吉永小百合
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吉永 小百合(よしなが さゆり、本名:岡田小百合(おかだ さゆり)、1945年(昭和20年)3月13日 - )は、日本の女優である。
東京都渋谷区代々木西原町出身(当時の町名)。そのファンは「サユリスト」と呼ばれる。
また、作曲家の吉田正の門下生として数多くのレコードを出している。
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[編集] 経歴
- 1957年(昭和32年)1月 - 渋谷区立西原小学校6年生のとき、ラジオ東京(現TBSラジオ)連続放送劇(ラジオドラマ)『赤胴鈴之助』でデビュー。同年10月にはラジオ東京制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。
- 1960年(昭和35年) - 渋谷区立代々木中学校卒業。東京都立駒場高等学校入学。
- 1961年(昭和36年) - 精華学園高等学校転入学。
- 1962年(昭和37年) - 高校在学中に『キューポラのある街』に主演。『寒い朝』でレコードデビュー。20万枚のヒット。橋幸夫とデュエットし30万枚の大ヒットとなった『いつでも夢を』でレコード大賞を受賞。
- 1965年(昭和40年) - 仕事が多忙で高校を中退していたため、高卒と同等以上の学力があるかを調べる早稲田大学が独自に行う試験を経て早稲田大学第二文学部史学科西洋史専修に入学。
- 1969年(昭和44年) - 早稲田大学第二文学部を、多忙な中、正規の4年で卒業。
- 1973年(昭和48年) - 当時フジテレビのディレクターだった15歳年上の岡田太郎氏と結婚。
- 1985年(昭和60年) - 『おはん』、『天国の駅』の演技で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞。以降、4度(1989年(平成元年)、2001年(平成13年)、2006年(平成18年))の最優秀主演女優賞受賞。
- 1988年(昭和63年) - 映画『つる』(市川崑監督)に主演。100作めの映画出演となる。
- 1997年(平成9年) - 朗読CD『第二楽章』が第39回日本レコード大賞企画賞を受賞。
- 2002年(平成14年) - 広島市の平和記念資料館に導入された音声ガイドのナレーションをボランティアで担当。
- 2003年(平成15年) - 広島市の平和記念資料館に導入された音声ガイドのナレーションをボランティアで担当したことや同じくボランティアでの原爆詩の朗読などの平和活動が評価され第15回谷本清平和賞を受賞。
[編集] 人物
- 言わずと知れたベテラン女優の一人である。
- 日活の看板女優として、男優・浜田光夫と共に1960年代の日本映画界に一大旋風を巻き起こした。従来の男性アクション映画路線がマンネリ化していた当時の日活にとって、吉永・浜田コンビの純愛&青春映画路線は新たな日活映画ファンの獲得と支持を集めることとなった。特に浦山桐郎監督の『キューポラのある街』、ベストセラーを映画化した『愛と死をみつめて』などは話題となった。
「ブロマイド」が爆発的に売れて1964年(昭和39年)、1968年(昭和43年)、1969年(昭和44年)と年間売上実績が女性部門で頂点に輝いた。当時、彼女はまだ高校生で、彼女と共に青春時代を歩んだ世代に「サユリスト」と呼ばれるファンが多い(有名人ではタモリ、野坂昭如、清原和博らが有名)。
以降ずっと人気女優だったと思われがちだが、1970年代はスランプの時期だった。ちょうど日本映画の衰退期と重なり、結婚によるイメージダウン(相手が15歳も年上の業界関係者で女優としての役柄のイメージに合わず、結婚に反対する両親との仲違いも報道された)もあって、女優としての活躍の場が激減した。当時の邦画界には、ヌードも辞さず大胆に現代女性を演じる若手女優が多数登場しており、吉永が1960年代に演じ続けた清純なお嬢さん像は類型的で古くさいイメージになってしまっていた。子役出身の俳優にしばしば見られるように、娘役から大人の女性への脱皮がスムーズにいかなかったと表現することもできるだろう。デビュー時代以外はテレビドラマには縁がないようなイメージだが、映画出演が減り始めた時期にNHK大河ドラマにも出演。1975年(昭和50年)の映画『青春の門』では、初めて“清純なお嬢さん”を脱する演技を披露した。
1981年(昭和56年)のNHKテレビドラマ『夢千代日記』では、大人の女としての情感を豊かに表現して話題となる。この時期から次第に演技力もある大女優という評価を受け始めた。「サユリスト」復権も同時期のこと。邦画の冬の時代にも定期的に出演作が制作され現在に至っている。
おそらく日本でもっとも著名な西武ライオンズと早稲田大学ラグビー蹴球部ファンであろう。2003年(平成15年)、TBSラジオ吉永小百合・街ものがたりで、鉄道ファンであることを告白した。夫は、元フジテレビディレクター・元共同テレビ社長の岡田太郎氏。
最近はテレビへの出演はCM以外ほとんどなく、映画出演を中心に活躍。映画出演作は110本を超えている。また、広島を舞台にした映画『愛と死の記録』(共演:渡哲也)の出演やNHKドラマ『夢千代日記』で原爆症に苦しむ主人公を演じたことをきっかけに、1986年(昭和61年)からボランティアで原爆詩の朗読会をスタートさせ、現在では女優としての活動のほか、反戦・反核運動をライフワークとしている。2003年(平成15年)平和活動に貢献した事が評価され第15回谷本清平和賞を受賞。第56回NHK紅白歌合戦(2005年(平成17年))では山梨からの中継でゲスト出演し、原爆詩を朗読した。
[編集] 出演
[編集] 映画
- 北の零年(2005年(平成17年)) 日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞。
- 千年の恋ひかる源氏物語(2002年(平成14年))
- 長崎ぶらぶら節(2000年(平成12年)) 日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞。
- 女ざかり(1994年(平成6年))
- 華の乱(1988年(昭和63年)) 日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞。
- 夢千代日記(1985年(昭和60年))
- 天国の駅(1984年(昭和59年)) 日本アカデミー賞最優秀主演女優賞受賞。
- 細雪(1983年(昭和58年)) 3度目の映画化
- 青春の門(1975年(昭和50年))
- 愛と死をみつめて(1964年(昭和39年))
- キューポラのある街 1963年(昭和38年)、キネマ旬報ベストテン第2位。ブルーリボン賞作品賞、女優賞受賞。在日朝鮮人の北朝鮮帰国運動を描いた名作として知られている。
ほか、100本以上の映画に出演している。
[編集] CM
- シャープ液晶テレビ「AQUOS」「太陽光発電」
- 東日本旅客鉄道「大人の休日倶楽部」
- カゴメ「植物性乳酸菌 ラブレ」「野菜ジュース」
- トヨタ自動車「クラウン」(1973年(昭和48年)~83年(昭和58年))
[編集] ラジオ
- 吉永小百合 街ものがたり(TBSラジオ 1997年(平成9年)4月~2004年(平成16年)3月)
- 今晩は 吉永小百合です(同上 2005年(平成17年)10月~)
[編集] バラエティー番組
- スター千一夜 ※司会担当(フジテレビ)
- 料理バンザイ! ※特別ゲストでイタリアロケ(テレビ朝日)
- 「ぷっ」すま(テレビ朝日)
- 今夜は最高!(日本テレビ)
- 徹子の部屋(テレビ朝日)
- すてきな出逢い いい朝8時(毎日放送系全国ネット)
- おしゃれカンケイ(日本テレビ)
- スタジオパークからこんにちは(NHK)
[編集] 歌番組
[編集] 著書
- 憲法を変えて戦争へ行こう という世の中にしないための18人の発言(岩波書店、2005年(平成17年)、ISBN 4000093576)
[編集] 朗読CD
- 第二楽章(1997年(平成9年)) ※広島の原爆詩を朗読したCD
- 第二楽章・長崎から(1999年(平成11年))
- 第二楽章・沖縄から「ウミガメと少年」(2006年(平成18年)) ※野坂昭如の戦争童話集を朗読したCD
[編集] 豆知識
- 吉永が歌った有名な『奈良の春日野』は、元々1965年(昭和40年)に発売されたシングル『天満橋から』(1965年(昭和40年)のNHK紅白歌合戦出場はこの歌)のB面曲だったが、1987年(昭和62年)に明石家さんまがギャグとして取り上げたことから大ブレイクし、曲に合わせた振り付けも作られ、レコードも再発売(A面を『奈良の春日野』に変更)されヒットした。
- 三波春夫の曲と思われがちな「世界の国からこんにちは」のレコードを大阪万博当時に出している。また、大阪万博開催の数年前に「世界の国からこんにちは」の歌が初めてマスコミに発表された時も三波春夫ではなく彼女がその場で歌っている。
- 「サユリスト」を自認するタモリは、同じく「サユリスト」として知られる野坂昭如に対し「あの人は一時山口百恵に走ったが、俺は小百合サマ一筋」と述べたことがある。タモリと吉永は早稲田大学に在学していた時期が重なっており、学生食堂で吉永が食事しているのを偶然に発見した際、吉永の食べ残しを何の躊躇もなく食べたというのだが、真偽は不明。
- 早稲田大学での卒業論文のテーマは「アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』におけるアテネ(アテナイ)の民主制について」であった。