カタルーニャ州
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州都 | バルセロナ | ||||
公用語 | カタルーニャ語、スペイン語、アラン語 | ||||
面積 – 総面積 – 割合 |
第6位 32,114km² 6.3% |
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人口 – 総人口(2005) – 割合 – 人口密度 |
第2位 6,995,206人 15.9% 217.82人/km² |
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住人の呼称 – 英語 – カタルーニャ語 – スペイン語 |
Catalan català (m); catalana (f) catalán (m); catalana (f) |
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自治州法 | 2006年6月18日(改正前は1979年12月22日) | ||||
ISO 3166-2 | ES-CT | ||||
州歌 | Els Segadors | ||||
議席割当 – 下院 – 上院 |
46 7 |
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州知事 | パスクアル・マラガイ・イ・ミラ(カタルーニャ社会党) | ||||
公式サイト |
カタルーニャ州(カタルーニャ語:Catalunya、スペイン語:Cataluña、アラン語:Catalonha)は、スペインの自治州。州都はバルセロナ。
スペイン北東部、ピレネー山脈の南に位置し、地中海に面する。スペイン国内ではバレンシア州とアラゴン州に接する。ピレネー山脈でアンドラとフランス(ミディ=ピレネー地域圏、ラングドック=ルシヨン地域圏)に接している。
なお、カタロニアは英語由来の表記。
目次 |
[編集] 歴史
古代にはカルタゴの植民地、次いで古代ローマの植民地であった。中心都市であるバルセロナはもともとカルタゴの名家、バルカ家の領土であった。
中世以降は、フランク王国の辺境領としてバルセロナ伯領が置かれた。バルセロナ伯は王を名乗らなかったものの実質的に独立し、現在フランスに含まれるルション地方を含めてピレネー山脈の両側に支配を拡げた。1137年にアラゴン王国と同君連合となり、13世紀にハイメ1世のもとでバレアレス諸島やバレンシアへのレコンキスタを進めた。アラゴン王家は14世紀から15世紀にシチリアやナポリ王国も支配し、地中海帝国を築いた。1479年にカスティーリャ王国とアラゴン王国が同君連合となり、カタルーニャはスペイン王国の一部となった。
カタルーニャは、スペイン王国に組み込まれた後も、頑強にカスティーリャ王国への協力を拒み続けた難治の地であった。1640年から10年あまり続いたカタルーニャ反乱(en:Catalan Revolt)は、スペインが世界帝国から転落する最終的な引き金となったとも言える。18世紀はじめのスペイン継承戦争では、カタルーニャはバレンシアとともにフェリペ5世に対抗し、カール大公の側について戦ったため、戦争後に自治権を剥奪された。
19世紀後半以降は工業などの発達で栄え、それに伴い文化芸術活動も盛んになる。ガウディは正にこの時代の人間である。
1936年、バルセロナで人民オリンピックが開催されようとする数日前にスペイン内戦が勃発、フランコ将軍率いる反乱軍が3年かかってスペイン共和国政府を倒した。内戦後のフランコ時代には、スペイン全土でカスティーリャ語のみが公用語とされ、カタルーニャ語は使用が大幅に制限された。フランコの没後1978年に新憲法が制定され、新憲法に基づくカタルーニャ自治憲章において、カタルーニャ語はカスティーリャ語とともにカタルーニャ自治州の公用語とされた。
2006年6月18日、自治権の拡大を問う自治憲章改定案への住民投票が行われ、74%の圧倒的多数の賛成で承認された。改定案は、独立ではなく、地方分権を拡大するもの。同州は、税、司法、行政の分野で是まで以上の権限を持つことになった。
[編集] 言語
カタルーニャ州ではロマンス語の一つであるカタルーニャ語が広く話されている。カタルーニャ語とともにスペイン語(カスティーリャ語)も公用語とされる。ピレネー山脈中の地域バル・ダランでは、ガスコーニュ語の方言であるアラン語が公用語とされている。
フランコ時代にはカタルーニャ語の使用は弾圧を受けたが、1978年の民主化以降、自治政府による積極的な言語政策を通じて、カタルーニャ語は短期間に再び社会の幅広い層で使われるようになった。スペインの一部であるため地元民はスペイン語を解し、また会話もできるが、地元社会に溶け込みたいのであればカタルーニャ語の習得は必要といえよう。
[編集] 県と都市
カタルーニャ州は4つの県から構成される。
そのほかにおもな都市には、テッラーサ、フィゲラス、トルトサがある。
[編集] 自治政府
カタルーニャ州の自治政府は、「ジェネラリター」(Generalitat de Catalunya)として知られる。ジェネラリターの名は、14世紀のアラゴン・カタルーニャ連合王国の時代に遡る。ジェネラリターはスペイン継承戦争のあと廃止され、20世紀には第二共和制のもとで復活したが、スペイン内戦により再び廃止され、1978年の新憲法によって再び復活した。
現在のジェネラリターは、議会(Parlament)、知事(President)、内閣(Consell ExecutiuまたはGovern)からなる。(スタブ)
[編集] 観光地と世界遺産
カタルーニャ州では、次のものが世界遺産に登録されている。
バルセロナはカタルーニャでの観光の中心ともなっている。また、モンセラートの修道院には多くの観光客が訪れる。
[編集] 参考文献
- 立石博高編『スペイン・ポルトガル史』山川出版社、2000年
- 田澤耕『物語カタルーニャの歴史』中公新書、2000年
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Generalitat de Catalunya - 州政府のサイト(カタルーニャ語、スペイン語、英語)
- 関西カタルーニャセンター
![](../../../upload/shared/thumb/c/ce/Flag_of_Catalonia.svg/50px-Flag_of_Catalonia.svg.png)
- カタルーニャの郡
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