金正日
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金正日 | |
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各種表記 | |
チョソングル: | 김정일 |
漢字: | 金正日 |
平仮名: (日本語読み仮名): |
きんしょうにち |
片仮名: (現地語読み仮名): |
キム・ジョンイル |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
英語表記: | Kim Jong-il |
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朝鮮民主主義人民共和国 第2代国家主席 | |
任期: | 1994年 – |
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出生日: | 1942年2月16日 |
生地: | ソ連の軍事教練キャンプ |
配偶者: | |
政党: | 朝鮮労働党 |
共産主義 |
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金正日(キム・ジョンイル、1942年2月16日 - )は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の最高指導者。朝鮮労働党総書記であり、朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長、朝鮮人民軍最高司令官である。称号は朝鮮民主主義人民共和国共和国英雄(2回受称し、二重英雄と称される)。
目次 |
人物像
建国当初より最高指導者であった金日成の、実子であり長子である。朝鮮労働党書記に就任以来、父・金日成の独裁を実現するために激しい権力闘争を仕掛け勝利しつづけた。同じ時期に、金日成を称えるプロパガンダが高まりつづけたことが注目されており、父・金日成のカリスマ化と忠誠合戦を仕掛けることが権力闘争を勝ち抜く主な方策だったと推測されている。また、この功績が現在の地位に至ることに大きく資したとも推測されている。しかし、これらはあくまで北朝鮮の外から確認し得る現象にすぎず、党内闘争の内情については明らかではない。
金正日は、結果として金日成および北朝鮮の支配幹部たちに後継者として指名・承認されるに至った。しかし、その経緯もまた不明である。北朝鮮当局は、民族には単一の指導者が必要であり、単一の指導者には単一の後継者が必要であることを、ソ連・中国の例を出して論じている[1]。
また、金正日は後継者としての地位を維持するためにも呉振宇(オ・ジヌ)、金東奎(キム・トンギュ)、金一(キム・イル)などとの権力闘争があったとの観測もある[要出典]。金日成派の独裁化に貢献したと思われることも含め、党内闘争に熟達し情報統制に長けていると推測されている。これと、彼が若い頃に映画局に勤め父・金日成をカリスマ化するプロパガンダに関係した経験とを関係づけられることが多い。実際に、テレビ映像やイベント関係の視覚効果などは自ら現場で綿密にチェックすると言われている。自らの肉声をほとんど流さないことでも有名で、南北首脳会談以前の肉声は1992年の軍事パレードで発した「英雄的朝鮮人民軍将兵に栄光あれ!」というわずか5秒間の一文が唯一であった。
金日成以来、ソ連に政権中枢の役割を担わされた満州派が朝鮮人民軍を権力基盤としてきた一方で、金正日は党官僚の代表や行政官僚の利益代弁者として振舞ったと見えた時期があった。そのため、金日成死亡の少し前から朝鮮人民軍を掌握しようと腐心していたことが公式プロパガンダおよび人事配置からうかがえる。一方で、外交官経験者を比較的重用しはじめていることも人事配置からうかがえる。これはゴルバチョフ期のソ連・東欧と似た現象である。朝鮮労働党大会は1980年の第6回大会以来招集していない。
2000年に南北首脳会談を行ってから、2001年にかけイタリア、イギリス、カナダ等西側諸国との国交を樹立し、徐々に開放政策へと舵を切り始めた。しかし、米国との緊張関係は和らぐことなく、「先軍政治」を掲げ、交渉決裂や武力衝突を辞さない態度をちらつかせる「瀬戸際外交」を展開している。
白頭山で生まれたと公式には宣伝されているが、実際にはソビエト連邦の極東地方の軍事教練キャンプで生まれている。正確な出生地についてはハバロフスク近郊のビャックエにある北野営、ウラジオストク近郊のオケアンスカヤにある南野営、ウラジオストク市内の病院といった説がある。早くに母・金正淑を失い、弟・金万一を事故で亡くした幼年期は内向的な性格だったが、中学時代から級長を務めるようになり、様々なイベントを主催するなど、指導者の息子としての意識を明確に持つようになっていったと言われている。
1963年に金日成総合大学政治経済学部経済学科を卒業。北朝鮮独自の立場とされている主体思想のレトリック整備を担当した黄長燁に師事していたこともある。
国営の朝鮮中央放送で使われる金正日の呼び名は100以上あると言われ、北朝鮮国内のメディアでは、「百戦百勝の鋼鉄の霊将」などと賛美されるが、実戦で指揮を執った経験はない。この称号は金日成を賛美する決まり文句が儀礼化したまま流用されたものと言われている。国民からは「将軍様」と呼ばれ、国内のあらゆる所にその肖像画が掛けられている。代表的な呼び名として「親愛なる指導者、金正日同志」 があるが、二言目からは「金正日同志」「金正日総書記」と略される。また、朝鮮人民軍内部では「最高司令官同志」ともよばれる。その他、かつて使用されたものに「党中央」がある。党中央の語は一般的に党中央委員会のことと解釈される語であったため、党中央の語が金正日個人を指すと判明するまでに長い時間がかかった。また、北朝鮮の公式文献においても党中央の語が機関を指す語から次第に個人を指す語としての様相をみせるまで長い時間がかかっている。
現在の肩書は、国家においては共和国国防委員会委員長、共和国元帥、朝鮮人民軍最高司令官、党においては朝鮮労働党総書記、朝鮮労働党政治局常務委員、朝鮮労働党中央軍事委員、朝鮮労働党中央委員、朝鮮労働党政治局員である。権力を一手に集めている。
出生がソ連であったため、幼いころは「ユーラ (フルネームはユーリ・イルセノビッチ・キム)」という名前を名乗ったが、朝鮮半島の解放後、おそらくソ連軍政期から朝鮮式の「キムジョンイル」を名乗ることとなった。1980年の第6次党大会にて金正日という表記が確認された。また、「キムジョンイル」の名が公式文書に登場した当初、日本では金正一の字があてられていた。ちなみに朝鮮人が父母の名から字を取ることは当時、稀であり、朝鮮の伝統的な命名ルール(行列字)ではあり得ないこととされている。
朝鮮総連のウェブサイトには「名言録」や「逸話集」などを掲載した金正日総書記特集があり、そのなかでは金正日を偉人と呼んでいる。
2004年9月1日に高英姫夫人の死亡が報道された。高英姫は帰国した在日朝鮮人二世である。このため日本では、子供の金正哲が三代目後継者として浮上し労働党創建60周年にあわせ後継者に内定されたとの観測が出た。このように日本と韓国のメディアは北朝鮮が世襲後継を慣習化するだろうと前提して後継者が誰なのかについてしばしば話題にしているが、実際には金正日による後継でさえ経緯が不明であり、世襲は再度可能なのかどうか、不可能だとすればそれにあえて挑戦するか、おおいに疑われている(金日成#後継者参照)。
2006年7月16日には北朝鮮のミサイル発射をきっかけに国連・安保理の全会一致で非難決議がなされた。 また、2006年7月23日には女性秘書の金玉を事実上の夫人とし、一緒に生活している事を報じられた。
スラックスとジャンパーを愛用している。外国元首と会談する際は中国の人民服に似た服を着用することもある。肖像画には軍服を着用している姿もあるが、実際に軍服姿で公の場に出たことはないようである。金日成はスーツを着用することが多かったが、金正日がスーツを着用することはまずない。 日本の政治家・小泉純一郎とは同年生である。
趣味
インターネットに熱心である。一日数時間、情報収集などに利用している。コンピュータに関してはMacユーザーであるとも言われている。 また、平壌中心の高台に「国家映画文献庫」[2]という映画の文献庫を(事実上個人で)所有するほどの映画マニア。日本や欧米の映画などを多数鑑賞しているといわれている。日本映画では『男はつらいよ』のファンで、1985年には東宝の特撮スタッフを招いて『プルガサリ』という怪獣映画をプロデュースしたこともある。スポーツはバスケットボールを好む。舞踏鑑賞も多彩な趣味のひとつ。ハーレーダビッドソンを所有。愛車はメルセデスベンツSクラスであったが、2006年にフォルクスワーゲンフェートンを所有した模様。 2006年には初めてゴルフにも興じ、18ホール中11ホールでホールインワンを達成した(北朝鮮誌の報道)。
日本で出版されている主な著作
- 『人間の証し』(角川書店(同朋舎)、2000年10月発行) - ISBN 4810426505
脚注
- ↑ 金裕民『後継者論』ソウル:新文化社(実在しない出版元と思われる)、1984年。東京: 九月書房、翻刻発行1986年。
- ↑ 「国家映画文献庫」については外部リンク朝鮮日報Web日本語版2005年4月7日を参照。
関連項目
- 朝鮮民主主義人民共和国
- 大韓民国
- 共産主義
- 金日成
- 金正男
- 金正雲
- 金正哲
- 金敬姫
- 張成沢
- 金平一
- 普天堡電子楽団
- 喜び組
- 映画『プルガサリ』
- 日本人拉致事件
- 大韓航空機爆破事件
- プリンセス・テンコー
- 金正日花
- 藤本健二
参考文献
- 李珍珪『二十一世紀と金正日書記』1995 朝鮮青年社
- 尾上健一『金正日主義入門』1995 白峰社 ISBN
- 朝鮮・金正日伝編纂委員会『金正日伝 (第1巻)』2004 白峰社 ISBN 4434041657
- 朝鮮・金正日伝編纂委員会『金正日伝 (第2巻)』2005 白峰社 ISBN 4434060910
- 在日本朝鮮人総聯合会中央常任委員会『金正日略伝』1995 雄山閣出版 ISBN 4639012764
- 朝鮮新報社朝鮮問題担当班『キム・ジョンイルプラン―21世紀をリードするリーダーの戦略』1997 朝鮮青年社 ISBN 4885220475
関連書籍等
- 『お笑い北朝鮮―金日成・金正日親子長期政権の解明』
- 『新お笑い北朝鮮』
- 『金正日の後継者は在日の息子―日本のメディアが報じない北朝鮮「高度成長」論』
- 著者:河信基、:出版社:講談社 、2004年12月発行
外部リンク
- 在日本朝鮮人総聯合会>朝鮮労働党金正日総書記
- 「金正日略伝」 朝鮮外国文出版社2001年中国語版
- 「逸話集 偉大な人間金正日」 朝鮮外国文出版社中国語版
- 北朝鮮の指導者
- 1994-
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- 先代:
- 金日成
- 次代:
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