鎌倉市
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[編集] 地理
横浜市の西、藤沢市の東、逗子市の北に位置する。三方が低い山で囲まれ海に面する地であり、古くは鎌倉時代に幕府が置かれた政治の中心の一つであった。ただし、旧腰越町や旧大船町など、所謂「三方を山に囲まれた鎌倉」の外側に位置する地域も市内に含まれる。昔は東京の別荘地、現在はベッドタウンとして知られている。藤沢市から海岸がつながっているため、旅行者には湘南の一部とみなされることが多いが、地元では定義の曖昧な「湘南」という呼称より、歴史的に広く認知され、範囲もより限定される「鎌倉」の呼称を好む人が多い。なお、神奈川県の行政区分上も、鎌倉は藤沢や茅ヶ崎などの湘南地域には含まれず、横須賀や逗子などと同じ三浦半島のブロックに含まれている。
鎌倉は地域内に多くの歴史遺跡を持つ「古都」であるが、後述の通り室町時代中期以降に衰退したため「都市・鎌倉」としての歴史は連続していない。江戸時代後期には地域内の寺社が多くの参詣客を集めるようになるが、明治初期の段階でも鎌倉大仏(高徳院)や長谷観音を擁する長谷地区に都市的な集落が分布するのみで、現在の鎌倉市の中心市街地は形成されていなかった。明治初期、現鎌倉市域を含む鎌倉郡を管轄する郡役所は戸塚(現横浜市戸塚区)に置かれた。明治中期以降、保養・別荘地として、また観光地として改めて「都市・鎌倉」の発展を見たのである。したがって中世都市の遺構は存在しても、中世以来の都市景観というべきものは存在しない。
[編集] 歴史
地形が天然の要害でもあり、古代、鎌倉郡衙が設置された場所であり、また豪族の鎌倉氏の本拠でもあった。 平忠常の乱の際、平直方による鎮圧が失敗、実際に乱を征圧した源頼信の功により、その子源頼義の頃に畿内の河内国石川郡壷井(現・大阪府羽曳野市壷井)を本拠地とした河内源氏の所領となる。頼義の子で河内源氏三代目棟梁の八幡太郎義家の4代後の源頼朝が鎌倉幕府を置いて武家政権を成立させ、鎌倉街道も整備される。海に面した特徴を生かし海上交易も行われ、鎌倉五山なども置かれ関東における文化的中心地となる。
1333年に後醍醐天皇の討幕に呼応した上野国(群馬県)の河内源氏義家流・新田義貞は、分倍河原などで鎌倉幕府を専横した桓武平氏流北条氏の兵を撃破し、鎌倉へ進撃して北条氏一族を滅亡させる、昭和28年に鈴木尚の調査では大量の刀創などのある人骨が発掘されている。
京都で後醍醐天皇の建武の新政がはじまると義貞は召還され、京都の六波羅探題を滅亡させるなど討幕に効のあった一族の足利尊氏の弟である足利直義や一門の細川氏などが親王を奉じて下り、鎌倉将軍府が成立。北条氏一族の残党が中先代の乱を起こし鎌倉が陥落すると尊氏は討伐に向かい、そのまま新政から離反して鎌倉で恩賞の授与などを行うが、尊氏は追討に派遣された義貞らを撃破し、京での戦いに負け九州落ちした後に北朝を樹立して武家政権を設立し、鎌倉へは子の足利義詮を派遣する。足利家の内紛が観応の擾乱と呼ばれる内乱に発展すると義詮は京へ呼び戻され、代わりに尊氏の次子の足利基氏が鎌倉へ派遣されて鎌倉府を設置し、以後鎌倉公方として関東統治を行う。
室町時代には鎌倉公方は幕府と対立し、鎌倉公方を補佐する関東管領とも対立した事などにより上杉禅秀の乱、永享の乱、結城合戦などの騒乱が起る。1455年には享徳の乱で足利成氏が下総国古河へ移り古河公方を成立させた事により鎌倉は衰退する。
戦国時代には小田原の北条早雲が進出、玉縄城を築いて東相模の拠点とした。安房の里見氏や上杉謙信・武田信玄らにより度々侵攻を受けたが、そのたびに撃退している。北条氏滅亡後は徳川家康の支配下に入った。
近世には江戸が東国の中心となり、江戸時代には寺社の復興がはじまる。江戸の庶民によって、大山の阿夫利神社、江の島の江島神社などへの参拝を目的とした講が結成されるようになると、代参者の立ち寄り先として観光ルートに含まれるようになった。
1889年(明治22年)に東京と軍港のある横須賀を結ぶ目的で横須賀線が開通したが、その経由地となったことによって、観光地としての性格が急激に濃くなっていった。また、東京から至近の別荘地として、皇族・華族や政財界の有力者などの一部が別荘を構えるようになり、これらを相手とした観光産業が発展していった。なお、この横須賀線建設工事のため段葛は寸断された。
その少し前1883年(明治16年)に、「衛生(えいせい)」という言葉を日本で初めて医学に使用した長与専斎が、神奈川県・鎌倉の海を、地形的な特徴から「海水浴場として最適」と紹介した。当時は海水浴が医療効果を持つと信じられていたため、長与の紹介も行楽的な観点からではなく医療的な観点によるものであったが、今日では海水浴と医療効果との因果関係は科学的根拠に欠けるとされ、由比ヶ浜、材木座海岸といった海水浴場は行楽客を対象に設営され、湘南の一部として一般に認識されている。
1923年(大正12年)9月1日におきた関東大震災では鎌倉も大きな被害がもたらされた。
昭和に入ると、久米正雄など、作家や文人の一部が鎌倉へ移り住むようになり「鎌倉文士」という言葉が生みだされた。1936年(昭和11年)、松竹が撮影所を蒲田から大船に移し大船撮影所が開設されるようになると、映画関係者で鎌倉に移り住む者が増えていった。
1928年(昭和3年)の鎌倉山の分譲を嚆矢に、戦前・戦後を通じて大規模な住宅開発が行われるようになり、東京近郊のベッドタウンとしての性格が強くなっていった。とりわけ、高度経済成長期の大規模開発の波は「昭和の鎌倉攻め」とも形容される。なお、この時期に起こった鶴岡八幡宮裏の「御谷」開発中止を求める、作家大佛次郎を中心とした市民運動は、古都保存法制定の契機となり、また異論はあるが日本におけるナショナルトラスト運動の嚆矢ともいわれている。
[編集] 地域
- 鎌倉地域
- 扇ガ谷・大町・御成町・極楽寺・小町・材木座・坂ノ下・笹目町・佐助・十二所・浄明寺・二階堂・西御門・長谷・由比ガ浜・雪ノ下
- 腰越地域
- 腰越・七里ガ浜・七里ガ浜東・津・津西・西鎌倉
- 深沢地域
- 梶原・鎌倉山・上町屋・手広・寺分・常盤・笛田・山崎
- 大船地域
- 今泉・今泉台・岩瀬・大船・小袋谷・台(1丁目を除く)・高野・山ノ内
- 玉縄地域
- 植木・岡本・城廻・台1丁目・玉縄・関谷
[編集] 行政
観光は鎌倉における資源の一つでもあるので、古い景観を保存するのに努力しているが、関東大震災での被害などもあって建築文化財は少ない(国宝建造物は円覚寺舎利殿1棟のみ)。周辺地域に比べて自然が保存されており、例えば個人の土地の大きな樹を保存するのに市から助成金がでる。ちなみに、オムニバスタウンのひとつである。
[編集] 市長
- 石渡徳一
[編集] 姉妹都市・提携都市
[編集] 国内
[編集] 海外
[編集] 教育
[編集] 小学校
[編集] 公立
- 鎌倉市立第一小学校
- 鎌倉市立第二小学校
- 鎌倉市立大船小学校
- 鎌倉市立稲村ガ崎小学校
- 鎌倉市立関谷小学校
- 鎌倉市立玉繩小学校
- 鎌倉市立御成小学校
- 鎌倉市立腰越小学校
- 鎌倉市立今泉小学校
- 鎌倉市立山崎小学校
- 鎌倉市立七里ガ浜小学校
- 鎌倉市立小坂小学校
- 鎌倉市立植木小学校
- 鎌倉市立深沢小学校
- 鎌倉市立西鎌倉小学校
- 鎌倉市立富士塚小学校
[編集] 国立
- 横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉小学校
[編集] 私立
- 清泉小学校
- 鎌倉女子大学初等部
[編集] 中学校
[編集] 公立
- 鎌倉市立第一中学校
- 鎌倉市立第二中学校
- 鎌倉市立大船中学校
- 鎌倉市立岩瀬中学校
- 鎌倉市立玉縄中学校
- 鎌倉市立御成中学校
- 鎌倉市立腰越中学校
- 鎌倉市立手広中学校
- 鎌倉市立深沢中学校
[編集] 国立
- 横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校
[編集] 私立
[編集] 高等学校
[編集] 公立
- 神奈川県立鎌倉高等学校
- 神奈川県立七里ガ浜高等学校
- 神奈川県立深沢高等学校
- 神奈川県立大船高等学校
[編集] 私立
- 栄光学園高等学校
- 鎌倉学園高等学校
- 鎌倉女学院高等学校
- 鎌倉女子大学高等部
- 清泉女学院高等学校
- 北鎌倉女子学園高等学校
[編集] 大学・短期大学
[編集] 隣接している自治体
[編集] マスコミ
[編集] 放送事業者
[編集] ラジオ放送
[編集] コミュニティ放送
[編集] 交通
[編集] 鉄道
[編集] バス
[編集] 道路
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集] レジャー
[編集] 祭り
- 鎌倉祭り
- 夏越(なごし)祭り
- ぼんぼり祭り
- 海上花火大会
- 鶴岡八幡宮秋期例大祭
- 御鎮座記念祭
[編集] 出身の有名人
- 有坂美香(ゴスペル歌手)
- 草上仁(小説家)
- 小泉博(アナウンサー、俳優)
- 境鶴丸(フジテレビアナウンサー)
- 菅原一剛(写真家)
- 鶴田真由(女優)
- 長崎玄弥(英語教育評論家)
- 中原茂(声優)
- 橋爪大三郎(社会学者)
- 馬場憲治(タレント)
- 日野美歌(歌手)
- 福山芳樹(歌手)
- 藤村俊二(タレント)
- ますいさくら(作家)
- ますい志保(タレント)
- 松本悠里(宝塚歌劇団)
- 養老孟司(解剖学者)
- 吉野敬介(代々木ゼミナール古文講師)
- 若田部健一(元横浜ベイスターズの投手)
- 立川祐路(レーサー)
[編集] 鎌倉市が舞台となっている作品
[編集] 映画
[編集] 漫画
- 鎌倉ものがたり(西岸良平作の漫画、双葉社月刊まんがタウン連載中)
- エルフェンリート(岡本倫作の漫画、集英社ヤングジャンプ連載)
- ロイアルミストブレード(大星由良作の漫画、委託市場ドットコム掲載中)
- 源平伝NEO(あかほりさとる/別天荒人作の漫画、角川書店月刊少年エースに連載された)
- 青い花(志村貴子作の漫画、太田出版マンガ・エロティクスF連載中)
- なぎさMe公認(北崎拓作の漫画、小学館週刊少年サンデーに連載された)
- まかせてイルか!(大地丙太郎/たかしたたかし作の漫画、徳間書店月刊アニメージュに連載された)
- 坂物語り(大倉らいた/たなか友基作の漫画、角川書店月刊少年エース及び増刊 桃組に掲載された)
- 菜(わたせせいぞう作の漫画、講談社週刊モーニングに連載された)
- ラヴァーズ・キス(吉田秋生作の漫画、上記同名映画の原作。小学館別冊少女コミックに連載された)
- ふたつのスピカ(柳沼行作の漫画、メディアファクトリー月刊コミックフラッパー連載中)主人公の出身地『唯ヶ浜』のモデルは『由比ヶ浜』という説が有力
- スラムダンク(井上雄彦作の漫画、集英社週刊少年ジャンプに連載された)主人公達が試合を行うライバル校のモデルと推測される公立学校が鎌倉市に存在
- 甲子園へ行こう!(三田紀房作の漫画。講談社ヤングマガジンに連載された)主人公の通う高校が「鎌倉西高校(架空)」である。
[編集] アニメ
- うた∽かた(UHFアニメ、地元局tvkでも放送された)
- Cosmic Baton Girl コメットさん☆(テレビ大阪をキー局にテレビ東京系で放送された)
- エルフェンリート(CS(AT-Xで放送)及びUHFアニメ、上述の漫画のアニメ版。ちなみに上の「Cosmic Baton Girl コメットさん☆」と監督が同じである)
- あずきちゃん(NHKアニメ)最終話「勇之助くん!さよならはいわないで」における、お別れ遠足の場所
- 天空のエスカフローネ(テレビ東京をキー局に放送されたアニメ)
- 美鳥の日々(tvkなどで放送されたアニメ。アニメ版のみ湘南モノレールが登場する地域を舞台としている)
[編集] ゲーム
- Memories Offシリーズ(KID作の恋愛アドベンチャーゲーム)
- 江ノ電(ゲーム中ではシカ電)沿線を中心に、鎌倉・藤沢一帯が舞台となっている
- シルバーレイン(トミーウォーカーのPBW)
[編集] その他
- 文部省唱歌「鎌倉」
[編集] その他
- 最寄りの空港は羽田空港。大船駅から直通バスがある。
- 成田空港への直通の列車がある。
- 最寄りの新幹線の駅は、新横浜駅。
- 鎌倉フリー環境手形は、地域の交通を自由に使える共通の切符。
- サザンオールスターズのメインボーカリスト・桑田佳祐氏は鎌倉学園の出身。「鎌倉」をモチーフとしたアルバム『kamakura』に収められた『夕陽に別れを告げて』や原由子がボーカルを担当する『鎌倉物語』など、鎌倉にまつわる楽曲を多数作っており、ノスタルジックな作品としてファン層外からも人気を集めている。
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- 鎌倉をモチーフとしたサザンオールスターズの代表作品
- 鎌倉物語
- 古戦場で濡れん坊は昭和のHero
- 夕陽に別れを告げて
- 希望の轍
- 愛の言霊~Spiritual Message~
- 通りゃんせ
- 君こそスターだ
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 神奈川県の自治体等
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