ナコーンシータンマラート
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統計 | |
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所在地 | ナコーンシータンマラート県 |
面積 | 617km² |
人口 | 270,647人 (2003年) |
人口密度 | 438.33人/km² |
地理番号 | 8001 |
地図 | |
ナコーンシータンマラート市はタイ・南部にある郡(アンプー)。ナコーンシータンマラート県の県庁所在地(ムアン)でもある。タイの南部の経済的中心地。
[編集] 名称
ナコーンシータンマラートとは「ダルマラージャの治める都」と言う意味である。地元民による愛称はナコーン。一方で先行するタンブリランガ王国の首都として、リゴールとも呼ばれていたが、ここから日本語・中国語における六昆の語が派生した。
[編集] 歴史
ナコーンシータンマラートには3世紀頃からインドからの入植が見られ、タンブラリンガ王国(単馬令国)の首都リゴールとして栄えた。9世紀から11世紀にかけてはドヴァーラヴァティ王国の勢力が及ぶようになり、大乗仏教が信仰された。12世紀頃シータンマソッカラート王により、ナコーンシータンマラート王国が成立。この王国は上座部仏教を国教とした他、一時的にマレー半島全域を勢力下に置くほどの勢力を誇った。
13世紀にはスコータイのラームカムヘーン王によりスコータイ王国の勢力の元に置かれた。当時、ナコーンシータンマラートではすでに上座部仏教が普及しており、マレー半島における仏教の中心地であり、一時期は12000人の僧が居たとも言われる。このため当時はムアンプラ(僧侶の街)とも言われ、スコータイからも僧侶の派遣を求められるほどであった。この時、仏教教育の中心をなしたのはワット・プラマハータート(仏教寺院)である。地元の王統史によればこの寺院は311年の建設と言われるが、歴史学者は13世紀頃に建設されたとしている。
ナコーンシータンマラートはアユタヤ王朝下ではマレー半島貿易でにぎわう一方で、度々離反するマレー系諸王朝(パタニ王国など)に対する防衛都市として機能した。山田長政の左遷先もナコーンシータンマラートであり、ここでパタニ軍と交戦した後死亡している。
ナコーンシータンマラートはラーマ5世(チュラーロンコーン)のチャクリー改革の後、周辺の地域と共に県(チャンワット)を形成。県庁所在地となった。
[編集] 行政区分
ナコーンシータンマラート市は16のタムボンに分かれる。
郵便番号 | タムボン名 | タイ語表記 | ||||||
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800101 | タムボン・ナイムアン | ตำบลในเมือง | 800114 | タムボン・マムワンソーントン | ตำบลมะม่วงสองต้น | |||
800102 | タムボン・ターワン | ตำบลท่าวัง | 800115 | タムボン・ナーキエン | ตำบลนาเคียน | |||
800103 | タムボン・クラン | ตำบลคลัง | 800116 | タムボン・ターギウ | ตำบลท่างิ้ว | |||
800106 | タムボン・ターライ | ตำบลท่าไร่ | 800118 | タムボン・ポーサデット | ตำบลโพธิ์เสด็จ | |||
800107 | タムボン・パークナコーン | ตำบลปากนคร | 800119 | タムボン・バーンチャーク | ตำบลบางจาก | |||
800108 | タムボン・ナーサーイ | ตำบลนาทราย | 800120 | タムボン・パークプーン | ตำบลปากพูน | |||
800112 | タムボン・カムペーンサオ | ตำบลกำแพงเซา | 800121 | タムボン・パーサック | ตำบลท่าซัก | |||
800113 | タムボン・チャイヤモントリー | ตำบลไชยมนตรี | 800122 | タムボン・タールア | ตำบลท่าเรือ |