タイ王国
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- タイ王国
- ราชอาณาจักรไทย
-
(国旗) (国章) - 国の標語 : なし
- 国歌 : タイ国歌
-
公用語 タイ語 首都 バンコク 最大の都市 バンコク 国王 ラーマ9世プーミポン・アドゥンラヤデート 暫定首相 スラユット・チュラーノン 面積
- 総計
- 水面積率世界第49位
514,000km²
0.4%人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第19位
64,865,523人
126人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
6兆9,504億バーツGDP(MER)
- 合計(2005年)世界第34位
1,745億ドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第19位
4,757億ドル
7,400ドル建国
- 日付スコータイ王朝成立
1238年 (伝承)通貨 バーツ (THB) 時間帯 UTC (+7)(DST: なし) ccTLD .TH 国際電話番号 66
タイ王国(-おうこく)は、東南アジアにある王国。東にカンボジア、北にラオス、西にミャンマーとアンダマン海があり、南はタイランド湾とマレーシアである。国土はインドシナ半島の中央部とマレー半島の北部。
目次 |
[編集] 国名
正式名称は、ราชอาณาจักรไทย(タイ語: ラート・アーナーチャック・タイ)で、ราชは「王」、อาณาจักรは「領土」、ไทยは「タイ」を意味する。現地での通称は、เมืองไทย(タイ語: ムアンタイ)。
公式の英語表記は、The Kingdom of Thailand、略してThailand。日本語表記は、タイ王国、通称はタイ。漢字で泰(タイ)と表記されることもある。
かつては諸外国から、Siam(シャム、サイアム)と呼ばれており、公式名称としても使われていた。しかし、1949年5月11日、タイ人の民族名であり、タイ語で「自由」を意味するThai(タイ)に改めた(但し、「タイ」という言葉が自由という意味として使われることは一般的ではなく、タイ国民も「タイ」をこの意味で使うことは稀だという)。この名称は、東南アジア諸国が、オランダ、イギリス、フランス、スペインやアメリカなどの列強諸国の植民地となるなか、タイが独立を保ったことを示している。
[編集] 歴史
詳細はタイの歴史を参照
[編集] 国家成立
タイの民族国家成立以前、中国華南に住んでいたタイ民族は、インドシナ半島を南下して現在のタイの位置に定住するようになった。当時、タイには、モン族、クメール人が先住していた。
タイ民族の初めての統一国家であるスコータイ王朝 (1238年 - 1350年) は、インタラーティット王がモン族やアンコール王朝の支配を退け成立した。タイ語のアルファベットであるタイ文字が完成したのは、3代目ラームカムヘーン大王の時代である。
[編集] 遷都
その後、アユタヤー王朝 (1350年 - 1767年)、トンブリー王朝 (1767年 - 1782年)を経て、現在の王朝であるチャクリー王朝 (1782年 - )へと変遷した。現王朝の初代王ラーマ1世(チュラーローク将軍)は、1782年に首都をトンブリーからバンコクに移したため、バンコク王朝とも呼ばれる。また、バンコクの非常に長い正式名称にも含まれているタイの守護仏の名から、ラッタナーコーシン王朝とも呼ばれる。
[編集] 近代化
ラーマ4世(モンクット)は、自由貿易の推進、仏教の改革などを行った。映画『王様と私』にも登場する。ラーマ5世(チュラーロンコーン)は、教育制度や官僚機関の整備、奴隷解放など、タイの近代化をすすめるチャックリー改革を行った。
1932年にクーデターが勃発し、絶対君主制から立憲君主制へと移行した(民主革命、立憲革命と呼ばれる)。第二次世界大戦(大東亜戦争)時には日本の圧力により枢軸国側として参戦(日泰攻守同盟条約)したものの、その後連合国側に鞍替えしたため、戦後は戦勝国としての地位を保証された。
[編集] 高度経済成長
1967年に東南アジア諸国連合 (ASEAN) に加盟。1989年にアジア太平洋経済協力会議 (APEC) にそれぞれ結成時から加盟した。なお、この頃より日本や欧米諸国の大企業の進出を背景にした高度経済成長が始まる。1992年には5月流血革命が発生したものの、プーミポン現国王の仲裁により収まった。
1997年に始まったアジア通貨危機により経済は一時的に停滞したものの、その後急激な回復を見せ、現在では再び高い経済成長率を維持しており、東南アジアにおける代表的な工業国としての立場を保ち続けている。
[編集] 地理
詳細はタイの地理を参照
タイは大きく4つの地域に分けられ、その地域ごとにいろいろな顔を見せる。
北部は山岳地が広がり比較的涼しい気候である。タイ国内最高峰であるドーイ・インタノン(2,576m)もこの地域にある。
東北部はほぼ全域にコーラート台地が広がり、雨量が少なく農作物が育ちにくい環境にあって、貧困地域の代表格にもなっている。
中央部にはチャオプラヤー川が形成したチャオプラヤー・デルタと呼ばれる豊かな平地が広がり、世界有数の稲作地帯を作り出している。
南部はマレー半島の一部でもあり、ゴムノキの畑などが広がるほか、近年までスズの採掘が盛んであった。また、雨期が中央部よりも長いことでも有名である。タイ政府は南部においてマレー半島大運河計画(クラ地峡運河開発計画)を提起しているが、まだ検討中である。
- タイランド湾
- チャオプラヤー川 - タイ中央部を流れる大河。首都バンコクにも流れている。
- メコン川 - ラオスとの国境に流れる大河川。
- ドンパセージェ山脈
- プーケット島 - タイ西部アンダマン海に浮かぶ国際的なリゾート地。
- ピーピー島、サムイ島、パンガン島、タオ島、チャーン島、サメット島など
[編集] 主要都市
以下の都市は人口5万人以上を有し、3,000人/km²の人口密度を持つ市街地(いわゆるテーサバーンナコーン)を有する郡(アムプー)を記載する。
- アユタヤ - ウボンラーチャターニー - ウドーンターニー - サムットプラーカーン - サムットサーコーン - ソンクラー - コーンケーン - チエンマイ - チエンラーイ - トラン - ナコーンサワン - ナコーンシータンマラート - ナコーンパトム - ナコーンラーチャシーマー - ノンタブリー - パーククレット - ハートヤイ (ハジャイ) - ピッサヌローク - プーケット - ヤラー - ラムパーン - ラヨーン
また、以下は経済的な発展のため特殊な法律によって自治が許されている地域である。
[編集] 地域区分
詳細はタイの地方行政を参照
75県とバンコク首都府に分かれている。
ウタイターニー県 - ウッタラディット県 - カムペーンペット県 - スコータイ県 - ターク県 - チエンマイ県 - チエンラーイ県 - ナーン県 - ナコーンサワン県 - パヤオ県 - ピッサヌローク県 - ピチット県 - プレー県 - ペッチャブーン県 - メーホンソーン県 - ラムパーン県 - ラムプーン県
アーントーン県 - アユタヤ県 - カーンチャナブリー県 - サケーオ県 - サムットサーコーン県 - サムットソンクラーム県 - サムットプラーカーン県 - サラブリー県 - シンブリー県 - スパンブリー県 - チャイナート県 - チャチューンサオ県 - チャンタブリー県 - チョンブリー県 - トラート県 - ナコーンナーヨック県 - ナコーンパトム県 - ノンタブリー県 - パトゥムターニー県 - バンコク(県ではない) - プラーチーンブリー県 - プラチュワップキーリーカン県 - ペッチャブリー県 - ラーチャブリー県 - ラヨーン県 - ロッブリー県
アムナートチャルーン県 - ウドーンターニー県 - ウボンラーチャターニー県 - カーラシン県 - コーンケーン県 - サコンナコーン県 - シーサケート県 - スリン県 - チャイヤプーム県 - ブリーラム県 - ナコーンパノム県 - ナコーンラーチャシーマー県 - ノーンカーイ県 - ノーンブワラムプー県 - マハーサーラカーム県 - ムックダーハーン県 - ヤソートーン県 - ルーイ県 - ローイエット県
クラビー県 - サトゥーン県 - スラートターニー県 - ソンクラー県 - チュムポーン県 - トラン県 - ナコーンシータンマラート県 - ナラーティワート県 - パッターニー県 - パッタルン県 - パンガー県 - プーケット県 - ヤラー県 - ラノーン県
参考:チャンワット
[編集] 気候
タイの気候は熱帯性に属しモンスーンの影響が大きい。5月中旬から10月ころにかけては空気が湿り、なま暖かく、スコールなどを特徴とする雨期に見舞われる。特に9月と10月は降雨量が多く、しばしば洪水が引き起こされる。その後、11月から3月中旬までは雨が少なく、比較的涼しい乾期となる。特に12月頃には寒季とも言われる寒い時期を経る。バンコクでも年によっては吐いた息が白くなることもあり、北部や東北部では凍死者も出ることもあるほどである。4月には暑季と呼ばれる非常に暑い気候となり、夏を迎える。
[編集] 王室
伝統的に王室メンバーへの国民の敬意が非常に高く、国王や王妃の誕生日には国中が誕生日を祝うお祭り状態となり、誕生日の前後には、国民が自ら作成した肖像が国中に飾られる。国民の各家庭や商店、屋台に至るまで、国王の写真や肖像画が飾られることが多く、映画館では本編の前に国王の映像が流され、その間、観客は起立する。
特に、現国王であるラーマ9世(プーミポンアドゥンラヤデート)とシリキット王妃はその人柄と高い見識から国民の人気が非常に高い。なお、古くから日本の天皇家との親交が深いことでも有名であり、相互訪問が常に行われているほどである。
立憲君主制のもと、平時は国王は象徴的な存在で、政治過程においては東南アジアで最も民主主義が成熟しているとも言われていたが、実際には、「選挙で倒せない政権はクーデタで追い払って当然」などと考える国民は多く、国民の意識は未成熟であるといえる。そのため、政治的な危機にあたってはしばしば国王の直接的、または間接的な介入が見られる。近年においても1992年に発生した5月流血革命の際にプーミポン国王が仲裁に入った他、2006年の政治危機でもタクシン首相の進退問題に直接介入して混乱を収束させるなど、危機における政治や国軍への影響力は極めて大きい。
また、王室に対する不敬罪も存在する。しかし、実際に「不敬罪」として立件されても王が「寛大なお心」で許すというのがほぼ慣例化している。
[編集] 政治
詳細はタイの政治を参照
[編集] 立憲君主制
タイの国王は立憲君主制であり、日本ほどではないがその権限はさまざまな制限が加えられている。しかしながら、その国の象徴としての位置は確固たるもので、国民の信頼は大きい。実際の国政の最高責任者は首相である。首相は日本と同じく、議会第一党が中心となった連立政権によって成り立つことが多い。
[編集] 国会
タイの国会は上下二院制の議会制民主主義をとっており、その実体はラッタサパー (รัฐสภา )と呼ばれる。この国会は500議席からなるサパープーテーンラーサドーン (สภาผู้แทนราษฎร) と呼ばれる人民代表院(下院議員とも、民選)と200議席からなるウッティサパー(วุฒิสภา、2000年から民選)とよばれる上院議員からなる。人民代表院の任期は4年で上院議員は6年である。首相は人民代表院から選出され、上院議員には法律の発案権はない。
[編集] 現政権
2001年以降は、タクシン・チナワットを党首とするタイ愛国党が政権を担い、副首相はチッチャイ・ワンサティットが務めていた。その後タクシン首相は自らの不祥事により2006年4月に国王に対し退陣を表明、次期首相が決まるまで休養に入った。当面の間、首相の職務はチッチャイ副首相が代行することとなった。しかし、実際には暫定首相としてタクシン首相が職務を行ったことから国民の反発を招き、2006年9月に国連総会へ出席するためにアメリカに滞在中に発生したタイ国軍によるクーデターにより政権の座を追われた。その後、民主改革評議会によって暫定首相としてソンティ・ブーンヤラッガリンが任命された。
[編集] 外交
冷戦期にはアメリカ合衆国との同盟を基調とした西側戦略であったが、伝統的に柔軟な全方位外交を展開・維持しており、ASEAN諸国との連携、日本・アメリカ、中国といった主要国との協調を、外交の基本方針としている。タクシン首相時代は、近隣国との関係強化、各国との自由貿易協定(FTA)締結を進める経済中心外交を行い、「アジア協力対話(Asia Cooperation Dialogue:ACD)」を提唱するなど、地域の核となる立場を目指した。
[編集] 軍事
タイ王国軍の正規兵力は30万6600人(陸軍19万人、海軍7万600人、空軍4万6000人)で、徴兵制による2年間の兵役の義務を有するが、徴兵の際はくじ引きにより、陸海空のいずれかに配属されると言うユニークな方法をとっている。他に予備役20万人。予算は2003年に19億ドル。
第二次世界大戦後、2006年までに、発覚した未遂を含めて16回ものクーデターを計画、実行するほど、軍上層部の政治志向は強い。
[編集] 司法
司法権はサーンディーカー (ศาลฎีกา) と呼ばれる中央高等裁判所 が持つ。ちなみに、高等裁判所の裁判官は国王による任命制である。
[編集] 経済
[編集] 高度経済成長
経済の安定や外国企業の積極的な進出を背景にした1980年代以降の高度経済成長はすさまじく、1985年から1995年にかけての10年間、タイは年間平均9%もの経済成長率を記録し続けたが、1997年に始まったアジア通貨危機により経済は停滞した。これによってタイは1ドル/25バーツに固定していた固定相場制を廃止。1998年1月には1ドル/56バーツにまで値下がり、経済規模は10.2%も悪化した。
この危機は特にタイの財閥の同族支配廃止や、外国資本の参入につながった。しかし、タイは外国への輸出を積極的に行ったことから1999年、経済成長率は再び4%台を記録、2003年には6%台を記録し、タイは好景気に逆転した。この好景気を背景に、近年に於いては上流階級よりも中流階級の経済活動の方が活発になっている。
[編集] 高い教育レベル
古くからのタイの大きな経済問題として麻薬の栽培や売春などの違法産業などが上げられる(参考:タイの違法産業、タイの出稼ぎ産業)。この違法産業の原因は国民全体の貧富の差が激しいためと見られており、タイ政府は「貧困の撲滅」に力を入れている。これを受け、特に教育に於いては1970年代初め頃から急激に改善が進められ、識字率は1995年の時点で95%を超えており、日本やシンガポールなどと並び世界でもトップクラスの高さを誇っている。
[編集] ASEAN諸国への輸出拠点
この様に教育に力を入れた結果、1980年代以降は、教育程度の高さと賃金の安さに着目した日本や欧米諸国の企業の工場の進出が目立っている。特にホンダやトヨタ、いすゞなどの自動車関連企業の多くが進出している他、家電メーカーなども多く進出し、他のASEAN諸国への輸出拠点として活用している。
また、タイ資本の大手企業として、航空会社のタイ航空やバンコク・エアウェイズ、シンハ・ビールで有名なブンロート・ブリュワリーや、ビア・チャーンで有名なタイ・ブリュワリーなどがある。
[編集] 観光産業
タイの観光産業は、大きな外貨獲得手段の一つである。タイは観光地として世界的に人気が高く、特に北半球が冬となる12月から2月にかけては世界中の国々からの観光客で賑わいを見せる。旅の楽しみ方が寺院巡りなどの文化的な側面だけでなく、マリンスポーツやグルメ、タイ式マッサージやショッピングと幅広いことや、スパ等の施設が整っていること、温暖な気候、タイ人の穏やかな国民性、物価の安さなどから、世界中の多くの観光客を魅了している。宿泊施設に関してもザ・オリエンタル・バンコクやスコータイホテル、デュシタニ・バンコクのような高級ホテルから、バックパッカー向けの1泊数百円の安宿まで、様々な価格帯のものが充実している。
2004年末のスマトラ沖地震でマリンリゾートの中心地であるプーケット島やピピ島などが大きな被害を受けたため、その影響が懸念されていたが、被害からの回復に合わせて急激に観光客が戻り以前のような活況を見せている。
順位 | 国名 | 観光客数(人) | 比率(%) |
---|---|---|---|
1 | マレーシア | 1,404,929 | 11.97 |
2 | 日本 | 1,212,213 | 10.33 |
3 | 韓国 | 898,965 | 7.66 |
4 | イギリス | 757,268 | 6.45 |
5 | 中華人民共和国 | 729,848 | 6.22 |
6 | アメリカ | 627,506 | 5.35 |
7 | シンガポール | 578,027 | 4.92 |
8 | 中華民国 | 540,803 | 4.61 |
9 | 香港 | 489,171 | 4.17 |
10 | ドイツ | 455,170 | 3.88 |
(出典 :タイ国政府観光庁/Tourism Authority of Thailand)
[編集] 交通
[編集] 航空
首都のバンコクやチェンマイ、プーケットなどの国内の主要都市の間は、半官半民のタイ国際航空や格安航空会社のエア・アジアやオリエント・タイ航空、バンコク・エアウェイズなどの航空会社で結ばれている他、これらの航空会社が諸外国との間を結んでいる。
特にスワンナプーム空港はアジアのハブ空港の一つとして、世界中の航空会社が乗り入れる他、ヨーロッパとオーストラリアとの間を結ぶ「カンガルー・ルート」の中継地の1つとして利用されている。また、クアラルンプールやシンガポールなどの東南アジアの主要都市からもバンコクへの乗り入れ便は多く、一部チェンマイ、ハジャイ、プーケットなどへの便もある。
日本との間には、東京や大阪、名古屋、福岡や広島などの主要都市とバンコクやプーケット、チェンマイとの間に、日本航空と全日空、タイ航空やバンコク・エアウェイズなどが直行便を運行している他、香港や台北経由で行くこともできる。
[編集] タイの主な航空会社
- タイ国際航空
- ノックエア
- バンコク・エアウェイズ
- オリエント・タイ航空
- ワン・ツー・ゴー
- エア・アジア
- PBエア
- プーケット航空
[編集] 鉄道
タイ国有鉄道による鉄道網が国内の主要都市の間を結んでいる他、隣国のマレーシアやミャンマーとの間はマレー鉄道で繋がっている。ラオス、カンボジア国境へも鉄道路線があり、メコン川流域圏開発構想にともない両国への延伸計画もある。
また、バンコクの中心部の渋滞を解消するため、バンコク・スカイトレイン(BTS)と呼ばれる高架鉄道とバンコク・メトロ(MRT)と呼ばれる地下鉄が近年相次いで開通した。
[編集] バス
国内諸都市を結ぶ交通機関としては、鉄道よりも大量輸送公社によるバスの方が発達している。長距離区間では、夜行バスの運行も多い。都市交通もバンコクをのぞくほとんどの都市では小型トラックを改造して作ったバス(ソンテウ)が一般的。
[編集] タクシー
[編集] サムローとトゥクトゥク
東南アジアにおけるタクシーの典型的かつ古典的なイメージは、三輪式の自転車である。タイ語ではサムロー(三輪の意)というが、バンコクの都市部においては、交通の発達により円滑な交通の妨げになるとして乗り入れが禁止されてしまった。しかし地方においては、いまだ現役で活躍しているのを見ることができる。
ほかに三輪のものとしては、エンジンのついたサムロー(トゥクトゥクとも)があり、これもバンコクの名物といってよい存在であったが、交通の発達により実用的な観点からは主役の座を降りたと言ってよい。ただし、タクシーに積みきれないような大きさのものでもトゥクトゥクなら積めるため、重宝される場合もある。現在では、主に観光客向けの乗り物として利用されている。料金は40バーツ程度(約120円程度)からの交渉制で、吹きさらしの上に運転も過激なため乗るとかなり迫力があり、利用する観光客は楽しくて笑うか怖くて引きつるかとなっている。地方では、三輪エンジンつきのものが現在でも主たるタクシーとして利用されているが、その形状はバンコクでみられるものとは異なり、オートバイの前部に荷台をつけた、より形状の簡易なものが多い。
[編集] メータータクシー
バンコクなどの都市部におけるタクシーの主役は、エアコンディショナーつきのメータータクシーとなっており、さまざまな会社のタクシーが色とりどりのカラーリングを施したタクシーを走らせている。車種はトヨタ・カローラや日産・サニーなどの日本車が中心である。なお、バンコク市内のタクシーは、安全性と排気ガス規制の観点から一定年数が経つと新車へ代替しなければならないこともあり、比較的きれいな車が多い。値段が交渉制の旧来のタクシーもごく一部に走っているが、見かけることは少ない。
[編集] 水上交通
バンコク市内はチャオプラヤ川が横切るなど水が豊かであり水路や水上交通が発達している。チャオプラヤ川上には無数の船が一見無秩序に往来しておりなかなか壮観である。渡し船や水上バス、上流のアユタヤへの水上観光クルーズ、ダムヌン・サドアックの水上マーケットなどは観光資源として欠かせない。
[編集] 通信
[編集] 電話
タイでは2000年以降携帯電話加入者が急増し、国際電気通信連合(ITU)によると2005年の時点で携帯電話加入者数の割合は、タイの人口100人に対して42.98人となっている。主な携帯電話事業者として、Advanced Info Service(AIS)やTotal Access Communications(DTAC)があり、この2社の携帯電話市場におけるシェアは80%を超えている。また、2002年に事業参入したTA Orangeも着実に加入者を獲得しており、事業者間のシェア獲得競争は激しくなっている。GSM方式が主流となっており、プリペイドサービス利用者数も増加傾向にある。
その一方で固定電話の事情はあまりよくない。首都バンコクではともかく、地方では一般加入電話の設置に1~2か月ほど待たされることが多い。また回線も確保が困難である上、雑音や混信が頻繁に起こる。このことはタイでの携帯電話普及が進む背景となっている。
[編集] インターネット
インターネットについては、かつてはタイ通信公社(CAT)がインターネット接続事業者の株式の提供を受けてISP免許を交付する形で、事実上市場を独占・支配していたが、1997年の世界貿易機関(WTO)における合意に基づいて、2005年にタイのインターネット市場が正式に自由化された。現在では多くの事業者が市場に参入している。
バンコクにはインターネットカフェが多数あり、その多くでは日本語に対応している。また都市部のホテルや空港では無線LANが充実している。そのうえ、近年ではブロードバンド整備が進められており、都市部ではADSLサービスが普及しつつあるが、回線が混雑することが多く速度は遅い。また地方でのインターネット接続環境の整備は遅れており、都市部、特に首都バンコクとの格差は大きい。
[編集] 国民
[編集] 民族構成
タイ族75%、華人14%、その他マレー系、インド系、モン族、カレン族などがいる。
特にこの中でも中国系は劇的な同化を果たし、経済・政治面において大きなリーダーシップを握っている。これと反対にインド系は静かなマイノリティーと呼ばれ、経済で大きな進出を果たすも、政治的な発言力は非常に少ない。
深南部三県では一部のマレー系住民が以前から離反の動きを見せていたが、近年に入ってさらに状況が悪化し、パタニ解放戦線などの組織がパタニ王国の復興を大義名分にして、テロ活動を行う動きが出ている。
詳細はタイ人を参照
[編集] 宗教
仏教(南方上座部仏教)95%、イスラム教4%、キリスト教、他にヒンドゥー教、シーク教、道教など。
タイ国内のほとんどは仏教徒で占められている。そのほとんどは上座部仏教であり、それにヒンドゥー教や、精霊信仰を加味した独特の仏教になっている。タイ南部やバンコク、チェンマイ、チェンラーイなどの地域ではイスラム教徒も見ることが出来る。特に深南部三県のマレー系住民のほぼすべてがイスラム教徒である。
詳細はタイの仏教、タイのイスラーム、タイのキリスト教を参照。
[編集] 言語
言語はタイ語が幅広く普及しており、少数民族においても非常によく普及している。一部に、華人やバンコクのマレー系などタイ人と同化したグループを除く少数民族は、それぞれの民族の母語を使用している場合がある。
タイ語の表記はタイ文字が使われる。
タイ語の詳細は「タイ語」を参照
[編集] 文化
詳細はタイの文化を参照
[編集] 礼儀作法
挨拶をするときには、ワイと呼ばれる合掌をする。相手との関係などによって異なった種類のワイの作法が求められる。また、ヒンドゥー色の強い様々な風習や礼儀作法が存在する。毎日午前8時、午後6時になると駅や公共機関などでは国歌がスピーカーから流れ、国旗が掲揚・降納される。殆どの国民は国歌が流れる間その場に直立する。
[編集] タイの果物
熱帯気候に属するタイは果物の種類も豊富であり、また美味である。特にタイで最も暑い時期とされる4月は、ドリアン、マンゴーなどが市場に出そろう。この季節をタイ人は、「ドリアンの季節」、「マンゴーの季節」とさえ呼んでいる。
[編集] 料理
トムヤムクンやパッタイなどのタイ料理は世界的にポピュラーであり、そのスパイシーかつバラエティに富む味と健康的な素材が日本を始めとする多くの国で高い人気を誇る。日本ではブームになった1990年代以降、人気外国料理の定番となっており、都市部を中心にタイ料理レストランが多く存在する他、多くのスーパーマーケットでタイ料理の素材が販売されている。
その一方、タイ人の間では西欧諸国などと同じように日本料理は健康によいというイメージが普及してきており、タイ国内に和食のレストランや寿司屋が開かれ、また和食の素材などのみならず、インスタントラーメンや菓子、緑茶までもがスーパーマーケットなどで売られるようになってきている。 ただし、日本の緑茶と違って非常に甘く味付けされていることが多いため、日本人観光客がいつもの緑茶やウーロン茶と思って飲むとかなり面食らう。 例)・キリン「生茶ORIGINAL」(デザインは日本の生茶とほぼ同一、500mlペットボトル)→加糖でかなり甘い
(little sweet もある)
・ポッカ「緑茶」、325mlアルミ缶→無糖と加糖があるので注意。無糖の方は日本人でも問題なく飲めるだろう。
実際、タイのスーパーに入ると日本語表記の製品がよく目に入るが、その多くが綴りや意味が間違っていたり怪しげだったりするので、観光客としてはそれもまた一興である。本当に日本製のものは少なく、多くはタイ製か中国・韓国製である。
バンコクの市内には非常に沢山の屋台があり、5バーツ程度から食べる事が出来る。タイへのリピーター観光客の中にはこの屋台での食事を楽しみにしている人が多いが、一方で慣れない人は食あたりを起こす場合もあり、一般にガイドは積極的には薦めない。
バンコク市内のデパートには必ずと言っていいほどフードコート(食堂)が併設されている。高級ブランドショップばかりが入居した非常におしゃれな店舗にも大抵ある為に日本的感覚では若干違和感がある。屋台よりは若干高価だがそれでも30バーツ程(約120円)から食事をすることができ、衛生的にも数段上の印象がある。
[編集] 映画など大衆文化
近年はタイで制作された映画が日本をはじめとする海外へ輸出・公開されることが多く、日本でもアタック・ナンバーハーフやマッハ!!!!!!!!などのタイ映画がヒットした。タタ・ヤンやパーミーなどの歌手は日本でも紹介された。
[編集] スポーツ
タイの国技と呼ばれるムエタイには、子供から大人まで熱狂する。ただし、スポーツとしての勝敗そのものよりも勝敗に関する賭けの結果の方に関心が高い傾向が見られる。他にもセパタクローやサッカー(タイ・リーグ)も盛んである。また、夕方の公園などではエアロビクスやバドミントンなどに興じる市民をみる事ができる。
また、モーターリゼーションが進みつつある近年は、自動車やオートバイレースなどのモータースポーツが盛んになってきている。古くはアジア人初のF1ドライバーであり、世界的に著名なレーシングドライバーであるプリンス・ビラの出身国でもある。
[編集] 世界遺産
タイ王国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、自然遺産が1件ある。詳細は、タイの世界遺産を参照。
[編集] 祝祭日
祝祭日は以下の通りである。なお、タイの暦法について、元々太陰暦であった仏暦が使われるが仏暦2483年(1940年)にその年が9月でうち切られ、西暦(太陽暦)との誤差が修正されたため、現在、日にちのずれはない。しかし、一部では、太陰暦に基づく祝祭日もあり、これらについては毎年計算され政令によって公布される。
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
旧暦3月の満月 | 万仏節 | ||
4月6日 | チャクリー王朝記念日 | ||
4月13-15日頃 | 正月 | バラモン陰暦の元旦をはさむ3日間 | |
5月5日 | 国王即位記念日 | ||
旧暦6月の満月 | 仏誕節 | ||
旧暦8月の満月 | 三宝節 | ||
三宝節の翌日 | 安居入り | ||
8月12日 | シリキット王妃誕生日 | ||
旧暦11月の満月 | 安居明け | ||
10月23日 | チュラーロンコーン大王記念日 | ||
旧暦12月の満月 | 灯籠流し | ||
12月5日 | プーミポン国王誕生日 | ||
12月10日 | 憲法記念日 | ||
12月31日 | 大晦日 |
[編集] 関連項目
- タイ関係記事の一覧
- タイ君主一覧
- タイの人物一覧
- タイの歴史公園一覧
- タイの文化
- タイの野鳥一覧
- タイの総理大臣一覧
- タイの国立公園一覧
- タイの宮殿一覧
- タイの王室仏教寺院一覧
- タイ料理
- タイ王国軍
- レッドブル
- ジム・トンプソン
- タイの島の一覧
- バンコク
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
[編集] その他
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