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三十年戦争 - Wikipedia

三十年戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三十年戦争さんじゅうねんせんそう, dreißigjähriger Krieg)は、ボヘミア(ベーメン)におけるプロテスタントの反乱をきっかけに勃発し、神聖ローマ帝国を舞台として、1618年から1648年に戦われた国際戦争。「最後の宗教戦争」とも形容されることがあるが、スウェーデンが参戦した1630年以降は、ハプスブルク家ブルボン家ヴァーサ家による大国間のパワーゲームと捉える向きもある。

「三十年戦争」という表現をしたのは17世紀のプーフェンドルフとされる。


目次

[編集] 前史

(スタブ)

[編集] 概要

三十年戦争は三十年間絶えることなく続いたわけではなく、途中で2年から数ヶ月の小康状態を間に挟んで継続された。その理由としては、当時は近代的な軍隊組織が未発達で、国王直属の常設軍隊は稀であったことが挙げられる。つまり、軍の圧倒的多数は傭兵によって賄われていたため、長期間にわたる軍隊の統制が困難であった。また、長期にわたって戦争を継続していくことは国家財政に対する負担を増大させるため、途中で息切れしてしまうかのように戦争が中断されることになった。しかし、戦争が泥沼化していくに連れ、途中の小康状態を差し挟むことができないまま、最終段階に至っては13年間の長期にわたる闘争が繰り広げられることになった。

この戦争はおおよそ四つの段階を経て展開され、先へ進むにつれて破壊と殺戮の規模が増大していった。この四段階にわたる戦争はそれぞれハプスブルク帝国に対抗する勢力ないしは国家の名前をとって下記のように呼ばれている。

  • 第1段階:ボヘミア・ファルツ戦争(1618-23)
  • 第2段階:デンマーク・ニーダーザクセン戦争(1625-29)
  • 第3段階:スウェーデン戦争(1630-35)
  • 第4段階:スウェーデン・フランス戦争(1635-48)

三十年戦争は新教派(プロテスタント)と旧教派(カトリック)との間で展開された宗教戦争と見られがちであるが、それはこの戦争のほんの一面を示しているに過ぎない。当初は宗教闘争に名を借りた民族対立の様相を呈していたが、戦争の第2段階から徐々に権力闘争としての側面があらわになっていった。つまり、この戦争はヨーロッパにおける覇権を確立しようとするハプスブルク家と、それを阻止しようとする勢力との間の権力闘争として展開されていった。

この戦争が単なる宗派対立による宗教戦争ではないことは、戦争勃発当初から明らかであった。ボヘミアのプロテスタント諸侯たちと新教派のファルツ選帝侯によるハプスブルク家への反乱に対して、同じ新教派のザクセン選帝侯やブランデンブルク選帝侯は新教連合(ウニオン)を結成していながら彼らを見捨て、ハプスブルク家を中心とした旧教派連盟(リガ)を支援していたという事実からもわかる。しかもザクセン選帝侯は、皇帝側についたり、皇帝へ反旗を翻したりと、時々の情勢と戦争の展開に応じて立場を変えている。

そして、ボヘミアとファルツの新教勢力鎮圧は新教連合を解体させ、さらにハプスブルク家による新教派弾圧と強硬なカトリック化政策がドイツ全域に及ぼされるに至って、イギリスデンマークスウェーデンなどの新教派諸国が反ハプスブルクの旗印のもとで干渉の動きを示すようになっていった。

この反ハプスブルク勢力の中にはカトリック教国であるフランス王国も加わっていた。ブルボン朝の支配を確立し、フランスの勢力拡大を悲願とする宰相リシュリューはデンマークとスウェーデンのドイツ情勢への介入を裏で手引きして、ハプスブルク帝国の勢力拡大を阻止しようと図り、最後には直接軍事介入によって実力で相手をねじ伏せようとまでするようになった。

フランスがハプスブルク帝国の勢力拡大を阻止しようとした理由は単にヨーロッパ情勢における優位を確保したいということだけではなかった。もしドイツでハプスブルク家の支配が確立されれば、スペインとドイツに挟まれたフランスにとって大きな脅威となり、ブルボン朝の支配が揺るがされる危険性があった。つまり、ブルボン朝の安泰のためには、ハプスブルク家のドイツ支配は何としてでも阻止しなければならなかった。一方で同盟国であるはずのスウェーデンがドイツで成功すると、その強大化を阻止する為その勢力の拡張に対し干渉を行い、これに対してスウェーデンも単独でボヘミア侵攻を行うなど、三十年戦争後期は、列強間のパワーゲームの様相を呈していった。

このような大国の思惑によってドイツの小国、民衆は振り回され、激しい戦闘によって国土は荒廃していった。やがて外交交渉による戦争終結の道が開かれ、勢力均衡を原則とする国際秩序が形成されていくことになる。

[編集] ボヘミア・ファルツ戦争(ベーメン・プファルツ戦争)

1618-1623年。

ボヘミア王ルドルフ2世の死後、ハプスブルク家出身でカトリック教徒のフェルディナンド2世がボヘミア王に選出され、新教徒に対する弾圧をはじめた。プロテスタントの民衆がプラハ王宮に乗り込み、皇帝顧問官らを王宮の窓から突き落として殺すプラハ窓外投擲事件によりクーデターをおこし、反乱軍はサヴォイ公国やプファルツ選帝侯などに呼びかけ、フリードリヒ5世などが賛同する。神聖ローマ皇帝マティアスが死去し、ボヘミア王フェルディナント2世が神聖ローマ皇帝に即位(在位1619年-1637年)すると、プロテスタント派のボヘミア諸侯は議会でフェルディナント2世を廃し、プファルツ選帝侯フリードリヒ5世をボヘミア国王に擁立する。フェルディナント2世は反乱を鎮圧するためにスペイン・ハプスブルクやバイエルン公マクシミリアン2世を味方につけ、ティリー伯を指揮にカトリック諸侯の援助で反乱を鎮圧する。フリードリヒ5世は、オランダ亡命し、復活を切望したが、グスタフ・アドルフの成功にも関わらず、復帰を拒み、1632年に病死した。

[編集] デンマーク・ニーダーザクセン戦争

クリスチャン4世
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クリスチャン4世

1625年5月にデンマーク王クリスチャン4世がプロテスタント側について、参戦した。クリスチャン4世自身はプロテスタントであり、「白山の戦い」の勝利に自信をつけているカソリックに対抗することが参戦理由であった。しかし、実際は神聖ローマ帝国のニーダーザクセンの区長として、長らく空位になっている2つの帝国内の司教職に自分の息子を就任させる要望を出したところ、皇帝フェルディナント2世は拒絶し、逆にティリー伯をニーダーザクセンに進駐させた為であった。

1624年に、ハプスブルク家の勢力強化を恐れたフランスのリシュリューがフランスならびにオランダ、イギリス、スウェーデン、デンマークと「対ハプスブルク同盟」を結成し、ハプスブルクとカソリック連合を牽制した。またフランス、サヴォイ、ヴェネツィアがスペインのハプスブルク家への支援の道を阻んでいた。

これをうけ、北ドイツへの勢力拡大とバルト海、北海の覇権確立を狙っていたデンマーク王クリスチャン4世が、息子の司教職就任問題に対するフェルディナント2世の露骨な反発に対し、フランス、英国、スウェーデンの同盟による支援を受けて、1625年5月の介入となった。当初はスウェーデンとの共同介入であったが、両者の主導権争いの結果スウェーデンはポーランド問題に介入し、デンマークの単独での介入となった。デンマーク王の参戦に対し、英国は資金を提供し、マンスフェルト、ブラウンシュヴァイクのふたりの傭兵隊長の指揮下の援軍をよこした。 これにより、本格的な戦争の体制が調う。

一方、デンマークの参戦を受けて、フェルディナント2世は、戦費不足のため窮地に陥った。常備軍による応戦が不可能と判断した皇帝は、傭兵で対抗することとし、ボヘミアの傭兵隊長ヴァレンシュタインに戦わせる。 一方、デンマークと傭兵軍では戦略に於いて主導権争い発生し、ついに3者は別行動を取るようになる。マンスフェルトはデッサウの戦いでヴァレンシュタインに敗北し、ブラウンシュヴァイクも1626年1月13日に戦死。

1626年クリスチャン4世はルッターの戦いで、ティリー伯に敗れてしまう。

クリスチャン4世が一敗地に塗れると、ヴァレンシュタインとティリー伯はデンマークの神聖ローマ帝国におけるポンメルン、メクレンブルクの公爵領のみならず、ユトランド半島にも占領し蹂躙。クリスチャン4世はスウェーデンに支援を求めた結果、同盟が成立。からくもヴァレンシュタインをデンマークから退けた。1629年に「リューベックの和約」が皇帝との間で成立。デンマークの介入はひとまず終息した。

[編集] スウェーデン戦争

[編集] スウェーデン参戦~レヒ川の戦い

グスタフ・アドルフ率いるスウェーデンがフランスの資金援助を受けて、新教徒を解放するべくドイツに侵入し、スウェーデン戦争は始まる。当初、スウェーデン軍は諸侯の援助を受けられなかったが、食料難に苦しむ皇帝軍がマクデブルクで略奪、虐殺を行ったことから情勢が一変する。ザクセン公と同盟を結んだスウェーデン軍は1631年9月17日ライプツィヒの北方、ブライテンフェルトで皇帝軍と対峙。戦いは新式の軍制、装備、戦術を有するスウェーデン軍の圧倒的勝利に終わった。翌1632年4月15日にはレヒ川を挟んでスウェーデン軍と皇帝派のバイエルン軍が相対し、砲兵の効果的な運用でスウェーデン軍が圧勝。皇帝側は総司令官ティリー伯が戦死するなど大きな損害を被った。

[編集] ヴァレンシュタイン復活~リュッツェンの戦い

1632年11月16日ライプツィヒ郊外のリュッツェンで、破竹の進撃を続ける、グスタフ・アドルフのスウェーデン軍とヴァレンシュタイン率いる皇帝軍が会戦した。スウェーデン軍1万6千、皇帝軍2万6千である。この戦いでグスタフ・アドルフは戦死した。

レヒ川の戦いでティリー伯を戦死させるなど、スウェーデン軍は向かうところ敵なしの快進撃を果たす。このような事態を予想だにしなかったフェルディナント2世は、大いにうろたえた。ティリー伯の戦死で、有能な指揮官がいなくなったこともフェルディナント2世には痛手であった。皇帝は、ついに1630年8月、「専横極まれり」と罷免していたヴァレンシュタインの「軍の全権、和平交渉権、条約締結権の全面委任とハプスブルク帝国領と選帝侯領の割譲」という条件を呑んで、彼を皇帝軍の指揮官に再召喚する。ヴァレンシュタインはこれを受諾し、2万6千の軍勢を率いて出発した。

一方、迎え討つグスタフ・アドルフのスウェーデン軍は1万6千である。両者はリュッツェンで戦闘を開始。皇帝軍が方陣形を使用するのに対し、スウェーデン軍は一列隊形、T字隊形なども駆使し応戦する。会戦当初は皇帝軍に不利に戦局は動く。援軍も指揮官パッペンハイムが来着直後に戦死してしまった。ところが、有利だったスウェーデン軍に異変が起きる。総司令官、国王グスタフ・アドルフが戦死した。「スウェーデン王戦死」の報は皇帝軍を元気付け、スウェーデン軍に緊張をもたらした。しかし、スウェーデン軍はベルンハルト将軍が指揮を受け継ぎ、皇帝軍を退けた。

[編集] グスタフ・アドルフ戦死・ハイルブロン同盟

「国王戦死」の報を受けたスウェーデンストックホルムの宮廷では、クリスティナ王女が国王に即位。一方、宰相オクセンシェルナはドイツのプロテスタント諸侯との間に「ハイルブロン同盟」を締結し、「防衛戦争」という形で戦争を続行させた。これを受けてフランスのリシュリューはプロテスタント諸侯へのフランスの影響良力を保持するためスウェーデンと取引をし、カソリック国にも拘わらずフランスもこの同盟に参加する。スウェーデンは戦争を継続するが、新しい局面を迎えることになる。

[編集] ヴァレンシュタイン暗殺~ネルトリンゲンの戦い

グスタフ・アドルフの死は、プロテスタント諸侯を動揺させた。しかもスウェーデン軍とプロテスタント諸侯との分裂と言う事態を引き起こしてしまった。この事は皇帝軍を士気を高めさせることとなった。これに自信を持ったのか、皇帝は、ヴァレンシュタインを暗殺した。ヴァレンシュタインの排除はマイナスであったが、帝国諸侯の意を入れ暗殺に踏み切った。また、皇帝は嫡子フェルディナントの世襲の為に諸侯に譲歩したものの、この時はローマ王には選出されなかった。

しかし皇帝は、幸運にも主導権を奪い返した。嫡子フェルディナントを総司令官に任命し、ネルトリンゲンの戦いで、スウェーデン・プロテスタント諸侯軍(ハイルブロン同盟)を撃破した。この戦いでスウェーデン軍は壊滅し、三十年戦争の主導権を失ってしまった。もっともこの戦闘の最大の殊勲は、スペイン軍であった。しかしスペイン軍の栄光はここまでで、後には皇帝軍の足手まといになって行く。しかし、この勝利によって、皇帝は嫡子フェルディナントのローマ王選出に成功を収めている。

皇帝は、バイエルン公とザクセン公との和解、スペインの参戦に勇気付けられ、他方では戦闘が続いているにも関わらず、三十年戦争終結へ向けてプラハ条約にこぎ着けた。この条約は、皇帝の威光を高めたが、結局は、一時的なものでしかなかった。スウェーデン軍もかつての勢力を失い、ハイルブロン同盟の危うさもありながらも、スウェーデンの宰相オクセンシェルナの手腕によってフランスを直接介入させる事に成功し、三十年戦争は第四段階へと突入した。

[編集] フランス・スウェーデン戦争

リシュリュー。権謀術数を駆使しフランス王国の国益を追求する。怜悧な宰相。
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リシュリュー。権謀術数を駆使しフランス王国の国益を追求する。怜悧な宰相。
アクセル・オクセンシェルナ。亡き国王グスタフ2世アドルフの遺産を死守する忠勤な宰相。
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アクセル・オクセンシェルナ。亡き国王グスタフ2世アドルフの遺産を死守する忠勤な宰相。

[編集] 二人の宰相

スウェーデン・フランス戦争は、泥沼化し、1635年から1648年まで続いた。この戦役は皇帝軍の一方的な防衛戦争と化し、一方、フランス軍の参戦を受けたスウェーデン軍は猛然と巻き返しを図る。この時、フランスは後に名将と呼ばれるテュレンヌ将軍をドイツに送り込んだ。この戦役は、フランス宰相リシュリュー、スウェーデン宰相オクセンシェルナ、神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の戦略戦争ともなった。フランス軍は、主にスペイン軍と、スウェーデン軍は、神聖ローマ皇帝軍と戦った。

[編集] 反ハプスブルクの反撃

その端緒は、スウェーデン軍と、攻勢に出た皇帝軍のヴィットストックの戦いであった。この戦争で勝利したスウェーデンは再び、ドイツ内部へと侵攻を開始する。この勝利から反ハプスブルク勢力の情勢は好転した。ネーデルラントでは、オランダがスペインを敗り、ブレダ要塞を陥落させる。この勝利はオランダの独立を確実なものとし、逆にスペインの覇権に翳りが見えてきた証左であった。

こうした事態の中、皇帝フェルディナント2世が死去した。新皇帝には、ネルトリンゲンの戦いで名声を得た、フェルディナントがフェルディナント3世として即位した。

フランス軍の傭兵隊長となったザクセン=ヴァイマル公ベルンハルトも攻勢に出た。1638年、ラインフェルデ、フライベルク、ブライザッハを陥落させた。ただしベルンハルトはフランスといざこざを起こし、後にザクセン軍とフランス軍は交戦する事となる。

同年、スウェーデン軍はハイルブロン同盟から寝返ったザクセン軍をケムニッツで敗り、ボヘミアに侵攻している。この時は、スウェーデン軍のバネル将軍の野心によって統率が乱れ、ボヘミア征服に失敗し、撃退されている。翌1639年エアフルトで、フランス軍、スウェーデン軍、プロイセン軍が邂逅している。もっともプロイセン軍は、後に大選帝侯と呼ばれたフリードリヒ・ヴィルヘルムが翌1640年にプロイセン公となると防衛戦争に切り替え、事実上中立の立場をとった。

[編集] 和平会議の開始と戦争の行方

1640年頃から、皇帝は和平に向けた動きを見せ始めるが、その高圧的な態度に応じる勢力はいなかった。しかもスペイン軍は、この時期から、没落の兆しが明らかになって来ていた。フランス・オランダの前に敗退を重ね、皇帝もスペインの存在を疎ましく思い始める。この年、スペインのくびきを脱したポルトガル王国が独立した。

1642年、皇帝軍は、ブライテンフェルトで再びスウェーデン軍に敗れた。皇帝軍は1631年にもこの地で一敗地にまみれていた。皇帝はさらに逼迫し、和平の道を模索し始めた。この頃になると、帝国全体で厭戦気分が行き渡るようになる。1642年の暮れには、ライン川の両岸で和平会議が設置された。そしてようやく1644年に交渉が開始される。戦争を終わらせるには、両勢力の一方の決定的な勝利しかありえない。戦争は、交渉を優位に運ばせる為に、戦争を終わらせる為の戦いという矛盾した状況に追い込まれて行く。

帝国法によって、国際会議は設置されたが、戦争の主導権を奪い返したスウェーデンが和平会議も牛耳って行く。この時期フランスでは、1642年に宰相リシュリュー、翌1643年にフランス王ルイ13世が相次いで死に、リシュリューの政策は、新宰相マザランに引き継がれるが、新国王ルイ14世は幼くフランス国内は不安定となる。マザランは、引き継いだ政策の内、国王を神聖ローマ皇帝に戴冠するという野心を放棄せざるをえなくなる。しかし、1642年にフランス王族ルイ・ド・ブルボンがロクロアの戦いで、スペインを殲滅、1644年のフライブルクの戦いで、カトリック軍の牙城バイエルン公を敗った事で、三十年戦争における勝利を確実なものとした。

[編集] トルシュテンソン戦争~ボヘミア侵攻

一方スウェーデンは、ドイツで転戦するスウェーデン軍を背後から脅かすデンマークと戦端を開いた。この戦争は、トルステンソン戦争と言い、オランダ海軍も巻き込み、デンマークを屈服させた。三十年戦争によって中断されたバルト海の制覇をついに成し遂げた。また、この戦争で、グスタフ・ホルン将軍が三十年戦争に復帰した。この戦争には、皇帝軍も駆けつけたが、スウェーデン軍の前に惨敗した。

スウェーデンは、三十年戦争の勝利を確実にするために再びボヘミアへ侵攻する。1645年プラハ近郊で、皇帝軍とヤンカウの戦いを起こすが、またしても皇帝軍は大敗してしまった。この時、プラハにいた皇帝フェルディナント3世は狼狽しウィーンへと逃亡した。この逃亡は、プファルツ選帝侯フリードリヒ5世(ボヘミア冬王)の逃亡に酷似していた為、「フリードリヒの逃亡」と揶揄された。この事件は、ハプスブルク家の決定的な敗北であった。同年、バイエルン軍もスウェーデン軍に敗れた。バイエルン公は、フランスとよりを戻し、孤立したザクセン公も、スウェーデンと休戦条約を締結した。

[編集] ヴェストファーレン条約の締結

この一連の戦況によって、和平会議は一気に進んだ。国際会議には、イングランドポーランドロシア帝国オスマン帝国を除いた全てのヨーロッパ諸国が参加した。しかし1646年の状況はさらに混沌の渦と化した。まず、皇帝軍がヤンカウの敗戦から驚異な復活を成し遂げた。皇帝軍のバイエルンへの合流の恐れが生じると、スウェーデンがバイエルンに再度侵攻する。フランスは、これを越権行為として、スウェーデン牽制の為にテュレンヌ将軍を派遣した。結果、両者に挟まれたバイエルンは屈服した。この後、バイエルン軍の将軍が反乱を起こし皇帝軍に合流する。

それでも皇帝は、最後のあがきを試みた。1618年、あのボヘミア・ファルツ戦争が勃発した地で最後の戦闘が行われた。三十年戦争は、回り回って、再びボヘミアの地へ回帰した。1648年、スウェーデン・フランス連合軍は、皇帝・バイエルン連合軍を敗った。万事休すであった。しかもスウェーデン軍はプラハを包囲した。スウェーデンは、プラハを占領した後、帝都ウィーンを攻める状勢を築き上げようとしていた。皇帝はついに力尽き、和平条約への署名を決断する。10月24日の事であった。

[編集] 三十年戦争終結

しかし、スウェーデンはなお、ボヘミアの征服とプロテスタント化を諦めなかった。1648年7月26日以降、プラハでは絶え間なく戦闘が繰り広げられた。しかし、カトリックの牙城となったプラハは、激しく抵抗し降伏には応じなかった。後にスウェーデン王となるカール10世(スウェーデン軍総司令官)も援軍に駆けつける。包囲戦は3ヶ月にも及んだ。

この地にヴェストファーレン条約の締結の報が届いたのは、11月2日であった。この日をもって、ついに三十年戦争は終結した。しかしスウェーデンは、親政を開始したクリスティーナ女王の政策によって、和平交渉において新たな展開が待ち受ける事となる。

[編集] 結果・影響

この戦争は、神聖ローマ帝国という枠組みを越えて全ヨーロッパの情勢に多大な影響を与え、その後のフランス革命に至るヨーロッパの国際情勢を規定することになった。1648年に締結された史上初の多国間条約であるヴェストファーレン条約(ウェストファリア条約)によって戦争に最終的な決着がつけられ、この結果、おおよそ300に及ぶ領邦国家の分立状態が確定することになった。神聖ローマ帝国は、1806年ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン1世)によって滅ぼされるまでの間存続しつづけたが、亡霊のごとく単に名ばかりの実体のない国家として生き続けることとなる。オーストリア・ハプスブルク家はドイツ王ではなくオーストリア大公、後にオーストリア皇帝として18世紀、19世紀を生き延びることとなった。

長期間にわたる戦闘や傭兵による略奪でドイツの国土は荒廃し、当時流行していたペスト(黒死病)の影響もあり人口は激減し、交戦国間の経済にも多大なマイナス効果を及ぼすことになった。

なお、フランスとスペインの戦いは三十年戦争以後も継続し(西仏戦争)、1659年、ピレネー条約によって終結した。この条約は「ルシヨン、セルダーニャ、アルトアの割譲」「ルイ14世とフェリペ4世の王女マリア・テレサの結婚」「マリア・テレサは50万エスクードを持参金とし、その代償としてスペイン王位継承権は放棄」というものであった。この戦争を境としてスペインの覇権は失われ、フランスの覇権の時代が開始された。

またオスマン帝国は、三十年戦争に直接参戦していないが、属国トランシルヴァニア侯の介入によって、間接的に三十年戦争に関与し、ハプスブルク家を圧迫した。

[編集] 年表

[編集] 関連項目

[編集] 事項

[編集] 事件

[編集] 人物

[編集] その他

  • ペドロ・カルデロン・デ・ラ・バルカ(三十年戦争を題材に取った戯曲「ブレダの開城」を執筆)
  • フリードリヒ・シラー『三十年戦争史』『ヴァレンシュタイン3部作』

[編集] 参考文献

  • 『ドイツ三十年戦争』 シセリー・ヴェロニカ・ウェッジウッド 著, 瀬原義生 訳 刀水書房 ISBN 4887083173
  • 『戦うハプスブルク家―近代の序章としての三十年戦争』 菊池良生 著 講談社 ISBN 4061492829
  • 『傭兵の二千年史』 菊池良生 著 講談社 ISBN 4061495879

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