高度経済成長
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高度経済成長(こうどけいざいせいちょう)は、日本経済が飛躍的に成長を遂げた1950年代半ばから1970年代初頭までの経済成長を指す。
現在では、「昭和」(戦後)の代名詞として、この頃の映像資料が使われる事が多い。
1955年ごろ、日本経済は戦前の水準に復興し、更なる高度成長が始まった。エネルギーは石炭から石油に変わり、太平洋沿岸にはコンビナートが立ち並んだ。財閥系企業が立ち直ったのもこのころだと言われる。この経済成長の要因は、良質で安い労働力、高い貯蓄率(投資の源泉)、輸出に有利な円安相場(固定制)、消費意欲の拡大、安価な石油、安定した投資資金を融通する間接金融の護送船団方式、管理されたケインズ経済政策としての所得倍増計画、政府の設備投資促進策による工業用地などの造成や、戦中の軍需生産のために発達した技術力が挙げられる。1968年には国民総生産 (GNP) が資本主義国家の中で第2位に達した。この経済成長は世界的に見ても稀な例であり、終戦直後の復興から続く一連の経済成長は「東洋の奇跡」と言われた。この驚異的な経済成長への憧れや敬意から、日本を手本とする国まで現れた。(マハティール政権下のマレーシアなど)
こうした経済成長の背景で環境破壊が起こり、「水俣病」や「イタイイタイ病」、「四日市ぜんそく」といった公害病の発生、大量生産の裏返しとしてのゴミ問題などの公害の問題が深刻化した。これは、何よりも国民が環境よりも経済成長を優先した結果であるといえる。高度経済成長期後半になると公害による死者が増え、自分の身にかかわるとなると公害に対する起訴が急激に増えてきた。また、都市への人口集中による過密問題の発生と、地方からの人口流出による過疎問題が発生した。
この時代、テレビ・洗濯機・冷蔵庫の3種類の家電製品は三種の神器と呼ばれ、急速に家庭に普及していった。これら家庭製品の普及は生活時間の配分にも大きな影響を与え、女性の社会進出を少しずつ促すことになった。
風潮としては、「大きいことは良いことだ」が流行語として流行り、「巨人・大鵬・卵焼き」に象徴される。
1971年のニクソン・ショックによる実質的な円の切り上げは、国際収支の過度な黒字を修正して経済の安定に寄与した。1973年の第四次中東戦争をきっかけに、原油価格が上昇しオイルショックに陥ったことで戦後初めて実質マイナス成長を経験。その後の成長趨勢が明らかに鈍化したことから、高度経済成長はここで終わったとされている。その後は安定成長期(1973年~バブル崩壊の1991年まで)へと移行した。
まれに、バブル景気崩壊までを戦後の右肩上がりの時代として「高度経済成長」と括る場合があるが一般的ではない。しかしバブル崩壊以後も趨勢として実質経済成長は続いており、右肩上がりの時代が終わったわけではない(ただし安定成長期そのものはバブル崩壊と共に終焉し、以後は平成不況期となっている)。
また、昭和前期の日中戦争の前後からアメリカ軍による日本本土への空襲が激しくなる1944年前後まで軍需に支えられて、統制経済下にあるとはいえ経済成長率自体は高度経済成長期に匹敵するため、この時期も一種の「高度経済成長」と皮肉交じりに唱える経済史学者も居る。
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