男はつらいよ
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男はつらいよ(おとこは つらいよ)は、渥美清主演・山田洋次監督(一部作品除く)の喜劇映画シリーズ。主人公の名前から、作品自体も「寅さん」と呼ばれることが多い。
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[編集] 概要
映画シリーズは松竹によって1969年から1995年までに全48作が、1997年に特別編1本が製作された。
山田洋次が全48作の原作・脚本を担当。第3、4作を除く46作を自ら監督した。第3作の監督は森崎東、第4作は小林俊一である。全作品がヒットして松竹のドル箱シリーズとなり、30作を超えた時点で世界最長の映画シリーズとしてギネスブック国際版にも認定された(作品数において。年数では「ゴジラ」シリーズの方が長い)。渥美清の死去により、1995年に公開された第48作「寅次郎紅の花」をもって幕を閉じた。その後、ファンからのラブコールが多かったとの事で、「寅次郎ハイビスカスの花」を再編集し新撮影分を加えた「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」が1997年に公開された。
注意 : 以降に、作品の結末など核心部分が記述されています。
[編集] テレビ版
映画第1作の前に、1968年10月3日から1969年3月27日までの半年間、山田洋次・森崎東脚本のテレビドラマ「男はつらいよ」が放映されていた。提供は日本石油(現・新日本石油)。
テレビ版の制作と放送はフジテレビで、企画と演出は小林俊一。テレビ版のキャストは映画版とは多少異なる。最終回で寅次郎はハブに噛まれて死んでしまうが、寅次郎を殺してしまったことについて視聴者からテレビ局に抗議の電話が殺到し、これが映画化に繋がった。当初、松竹は映画化に反対だったが、山田洋次の説得に折れる形で映画化された。映画は1969年6月には完成していたらしいが、一時お蔵入りとなり8月になってから上映された。
当初は「愚兄賢妹」という番組名が考えられていたが、フジテレビの都合でタイトルを変更することになり、小林俊一が「男はつらいよ」と命名した(その頃渥美清主演で制作されていたTBS系列ドラマ「泣いてたまるか」の最終回のタイトルが「男はつらい」で、この時の脚本が山田洋次であったこと、北島三郎が唄っていた「意地のすじがね」の中にあった「つらいもんだぜ男とは」という歌詞から思いついたとされている)。後者の経緯から、「意地のすじがね」の作詞者でもあった星野哲郎に主題歌の作詞が依頼された。
渥美の死去を速報で報じた「ビッグトゥデイ」でタイトルバックとハブに噛まれたシーンなどが放送されたのがきっかけとなり、後日初回と最終回が番組内で全編放送された。翌1997年にはビデオ化され発売された。なおテレビ版は初回・最終回しか現存していない。テレビ版が放送された当時は、VTRが2インチ規格で高価なうえ操作も煩雑だったことや、著作権法の関係で番組の保存が著しく制約されていたことなどから、テレビ界全体に番組保存の概念が希薄だったことが理由であると考えられる。
[編集] テレビ版のキャスト
- 車寅次郎:渥美清
- さくら(櫻):長山藍子
- 車竜造(おいちゃん):森川信
- 車つね(おばちゃん):杉山とく子
- 雄二郎(※自称・寅の実弟。タネ違いの弟。):佐藤蛾次郎
- 諏訪博士、(医師):井川比佐志
- 坪内散歩(英語の先生、寅の恩師):東野英治郎
- 坪内冬子(マドンナ・寅とさくらの幼馴染):佐藤オリヱ
- さくらの恋人、鎌倉ミチオ:横内正
- 冬子の恋人:加藤剛
- 川又登(寅の舎弟でとらやの従業員):津坂匡章
[編集] 映画概要
渥美清が演じる主人公、車寅次郎(フーテンの寅さん)は、父親、車平造が芸者、菊との間に作った子供で、実母の出奔後父親のもとに引き取られたが、16歳の時に父親と大ゲンカをして家を飛び出したという設定。第1作は、テキ屋稼業で日本全国を渡り歩く渡世人となった寅次郎が家出から20年後突然、腹違いの妹さくら(倍賞千恵子が兄思いの妹を好演)と叔父夫婦が住む、生まれ故郷の東京都葛飾区柴又に戻ってくるというシーンから始まる。
シリーズのパターンは、一貫している。寅次郎は、旅先や柴又で出会うマドンナ(毎回、有名女優がゲスト出演)に惚れてしまう。マドンナも寅次郎に対して好意を抱くが、それは多くの場合恋愛感情ではなく、最後にはマドンナの恋人が現れて振られてしまう。そして落ち込んだ寅次郎が正月前、もしくは盆前(即ち正月、盆がテキ屋はかき入れ時)に再びテキ屋稼業の旅に出て行くという結末となる。浅丘ルリ子が演じたリリーのように寅次郎に恋愛感情を持ったマドンナもいたが、この場合は、寅次郎の方が逃げ腰になり、自ら身を引く形となった。42作目以降の4作品のマドンナは、さくらの息子満男(吉岡秀隆)が思いを寄せる泉(後藤久美子)となり、寅次郎は満男のコーチ役に徹している。
レギュラーとして登場した人物は、寅次郎、さくらのほか、さくらの夫・諏訪博、叔母・つね、博が勤務する印刷会社「朝日印刷(第一作のみ共栄印刷)」の社長で寅次郎の幼馴染・タコ社長こと桂梅太郎(第六作のときにだけ堤梅太郎と名乗る)、帝釈天の御前さま、寺男で寅次郎の舎弟・源公(佐藤蛾次郎)などがいた。マドンナとして複数回登場した女優もいるが、リリー、泉と歌子(吉永小百合)以外は、別の役で出演している。叔父・竜造役は初代が森川信、2代目は松村達雄、3代目は下條正巳が演じた。その他、毎回役柄は違うものの、サブキャラクターとしてレギュラー出演する俳優も多く存在した。
テキ屋稼業の寅次郎は、柴又に帰るのは数えるほどしかなく、一年中日本各地を旅している。このシリーズは原則としてお盆と正月の年二回公開されたが、お盆公開の映画の春から夏への旅は、南から北へ、正月公開の秋から冬への旅は、北から南へ旅することが多かった。画面に映し出される日本各地のなつかしい風景が「男はつらいよ」の魅力の一つでもある。
なお第48作まで、一貫してエンドロール表示(映画の最後に設けられている、出演キャスト、製作スタッフ等の字幕表示)は設定されず、オープニングでクレジットされた。
[編集] レギュラーキャスト
- 車寅次郎:渥美清
- 諏訪さくら:倍賞千恵子
- 諏訪博:前田吟
- 車竜造(おいちゃん):森川信(第1作~第8作)→松村達雄(第9作~第13作)→下條正巳(第14作~第48作)
- 車つね(おばちゃん):三崎千恵子
- 諏訪満男:吉岡秀隆(第27作~第48作)
- 社長(桂梅太郎):太宰久雄
- 桂あけみ:美保純(第33作~第39作)
- 御前様:笠智衆(第1作~第45作)
- 源公:佐藤蛾次郎
- 及川泉:後藤久美子(第42作~第45作、48作)
- 及川泉の母:夏木マリ(第42~45、48作)
- 寅次郎の母(お菊):ミヤコ蝶々
- 川又登:津坂匡章(現・秋野太作)
[編集] 毎回役どころが違うサブレギュラー
[編集] 主題歌
主題歌レコードは1970年2月に日本クラウンから発売され、シングルで38万枚のセールスを記録した。売り上げこそ平凡だが、映画の主題歌としては息の長い曲となった。
- 「男はつらいよ」
[編集] シリーズ一覧
- 1969年 第一作『男はつらいよ』 マドンナ:光本幸子 ロケ地:京都府、奈良県
- 1969年 第二作『続・男はつらいよ』 マドンナ:佐藤オリエ ロケ地:京都府、三重県(拓植)
- 1970年 第三作『男はつらいよ フーテンの寅』 マドンナ:新珠三千代 ロケ地:三重県(湯の山温泉)、鹿児島県(種子島)
- 1970年 第四作『新・男はつらいよ』 マドンナ:栗原小巻 ロケ地:名古屋市
- 1970年 第五作『男はつらいよ 望郷篇』 マドンナ:長山藍子 ロケ地:千葉県(浦安市)、北海道(札幌市、小樽市)
- 1971年 第六作『男はつらいよ 純情篇』 マドンナ:若尾文子 ロケ地:長崎県(長崎市、福江島)、静岡県(浜名湖)
- 1971年 第七作『男はつらいよ 奮闘篇』 マドンナ:榊原るみ ロケ地:新潟県(越後広瀬)、沼津市、青森県(鰺ヶ沢町、弘前市)
- 1971年 第八作『男はつらいよ 寅次郎恋歌』 マドンナ:池内淳子 ロケ地:岡山県(備中高梁)
- 1972年 第九作『男はつらいよ 柴又慕情』 マドンナ:吉永小百合 ロケ地:金沢市、福井県(東尋坊)
- 1972年 第十作『男はつらいよ 寅次郎夢枕』 マドンナ:八千草薫 ロケ地:山梨県(甲府市)、長野県(奈良井)
- 1973年 第十一作『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』 マドンナ:浅丘ルリ子 ロケ地:北海道(網走)
- 1973年 第十二作『男はつらいよ 私の寅さん』 マドンナ:岸惠子 ロケ地:熊本県(天草、阿蘇)、大分県(別府)
- 1974年 第十三作『男はつらいよ 寅次郎恋やつれ』 マドンナ:吉永小百合 ロケ地:島根県(津和野、温泉津)
- 1974年 第十四作『男はつらいよ 寅次郎子守唄』 マドンナ:十朱幸代 ロケ地:佐賀県(唐津市)、群馬県(磯部温泉)、埼玉県
- 1975年 第十五作『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』 マドンナ:浅丘ルリ子 ロケ地:青森市、函館市、長万部町、札幌市、小樽市
- 1975年 第十六作『男はつらいよ 葛飾立志篇』 マドンナ:樫山文枝 ロケ地:山形県(寒河江市)、静岡県
- 1976年 第十七作『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』 マドンナ:太地喜和子 ロケ地:兵庫県(龍野市)
- 1976年 第十八作『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』 マドンナ:京マチ子 ロケ地:長野県(別所温泉)、新潟県(六日町)
- 1977年 第十九作『男はつらいよ 寅次郎と殿様』 マドンナ:真野響子 ロケ地:愛媛県(大洲市)
- 1977年 第二十作『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』 マドンナ:藤村志保 ロケ地:長崎県(平戸島)
- 1978年 第二十一作『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』 マドンナ:木の実ナナ ロケ地:田の原温泉
- 1978年 第二十二作『男はつらいよ 噂の寅次郎』 マドンナ:大原麗子 ロケ地:長野県(木曽福島)、静岡県(大井川)
- 1979年 第二十三作『男はつらいよ 翔んでる寅次郎』 マドンナ:桃井かおり ロケ地:北海道(支笏湖)
- 1979年 第二十四作『男はつらいよ 寅次郎春の夢』 マドンナ:香川京子 ロケ地:和歌山県、京都府、アメリカ合衆国(アリゾナ州)
- 1980年 第二十五作『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』 マドンナ:浅丘ルリ子 ロケ地:沖縄県、長野県(軽井沢)
- 1980年 第二十六作『男はつらいよ 寅次郎かもめ歌』 マドンナ:伊藤蘭 ロケ地:北海道(奥尻島・江差町)、徳島県
- 1981年 第二十七作『男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎』 マドンナ:松坂慶子 ロケ地:大阪府、瀬戸内、対馬
- 1981年 第二十八作『男はつらいよ 寅次郎紙風船』 マドンナ:音無美紀子 ロケ地:福岡県(秋月)、大分県(夜明)、静岡県(焼津市)
- 1982年 第二十九作『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』 マドンナ:いしだあゆみ ロケ地:京都府(京都市、伊根)、信濃大町、鎌倉市、彦根市
- 1982年 第三十作『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』 マドンナ:田中裕子 ロケ地:大分県(湯平温泉、別府鉄輪温泉、湯布院)
- 1983年 第三十一作『男はつらいよ 旅と女と寅次郎』 マドンナ:都はるみ ロケ地:佐渡市、新潟市、支笏湖
- 1983年 第三十二作『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』 マドンナ:竹下景子 ロケ地:岡山県(備中高梁)、広島県(因島)
- 1984年 第三十三作『男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎』 マドンナ:中原理恵 ロケ地:岩手県(盛岡市)、北海道(釧路市、根室市、中標津町、養老牛温泉)
- 1984年 第三十四作『男はつらいよ 寅次郎真実一路』 マドンナ:大原麗子 ロケ地:鹿児島県(枕崎市・指宿市)、牛久沼
- 1985年 第三十五作『男はつらいよ 寅次郎恋愛塾』 マドンナ:樋口可南子 ロケ地:長崎県(上五島)、天草市、秋田県(鹿角市)
- 1985年 第三十六作『男はつらいよ 柴又より愛をこめて』 マドンナ:栗原小巻 ロケ地:下田、式根島、浜名湖、会津若松市
- 1986年 第三十七作『男はつらいよ 幸福の青い鳥』 マドンナ:志穂美悦子 ロケ地:福岡県(筑豊)、萩市(山口県)
- 1987年 第三十八作『男はつらいよ 知床慕情』 マドンナ:竹下景子 ロケ地:北海道(斜里町)
- 1987年 第三十九作『男はつらいよ 寅次郎物語』 マドンナ:秋吉久美子 ロケ地:奈良県(吉野)、和歌山県、三重県(志摩市、伊勢市二見町)
- 1988年 第四十作『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』 マドンナ:三田佳子 ロケ地:長野県(小諸市、松本市)、長崎県(島原市)
- 1989年 第四十一作『男はつらいよ 寅次郎心の旅路』 マドンナ:竹下景子 ロケ地:オーストリア(ウィーン)、松島、石川県
- 1989年 第四十二作『男はつらいよ ぼくの伯父さん』 マドンナ:後藤久美子 ロケ地:佐賀県(吉野ヶ里)、茨城県(袋田)
- 1990年 第四十三作『男はつらいよ 寅次郎の休日』 マドンナ:後藤久美子 ロケ地:大分県(日田市)、名古屋市
- 1991年 第四十四作『男はつらいよ 寅次郎の告白』 マドンナ:後藤久美子 ロケ地:鳥取県、岐阜(奥恵那峡・蛭川)
- 1992年 第四十五作『男はつらいよ 寅次郎の青春』 マドンナ:後藤久美子 ロケ地:宮崎県(油津)、岐阜県(下呂温泉)
- 1993年 第四十六作『男はつらいよ 寅次郎の縁談』 マドンナ:松坂慶子 ロケ地:香川県(琴平・志々島・高見島)、栃木県(烏山)
- 1994年 第四十七作『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』 マドンナ:かたせ梨乃 ロケ地:新潟県(上越市)、滋賀県(長浜)、鎌倉市、長崎県
- 1995年 第四十八作『男はつらいよ 寅次郎紅の花』 マドンナ:浅丘ルリ子 ロケ地:鹿児島県(奄美大島)、岡山県(滝尾・津山)、神戸市
- 1997年 第四十九作(特別編)『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』 マドンナ:浅丘ルリ子 ロケ地:沖縄県
[編集] 「男はつらいよ」シリーズの撮影
「男はつらいよ」シリーズの撮影はほぼ全国で行われているが、高知県と富山県では撮影が行われていない。ただし、高知県では次回作の撮影が決定していた(寅次郎 花へんろ マドンナ田中裕子兄役西田敏行)が主演の渥美清の死去により実現しなかった。ちなみにセリフ上では高知へ行ったということになっている(第8作)。それで寅さんと縁がなかったのは富山県だけということになる。また、初の海外撮影はオーストリアで行われた。
[編集] 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇
1997年に公開された「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」は、根強い寅さん人気に応える形で作られた作品である。内容は、満男が寅さんを回想し、タイトルになっている25作目「寅次郎ハイビスカスの花」だけではなく、11作目「寅次郎忘れな草」、15作目「寅次郎相合い傘」,最終作「寅次郎紅の花」のシーンが使われている。映像技術の進歩によって作る事が出来た作品とも言える。主題歌を八代亜紀が歌っている。
[編集] アニメ版
渥美清没後2年の命日を記念して1998年8月7日午後7時、高井研一郎作画のコミック版を元にTBS系列で「アニメ 男はつらいよ~寅次郎忘れな草~」が放映された。
視聴率は7.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、TBSの予想よりは不振に終わった。
制作:エイケン
[編集] キャスト
[編集] 特記事項
日本では大変に人気の高い作品で熱心なファンが多い。寅さんファンクラブ会員No.1は元内閣総理大臣の小渕恵三。昭和天皇も大ファンで、ビデオソフトを全巻持っていたらしい。小澤征爾もファン。映画館で寅さん腹巻を購入したほど。こちら葛飾区亀有公園前派出所の作者秋本治も大のファンで作中に寅さんを登場させたこともある。「両さんと歩く下町」という本の中で、山田洋次監督との対談が収録されている。変わったところでは、北朝鮮の金日成や金正日がファンであるという。また、フジテレビとTBSでテレビアニメ版も放送された。登場人物を動物に置き換えた物と通常の人間のキャラクターの2本が放送されており、どれも制作時期が違うため特別な関連性はない。人間のキャラクターのバージョンでは映画シリーズに出演したことがある岡本茉利がさくら役になっている。
渥美清没後10年の命日を記念して掲載された2006年8月4日の北日本新聞のコラム「天地人」によると、山田洋次監督は寅さんの最期を決めていたという。晩年は幼稚園の用務員になり、子供達と遊んでいるうちに死に、町の人が思い出のために地蔵を作るというものだ。最後のマドンナには黒柳徹子を考えていたらしい。
源公役の佐藤蛾次郎は全48作すべて出演してると思われてるが、実は第8作のみ出ていない(交通事故にあったため)。
初代おいちゃんの時はヒゲをはやしていない、はやしだしたのは松村達雄に変わった第9作からである。
「とらや」の屋号は、第40作から「くるまや」に変わる。
出川哲郎は若手時代に2本チョイ役で出演している(37、39作)。本人のコメントによると撮影現場で渥美清に「君は普段何をしてるのかね」と尋ねられた 。
平成13年8月4日奇しくも渥美清の5回目の命日に八幡神社古墳において「寅さん」そっくりの埴輪が出土した。現在は複製として寅さん記念館に展示してある。このことはトリビアの泉でも紹介された。
さくらの家は毎回同じではなく変わっている。
[編集] 関連項目
- フーセンのドラ太郎
- 松竹
- 釣りバカ日誌 - 『男はつらいよ』以後の松竹を代表するシリーズ
- 魔弾戦記リュウケンドー - 松竹が初めて独自で制作した特撮ヒーローテレビ番組。源公をモデルにしたキャラクター「ガジロー」が登場する。鳴神剣二が4話では寅次郎の有名なセリフを言っている。車寅次郎そっくりの風貌のバナナの叩き売りの男も登場している。
- 宇宙大怪獣ギララ - 作中で、車寅次郎が見た夢の中で登場している。
- 忍者戦隊カクレンジャー-ニンジャマンがサムライマンに変身するとき寅さんの名ゼリフを言っている。
[編集] 外部リンク
- 公式サイト
- 寅さんの世界松竹
- 関連サイト
- 柴又帝釈天門前 とらやごく初期の頃、撮影に使った和菓子店(撮影当時の屋号は“柴又屋”)
- 高木屋のホームページ映画撮影に積極的に協力していただんご屋
- 葛飾柴又寅さん記念館
- 江戸川寅次郎国土交通省江戸川河川事務局
- 研究サイト
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