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スペインの歴史 - Wikipedia

スペインの歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この項ではスペインの歴史を述べる。

8世紀から15世紀にわたるキリスト教勢力とイスラム勢力との戦い(レコンキスタ)
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8世紀から15世紀にわたるキリスト教勢力とイスラム勢力との戦い(レコンキスタ

目次

[編集] 概史

[編集] 原始・古代

後期旧石器時代の紀元前14000年代 クロマニョン人がスペイン北部にてアルタミラ洞窟の壁に動物画を残した。

紀元前5000年ごろの新石器時代には巨石文化とともにイベリア人が移籍してきた。

紀元前1000年ごろ、ガリアケルト人ピレネー山脈を越えて移住してきた。

紀元前12世紀フェニキア人がイベリア半島に進出。フェニキア人はヨーロッパで最古の都市カディスを建設。フェニキア人はイベリア半島に鉱山漁業交易を支配するためにイベリア半島に進出してきたが、征服はしなかった。その代わりフェニキア人はイベリア人数字アルファベットを伝えたのである。時を同じくしてケルト人ギリシャ人もイベリアを訪れるようになり、その頃からイベリアは数多くの地域と交易をするようになった。

紀元前2世紀ローマカルタゴが争ったポエニ戦争の影響を受け、イベリアはその2つの国から狙われることとなった。イベリアはお互いの陣営による激しい攻防戦が続けられていたが、遂に紀元前205年ローマ軍の手に落ち、その後長い間ローマの支配を受けることになるのである。

[編集] ローマ帝国時代

ポエニ戦争のあと共和制ローマの支配下に置かれていたイベリア半島だが、ローマ帝国に移ったあとでもその支配は有効であった。当時イベリア半島は軍事的な要衝でもあると同時に帝国最大の領土を得たトラヤヌス帝を輩出した地でもあり、ローマ帝国にとって重要な土地であったことが窺える。

[編集] 西ゴート族の支配

[編集] イスラムの支配とレコンキスタ

[編集] イスラーム勢力の盛衰

コルドバ、メスキータの内部(写真)
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コルドバメスキータの内部(写真)

イスラーム勢力のウマイヤ朝は、北アフリカにまで勢力を伸張させると、さらに711年ベルベル人を率いたターリクのもとでジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島へ上陸し、西ゴート王国を滅ぼした。一時はサラゴーサレオンなど北部の都市まで彼らによって征服され、カンタブリア山脈、ピレネー山脈付近を除くイベリア半島の大部分がイスラーム勢力の支配下に入り、アル・アンダレスとして716年よりウマイヤ朝の属州となった。ウマイヤ朝は、ピレネー山脈を越えてフランク王国に戦いを挑むが、732年トゥール・ポワティエ間の戦いで敗れたため撤退した。ウマイヤ朝が750年に滅亡した後、756年にウマイヤ家のアブド・アッラフマーン1世によって後ウマイヤ朝が建てられた。この王朝は、10世紀前半のアブド・アッラフマーン3世のもとで最盛期を迎え、自らカリフを称してアッバース朝ファーティマ朝といった他のイスラーム勢力に対抗した。都のコルドバトレドとならんで西方イスラーム文化の中心地となり、多くの学者が活躍した。しかし、10世紀後半には侍従がカリフ権を形骸化させて実権掌握を図るなど混乱が続き、短命な指導力を欠くカリフがあいついだのち、1031年に後ウマイヤ朝は滅亡した。

後ウマイヤ朝の滅亡後、アル・アンダレスでは「第一次ターイファ時代」と称される小王国分立の時期を迎えた。そのうち代表的なものは、セビリャ王国、トレド王国、サラゴサ王国、グラナダ王国、バレンシア王国などである。これらの諸王国が結束を欠く中、1085年に西方イスラーム文化の中心地の一つであったトレドが、キリスト教勢力のカスティーリャ王国に征服されるという事態が起こった。この状況を憂えた小王国は、北アフリカ(マグリブ地方)のムラービト朝に援助を求めた。これに応えたユースフは、サグラハスの戦いでアルフォンソ6世を破りアンダルシア地方などの支配を回復させるとともに、アル・アンダレスの小王国を統制下においた。

しかし、まもなくキリスト教勢力が巻き返しを図ったことに加え、イスラーム勢力の内部でもアフリカから来たムラービト朝と在地の小王国の対立が深まり、さらに北アフリカではムワッヒド朝が台頭していた。こうした中、13世紀にはムワッヒド朝によってムラービト朝は滅亡へと追い込まれ、再びイベリア半島は「第二次ターイファ時代」と称される分権的な状況が生まれた。その後、ムワッヒド朝もイベリア半島へ進出して統一的な支配を行おうとするが、やはりアル・アンダレスの在地勢力との対立が深まり、「第三次ターイファ時代」の分裂期を招いた。徐々に台頭するキリスト教勢力と比べ、著しく結束を欠いたイスラーム小王国の多くは、レコンキスタ(再征服運動)に屈して支配下に入った。滅亡を免れたナスル朝グラナダ王国も、まもなくカスティーリャ王国への貢納を余儀なくされた。

[編集] レコンキスタ(再征服)

詳細はレコンキスタを参照

一方、当初はイスラーム勢力に圧倒されていたキリスト教諸勢力がイベリア半島北部より台頭し、「国土回復」の名のもとレコンキスタ(再征服運動)を展開した。その担い手となったのが、ポルトガル王国、カスティーリャ王国アラゴン王国などであった。1479年、カスティーリャ王国とアラゴン王国の合併によって成立したスペイン王国は、1492年ナスル朝グラナダ王国を滅ぼしてレコンキスタを完了させた。

[編集] イベリア半島における文化交流

キリスト教勢力とイスラーム勢力はイベリア半島で衝突を繰り返したが、こうした両勢力の接触は一方で文化的な交流をもたらすことにもなった。11世紀後半、イスラーム世界における西方の文化的な中心都市トレドがキリスト教勢力によって奪われたことを契機として、この地でアラビア語からラテン語へ諸文献を翻訳することが盛んに行われた。こうして、イベリア半島は西ヨーロッパ世界に先進のイスラーム文化をもたらす窓口としての役割を果たし、西ヨーロッパの「12世紀ルネサンス」を導いた。

[編集] スペイン・ハプスブルク朝

フェルナンド2世イサベル女王の王女フアナ神聖ローマ帝国マクシミリアン1世の王子ブルゴーニュ公フィリップ(美公)と結婚させた結果、2人の間に王子が2人生まれた。長男のカルロスがスペイン王に即位すると同時に神聖ローマ皇帝カール5世となりスペイン・ハプスブルク朝が啓かれた。この時代は、スペインがヨーロッパで覇を唱える一方、「新大陸の発見」による植民地獲得によって、隆盛を極めることになった。

[編集] 新大陸の「発見」と征服

『停泊するサンタ・マリア号』(油彩画:1628年)
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『停泊するサンタ・マリア号』(油彩画:1628年)

大航海時代ポルトガル海上帝国も参照

1492年 イスパニア女王イサベル1世の援助を受けたジェノヴァ人クリストファー・コロンブスが新大陸に到達する。これをうけて1585年には喜望峰を探検している、ポルトガルと利害が衝突する怖れがでたためローマ教皇アレクサンデル6世の仲介で1494年にスペインとポルトガルとの間にトルデシリャス条約が結ばれた。またスペインは地中海へも勢力を伸ばし1503年にはナポリ王国を獲得。

一方新大陸への征服は継続され、エンコミエンダ制のもとエスパニョーラ島などでサトウキビの生産がはじまる。また苛酷な労働と疫病で先住民が死亡したため、アフリカから黒人奴隷を新たな労働力として持ち込まれる。このような新大陸での苛酷な現状はドミニコ会司祭ラス・カサスによって激しく非難された。ポルトガルがインド航路を発見したことに対抗して、フェルディナンド・マゼランに新大陸周りで香料諸島への航路を探検させるが、この結果、スペインはフィリピンを植民地にした。

1521年には エルナン・コルテスによってアステカ王国を滅ぼされ、続いて1532年フランシスコ・ピサロよってインカ帝国を滅ぼされ、アメリカ大陸本土はあらかたスペインの植民地となった。このような新大陸での探検と征服が進む一方で、スペイン人による先住民の支配は社会の荒廃と資源の収奪を極め、メキシコでは麻疹や天然痘、百日咳などで人口が激減し、1545年にポトシ銀山で銀の採掘を開始されると先住民は徴発され「ミタ」と呼ばれる賦役制度を課され、疫病とあいまって、先住民の共同体は崩壊する。1550年にはこのような状況の是非を問う「バリャドリード論争」がスペイン本国で展開された。

だが、このような多大な犠牲の元スペインには大量の銀をもたらされ、スペイン黄金時代を築くことになった。一方で、南米からの銀の大量流入で、それまで銀の産地として栄えていた南ドイツ地方の銀山は衰退し、また、銀の流通量増加による価値の低下でインフレ傾向が起こるいわゆる価格革命が起こった。

[編集] 黄金の世紀

16世紀中頃から17世紀前半までの約80年間はスペインが繁栄した時期であり、スペイン史上「黄金の世紀」と呼ばれる。カルロス1世フランスフランソワ1世と熾烈な争いの末に神聖ローマ皇帝に即位し、ヨーロッパにも広大な領土をもつことになった。しかし、その治世は多難でイタリア戦争ではフランソワ1世と争い、さらに宗教改革による神聖ローマ帝国の動揺にカトリックの盟主として対処することになった。さらにオスマン帝国第一次ウィーン包囲の脅威にさらされ、プレヴェザの海戦ではオスマン帝国に敗北を喫した。

次のフェリペ2世の時代には、新大陸からもたらされる富で最盛期を迎え、マドリードに遷都しエル・エスコリアル宮殿を営んだ。さらにレパントの海戦でオスマン帝国を破り先王の雪辱をはたした。1580年にはポルトガルを併合したことでその植民地をも獲得し「太陽の沈まぬ帝国」となった。

最盛期を迎える一方で、足元ではオランダ独立戦争アルマダ海戦の敗北など衰退の兆しも現れ始めていた。国内にも問題がなかったわけではない。海外からの富に頼る一方で、国内は旧態依然としたままであり、王室の国庫も決して良い状態ではなかった。前世紀のレコンキスタの精神は、ともすればイスラム教徒の徹底した排除や進取の気風に富むプロテスタントの弾圧(異端審問参照)へと向かい、足元の産業経済の基盤を弱めることになった。さらには、スペインの経済を支えていたユダヤ人の追放、改宗への強要など、これらはスペインの停滞・衰退へと向かう要因となった。

[編集] 繁栄の終わり

1588年アルマダ海戦でスペインの無敵艦隊がイングランド海軍に敗れると次第に制海権を失っていく。イングランドはこの後、徐々に力をつけ、1世紀ほど後の17世紀後半には海上を制する大英帝国へと発展していった。フェリペ3世のころにはオランダ独立戦争でオランダが事実上独立。スペインは貿易や産業で重要な地域となっていたオランダを失った。さらにフェリペ4世の治世の1640年にはポルトガルが独立。その後ハプスブルク家、カトリック国として30年戦争に介入するが、敗退する。1659年 フランスとピレネー条約を締結。スペインの「黄金時代」は完全に終わりを告げた。

[編集] スペイン・ブルボン朝

[編集] 18世紀のスペイン

18世紀に入るとスペインハプスブルク家が断絶し、フランスルイ14世は自らの孫、ブルボン家のフィリップをスペイン王にしようとした。ところがそれに各国が異議を唱えスペイン継承戦争が始まった。この戦争は12年に及び、1713年ユトレヒト条約でフィリップがフェリペ5世として即位することは承認されたが、イギリスにジブラルタルを割譲。さらに新大陸に於いてもフロリダなどを譲り、海外での影響力は著しく低下した。その後、オーストリア継承戦争7年戦争に参加するがイギリス、フランス、オランダなどの新興勢力の後塵を拝することとなった。

このように対外的には衰えを見せたスペインでが、国内では産業の成長が進んだ。また、1759年に即位したカルロス3世によって、ある程度の中興を果たしている。

[編集] ナポレオンの侵攻

カルロス4世退位。その結果ナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトがスペイン王ホセ1世となり、カタルーニャフランス帝国の直轄地になる。 しかし、スペイン人がそれに反発し1808年5月ごろから半島戦争と呼ばれる内戦となる。このときに、新大陸の植民地にも独立のうごきが生じる。

[編集] 王制復古

自由主義勢力がスペインの王朝を倒し、一時革命政府を樹立した。この混乱期に中南米植民地が相次いで実質的な独立を達成することになった。→ アメリカ大陸諸国の独立年表

[編集] 第一次世界大戦と独裁政権

[編集] 第一次世界大戦におけるスペイン

第一次世界大戦において、スペインは中立政策をとった。大戦中のインフレーションは、貧民層の困窮化を深めさせ、労働運動が急速な高揚をみせた。1917年におけるロシア革命の成功は、労働運動をさらに刺激しただけでなく、カタルーニャバスクにおける反専制・地域独立の意識を高めさせた。都市部、農村部を問わず各地で頻発していた暴動、要人テロは第一次大戦後も続き、深刻な政治的混乱が起こっていることは明らかだった。さらに、第一次大戦後のスペイン領モロッコにおける民族運動鎮圧に苦慮したことから、軍部の責任問題が浮上していた。

[編集] プリモ独裁政権

こうした中、1923年9月にプリモ・デ・リベラ将軍がクーデタを起こし政権を握った。混乱の収拾を望む世論が強かったため、共産党や急進的な労働組合の一部が抵抗したものの、プリモ独裁政権の成立は総じて各層から容認された。あいつぐテロは収束し、労働者によるストやデモの件数も大幅に減少した。国内産業の保護・育成を進め、国道建設、鉄道の電化・複線化、エブロ川流域の開発など公共事業に力を注ぎ、経済発展を図った。この一連の政策がどれだけの成果を収めたかは評価が分かれる。

しかし、プリモ独裁は第一次大戦直後の混乱を乗り切るための暫定的措置として支持されたにすぎず、その独裁が長期化の様相を示すと反独裁の動きが各地で高まった。左翼勢力、地域主義政党の活動が強まり、軍内部でもプリモ独裁に反発する動きがみられた。さらに、1927年より始まる通貨危機は、経済界のプリモ支持も失わせることになった。こうして1930年にプリモは退陣へと追い込まれ、新たにベレンゲール将軍が首相の地位についた。プリモ独裁政権の崩壊は、王制打倒を目指す共和派を勢いづけた。共和派や地域勢力はサン・セバスティアンで協定を結び、革命委員会を発足させた。1930年末の革命運動は失敗に終わったものの、1931年選挙において都市部で革命勢力は躍進、民衆の共和政を求めるデモが各地で起こった。カタルーニャなどの地域運動も高揚した。こうした中、国王アルフォンソ13世は退位へと追い込まれたことで無血革命が成功し、第二共和政が成立した。

[編集] 第二共和政

王制打倒後に成立した新政府は、社会労働党の主導で労働者・貧農に対する政策を打ち出したほか、カタルーニャの自治政府を容認し、軍改革も行った。ただし、急進的な労働組織であるCNT(全国労働連合)が行ったゼネストに対しては武力鎮圧を行った。このため、CNTは政府との対立姿勢を強めることになった。社会化条項、宗教条項(政教分離の徹底)などの内容を含む左翼的な新憲法が成立し、第二共和政の初代大統領にアルカラ・サモーラが就任した。(アルカラ・サモーラは政権中では保守的な立場をとり憲法にも否定的だった。彼が大統領に就任したのは、政権内における左派・右派の均衡を図る狙いもあった。)大統領は、首相にマヌエル・アサーニャを指名した。

アサーニャは、就任当初から様々な困難に直面した。失業者の一部は急進的な労働組合のもとで激しいデモを繰り返した。左派・右派間のテロも続発するなど、治安の悪化は深刻な問題となった。また、軍改革を行ったとはいえ、革命以前の軍内部における実力者はその地位を保っており、政府の力となるべき軍が反政府的な姿勢をとる懸念もあった。政教分離をすすめ脱カトリックを図ったが、敬虔な農民の支持を失うことにもなった。右派勢力の組織化も進み、1933年にはカトリック右派がCEDA(スペイン独立右翼連合)を結成、さらにプリモ・デ・リベラの息子であるホセ・アントニオがファランヘ党を結成した。急進的左派のCNT(全国労働連合)も同年にカタルーニャとアンダルシアで大規模な暴動を起こし、これをアサーニャ政権が厳しく鎮圧したことから左派勢力の一部が離れた。こうした混乱を受けてアサーニャは退陣、次の首相のアレハンドロ・レルー・ガルシアも1ヶ月ほどで退陣した。大統領のアルカラ・サモーラは議会を解散して総選挙にでたが、CNT(全国労働連合)は議会政治によらない武力革命を主張したため、左派支持者の一部は選挙をボイコットした。

選挙結果は右派の勝利に終わり、再度レルーが首相に就任すると、CEDA(スペイン独立右翼連合)に迎合した政策をとるようになり、それまでの左翼的な諸改革は改められた。収拾のつかない政治的混乱は議会制民主主義への失望を招き、ファシズム政権の樹立を待望する主張が強まっていった。左派、右派ともに急進化が進み、さらに地域自立の動きは混沌に拍車をかけた。しかし、1935年コミンテルン第7回大会において、人民戦線戦術(反ファシズムの統一戦線)が採択されたことは、左派勢力の再結集を促した。当時の右派勢力の足並みが乱れていたこともあり、左派の巻き返しが進んだ。こうした中行われた1936年選挙では左派が圧勝、人民戦線政府が成立した。

[編集] スペイン内戦

詳細はスペイン内戦を参照

人民戦線政府の成立後も政治的混乱は続き、都市部ではストライキ、農村部では貧農による暴動が続いた。こうした中、議会はアルカラ・サモーラ大統領を解任し、かつて首相をつとめたマヌエル・アサーニャが大統領に就任したが、事態は悪化する一方であった。こうした中、1936年7月にスペイン領モロッコへと遠ざけられていたフランシスコ・フランコ将軍がクーデタを起こし、各地で右派による反乱が勃発、スペイン内戦へと突入した。フランコはドイツ(ヒトラー政権)とイタリア(ムッソリーニ政権)のファシズム政権から支持を受けて戦いを有利に展開した。一方、人民戦線側はソビエト連邦から支持を受けたものの、イギリスフランスは不干渉政策をとったために劣勢が続いた。国際義勇軍である国際旅団が各国から集まって人民戦線を支援したが、1939年にはマドリードが陥落、フランコ側が勝利を収めた。

[編集] フランコ独裁

フランシスコ・フランコ・バハモンデは、1937年に自ら組織するファランヘ党の総統となった。1939年、内戦終結後は国家元首として、その独裁は彼の死1975年まで続いた。フランコ政権はその成立時からドイツイタリアファシズム政権から支援を受け、ファランヘ党の一党独裁、軍隊と秘密警察による厳しい支配を行った。

1939年に始まる第二次世界大戦では。ヒットラーの要請にもかかわらず、スペインは枢軸国に入らず、参戦もしなかった。しかし、大戦終結後に成立した国際連合は、1946年12月の国連総会で、スペインをファシストの国として国連から排除する決議を採択、フランコ政権は国際社会から孤立する。

一方、戦後は東西対立、いわゆる冷戦が進行し、1950年には朝鮮戦争が勃発する。これをきっかけに、西側諸国は反共産主義という点でフランコ政権との関係の修復を模索する。1953年9月に、アメリカ合衆国はスペインと米西防衛協定を締結。1955年にスペインは国連に加盟。1958年には国際通貨基金に加盟する。そのもとで1960年代から1970年代初頭にかけて、目覚しい経済復興を遂げ、「スペインの奇跡」として、日本高度経済成長と並び称された。

1975年 フランコ死去。遺言によりフアン・カルロス1世が即位。独裁は終わりを告げる。

[編集] 独裁政権の終結と現在

フアン・カルロス1世は即位後、フランコの独裁を継承せず立憲君主制の下、民主化と欧米諸国との協調を進めるようになった。

万博を前に1990年開通した高速鉄道AVE
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万博を前に1990年開通した高速鉄道AVE

[編集] 年表

カルロス4世退位。その結果ナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトがスペイン王ホセ1世となり、カタルーニャフランス帝国の直轄地になる。 しかし、スペイン人がそれに反発し1808年の5月ごろから半島戦争と呼ばれる内戦となる。 このときに、新大陸の植民地にも独立のうごきが生じる。

自由主義勢力がスペインの王朝を倒し、一時革命政府を樹立した。この混乱期に中南米植民地が相次いで実質的な独立を達成することになった。→ アメリカ大陸諸国の独立年表

[編集] 関連項目

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