本線誘致に木曽谷と伊那谷で熾烈な誘致運動が起されたが、結局、木曽谷経由に決定された。これに失望した当時鉄道局長を務めていた伊藤は、せめて伊那谷の一部にだけでも駅を誘致するべく奔走。塩尻峠経由ではなく、辰野経由に変更することに成功したといわれている。地元では伊藤の功績を称えて、同線の旧線(辰野支線)を別名で「大八廻り」と呼ぶこともある。
しかしこのルート選定に関しては、当時の技術的に塩尻峠を貫く延長約6kmのトンネル掘削は不可能(また、予算と工期の面からは非現実的)だったとする説も、極めて有力である。総延長4,656mの中央本線笹子トンネルが貫通したのは1902年(明治35年)、9,702mの上越線清水トンネルが貫通したのは1931年(昭和6年)である。
結局、1983年(昭和58年)に塩嶺トンネルの開通で辰野経由の中央本線(支線。地元では辰野駅~塩尻駅間を辰野線と呼ぶ)はローカル線化したが、辰野の駅ができた事で伊那電気鉄道(現在の飯田線)なども建設された。