ギリシャ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
- ギリシャ共和国
- Ελληνική Δημοκρατία
-
(国旗) 国章 - 国の標語 : Ελευθερία ή θάνατος
(ギリシャ語: 自由か死か) - 国歌 : 自由への賛歌
-
公用語 ギリシャ語 首都 アテネ 最大の都市 アテネ 大統領 カロロス・パプーリアス 首相 コスタス・カラマンリス 面積
- 総計
- 水面積率世界第94位
131,940km²
0.9%人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第74位
10,647,529人
81人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
1,755億ユーロ ¹ , ² (EUR, €)GDP(MER)
- 合計(2005年)世界第28位
2,306億ドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第36位
2,122億ドル
19,900ドル独立
- 宣言
- 承認オスマン帝国から
1822年
1829年通貨 ユーロ ¹ , ² (EUR, €) (EUR) 時間帯 UTC +2(DST: +3) ccTLD .GR 国際電話番号 30 - 註1 : 2001年以前の通貨は、ドラクマ
註2 : ギリシアのユーロ硬貨
ギリシャ共和国(ギリシャきょうわこく)、通称ギリシャはヨーロッパの南東、バルカン半島最南端部に位置する国である。半島南部およびペロポネソス半島に加えエーゲ海を中心に存在するおよそ3000もの島によって構成される。北は西からアルバニア、マケドニア、ブルガリアと、東はトルコと国境を接している。本土の周囲は東にはエーゲ海、西はイオニア海、南は地中海に囲まれている。
ギリシャは西洋文明の発祥地であり、複数の文明の接点に位置する国としてヨーロッパ、アフリカ、アジアの歴史に大きな影響を与えた。
現在のギリシャは国連、EUおよびNATOの加盟国である。2004年には首都のアテネでオリンピックが開催された。
目次 |
[編集] 国名
正式名称はギリシャ語でΕλληνική Δημοκρατία(ラテン文字転写はEllinikí Dhimokratía、読みは「エリニキ・ディモクラティア」)。通称は、Ελλάς(ラテン文字転写:Ellás、エラス)またはΕλλάδα(ラテン文字転写:Elláda、エラダ)。
公式の英語表記はHellenic Republicであるが、通称はGreeceが用いられる。
日本語による表記はギリシャ共和国。通称ギリシャ。歴史・地理・人文系ではギリシアという表記もされるが、国会の制定法や外務省、およびギリシャの在日大使館のサイトではギリシャと表記される。漢字では「希臘」と表記され「希」と略される(例えば、ギリシャ語を希語と書くなど)。ギリシャ、ギリシアという名称は、ラテン語名のGraecia(グラエキア)がポルトガル語でGrécia(グレシア)となり、これが宣教師によって日本にもたらされ変容したとされる。
また、中東の諸言語での呼称「ユーナーン」(アラビア語)、「ユナニスタン」(トルコ語)などは、イオニアに由来する。
[編集] 歴史
[編集] 古代:ギリシア・ローマ時代
詳細は、古代ギリシアを参照。
古代のギリシャはアテナイ、スパルタ、テーバイなどの多数のポリス(都市国家)が並び立っており、言語・文化・宗教などを通じた緩やかな集合体であった。政治的に独立していた各ポリス間では戦争が絶え間なく繰り返された。紀元前5世紀にペルシア帝国が地中海世界に進出してくると、各ポリスは同盟を結び、これに勝利した(ペルシア戦争)。しかしその後アテナイを盟主とするデロス同盟とスパルタを盟主とするペロポネソス同盟とでペロポネソス戦争が勃発し、ギリシャ全体が荒廃し勢力を失った。紀元前4世紀にはギリシャ北部に興ったマケドニア王国の支配を受け、紀元前2世紀には共和政ローマの属州とされた。古代ギリシアは民主主義の原点であった。
但し、現在のギリシャ人は後世に主にバルカン半島北部から南下してきた人々との混血が進んでいるため、現在と当時ではその人種的な構成等は異なっていると言われることもある。しかし、民族の移動の激しいヨーロッパにおいて古代から純粋な血統を保持している民族などというものはなく、ギリシャ人もまたその例に漏れないだけである。
[編集] 中世:東ローマ帝国時代とオスマン帝国支配時代
詳細は、東ローマ帝国を参照。
ローマ帝国が東西に分裂したのちは東ローマ帝国(ビザンティン帝国・ビザンツ帝国ともいう)に属した。
この時代のギリシャについて、日本では「東ローマ帝国の支配」と表現する書籍が多いが、7世紀以降の東ローマ帝国はギリシャ語を公用語とし、皇帝をはじめとする支配階層もギリシャ人が中心となっていったため、そうした表現はじつは妥当性を欠いている。現代ギリシャにおいても、東ローマ帝国はギリシャ民族の歴史の一部と捉えられている。
なお、東ローマ帝国を「キリスト教化されたギリシャ人のローマ帝国」と捉える研究者もいる。
1204年に第4回十字軍がコンスタンティノポリスを占領して東ローマ帝国が崩壊すると、現在のギリシャの地には東ローマの亡命政権であるエピロス専制侯国やブルガリア帝国、セルビア王国、アテネ公国などの十字軍に参加した西欧人諸侯国、また都市国家ヴェネツィアなどが割拠するようになった。
1261年に東ローマ帝国は復活したが、国力が弱体化していたためにギリシャ全土を奪回できず、諸勢力の割拠状態が続き、その隙をついて14世紀以降はイスラム王朝のオスマン帝国が勢力を伸張させていった。1453年、東ローマ帝国はオスマン帝国によって滅ぼされ、残る諸勢力も15世紀末までにはほとんどがオスマン帝国に征服された。以後400年近くオスマン帝国の統治が続いた。
[編集] 近現代:独立回復から現代まで
オデッサにおいて創設された秘密組織フィリキ・エテリアを中心として、1821年オスマン帝国に対する反乱が企てられた。3月にギリシャ各地の都市で蜂起が起こり、ギリシャ独立戦争が始まった。エジプトの助けを得てこれを鎮圧しようとしたオスマン帝国に対し、英・仏・露が介入、1829年、アドリアノープル条約によってギリシャの独立が承認された。翌1830年、バイエルン王国の王子オットーをオソン1世として国王にすえギリシャ王国として独立し、東ローマ帝国滅亡以来約380年ぶりにギリシャ人の国家が復活した。
1897年に希土戦争、1912年から1913年にバルカン戦争、1919年~1922年に再度希土戦争が勃発。1924年にクーデターにより共和制がしかれるが、1935年には王政が復活した。第二次世界大戦ではドイツおよびイタリアの侵攻にあい1945年まで占領された。終戦後は保守派政府と共産ゲリラとの間で1949年まで内戦が続く。1952年にNATO加盟を果たした。1967年、アメリカ合衆国の支援の下に軍事独裁政権が成立し国王は亡命した。1974年にギリシャの支援するキプロスでのクーデターが失敗に終わり、その余波で軍事政権は崩壊、国民投票により君主制は廃止され共和制となることが決まった。(ギリシャにおける民主主義の回復については、活動的な役割を担ったアレクサンドロス・パナグリスも参照。)1981年に欧州共同体 (EC) の10番目の加盟国となった。
[編集] 政治
共和制をとっており、大統領が国家元首として儀礼的な責務にあたる。大統領は任期5年で議会により選出される。現大統領は2005年3月12日に就任したカロロス・パプーリアス。
行政府の長である首相は議会によって選出され大統領により任命される。閣僚は首相の指名に基づき大統領が任命する。
議会は一院制でVouli ton Ellinon と呼ばれており、300議席、任期4年、直接選挙で選出される。政党は中道左派の全ギリシャ社会主義運動 (PASOK) と中道右派の新民主主義党 (ND) の二大政党が中心。1996年以来PASOKのコンスタンティノス・シミティス政権が続いていたが、2004年3月7日の総選挙でコスタス・カラマンリス率いる新民主主義党が議席の過半数を獲得し、政権が交代した。 周辺国との関係では、キプロスの帰属問題や東ローマ帝国滅亡時以来の歴史的・感情的な問題でトルコとは対立関係にある。ギリシャ民族の国家であったマケドニア王国と同じ名を名乗るスラヴ系のマケドニア共和国に対しても国名を変更するよう求めるなど対立状態にある。
政党 | 2004年 | 2000年 | ||
得票率 | 獲得議席数 | 得票率 | 獲得議席数 | |
新民主主義党 (ND) | 45.38% | 165 | 42.7% | 125 |
全ギリシャ社会主義運動 (PASOK) | 40.57% | 117 | 43.8% | 158 |
ギリシャ共産党 (KKE) | 5.88% | 12 | 5.5% | 11 |
左翼進歩連合 (SYN) | 3.25% | 6 | 3.2% | 6 |
[編集] 地方行政区分
詳細はギリシャの地方行政区画を参照
13地方(ペリフェリエス)とその下位区分の51の県(ノモス)、ギリシャ正教の聖地アトス山にあるアトス自治修道士共和国(アヨンオロス)で構成される。
ペリフェリエス
[編集] 地理
ほぼ全土にわたり地中海性気候である。バルカン半島の南端に位置する。
[編集] 気候
ほぼ全土がケッペンの気候区分でいう地中海性気候 (Cs) に区分される。従って、温暖で湿潤な冬季と乾燥し高温の夏季にはっきり分かれる。首都アテネの平均気温は、冬季の1月が10.1℃、夏季の7月では28.0度である。年平均降水量は383.8mm。これは同じ地中海性気候に分類されるローマの約1/2と少ない。なお、最北部は山岳地帯であり、冬季に気温が下がる温暖湿潤気候 (Cfa) に分類される。
[編集] 経済
主力産業は農業、鉱業、工業、輸送業。農業では世界第3位の生産量であるオリーブ (200万トン) や世界8位の綿、同10位の葉タバコが際立つ。いずれも地中海性気候に合った作物である。しかしながら小麦やとうもろこしなど主食となる穀物の生産は振るわず、農業国でありながら食料を自給できていない(以下、統計資料はFAO Production Yearbook 2002、United Nations International Trade Statictics Yearbook 2002、United Nations Mineral Yearbook 2002。統計データはいずれも2002年時点の数値である)。
鉱業では石炭が有力。石炭の統計は品位別に分かれており、低品位で主に燃料に用いる亜炭・褐炭では世界第4位(6600万トン) である。マグネシウム鉱にも富み、生産量は世界第6位である。鉄、ニッケル、ボーキサイト、原油、天然ガスなど、生産量は少ないながら10種類以上の主要鉱物が見られる。
工業は食品加工業や繊維業などが盛んだったが、造船業、製鉄、石油化学工業も発達している。世界第3位のオリーブ油生産が突出している。
輸送業の中心は船舶であり、船舶保有量は世界第4位の2870万総トンに及ぶ。一般貨物船は船舶保有量(総トン)の3%と少なく、オイルタンカー、鉱石や穀物用のばら積み船が80%以上を占める。このような比率は船舶保有量上位10カ国には見られない特異な傾向である。ギリシャ人船主はパナマ(世界第1位)やキプロス(世界第6位)など税制優遇措置を利用できる国に自らの船を登録することも多く、実態を反映していない可能性がある。
[編集] 貿易
100億ドルの輸出に対し、輸入は300億ドルであり、慢性的な貿易赤字が続いている。しかしながら、輸送業、観光業、移民の送金などによって貿易赤字をほぼ充当できている。
主要輸出品目は、衣料、果実、石油製品である。これらにつぎ、アルミニウムの輸出が多いことが特徴である。主要輸出相手国は、ドイツ、イタリア、イギリス。主要輸入品目は、原油、機械類、電気機械である。主要輸入相手国はドイツ、イタリア、フランス。輸出入とも隣国トルコとの貿易は上位5カ国には登場しない。
日本との貿易関係は、日本に対してナフサ、葉タバコ、貴金属製品を輸出し、乗用車、タンカー、貨物船を輸入するというものである。このことから、ギリシャの石油化学工業や軽工業が機能しており、輸送業に必要な船舶を自前で調達していることが分かる。なお大理石の輸出も日本への輸出額の4.2%を占めている。
[編集] 国民
- ギリシャ人が98%、他にアルーマニア人、トルコ系、ユダヤ系、アルバニア人。
- 主たる言語は、ギリシャ語。
- 主たる宗教は、東方正教会に属するギリシャ正教会。ただし、クレタ島だけは東方正教会のかつての総本山であるコンスタンティノポリス総主教庁の管轄下にある。
[編集] 文化
紀元前からギリシャは哲学や文化、芸術に様々な影響を与えてきた。その影響力の大きさから、ギリシャはヨーロッパ文化のゆりかごと称されることもある。詳細はギリシャの文化およびビザンティン文化を参照。
- ギリシャ出身の著名人についてはギリシャ人の一覧を参照。
[編集] 世界遺産
ギリシャ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が14件、複合遺産が2件ある。詳細は、ギリシャの世界遺産を参照。
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元旦 | Πρωτοχρονιά | |
1月6日 | 主の顕現祭 | Αγια Θεοφάνεια | |
移動祝日 | 聖灰月曜日 | Καθαρά Δευτέρα | 復活祭41日前 |
3月25日 | 独立記念日 | Ευαγγελισμός / Εθνική εορτή | |
移動祝日 | 聖大金曜日 | Μεγάλη Παρασκευή | 復活祭前金曜日 |
移動祝日 | 聖大土曜日 | Μεγάλο Σάββατο | 復活祭前土曜日 |
移動祝日 | 復活大祭 | Πάσχα | 春分後の満月の次の日曜日 |
移動祝日 | 復活祭翌月曜日 | Δευτέρα του Πάσχα | 復活祭翌月曜日 |
5月1日 | メーデー | Εργατική Πρωτομαγιά | |
移動祝日 | 聖神降臨祭翌月曜日 | Δευτέρα του Αγίου Πνεύματος | |
8月15日 | 生神女就寝祭 | Κοίμησις Θεοτόκου | |
10月28日 | 国家記念日 | Εθνική Εορτή | オーヒデイ(NOの日) |
12月25日 | クリスマス | Χριστούγεννα | |
12月26日 | 生神女のシュナクシス | Σύναξις Θεοτόκου |
[編集] スポーツ
オリンピック発祥の地。
国民に人気があるスポーツはサッカー。2004年のサッカー欧州選手権2004でギリシャ代表は初優勝を成し遂げたが、2006年にドイツで開催されたFIFAワールドカップの出場は果たせなかった。
[編集] 交通
[編集] 主な航空会社
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
[編集] その他
- 世界の国々 > ヨーロッパ
-
西欧: アイルランド | アンドラ | イギリス | オランダ | フランス | ベルギー | リヒテンシュタイン | ルクセンブルク 東欧: アルバニア | ウクライナ | クロアチア | スロベニア | セルビア | ブルガリア | ベラルーシ | ボスニア・ヘルツェゴビナ | マケドニア | モルドバ | モンテネグロ | ルーマニア | ロシア 中欧: オーストリア | スイス | スロバキア | チェコ | ポーランド | ドイツ | ハンガリー 南欧: イタリア | ギリシャ | サンマリノ | スペイン | バチカン | ポルトガル | マルタ | モナコ 北欧: アイスランド | スウェーデン | デンマーク | ノルウェー | フィンランド バルト三国: エストニア | ラトビア | リトアニア
このページはウィキプロジェクト 国のテンプレートを使用しています。