内閣総理大臣
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内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん)は、日本の行政府である内閣の長の官職名である。
「総理大臣」または「総理」と略され、「首相」とも通称される。また総理大臣に妻がいる場合、その女性はファーストレディーと呼ばれる。
目次 |
[編集] 語源
「総理」という言葉は「長」または「首席」という意味を持っており、そのため「内閣総理大臣」とは「内閣の首席大臣」という意味がある。これは英語の Prime Minister (直訳:主席大臣) を和訳したものである。
[編集] 歴史
明治初期の太政官制を引き継ぎ、それまでの太政大臣に相当する。
当初1885年(明治18年)から1889年(明治22年)までは、天皇の行政権執行を補佐するため内閣の代表として各省大臣を統率し政務を処理する地位にあった(「内閣職権」)が、1889年の大日本帝国憲法施行にあわせて制定された内閣官制により、内閣総理大臣の権限は縮小され、それぞれ単独で天皇を補佐する各大臣の「同輩中の首席」として行政各部の統一を図る地位となった。初代内閣総理大臣は伊藤博文。
戦後、1947年(昭和22年)の日本国憲法施行により、行政権は天皇から内閣に属することとなり、内閣総理大臣はその内閣の長として権限が強化された。
戦前と戦後の総理大臣の地位における最大の相いは、現行憲法下の総理大臣が内閣の首長と位置づけられているのに対して、旧憲法下の総理大臣は内閣における各大臣の首席という位置しか与えられていなかったたことである。このため現在の総理大臣は閣内に意見の不一致が起こった場合、反対派を罷免して自らの意見を通すことができるが、旧憲法下の総理大臣は閣内不一致が起こった場合、反対派を説得するか内閣総辞職するかの方法しかなかった。戦前の内閣がきわめて弱体であり、行政権の行使にあたって必ずしもリーダーシップを発揮できなかったのはこのためである。
法令上、衆議院の解散は内閣総理大臣の専権ではなく、あくまで「内閣」の権限である(内閣の助言と承認により天皇が行う)。従って閣議で解散が決定されないかぎり、内閣総理大臣は解散権を行使できないことになる。しかし内閣総理大臣は反対する大臣を罷免して自らが兼務することもできるのであるから、実際には総理大臣が解散を行うと決めた場合、これが阻止される可能性はまずない。このように大臣に対する任意の罷免権の効果は極めて大きい。
[編集] 日本国憲法下における地位
行政権の主体たる内閣の首長(日本国憲法第66条第1項)であり内閣官房、内閣法制局ならびに内閣府の主任の大臣でもある。
国会議員の中から国会の議決により指名され(首班指名)、天皇によって任命される。資格は文民且つ国会議員である事。但し実際には、衆議院において最大勢力を占める政党の党首がその責に任じる例がほとんどである(自民党有力者が度々口にする「総理総裁」)。国会議員として首班指名を受け続ける限り、再選に制限はない。
内閣総理大臣が欠けた場合または衆議院の総選挙後に初めて国会の召集があったときには、内閣は総辞職するが、次の内閣総理大臣が任命されるまでは旧内閣が引き続きその職務を行う(俗に「職務執行内閣」という)。日本国憲法施行後、内閣総理大臣が欠けた事例には、1980年の大平正芳第69代内閣総理大臣の死去、2000年の小渕恵三第84代内閣総理大臣の危篤がある。
内閣総理大臣が外遊など一時的な理由で国内で職務を行えない場合は、内閣法第9条に基づいて国務大臣の一人が内閣総理大臣臨時代理としてその職務を代行する。以前は組閣時に内閣総理大臣臨時代理予定者に指名された国務大臣を副総理と呼ぶ慣行があったが、2000年 (平成12年) 4月以降、組閣時に内閣総理大臣臨時代理の就任予定者五名を指定して官報に掲載するように方針が改められた。これにより、原則として内閣官房長官たる国務大臣が第一順位となった。
[編集] 辞令の書式
- 辞令は縦書きで、発令年月日は和暦、数字は漢数字での記載となる。漢数字には壱・拾などの大字は用いられず、また、十の位は簡略化せずに記載される(例:「一七年」でなく「十七年」、「二一日」でなく「二十一日」)。
- 国会の指名奏上
国会は衆議院議員○○君を 内閣総理大臣に指名いたし ました。 よってここに奏上いたしま す。 平成○年○月○日 衆議院議長 (自署) 衆議院事務総長 (自署)
- 内閣総理大臣任命の助言と認証
日本国憲法第六条第一項に 依り○○を内閣総理大臣に 任命するについて 右謹んで裁可を仰ぎま す。 平成○年○月○日 内閣総理大臣 氏 名
裁可を表すため、この書面に天皇はみずから「可」の文字の印章を押印する。
- 任命の辞令(官記)(※「任命する」の後に「。」は付されない)
氏 名 (新内閣総理大臣) 内閣総理大臣に任命する 御名御璽 平成○年○月○日 内閣総理大臣 (自
署)(前内閣総理大臣)
[編集] 呼称
正式には「内閣総理大臣」でありながら、内閣制度発足当時から内閣総理大臣は一般に「首相」と呼ばれていた。これは古来「左大臣」を「左府」、「内大臣」を「内府」などと呼んでいた伝統を踏襲したものである。明治以降はこれが「首相」や「枢首 (枢密院議長)」、「外相 (外務大臣)」などにも広がった。
なお内閣総理大臣の雅称として、「平民宰相」「宰相の器」などという表現に使われる「宰相」がある。これは中国において君主の政務を補佐した最高位の官吏の通称が語源の美称である。
[編集] 権限
- 他の国務大臣を任命し、かつ、任意に罷免すること(憲法68条)。
- 国務大臣に対するその在任中における訴追に同意すること(憲法75条)。
- 内閣を代表して議案を国会に提出すること(憲法72条)。
- 内閣を代表して一般国務及び外交関係について、国会に報告すること(憲法72条)。
- 内閣を代表して行政各部を指揮監督すること(憲法72条)。
- 法律及び政令に主任の国務大臣とともに連署すること(憲法74条)。これは権限であると同時に義務でもある。
- 閣議を主宰すること(内閣法4条2項)。
- 内閣総理大臣及び主任の国務大臣の代理を指定すること(内閣法9条、10条)。
- 行政各部の処分又は命令を中止せしめ、内閣の処置を待つことができる。中止権という(内閣法7条)。
- 緊急事態の布告を発すること(警察法71条)。布告時における警察の統制(警察法72条)。
- 自衛隊の最高指揮監督権を有する(自衛隊法7条)
- 武力攻撃事態又はその発生が切迫していると認められるに至った事態に際して、自衛隊の全部又は一部に出動を命ずる(「防衛出動」自衛隊法76条)。
- 間接侵略又はその他の緊急事態に際して、一般の警察力をもっては、治安を維持することができないと認められる場合には、自衛隊の全部又は一部に出動を命ずる(「命令による治安出動」自衛隊法78条)。
- 武力攻撃事態等に至り、対処基本方針が定められたときは、内閣に設置される「武力攻撃事態対策本部」の対策本部長(内閣総理大臣をもって充てる場合)として、所要の権限を行う(武力攻撃事態平和確保法14条)。また、同法14条1項の総合調整に基づく所要の対処措置が実施されない場合、内閣総理大臣として地方公共団体の長等に対し、対処措置を実施すべきことを指示すること(同法15条)。
- 防衛出動又は治安出動による自衛隊の全部又は一部に対する出動命令があった場合において、特別の必要があると認めるときは、海上保安庁の全部又は一部をその統制下に入れること(自衛隊法80条)。
- 気象庁長官から地震予知情報の報告を受けた場合において、地震防災応急対策を実施する緊急の必要があると認めるときは、閣議にかけて、地震災害に関する警戒宣言を発する(大規模地震対策特別措置法9条)。
- 裁判所による行政処分等の執行停止に対して異議を申し述べる(行政事件訴訟法27条)
[編集] 逸話など
- 内閣制度移行に際し、誰もの関心は誰が初代総理になるかであった。衆目の一致するところは、太政大臣として名目上ながらも政府のトップに立っていた三条実美と、大久保利通の死後事実上の宰相として明治政府を切り回してきた伊藤博文だった。しかし三条は藤原北家閑院流の嫡流で清華家のひとつ三条家の生まれという高貴な身分、公爵である。一方伊藤といえば貧農の出で武士になったのも維新の直前という低い身分の出身、お手盛りで伯爵になってはいるもののその差は歴然としていた。初代総理を決める宮中での会議では誰もが口をつぐんでいる中、伊藤の盟友であった井上馨は「これからの総理は赤電報 (外国電報) が読めなくてはだめだ」と口火を切り、これに山県有朋が「そうすると伊藤君より他にはいないではないか」と賛成、これには三条を支持する他の参議も返す言葉がなく、あっさりこれで決ってしまった。初代総理を決めたのは英語力だったのである。
- 内閣総理大臣の叙位は従一位、正二位または従二位、叙勲は大勲位または桐花大綬章を受けるとされる。
- 戦後初の内閣を担い、戦前戦後を通して唯一、皇族出身の内閣総理大臣となった東久邇宮稔彦王は、総理在任中、「内閣総理大臣 稔彦王」「東久邇首相宮(―しゅしょうのみや)」などと呼ばれた。
- 歴代の内閣総理大臣には東京帝国大学出身の者が多いが、新制大学移行後の東京大学出身者は未だいない。
[編集] 各種記録
- 最長在任数記録 桂太郎 2886日
- 最長連続在任数記録 佐藤栄作 2798日
- 最短在任数記録 東久邇宮稔彦王 54日
- 最年長在任記録 鈴木貫太郎 77歳8ヵ月
- 最年少就任記録 伊藤博文 44歳3ヵ月
- 最多回数任命記録 吉田茂 5回
- 在職中に暗殺された内閣総理大臣 原敬、濱口雄幸(遭難後病後不良により死亡)、犬養毅
- 在職中に死亡した内閣総理大臣(暗殺を除く) 加藤友三郎、加藤高明、大平正芳
- 在職中に意識不明となり退任した内閣総理大臣 小渕恵三(退任後、意識が戻らないまま死去)
- 後に衆議院議長になった内閣総理大臣経験者 幣原喜重郎
- 立法・司法権の長の経験者である内閣総理大臣 平沼騏一郎(元大審院長)、近衛文麿(元貴族院議長)
※…なお、伊藤博文は内閣総理大臣辞任後に貴族院議長となり、後に内閣総理大臣に再度任じられている。
[編集] 近親に総理大臣経験者がいる総理大臣
[編集] 外国における内閣総理大臣
かつて、東アジアにおいて「内閣総理大臣」という名称の役職が存在した。
[編集] フィクションのなかの内閣総理大臣
カッコ内は役者名。
- 山本尚之(丹波哲郎) - 映画『日本沈没』(1973年)
- 寺田政臣 (久米明) - 映画『金環蝕』 (1975年)
- 三田村清輝(小林桂樹) - 映画『ゴジラ』(1984年)
- 林田(山村聡 ) - 映画『ゴジラVSキングギドラ』(1991年)
- 加治隆介 - 漫画『加治隆介の議』 (作:弘兼憲史)
- 織田上総介信長 - 漫画『内閣総理大臣 織田信長』(作:志野靖史)(1994~1997年)
- 総理大臣(役名が個人名ではなく肩書名)(田村正和) - ドラマ『総理と呼ばないで』(作:三谷幸喜)(1997年)(舞台は「架空の国」とされるが、宮中が存在する、憲法前文が日本国憲法前文と全く同じ、パトカーのデザインが日本と同じ、内閣総理大臣就任最短期間記録は54日、等、日本がモデルと思われる)
- 柘植真智子(水野久美) - 映画『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)
- 五十嵐隼人(中尾彬) - 映画『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)、『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)
- 梶本幸一郎(原田芳雄) - 映画『亡国のイージス』(2005年)
- 茅葺よう子(榊原良子) - アニメ『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』(2005年)
- 山本尚之(石坂浩二) - 映画『日本沈没』(2006年)
- 安泉純二郎(村野武範) - 映画『日本以外全部沈没』(2006年)
- 小泉ジュンイチロー - 漫画『ムダヅモ無き改革 南海の劇戦』『ムダヅモ無き改革 テキサス電撃作戦』(作:大和田秀樹)(2006年)
- 折原のえる - ライトノベル『総理大臣 のえる!』