東武野田線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
野田線(のだせん)は、埼玉県さいたま市大宮区の大宮駅から同県春日部市の春日部駅、千葉県柏市の柏駅を経て同県船橋市の船橋駅までを結ぶ東武鉄道の鉄道路線である。
目次 |
[編集] 路線データ
- 路線距離:62.7km
- 軌間:1067mm
- 駅数:34駅(起終点駅含む)
- 複線区間:大宮駅~春日部駅、運河駅~柏駅~逆井駅、六実駅~船橋駅
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 最高速度:100km/h(2004年10月19日(ダイヤ改正)以降)
- 車両基地所在駅:七光台駅
- 電車留置線所在駅:岩槻駅、春日部駅、野田市駅、高柳駅、六実駅
大宮駅~柏駅間は、ほぼ国道16号線に並行する。
[編集] 概要
埼玉県南東部から千葉県北西部に至る環状路線である。現在は沿線における生活路線だが、創業当時は旅客輸送営業だけではなく野田市駅から柏駅まで醤油を運搬するため貨物輸送を行っており、柏駅から日本鉄道(現在のJR常磐線)経由で千住貨物駅や東北地方など日本全国に醤油を鉄路で貨物輸送していた。柏駅がスイッチバック状に線路とホームが配置されているのは貨物輸送の名残である。現在の柏駅8番線が元の貨物列車用の引込み線となっていた。
[編集] 歴史
千葉県は野田町(現・野田市)の醤油醸造業者から舟運に頼るだけの交通の不便さを訴えられたため、1910年(明治43年)8月3日東葛飾郡千代田町(現・柏市)~野田町間ほか一線について、軽便鉄道敷設免許申請を鉄道省に提出した。建設費は県債を募集して充てることとし、醸造組合は20万円でその県債を引き受けた。当初、軌間は軍用軽便鉄道で使用していた600mmを予定していたが、野田醤油醸造組合では鉄道院線(現・JR東日本線)と同軌間でなければ、常磐線柏駅で貨車の直接乗り入れが出来ず、不便である点を主張し、その結果1067mmに変更し、着工することになった。同年8月31日に免許が下りると同時期に工事が着工され1911年(明治44年)5月9日千葉県営軽便鉄道柏~野田町間(現・野田市駅)9マイル10チェーン(14.7km)が開通した。
1921年(大正10年)、千葉県当局は路線維持を前提に県営鉄道の払い下げを行う方針を打ち出した。野田線の場合、野田醤油醸造組合が野田町~船橋間に列車の直通運転を計画し、京成電気軌道専務取締役本多貞次郎を中心に払い下げ運動を展開した。同年この千葉県から払い下げられた路線(野田町~柏間)の経営と柏~船橋間の新線を敷設する目的で北総鉄道(初代、北総線を営業している北総鉄道(2代目、旧北総開発鉄道)とは無関係)を発起し、同年11月21日に免許が下りた。1922年(大正11年)4月5日に創立総会を開き、本社所在地を東京市本所区押上町とし、取締役社長は本多貞次郎が就任し、資本金150万円で北総鉄道を設立した。同月に千葉県東葛飾郡船橋町九日市に移し、柏~船橋間の測量、用地買収にかかった。1923年(大正12年)北総鉄道は柏~船橋間19.6kmの工事に着手し、同年7月には県営鉄道を41万円で譲り受け、翌8月同社野田線(柏~野田町間14.7km)として営業を開始した。
1926年(大正15年)野田町駅(現・野田市駅)から東武鉄道粕壁駅(現・春日部駅)を経て省線大宮駅までを結ぶ新線敷設の構想が北総鉄道社内から持ち上がり、同年5月31日敷設免許を受け、1926年(大正15年)7月に本多貞次郎から斎藤三郎に取締役社長が変わり、12月に北総鉄道本社が千葉県東葛飾郡柏町豊四季(現・千葉県柏市豊四季)に移った後、1928年(昭和3年)9月に資本金450万円に増加し工事に着手した。初めから将来の北総鉄道の電化を睨み全線を電気運転をするという認可を受けた。1929年(昭和4年)9月1日野田町駅(現・野田市駅)~清水公園駅間1.3マイル(約1.9km)を開通し、同年11月17日大宮仮停留所(大宮駅から331m付近。北大宮駅寄り)~東武鉄道粕壁駅(現・春日部駅)9.5マイル(15.3km)が開通した。この大宮~粕壁駅間の開通に当たって粕壁駅構内に変電施設を設置し北総鉄道線初の電車運転を行ったがその後の大宮駅構内の工事が進み同年12月9日、省線大宮駅まで乗り入れを行うようになった。大宮~粕壁間が開通し路線が下総北部にとどまらず総・武両地方にわたるようになった事から1929年(昭和4年)11月22日に北総鉄道から総武鉄道(2代、総武本線を開業させた総武鉄道(初代)とは無関係)に社名変更した。新線(大宮~粕壁、野田町~清水公園)敷設工事とあわせて概設線の電化工事次第に進み、1929年(昭和4年)12月野田変電所を竣工、同年12月30日から清水公園~柏間の電気運転を開始した。船橋線(柏~船橋間)を京成電気軌道との連絡させるべく工事を進め1929年(昭和4年)12月25日、京成海神停留場を連絡駅とし船橋~海神間にガソリン客車を運転、旅客営業を開始した。また粕壁~清水公園間も江戸川架橋工事の竣工とともに1930年(昭和5年)10月1日開通し全線開通となった。そして大宮~柏間の直通電車が運転された。電気運転開始に当たって電気機関車3両、電車10両、未電化区間はガソリンカーを1929年(昭和4年)に3両、1930年(昭和5年)に2両購入し、旅客営業や貨物営業に就いた。
その後、船橋~海神間は収益が上がらず1933年(昭和8年)9月に営業を休止、1934年(昭和9年)4月2日で営業を廃止した。
1935年(昭和10年)7月1日南埼玉郡岩槻町の岩槻自動車株式会社(乗合自動車事業)を買収し、乗合自動車9両、貸切自動車1両を購入して野田町~越谷、草加駅間で乗合自動車事業を開業した。同年7月1日埼玉県下の南埼玉郡岩槻町(現・さいたま市岩槻区)の岩槻自動車株式会社を買収した。1936年(昭和11年)4月2日北足立郡大宮町・上尾町・原市村近郊(現・さいたま市大宮区、北区、見沼区、上尾市)の乗合自動車路線を管轄する大宮自動車商会を買収した。総武鉄道沿線の中小乗合自動車事業者を積極的に買収を進めた。1937(昭和12年)個人経営の利根川渡船事業(現・野田市目吹あたり)も積極的に買収を進め、総武鉄道で渡船事業を経営した。
1943年(昭和18年)12月28日、東武鉄道の臨時株主総会にて東武鉄道と総武鉄道との合併が承認。1944年(昭和19年)3月1日東武鉄道と合併した。元々総武鉄道は京成電気軌道の傍系の企業であったが本多貞次郎が取締役社長を辞めた頃から徐々に京成との関係が薄くなっていきキッコーマンの傍系の会社としてのむすびつきが強くなったようである。そして陸上交通事業調整法が遠因となって東武鉄道に合併された。当初は大宮~柏間が野田線、柏~船橋間が船橋線の呼称だったが後に大宮~船橋間の全線が野田線と改称されている[1]。なお乗合自動車事業(路線バス)も鉄道事業と同様に東武鉄道に合併となった。
最近では梅郷・清水公園・七光台・東岩槻(南口設置・改修)の駅舎が建て替えられた。
[編集] 年表
- 1911年(明治44年)5月9日 千葉県営軽便鉄道野田線 柏~野田町(現・野田市)間を開業
- 1923年(大正12年)8月1日 千葉県営軽便鉄道野田線を北総鉄道に譲渡
- 1923年(大正12年)12月27日 北総鉄道船橋線 船橋~柏間を開業
- 1924年(大正13年)4月1日 法典駅を馬込沢駅に改称
- 1929年(昭和4年)9月1日 北総鉄道が野田町~清水公園間を開業
- 1929年(昭和4年)11月17日 北総鉄道が粕壁(現・春日部)~大宮(仮駅)間を開業(電化)
- 1929年(昭和4年)11月22日 北総鉄道が総武鉄道に改称
- 1929年(昭和4年)12月11日 総武鉄道が大宮(仮駅)~大宮間を開業(電化)
- 1929年(昭和4年)12月25日 総武鉄道が船橋~海神間(非電化)を開業
- 1929年(昭和4年)12月30日 柏~清水公園間電化
- 1930年(昭和5年)4月12日 北大宮駅開業
- 1930年(昭和5年)8月30日 船橋線から野田線柏駅へ連絡線を設け、常磐線を挟んで離れていた船橋線の柏駅を野田線柏駅に統合
- 1930年(昭和5年)10月1日 総武鉄道が清水公園~粕壁間(電化)開業。牛島信号所開設
- 1930年(昭和5年)12月6日 牛島信号所~川間間に武州川辺駅開業
- 1930年(昭和5年)12月9日 (臨)永沼駅(現・南桜井駅)駅開業
- 1931年(昭和6年)3月1日 牛島信号所を駅に格上げし、牛島駅(現・藤の牛島駅)開業
- 1931年(昭和6年)3月5日 牛島駅を藤の牛島駅に改称
- 1931年(昭和6年)7月3日 永沼駅を常設駅とする
- 1931年(昭和6年)10月13日 七里~岩槻町間に加倉駅開業
- 1933年(昭和8年) 豊四季~柏間に柏競馬場前(後の北柏駅だが常磐線の駅とは別)開業
- 1933年(昭和8年)5月10日 粕壁~藤の牛島間に土井停留場開業(貨物駅)
- 1933年(昭和8年)7月29日 逆井駅開業
- 1934年(昭和9年)4月1日 船橋~海神間を廃止
- 1939年(昭和14年)6月10日 岩槻町駅を岩槻駅に改称
- 1943年(昭和18年)11月6日 永沼~武州川辺間に米島駅開業
- 1944年(昭和19年)3月1日 陸上交通事業調整法に基づき、東武鉄道が総武鉄道を吸収合併
- 1945年(昭和20年) 北柏駅廃止
- 1945年(昭和20年)5月20日 米島~川間間の武州川辺駅休止
- 1947年(昭和22年)3月1日 柏~船橋間電化(現在の野田線の電化完了)
- 1947年(昭和22年)6月4日 土井停留場廃止
- 1948年(昭和23年)4月16日 野田線・船橋線を統合して大宮~船橋間を野田線とする
- 1949年(昭和24年)9月1日 粕壁駅を春日部駅に改称
- 1950年(昭和25年)5月30日 野田町駅を野田市駅に改称
- 1950年(昭和25年)7月5日 武州川辺駅廃止
- 1950年(昭和25年)8月1日 加倉駅廃止
- 1956年(昭和31年)9月15日 新船橋駅開業
- 1956年(昭和31年)12月23日 永沼駅を米島駅に移転・統合し、南桜井駅に改称
- 1957年(昭和32年)9月26日 北大宮~大宮公園間複線化
- 1958年(昭和33年)2月16日 江戸川台駅開業
- 1960年(昭和35年)10月1日 運河~初石間複線化
- 1964年(昭和39年)3月12日 塚田~新船橋間複線化
- 1968年(昭和43年)4月6日 大宮~北大宮間複線化
- 1968年(昭和43年)7月1日 七光台駅開業
- 1969年(昭和44年)7月29日 七里~岩槻間複線化
- 1969年(昭和44年)12月1日 東岩槻駅開業
- 1971年(昭和46年)8月6日 大和田~七里間複線化
- 1974年(昭和49年)2月22日 大宮公園~大和田間複線化
- 1978年(昭和53年)11月14日 初石~柏間複線化
- 1980年(昭和55年)12月17日 塚田~船橋間高架化
- 1982年(昭和57年)10月26日 新船橋~船橋間複線化
- 1982年(昭和57年)11月10日 馬込沢~塚田間複線化
- 1983年(昭和58年)7月21日 柏~増尾間に新柏駅開業。新柏~増尾間複線化
- 1984年(昭和59年) 貨物列車廃止(柏駅に常磐線との連絡線があった)
- 1985年(昭和60年)11月19日 増尾~逆井間複線化
- 1989年(平成元年)11月28日 六実~新鎌ヶ谷信号所(現在の新鎌ヶ谷駅とは位置が異なる)間複線化
- 1991年(平成3年)11月26日 柏~新柏間複線化
- 1992年(平成4年)12月1日 3000系全廃により野田線の全車両が大型冷房車化完了
- 1999年(平成11年)11月25日 六実~鎌ヶ谷間に新鎌ヶ谷駅開業・新鎌ヶ谷信号所廃止・岩槻~東岩槻間・鎌ヶ谷~馬込沢間複線化
- 2004年(平成16年)10月19日 東岩槻~春日部間と鎌ヶ谷~新鎌ヶ谷間複線化・5000系電車全廃
- 2005年(平成17年)6月20日 平日朝9時までの列車に女性専用車両導入
- 2005年(平成17年)8月24日 豊四季~初石駅間に流山おおたかの森駅開業
[編集] 運行形態
柏駅がスイッチバック方式であるため、運行形態は大宮~柏間と柏~船橋間とに分かれる。一部柏駅を跨いで運転する列車があり、中には大宮~船橋間の全区間を走破する列車もある。また区間によって輸送量に段差があるため、複線区間を中心に区間列車の設定も多い。そのため日中でも毎時8本の電車が発着する区間もあれば毎時4本だけの発着の区間もある。ただし柏~船橋間に関してはほぼ全区間同一である。大宮~柏間は大宮線、柏~船橋間は船橋線とも呼ばれる。
主軸の大宮~柏間と柏~船橋間を柱に、大宮~岩槻・春日部間や、柏~運河・清水公園間の区間列車が加わる。全列車が8000系6両編成による各駅停車だけの運行である。
関東近郊の大手私鉄の通勤路線では最後まで吊り掛け駆動方式の車両5000系が活躍する路線であったが、2004年10月19日のダイヤ改正で5000系グループの5070系が引退したことにより、野田線から吊り掛け駆動方式の電車が引退した。この結果、車両が8000系に統一され、野田線の最高速度が時速100kmに引き上げられた。
複線区間と単線区間が混在しているが、単線区間上にある駅は全て上下列車の交換が可能である。
なお、野田線における上り・下りの設定は、大宮から柏・船橋方面に向かう列車を下り、船橋から柏・大宮方面に向かう列車を上り、と定めている。
東武鉄道では伊勢崎線・日光線・東上本線に次ぐ路線距離(全線62.7km)であるが、列車はすべて各駅停車のみで、特急、急行、快速といった「優等列車」の運行はない。しかし、戦前の一時期には大宮~柏間で急行運転が行われていたといわれる。
[編集] 野田線~東武日光・鬼怒川温泉の直通列車
東武野田線となった後、大宮周辺の市町村などが大宮~東武日光・鬼怒川温泉の直通列車を要望した。東武側もこの要望に応える形で1969年(昭和44年)より春・秋の観光シーズンを中心として大宮駅~春日部駅~東武日光駅・鬼怒川温泉駅間の臨時急行列車「きりふり」・「りゅうおう」を設定したが、利用客が少なく1972年(昭和47年)秋シーズンの運転をもって打ち切りとなった。
[編集] 使用車両
[編集] かつての使用車両
- 東武鉄道
- 3000系・3050系・3070系
- 2080系
- 5000系・5050系・5070系
- 5700系←前述の「きりふり」・「りゅうおう」号に充当
- 総武鉄道
- 総武形モハ1000型電動車、総武形クハ1200型制御車(後に高松琴平電気鉄道に譲渡され880形・9000形に)
- 総武形コハ500型客車
- 総武形デキ1号型電気機関車(後に東武ED3000形に)
- 総武形キハ101形ガソリン気動車
- 総武形コッペル社製形式3号蒸気機関車
- 総武形雨宮製作所製C型タンク4号、5号蒸気機関車
- 総武形雨宮製作所製C型タンク6号、7号蒸気機関車
- 北総鉄道
- バルカン社製1B1形(No.1、2号)蒸気機関車
- 千葉県営鉄道
- マンニング・ワールド社製C形サドルタンク蒸気機関車
- 鉄道省1290形蒸気機関車
- クラウス社製C型タンク蒸気機関車
- バルカン社製1B1形(No.1、2号)蒸気機関車
[編集] 利用状況
東武野田線は首都圏の近郊路線として、また首都圏30km圏内の東半分を半周に結ぶ環状的な役割を持つ路線である。野田線沿線の全てが東京近郊のベッドタウンの対象となるため、東武鉄道では本線(伊勢崎線・日光線系列)・東上線に次ぐ基幹路線と位置付けている。
都心から放射状に延びる幹線路線と接続するターミナル駅は、非常に乗降人員が多い関東有数のターミナル駅であることが特徴である。大宮・柏・船橋がその例に当てはまる。
野田線そのものは直接都心へ向かう列車がないことから、野田線沿線から都心へ向かう際は、大宮でJR各線乗り換え・春日部で東武伊勢崎線乗り換え・流山おおたかの森でつくばエクスプレス線乗り換え・柏でJR常磐線乗り換え・船橋でJR総武線又は京成線乗り換えがメインとなる。1999年に開設された新鎌ヶ谷駅で北総線に乗り換える選択肢もあるが、野田線から北総線で都心に向かう人は少数である。
また、JR東日本の湘南新宿ラインが開設された際には、春日部周辺から大宮へ向かう旅客流動が増えた。ちなみに、最も混雑率の高い区間は、北大宮~大宮間となっている。
2005年8月のつくばエクスプレス線開業により、柏駅の利用は開業前より約10%減少した。
[編集] 女性専用車両
2005年6月20日に野田線に、朝の通勤・通学時間帯に女性専用車両が導入された。これより1ヶ月程前に関東地区の民鉄各社と都営新宿線が、朝の通勤・通学時間帯に都心へ向かう急行・快速などの優等列車を主体に導入したが、野田線はやや遅れての導入であった。
平日の始発から9時までの上り・下りの全列車・全区間を対象とし、9時を以って一斉に打ち切られる。対象車両は6両編成のうち上り・下りともに柏寄り先頭車両となっている。よって上り・下りに関係なく固定されている。
関東地区の朝の通勤・通学時間帯における女性専用車両は、関西地区よりも一足遅く導入されることとなったが、導入にあたっては混雑に拍車を掛けないように、最後尾車両や先頭車両といった末端部に設けるのが関東地区における特徴である。環状形式の野田線では朝ピーク時の混雑区間は多岐に渡り、また柏でのスイッチバックも絡む(大宮始発船橋行などのように柏駅を跨ぐ列車がいくつかある)ために、どの車両に導入を決めるかは紆余曲折があった。
最終的には、野田線の最も混雑する車両は大宮に到着する列車の先頭車両と判断され、女性専用車両は最も混雑度が低いとされる最後尾の車両に導入が決定された。大宮駅では改札口が先頭車両付近であるため、必然的に先頭車両に近い車両ほど混雑するからである。
柏と船橋に到着する列車も大宮と同様に混雑するが、両駅は改札へ続く階段がホームに満遍なく設置されているので、車両毎の混雑度はある程度平準化されており、先頭車両、最後尾車両どちらにあったとしても問題はないとされた(但し、新柏駅のように階段が端に1ヶ所しかなく、そこが当該車両となってしまう例もある)。
[編集] 駅一覧
駅名 | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|
大宮駅 | 東日本旅客鉄道:東北新幹線(山形新幹線・秋田新幹線)、上越新幹線(長野新幹線(北陸新幹線))、東北本線(宇都宮線)、高崎線、湘南新宿ライン、京浜東北線、川越線、埼京線 埼玉新都市交通:伊奈線 |
埼玉県 | さいたま市大宮区 |
北大宮駅 | |||
大宮公園駅 | |||
大和田駅 | さいたま市見沼区 | ||
七里駅 | |||
岩槻駅 | さいたま市岩槻区 | ||
東岩槻駅 | |||
豊春駅 | 春日部市 | ||
八木崎駅 | |||
春日部駅 | 東武鉄道:伊勢崎線 | ||
藤の牛島駅 | |||
南桜井駅 | |||
川間駅 | 千葉県 | 野田市 | |
七光台駅 | |||
清水公園駅 | |||
愛宕駅 | |||
野田市駅 | |||
梅郷駅 | |||
運河駅 | 流山市 | ||
江戸川台駅 | |||
初石駅 | |||
流山おおたかの森駅 | 首都圏新都市鉄道:つくばエクスプレス線 | ||
豊四季駅 | 柏市 | ||
柏駅 | 東日本旅客鉄道:常磐線 | ||
新柏駅 | |||
増尾駅 | |||
逆井駅 | |||
高柳駅 | |||
六実駅 | 松戸市 | ||
新鎌ヶ谷駅 | 新京成電鉄:新京成線 北総鉄道:北総線 |
鎌ケ谷市 | |
鎌ヶ谷駅 | |||
馬込沢駅 | 船橋市 | ||
塚田駅 | |||
新船橋駅 | |||
船橋駅 | 東日本旅客鉄道:総武本線 京成電鉄:本線(京成船橋駅) |
[編集] かつて存在していた駅
- 加倉駅(現・七里~岩槻間 1931年10月13日~1950年7月31日)
- 渋江駅(現・岩槻~東岩槻、当時は岩槻~豊春間 武州鉄道の乗換駅)
- 土井停留場(現・春日部~藤の牛島間、当時は粕壁~藤の牛島間 1933年5月10日~1947年6月3日)
- 永沼停留所(現・藤の牛島~南桜井間、1930年12月9日~1956年12月23日、米島駅に統合され南桜井駅に改称)
- 武州川辺駅(現・南桜井~川間間 1930年12月6日~1950年7月5日)
- 北柏駅(現・豊四季~柏間 1933年~1945年、開業時は柏競馬場前駅、常磐線の北柏駅とは別)
- 海神駅(現・京成電鉄海神駅 1929年12月25日~1934年3月31日、船橋~海神間に総武鉄道海神連絡線があった)