若尾文子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
若尾 文子(わかお あやこ、1933年11月8日 - )は、日本の女優。
目次 |
[編集] 来歴・人物
東京生まれ。大戦中、仙台市に疎開(1944年仙台市立連坊小路小学校卒)。帰京後の1951年、大映の第5期ニューフェースとして映画界入り。1952年、小石栄一監督『死の町を脱れて』で映画デビュー。1953年、『十代の性典』シリーズで庶民的な人気を獲得。『祇園囃子』(1953年)、『赤線地帯』(1956年)で溝口健二監督に起用され、本格派女優の第一歩を踏み出す。以降、京マチ子・山本富士子と並ぶ大映の看板女優として、そして、日本映画史を飾る大女優として、川島雄三・増村保造・市川崑・溝口健二など数々の名監督と後世に残る映画作品を創出。約160本以上の映画に出演した。特に増村保造とは、監督第2作『青空娘』以降、『清作の妻』『妻は告白する』『赤い天使』『「女の小箱」より 夫が見た』『刺青』『卍』『妻二人』『千羽鶴』など、20作にわたってコンビを組み、多くの傑作映画を残した。1971年の大映倒産以降は、『雪国』(川端康成原作)で舞台に進出するなど、現在まで舞台およびNHK大河ドラマ「新・平家物語」(1972年)などテレビドラマを中心に活動している。
仙台を舞台にした井上ひさしの自伝的作品「青葉繁れる」のヒロインのモデルである。
夫は建築家の黒川紀章である。義妹(夫の弟・黒川雅之の妻)は加藤タキ。
[編集] 出演
[編集] 映画
- 祇園囃子(1953年)
- 赤線地帯(1956年)
- 青空娘(1957年)
- 永すぎた春(1957年、大映)
- 最高殊勲夫人(1959年)
- 氾濫(1959年)
- 美貌に罪あり(1959年)
- 女経 第一話 耳を噛みたがる女(1960年)
- からっ風野郎(1960年)
- 偽大学生(1960年)
- 好色一代男(1961年)
- 妻は告白する(1961年)
- 爛(1962年)
- 「女の小箱」より 夫が見た(1964年)
- 卍(1964年)
- 清作の妻(1965年)
- 刺青(1966年)
- 赤い天使(1966年)
- 妻二人(1967年)
- 華岡青洲の妻(1967年)
- 積木の箱(1968年)
- 濡れた二人(1968年)
- 千羽鶴(1969年)
- 女は二度生れる(1961年)
- 雁の寺(1962年)
- しとやかな獣(1962年)
- 処刑の部屋(1956年)
- 日本橋(1956年)
- あなたと私の合言葉 さよなら、今日は(1959年)
- ぼんち(1960年)
- 雪之丞変化(1963年)
- 竹取物語(1987年)
- 小津安二郎監督「浮草」(1959年)
- 吉村公三郎監督「越前竹人形」(1963年)
- 山本薩夫監督「傷だらけの山河」(1964年)
- 山本薩夫監督「氷点」(1966年)
- 山田洋次監督「男はつらいよ 純情篇」(1971年)
- 新藤兼人監督「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」(1975年)
- 行定勲監督「春の雪」(2005年。18年ぶりの映画出演)
[編集] テレビドラマ
- 新・平家物語(1972年、NHK大河ドラマ)
- 元禄太平記(1975年、NHK大河ドラマ)
- 武田信玄(1988年、NHK大河ドラマ)
- 徳川慶喜(1998年、NHK大河ドラマ)
- お美也(2002年、NHK金曜時代劇。※ナレーションを担当)
- 武蔵 MUSASHI(2003年、NHK大河ドラマ)
- 初蕾(2003年、TBS。共演:宮沢りえ)
[編集] 舞台
[編集] バラエティー番組
- SMAP×SMAP (※ビストロ・スマップゲスト、1997年2月24日。フジテレビ)
- 中居くん温泉(よみうりテレビ)
- 知ってるつもり?!(日本テレビ)
- タモリ&さんまの爆笑タッグマッチ(日本テレビ)
- ざこば・鶴瓶らくごのご(朝日放送)
- 快傑えみちゃんねる(関西テレビ)
- 徹子の部屋(テレビ朝日)
- スタジオパークからこんにちは(NHK総合)
[編集] CM
- 伊藤ハム
- 日清食品「ごんぶと」大映時代の映像が流れ、ハリウッド俳優・スティーブン・セガールと”共演”している。
- 花王「SOFINA(ソフィーナ)」
- 日産自動車
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 四方田犬彦、斉藤綾子共編著『映画女優若尾文子』みすず書房。2003年6月発行。ISBN 4622070162