プラチュワップキーリーカン県
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統計 | |
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県庁所在地 | プラチュワプキーリーカン市 |
面積 | 6,367.6km² |
人口 | 449.467人 (2000年) |
人口密度 | 71人/km² |
ISO 3166-2 | TH-77 |
地図 | |
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プラチュワップキーリーカン県はタイ・中部の県(チャンワット)の一つ。ペッチャブリー県、チュムポーン県と接し、ミャンマーとの国境を有する。略してプラチュワップと呼ばれる(以下そのように表記)。
目次 |
[編集] 地理
プラチュワップはマレー半島の北部にあり、タイの県の中でも格別に狭くなっている。特に県庁所在地の南部においてはタイランド湾からミャンマー国境までは、13㎞しかなく、面積は群馬県とほぼ同じ。
タイランド湾側の海岸は砂浜が広がっている。そこで、ラーマ7世はここにクライカンウォン宮殿という離宮を建造した。その後、特に隣のペッチャブリー県の一部地域を含めたチャアム=フワヒンを中心に海岸が開発されレジャーが発達した。一方で海岸から険しい山までの距離が短く、1494メートルもあるルワン山がある。
県内には1966年に設置されたカオ・サームローイヨート海洋国立公園があり、タイで最大の淡水湿原を有する。また、公園内にはマングローブ林や泥地帯もある。
[編集] 歴史
1767年にアユタヤ王朝が滅んだ後、プラチュワプは置き去りにされてきたが、1845年に再建設が始まった。
歴史上では、ラーマ4世(モンクット王)は独学で学んだ天文学によって日食の場所・時刻を発見し、1868年9月18日にここを訪れ、予測通り観測できたといわれる。しかし、観測場所に選んだサームローイヨート付近はマラリアのはびこる地帯であったため、ラーマ4世もこれに伝染し、2週間後崩御したという。
また、旧日本軍が1941年12月8日に太平洋戦争時に上陸したのもプラチュワプである。
[編集] 県章
ラーマ5世がサームローイヨート副郡のカオ・サームローイヨート海洋国立公園、プラヤーナコーン洞窟に建てたクーハーカルハット宮殿(休息所)がデザインされている。
県木・県花はManilkara hexandraである。 |
[編集] 行政区
プラチュワプキーリーカーン県は7の郡(アムプー)と1つの分郡(キンアムプー)に分かれ、その下に48の町(タムボン)、388の村(ムーバーン)がある。
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